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 投稿番号:100806 投稿日:2005年08月07日 10時14分43秒  パスワード
 お名前:しらとり
長崎県島原地方の落人部落について
キーワード:島原 平家
コメントの種類 :落人伝説  パスワード

初めまして、投稿させていただきます。
私の先祖は代々島原半島に住んでいたのは知っていましたが、以前伯父が「私達の先祖は平氏で、壇ノ浦のあと密かに有明海を渡り雲仙の奥深くに隠れ住んでいた」との話をしていたのが心に残っていました。
代々の言い伝えによると、壇ノ浦で偽装工作して逃げた安徳天皇一行は筑後地方まで逃げ延び、五家荘や椎葉への一行と島原半島へ船で渡る一行に別れ落ち延びたそうです。

文献やインターネットでは、筑後地方や五家荘の落人伝説はよくヒットしますが、島原・雲仙地方のものはほとんどありません。
話の信憑性も疑われますが、なんとなく気になり調べています。
何か興味ある資料などありましたらぜひ教えていただけたらと思います。

[1]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月07日 12時18分11秒 ) パスワード

しらとりさんへ

全く分かりません。
どなたかが何か書き込んでくれるのを待ちましょう。

私がしらとりさんだったらどうやって調べるか、それについて書きます。


まず身内の方からの情報を集めます:
伯父さまに詳しく聞きます。
もうすぐお盆なのでその時に一族の方にも話題を振ります。
系図など情報をもっていらっしゃる方を聞き出します。


次に自分が動くことについて書きます:
島原・雲仙地区は平家時代どの方が中心人物だったか調べます。(菊池?山峨?原田?)
島原・雲仙地区の県の教育委員会の地元の歴史編纂をしてるところから平安末期のコピーを手に入れます。県立図書館でも調べられるようですよ。
自分の家の歴史との関わりを調べます。


源平合戦で敗れて落ちて行ったことですが
これはモトモトの出身地関係に戻ったことだと思います。
全く知らない土地には日本人は行けないと思うのです。
それよりは血や土地や身内に繋がった所を頼って落ちて行ったと思うのです。
土地鑑もあるわけですし匿ってくれるわけですし。


落人伝説が残っているとか有名というのは
リーダーになった人物に因ると思っています。

要するに「系統」だと思っています。

落ちていく時にグループに分かれて落ちて行ったと思います。
(1)筑後地方までは大きなグループで一緒に逃げ延び、
(2)そこから五家荘や椎葉への一行と別れ
(3)しらとりさんの御先祖さまは島原半島へ船で渡る一行に別れ落ち延びた
ということだと思います。
伯父さまのお話で充分合理性があると思います。


この平熱でも確か「有明さん」という方が書き込みをなさっていらっしゃいます。
もしかしますと同じグループだったかもですね。


御自分からお父上、さらにお祖父さま、更に曽祖父さま、更に遡って
明治の初めまでの御先祖さまの戸籍謄本(除籍謄本)をお取りになり
江戸時代の終わりにどこに住んでたか

それが分かったらその土地に行き
御一族を捜す。
菩提寺を捜す。
過去帳をお寺さんに調べて頂いて(ちゃんとなにがしか包まなきゃいけませんよ)
お墓も教えて頂く。
家紋を調べる。


20年〜30年計画で地道に調べてください。
早くしないとどんどん御存知のかたが亡くなっていきます。
お盆やお正月など一族が集えると良いですね。


島原関係の落人伝説が世に知られていないのは政治の厳しさで身分を隠したからでは?
さらに一部の方は大陸にも渡っているでしょうし
鹿児島や沖縄などの島に渡ったかも知れません。


どなたか良く御存知の方がお身内に見つかりますように。
まもなくお盆ですからチャンスですね。
[2]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月07日 12時25分58秒 ) パスワード

筑前の治承4(1180)年当時の受領は貞俊だったそうです。
この関係で島原あたりの有力者の名が分かると良いですね。
そこからしらとりさんのお家との関係が分かりますように。
[3]しらとりさんからのコメント(2005年08月07日 13時06分01秒 ) パスワード

