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 投稿番号:101652 投稿日:2019年01月24日 09時48分24秒  パスワード
 お名前:丸に三つ柏紋の服部さんの代理
長上郡の服部氏族C][:118:酔石亭主様ご降臨
キーワード:長上郡 服部氏
コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

http://www.hikoshima.com/bbs/heike_slink/101651_53.html
長上郡の服部氏族C]Z:117:長上郡歴史まとめ
の続きです。


     自称「歴史探偵」の目で、歴史の奥底に潜む謎を発掘し、解明する。
     最終目的は、服部氏族に関する謎の解明。



レス28より:

平家の没官領として平頼盛に与えられた駿河の「服織庄」とは、
通常我々の想像する今の「羽鳥」ではなく、
「服織庄七郷」のことであります。

その七郷とは――
@井宮郷
A三輪郷
B松角(まつずみ)郷
C大河内郷
D藁科郷……この中に羽鳥村あり。
E井川郷
F玉川郷
という結構広い領域であります。

不思議なことに、遠江長上郡の今の羽鳥と昔の羽鳥庄の関係も、
やはり同じようなパターンで、
羽鳥庄は七郷であり、羽鳥は村・郷であったようです。
七郷が具体的にはどこであったのかは、まだ正式な結論を得ていません。

さらに不思議なことには、
遠江の羽鳥庄、駿河の服織庄の所在地には、共通の地名の村がいくつか並んでいた
ということです――

@長田村
A三輪(美和)村
B服織(羽鳥)村

これは、古代において、特定の氏族群が遠江と駿河に同時、あるいは少しずれて居住し、開発を行ったということを示しているように思います。
具体的には特定できておりませんが、
敢えて推測してみると――

@海人族――和珥氏・安曇氏・海人氏・イナベ氏……
A出雲族――物部氏……
B秦氏族――秦氏・服部氏・麻績氏……
のような感じでありましょうか(間違っているかも知れません)。

これらは代表的な氏族ですが、
氏族的にはもっと様々な氏族が混じっていたと考えます。

ということで、またまた最初っから頑張りましょう。

酔石亭主様ご降臨により「姓氏家系大辞典. 第5巻」のご紹介を頂きました。
コマ番号126左頁より乞参考。

[1]空の青海のあをさんからのコメント(2019年01月24日 09時53分07秒 ) パスワード

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123956

酔石亭主様よりご紹介頂いた「姓氏家系大辞典. 第5巻」
コマ番号126左頁よりコピーなさると良いかもですね。

[2]丸三つ柏服部さんからのコメント(2019年01月24日 16時24分57秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 昨日は、胃カメラ検査で胃潰瘍のなりかけが二つ見つかり、食べ過ぎ・
飲み過ぎはよくないということがわかりました。特に寝る前の飲んだり食
ったりは、胃に負担をかけるということがよくわかりました。
 加えて、早朝高血圧も体質化していることがわかり、日頃のウォーキン
グや、早めの就眠、十分な睡眠等に十分心掛けるよう、さっそく心に誓い
ました。検査に当っては、麻酔ならぬ睡眠誘導剤を使用しますので、昨日
は一日ずっと眠い状態が続きました。

 新しいスレッド有難うございます。

 さて、高槻の神服神社の神主の中家さんにつきましては、1830年に
神主家の相続があり、そこはちょっと複雑なので簡単に申しますと、京都
の神社の神主家より中谷家へ養子に入ったということであります。その後、
中屋から中家に表示が変わったということであります。
 この養子縁組をもって、以前から続いた服部系の血は消えたということ
であります。これらは郷土史家の古藤幸雄氏の『服部村の研究』に書かれ
ておりますが、古藤氏の先祖は、神服神社の宮座の一員でもあり、服部郷
を構成する一つの村の庄屋でもありました。その家紋は、神服神社と同じ
「丸に三つ柏」であります。つまり、氏神様の神服神社と同じ家紋という
ことになります。

 なぜ神服神社の神文・社紋が「丸に三つ柏」なのか……スサノウの柏の
葉占いとは直接関係ないのかも知れませんが、とにかく出雲系の匂いがす
るのであります。徳島県美馬市にある「倭大国魂神社」(大国魂命、大巳貴
命)の社紋も「丸に三つ柏」であり、その他にも探せばいくつも出て来るは
ずであります。
 この「三つ柏」にどんなメッセージが秘められているのか……「蔦三つ
柏」紋も含めて、これを解いてみたい。きっと、古代が見えてくるはずで
す――

 
[3]空の青海のあをさんからのコメント(2019年01月25日 09時26分14秒 ) パスワード

三つ柏さん


胃潰瘍は塩分を多く摂取する食生活で胃癌に発展し
胃癌になると近くの臓器に飛ぶかも知れず(友人は肺に転移となり現在オプジーボで治療中)

わたくしの両方の祖父が胃潰瘍で亡くなっているので大腸癌検査の時に医者にわがまま言って胃の検査もして貰いました。

やっぱりピロリがいるということで2週間抗生物質を服用しました。副作用の下痢が大変でした。
     田舎に住んでた時に井戸があったので
     ピロリ、いるだろうな、と思っていました。

          1980年代の初めにオーストラリアの研究者がピロリの発表をして以来ずっと心配でした。

          日本人の飼ってるピロリは世界最強で胃癌になる系だそうで
          胃癌に育てたら大変ですからね!

