[1] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年06月04日 10時12分28秒 ) | パスワード |
あっこさん
全然分りませんが面白いサイトを見つけました。
今井姓の分布、というのです。
確かに新潟には多いですね。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~myouji/zukan/file/m000077.htm
[3] | あっこさんからのコメント(2009年06月04日 20時59分25秒 ) | パスワード |
↑すみません、字を間違って入力したので、コメント削除しました。
暇潰しのギャンブラーさん、ありがとうございます。
なるほど! 名字の分布がわかるサイトもあるのですね。
私のアバウトな質問に、コメントありがとうございます。
母の話だと、飲んだときに酔っ払った父や兄からそういう話を聞いたようですので、話の内容もあまり確かとは言えず、アバウトですみません。
どうやら、長男だけに詳しい話をしていたようですが。
すっかり新潟の武将か、豪族?みたいなものと決め付けていましたが、
他の県も検索してみます。
でも、母から聞いた言い伝えがアバウトなので、はっきりわからないので、
ご先祖様をつきとめるのは無理かもしれません。
まあ、これも私が日本の歴史を調べるきっかけになれば・・・と思って、何かのご縁だと思って、勉強したいと思います。
[4] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年06月05日 04時20分28秒 ) | パスワード |
あっこさん
状況証拠的には充分考えられますよ。
まず今やってるNHKの大河ドラマの直江兼継の実家は樋口姓ですから
その一族になる今井家の子孫が士官して来るのは充分有り得ます。
カタバミ紋ですが
知り合いの、木曾義仲の侍大将の1人だった人物の子孫の家は、剣かたばみ紋使用で
やはりちょっと前は新潟にいたような話を聞いたことがあります。
1番良いのは戸籍謄本の明治の初めの御先祖さまの除籍謄本を取得なさって
近い親戚を確認なさって
明治の初めの御先祖さまの本家にあたる家が分りましたら御先祖のお話を聞いたら良いです。
お盆とかお正月とかに老人から訊く:
源平時代はどっちだったか?
南北朝時代はどっちだったか
対織田信長時代はどうだったか?
おおよその事が分ったら
地元や先祖がいたらしい場所の教育委員会から史料を貰って読みまくる。
御先祖さまのことがちょっとでも分ってきたらその人を中心に史料を集めまくる。
日本人はけっこう遡れますよ。
とにかく御先祖さまの1人でもお名前が分ると良いですね。
御先祖さまのお墓にも行って家紋や名前を調べたりね。
ライフワークとして20年30年はかかる覚悟でやってみてください。
老人は鬼籍に入って行かれるので早めに行動なさる方が良いですよ。
[5] | あっこさんからのコメント(2009年06月05日 09時53分08秒 ) | パスワード |
ありがとうございます!
母からよくよく話を聞いて、ひとつわかったことがあります!
「大井の殿様」と言い伝えがあるようです。
新潟県のお城を検索したところ、
「今井城 中魚沼郡津南町上郷大井平字城 」とありました!!
母の実家もわりと近いようですし、地名?に「大井」が付いているので、
たぶんこれでは??
ちょっとすっきりしました!
