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投稿番号:38403 投稿日:1999年08月23日 12時47分10秒
お名前:服部 明子
 

平家物語の雑談 その19


コメントの種類:歴史


ヨソの掲示板で楠木正成の出自が話題になり、私は「橘氏」出身というのは捏造だろう
と思っていたので「希望としては平氏」と書いたところ、あっさり私の根拠が崩されま
した。

「平氏」の根拠として考えていたのは楠木正成の出自が当時もはっきりしないこと。
親戚に「和田氏」がいて一緒に玉砕していること。

それで、上記の「和田」は「和田常保」の子孫ではないか?だったら「平氏」では
ないか?とかなりこじつけたのですが楠木正成の母親の実家は「中臣氏系の和田」
でした。

結局、楠木正成の家系自体が根拠が無く、そこで議論をしているという非常に不毛な
書き込みをエンエン1週間やっておりました。

富士川の戦いの後、何故、和田常保は彦島にまで走ったのか、そこが分かれば
と考えております。


服部 明子さんからのコメント(1999年08月25日 22時20分21秒)
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http://gunyu.toride.com/~kazuto/bbs.cgi

にて本郷先生に「壇の浦の合戦」の戦後処理について質問してみました。
以下はお返事頂いた物のまとめです。

元来が貴族系の平時忠は死刑にならない。また、平重衡は僧兵によって処刑される。
このへんから、当時の「国家」って何だろう?という事を考える端緒が見えてきま
すよね。

平家の落人伝説なんてのがあって、平家の関係者は片っ端から処刑されていたよう
なイメージがありますが、例えば平家第一の家人、平貞能は宇都宮氏を頼って余生
を送ったようですし、平信兼(山木兼隆の父)や平田家継も謀反を起こさなかった
ら、命までは取られなかったでしょう。有名な三日平氏の乱が起こったのは1204年
ですしね。

鎌倉幕府は平氏勢力を根こそぎにする意思はなかっただろうし、また、そんなこと
ができるほど強大な勢力を全国に持っていたわけではないのだと思います。

服部 明子さんからのコメント(1999年08月25日 22時31分00秒)
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http://gunyu.toride.com/~kazuto/bbs.cgi

「国家」について私は全く考えていませんでした。
以下は私のレスと質問です。

平 貞能が許されたのは宇都宮を東国に帰してあげたお返しございましょうね。
平 貞能が一族に従わず東国に走った経緯は「平家物語」に書かれていますが
釈然としません。僧侶になって高野山などに入ったというなら分からぬでも
ございませんが。

同じ反乱を起こしても、平 信兼 + 平田家継 + 藤原忠清の3人組のうち
藤原忠清の罪は明白、ということでございましょうか?

藤原忠清といえば、富士川の合戦で逃げ帰った、というのも釈然としません。
もともと富士川には行きたくなかったようでございますが、平家第一の武家の
忠清ともあろう者が、不思議な行動でございました。

この忠清の行動につきましてもどのようにお考えかお書き下さいませ。

服部 明子さんからのコメント(1999年08月25日 22時41分48秒)
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http://gunyu.toride.com/~kazuto/bbs.cgi

にて当時の主従関係について教えて頂きました。

藤原忠清、その子の悪七兵衛景清を忘れちゃあいけませんですね。うっかり
してました。

忠清は都落ちに同道せず、のちに反乱に荷担して処刑され、景清は壇ノ浦で
姿をくらまし、その後は諸説あってわからん、と。
まあ当時の主従なんてのはこんなものなんでしょうねえ。

私は平家の家人の重層性については調べたことないんですが、源氏を例に
しますと、

まず1,棟梁がいて、2,棟梁の直接の血縁者がいて、その周囲に3,源氏
一門がいて、それから4,「郎党」と言う呼び方もされるいわゆる豪族的領
主がいます。

平治の乱のときでいうと、1が義朝、2が頼朝や義平、3が平賀義信や八島
重成、4が千葉常胤や上総広常ですね。

で、乱後に処刑されたのは1と2。2でも頼朝は助かっちゃった。3や4は
もちろんおとがめなし。

これにあてはめると、平信兼は3ですよね。平貞能や藤原忠清は4。3に近
い4かな。だから、昔の栄華よ今一度、ということじゃなければ、命までは
取られなかったと思うんですが。



