[平家物語を熱く語る!!一覧に戻る] 投稿番号:26164 投稿日:1998年10月01日 02時19分59秒 お名前:なかにし
コメントの種類:歴史 >でも13才だったら、人として「ギョッ」としたと思います。「未だ子供じゃないか」 >って。そうすると出家の話が素直に信じられるのです。 >中西さんは男性として中学3年あたりの男の子にどんな感情を持つのでしょう? 13歳でも敵なら殺すでしょう。鎧を見れば、生きていれば将来それなりの立場の武将になることは想像できるでしょうから、もし見逃せば将来自分の家族がこの人やその郎党に殺されるかもしれないんですから。私は冷酷?? (^^;) |
( Date: 1998年 6月 17日 水曜日 8:28:21 PM)
こんばんはです。
なかにしさん「知盛幻生」の絵、見せていただきました。ありがとうございます。
平家関係の絵を色々と集めた画集みたいなのを出してくれないかなあと思います。
近代、現代の画家でも結構描いている人が多いですものね。
清盛も池の禅尼の言葉を聞かずに頼朝を殺していればよかったんですよねえ。
でも、あれで殺さないところが源氏とは違う平家側のよいところなのかもですし。
しかし、後世、敵側の男子はすべて殺すのが定石みたいになったのも、やはり
この清盛(平家側)の失敗(?)によるところが大きいのでしょうね。
私達は結果から歴史を見ますが、未来を考えて行動するのはとても難しいこと
ですね(^o^)
( Date: 1998年 6月 17日 水曜日 11:22:33 PM)
いんこさん、こんばんは
>頼朝を殺していればよかったんですよねえ
う〜・・・(^^;) 平家滅亡の上に今の私たちがいることを考えると何とも言い難いところですね。ただ、平家贔屓としてはおっしゃるとおり、頼朝を殺しておけば、もう少しは安泰だったでしょうね。
「知盛幻生」、タイトルからして真ん中の一番目立っている人が知盛さんでしょうね。あとはどれが誰でしょう?? 真ん中下のちっちゃい人って、なんとなく菊王丸っぽいですけど、知盛と菊王丸っていっしょに戦った事って有るんでしたっけ??
( Date: 1998年 6月 17日 水曜日 11:41:00 PM)
やっぱり菊王丸は教経と一緒に描かれるべきですよね。私も最初は菊王丸かしらと思ったのですが。
それに菊王丸って18才と書かれているので現在の年齢で16か17だから、こんな少年じゃないです
よね。あれは誰なのかしら。
13才でも敵なら殺すでしょう、との中西さんのお言葉にわたくしめはギョッとしたのですが、いんこ
さんは更に過激で、簡単に「殺していれば良かったのですよねぇ」と無邪気に御発言。女性の方が格段
に残酷だったりして。わたくしめは(^^;でした。
( Date: 1998年 6月 18日 木曜日 1:33:45 AM)
服部さん、わたしの過激(笑)な発言でおどろかせてしまいすみませーん。(@O@)
わたしも現代で、自分が清盛や直実の立場なら、とてもとてもそんなコワイ
ことはできないでしょうねえ。
ただ、盲目の平家贔屓がときとして暴走発言(笑)をさせてしまいます。
頼朝の歴史的価値も充分理解できるんですが、それとは別にってやつで・・
どうかお目こぼしを(笑)
まあでも、歴史にもしもはありえないでしょうが、清盛が頼朝を助けていなけ
れば平家滅亡も少しは(?)遅れてはいたでしょう。
かわりに日本の中世が遅れてしまったでしょうけど・・(^-^)
「知盛幻生」、菊王丸がいるとすれば教経もいますよね。どれなんだろう・・
知盛と菊王丸って同じ場面(?)には出てきてないような気もするんですけど、
教経好きの私としては絵の中に教経がいるのか知りたいです。
菊王丸はたしか屋島で死にましたよね。あの前後は結構、好きな場面です。
( Date: 1998年 6月 18日 木曜日 11:04:56 AM)
平治の乱で頼朝を殺さなかったこと、この悔恨って清盛の「我が墓前に頼朝の首を持て」に出ています
が、その他の助けてしまった人達はどんな気持ちだったのでしょう?
**池の禅尼宗子
**池の大納言頼盛
**池の大納言家の家人宗清
池の禅尼は崇徳天皇の子供の乳母だったそうです。でも自分の子供の頼盛には清盛方に付くよう説得し
たのだそうです。このことでなかなかの女性だったと評価を受けています。でも青墓(今の大垣)で
捕らえられた頼朝を宗清が長男の家盛に似ていると禅尼に告げたことで歴史的なドンデンガエシを引き
起こすことになりました。禅尼がいつ亡くなったのか分かりませんがどんな気持ちだったでしょう?
