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投稿番号:26170 投稿日:1998年10月01日 03時38分19秒
お名前:服部明子
 

平家物語の雑談 その8(のコピー)

キーワード:平家物語 吉川英治

コメントの種類:歴史


( Date: 1998年 7月 14日 火曜日 0:04:55 PM)

吉川英治の「新平家物語」やっと第1巻の真ん中を読んでいます。清盛の出生の謎、ワル坊主
が実父かも知れないのですか?これは初めて知りました。私には信じられないし、もしそうい
う噂があるなら鎌倉幕府以降に流された噂じゃないかと思います。私は永井路子の「絵巻」に
ある忠盛が殿上人から清盛が白河上皇の子供だろう、とからかわれて「ふふふ、そういえば、
最近白河上皇に似て来たような。。。」ととぼける方が好きです。忠盛が「清盛は白河上皇の
子供」とわざと流して利用した、という方が面白いです。私の従妹は6ヵ月の未熟児で生まれ
て小学校ですでに165センチに伸び、教育大学も出ているので正常児(わたくしめ)以上に
優秀に育っているから(もしかしたら清盛だって未熟児だったかも)と思うし男の人には分か
らないでしょうけど10月に結婚して7月に子供が生まれてもチャンと計算は合っているので
す。だから祇園女御のお付きの者がウッカリしてたら父親がどっちか混乱したと思います。
この話は男性には分からないでしょうね。 #^^#

その他ちょっと変だったのは泰子さんの子供として末弟の家盛が出ているのに、忠盛の後妻の
子としてまたまた家盛が出てくるところ。この後妻さんは「新平家」では有子さんの名前で出
ているのですねぇ。吉川英治のところに「平家」ファンから抗議の手紙が沢山来たんじゃない
かしらと余計な想像までしてしまいました。 (^^;

それから清盛と時子の長男として「重盛」が生まれたのには(うっそぉー)でした。高階の娘
との出会いをどうやって描くのだろうとわくわく楽しみにしていたのに。いつのまにか時子と
結婚しちゃって。。。あれれ?でした。




さとこさんからのコメント(1998年10月01日 03時38分44秒)
 

( Date: 1998年 7月 14日 火曜日 11:48:43 PM)

おひさしぶりですー。今日、大学の演習の発表がやっと終わりました。ほっ。
宗盛についてです。このページもいろいろと、参考にさせていただきました♪
ありがとうございました。先生に、「平家物語に、はまると婚期が遅れますよ」
と言われてしまいまいsた。どうしよー(@_@)


服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 03時39分05秒)
 

( Date: 1998年 7月 15日 水曜日 0:27:43 AM)

さとこさんへ
うふふふ 「平家物語」の男っていろいろバラエティがあって、私も興味のある男がいく人か
いて未婚時代にはまっていたら大変だったと思います。(私って浮気女だったの?)って。
それに私がXXの女だったらどうするかな?とかOOの娘だったらどうしたかなとか考えたら
現実の男なんか目に入らなかったと思います。私の場合は結婚してからはまったので、それに
ずっと昔に死んじゃった男達が対象なので夫公認の「浮気願望」で済んでいるから?家庭に
波風は起きていません。 (^^;

服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 03時39分29秒)
 

( Date: 1998年 7月 17日 金曜日 10:02:14 AM)

いんこさんへ

興味の無い男についてちょっと考えてみたら私もやっぱり「小松」系の男には惹かれません。
私がどういう男が好きかは秘密なのですが(あちこちで書いているからバレバレでしたね)
「小松」の父親も息子達も私には「お断わり」です。

長男の維盛は美しい人だったらしいけど私は軟弱は嫌い。メス化した男の子と今の言葉では
言うんでしょうけど孔雀男は私は嫌いです。資盛は遊び人って気がして私も遊ばれちゃうの
かしらと思うと冗談じゃない。でも最期は有盛の両手を従兄弟の行盛と資盛とで繋いで入水
したのを想像するとちょっと興味が涌いてくるけど、資盛って全体的には堤大二郎のような
ハンサムだけど実の無い男のような気がして、私は嫌いです。

私は次男系が好きで自分の過去自体が「長男」に恋をしたことがなかったので物語の中でも
どういうわけか次男に惹かれてしまいます。私自身が次女で昔私がある男の子(次男)と問題
を起こした時私の母親が相手の男の子の母親に謝るのに「次男次女って自己中心で親のことな
ど聞く耳持たないから(私に文句言って貰ったって困ります)」と答えたそうです。ちっとも
謝っていないのだけど私の母も相手の母親も次女だったから私の行動を結局は「次女のわがま
ま」で理解されたようですが私が思うに次男次女っていうのは個性が豊かで人の気を引きたい
方で大胆で勇気もあって明かるくって智を備えた、そんなイメージがあるんですが。 (^^;;;