今でも日本人の癌で多いのは胃癌ですからね。他には大腸癌と肺癌。
とにかく癌年代の40代以降は仕事のストレスも相俟って気を付けないと。
上記友人は大腸癌が心配でなんとか避けることが出来たら自覚の無いうちに胃癌になってて今は肺癌です。



そうなんですか
今の神職さんは江戸末期に養子に入られて以降のお血筋ということでしたか。
[4]三つ柏服部さんからのコメント(2019年01月25日 14時40分01秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 高槻市の郷土史家で、先祖が服部郷を構成する一村の庄屋であり、神服
神社にかかわる宮座の構成員であり、しかも家紋が「丸に三つ柏」であり、
服部連系服部氏の後裔の古藤幸雄氏が、A4で400頁程の大作『近世摂
津國嶋上郡 服部村の研究 現高槻市清水地区』という本を書いておりま
す。その中から、神服神社について書かれた部分を書き出します。ちょっ
と長くなりますが、今までの我々の知識とちょっと違った部分もあり、考
えさせられますが、参考になる部分もたくさんあると思いますので、敢え
て記載してみます――

 「氏神神服神社の起源と地名"服部"
  服部村の地名の由来、それは全国各地の服部がそうであるように、渡
 来人秦氏のこの地域への移住と養蚕、機業を伝播し、それを広めたこと
 に始まる。
  日本書紀応神紀によると、応神大王14年(西暦382年)、朝鮮半島
 から一族を率いて渡来した弓月君が機業を伝え、機業に従事する部民を
 管理する伴造として、秦造に任命されたことに服部の地名は由来する。」

 次回に続きます――

 
[5]空の青海のあをさんからのコメント(2019年01月25日 15時29分06秒 ) パスワード

瞬殺されないように小分けで書いてくださいね。
[6]三つ柏服部さんからのコメント(2019年01月25日 22時08分33秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 続きです――

 「秦氏の先祖伝承や渡来伝承には、天智、天武朝における日朝関係の悪化
 により、事実が歪曲されている可能性が高い。
  秦氏は、その祖を中国秦始皇帝に求めているが、これは事実とは異なり、
 後年の五胡十六国時代の前秦(351〜394)の王族と考えられる。始皇帝の秦
 は、紀元前三世紀初頭に滅亡しているが、後裔と称する弓月君が歴史に登
 場するのは、朝鮮半島に避難して約600年を経過しており無理がある。
  秦の遺民が移住した朝鮮半島の国は辰韓であり、辰韓は356年、新羅
 に国名が変わる。前秦は、五胡十六国(304〜439)を構成した匈奴、鮮卑、
 羯(けつ)、羌(きょう)、氏、など北方五民族の内のチベット系氏族である
 苻健氏が建国した前秦のことで、滅亡後にその王族は朝鮮半島に亡命し、
 辰韓に移住し、その後新羅から日本に渡来したのである。」

 「弓月君は、始皇帝の五世孫としているが、年代的にみれば前秦の始皇帝
 苻健氏の五世孫とするなら無理がない。304年に建国した初代苻健氏か
 ら数えて5代目の子孫が382年に渡来したとするなら納得できる。
  また、弓月君は、百済からの渡来とされるが、これは新羅を作為的に百
 済に置き換えたのである。百済でない証拠として、秦氏の菩提寺広隆寺の
 本尊の弥勒菩薩は新羅系の仏像であり、百済系ではないことが秦氏の出自
 を物語る。」

 「日本書紀が朝鮮半島からの渡来系氏族を百済系とする理由は、当時新羅
 は強大になり、我が国に脅威を与える敵対勢力になっていたので、新羅系
 氏族とすることをはばかったのである。天智、天武朝は、新羅との外交で
 最も緊張の走った時代であり、天智が都を辺鄙な山越えの近江に遷都した
 のも、逢坂山を新羅による侵攻の際の防御線にしたからであった。
  以上のように、弓月君は前秦の王族の後裔であり、新羅を経て渡来した
 のである。4世紀半ばに建国された百済、新羅は共に養蚕が盛んであった。
 従って、どちらの国からも養蚕、機業の技術がもたらされたのであろう。」

 続く――
 
[7]三つ柏服部さんからのコメント(2019年01月26日 20時31分44秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 続き――

 「機織りの部の管理者として"伴造"に任命された弓月君は、"機"に"秦"
 の字をあて、"秦造"と呼ばれたのである。
  機織りの部、"秦部"は各地に多数設置されたが、朝廷はその管理を秦
 造に任せて、各地の秦部の管理者として"秦人"を置き、秦部はやがて
 "服部"と呼ばれ、管理者秦人は全国の"織部"の総領として"服部連"の姓
 を賜ったと伝わる。
  雄略15年紀によると、弓月君の酒君は、機業に貢献したことによっ
 て、兎豆麻佐(うずまさ)という姓を賜り、"太秦"という字が当てられ、
 山城における秦造の本拠地の地名になった。
  服部村の氏神、神服神社は、この渡来人とその先祖神を祀っている。
  新撰姓氏録摂津国神別帳や神服社記は、次のように伝えている。
  熯速日命の12世孫の麻羅宿祢の後裔が、19代允恭大王より"連"姓
を賜り、"服部連"と称して諸国織部の総領"織部司"に任命され、この地
に居住した。死後、秦氏の祖神である"熯速日命"と合わせて祭祀された。
  同じ延喜式内社、芥川村の阿久刀神社は、16代仁徳天皇時、百済よ
 りの渡来人の末裔で、奴理能美の子孫である阿久太を祭祀している。阿
 久太も23代顕宗大王の時代に、絹織物の生産に貢献、"調"連の姓を賜
 ったと伝わる。」

続く――
[8]三つ柏服部さんからのコメント(2019年01月27日 21時33分47秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 続きです――