池の大納言頼盛は崇徳天皇第1皇子重仁親王の乳兄弟になるのだから普通は乳兄弟というのは自分の命
を懸けて守るべき立場なのに政治的判断で裏切りました。そして頼朝挙兵以後頼盛の立場は平家の中で
浮いてしまいます。清盛のハーフ ブラザーって英語では言うんですけど(日本語は異母兄弟ですね)
当然清盛の子供達からは初めから他人並扱いの叔父だったんでしょうね。だから頼朝を頼った本心には
自分が血祭りに挙げられるかも知れない恐怖もあったんじゃないかと思います。2度も裏切った事実は
世間の目の中で生きていくのにどんな思いだったのでしょう?頼朝からは大切にされて平家没落前に変
わらない満たされた生活ぶりだったと書かれていますが心の中を覗いてみたいです。
さて宗清という人。私にはさっぱり掴めません。青墓で捕らえられた頼朝に随分良くしてあげて頼朝か
らは感謝されまくっているけど、普通だったら敵の大将の子供に情けを懸けるでしょうか??あの当時
の人間だったら人道的な扱いをしないと思うのですが。そして平家都落ちでは壇の浦迄同行しているの
です。宗清寺の縁起によると知盛さまの叔父になるそうですが、(乳兄弟でもあると私は思うのですが)
壇の浦では一族と運命を共にせず伊賀に戻って頼朝から土地を貰って柘植姓を名乗りヒッソリと世を送
ったそうです。
私には宗清という人物が一番掴めません。池の禅尼のことは分かり易いです。私がこの3人の中で自分に
一番近い人物を挙げよと問われたら頼盛です。頼盛のいたたまれなさとか恐怖心とか、よく分かります。
でも宗清という人はさっぱり分かりません。一体何を考えていたんだろう?と疑問符ばかりです。私が
宗清だったら腹切って詫びを入れると思います。絶対壇の浦まで同行なんてしません。針のムシロに座る
勇気が無いし、自分の一族が敗れて海に身を投げていくのをとても見守れません。私がムリヤリ壇の浦迄
引きずられて行ったなら発狂してしまうと思います。宗清の行動で1つだけ分かるとしたら故郷の伊賀で
ヒッソリ死を迎えたことくらいです。
あなたも1度自分が頼朝の命を助けてしまった人物になったと仮定してこの3人の気持ちを考えてみて
下さい。
( Date: 1998年 6月 18日 木曜日 11:48:36 PM)
中西さまへ
1)ツリー式の会議様式は読み難いと思うんですが。時間の無駄、スペースの無駄も生じるし。
現状維持の方が良いみたいです。
2)義経も建礼門院に手を出したという話を読んだことがあります。
壇の浦で平家の女性達に「もうすぐ東夷達がやって来ますよ」と知盛さまが言ったのは、女性達
には(あの悪名高い)東夷ということなので怖かったでしょうね。価値観の通じない野蛮人です
から。まさか子供達が殺されまくる事までは平家方の人々は想像もしてなかったんでしょうね。
戦争の時、負けた方の女や子供や年寄りなどはひどい目に遭うに決まってるけど、ああして日本
の中世が開幕したのかと思うと感慨深いものがあります。
( Date: 1998年 6月 19日 金曜日 0:05:12 AM)
宗盛がさっさと屋島を捨てたのは、屋島の人にとっては幸運でしたね。
( Date: 1998年 6月 19日 金曜日 0:40:31 AM)
同感!
