[1] | 空の青海のあをさんからのコメント(2022年11月12日 04時16分57秒 ) | パスワード |
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ネアカの李白、ネクラの杜甫
中国や日本では「李杜」といって、李白と杜甫はいつも並び称される唐の二大詩人ですが、世界的にみると、つまりヨーロッパやアメリカを含んだ国際的名声からいうと、杜甫はどうも影が薄くなり、李白のほうがだんぜんかがやいております。
近年中国で出版された文学史の類では、たいてい杜甫は「現実主義詩人」、李白は「浪漫主義詩人」というふうに位置づけられているのですが、現実の体験を誠実に受けとめ、一歩一歩大地を踏みしめるようにして重厚な詩を作った杜甫に対し、李白は奔放に想像の世界に遊び、天空を自在に飛翔するように詩を作りました。
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[2] | 空の青海のあをさんからのコメント(2022年11月12日 04時21分53秒 ) | パスワード |
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江戸の川柳:
「李太白 一合づつに 詩を作り」
「一合づつに詩を作り」というのは、「李白 一斗 詩百篇」という詩の句をふまえたしゃれなのです。
これは李白自身の句ではなく、
じつは杜甫が李白のことを詠じた詩の中の一句で、『唐詩選』にもみえていて、江戸時代の日本人には親しみ深いものでしたから、したがって川柳にもこのようなかたちで登場するのです。
いうまでもなく、一斗で百篇ですから、一合ごとに一篇という計算になります。
川柳といえば庶民文芸の代表のようにいわれるのですが、このように漢詩をひねって川柳にしたてたりするところをみますと、江戸時代の庶民の教養のレベルがなかなかのものであったことを示しているともいえますし、視点をかえていえば、江戸時代の日本人のあいだに、漢詩がいかに浸透していたかを示しているともいえるでしょう。
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