「家人の重層性」という表現は私はこれから使用したいと思います。

服部 明子さんからのコメント(1999年08月25日 22時42分49秒)
 

本人によりコメントは削除されました。 1999年08月25日 22時47分44秒

服部 明子さんからのコメント(1999年08月30日 00時26分03秒)
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http://www.izawahome.total.co.jp/scripts/bbs.asp

伊沢元彦氏の掲示板だそうです。

服部 明子さんからのコメント(1999年09月14日 11時35分45秒)
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http://www.tim.hi-ho.ne.jp/cgi-bin/user/ahoyanen/tnote.cgi

8月31日の書き込みに知盛さまの近親相姦説が???
どこかで。。。知盛さまと建礼門院とは。。。という話を読んだことがありますが。

日本の天皇家は血統重視のあまり、叔父姪だの伯母甥だの、と婚姻しているのが
当たり前で、ですから貴族としての平家がそういうことがあっても私は動じませんが。

服部 明子さんからのコメント(1999年10月19日 05時37分56秒)
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新刊ご紹介:朝日新聞5月16日評者縄田一男より

木曾義仲(上・下)
山田智彦著

NHK出版
各1700円

正義感溢れるサッソウたる青年像の義仲。
京に入ってからの義仲の変貌を1個の純粋な魂が政治権力や人々の欲望に浸食されて
いく過程で捉らえている。


義仲をめぐる人々として父・義賢を義平が殺すのは義賢の愛妾百合香への横恋慕とし
ている。

この作品の中で面白い人物は義朝の配下でありながら義仲を逃がし、義仲の人生につ
かず離れずの距離を保つ「村岡兵衛介」の存在。彼の存在は「明日の己れの挙手さえ
分からぬ時代における1つの善意のあり方」を示している。

都での義仲の変貌は、木曾の生母や養い親である中原兼遠らの善意が踏みにじられて
いく過程に他ならない。


作中、義仲が徳育の人とされ、その義仲が状況に引き裂かれ、悲運の生涯を閉じるこ
とで物語が幕となる点に、徳育なき現代に対する作者の強い批判が表われている。

服部 明子さんからのコメント(1999年11月09日 00時15分55秒)
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新刊ご紹介:この書き込み重複します。


「平家物語の怪」

伊沢元彦
世界文化社 пF03ー3262ー5115 ファックス:03ー3262ー5786
郵便番号:102ー8187 東京千代田区九段北4ー2ー29

1800円

能で演じられる「平家物語」を通し、従来の歴史観からだけでは見えてこなかった
中世の人間像を言霊史観の第一人者が解き明かす。


中世の人間像。。。面白そうですね。
どなたか「平 知盛さま」の部分のみ何が書かれているのか立ち読みして来て下さい。

服部 明子さんからのコメント(1999年11月09日 00時23分50秒)
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なかにしさんお求めの古本:

「画集 海峡の町」

昭和48年の発行。
画家の古館充臣さんによる下関市内各所
(もちろん30年くらい前の風景)の風景にエッセイが添えられています。

平家物語関連も数カ所描かれていますので、これはまた別の機会に紹介します。

定価 2,000円。購入価格 3,000円。←あらら?では家宝に!