屋島の人にとって悪い思い出が無いから古戦地として源平両方の蹟を残せるんでしょうね。
( Date: 1998年 6月 19日 金曜日 11:40:11 AM)
>あなたも1度自分が頼朝の命を助けてしまった人物になったと仮定してこの3人の気持ちを考えてみて
下さい。
というのは、私のことでしょうか??? 服部さん。
頼盛に関しては、頼朝のプロパガンダのひとつに使われた人というイメージが強いです。池の禅尼に命
を助けてもらったから頼盛を助けたというのが一応の理由になっていますが、へ理屈を言うようですけど
池の禅尼の言葉を受け入れて命を取らなかった清盛も命の恩人じゃないんでしょうか。そうすると清盛の
血縁平家を滅ぼすこと事態が忘恩の行為になってくる。まあ、これは詭弁ですけど・・。
頼盛が平家から浮き上がっていたのを利用して、平家の結束を崩そうとわざと助けたのでしょうね。
頼盛も平家が壇の浦で滅んでから一年くらいしか生きていないようですし、この人の心の葛藤は現代人で
ある私にはなかなか想像を絶するものがあったのではないかと思いますが。単なる裏切り者とは片づけら
れない深いものがあります。
宗清に関しては本を読んだ時から私も行動の矛盾を感じていました。なんか解りづらいですね。この人は。
知盛の叔父さんなんですか? そうだとしたら、仕える池殿の家と平家一族との間で色々と板挟みになった
のでしょうか。でもなんだか行動があいまいで、いらいらしますね。頼盛と別れて壇の浦まで行くのなら
行ったで、そこで普通は共に死のうとするのではないのかと思いますね。
池の禅尼に関してはほとんど感慨はありません。清盛に対しての言動もよくあるままはは像っていう感じ
ですね。この人には葛藤も苦悩も何も感じられません。平家の中で特に自分の血縁を守りたいという、
まあ後妻ですからそういう意識は働くでしょうが、それが強く伝わってくるのみです。
( Date: 1998年 6月 19日 金曜日 5:38:15 PM)
いんこさんへ
頼盛の心の問題の書き込みとても面白かったです。良く書けていて感心しました。
私は頼盛と小早川秀秋が似てるなと思うのです。小早川の方は直接自分の裏切り行為で関ヶ原の合戦の
決着がついてしまって、結局は豊臣家を潰すことになってしまったから。この小早川の心の苦しみと
頼盛の心の苦しみが共通していると思うのです。
それで頼盛も小早川のように最期は「乱心」だったら平家物語はもっと面白くなったのに、と思います。
頼盛の家が平家没落以前に変わらぬ繁栄を続けたという話は「頼朝は冷酷無比の人間じゃなく。。。池
の大納言家にはちゃんと恩返しをしている」との鎌倉方のプロパガンダ又は平家物語の作者達の鎌倉へ
の遠慮があったのじゃないかと思うのです。(あの時代は悪口書いたら不敬罪で首が飛びますものね)
頼盛にしても自分が頼朝に利用されているのが分かってていよいよ心の苦しみが増した、というのなど
いかがでしょう?
( Date: 1998年 6月 19日 金曜日 10:01:01 PM)
>頼盛の家が平家没落以前に変わらぬ繁栄を続けたという話は「頼朝は冷酷無比の
人間じゃなく。。。池の大納言家にはちゃんと恩返しをしている」との鎌倉方の
プロパガンダ又は平家物語の作者達の鎌倉への遠慮があったのじゃないかと
私の言いたかったことをうまく表現して下さいました。(^-^) ほんとそう思います。
そして頼盛も最初は助かったことに安心していたでしょうが、平家が亡び義経の
栄枯盛衰を見聞きし頼朝(鎌倉)の狡猾さ(?)に気付いて死んでいったと私も思います。
そうですね。頼盛と小早川秀秋って立場が似ていますね!!
今まで気付きませんでした(^O^)
残っている豊臣は淀君とその子供である秀頼なのだから、北の政所ねねの身内
である彼としては心情的には最初から堂々と東軍につきたかったのではと思わ
れます。彼の場合は裏切ったタイミングが合戦の勝敗を左右するような場面だっ
たので後世なにかとひどい裏切り者扱いされるようになったんでしょうね・・
東軍と内応していたとはいえ、その寸前まで味方だった西軍に突然戦いをしかけ
るというのはどんな気がするんでしょうか??? 秀秋は臆病者だったと云われて
いますが、どうしてどうして大した度胸(笑)ですね。
私も弱い人間ですが、やっぱり秀秋や頼盛のようなことはいざとなった時に
したくないものです。生き残ってもあとが死ぬよりつらそうですし・・。
秀秋や頼盛のように滅亡した家の地縁血縁にしばられているような立場の人は
生き残っても新しい政権の元では心安らかに長生きなど望めないかもしれない
ですね。
( Date: 1998年 6月 20日 土曜日 1:10:57 PM)
皆様、はじめまして。変な名前でごめんなさい。皆様の雑談を見させてもらいました。いや〜、皆さん本当に詳しい方ばかりで、驚きました。僕は平家物語に興味はあるのですが学が無いもので、コメントするのは場違いかと思ったのでが、とりあえず感心したことを伝えたくてコメントさせてもらいました。ご免なさい。僕も皆様とあーだ、こーだとはなしあえる日を夢見て(笑)、源氏や平氏について勉強したいと思います。またお邪魔するかもしれませんが(もちろん名前は変えて)、そのときは宜しくお願いします。今日は本当にお邪魔しました。さようなら。
( Date: 1998年 6月 21日 日曜日 1:45:08 PM)
院政時代に男色は花開いたのですか?いんこさん。後白河も頼長も、というところに文化が花開くと
ソッチも盛んになるんだと説得力を持ってしまうのですが、私は人間になる前からじゃないかと過激な
発言をしてしまいます。さらに「お怒り」覚悟で書いてしまいます。教経と菊王丸はヒョッとすると
そういう関係じゃないかと。。。「可愛がっていた」という意味「深く」読み過ぎでしょうか?