暇潰しのギャンブラーさん、ありがとうございます!
自分が動くんですね。
確かにそうしないと分からないみたいです。
貴重なアドバイス本当にありがとうございます。

伯父が以前、まだその付近に親戚が住んでるような話をしていたことがありました。
時間を作って行ってみようかと思います。
何か出会いがありそうな予感がします。
なんだか楽しみになってきました。
[4]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月07日 13時28分58秒 ) パスワード

http://www.tcn-catv.ne.jp/~woodsorrel/kodai/kf11.html

しらとりさん
このURL面白いですよ。
さらに左の九州の地図、とても面白いです。

上記に書くのを忘れましたが「松浦氏」も関係があるかもです。
「阿蘇」氏も関係するかも知れないし。


島原雲仙地区は古代から日本の歴史に大いに係わってたのが分かります。
古代から調べて行くのが良いと思います。
お時間出来ましたらじっくり日本の始まりから取り掛かってください。


確か上記の有明さんは「たまねこさん」のHNでスレッドを立ち上げてたと思います。
[5]しらとりさんからのコメント(2005年08月07日 23時40分14秒 ) パスワード

「古代で遊ぼ」見ました〜、おもしろいですが難しくて解読まだ不十分です。
ただ、おっしゃるとおり島原半島は日本の歴史に関係してるのが分かりました。

「たまねこさん」のスレッドゆっくり読んでみます。

不思議ですが以前から五家荘や椎葉には縁があって、特に五家荘には毎年のように行ったことがありました。親戚がいるわけではありませんが、今考えてみると何か結びつけるものがあったのかも知れませんね。前世では共に暮らした仲間だったかも?

ロマンがあって空想(妄想?)の世界が広がります。
[6]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月07日 23時46分45秒 ) パスワード

>不思議ですが以前から五家荘や椎葉には縁があって、
>特に五家荘には毎年のように行ったことがありました。
>親戚がいるわけではありませんが、
>今考えてみると何か結びつけるものがあったのかも知れませんね。
>前世では共に暮らした仲間だったかも?


でしょうね。
そう思います。
やっぱり血で繋がっていると思います。
五家荘や椎葉を調べたら何か分かるかもですね。


御名字や家紋が分からないのでなんとも言えませんが
昔の名字や家紋が分かると良いですね
(これらは事情により変遷します)

五家荘や椎葉の電話帳が手に入るといいですね。
住所が分かったら問い合わせのお手紙を送りまくったら何か分かるかも。
(返信用の切手を貼った封筒を同封のこと)


お盆が楽しみですね。
[7]しらとりさんからのコメント(2005年08月08日 00時41分16秒 ) パスワード

暇潰しのギャンブラーさん、そう思われますか?

>でしょうね。
>そう思います。
>やっぱり血で繋がっていると思います。
>五家荘や椎葉を調べたら何か分かるかもですね。

五家荘にある白鳥山ってご存知ですか?
その山に魅せられてかなり足を運びました。

山頂近くに確か「平清経住居跡」という標識があるのです。
何回もそこを通りましたし、写真に撮ったこともあります。
美しい山ですが、原生林の深い山です。

そこに仲間がいたんですね。
もしかしたら自分もだったかも・・・。
あんな山奥に暮らしていたなんて。
今夜は夢を見そうです(笑)







[8]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月08日 01時47分01秒 ) パスワード

それでHNが「しらとり」さんでしたか。


検索してみました:
http://www.psats.or.jp/column/kansoko014column.html
是非このURLに行ってみてください。
(無断転載御容赦を。不都合ございましたら削除致します)

