[平家物語を熱く語る!!一覧に戻る] 投稿番号:26178 投稿日:1998年10月01日 11時26分44秒 お名前:服部明子
コメントの種類:歴史 最近の日本経済の凋落ぶりは平家の没落ぶりを私に想い出させます。 「盛者必衰のことわり」の新しい形なのでしょうか? |
( Date: 1998年 9月 22日 火曜日 4:17:18 PM)
ところで、9月の雑談へのコメントですが。
清盛の骨が分骨されて西下かどうかは別として、清盛塚の下には骨はないですねぇ。あれが今ある場所はもともとあったところとは違うようです。近代に発見されたのが、第二次大戦中かその直後かそのくらいの頃で、草やぶの中に大きな石が転がってる、という状態で発見されたそうです。
で、その後、数十年後(この間の資料がない)、この(おそらくは)第一発見者の人が山に再度入ったところ、もともとあったところから現在の場所に移動されて立てて祀られていたようです。もともと大きな岩の板だったのがいつのまにか2つに割れて、今は左右に並べて立ててあります。岩の表面には「清盛塚」と掘ってありますが、これは最近彫られたものだそうで、この裏面にもともとの彫りがありますが、屋根もなく雨ざらしにされているうちに今ではもうほとんどわからなくなっています。
ちなみに、この方の著書によると、元々あった場所というのは今となっては定かではないとのこと・・・
現在は、地元のお年寄りや、平家の末裔の方によってお供えなどがされて大切にされています。
( Date: 1998年 9月 25日 金曜日 2:31:06 PM)
いよいよ義経が屋島攻めに入るところです。
私は思い込みが激しいのでいろいろ誤解があったようです。私の古い友人で外見が私の好きな
「北条仲時」さまに似てた人は平家を裏切って源氏に付き、さらに下だって佐竹の家臣になり
秋田にもついて行った、某氏の子孫ですが吉川英治によると彼の御先祖さまは落ち目の平家だ
から裏切ったわけではなかったらしい。
もう1つは「平家物語の雑談」にお誘いしている千葉さんから御指摘頂いたのですが私が近江
の佐々木氏を嫌っているのは逆恨みと分かりました。壇の浦の前年伊賀で蜂起した、平 信兼
藤原忠清、平田家継等は源氏の佐々木源三秀義を討ったけれど結局負けてしまいました。戦い
の勝敗は(時の運なんて書きませんが)武士なら覚悟の上のこと、1つしかない命なのだから
老人3人が老骨に鞭打ってよく戦った、と思うことにしました。
佐々木秀義は佐々木高綱や盛綱の父です。
大庭景親についても千葉さんから非常に価値ある御指摘を頂きました。源氏方でもありながら
平氏方でもある複雑な立場にあって結局は源氏方に殺されてしまって私は大庭景親を悲劇的な
武将と思うようになりました。
( Date: 1998年 9月 25日 金曜日 11:12:51 PM)
はじめまして。服部さんの紹介で来させていただきました。
平家物語に見る人々の心根ってのを考えながら読むとまたおもしろいです。
吉川英治さんの新平家物語は面白かったですねー。
ただ史実に出てくる人物名がおかしかったりしますが、物語として読むと非常におもしろくて高校の時は電車で読んでてはまりました。
ではよろしくおねがいします。
( Date: 1998年 9月 26日 土曜日 10:48:57 AM)
千葉さん、いらっしゃーい! ^_^
私は吉川英治の「新平家物語」は平 清盛が貧乏学生の姿から始まるので、初印象が気に
入らず、今年になるまで読まなかった偏屈でした。
平家物語は登場人物が多いので読み甲斐があります。いろいろお教え下さい。
( Date: 1998年 9月 26日 土曜日 0:51:04 PM)
「平家物語の史跡を訪ねて」のページを開きましたので皆さんの旅行談などをお書き下さい。
行き方も必ず記して下さい。このページを参考に方向音痴の私でも辿り付けるよう。 (^^;
そしてタクシー代なども書いて下さると助かるのですが。これは金欠病の私達全てのために。
( Date: 1998年 9月 26日 土曜日 5:36:10 PM)
こんにちはー。千葉さま。
「いんこ」と申します。これからいろいろとご教授願いたいですー(^^)。
( Date: 1998年 9月 27日 日曜日 1:08:54 AM)
千葉さん、こんばんは。彦島からアクセスのなかにしです。ここの管理人させてもらってますので何かお気づきの点などありましたらお気軽にどうぞ。今後ともどうぞよろしくお願いします。