教盛の子供もやっぱり通盛には興味が無くて共感出来るのは教経の方です。重盛には興味が無
くて24才で死んでしまった清盛の次男の基盛ってどういう人だったのかな?、と思います。
なんだか教経ほど体育会系ではないけど勇気があって大胆で頭が良くて気性の良い人だったよ
うな気がします。もし若くして死んだりしなかったら私の大好きな知盛さま以上の指導者とな
って平家があそこまでの負け方をしなかったのじゃないかしらと思います。

長男ってどんな傾向の人なのかしら?どなたか長男の魅力など書いて頂けないかしら?

服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 03時39分58秒)
 

( Date: 1998年 7月 18日 土曜日 7:23:11 AM)

中西さまへ

昨日拾って来た週刊朝日7月24日号「司馬遼太郎が語る日本 第101回 防衛と日本史
(上)」より
白村江の敗戦で天智天皇は日本防衛の為に「朝鮮山城」をいくつか作った。 ー中略ー
それから瀬戸内海の入り口は下関であります。下関にも山城をつくりました。ここも敗られ
たら大阪湾に向かって来るだろうと考えた。四国の香川県の屋島にも山城をつくりました。

「朝鮮山城」とは中国のズイや唐が高句麗を攻めても落とせなかった秘密の防衛施設だった
ということです。高句麗の戦法は山を石垣で囲んで敵が来るとここに逃げ込んで2年でも3
年でも篭城して戦うことができたのだそうです。

なかなか面白い情報でしたので本屋さんで立ち読みして下さい。p52からp58までです。

服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 03時40分29秒)
 

( Date: 1998年 7月 20日 月曜日 10:53:57 PM)

やっと保元の乱を読み終わって崇徳天皇が亡くなったところです。
ショックでした。
崇徳天皇のことはいろいろ読んで来たのですが吉川英治のようにハッキリ心の中を書いた
のは読んだ事が無かったのでお気の毒でお気の毒で私にとっても後味の悪い内乱でした。

天皇家の中のゴタゴタ(生母+白河上皇+鳥羽上皇+美福門院 >崇徳天皇の関係)に
摂関家の中のゴタゴタ ウオウサオウする小心な貴族達 そして実力行使に使われた武士
達の家の中の争い。

コトが天皇家の中の話だから崇徳天皇の心の動きもオブラートにくるんだような曖昧な
書き方しか前には読んだことがなかったけど吉川英治って憤怒の崇徳天皇を描いていて
意外で良かったです。心理描写が凄いって思いました。

だけど清盛と瑠璃子がどうなるのかワクワクしていたのにいつの間にか清盛は中年のおじ
さんになってしまって(あれ?瑠璃子さんとのロマンスは?)とがっかりでした。だけど
吉川英治って読ませますね。人気作家だったこと納得です。

服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 03時40分55秒)
 

( Date: 1998年 7月 21日 火曜日 9:11:08 AM)

今日仕事前に読んでいたら「瑠璃子さん」が出てきました。
初めて出会ってから20年ちょっと経っているけどこの2人どうなるのかしら?
「瑠璃子」さん職業婦人になっていたのですねぇ。意外な展開にハラハラドキドキです。


服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 03時41分19秒)
 

( Date: 1998年 7月 22日 水曜日 11:36:53 AM)

いんこさん
メッセージ拝見しました。まだ旅の空ですか?早く書き込みして下さい。待っていまぁーす!

中西さん
「新平家物語」今は、清盛が紀伊国から六波羅に古市の伊藤景綱の助けで無事戻ったところを
読んでいます。これで伊藤5は清盛と婚姻関係で腹心になれたのかしらと一人でニヤニヤして
います。熊野参詣から京へどうして無事帰還出来たのか今迄非常に不思議で秀吉の「大返し」
を想像していたのです。古市の伊藤親子は清盛の危機を救った上に更に平家の天下取りに大い
に寄与したというわけですか。忠光や景清が執念の頼朝暗殺を図ったというのが実感として!
やっと分かりました。

平家がいいと思う理由の1つに身内の仲の良さがあります。源氏のように内コウの連続という
のは嫌だし北条氏のように粛清に次ぐ粛清で他の存在を消して行くのも嫌です。平家物語の魅
力の1つにこういう部分もあると思います。やっぱり「平家」には美があるんだって思いまし
た。

