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 投稿番号:101751 投稿日:2021年04月22日 13時18分10秒  パスワード
 お名前:空の青海のあを
蘇民将軍の子孫

コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

テレビでドキュメンタリーを見てたら
ある家の表札に「蘇民将軍の子孫」と書かれていました。

一瞬だったので「蘇民将軍の子孫」だけしか記憶にありません。


恐らく場所は栃木県日光の奥(裏)と思います。

[1]空の青海のあをさんからのコメント(2021年04月22日 13時26分38秒 ) パスワード

ということでネットで調べて来ました:

わたしがテレビで見たのとは違いますが

https://kokusekiji.sakura.ne.jp/wp/%e8%98%87%e6%b0%91%e7%a5%ad/
妙見山 黒石寺

より勝手にコピペ:ブログ主さん  ごめんなさい


蘇民信仰

『備後風土記』の中に蘇民信仰の逸文が残されている。

北海の武塔神(たけあきのかみ)が南海の神の娘をめとろうと旅に出、途中で日が暮れた。

そこに蘇民将来と巨旦将来という兄弟が住んでいた。

兄の蘇民(そみん)将来は大変貧しく、弟の巨旦(こたん)将来は裕福で家や倉を百余りも持っていた。


武塔神は弟に一夜の宿を借りようとしたが断られ、やむなく兄の家に泊めてもらった。


兄は粟の飯でもてなした。

後に武塔神は八人の王子と帰る途中、兄の蘇民将来の所に寄り
「かっての報いをしよう。おまえの子孫がその家にいるか」と問うと「妻と娘がいる」と答えた。


すると「茅の輪(ちのわ)」を腰に着けるよう命じた。
その夜、神は蘇民と妻、娘を除いてすべてを滅ぼしてしまった。


そして「私は須佐之男命なり。後の世に疫病あらば蘇民将来の子孫といい、腰に茅の輪をつける者は疫を逃れるであろう」と言った。

武塔神・須佐之男命・牛頭天王・薬師如来は同一神仏であるという。


ちょっと一端が覗けた気がします。しかし何故に「備後風土記」?
またパスオーバーにもちょっとだけ似てますね。


人間の歴史上、神話や伝説や説話には似た物がある、ということの1つでしょうか?
[2]空の青海のあをさんからのコメント(2021年04月23日 01時35分28秒 ) パスワード

早速レスを頂きましたのでコピペします:


私の好きなお話の一つでした。
日ユ同祖論にも述べられる点でもありますね。

神社の大祓の祝詞で罪汚れについての部分は、
まさに旧約聖書の『出エジプト記』のそのままの箇所がありますからね。


ただし、現在は神社本庁の指示で、「現在のご時世にはふさわしくない」っということで省略されています。


・津島神社(愛知県津島市)にも蘇民将来の護符が有りますよ。
どうも出雲(物部氏)系統の移住地に残って居るのかもです。
明らかにユダヤ系列の信仰を携えて来た人々の土地に残って居るようですね。・・・秦氏?・・・。



私は以前にもどこかのスレッドで述べた記憶が有ります。

埼玉県の飯能市の竹寺(埼玉県飯能市)
→ 六角柱のこけし型 の護符を今も持っています。昭和47年頃に手に入れたものです。


旧約聖書の『出エジプト記』の『過ぎ越しの物語』の日本バージョンですね。

http://kntryk.blog.fc2.com/blog-entry-617.html?sp   

貴船神社 夏越神事 『蘇民将来伝説とユダヤの過越祭』 - センチメンタル ジャーニー

●蘇民将来はユダヤ人、巨旦将来はエジプト人?

蘇民将来は『将来蘇る民』と読めますが、 聖書には『終末にメシヤが到来し、死者は墓から蘇る』とあります。

メシヤが蘇させるのはユダヤ人であって、エジプト人ではないでしょう。

蘇民将来はユダヤ人、巨旦将来はエジプト人のイメージと重なります。



●スサノオは日本版モーゼだった?

蘇民将来がもてなした武塔神のルーツについてはよくわかっていませんが、スサノオと習合されています。

またスサノオは牛頭天王とも集合されています。

牛頭天王像は牛を頭に載せた姿のものの他、角の生えた姿で作られているものもあります。



ミケランジェロが刻んだモーゼにもまた角があります。

ヘブライ語で光のことをkornと記しますが、 角もまたkornであり、ミケランジェロは「光」と「角」を間違えたのだろうといわれています。



スサノオはモーゼをモデルとして作られた日本の神様なのかも。





蘇民将来とは?(茅の輪の起源)-人文研究見聞録
https://cultural-experience.blogspot.com/2015/07/blog-post_30.html    


・津島神社(愛知県津島市)
 → 六角柱のこけし型。


・今宮神社(京都市)

・八坂神社(京都市) 「蘇民将来子孫也」と記した「厄除粽(ちまき)」「茅之輪守

・竹寺(埼玉県飯能市)→ 六角柱のこけし型。

・松下社(三重県伊勢市二見町)
 → 注連飾り形状をしており、木札に「蘇民将来子孫家門」などと記す。
  ⇒ 伊勢志摩地方でよく見られる形式。


以上コピペでした。


ということはワタシが瞬間に見た「蘇民子孫の家」というのは日光ではなく京都だったのかな?


20年以上前に見たテレビ番組で  倶利伽羅峠あたりの関守りに  平家の子孫という  士族゜゜XX  という表札が出てたのを思い出します。

そして役行者の弟子だったオトコ鬼オンナ鬼の子孫という家が存続している番組も見たことがあります。


日本って不思議な国です。
今もエンエンと神代の時代が続いている。
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