[1] | 空の青海のあをさんからのコメント(2023年03月04日 10時12分26秒 ) | パスワード |
桶狭間の戦い後の家康23歳の時の年収
三河 25万石
家来に 15万石(60%) ← ホント?
百姓は50%(年貢率 すごい税率だね こんな世の中になったら暴動起きるよね?)
家康の取り分 5万石 現在の価値で30億円だそうです。
視聴しながら ふゥ〜ん メモッたのだけど
今 考えると 上記の計算 え? となる。
確かに 岡崎って5万石 ってアッチコッチの看板に書いてあった
家康の取り分が5万石 って? (数字に弱いワタシ)
三河の国の総石高が25万石で家康は5万石=岡崎藩に相当だった?
ま、他人の懐なんて どーでも良いけど。
[2] | 空の青海のあをさんからのコメント(2023年03月04日 10時15分08秒 ) | パスワード |
秀吉時代
250万石の大大名に。
なんか色々メモってあるけど意味不明。
悪筆なので自分で自分のメモが読めない。恥
[3] | 空の青海のあをさんからのコメント(2023年03月04日 10時19分27秒 ) | パスワード |
家康62歳の年収
直轄地 350万石
年貢税率 50%
家康の年収 175万石 現在の価値で 1050億円
[4] | 空の青海のあをさんからのコメント(2023年03月04日 10時21分57秒 ) | パスワード |
日本全体の石高 1857万石
現在の価値換算 1兆1100億円
家康は10%を独占。
これで260有余年の安泰へ。
[5] | 空の青海のあをさんからのコメント(2023年03月04日 10時26分11秒 ) | パスワード |
武田信玄
騎馬 約9000騎
1頭 18万円
馬だけで16億円
の何?
1頭の値段?
飼賃?
9000頭も飼ってたのか
へ〜
さすが信玄!
と思って感心して 何のハナシか聴いてなかった。
恥
[6] | 空の青海のあをさんからのコメント(2023年03月04日 10時29分34秒 ) | パスワード |
信長
1000挺の銃
日本の40%を占めた。
1挺50万円として1000挺だと How much? 5億円?
[7] | 空の青海のあをさんからのコメント(2023年03月04日 10時34分51秒 ) | パスワード |
家康は41歳で84億円の年収だったそうです。
信長が暗殺されて秀吉とバチバチやってた時ですね。
[8] | 空の青海のあをさんからのコメント(2023年03月10日 09時54分07秒 ) | パスワード |
https://www.youtube.com/watch?v=9b_2GooSefs
『徳川250万石』の内訳を考察する
[9] | 空の青海のあをさんからのコメント(2023年03月19日 00時34分50秒 ) | パスワード |
3英傑の年収
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E6%88%A6%E5%9B%BD%E4%B8%89%E8%8B%B1%E5%82%91-%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%BA%B7-%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7-%E8%B1%8A%E8%87%A3%E7%A7%80%E5%90%89-%E3%81%AE%E5%B9%B4%E5%8F%8E%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97%E3%81%A8%E3%81%AF/ar-AA18MFXD?ocid=winp1taskbar&cvid=37dd4e5779544f2da965fe2d532d4cae&ei=139
[10] | 空の青海のあをさんからのコメント(2023年03月19日 00時36分55秒 ) | パスワード |
以下コピペ
徳川家康の推定年収
江戸幕府を開くにあたって、関ヶ原の合戦の時点で味方だった譜代大名は江戸の近くに藩を与え、味方ではなかった外様大名は江戸から遠方に藩を配置した徳川家康。
その本拠地である江戸城は渦巻き状に城壁やお堀を築くことができ、いくらでも外側へ拡大していけることを想定した設計にしていました。そんな江戸初代将軍、家康の直轄領(天領)は、その出身地である中部地方を中心に、全国におよそ400万石あったといわれています。
1石は米にして2俵半、つまり約150キログラムで、現在の価値に換算するとおよそ6万円の価値です。つまり単純計算で2400億円相当が毎年、幕府に流れ込んでいたことになります。
しかも、直轄領の中には佐渡金山や石見銀山、伊豆の土肥金山など、貴金属を生み出す地域のほか、南蛮渡来品の窓口である長崎もありました。つまり、米以外にもばく大な収益を受け取っていたとみられています。
豊臣秀吉の推定年収
豊臣秀吉は、身分が比較的低いところから成り上がったコンプレックスから、資産の形成に懸命になっていたといわれています。家臣の心をつなぎ留めるために、自分の資産を投げ出す大盤振る舞いをすることも珍しくありませんでした。
そんな秀吉が支配していた直轄領は、およそ220万石だったとされています。つまり、現代の価値で1320億円の価値です。さらに金山や銀山も保有していたため、おそらく年間の収益は2000億円前後あったのではないでしょうか。
そんな秀吉は「黄金太閤」の異名を持っていたとされます。家康や信長と違い、身分の関係で征夷大将軍になれないため、幕府を開く資格もありませんでした。そのぶん、誰よりも金銀財宝を独占することによって、自らの権勢を必死に誇示しようとしていたのかもしれません。
織田信長の推定年収
天下統一時、織田信長の直轄領における石高については諸説ありますが、およそ100万石から150万石ぐらいだっただろうと推定されています。現在の価値に直すと、600億円〜900億円ほどです。
ほかにも金山や銀山を各地に保有していたことから、信長の年間収益は1000億円ほどあったでしょう。しかし、信長が室町幕府を滅亡に追い込んで、天下統一を果たしたことは、その後の秀吉や家康にとっての資産形成の源泉になったことは間違いありません。
年収のトップは確かに徳川家康だが……
信長・秀吉・家康で比較したとき、年収のトップは400万石に加えて、当時日本最大級の金山や銀山を支配し、海外との交易の窓口である長崎も握っていた家康であることに異論はないでしょう。
しかし、その礎を築いたのは最初に天下統一を果たした信長であり、その資産を秀吉が引き継ぎました。
豊臣家を滅ぼした徳川家康は、信長と秀吉という「巨人」の肩に乗ってばく大な資産を築いたという評価も可能です。
へぇ〜
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