 「歴史学的にみると、応神か仁徳にはじまる"倭の5王"の時代、我が国と
 大陸との交流は実に盛んで、だいたい7年おきくらいに遣使が行われてい
 る。
  "倭の5王"を中国側の史料は、讃、珍、済、興、武と表紀しているが、
 彼らは4世紀末から5世紀末までに史上に登場した仁徳、履中、反正、允
 恭、安康、雄略らの大王をさしていると考えられ、この5世紀頃を中心と
 して、中国、朝鮮などの先進地域から外国の知識層、専門家集団の盛んな
 渡来があった。応神王朝下の大和政権は、かれらを朝廷の手工業組織に組
 み入れて、外来技術を保護育成することによって国作りを進めたと思われ
 る。
  この地域を拠点にして活躍した服部氏は、大和政権の要請に応えて、農
 耕や用水路の開発を指導し、技術革新の担い手となったのだろう。
  この地域の地名が、"服部"と称してくるのは、この渡来人"麻羅宿祢"の
 後裔の秦人、"服部連"以降のことである。島上郡の服部だけでなく、豊島
 郡、伊賀郡、全国に広がる服部は、いずれも同様の伝承を持ち、機業に従
 事する"伴造"、服部氏の"品部"の居住する所として発生した地名である。
諸国織部司の服部連は、死後自らが養蚕、機業によって再開発した服部
 地域を一望できる北部の丘陵部に埋葬された。そしてその周辺は、以降、
 "塚脇"と呼称されるようになった。
     
     〜中略〜

  氏神神服神社は、服部郷の中央部宮之川町に祭祀されているが、連塚の
 場所には、連塚を中心に据えた上宮神社というものがあり、明治5年に郷
 社となった神服神社に合祀され消滅した。神服神社の祭神は牛頭天王、熯
 速日命、麻羅宿祢である。
  牛頭天王は渡来神であり、弓月君が朝鮮より渡来の際に携えてきた神で
 ある。牛頭天王は釈迦の祇園精舎を守護する神であり、熯速日命は牛頭天
 王の足から生まれた神とされる。本来仏に仕える神であり、我が国の地神
 ではない。神仏習合思想の中で、牛頭天王は須佐之男尊と読み換えられ、
 祭神を須佐之男尊、熯速日命、麻羅宿祢の3柱としているが、元禄4年、
 及び天保14年の村明細帳では、「牛頭天王社」と記載しており、それが
 本来主祭神であったのである。天保14年の明細帳はその後も活用された
 ために、明治維新の際、牛頭天王社の上に張り紙をして須佐之男尊に改め
 ている。明治維新のエネルギーとなった尊王攘夷、国粋神道が歴史を塗り
 替えたことがわかる。」

 以上で古藤幸雄氏の『近世摂津國嶋上郡 服部村の研究』からの神服神社
等についての記述の紹介を終了いたします。
 参考になる点もあったでしょうし、ちょっとどうかという点もあったかと
も思います。いずれにしても、允恭天皇の時代のことでありますので、事実
はおぼろげであっても不思議ではありません。

 摂津の服部連の足跡――伊賀にも、遠江にも、また麻績にもあるというこ
とで、それは秦氏と連携しているということは確実なように思われます。
 伊賀の服部氏のルーツとしての服部連の足跡はどうであったのか、少し調
べてみようと思います――
[9]三つ柏服部さんからのコメント(2019年01月29日 13時00分50秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 『伊賀市史 第一巻 通史編 古代中世』(伊賀市発行)に目を通しましたが、
「服部連」の名が出て来るのは一行のみでした――

 「伊賀市は、〜中略〜六世紀から七世紀にかけては、百済を主とする渡来人
 が、先進の灌漑技術を用いて開墾していったと考えられ、服部連、竹原連、
 長田村主、夏身忌寸(いみき)、佐奈宜氏などが知られる(福永 『秘蔵の
 国』)」

 服部郷での服部や絹織物の話は一行もないわりには、『延喜式』に掲載され
ている伊賀国の貢納物については書かれて、その中に、絹二百疋等があり、や
はり絹は生産されていたことは確認できました―― 
[10]空の青海のあをさんからのコメント(2019年01月29日 16時32分18秒 ) パスワード

三つ柏さん

お疲れ様でございました。


>「服部連」の名が出て来るのは一行のみでした――

笑っちゃいました。


>服部郷での服部や絹織物の話は一行もないわりには、
>『延喜式』に掲載されている伊賀国の貢納物については書かれて、
>その中に、絹二百疋等があり、
>やはり絹は生産されていたことは確認できました―― 

『延喜式』 =  平安時代
延喜5 (905) 年、左大臣藤原忠平らが醍醐天皇の命令により編集。
延長5 (927) 年完成。

伊賀は山の中ですから桑の木には合ってるでしょうから養蚕や織物へと産業が変化して行ったということでしょうか?




本日「ファミリー ヒストリー」で伊東四朗の回を見ました。
そうか  電線音頭  の人だったのか。


伊東四朗のイトウは  伊東であり伊藤であり   伊東祐親は元は伊豆の藤原氏=伊藤から、伊東祐親ということだったのですねぇ。
平家方武門担当の伊勢の伊藤氏は伊豆の伊東氏より新しいのは分かってたし、
伊勢の伊藤家の家書を見た時に伊東という字もあって
どっちにしろイトウさんは伊東でも伊藤でもドッチでもいいのかもね。

     元は同じ先祖だし
     平家がらみだし
     それでも伊勢の伊藤氏は伊藤を使うと思うけど。

    

伊東四朗は藤の字はゴチャゴチャしてるから東にしたなんて言ってましたね。
で、本家さんは伊東に変えたというか戻したというか分家からの区別化差別化をしたようですね。


でも伊東四朗のパパは藤田家から伊藤家に養子に入った金三郎さんでしたね。三味線好きの。今で言うとギターの感じ?