もっと調べてみます。
今井城のお殿様が何者だったのか、いろいろ気になることが増えてきました。
殿様にもご先祖さまがいるわけですし、それこそ平安時代とかにさかのぼると面白いかもしれません。
調べたところ、魚沼には、木曽義仲の四天王の一人、今井兼平という方の末裔がいる??とか?? 家紋も母と同じようです。
本当に、ライフワークのつもりで、調べたいと思います。
ちょっとわくわくしてきました。
[6] | あっこさんからのコメント(2009年06月05日 15時41分40秒 ) | パスワード |
毎回素人の書き込みですみません。
暇潰しのギャンブラーさんの言うとおり、念入りに調べてみようと思います。
今井城を検索しましたが、どうやら誰が城主だったか、お城の歴史も詳しくわかっていないようです。
残念ながら、言い伝えを残してくれていた祖父も母の兄も亡くなっていますので、頑張ってみようと思います。
どのように調べたらいいのか、キーワードを下さり、ありがとうございました。
[7] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年06月06日 02時10分58秒 ) | パスワード |
http://homepage3.nifty.com/otakeya/niigata/tunanmati.htm
ここに今井城について画像なども載っています。
津南町や新潟県から史料が貰えると良いですね。
また 「新潟県 大井氏」 で検索なさいますといろいろ出てますよ。
家伝の「大井の殿様」がどなたか特定できると良いですね。にっこり
御先祖さまはお大切にね。
[8] | あっこさんからのコメント(2009年06月06日 05時51分50秒 ) | パスワード |
「大井氏」調べてみます。
いつもありがとうございます。
今回のことがあり、母の実家に子供のころ遊びに行き、楽しかったことを思い出しました。
そういった気気持ちも、日々のいろいろな忙しさにしばらく忘れていました。
母の実家の本家?だった家は、今井の姓でしたが「大井」という屋号で呼ばれていたそうです。そういえば、大きなお墓の前で、子供のころ写真を撮った気がします。探してみます。
母の実家は、お正月に食べるものの風習も、地元の人とは違っていたようです。
今は、本家もなくなっているそうですが、
時間をかけて、いろいろ調べてみようと思います。
今となれば、母の実家でもっといろいろとお話を聞いておけばよかった・・・。
遊びに行っていた頃は私も幼かったので、仕方ないですね。
でも、頑張って調べてみようと思っています。(^−^)
いつも書き込みありがとうございます。
[9] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年06月06日 09時32分58秒 ) | パスワード |
大井氏 1
http://minkara.carview.co.jp/userid/157690/blog/11727066/
武田信玄の名前が出ていて
あれ?と思いました。
信玄の母は大井氏ですから。
あらら
[10] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年06月06日 09時44分42秒 ) | パスワード |
大井氏と今井氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/k_imai.html
仲良いみたいですね。
家紋は非常に変遷が大きいのでココ1000年分がみんな分れば良いけど
現在使われている家紋は江戸時代以降のものか、ごくごく最近のものだと思いますよ。
同じ名字で同じ家紋で同じ土地出身なら非常に身近な一族であろうということで
御先祖さまを遡って捜す時は役に立たないです。
家書に家紋の変遷が記されていれば便利ですが、この家書や系図を誰が持っているかは
一族が集まって、知ってることを全部話しているうちに、特定できると思います。
家書や系図は誰かが持っているでしょうし、また、持ってる人を知っている人もいるはずです。
でも、そういう人は既に80代以上でしょうね。
[11] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年06月06日 09時48分29秒 ) | パスワード |
新潟の大井氏
http://www.umaigaya.com/jizake.htm
「越の白雪」
弥彦酒造
新潟県西蒲原郡弥彦村
>営業の大井氏を中心に村田杜氏が1000石を醸す。
新潟の大井氏が出てました。笑
[12] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年06月06日 09時57分27秒 ) | パスワード |
>母の実家の本家?だった家は、今井の姓でしたが「大井」という屋号で呼ばれていたそうです
お母さまの御実家の本家さんのお屋敷あたりの今井さんが見つかると良いですね。
御親戚みんなが今井姓ですと屋号で呼び合いますものね。
明治の初めの除籍謄本が手に入ると良いですね。
その辺りの今井さんは御一族でしょう。
1度お出掛けになってはいかがでしょう。
1軒ぐらい残っているかも。
[13] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年06月06日 10時07分18秒 ) | パスワード |
このサイト、面白かったですよ。
http://aries.hp.infoseek.co.jp/myouji/g/minamoto/mitsunaka/yorinobu/nituta/imai/imai.html
信濃國筑摩郡今井村発祥
中原氏流今井氏→中原氏:古代大和十市県主から輩出した名族
中原信濃権守兼遠─兼平(今井四郎)
木曽義仲四天王の一人→源義経・範頼と戦って敗れる 巴御前の兄
子孫:信州はもとより各地に今井兼平の子孫という今井家が見える。
5.越後國魚沼郡今井村の今井家─家紋:片喰 ← ここ!
[14] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年06月06日 10時10分31秒 ) | パスワード |
ということは
やっぱり魚沼郡の今井氏について調べれば良いらしいというのがハッキリしてきましたね。
新潟県の教育委員会の歴史編纂課から史料を手に入れてください。
[15] | あっこさんからのコメント(2009年06月07日 10時04分57秒 ) | パスワード |
昨日は一日外出していて書き込みできずに申し訳ありません。
「大井氏」についても、いろいろ私も検索してみました。
今井氏と仲の良かった大井氏情報、ほかにもいろいろありがとうございます。
暇潰しのギャンブラーさんも、お疲れではないですか? すみません。
歴史にうとい私に、いろいろアドバイス下さり、心強いです。(^−^)
では、今のところ、魚沼の今井氏に絞ってOKな感じでしょうか?
