キーワード:薩摩難波氏と蹴鞠 コメントの種類 :書籍・文献
パスワード
壇ノ浦の合戦、平家滅亡後、征夷将軍島津(惟宗)忠久麾下九州軍奉行難波久経は日隅薩三州に下向し、その後薩摩知覧院に定住しました。
難波氏発祥の地は摂津大阪の難波之浦難波で田使姓難波を号し、代々の氏は平野大明神オオサザキノスメラ命、藤原鎌足創建の平野神社です。本社にはもう一柱蹴鞠の守護神でもある精大明神が祭られています。
律令制下の奈良時代より数代に渡り蹴鞠と雨林の官職に就いており、平安初期から、中期頃に中絶し、平安後期には武家として清盛の平家の家人となっています。
難波氏は倶利伽羅谷の合戦、壇ノ浦の合戦(経俊17歳で討死)などさまざまな戦や事件に関わり平安後期から鎌倉初期の平家物語の筋を辿るように生きてきた一族です。
|