( Date: 1998年 9月 28日 月曜日 1:02:15 PM)
「屋島の戦い」いよいよ決戦前夜を読んでいます。
教経どのはなかなかの指揮官だったのですねえ。宗盛どのが頭にいなかったら、とも思う
のですが、平家方の読みの甘さは致命的で、運命の女神に見放されてた、と書くより仕方
ないですねぇ。
平家の1枚岩の結束の固さと、その弊害の融通の無さを知ると源氏方の雑種性の強さや
底力にはかなわない、と思ってしまいます。小学校の時の豆電球の実験でやった「並列
つなぎ・直列つなぎ」のパワーの違いを思い出してしまいます。平家だって個々にみれば
なかなかの豪の者がいるのに。。。統合した以上の力を出せていないですねぇ。
これは血族の叔父甥関係や兄弟従兄弟の関係が災いしているとしか書けないですねぇ。
読むのがだんだん苦痛になってきてしまいました。
( Date: 1998年 9月 28日 月曜日 11:57:33 PM)
教経。かっこよいでしょう? 服部さん。(笑)
わたしは「平家物語」関係の本読むたびに、どっかでまちがって
平家が勝ってるんじゃないか?? なんておバカな事思ったりします(爆笑)。
( Date: 1998年 9月 29日 火曜日 0:02:39 AM)
屋島といわず、富士川あたりから読むに耐えませんね。
宗盛が屋島でしっかり耐えてくれたら、その間に知盛が九州を平定して一挙に逆転・・・なんて事もあったかも知れないのにねぇ・・・。
ところで、屋島といえば、つい1年ほど前までは、平家は屋島の頂上に居を構えたのかと思ってました (^^;)。「屋島」といえばやっぱ、あの頂上を想像しますよねぇ(と同意を求める ^^;)。
実際には(いや、何をもって実際とするかはよくわからないですが)、屋島といっても水際に近いところに御座所などは集まっていたんですね。
( Date: 1998年 9月 29日 火曜日 0:11:51 AM)
屋島といえば、高松の「平家物語歴史館」が近々wwwサイトを開設するそうです。制作はwebのプロの方がされているそうですので、どの程度の思い入れを持って作って下さるかがポイントかと思いますが・・・けっこう気合い入ってるみたいです (^_^)。10月1日にオープンだそうですので、オープンし次第ここからもリンクを設定してみなさんに紹介しますね。
ちなみに、ご存じない方のために紹介しておきますと、「平家物語歴史館」というのは四国の高松駅から歩いて20分ほどの所にある、平家物語をテーマとした展示館です。平家物語の全ストーリーを膨大な数の蝋人形で紹介しています。ちょっと雰囲気がおどろおどろしい部分もありますが、平家物語に興味のある方は1度は訪れてみたいところです。
( Date: 1998年 9月 29日 火曜日 11:25:19 PM)
運動会で思い出しましたが(いや、誰も運動会の話などしてないけど ^^;)、埼玉県熊谷市では運動会では必ず直実節なるものを踊るんだそうです。北埼玉の習わしのようなものだとか・・・。
ちなみに、下関の小学校の運動会では生徒や父兄総出で「平家踊り」を踊ります。平家踊りというのは、彦島に大昔から伝わる踊りで、盆踊りなどでよく踊られますが、5/8拍子で、日本の盆踊りの中でももっとも難しいものの一つだそうですが、このへんの小学生はいとも簡単に踊り抜きます。
熊谷市の駅前には熊谷直実の銅像があるそうですが、下関駅前には平家踊りの銅像があります。
ちなみに、この直実節のことを教えてくれた私の知人は若い頃は酔っぱらって熊谷直実の銅像にまたがって騒いでいたそうです・・・(^^;)。熊谷さんも「えらい時代になったもんだ」って思ったことでしょうね (^_^)。
( Date: 1998年 9月 29日 火曜日 11:50:20 PM)
千葉どののお話では湯河原には土肥実平夫婦(夫婦というのがいいですね。温泉町だから?)
の銅像があるそうです。
伊予の北条では一頃河野通清の銅像を建てようという話があったそうですが立ち消えになり
ました。
( Date: 1998年 9月 30日 水曜日 0:32:25 AM)
湯河原の土肥実平の銅像はなかなか凛々しいですよー。弓なんか持ってたかなぁ。
熊谷直実の銅像は、馬にのって敦盛を招いている姿で扇を持っていますよ。
畠山重忠の銅像とかもどこかにあったとおもいました。神奈川だったかなぁ?
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