伊東四朗さんの母上は美しい女性でしたね。
熊井一族の女性みなさんが美しくてビックリしました。
熊井家のご先祖は清和源氏の 熊井太郎源忠基で  義経の家来だったとか。



わたしは伊東四朗という人は「おしん」のパパの前は全く知らなかったです。
だから電線音頭も(しらけ鳥も)小松政夫だと思ってた。

       今日やっと混乱の謎が解けました。
       「電線音頭」の雀=しらけ鳥と思ってたのです。
       結局は電線音頭もしらけ鳥も伊東四朗も小松政夫も分かって無かったということでした。
       最後の方に小松政夫が出て来て   あれぇ?  だったから。赤面
       てんぷくトリオで知ってたのは三波伸介だけで戸塚睦夫も知らなかった。
       てんぷくトリオという3人組のコメディアンも知らなかった。見たこともなかったような。




そうか・・・伊東祐親と伊東四朗は関係が無かったのか。(父上は藤田氏だから)

藤田金三郎さんはわがままでも芸事の方に興味が行ったから伊東四朗に繋がったのね。
もし伊藤家に養子に行かなかったら金三郎さんの人生は別だったかもね。伊東四朗も生まれなかったし。


ま、日本人だから伊東四朗のパパの家である藤田家と伊東祐親の伊東家が何らかの関係が無かったとは断定できないし。


とにかく熊井一族の女性たちの美しいことには驚いた。みなさん美形でしたよね。
[11]酔石亭主さんからのコメント(2019年01月29日 19時11分21秒 ) パスワード

三つ柏服部さん 空の青海のあをさん

伊賀の服部に関しては、既にご存知の史料或いは既にご存知の内容かも
しれませんが、以下のコマ番号19以降に詳しく記載されています。ご参考まで。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1230028/31?tocOpened=1

[12]三つ柏服部さんからのコメント(2019年01月29日 22時04分18秒 ) パスワード

酔石亭主様

 伊賀には図書館も含めて何回か調査に行っているのですが、図書館では
自由閲覧と言う形でなく、「何々についての資料はありませんか」形式で
りましたので、服部連については落としてしまいました。

 ありがとうございます。天にも昇る気持ちであります――
[13]三つ柏服部さんからのコメント(2019年01月29日 22時22分11秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 「ファミリーヒストリー」、今回は忘れずに見ました。清盛との関係、義経
との関係、驚きました。それにしても、NHKさんは歴史探偵のようによく調
べますね。きっと「先祖調査」は立派なビジネスになりますね……。
[14]空の青海のあをさんからのコメント(2019年01月30日 02時59分54秒 ) パスワード

酔石亭主さん

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1230028/31?tocOpened=1
早速拝見して来ました。


面白かったです。
特に家紋の件は全く知らなかったので

呉服部は蕃別にして  猪の爪 = 機のヲサ  でしたっけ?
服部連は臣別にして  矢羽
この後、グチャグチャになっていく・・・


その後、平家系服部氏が矢筈車を用いている中にはヤッパリ猪の爪=機のヲサ=を用いるのもいて、とにかくグチャグチャに。


でも  ○に三つ柏紋  の件は出て来なかったですね。
ということは伊賀でも秦でも機織り人でも平氏でもない?

遠江国の服部で調べるのが正当かもですね。
そこから遡ることで
遡る先は伊賀ではない、おそらく畿内でしょうね  高槻周辺
か?


     伊勢の秦氏の服部さんは笹だと言ってました。
     このお家も間もなく誰もお祀りしなくなるのだろうな。



酔石亭主さん、再度、ありがとうございました。
[15]三つ柏服部さんからのコメント(2019年01月30日 13時55分46秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 『伊水温故』についても、国会図書館デジタルコレクションがありました。
  http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1208491

この中の
 コマ55には、小宮神社について
 コマ56には、服部時定について
 コマ59には、服部家長について
 コマ80には、平宗清について
 コマ160には、池禅尼について
等が書かれております。一度見てみて下さい――
[16]空の青海のあをさんからのコメント(2019年01月30日 16時11分53秒 ) パスワード

三つ柏さん

コマ番号をありがとうございました。
助かりました。


時定は源姓になってましたね。結局伊賀の服部家を頼朝から貰ったのか乗っ取ったのかな?
でも源姓ということで納得がいきました。


家長が車に矢を拝領した元天皇は六条院
(生後8か月で79代目の天皇になって2歳で退位、亡くなったのは12歳だったかな?)だと思うのですが。

伊水温故ではこれは二条天皇になってますね
二条天皇は六条天皇のお父上で22歳で亡くなっている。
二条天皇は父上の後白河上皇と不仲だった。

    鳥羽天皇 → 後白河 → (長男)二条 → (孫)六条  → (後白河の7男)高倉天皇(平徳子の夫) 

    保元の乱・平治の乱・鹿ケ谷の陰謀・動乱への時代ですね。


家長が弓矢に才能が有って
   *****
実は大学生の時に大変なことがあったのですよ
某大学の弓道の達人から
父を呼んだから会って欲しいということで
逃げました。


         それから随分経って*****の部分の経緯を知りました。
         家長の事を知り
         我が家の家紋を知り
         いろいろあって
         この板で
         なるほど彼がわたくしに♡という意味を知りました。

         この人にとってワタクシは先祖が彼に会わせた運命の女性ということだったのかと知りました。

             ワタシは運動音痴で無芸大食なだけなのにね

             ずっと女子校育ちだったから大学に入ってオトコ解禁になって
             いろいろ出会いがあっても
             当時はオトコがご飯を食べるなんて信じられない頃だったからワタシには縁が無かったけど
             夫と結婚して夫から自分はムカシ蟹だった厳島神社に行きたい赤間神宮に行きたいと聞かされて以来パワーを感じるようになって
             いろいろ惜しいオトコを逃してたのだなぁ   と  今は思ふ。

             やっぱり基本は平家と南朝方がらみからのパワーとしか言えない。


                 そうそう若君さまが「矢が的に中った時の音にこの上無き快感を覚ゆ」と仰せで今思い出してドキッとしました。
                 ヤッパリ平家の血としか思えない。


みごとに扇の的を射たのを祝福したのに、那須の与一が義経の 御じょうで家長の弟の家員を射殺したのは
やっぱり源氏って義経って好きになれない。

平家物語で家員は50代の老人と註が書かれてたような?