魚沼の今井氏について、どこから手をつけて調べたらよいのか、困っていましたが、暇潰しのギャンブラーさんのおかげで、方向が見えてきて、うれしい限りです。
せっかく歴史に手を付け始めたので、「大井氏」なども引き続き調べたいと思います。
それにしても、今まで日本の歴史はほとんど興味がなかったのですが、
急に意欲がわいてきましたし、なんといっても、知らずにいたことが恥ずかしくなってきました。(^−^;)
冬はちょっと大変なので、この夏ぐらいに母の実家に行って、お墓などを回ってみようかと思っています。
ご先祖様が有名な人であれ、ない人であれ、いろいろ勉強したくなりました。
さっそく、資料を手に入れます。
それにしても、暇潰しのギャンブラーさん、すごいですね!
何でもご存知で。
本当に助かりました。ありがとうございます。
進展がありましたら、また書き込みいたします。
[16] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年06月07日 11時08分50秒 ) | パスワード |
あっこさん
ヨーロッパのお姫さまに憧れたというのは前世にヨーロッパのお姫さまだった可能性もありますよ。
笑
確実なのは日本人の前世というか日本人のDNAをたくさん受け継いでいること。
あっこさんの場合は関東エリア〜上信越エリアの御先祖がたくさん重なっているのかも。
最近は「風林火山」もありましたし今の「天地人」もあって
御先祖さまが「うちの事も忘れないで!」と呼び掛けているのかも知れません。
今井姓というのは源平時代の木曾義仲の家来が1番有名かな?と思います。
それには中原家も調べなくてはいけないし関東のエリアも調べないといけないし
木曾義仲の史料も必要だし
新潟も調べないとね。
1番早くて良いのは魚沼郡と新潟県の歴史資料からでしょうね。
ここの歴史を読んでいれば今井兼平およびその子孫の名前が出てきますよ。
それで大井の殿様のことも分りますよ。
戦いの時は運を天に任せて名を挙げようと御先祖さま達はアチコチ移動したはずです。
中には甲斐あたりに行った人もいたでしょうしね。
元は関東〜信濃あたりでしょうから、当然、信玄とも接触があったでしょうし。
そして一族や仲間同士で婚姻しましたからね。
何重にも血が重なっていますよ。
大井という名が甲斐か新潟かどっちが先なのか調べるのも面白いですしね。
新潟県や上杉家や武田家の家臣分限禄というのに名前が載っているかも知れないですしね。
県の史談会発行の本も手に入ると良いですね。
本当に昔の住所にはアチコチいらっしゃいますように。
とにかく史料を手に入れられるだけ集めて読みまくることです。
そして
御先祖さまが「この本を読め」とか「どこそこに行け」とか語り掛けて来ますよ。
不思議な体験をなさいますよ。
本当に御先祖さまが御自分を見守ってくださっている感触を得られますよ。
[17] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年06月07日 23時38分12秒 ) | パスワード |
あっこさんへ
>子孫:信州はもとより各地に今井兼平の子孫という今井家が見える。 ←九州にもいますよ
>5.越後國魚沼郡今井村の今井家─家紋:片喰
1970年代前半の戸籍謄本には「身分」が書かれていました。
士族とか平民とかね。
明治の初めの除籍謄本の住所はたぶん江戸時代に住んでた所と一致すると思います。
そして上記 > つきで書いた2点ですが
魚沼郡の今井氏が兼平の子孫と書かれているのは
それなりの根拠があるからだと思います。
昔の大名も武士もそして百姓も役所に自分の先祖のことなどを登録しているんです。
家紋とか宗教とかもね。
100%「真実」が記録されたかというと、いろいろな事情があって、書けませんでした。
世をはばかって、殿様より主人より身分の上になる事は、遠慮しました。
家紋や漢字もですよ。
名字をとるか家紋を記録に残すか、当時の人は覚悟を迫られました。
それぐらい当時は名字とか家紋は命の次に大切だったんです。
使用漢字は制限されたし。殿様や主人の漢字は勝手に使えなかったのです。
ですから上記の2点が「事実」であることは確かです。
(真実と事実の違いが分れば話は早いのですが・・・)
どっちにしろ勝手なことは書けませんでした。
ですから魚沼郡の今井氏は兼平の子孫ということは当時の人によって事実だと認められていたのですよ。