( Date: 1998年 6月 21日 日曜日 7:45:26 PM)
感心した男さん、こんにちは。私もいつも中西さんや服部さんには教えられる
ことばかりなのですが、拙い書き込みで図々しくもお話に参加させていただい
ています。感心した男さんもぜひ改名なさって(笑)色々とお話を聞かせてもら
いたいです。
服部さんへ。いえいえ、全く「お怒り」していませんでーす。私も実は以前
から教経と菊王丸は怪しいと睨んでいます(笑) 。教経は正式な北の方も子供
もいなかったようですし(通う女性はいたかもしれませんが)どうもイメージ
が近代の硬派(笑)っぽいですよねえ。充分ありえるんじゃないかなあ・・
経正も仁和寺御室の稚児でしたから、どうも経験あり(爆)じゃないかと(^o^)
(いいかげんなことを・・)
男色は人間になる前からですか(笑) 男色(衆道)の日本の史料上で最初に(笑)
疑わしいのは日本書紀「小竹祝と天野祝」のお話だそうです。古来から細々
とあったでしょうが、やはり密教系寺院の稚児という存在が出てきてから一気
に盛んになったのでは・・ 服藤早苗さんという研究者は、「女性の穢れを嫌
う意識の広がりが9世紀頃を境に貴族社会に広がりだした。12世紀ごろに定着し
結果、穢れのない男性同士を好む傾向が生まれたのではないか」とも述べられ
ています。これも一つの花開いた(笑)原因ではあるかもしれません。でもほと
んどの人がバイセクシュアルであったと思われますね。
中西さん、変な(?)話を長々とすみません(^O^)
( Date: 1998年 6月 22日 月曜日 1:59:07 PM)
みなさんはじめまして。NOZAKEYと申します。
服部晶子さんにメールで教えてもらい、ここにきました。(服部さんどうもありがとうございます。)
いやー、みなさんの書き込みおもしろいです。今まで考えもしなかったことばかりで、目から鱗がボロボロおちてます。熱烈な頼朝ファンの私としては、池の禅尼・頼盛の話に興味を持ちました。またおじゃまします。
*服部さん、いんこさん、「平家物語館」のほうご無沙汰しております。今後はこちらの方でもどうぞよろしく。なかにしさん・管理人さんはじめまして、今後も興味深い書き込み、期待しております。
( Date: 1998年 6月 22日 月曜日 11:26:09 PM)
NOZAKEYさま
異なる意見が存在するから風通しが良くなってアイデアが浮かぶと思うのです。例えば頼朝は命を助け
られて平家を倒して。。。何を思ったか「NOZAKEYさま」だったらどう考えるか、 そういうのが読みた
いのです。だから考えがまとまったら発表をして下さいね。
私も「男色」のカミングアウトが平安時代から行なわれた?だの密教系仏教に関わりがあった?だの
全く考えたこともありませんでした。これは「いんこさん」に100%脱帽でした。私は「性」あるモ
ノは交錯したり混乱するのが当然でモトモトの姿が「性」がなかったと思うので現代のようにキリスト
教でホモセクシュアルが許せない、という意識から「男色」を捉らえるのには無理がある、と思ってい
たから「女性の汚れ説」が出て来て「納得」しました。ナヨナヨ系なら別の話ですけど筋肉モリモリ系
の教経と菊王丸の関係は「平家の京都奪還」までは「女断ち」してたのかも知れない、という根拠で考
えて見る場合非常に説得力があります。いんこさんがお書きじゃなかったので私が書いてしまいました。
NOZAKEYさん、いらっしゃいませ。管理人兼なかにし (^^;)です。「平家物語館」のついでにでもこちらに書き込みしていって下さいね。
いんこさん、こんばんは
>中西さん、変な(?)話を長々とすみません(^O^)
変な話大歓迎です。まじめな話ばかりだと私の出る幕がありませんので(これこれ ^^;)。バイセクシュアルと関係するかも知れませんが、義仲や義経と違って平家の一門って、いった先で女性に対して傍若無人な態度をとったという話を聞きませんので、バイセクシュアルはもちろん職業としての従軍慰安婦の方も連れてたんでしょうかね???