いろいろ最近思うことがあってツラツラ書きたいけど瞬殺が怖いのでアップ。
[17]空の青海のあをさんからのコメント(2019年01月31日 03時22分02秒 ) パスワード

いろいろ考え過ぎて今朝はジムに1時間も遅刻。
グッスリ眠ってしまった。


家制度を倒壊させて久しく
日本人も今や絶滅の危機の入り口
皇室なんぞ宮内庁がサラリーマン化してて守る気が無かったのが発覚したし
     林真理子がバラしてたのにね
     だから彼女は勲章もらったのかとゲスの勘繰りしたわよ


自分の先祖のことが分かってたら  手近なところで引っ掛け合って結婚して離婚して再婚して家庭を複雑にする  なんて生き方が避けられたのかも。

政府に本当に国と国民を守る気があったら女が子をたくさん産む環境を作るだろうに
簡単にヨソから奴隷替わりを連れて来ればいいじゃないかなんて策は出さないはず
ヨソから簡単に違う民族を連れて来たら逆に食い物にされるだけというのは欧米を見てれば分かってるはずなのに。

ま、これが日本人の行く末の入り口の状態なのかもね。


   青い目のオトコが「家紋は三つ葉葵がカッコいいから」と自分の家の家紋にするのを
   反対しない日本の女もいるしね
          アイデンティティが崩壊してるよ〜


ムカシ働いてた時に同業他社の女の子が人懐っこくて?
   すごい家のお嬢さんというのは声を掛けられた瞬間にスグに分かった
伊東四朗のファミリーヒストリーを見てて  ヲイヲイ  と思い出した。
   掛川のアノお嬢様、我が家とは平将門事件以来の家同士だったのかと。

   ワタシは知らなくて、ただの良家のお嬢様なんだろうなと思った今は後悔。
   知ってたら良いお友達になれたんだろうなと反省。
   ムカシの刎頸の友は今じゃ馬の骨にしか見えないなんてね。

   もう1人、同業他社で  津の女の子がいて、津とか鈴鹿とか、ワタシには関係無いと思ってた。
   彼女の御主人とは結構気安く喋ったけど、きっと彼女からワタシの先祖のことを聞いてたんだろうなと今は反省。

   同僚だった鈴鹿出身のアルゼンチン人の田中忠(忠がこの家の通字)さんは何か私に敬意を持ってて
      ユー、あをちゃんが便所に行くと2kg体重が減るだろ?
      とはよく言ってたけど

      田中さんと私ともう1人女の子と、ソコにいない女の子のハナシをする時は
      「あの女はブスで、ちょうどユー、もう1人の女の子みたいなブスで」
      と指までさして形容詞つけて喋ってた。
      
      だから私は
      「田中さん、アンタね、ワタシのことをブスって言ったら次の朝、アンタの首は1マイル離れたところに落ちてるからね」
      と言ってた。


きっと日本人ってご先祖さまが見守ってるんだろうな。
ご先祖さま同士は肩を抱き合ったりガンの飛ばし合いとかやってるのかな?

もうご先祖さまの見守りも色薄れていくんだろうな。


そして伊水温故みたいな記録は読む人も読める人もいない時代になって
絶滅した日本民族の記録としてガラスケースに保存されるだけなんだろうな


なんて考えてしまった。涙
[18]三つ柏服部さんからのコメント(2019年01月31日 15時24分08秒 ) パスワード

酔石亭主様
空の青海のあを様

 酔石亭主様のご指導のおかげで、国会図書館デジタルコレクションのすべ
ての資料を見ることができるようになりました。本当にありがとうございま
す。
 我ながら気付くのが遅かった…というよりキチンと調べ方をマスターして
いれば、関連の資料を探すことの苦労も時間のロスも省けたのにと、今更な
がら、自分のいい加減な性格を悔やんでおります。

 その国会デジタルコレクションの中で、当地に関するものを調べておりま
したら――
 太田亮博士の『日本国誌資料叢書 遠江』 
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1176478
がありました。
 もちろんこれは酔石亭主様のご紹介も過去にありましたし、また浜松の図
書館かどこかで一度見ておりました。が、今回、一頁一頁速読して行ったと
ころ――
 コマ125に 「長上郡 服部氏:古代の服部の裔也」
と記載されておりました。

 酔石亭主様の「浜松の秦氏」の中でも、浜松の服部氏については色々検討
されておられますが、服部連が浜松に来たという可能性は大きいように推察
されておられます。もし、そこで同行した子孫が残留したり、あるいはこの
地で子孫が出来た場合には、当然その地に根を張るはずであります。ただ、
系図等が残されているわけではないのでしかとはわかりません…それは伊賀
においても同様であります。

 つまり――
 @服部連の血を直接に引く裔なのか
 A広く服部連の同族なのか
 B服部連の管理下の部民で服部を名乗った者なのか
 C服部(服織)に居住したことによって名乗った服部氏なのか
……その真実は、歴史のはるか彼方ゆえ、見通すことができません。
 
 服部氏と秦氏との関係も、別氏族なのか同族なのか、しかとはわかりませ
んし、秦氏自体も物部氏同様、必ずしも血のつながりでまとまった一括りの
氏族という訳ではないはずです(もちろん服部氏もそういうことになります
が)。

 当家の本家の37代というのは、現住所地に来てよりの37代目と考えれ
ば、その頃は源平の戦乱の時代ですから、たぶん羽鳥の地より逃れた・移住
したと考えられます。
 現に羽鳥庄は1181年、平清盛(? 1181年没)、あるいはその後継によって、
新熊野神社に寄贈されており、その時に宗教的な激変がもたらされ、信仰的
に耐えられない者達は移住したと、歴史学者の内田旭氏は『内田旭著作集三』
の「ハタとハトリ」及び「畑谷並びに覇田考」の中で推察されております。
 
 一つのロマンとして、当方の服部家の家紋「丸に三つ柏」が、古代摂津の
服部連を祀る「神服神社」の神紋「丸に三つ柏」よりの由縁であるとしたら、1500年の時をつなぐ一筋の細い流れを見るような想いにかられます。