「嘘」でしたら、そんなことは許されませんでしたから。
周りが許さなかったんですよ。
今井兼平の子孫、ということは当時世間の納得の上で記録された、ということです。
使用家紋は身分の上の人ほどたくさん記録されましたが(先祖代々の家紋や拝領紋やらね)
家紋も格がありますから、名字と家紋のどっちを残すか迫られたりね。
ですから「かたばみ紋」というのは江戸時代に登録した紋じゃないのかな?と思います。
兼平が何を使っていたのか分ると良いですね。
中原家の紋、自分だけの紋、木曾義仲の旗印の紋、源氏の紋、これら最低4つはあったと思いますよ。
そして魚沼郡に落ち着いて使用するようになったのが「かたばみ紋」かも知れません。
それでお墓にいらっしゃれば家紋が彫ってあるかも知れませんしね。
昔の史料を読んでいますと、家紋について書かれた箇所に遭遇するかも。
お寺さんにいろいろ訊いても良いですしね。
でも「お布施」はちゃんと差し上げてくださいね。
またお寺さんも最近の人でしたら古いことは知りません。
今井姓の家が今でも存在していると良いですね。
[18] | あっこさんからのコメント(2009年06月08日 08時45分08秒 ) | パスワード |
ありがとうございます。(^−^)
本当に心強いお言葉で、感謝しながら読ませていただきました。
魚沼の今井についても、調べ続けます。
今井のほうとは別に、もうひとつわかったことがあります。
母の家の集落に、「大井」という屋号の家があり、そこと親戚だと、母の兄が言っていたらしいのですが、発音的には「おおえ」だそうです。
新潟では「い」を、「え」と発音するので、母が「大井」だと思ったそうなのですが、
検索したら新潟に「大江」氏がいたようです。
私は歴史に疎く、「おおえ」と「今井」はひとつのものと思っていましたが、一口に「今井のご先祖」と言っても、やはり幾重にも重なっていろんな血筋が存在しているのですね。
またまた調べることが増えました。
母が法事の時に、お寺に行ってみようと考えているようです。
新しい住職様になっている可能性も高く、いろいろ聞けるかわかりませんが、
伝説的なあいまいなものでもいいので、何かお話が聞けたらうれしいです。
ヒントがまた増えるかもしれません。
[20] | あっこさんからのコメント(2009年06月08日 10時00分33秒 ) | パスワード |
暇潰しのギャンブラーさんにも、「大井」についていろいろ調べていただいたのに、情報が変わってしまい、すみませんでした。お手数になりましたね。
ごめんなさい。
どういうご縁で「おおえの殿様」が、新潟の母の実家の土地に逃げてきたのか、そこが知りたいです。
つてがあったということなのでしょうが、どういう成り行きだったのでしょう・・・。
今井と関係があるのでしょうか????
私は現在ちょっと離れたところに住んでいますので、とにかく母には実家の方を調べてもらいます。
年内には行く用事がありそうです。
[21] | 日本の苗字七千傑さんからのコメント(2009年06月08日 13時08分03秒 ) | パスワード |
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/ |
あっこさんへ
話が錯綜混乱しているようですね。
相模国愛甲郡毛利庄を本貫地とする大江姓毛利季光が、「三浦泰村の乱」で殺されて子の経光が越後国三島郡佐橋庄に逃れる。
経光の子、基親に佐橋庄北条、時親に佐橋庄南条及び安芸国吉田庄が伝領される。
基親の孫、経高は越後毛利氏祖、時親の後裔は安芸に本拠を移し戦国大名となる。
こういったところの話でしょう。
真偽はともかく、魚沼の今井城は今井兼平が築城したと伝えられている。
今井氏の多くは信濃国筑摩郡今井邑を本貫として、信濃各地及び越後、上野、武蔵、相模、美濃、尾張、三河、甲斐などの周辺国に進出して同時に地名遷移も生じたことが現代の今井姓分布からうかがわれる。
今井氏の全てが今井兼平の後裔というのはナンセンスだが、全てをヨタ話とも言い切れないものと考える。
[22] | あっこさんからのコメント(2009年06月08日 13時21分52秒 ) | パスワード |
日本の苗字七千傑さん、コメントありがとうございます。
(^−^)
大江氏は、越後国の大江氏を検索してみました。
大江広元という人がいて、その兄は、中原姓でした。
中原だと、今井兼平の父が中原でしたので、つながりがあるのかなあ??