「観●平家」

平成4年の発行で、「和紙人形による平家物語の世界」
内海清美さんの作品だそうです。

平家物語全編の要所要所を非常にリアルで、鬼気迫る和紙人形で表現しています。

壇ノ浦では知盛や教経も非常に勇ましく描かれていて、ぽっちゃり型に描いた書籍が多い中で、
これは感動ものです。

定価3,900円。購入価格2,000円。←いいですね、納得のお値段。



「椎葉山根元記」

1996年発行
宮崎県の小さな(?)出版社がこそっと(?)出したような本です。

平成6年に「椎葉村史」が発行されたそうで、この編纂に関わっておられた筆者が、
中世以降の記述に独自の資料を加えて書いた本だそうです。

セクションは平家伝説から始まっています。

定価1,200円、購入価格500円。←いかにも納得のお値段。




「源平の美術展」

1984年に下関市立美術館で開催された壇ノ浦合戦800年記念展の図録。
下関市の発行物ですのでこの内容は、サイトの方で紹介できると思います。←よろしく!

服部 明子さんからのコメント(1999年11月27日 08時08分07秒)
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オランダシシガシラさんの「福井の方言に対するレスから:


私はは福井でも奥越地域なので俗に言う「福井弁」とは違う言葉で育ちました。
あ、もちろん地域的に近いので共通点は多いのですがねえ・・・

あきらかにイントネーションが違うのだな(笑)

ちなみに、奥越の一部地域では平家の落人村が存在しますので
そこのお年寄りの話す言葉は理解不能な物があります。
「おみやことば」とよんでましたが、絶滅寸前ですね。

服部 明子さんからのコメント(1999年11月27日 08時08分32秒)
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オランダシシガシラさんの「福井の方言に対するレスから:


私は福井でも奥越地域なので俗に言う「福井弁」とは違う言葉で育ちました。
あ、もちろん地域的に近いので共通点は多いのですがねえ・・・

あきらかにイントネーションが違うのだな(笑)

ちなみに、奥越の一部地域では平家の落人村が存在しますので
そこのお年寄りの話す言葉は理解不能な物があります。
「おみやことば」とよんでましたが、絶滅寸前ですね。

服部 明子さんからのコメント(1999年11月27日 08時13分53秒)
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奥越について:


奥越は越前の一部地域です。
現在の行政区分では大野市・勝山市・和泉村の2市1村で構成されています。


大野市は滝川一益が隠棲した所と言えばなんとなくわかるかも?
朝倉義景が最期を迎えたところでもあります。

和泉村は岐阜県と、勝山市は石川県と接しています。

服部 明子さんからのコメント(1999年11月28日 23時15分07秒)
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以下のご紹介を頂きました。


仙台市西部にある「じょうぎ」という集落は、平家の落人が隠れた土地とされています。
平貞義という人が逃げてきたのだとか。彼の名前から「じょうぎ」という名がついたのでしょう。

日本の「村」には6種類があって、隠れ里などは「草分け村」という分類になっています。
戦乱を避けてきた人たちが隠れ住んだ場所、というものです。
陶淵明の「桃花源」などの話ですね。

ところでこの代表的なものには、徳島県の祖谷山(いややま)で、
平家の赤旗が伝わっているのだそうです。

服部 明子さんからのコメント(1999年11月29日 07時19分47秒)
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上記の続きを頂きました。


平貞義という人、重盛と関係のあったらしいということで、
重盛のもっていた阿弥陀如来像か何かをもってきて、お寺を建てたということです。

ちなみに徳島の伝説は、中納言のりもりの末裔が隠れ住んだということです。
今昔物語には隠れ里伝説がいくつかあります。

なかにしさんからのコメント(1999年11月29日 12時40分12秒)
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・・・なんか、行かなければならないところがどんどん増えて、ゴールデンウイークがいくつあっても足りない・・・(^^;)

とりあえず、
http://www2.tip.ne.jp/~nakani00/heike/heike07.htm
に書きましたが、最近、ここから近い北九州市内の平家関連史跡をご紹介いただきましたので、近いうちに行ってみようかと思ってます。でも、おどろ おどろしいところだったらいやだなぁ(これこれ ^^;)。で、来年のGWはやはり祖谷かなぁ、などと計画を練っています。