 真実はどうであるのか、「丸に三つ柏」だけが知っています――
[19]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月01日 07時57分58秒 ) パスワード

三つ柏さん

見て来ました。

太田亮先生の参考した書が分かると良いですね。
あれだけで終わってて残念です。


とにかく地元の歴史関係をまた読み返さないと、ですね。
でも摂津神服神社との関係がまたまた濃くなって来ましたね。


昨日放送の国会質疑で大井川に落ち延びた子孫のS氏を見ました。
    大阪に住む前は長野にいたという近所のS医師にそっくりでした。S先生が歳を取って20kg太ったらあんな感じかなと。
議員のS氏は菊川生まれの掛川西高出身だそうで   なんか最近  掛川に呪われてる感じ。
[20]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月01日 08時04分19秒 ) パスワード

三つ柏さん


コマ199をご覧になりましたか?
ここに太田先生の  日本国誌資料叢書   摂津  があります。

これも参考になさってください。
神服神社から遠江への関連が書かれていると良いですね。
[21]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月01日 08時32分55秒 ) パスワード

コマ140の第13節  所貫未詳姓氏  の  唐人の部分が面白かったです。


天武紀3年に(675年で良いのかな?)
筑紫より唐人が30人送られて来て遠江に定住させた
という部分。


       唐は高宗(無能の皇帝)に代わって則天武后が頑張ってる頃だな

なんて心が飛んでしまいます。


       この30人、ユーは何しに遠江へ?  ですね。笑
[22]酔石亭主さんからのコメント(2019年02月01日 20時02分05秒 ) パスワード

三つ柏服部さん 空の青海のあをさん

私の場合、秦氏や服部氏の検討が自分に繋がってくる要素はないので、一定の
論理性と合理性を担保しておけば後は好き勝手に想像も交え書くことができ
ます。三つ柏さんの場合、最終的にはご自分に繋がってくる話であり、この点
が私とは根本的に違う部分と言えるでしょう。従って、三つ柏さんの場合は
より現実的な視点から服部連を検討する必要があり、私とは見方が異なって
くるはずです。味気なくなりそうですが、そうした面から少し書いてみます。

服部連は物部氏や大伴氏などの連ではなく、伴造として各部司(服部)を
分掌した一族で連の姓を称したと考えられます。彼らの下には実務を行う
百八十部があり、例えば服部首のように在地の実務官僚として各地の服部を
管理したのでしょう。

彼らを現代に当て嵌めると一時代前の農協のようなもので、地域農協があり
それを管理する各県の経済連がありその上に全体を統括する全農があると
言った形です。全農の組織が服部連に相当するのか、理事長が服部連に当たる
のかわかりませんが、秦氏が浜松に行く際に同行したのは、服部連の組織内部
にいる例えば服部首相当の人物(組織部長)で、目的は東国に傘下の組織を
作らせることだったと推定され、技術指導のための機織職人も同行させたと
考えられます。

大化の改新前後の古代豪族はその力がかなり弱まっていたはずで、秦氏と
服部連の関係も財力的には服部連が上だったかもしれません。秦氏が入鹿の乱を
避けて東国に向かう際服部連が、秦さんよ、お金を出すからうちの組織部長や
技術者を同行させてくれと要請し、組織部長が服部連の名において、技術者が
伎倍人として浜松に向かったなどと言うストーリーが描き出されると思います。
さてそこで、組織部長は服部連なのでしょうか?

例えば組織部長は組織作りや管理業務、上納金の取り立てにたけた人物で、
特に機織とは関係ない人物の可能性もあり、また何年か毎に交代した可能性
もあります。伊藤忠はかつて糸へん商社と称されましたが、時代が下れば
何でも扱う訳で、同社の管理部長が繊維製品とは全く関係ない人物であっても
不思議ではありません。けれども彼は、伊藤忠の誰々さんと呼ばれるはずで、
服部連の誰々さんと同じことになります。

以上のように、服部連のありようを現代の農協などから類推すると、
三つ柏さんの先祖が@からCのどれに当たるか特定するのは、どれも
有り得るし、困難と言わざるを得ないと思われ、空の青梅さんが指摘された
ように、グチャグチャになっていく訳です。

一般的に、家紋の始まりは多分平安時代の末期頃だろうと思われます。
三つ柏さんの本家が源平合戦の時代だったとすると、まさにこの頃に当たり
そうです。ただ、家紋については知識がないのですが、丸に三つ柏紋は三つ柏紋
からの派生かもしれず、その場合、室町時代の終わりから戦国時代辺りまで下る
可能性はありませんか?これらの時代のいずれかで、古代からの繋がりを知る
服部本家が、神服神社の神紋を自分たちの家紋にしたのかもしれません。

何の結論もなく、また夢もロマンもない話になって申し訳ありません……。
[23]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月02日 07時06分23秒 ) パスワード

三つ柏さん

既出ですが
「家紋家系事典」昭文社
の36ページに柏紋が出てて

伊勢神宮や熱田神宮などの神官専用紋およびその信仰者が使用と書かれていて
武士で最初に用いたのは桓武平氏系の葛西氏が文治5年(1189年)に家紋化
と書かれています。

また使用家として
平氏系に服部も書かれていました。


      江戸時代に蔓のついた柏紋がなんとかいう医家の服部氏に使われていましたが

清盛の異母弟の忠度の子孫の久間氏=徳川家に仕えた幕臣=が三つ柏紋を使用。
この人は先祖が熊野関係だから??  久間  を名乗った???笑


で、ここからビックリですが  「清盛」で忠度を演じたのは  ムロツヨシ。
で、
平維将=平貞盛の次男で坂東に残った人=の子孫の室氏が  蔓柏紋  を使用なんですって。
ただし坂東平氏は殆ど頼朝方になって「兄弟は他人の始まり」をやってます。

