[1] | 空の青海のあをさんからのコメント(2022年02月13日 16時12分48秒 ) | パスワード |
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/92163?page=3
江戸中期の天才博物学者と言われた平賀源内。
「源内は、精神的にはかなり不安定な人物でした。被害妄想が強く、弟子が脚本家として成功した時、ボロクソにけなしたりしています。
事件が起こったのは安永8(1779)年です。ある町人が請け負った大名屋敷の修繕費を聞いた源内は、”自分なら半額でできる”と豪語。町人は怒ったものの、源内の計画書を見ると確かに可能だった。そこで納得した町人は源内に共同作業を提案、喜んだ源内は町人と酒席を共にします。
本来、下戸だった源内はたちまち酔い潰れ、朦朧とした中で計画書がない、盗まれたと思い込み、その場で町人を斬り殺してしまうのです」(河合氏)
ところが帰宅した家に計画書はあった。絶望に打ちひしがれた源内は自害しようとして果たせず、投獄された牢内でまもなく獄死した。
平賀源内が獄死した話は知ってたけど
大工の棟梁2人を殺傷したため自害しようとしたけど果たせず
破傷風で獄死してたのか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E8%B3%80%E6%BA%90%E5%86%85
安永8年(1779年)夏には橋本町の邸へ移る。大名屋敷の修理を請け負った際に、酔っていたために修理計画書を盗まれたと勘違いして大工の棟梁2人を殺傷したため、11月21日に投獄され、12月18日に破傷風により獄死した。
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