[1] | 日本の苗字七千傑さんからのコメント(2011年01月09日 16時49分41秒 ) | パスワード |
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太郎 さまへ
現在は消滅した筑後国山門郡長島邑(柳河藩領)が、筬島氏の発祥地ではないかと考える。
全国の多くの長島地名はナガシマと訓むが、筑後国山門郡のみはオサジマと訓む。
恐らく筬島が後世、長島に変化したものと思われる。
大宰少弐平宗行を祖とする山門郡司を称した平氏一族は、三潴郡諸富に移り諸富氏を称して子孫は久留米藩士となる。
諸富氏は平氏を称するが、実は高木氏族(藤原隆家流あるいは大蔵姓)の酒井田氏庶流と思われる。
保元の乱の功により平清盛が播磨守ついで大宰大弐となったことから、九州北部の諸氏が平氏を名乗った背景もある。
[2] | 太郎さんからのコメント(2011年01月09日 20時04分43秒 ) | パスワード |
情報のご提供ありがとうございます。
さて、私も旧山門郡瀬高町に「長島」と書いて「オサジマ」と読む地区があること存じていました。しかし、瀬高町周辺には現在、「筬島」さんは、私が知っている範囲では、殆どいや一人もいらっしゃいません。ここが疑問で、「筬島」の由来は、地名からではないだろうと考えていました。つまり、造語或いは意図的に作った苗字ではないかと考えております。例えば、「築島(福原京)→筬島」或いは「竹生島(大川市にあります)また、本家は琵琶湖にあります。」のようになります。漢和辞典でちなみに「成」の訓読みを調べてみますと「ひら、たいら」があります。なお、過去帖の明治元年の筬島の「島」は「嶌」や「嶋」が100%で、「島」は一つもありませんでした。昔、瀬高町の「長島」が、「長嶌」或いは「長嶋」と表現されていたかわわかりません。ただ、後者の「長嶋」はあるかもしれません。
筬島一族は、大川市中古賀と道海島に周辺に固まるように住んでいます(昔のなごりだと思います)。そこには、3種類の家紋をもつ筬島一族がともに暮らしております。
家紋@:八角隅切り角に変わりかせぎ久留子
家紋A:丸に横木瓜
家紋B:丸に剣花菱
なぜ、同じ一族なのに3種類もあるかわかりません。これも、なぞです。ちなみに、@の家紋の本家は江戸時代は道海島村の庄屋さんだったそうです(筬嶋酒造としてお酒けも作っていたそうです。ただ、この一族の方は、先祖は「平家
の落人」の伝承はないとのことでした。昔、庄屋さんだった方は、昔の資料等を全て破棄したことで、本当に闇に葬られた感じで、何もわかりません。これもなぞです。
そのようなことで、筬島一族が「平家の落人」の子孫であるかは、物的証拠は何もありませので、推測の域を抜け出すことはできません。たぶん、私と同じ方の人たちも多くいらっしゃるかと思います。これはこれでロマンがあるのかもしれません。
また、何か興味深い、夢があるような情報がございましたら、些細な事でもかまいませんので、ご連絡宜しくお願い致します。
太郎
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