---------以下転載
○合馬の平家伝説=津比久良神社
 安徳天皇に仕えた官女が遊女となり、病気となって息絶えた地の岩に魂が宿ったといわれる林の中の小さな小さな神社。(合馬小学
校の手前の道を右にまがって小山を越えたすぐのところに看板あり)
○八幡西区上上津役200号線沿い「やから様」
 この附近を落ち延びて来た平家の赤ん坊連れの女性が、落人狩りの源氏の武士に、幼児が泣き声を出した為に見つかって、殺されそ
うになったところ、自分で子供を殺し、自らも命を絶ったという悲しい伝説が残っているところ。小さな祠だけが残っています。

服部 明子さんからのコメント(1999年11月30日 22時14分25秒)
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仙台の西というと山形に至る凄い山の中です。
仙山線で行ったことがありますが、行けども行けども仙台市青葉区が続いていました。

それで山形県内に入るとすぐに山形市で、戦国時代に最上氏が伊達氏の脅威になっていた
というのが距離感でちょっと分かった気がしました。


平家の落人はああいう山の中に隠れていたのでしょうかねぇ。
重盛ゆかりの阿弥陀如来像か何かという言い伝え。
感慨深い物があります。

なかにしさんからのコメント(1999年12月06日 01時37分38秒)
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赤間神宮に「辰」の大絵馬登場

 来年の干支の「辰」を描いた大きな絵馬が赤間神宮の水天門のそばに飾られました。高さは約2.5メートル、幅は約4メートル。絵柄は平安時代に宮廷儀式で使われていた竜頭船に共を連れて座乗した安徳天皇の姿だそうです。安徳天皇の左手は明るい新年を迎えるべく関門海峡を指しているのだそうです。

 写真は読売新聞からです。

服部 明子さんからのコメント(1999年12月06日 05時56分40秒)
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1999年11月7日付け朝日新聞:


「武者絵の初個展を開く 水原 一 駒沢大学名誉教授」のご紹介記事より


「平家物語」の中の印象的な場面を描いた武者絵30点あまりをそろえた初の個展を
11月9日から東京・銀座で開く。

雅号:青韻(せいいん)
墨絵を中心とする作品は緻密な筆遣いが美しい。
時代考証もしっかりとしている。



3年前まで駒沢大学文学部国文科で軍記物を中心に中世文学を教えてきた。
定年退職後「平家物語画譜」と題する歴史画の創作に本格的に取り組んでいる。

「学者なので、さすがと思われる作品を、と心がけています。ただの武者絵ではないと
いう自負もあります」



1925年生まれ。
物心ついたころに読んだ児童文学の「源平盛衰記物語」に魅せられ平家物語にのめりこ
んだ。
専門学校を出て教職に就いた後も平家物語をさらに研究したいと、定時制高校の教壇に
立つかたわら駒沢大学大学院に通った。

絵を描くのも幼い頃から好きで、旧制中学時代は美術部に所属、水彩画や油絵に取り組
んだ。その後も趣味として描き続けて来た。



武者絵を描くようになったのは、74年のNHKテレビ市民大学講座「平家物語の世界」
で講師を務めたことがきっかけだった。

鎧甲(よろいかぶと)や装束などがどんなものだったか、分かり易く説明しようと、自
分で3枚の墨絵を描いて使った。
その絵が反響を呼んだ。


周りからのすすめや依頼を受けて作品の数も少しずつ増えていった。
学術書の挿絵にも採用されている。



墨絵ばかりでなく、彩色した作品もある。

個展でまず最初に飾られるのは「栄華の春」。後白河院が50歳になったことを祝う席
で雅楽を舞う平維盛が描かれる。桜の花と火炎太鼓が絵を引きたてる。

「頼政」は金のシルエットで描かれた平等院が美しい。

このほか「俊成と忠度」「建礼門院出家」などが楽しめる。



「この人物をどっちに向かせよう、どう立たせよう、いろいろ考えながら構図を決めて
いくのが楽しい。大変でもありますが、うまくいった時の満足感は、風景画や静物画の
比ではありません」



個展では、作品を印刷した絵はがきを希望者に有料で分けることにしている。



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