( Date: 1998年 6月 23日 火曜日 10:22:49 AM)
中西さんへ
平家の人々の家系図があると良いですよね。名前が似てるので父子・兄弟関係がゴチャゴチャで
「あの人の事を書こう」と思っても名前が何だったのか捜すのに一苦労です。これについては私の持って
る系図のコピーもお渡ししなくちゃ、と思っております。気の長い私は(来年でもいいか)とも思って
しまいます。(^^; 結構いいのを持っているんですよ。(^-^)
さて、平家の場合は戦争に家族は勿論一族同伴でさまよったというのが原則でしょうね。
教経の兄の通盛は一の谷で戦死するけれど、その前に妻・小宰相に逢っていて教経に叱られたのじゃ
なかったでしょうか?(記憶で書いています。間違っていたら「いんこさん」が訂正してくれるんじゃ
ないかと最近手を抜いています。ごめんなさい)このエピソード1つとっても教経の戦争に対する意気
込みが読めて私は教経は「女断ち」をしてたんじゃないかと思うのです。
そして京の遊女達も同行していたのだと思います。東夷達が嫌でどうせ商売するなら馴染みの平家の
方が良いという理由もあったでしょうし。いろいろ連れて戦争した代表人物は秀吉が挙げられますが
(小田原攻めとか朝鮮の役)平家の場合も職業としての従軍慰安婦を連れてたと私は思います。平家の
中でウルサイ事を言った人物がいたとすると教経あたりじゃないか、と。フランス映画の「モロッコ」
でしたか?あの中でも従軍慰安婦がついて行くでしょ。源氏の方は女連れってイメージが起きないです
ね。木曾義仲と巴の例を除くと。源氏の方は行った先でやりたい放題をした、ってイメージです。
( Date: 1998年 6月 23日 火曜日 10:30:46 AM)
こんにちは、NOZAKEYさん。私の方こそ未熟ものですがよろしくお願いします。
鎌倉殿側から見た源平争乱のお話たのしみにしています。(^-^)
>教経と菊王丸の関係は「平家の京都奪還」までは「女断ち」してたのかも
知れない
うーん、するどいですねぇ。服部さん。たしかに「女性の穢れ」という観点
からみればそういうこともありうるかもですね。とくに教経ならば・・(笑)
中西さん、変な話の解禁(?)ありがとうございます(笑)。私、くだけた歴史話
大好きです(おいおい)。
ボヘミアンになった平家は従軍慰安婦は連れてなかったのではないでしょうか。
北の方を連れていってる人以外はやはり現地調達(笑)したのでは・・。
貴種ということで、源氏側についた豪族は別でしょうが、落ちぶれてきてから
でも、女性にはそんなに不自由しなかったのではないでしょうか????
全国あちらこちらに平家の子孫と名乗る人々もいることですし(爆)。
少数ながら女房や侍女もいますよねえ。いやあ、ほんとに男の人って・・・(笑)
( Date: 1998年 6月 23日 火曜日 5:42:50 PM)
服部さん、いんこさん、管理人兼なかにしさん(^^)こんにちは。
当時の、女性を「穢れ」とみる考え方からすれば、教経の「女断ち」は説得力のある説ですね。賛成です(^。^)。私も、いんこさんと同様に、平家は従軍慰安婦は連れていっていないと思います。基本的にこの時代の武士は現地調達でしょう。(範頼なんかその代表的な例ですね)平家が女性を連れて、源氏が連れていっていないというのは、単に立場の違い(平家は逃げていて源氏は追いかけている、という)でしょうね。その点、義仲はおもしろい。一人の武将として(脚色は相当あるにしろ)女性を連れている。(余談ですが、日本で、一人の武将として戦場に赴いた女性というのは少ないですよね。思い付く限りでは、この巴・山吹、立花道雪の娘、あとは伊達政宗の母最上御前ぐらいでしょうか?)
10月にでる橋本治の平家物語がいまから楽しみです。橋本さんは頼朝をどう料理されるんでしょうね?