とも思いました。
でも、母が言う大江の殿様というだけでは、いつの時代かもわかりませんし、
まだまだ手をつけたばかりの状態です。
とにかく、歴史に詳しくないので、手探り状態のルーツ探しですが、
また何か情報をよろしくお願いします。
コメント、ありがたいです。
[23] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年06月08日 14時53分42秒 ) | パスワード |
あっこさん
>魚沼の今井城は今井兼平が築城したと伝えられている。
これで力強くなりましたね。
7000傑さんに感謝です。ぺこり
日本語は大江と大井が混乱するというか
確かに東北弁訛り?のせいか茨城でも「い」と「え」が混乱して
江戸崎への行き方で「いどが・・・」「いどが・・・」と言われて
井戸なのか江戸なのかワケわからなくなった経験があります。
また名古屋でも
尾張藩の御重臣の横井家は本来は横江でした。
名古屋弁は「え」より「い」が言い易いのかも。笑
ですから大江と大井もそういうことかも知れません。
史料に出て来ると良いですね。
とにかく行って見てみないことにはね。
楽しみが増えましたね。
お母さまにも、早く整理しておかないとイヨイヨ分らなくなりますから、頑張って頂きましょう。
笑
[24] | あっこさんからのコメント(2009年06月08日 18時25分24秒 ) | パスワード |
そうですね。
0(^−^)0
母も実家の近くの友達などに、連絡を取り、聞き込み調査をしているようです。
(^−^;)尾ひれがついた情報にならないといいのですが。
あてになるんだろうか??
そんなこんなですが、頑張ります!!
[25] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年06月09日 02時33分53秒 ) | パスワード |
>(^−^;)尾ひれがついた情報にならないといいのですが。
>あてになるんだろうか??
情報は取り敢えず何でもメモなさってください。
まさか?!と思うようなお話でも
そういう中に「事実」がまぎれ込んでいたりするので捨てないように。笑
>そんなこんなですが、頑張ります!!
7000傑さんの書き込みで自信がつきましたものね。
メドが付きましたから、ホント、頑張ってください。
お母さまも今年のお盆にある程度御先祖さまに報告できることが得られると良いですね。
今井兼平の御子孫なら鼻が高いじゃありませんか。
日本人で嫌いなヒトはいないんじゃないですか?
「理想の日本の男」のトップでいらっしゃいますよ。
上司ならこんな部下が欲しかったという人物ですしね。
何か分りましたら、また、書き込んでくださいね。
[26] | 未来さんからのコメント(2018年12月02日 10時16分06秒 ) | パスワード |
こんにちは。
私も今井と申します。
私の家柄は新潟県魚沼市の集落にある曹洞宗の分家筋です。私の集落は本当に山なので落武者たちが逃げ延びるところには最適な所だったみたいです。
現に浅井長政の子孫がたくさんいます(笑)
そして、私が生まれる前に亡くなったおじいちゃんの家系は菊水の紋で、楠木正成の子孫だそうです。
壊す前のうちに家系図や巻物、壷などの家宝もあったそうですが、取り壊す際に捨てられたそうです。
もしかしたら、親戚のうちに証拠となるものがあるかもしれませんが、訳あって縁を切ったらしいです。
名字で言えば今井兼平、家紋で言ったら楠木正成‥‥‥どちらが本当なのでしょう(笑)もしかしたら、両方違ったりして😅
ちなみに屋号は寺新田です(笑)
[27] | 未来さんからのコメント(2018年12月02日 10時17分36秒 ) | パスワード |
こんにちは。
私も今井と申します。
私の家柄は新潟県魚沼市の集落にある曹洞宗の分家筋です。私の集落は本当に山なので落武者たちが逃げ延びるところには最適な所だったみたいです。
現に浅井長政の子孫がたくさんいます(笑)
そして、私が生まれる前に亡くなったおじいちゃんの家系は菊水の紋で、楠木正成の子孫だそうです。
壊す前のうちに家系図や巻物、壷などの家宝もあったそうですが、取り壊す際に捨てられたそうです。
もしかしたら、親戚のうちに証拠となるものがあるかもしれませんが、訳あって縁を切ったらしいです。
名字で言えば今井兼平、家紋で言ったら楠木正成‥‥‥どちらが本当なのでしょう(笑)もしかしたら、両方違ったりして!