>白鳥山の山名は、平重盛が所持していた〈白鳥毛之鑓〉を、三男の平清経が受け継ぎ、
>この山に住み着いたといういわれから、とされている


もしかすると平重盛の一族または重盛家にお仕えしてた方の御一族関係かもですね。
島原雲仙地方から京に出て負けて実家に戻ったのかも。

しらとりさんの過去を振り返ると
小松さん(などのお名前の方)と親しかったということがありましたら
そうかもですね。

名前を知らない時から気が合いそうに思えた人とは過去で繋がってるかもですね。


>話の信憑性も疑われますが

こういう遠慮はなさらないことですよ〜

御自分のお家のアイデンティティは他人に遠慮することじゃないです。
真実や何らかの事実を伝えているのですから。
1片の言い伝えから全体像を探り出すのは難しいのですけど
ライフワークとして取り掛かったら良いのです。

御名字や家紋から五家荘や椎葉の同じ人が見つかると良いですね。
[9]しらとりさんからのコメント(2005年08月08日 20時33分54秒 ) パスワード

なるほど〜〜、ライフワークですか。
ルーツを調べることは興味深々ではありますが、
何でしょうか妙に不安もあります。

でも今は気になって仕方ないので、時間を作れたときに
あちらこちら旅行がてら行くことにします。

紹介していただいたURL行きました。
残念ながら芍薬の群落が開花しているときに出会ったことはないんですが、
白鳥山はその通り美しい山です。

山頂付近には平坦な湿原があり、その周辺にあすなろの木が5〜6本集まるように
ありまして(確かあすなろだったと思います)、
平家の人たちが植えたのだろうとの言い伝えが残っていました。
展望などまったくない山です、そこがポイントだったんでしょうが。
もっぱら私はきのこ狩りが大好きで通ってました、ははは。

本当に心清らかになれる私の大切な山でしたから、あまり他人には教えないんです。
気が合う人にしか紹介しません。
遺伝子が言いたくなかったのかもしれませんね(笑)

何か手がかりがありましたらご報告いたします。
ありがとうございました。







[10]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月08日 20時46分28秒 ) パスワード

>何でしょうか妙に不安もあります。

はい。その通りです。

調べていくと御先祖さまの涙の歴史に突き当たります。
でもその御蔭で自分が存在してると分かります。

だから子孫は生き抜かなきゃいけない。
強さを与えられますよ。


>展望などまったくない山です、そこがポイントだったんでしょうが。

なるほどねえ。



>本当に心清らかになれる私の大切な山

やっぱり何かありそうですね。

「血沸き肉踊る」という言葉。
多分先祖からのメッセージがDNAの中に刷り込まれていて「反応」するからなのでしょう。


白鳥山はしらとりさんにとって特別な場所。
小松家関係を調べたら良いのかも。


また何か分かりましたら知らせてください。
御先祖さまからメッセージが来ますように!
[11]田中愛造さんからのコメント(2005年08月09日 00時55分47秒 ) パスワード

暇潰しのギャンブラー様  ご無沙汰です。
しらとり様        お初です。
 
 島原半島にも落人伝説があります。但し、人様のessayを丸写しするのは憚りますので、お問い合わせ下さい。
 歴史研究(人物往来社)歴史研究会 H8年8月号423号に
  『特集・平家落人部落の謎』に小論文、(神社由緒記に見る平家落人伝説)長崎県地方研究会の林田秀晴氏が書かれて居り、其の中で、島原市郷土史家林銑吉氏も(島原半島史)にも記されてる、との事です。
島原市安徳町の(安徳神社由緒)とか、水原(門脇)神社及び(深江町郷土誌)にも平家落人伝説。南串山町(水天宮)等など、と。有ります。
[12]しらとりさんからのコメント(2005年08月09日 23時10分06秒 ) パスワード

田中愛造さん、ありがとうございます。
島原半島にもやはり落人は住んでいたんですね。
具体的な資料を見てみたら、実感するんでしょうが・・・。
島原市の図書館や神社・菩提寺など行ってみたいと思います。

昨日地図を見て私も気づきましたが、
「安徳」と言う地名や駅があったのにびっくりしました。
偶然にしても驚きです。
安徳神社にはぜひ行きたいと思います。
何年かかるか分かりませんが、きっと何かわかるような感じがします。
[13]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月10日 00時02分30秒 ) パスワード