           やっぱり付き合う仲間が悪いとこうなるか????
           笑


     ムロツヨシって家庭が複雑で本名を明かさないってハナシですが
     平忠度  ムロツヨシ  室氏  蔓柏紋 

           あれ?と思いました。   

     でも   室ツヨシなのか室津ヨシなのか全く分かりませんし
     氷室とか文室かも知れないし    でも、面白いな、と思ったので足跡。



平「薩摩守」忠度からは「ただ乗り」を連想するけど
演じたのがムロツヨシで
今となっては  良いキャスティングだったのかな  と思います。

忠度には  すっごく良い人物  というイメージがあるのですが。
           さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな
[24]丸三つ柏服部さんからのコメント(2019年02月02日 12時55分25秒 ) パスワード

酔石亭主様
空の青海のあを様

 いろいろご教示ありがとうございます。家紋については、数学のような訳
にはいかないことは、この五年間色々調査してみて身に染みてわかっていま
す。せんだって、隣村の代々庄屋であった長谷川氏(ルーツは秦氏)、祖先は
元亀の頃にこの地にやってきたということで、私は"鬼平"とつながる長谷川
氏の本流の関係者と推察しているのですが、さて家紋はといえば、当然「丸
に左藤三つ巴」と思われたのですが、ある寺の住職の説明でお墓を見に行っ
たところ、「丸に九曜」でありました。予想が全く外れた訳でありますが、
だからといって祖先についての推論は間違いであるとは言えないと考えてお
ります。一家に複数の家紋もあるはずであり、また、個人の事情、時代環境
によって変えた、替えざるを得なかったということがあると思います。
 この地は源平、南北町、斯波、徳川、豊臣、徳川等による戦乱の只中にあ
りましたし、水害、地震、太平洋戦争、その他もろもろの影響を受けてきて
います。
 ま、あせらずに取り組んでみたいと考えます――
[25]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月03日 06時55分18秒 ) パスワード

「ムロ」さんについてメールを頂きました:
吉備国自体が古代日本の大国だったので、 
以下のお話、
読む人が読めばすごいハナシに飛びますよね、
明治天皇替玉説とか橋本竜太郎とかに。
              ヲイヲイ

              http://gos.but.jp/muro.htm

     
メールコピペ:

「室氏」とは、
吉備国英賀郡の一族でしょうか?(梶原景時流)
室ツヨシもこの一族の可能性有りですね。


                        おお、なるほどね
                        ムロツヨシって「偏差値の高い大学に入りたい」ということで東京理科大の数学科に浪人して入ったとかだから
                        室鳩巣の末裔関係者かもね。


現真庭市中津井は有力一族の山田一族の根拠地でも有りました(清和源氏流)。
伊勢亀山藩の飛び地でも有りますよ。



徳川8代将軍吉宗の侍講を勤めた「室鳩巣」もこの末裔ですが、
鳩巣の父・玄樸は元和2年に現在の真庭市中津井に生まれ。
備中 → 摂津 →  江戸の谷中で医者に成って居り、
室鳩巣も谷中生まれですね。

http://gos.but.jp/muro.htm   



吉備国はとてつもなく古代からの重要拠点の地域です。
大和朝廷と直接の関係の土地で。

大谷(おおや)古墳という特殊な古墳で貴族でないと持たない双龍環頭大刀!
しかも全体が出土!! それに全体が金装飾!!!
儀仗(ぎじょう)と呼ばれる儀式用の武具の先端飾り。
金銅製で精巧な造り。環頭大刀などとともに権威の象徴
の意味があったと考えられている。

大和朝廷から派遣された吉備大宰(だいさい)・石川王(いしかわのおおきみ)
の墓だといわれています。

http://blog.livedoor.jp/geibi/archives/42226414.html    ワタシのPCでは出なかった 

吉備大宰石川王
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E7%8E%8B_ (%E5%90%89%E5%82%99%E5%A4%A7%E5%AE%B0)


敏達天皇皇子の難波皇子の子とする系図がある。天武天皇の治下で吉備大宰を務めた。

石川王は吉備大宰(吉備総領)として少なくとも吉備国(後の備前国・備中国・備後国・美作国)と播磨国を治めたと推測できる。

                       こういう国境線ってヨソモノには理解を超える。  残念っ!
                       自分の先祖が伊勢国出身ってのさえ日頃スッポリ抜けてるし。
                       国境線が戦争でしょっちゅう変わったしね(ワタシのアタマの悪さじゃないよ  と言いたい)


吉備太宰石川王は天武天皇8年(679年)3月9日に吉備で死んだ。天皇はとても悲しみ、石川王に諸王二位を贈った。



河井継之助が学んだ藩政改革の師である「山田方谷」

ここの山城は備中松山藩の財政を立て直した「山田方谷」の先祖が源平の後に築城したものです。
備中の三大山城の一つです(取ったり取られたりの合戦場所の名城)。

山田氏は清和源氏で、尾張国山田荘にいた山田重遠の3男に大和守重弘という人があり、
この嫡男駿河守重英が、寿永3(1184)年に源範頼に従って中国地方へ転戦、その戦功によって備中国英賀郡(阿賀郡)28ヶ村を与えられて、文治3(1187)年に佐井田(
)城主となっています。

http://gos.but.jp/houkoku.htm  

             英賀郡ってワタシ的には南朝方の、って限定になってしまう。笑

             美作後南朝とかね。泣けてくるな。もう血の繋がりで書いてるな。


だから  ムロツヨシに引っ張られるのかな?
ムロツヨシを初めて知ったのは「清盛」での弟の忠度役。
     ムロツヨシが出てくるだけで清盛一族の場がなごむ

         でも、わたしにとっての忠度さまは教養深い正義の人なんだけど
         なんでこんな喜劇の人が忠度さま役なんだ(イカル)って。


でも「おんな城主  直虎」では瀬戸方久役で
全然イメージが違ってしまって
すっごい地頭の良い人物役で
ここで「ムロツヨシって何者?」スゴイ役者!と思うようになって