ちなみに屋号は寺新田です(笑)
[28] | よしさんからのコメント(2019年07月18日 06時37分52秒 ) | パスワード |
吉田町今井家、今井吉郎の孫に当たります
祖父は長岡今井本家の出身と聞いています
苗字帯刀を許され、明治当時は財閥の扱いで銀行などを持っていたようです
戦時に祖父は長男では無かった為、福島県喜多方市に疎開しました
現在も吉田町に本家のお墓があります、お墓に階段が有り戦前は屋根の付いた大きなお墓でした
調べたら私の遠縁の方が今井家の資料館などもやっているようです
[33] | 今井奈味七さんからのコメント(2024年03月22日 21時40分33秒 ) | パスワード |
こんばんわ!
私の今井は新潟の新発田です。
ひいひいひい祖父が名味七(奈味七?)という
屋号で、魚屋だか金物屋だかをやっていたそうなので
『大和金は今井に七部あり』の奈良の今井町を調べていました。
途中から近江の河瀬氏が今井を名乗って、今井町を統治しますが
基本は商売で盛えた街なので、新潟の遠い親戚と取引していても
おかしくないですよね。
当時、大和の今井町付近(大和八木)は伊勢巡礼の通り道で平田家(屋号 八木・木原屋、嘉右衛門)とあり、長野県の今井村の最寄り駅に平田駅があるには興味深いです。
『海の堺、陸の今井』で有名だった堺で伊勢巡礼の目的で集われた講の看板に【左海 太榮講】とありました。
ひい祖父の名前が榮太なので、伊勢信仰を広める役の御師さんが新発田にも来ていた可能性があります。
御師さんは1724年には615人いたそうです。
また、神奈川県に武蔵「中原」駅の最寄り地区に今井町があるのも興味深いです。
まだまだ話しは尽きませんが、こちらでいう今井兼平さんが原点だと思うと想像も一塩です。
あと、お墓も五十公野の曹洞宗でしたし、未来さんの屋号が寺新田というのも興味深いです。
[34] | 今井奈味七さんからのコメント(2024年03月22日 21時47分13秒 ) | パスワード |
中原氏流今井氏→中原氏:古代大和十市県主から輩出した名族
これは、大和の今井町を取り仕切っていた武家出身の今西家(川井家)が十市から来たとういうのがあり興味深いです。
[35] | 空の青海のあをさんからのコメント(2024年03月22日 22時48分27秒 ) | パスワード |
今井奈味七さん
>私の今井は新潟の新発田です。
と、いうことで出て来ました。
「新潟」「今井」に反応です。
御存知と思いますが
直江兼続。
兜の「愛」の字の人。
米沢藩初代藩主上杉景勝を支えた文武兼備の智将と言われる人。
この人のご実家が「樋口」です。
「樋口」と「今井」は兄弟です。巴御前は妹。
ということで直江兼続は樋口兼豊(木曾義仲の重臣・今井兼平の兄弟である樋口兼光の子孫)の子。
わたしの親友が木曾義仲の侍大将の子孫で
新潟に行き
慶長3年(1598年)、秀吉の命令で景勝が越後から会津120万石に加増移封された際、
兼続は国替えの際、前半歳の租税を徴したので、
後任の堀家は返還を求めたが、これに応じなかった。
この時に わたしの親友の家が堀と喧嘩して 負けて 結局 長野に戻りました。
この喧嘩の時にわたしの母方の先祖の一族が与力しているので
それ以来の親友(笑)
ということで 可能性として
新潟 + 新発田 + 今井姓 から想像できることは?
新潟県や新発田市の図書館に是非行って調べてください。
また郷土史の資料・史料を県や市の教育委員会の歴史編纂所から頂いては?
さらに地元の大きな本屋さんに郷土史の本が売られていると思いますよ。
わたしは東大の教授や地元の国立大学の教授を紹介されたりして
逆に戸惑ってしまいましたよ
さらに
ワタクシのここ最近の友人の家が新発田の某城主でした。
なんか・・・親しくなって・・・
ひょっとすると 400年以上の関係だった?