越智裕 さんからのコメント(1998年10月01日 03時41分49秒)
 

( Date: 1998年 7月 22日 水曜日 11:37:16 AM)

みなさま、おひさしぶりです。
すっかり読むだけの人になってしまい、ちょっと焦りを感じている今日この頃。
雑談も、あっという間に其の八まできちゃいましたね。
さて、これまで読んでいて思ったんですが、ひょっとして皆さん源氏方の武将達はお嫌いですか?
いや、何となく、話題が平家方に寄っているような気がしたので。
個人的には、義経も嫌いじゃないし、義仲なんて好きだなあ。
ああ、義仲といえばやはり今井兼平もはずせません。
「今は誰をかばはんとてか戦をばすべき」(私の記憶が頼りなので、間違っているかもしれません)
というセリフに思わずくらくらしてしまいました。この後のセリフも素敵ですが。
「木曾の最期」はけっこう見所たくさんですよ。
(よく、『義仲の死に方が間抜けだよね』って言われるけど・・・)
あと、義仲と義経の享年が一緒というのも、なんだか因縁っぽくないですか?
わたし、あの二人には共通するものがあるような気がするんです。


服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 03時42分16秒)
 

( Date: 1998年 7月 22日 水曜日 2:08:45 PM)

越智さんへ
「義仲」の最期って人によっては「間抜け」ていると取られるんですか?私は「巨星陥つ」と
取っていたのですが。新田義貞の最期に似ていて印象的なのですが。「あっけない死」という
ことで私は心にぽかんと穴が開いてしまうような意外性があって劇的と思っていたんですけど。

源氏でいいというとやっぱり今井兼平ですよね。私が男だったら兼平のような最期を望むけれ
ど「炎立つ」では今井兼平の最期って放送してましたっけ?あの部分を放映すると話がひっく
り返ってしまうから見せなかったんじゃないかって思います。今井兼平で視聴者は泣けてしま
いますから。

木曾系っていうのは「源氏の悲劇性」を一族で負ったって感じです。父義賢・義仲・子義高の
3人って源氏の嫌な面全ての犠牲者達って思います。父義賢は祖父為義に可愛がられたのに愛
されなかった義朝サイド(長男義平)に殺されることになったと「平家物語館」でどなたかが
書いていましたよね。義仲は「殺された側」なのに頼朝を信用して義高を差し出した。だけど
結局義高まで殺されてしまった。大姫が心の病気になったのは「殺した側の良心の最後の砦」
が大姫で大姫にとって自分の側が何をしてきたのか知れば知るほど苦しかったんじゃないか?

源氏方で明かるく人物を語れるって言ったら義経と弁慶に限られてしまいます。あとは佐々木
高綱かしら?佐々木盛綱はやっぱり陰湿だし。政治的戦略的にでなく文学的美的に人物を語り
たいとなると源氏方は人物がいなくて不利だと思います。

以上夫のコンピューターで書いてみたのですがいろいろ手違いがあったり「クッキイー」など
がフラフラ出て来たりして言いたい事がちゃんと書けたのかどうか分かりません。 m(_ _)m

西川かおりさんからのコメント(1998年10月01日 03時43分51秒)
 

( Date: 1998年 7月 23日 木曜日 11:44:53 AM)

みなさま こんにちわ。というか、はじめましてですね。
平家物語館の方にたま〜に書き込みしている西川です。
最近あちらが寂しいので、こちらをのぞきにきたら、
なんとタイムリーなことに義仲が話題になっていたので書込みました。

越智様>
私の場合は平家には興味がありません・・・。(平家びいきの方々ごめんなさい。)
いや、厳密にいうと義仲軍以外は眼中にあんまりありません。
当時の、地方で湧き起こっていた豪族達(=武士)の勢い、その代弁者といえる義仲
に、大変魅力を感じているからです。
(頼朝は貴族っぽいので、ちょっと私の感性には合わないのです。義経は結構好きです)


でも、きっかけはやっぱり「木曽の最期」の兼平と義仲です。
兼平を気遣って振り向いたその瞬間、眉間をいとおされた義仲、
その義仲をおって刀を口に含んで飛び降りる兼平・・・ああう〜素敵すぎます。
(でも、そのまえに「義仲が泥田にはまった」ってところに気を取られてしまった人は、
義仲はとても間抜けな人と思ってしまうようですね。)