( Date: 1998年 6月 24日 水曜日 10:37:30 AM)
今日仕事に行くバスの中で平家は従軍慰安婦を同行したのかしなかったのか考えていたところ教経が、
「誤解だ」と言ったような気がしたのです。「自分は通盛兄が合戦の前に妻の小宰相と逢ったから怒っ
たのではなく、{一の谷で死んでしまう気がする}と通盛兄が妻の小宰相に言ったから、そのことを
通盛兄に怒ったのだ」と。
「落足の事」「小宰相の事」の2章を読み返そうと思います。同じ兄弟でも教経と通盛は違いますね。
通盛が小宰相をどんなに愛していたか、良い夫だったか、もう1度味わいたいと思います。
それにしても「いんこさん」のお好きな教経からお言葉を頂こうとは。
( Date: 1998年 6月 24日 水曜日 0:58:06 PM)
うーん、過去からの声ですか!?(^^) うらやましいですわあ、服部さん。
私にも一度ぜひ声を聞かせてくれたまへ。能登守教経殿。君には色々と聞きた
いことが一杯あるのだよ。ふふふ
そうですね、教経と通盛の兄弟って本で読む限りでは性格が全然違いますね。
通盛は公家そのもの、教経は本当に(新平家物語にあったように)荒公家という
のがぴったり。母親も同じなのに・・教経って情緒欠陥症ですしね(笑) 私は
その武骨なところもなかなか気に入っているんですけど。さぞかし当時の女性
にはもてなかったでしょうね(いや今の女性にもですかね(笑))
NOZAKEYさん、戦った女性というと、実在の人物か疑わしいですが、城長茂の妹
の板額もそうですかね? 私はメインの平家が滅びてからの事件には疎いんです。
ですから鎌倉幕府ができてからの事にはとても弱い・・色々と教えてください。
買うだけ買って、「吾妻鏡」も読んでないんです。(TOT)
( Date: 1998年 6月 24日 水曜日 3:10:19 PM)
わたくしめは「吾妻鏡」の値段を見て、買ってもいないクチです。「なんでこんなに高いのよぉ、でも
鎌倉方の記録じゃあねぇー」と内容に見当が付くので(現代の政府の公式発表よりカイザン・ネツゾウ
に満ちているんでしょう)と懐疑的になり結局買わないでしまっています。安いのあったら紹介して下
さい。
いんこさん、本当に、あの世の男の生の声が聞きたいですよね。わたくしめの場合は聞きたい男が多過
ぎて、そして会いたい男が多過ぎて、1人だけって限られたら知盛さまだけですが。
私は教経ってきっと桃の花のように華やかな美男子だったんじゃないかって思うのです。でも性格は
ハイパーで瞬間湯沸かし器みたいで乱暴で頭はいいけど自己顕示欲が強すぎて、外見女達にはもてるん
だけど女達が結局は付いてゆけない男で、だけど彼には好きで好きでたまらない身分の低い女がいたけ
ど彼女は魔がさして浮気して、彼女は教経の所に戻って来るのだけど教経は許さないのです。。。そう
こうしているうちに風雲急を告げる世になってしまって。。。教経は平家物語の中では荒武者として
描かれてしまった、なんてどうでしょう?
兄の通盛と弟の教経の似ている点は「好きな女はただ1人」って気がします。
でもね、この教経を秘かに憧れていた女性が平家の一族の中に実はいて、教経はこの一族の女性に上記
の身分の低い女のことを失恋の苦しさから打ち明けてしまうのです。「絶対彼女を許さない」と教経は
言うけれど一族の女性には教経の心の中が見えている。(教経さまは許さないとおっしゃっているけど
結局は許すのだろう。許す時はあの人を妻に迎えるのだろう。本当に許さないなら二度と女性を愛する
ことは無いのだろう)と思うのです。教経が壇の浦に身を沈めた後この一族の女性が教経の菩提を弔っ
て世を送る、というのはいかがでしょう?
いやぁ、平家物語っていいですねぇ。書かれていない話を想像していろいろ話が広がってしまいます。
カイザン・ネツゾウ好きはこのわたくしめだったりして。。。 (^^;
以上は旧電子会議室からのコピーです。各発言は旧電子会議室の発言をそのまま移動しています。もともとの発言のタイムスタンプはコメントの先頭行に書いてあります。また、メールアドレスは個人のメールアドレスを第三者が公開することは支障があるので、便宜上WS彦島のメールアドレスを使用しています。
このコメント以下にさらにコメントを続けることもできます。
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