と驚いていたところに今井奈味七さんの書き込みがあって 驚きました。
不思議な御縁です。
>大和の今井町付近(大和八木)は伊勢巡礼の通り道で平田家(屋号 八木・木原屋、嘉右衛門)
実に興味深いです。
伊勢伊賀の平田ですが
父方先祖関係です。
日本人ですからね
回り回って 血や肉や涙で繋がっているのでしょうね
書き込みを拝見して「書け!書け!書いちゃえ!」と感じましたので上記のコトを書きました。
もう随分前ですが 木曾義仲関係を回った時に 九州の今井さんという方にお会いしました。
そして最近は 町田啓太のご先祖が木曾義仲の侍大将だった根井さんの御子孫で落人になって町田姓を名乗った という番組がありました。
根井行親(ねのい ゆきちか)
平安時代末期の武将。源義仲の家臣で、俗に言う義仲四天王の1人。
更に漫画家の手塚治虫はやはり木曾義仲の侍大将だった手塚光盛の子孫とかでNHKの番組で見ました。
ということで 家名とご先祖さまを大切になさってください。
あなたの人生が幸せになれますよ。
[36] | 今井奈味七さんからのコメント(2024年06月19日 16時06分46秒 ) | パスワード |
空の青海のあおさん、コメントありがとうございます!
先ず、全体に言いたいのが、上記の大江の殿様は『直江(兼続)』のことだと思いました。
うちの家紋は木瓜で、樋口家も使っていたそうです。
上杉景勝(直江兼続)軍が新発田(五十公野?)を攻めた時に住民が抵抗したの太斎館で、今は太斎さんの苗字は宮城県を中心に関東近辺に散らばっています。
代わりに住み着いたのが、木瓜家紋(直江兼続のお手柄)を掲げる今井一派もいたのではと…
おっしゃる、後の景勝の加増移封時に、木曽義仲の侍大将が直江兼続に仕えていたとうことにも繋がります。
と、いうことで出て来ました。
上記のあっこさんのお母様のご一族が新潟のどこにいたかは分かりませんが
「ナオエ」の殿様で、おっしゃる通り
新潟 + 新発田 + 今井姓
に繋がるかと…
新発田は先日行ったのですが、次回は新潟県や新発田市の図書館、
また郷土史の資料・史料を県や市の教育委員会の歴史編纂所にも行ってみたいです。
郷土史もネットだけでなく、地元の本屋さんも覗いてみたいです。
『わたしは東大の教授や地元の国立大学の教授を紹介されたりして
逆に戸惑ってしまいましたよ』
とは、凄いです!
きっと御先祖さまのご縁に思います🎵
『ワタクシのここ最近の友人の家が新発田の某城主でした』
新発田氏か溝口氏か気になりますw
での400年以上の関係って、面白い過ぎます^ ^
私とも不思議な御縁を感じていただき嬉しいです(^.^)
>大和の今井町付近(大和八木)は伊勢巡礼の通り道で平田家(屋号 八木・木原屋、嘉右衛門)
>実に興味深いです。
伊勢伊賀の平田ですが
父方先祖関係です。
凄い、そちらとの繋がりもあったとは…
上記の時代よりだいぶ前の話ですが、元の今井姓に繋がりはあると思います。
奈良の興福寺の中原兼遠の繋がりや今井町の十市氏の繋がりなど。
>日本人ですからね
回り回って 血や肉や涙で繋がっているのでしょうね
書き込みを拝見して「書け!書け!書いちゃえ!」と感じましたので上記のコトを書きました。
もう随分前ですが 木曾義仲関係を回った時に 九州の今井さんという方にお会いしました。
そうそう、これですが、奄美大島の平家の落人とされている今井崎や蒲生崎が気になります。
義経勢に追い込まれたのは平家だけでなく、木曽義仲勢もいたかもです。
>町田啓太のご先祖が木曾義仲の侍大将だった根井さんの御子孫で落人になって町田姓を名乗った という番組がありました。
あ、観ました!その時はピンときませんでしたが、
根井行親(ねのい ゆきちか)さんの子孫でしたか‼︎
>更に漫画家の手塚治虫はやはり木曾義仲の侍大将だった手塚光盛の子孫とかでNHKの番組で見ました。
なるほど、そこもですか!