ただ、私は「治承・寿永の内乱」は「源平合戦」という通称のせいか、
「源氏」対「平家」のように思われていますけれども、
平家が一族一枚岩だったのに対して、源氏は血はつながっていても、その思惑も
行動も全くバラバラなので、ひとくくりにされたくないなと思っています。

義仲びいきからみると、義仲が優勢になると義仲のもとへ来て、頼朝が優勢になると
頼朝の方へ行く源氏の人たちの節操の無さは頭に来ます。
まあ、当時の武士はそういう物で、強いものへとなびいていくのは仕方ないと理性では思いますが、
感情では許せません・・・。
ただ、それだけに自分の信じたものに殉ずる兼平の姿が鮮烈なのでしょうけれど・・・。

はあ〜なんか熱い書き込みになってしまいました〜

服部様>
こんにちわ こちらにいらっしゃったんですね。
「炎立つ」は義仲でてましたっけ?(安部編が強烈で、あとはあまり印象がない・・・)
「平家物語」では兼平の最期って相当な見せ場だと思うのですが、作品化されると
ないがしろにされてしまう事が多いですよね。私は巴の存在感が薄れるからかと
思っていたのですが。作品化する際、義仲のイメージ(義経に討たれる悪役)に合わないから
なのでしょうか。
ただ、ちょっと前に「平家琵琶」を聞いたのですが、「木曽の最期」だったのに
兼平の最期はカットされていました。ここがミソなのに〜と悲しくなってしまいました。
近い将来、兼平と義仲を作品化したいんですが、どうなることやら・・・。

*8月2日の「知ってるつもり?!」で木曽義仲をやりますので、興味をお持ちの方は
 チェックしてみて下さいね! 

服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 03時44分21秒)
 

( Date: 1998年 7月 23日 木曜日 2:33:26 PM)

西川さま
お久しぶりです。私は「彦島」にはまって入り浸っててウチのHPは玄関だけ作って雨ざらし
状態で放ってあります。

あー、そうなのですか。義仲を間抜けと思う人は「泥田」にはまった義仲に目が行って「間抜
け」と思うのですか?!私は義仲が眉間に矢を射られて泥の中に倒れて、、、義仲がやっとの
思いで兼平を目で捜して、、、「俺。。。死んじゃうみたい。。。」、、、って目で語り掛け
兼平が義経の兵の刀を遮りながら御大将の方を振り返ってハッと目を合わせて狼狽するシーン
を想像していたのですが。この感動のシーンを「ぶざま」と取る人が居たってことですか?!
ボーゼンです。

やっぱり兼平のシーンは「義経物」や「平家物」には取り上げられないと思いますよ。主役の
インパクトがこけてしまいますからね。私の「重衡の書き込み」にもこの兼平の話は書いたの
ですが義兄弟のありかたとして「重衡と後藤盛長」に対比させて。「平家物語雑談6」の終わ
りです。「平家物語」の中では兼平の最期が1番インパクトの強い話と思うんですけどね。

源平2つに分けるのでは無く源氏+平家+木曾の3つ巴で語るべきですよね。木曾系は巴と
兼平と義仲の3人で充分読ませますよね。

いんこさんからのコメント(1998年10月01日 03時44分57秒)
 

( Date: 1998年 7月 23日 木曜日 9:47:17 PM)

服部さま、帰ってまいりました(笑)。また、よろしく(^o^)
西川さま、はじめまして(^o^)。

私の場合は、西川さんと反対で(笑)この時代の源氏と、氏姓は平氏であっても鎌倉方に
味方した関東の武士にはほとんど興味がありません。源氏好きの方ごめんなさい。ぺこり
育った環境にもよるものだと思いますが、土地カンもないし関東系(?)の歴史上の人物
にはほとんど臨場感(?)が感じられないんです。(歴史欠陥人間か?・・笑)
まあ、頼朝や北条が好きじゃないのにははっきり理由はありますけど・・・
京都は幼少の頃から身近だったし、学生時代に平安摂関史をやってたせい(?)もあってか
いつも都方の権力に興味が向かってしまいます。

西川さんも書いてらっしゃいますが、私にとっても違う意味で「治承・寿永の内乱」は
「源平の争乱」ではありません。
鎌倉側の北条・梶原・和田・三浦など主だった武将たちも姓は平氏ですよね。めんどう
だから普段は皆さん一々書かれませんが「源平の争乱」は通称であって事実は違う訳です。
だから私は平家という氏姓が好きなのではなくて、平清盛の一族が好きなんですよおっ(笑)
あーリキ入っちまった(笑)
私にとっての「治承・寿永の内乱」とは清盛一族VS(後白河法皇とその側近たちVS義経VS
鎌倉(頼朝)VS義仲)という構図になっております。(笑)

