藤原朝獦 −764 奈良時代の公卿(くぎょう)。 藤原仲麻呂(なかまろ)の3男。父とともに姓に恵美の2字をくわえられた。陸奥(むつ)按察使(あぜち)兼鎮守将軍となり,天平宝字(てんぴょうほうじ)3年雄勝(おがち)城(秋田県),桃生(ものう)城(宮城県)を造営。仁部(民部)卿,東海道節度使をつとめ,6年参議。父の反乱に際して行動をともにし,天平宝字8年9月18日処刑された。名は朝猟,朝狩ともかく。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 コトバンクより
伊治という言葉が出るのでしょうか?
桃生城は「もものうじょう」とも読むらしいです。 朝獦は未だ当時の魚名のようなネーミングということでいいでしょうか。