>昨日地図を見て私も気づきましたが、
>「安徳」と言う地名や駅があったのにびっくりしました。
>偶然にしても驚きです。


これなんですよね。
一生懸命御先祖さまを知りたいと努力してますと向こうから教えてくれるんです。
その内に降るように情報が入って来るかもですよ〜


教育委員会から平安末期の情報を頂いてもいいですね。
県立図書館ような大きな所には郷土の歴史を編纂した本があるそうですよ。


島原市の歴史から攻略ですね〜(頑張って)
[14]しらとりさんからのコメント(2005年08月10日 21時13分25秒 ) パスワード

はい!頑張ります。
しばらくは暇が無いので、「島原半島の神社を訪ねて」など数冊の
本を注文しましたので、まず読んで調べていきたいと思います。

この思い込みは普通でない状態です。
でも、実は全然関係なかったりして(笑)
 
[15]しらとりさんからのコメント(2005年08月20日 22時54分17秒 ) パスワード

「島原半島の神社を訪ねて」を読んでいます。
この中の水原神社と安徳神社の紹介に興味深いものがありました。

水原神社は「門脇神社」とも呼ばれ、「門脇」というのは平清盛の弟である平教盛のことを指すのだそうです。
平教盛な壇ノ浦で入水自殺したと言われている人物ですが、島原のこの地区での言い伝えでは、その教盛は壇ノ浦の戦いの後、安徳天皇と安徳村に逃れさらに山奥の赤松山に隠れ棲んで農夫となって一生を終えたことになっているそうです。
いずれにしても平家の落人がいたことは間違いないのだと確信しました。

それともう一つ親戚情報で分かったことがありました。
ご先祖さまの中に忍者がいたそうです。
壇ノ浦から逃れるとき忍者が安徳天皇をお守りしたそうで、代々その忍者の家系の方にお嫁に行ったりお嫁さんを頂いたりしたそうです。
今でもその家系の方の苗字が残っており、子孫の方もいらっしゃるとのこと。
実に忍者らしいお名前でした。

調べて分かったことですが、壇ノ浦で平知盛と共に入水した服部家長は忍びの者だったそうですね。
忍者がいたのも事実。
不思議なめぐり合わせです。



[16]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月21日 00時10分48秒 ) パスワード

しらとりさん

なかなか興味深いことが分かってきましたね。
もしかしたら「門脇系平家」の落人かも、ですか。
かなり絞られてきましたね。

忍者も出て来ましたか。
そうしますと九州系の忍者のお家と関係があるかもですね。
普通は伊賀甲賀根来真田あたりでしょうか?
忍者は名が知られてはまずいので見事に隠しおおせた?(笑)

だんだん「確信」「核心」になってきたようで良かったですね〜
[17]しらとりさんからのコメント(2005年11月03日 21時17分27秒 ) パスワード

お久しぶりです〜。
宮崎県椎葉村に行ってきました。
今年の台風の被害で、いたるところが崩壊しておりました。
本当に大変だったようです。
鶴富屋敷や椎葉厳島神社は危機一髪で被害から逃れていたようです。

今日は鶴富屋敷訪問後、その子孫の方が経営していらっしゃる旅館で食事してきました。
おそばがすごくおいしかったです。

そこで疑問ですが、鶴富姫は清盛の「末裔」とか「子孫」とか「末孫」とか、色々な説明がありますが本当のところはどの説が近いのでしょうか?

「鶴富姫」は壇ノ浦から逃げ延びたのでしょうか?
椎葉までの経緯を御存知の方いらっしゃいますか?

やっぱり平家ゆかりの場所はとても興味がわきますね。


[18]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年11月04日 01時01分55秒 ) パスワード

しらとりさん

お久です。
宮崎県椎葉村の台風被害、甚大だったそうですが
>鶴富屋敷や椎葉厳島神社は危機一髪で被害から逃れていたようです
良かった〜


>鶴富姫は清盛の「末裔」とか「子孫」とか「末孫」とか、
>色々な説明がありますが本当のところはどの説が近いのでしょうか?