爛熟腐敗寸前の平安という時代を背負って、いっきに咲いて滅んでいった徒花のような
清盛の一族にとても魅かれます。(なんて不健全なんだろう(笑))

義仲は源氏の中では結構好きな方です。(今さらって気も・・・笑)
てらいがなくて憎めない。嘘のない人だったんじゃないかなって気がします。
平家は彼と一時マジで組んでもよかったかもしれない・・ 
義仲というと都占領時(?)に婿入りしていた松殿基房の姫ですが、義仲死亡後に
再嫁して生んだ子供に禅宗(曹洞宗)開祖の道元がいるんですよね。禅宗は女人戒が
特に厳しいようですし、道元は母親と義仲の事をどう思っていたのかなあ。なんて
そんな方に興味がいってしまいます。(こらっ) 

自分自身はあまり興味がないとはいっても、色々な方の好きな人物のお話を見聞き
するのは面白いし、それがきっかけで興味がもてるようになれればそれはそれで
めでたい(笑)ことなので、源氏のお話も大いに結構だなと私は思います。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」ってことでー(笑)。

服部さん、「新・平家物語」、今何巻読んでらっしゃるのかしらん??
今、色々「新・平家」の内容に触れるとネタバレになっちゃって読む楽しみが
減りますよね? 全部読まれたらお話してくださいね。(^o^)
久々だったので長々とすみませんでした。


服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 03時45分27秒)
 

( Date: 1998年 7月 23日 木曜日 10:24:53 PM)

いんこさん
お帰りなさーい!
「新平家」今日から3巻目です。グスン。といっても事情は「7月の雑談2」の通り読めない
事情にあります。アー、あと10分しか書き込めない。

私は「伊勢・伊賀平氏vs坂東平氏」の戦いで、キーパーソンが頼朝だった、ととってます。
頼朝は物凄い役割を果たしたけれど歴史的漁夫の利を占めたのが「坂東平氏」の北条さん、
と。これはアチコチで書いてるから話の蒸し返しかなと思ってこれで終わります。

いろいろな人が「ご自分」のお話を書いて下さると目が開けて嬉しいです。道元なんて「エッ?」
でした。私の歴史観「インターネット」で5倍は広がったと思ってます。


服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 03時46分09秒)
 

( Date: 1998年 7月 24日 金曜日 0:36:29 PM)

講習会の合間に今日は64頁読みました。頼朝が雪の中を迷子になった場面です。

吉川英治って書き飛ばしているせいか細かい所で話がアレレ?なので気になってしまいます。
特に人の名前が混乱するのには困ります。

昔の私なら16冊くらい1ヵ月も必要なかったのに今はなかなか先に進めなくていつ読み終え
るのか、いつみなさんの話題に乗れるのか、田舎の道のように遠く感じています。 (^^;


いんこさんからのコメント(1998年10月01日 03時46分35秒)
 

( Date: 1998年 7月 24日 金曜日 3:26:57 PM)

服部さん、昨日・今日、お忙しそうですね。おつかれさまです。(^o^)
私は遊びの旅じゃなく(笑)、用事だらけのつまんない旅から帰ってきて今だらだら
してますー。はーやれやれ。

「新・平家」たしかに突っ込み入れたくなるところ一杯ありますよねー。
なんでこの人物がいてますねん!?とか、基盛はいつ死んだんだ!?とか、その他色々(忘れた(笑)
巻数が長いから書いてる本人もごっちゃになるんでしょうか・・・????
私は全部読んだのは最初一回だけで、後は気に入ってる都落ち以降しか読み返さないんです(笑)


西川かおりさんからのコメント(1998年10月01日 03時47分17秒)
 

( Date: 1998年 7月 24日 金曜日 5:34:27 PM)

服部様 いんこ様 すばやいレスありがとうございます。
しかも、話がわかる人たちだから書きがいもありますね。

服部様>
「俺死んじゃうみたい・・・」いいですねえ。私は眉間を討たれたら即死
かと思っていましたので、こういう捉え方もいいなあと。
でもひっかかる人はここではなくて、
泥田に馬を踏み入れてじたばたしてるところ(兼平を思って振り向く前)で
すでに笑いモードになってしまうようです。しかも複数の人に言われました。
ここで笑っちゃうと、あとのエピソードがだいなしだっちゅ〜の。

