[1] | 空の青海のあをさんからのコメント(2023年07月11日 08時24分52秒 ) | パスワード |
ウイキよりコピペ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%A9
日本の観測史
見られる機会が非常に少ない現象ではあるが、日本語では古来「赤気(せっき)」という名前がついていた。
「紅気(せっけ)」という記述もある。
最古の記述は『日本書紀』まで遡り、推古天皇の統治時代である620年12月30日には、「天に赤気があり、その形は雉の尾に似ていた。長さは一丈(約3.8メートル)あまりであった。」という記録が残されている。
日本のような中緯度で見られるオーロラは赤く扇形の構造を示すものであることから、雉が尾を広げた形に例えたものと推測される。
当時の日本の磁気緯度は現在よりも10度ほど高かったため、大規模な磁気嵐が起これば日本でオーロラが見えても不思議はなく、
新月で月明かりもない真っ暗な夜空はオーロラ観測にとって好条件であり、
特に扇形オーロラは真夜中前に出現し、際立って明るいものであるため、空に現れた巨大な扇は人々の印象に残るものだったと思われる。
最も観測しやすかったのは1200年頃とされ、
藤原定家の『明月記』では、1204年2月21日に「北の空から赤気が迫ってきた。その中に白い箇所が5個ほどあり、筋も見られる。恐ろしいことだ。」と、オーロラのことだと推定される記録が残されている。
↑
これは有名よね
本能寺の変で織田信長が倒れる1582年(天正10年)には日食や大彗星と並び京都付近でやはり“空が赤くなる”現象が発生し、
『立入左京亮入道隆佐記』やルイス・フロイスの『日本史』に記録・報告されている。
江戸時代に入り、1730年(享保15年)2月18日から19日にかけてのオーロラは中国やヨーロッパでも記録されているが、日本では加賀藩の記録や佐渡の『佐渡名勝志』に記録が残っている。
さらに江戸時代中期の1770年9月17日に出現したオーロラは、およそ40種の文献に登場しており、
北海道のほか、佐渡国(『佐渡年代記』)、信濃国(長野県)、肥前国(長崎県・佐賀県)でも観測されたという記録が残っている。
日本では明治期から「赤気」という言葉ではなく、「極光」や「オーロラ」が使われるようになった。
白瀬矗は1912年3月に南極から帰る際に現れたオーロラをスケッチし、報告書『南極』に残している。
日本社会へは1934年に開始された南極海での捕鯨により、オーロラが少しずつ紹介され始めた。
1958年2月11日には天候に恵まれたこともあって、北陸から関東にかけて赤い、一部では脈動や黄色も見られるオーロラが出現した。
ちょうど国際地球観測年に当たる1957年から気象庁は各地の測候所へオーロラ観測を命令していたため、この日は長野県、東北地方、北海道などでも観測された。
オーロラが出現した日は世界中で電波障害が起き、ヨーロッパでもオーロラが見られた。
1989年にも北海道や東北地方などで肉眼で見えるオーロラが出現した。
2000年4月7日には、北海道陸別町で4.2kR(レイリー)のオーロラが観測された。
【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る 】 |
|
◇Copyright(C) 2000 c-radio.net. All Rights Reserved.◇ DB-BBS-system V1.25 Rapah. |