つきつめない方がよろしいのでは?と思います。

椎葉村の長者のお嬢さんというのは確かでしょうね。
長者ということはそれなりの家の出でしょうから

「平家ゆかりの力のあった家のお姫さま」

私はそんな風に思いますよ。
先祖が清盛の家の家来で京にいたかもですね。
平安時代末期の平家時代は日本中が殆どが平家の家来だったんですものね。

そういう意味では鶴富姫伝説は有り得たと思います。

平家方だったから源氏方の若者と恋をしても許されるわけもなく。
本当に清盛の血が入ってたかも知れませんしね。
[19]しらとりさんからのコメント(2005年11月05日 08時41分29秒 ) パスワード

そうですね。
「平家ゆかりの力のあった家のお姫さま」・・・素敵ですね。
きっと、清盛の血縁の方に間違いはなかったのしょう。

暇潰しのギャンブラーさんが言われるように、
現在も血縁の方が居らっしゃるわけですから、その通りなのだと思います。

椎葉村は本当に平家の隠れ里ですね。
あんな切り立った山と山のすごい谷間に村があるのですから、
あの時代にここまで逃れてきた道のりを考えると
本当につらく大変であったのだろうと思います。
追ってきた那須大八郎も、よくここがわかったなって感じ。

でも、案外と村にしては都会なんですよ(私はそう思いました)
上椎葉地区は特に。
五家荘よりも施設が整っています。
いつも感動します。
椎葉・五家荘は何度行っても飽きませんね。






[20]しらとりさんからのコメント(2006年07月10日 22時42分07秒 ) パスワード

お久しぶりです〜。
海の日前後で下関・門司に行こうと考えてます。
もちろん、私は壇ノ浦と赤間宮が一番の目的です。

彦島まで足を伸ばしたいのですが、あまり時間がありません。
実は初めて行きますので、貴重なポイントなどありましたら
教えていただけますでしょうか。
よろしくお願いします。
[21]としちゃんさんからのコメント(2012年02月14日 16時59分16秒 ) パスワード

僕も苗字は平なのですがちょっとデータを。
島原の安徳村をさらに追われた平家の一門は、
諫早まで逃れたそうです。
諫早には熊野神社(熊野神社は平家の神様だそうです。)がいくつか有り、
そのうちの破籠井(わりごい)の熊野神社は平家の将讃岐中将伊賀倉左近平時実の一族主従八人が定住し建てたものだそうですよ。
ここでは毎年百手祭りと言う神事をやるので有名なので、
御覧になると良いと思います。
また、それとは別に真実は明らかではありませんが、
安徳天と仁位尼の碑と言うのも島原街道を諫早に向かう途中の夫婦木にあるそうです。
こちらは単なる言い伝えかもしれません。
また、僕は北九州市の門司で生まれたのですが、
門司の中心街は今は無粋な役人のせいで(あるいは源氏一族の陰謀で?)地名が変わりましたが、
僕が子供の頃は大里(元は内裏?)と呼ばれ、
風呂の井戸(安徳天皇が使われた井戸の跡)や柳の御所が有り、
平家の縁の史跡が数多く有ります。
一度おいでになると良いですよ。
[22]しらとりさんからのコメント(2012年05月15日 23時31分21秒 ) パスワード

としちゃんさんこんばんは。
そして、はじめましてです。
久しぶりにきてコメントいただいていたのにびっくり致しました。
誠に有難うございました。

実はあれ以来まだ彦島には行っておりません。
としちゃんさんのおかげでまた沸々と湧き上がるものを感じてまいりました。
コメントが大変遅くなり申し訳ございませんでした。

[24]ほげさんからのコメント(2019年04月21日 23時48分03秒 ) パスワード

私の母方の祖先が普賢岳の西側の中腹に住んでいますが、350年前からの家系図があるそうです。幼い頃その実家にお盆は毎年泊まりに行きましたが、その時よく親戚一同が集まって、この家は元々、平家の落ち武者たいと話していました。その頃は冗談だと思い請け合っていなかったのですが、この記事を見て、あ!?と思い投稿してます。
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