いんこ様>
やはり環境によるものは大きいです。と、言うと察しがつくかもしれませんが
私は長野県出身です。ただ、木曽ではないです。それだけに「義仲は木曽の山奥から
身近な兵を率いて挙兵した」と書かれたものを見ると「おいおい」と思ってしまいます。
義仲は長野でも兵力を組織しているのに・・・

しかし、「平安摂関史」ですか。詳しいお話をお聞きしたいです。
私は同じ時代の「地方・武士団の成立」に重点を置いているので、都の様子は良く分からないのです。
たとえば、話に上がった「松殿の姫」に関しても、「義仲が夜這いをかけてものにした」みたいな書かれ方を
していることが多く、実際そうだと思い込んでいる人が多いのですが、私個人としては「松殿」
の権力欲のために姫が犠牲になったのだと思うのです。そのあたりの都の権力闘争はどうだったのでしょうか。
あと、北陸宮の擁立について、義仲と御白河院が対立しているのですが、その辺りの貴族達の動きも知りたいのです。
なにかおススメの本など有りましたら教えて頂けないでしょうか・・・。


服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 03時47分56秒)
 

( Date: 1998年 7月 25日 土曜日 3:13:36 PM)

西川かおりさま

義仲の「夜這い」話って悪意に満ちた*表現*に過ぎませんよ。
だって平安時代って3日通って歌を男が送って女が返すか返さないかで結婚の成立が決ま
ったのでしょう?義仲だけが露骨な「夜這い」というか庶民的な表現をされるのは卑しめ
られているだけで、それはそう表現した人物が卑しい言葉を使う卑しい人間だということ
と思います。

うちの職場で「バイアグラ」の話題が出た時、女性陣は笑っていたそうですが男性陣は
真っ赤になっていたそうです。ここに「夜這い」話が出て来てオタオタしているのは男性
陣ではないでしょうか?

私は義仲の結婚話をよくは知りませんが親は「力」のある男に弱いからあの姫の親が義仲
を気に入ったのかも知れないし、義仲って美男子だったのでしょう?普通、女ってメン
クイよね?!又は義仲が姫を見そめて「是非妻に」と望んだのかも知れないし、この辺り
のことは当人達しか分からない話ですが**事実は義仲は姫と後朝の別れをいつまでもや
ってた**のでしょう?もし姫が嫌なのに「夜這い」を掛けられて妻にさせられていたな
ら義仲が落ち目になった時にサッサと袖にしたか逃げ出したかそれなりの話が書かれたと
思うのですが。 この話でも新田義貞とコウトウノナイシの話に似ていますね。 話は
飛びますが義経の妻の川越重頼の娘は奥州までついて行って一所に最期を迎えているでし
ょ?川越重頼の娘と義経も(静御前との話に隠れてしまっただけで)やっぱり愛し合って
いたんじゃないでしょうか?義仲と姫のことも巴との話に隠れてしまってまるで愛は無か
ったみたいに書かれたのではないでしょうか?巴さんは強烈な個性の女性だから。。。
いんこさんがお書きのように道元は母親と義仲のことをどう思っていたのでしょう?
これって凄い提言ですよね。

私は樋口兼光が気の毒です。弟の今井兼平の壮烈な死の前に殺されたなら比較も甘くなる
けれど兼平と巴の目覚ましい働きのあとに捕まってしまったから。

服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 03時48分44秒)
 

( Date: 1998年 7月 25日 土曜日 3:47:53 PM)

お知らせ

景清の話が「平家物語館」の掲示板に沢山書かれています。私もいんこさんも書いてます。
義経伝説に匹敵する平家方の人物は景清でしょうか?義経は大陸に渡ってジンギスカンに
なりましたが景清は地獄に行って討魔伝ゲームのキャラになったそうなので義経vs景清の
争いは景清の勝ちでしょうか?
日本の小景清坊主達が日夜義経+頼朝暗殺に励んでいるな
んてチョット怖い物があります。景清って地獄を住み処として今でも「滅びし平家の怨み
忘れたわけではあるまいなぁ」と呪っているのでしょうか?


なかにしさんからのコメント(1998年10月01日 03時49分37秒)
 

 以上は旧電子会議室からのコピーです。各発言は旧電子会議室の発言をそのまま移動しています。もともとの発言のタイムスタンプはコメントの先頭行に書いてあります。また、メールアドレスは個人のメールアドレスを第三者が公開することは支障があるので、便宜上WS彦島のメールアドレスを使用しています。

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