色々と有益な情報ありがとうございます‼︎( ´ ▽ ` )
あなたの人生も幸せになれますよ♪w
[37] | 今井奈味七さんからのコメント(2024年06月19日 17時03分01秒 ) | パスワード |
ps 上杉景勝の家臣に今井源右衛門さんがいて、阿賀野の笹岡城主だったみたいでしね!
[38] | 空の青海のあをさんからのコメント(2024年06月20日 02時53分19秒 ) | パスワード |
今井奈味七さん
奇遇です。
テレパシーが働いたかも。
先週 岐阜のヒトでアンバサダーしている人から 新潟の英語版のパンフレットを貰って
なんで岐阜のヒトが新潟のパンフなんか持って来る?
貰っても私には意味無いけどな
と思ったのですが
知り合いの御主人(上級国際人の日系人=元は新潟の村上の出身=しかし私は新発田だと思っている)にピッタリだな
ということで
英語で彼のご先祖についてちょっと書いて届けました。
新潟には土地勘は無いので新潟市と村上と新発田の位置関係などサッパリなので
彼も分からないだろう
と手書きの地図も添えました
書いた内容は
13世紀から16世紀にかけての新潟の歴史の中で彼の先祖の名字を見たこと
新発田に城跡があるのも見たこと
など
それで
慶長3年(1598年)秀吉の命令で景勝が越後から会津120万石に加増移封された際
嫌がらせに越後に残って しかし負けて それで会津へ合流せずに新潟に残った?
関ケ原で家康に米沢に転封された時に山形に近い村上へ引っ越した?
山形との国境に近いから連絡が取り易いから?
などなど思いつくことを書きました。
わたしの友人=国籍は日本だけど日本の歴史や地理は分かってない国際人=によると
彼の故郷は田んぼの中だった
そこに先祖の墓があった
しか知らないし
ご主人の質問には答えられないし
ま、ご主人は上級国際人だから必死で日本の歴史を読んでいるところかも。
本当に日本って回り回って実は先祖で繋がった関係だなということを感じます。
そして今井奈味七さんが平熱に書こうかどうしようか迷っていた頃
ワタシにはこういう事態が起きていた
テレパシーが働いてたのかもですね。
笑
[39] | 今井奈味七さんからのコメント(2024年06月22日 11時13分43秒 ) | パスワード |
おお、私も先週、新発田に先祖探索にいったばかりなのでテレパシーかもしれません(^.^)
田園に中のお墓を拝んでいましたw
上級国際人のご友人とのやり取り、興味深いですね🎵
燕三条や魚沼にも今井姓が分布しているので、加増移封の際に残った形跡かも知れません。
また、荒町の他に、五十公野にも行ったのですが、近くの金谷や岡田、敦賀にも今井家が多い地域があるそうで、村上や米沢との関係も
興味深くなりました。
不思議なご縁に感謝です♪
また、『今井』の情報がでたら、投稿し合いましょう!
[40] | 空の青海のあをさんからのコメント(2024年06月22日 22時57分50秒 ) | パスワード |
今井奈味七さん
改めて背筋がゾクッです。
そして「魚沼」にも反応しました。
魚沼にはワタシの34代目の先祖の弟の土地がありました。
弟の嫁の姉上が「お米は魚沼に限る」云々を言った時には
ワタシは魚沼には興味が無く(お米は仙台のササニシキでしょ フンッ)と思ってたので
そこで 終ってましたが
後に
先祖の弟の所領地があったのを知り
この人の子孫が戦国時代にワタシの幼稚園以来の親友のご先祖と協力して
越後で嫌がらせに参加して(負けたけど)
ということを知り
国際上級人の知り合いが越後出身と今年知り
そして
今井奈味七さんの書き込みに反応し
日本人って!
と改めて感動しているところです。
>また、『今井』の情報がでたら、投稿し合いましょう!
『今井』の名は源平合戦を知っている日本人の琴線に触れる英雄の名ですから
いつか 『今井』関係のヒトからの書き込みがあるでしょうね。
楽しみです。
【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る 】 |
|
◇Copyright(C) 2000 c-radio.net. All Rights Reserved.◇ DB-BBS-system V1.25 Rapha. |