    え?「清盛」の時の忠度役だった人?ウッソォ〜  でした。


           実は同級生で東京理科大の数学科だかに行ったのがいて
           この人がものすごくアタマの良い人で
           今でも時々思い出して(あの人のアタマの良さって?)と  ネタミを通り越す。

           うちの父親が東京理科大に行きたかったんだけど、というのもあったしね。


で、実は昨日  三つ柏さんのレスの後に  「山城」について書きたかったのです。
織田信長ってスゴイわ!
あの森本某ってスゴイわ!
というのを書いてはリセットし書いてはリセットしをやってました。

     織田信長って天才以上。文字選ぶとすると鬼才の人だな
     うちが負けてもしょうがなかったな
     ワタシはあそこでも真っ先に討ち死に組だったな
     なんて思ってました。


まさかメールで「山城」が出て来るとは思わなかった。
でも尾張山田氏が清和源氏ってのは知らなかった。

     クラスメートにいた。
     ものすごいお嬢様。
     7年ぐらい同じ学校に行ってたけど2回ぐらいしかお話したことがない。
         彼女は学習院に行ってて戻って来た。
         なんで学習院?と不思議だった。
         やっぱりそういう家庭だったんだな。なるほどね。
[26]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月04日 09時59分49秒 ) パスワード

で、ワタシも森本某に負けじと、信長と山城戦いについてちょっと考えてみた。


ま、山城攻めのアイデアの出どころは竹中半兵衛だろうな、と。
根拠は竹中半兵衛が稲葉山城を落としているところ。


その後
浅井を滅ぼしたり


が、わたしの限界。
自分の脳味噌では  山城の意味  というのはフツーに天然要害の地の利を有効に使った戦い  あたり。


「まさかこんな所から襲撃するとは」と誰も思わない急峻な崖を完全武装で登って落城させる
というのを竹中半兵衛がやってるから。


            その前は義経かな?

わたしの能力:
レベル1
初心者クラス


やっぱり山城を使うとか襲うという発想を持てる人は山育ちなのかな?
海抜0m育ちのワタシにはドラマを見てても  分かって無い  な、と。

    いわゆる土地勘が無いっての、か?
[27]丸三つ柏服部さんからのコメント(2019年02月04日 15時07分26秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 秦氏の家紋はどうだったのかと"はた"と思い、調べてみましたが、わから
りませんでした。昔の知人に秦さんがいますが、家紋はあるはずであります。
引き続き、調査を続行いたします。

 ところで、秦氏の「秦」の漢字を分解すると、「三」「人」「ノ」「木」
となり、つまり「三柱」となります。三柱とは何かと考えますと、「造化
三神」のことであろうか。原始キリスト教の秦氏ということで、「絶対三神」
だと主張する本もあります。

 「三柱」といいますと、三柱鳥居を思い浮かべますし、伊勢神宮の心柱も
そうであろうし、出雲大社の三柱もあるいは同じ部類に入るのかも知れませ
ん。三という数字は、始原の神々に関する数字であることは間違いないとこ
ろだと思います。

 それは何故だろうと思って色々資料を調べてみますと、いろいろおもしろ
い事実がわかってきました。

 次回にそれを記します――

 
[28]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月04日 17時01分22秒 ) パスワード

三つ柏さん

楽しみに待っていますね。



わたくしの知り合いの伊勢の秦氏系服部さんは   笹  でした。
何枚の笹だったかは記憶に無し。

それで
「なんで笹?源氏で笹なら分かるけど」
と応えた記憶です。



>秦氏の「秦」の漢字を分解すると、「三」「人」「ノ」「木」

秦が  さんにんのき には  石野真子の「♪三人の日と書きます」=春うらら=を思い出しました。




三位一体は;

三位一体説
アタナシウス派によって理論化された、神と子イエスと聖霊の三者はそれぞれ別な位格をもつが実体としては一体である、という神学説。
325年のニケーア公会議に始まる数回の公会議を通じて、キリスト教の正統教義とされた。


秦の字は  恐らく  秦朝の国名から来ているのだろうから
       紀元前221年から206年まで
あやかって日本で  秦氏  と名乗っただけなのか?



>秦氏の「秦」の漢字を分解すると、「三」「人」「ノ」「木」

これも日本での後付けかも

というのは 「ノ」 は中国語ではなく  日本語のカタカナであって  カタカナの歴史を考えると  ムリがあるのでは?と。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E4%BB%AE%E5%90%8D
カタカナ:

吉備真備(695 - 775年)が片仮名を作ったという説があるが、これは俗説に過ぎない[1]。

漢字の一部を使い、
その文字の代わりとして用いることは7世紀中頃から見られるが[2]、
片仮名の起源は9世紀初めの奈良の古宗派の学僧たちの間で漢文を和読するために、
訓点として借字(万葉仮名)の一部の字画を省略し付記したものに始まると考えられている。

この借字は当初、経典の行間の余白などにヲコト点とともに使われていた。
それが小さく素早く記す必要から字形の省略・簡化が進んだ結果、
現在見る片仮名の原型となり、ヲコト点に成り代わって盛んに訓読に利用されるようになった。

片仮名はその発生の由来から、僧侶や博士家などによって漢字の音や和訓を注記するために使われることが多く、
ごく初期から漢字仮名交り文に用いた例も見られる。

後には歌集や物語をはじめ、一般社会の日常の筆記にも使用範囲が広がったが、
平仮名で書かれたものが美的な価値をもって鑑賞されるに至ったのと比べると、
記号的・符号的性格が強い。

当初は字体に個人差・集団差が大きく、
10世紀中頃までは異体字が多く見られ、
時代を経るに従って字体の整理が進み、
12世紀には現在のそれと近いものになった。

平安時代中期に成立した『うつほ物語』の「国譲上」の巻において「書の手本」の中に片仮名があげられており[3]、
これにより平安時代中期には、片仮名がひとつの文字体系であると認識されていたことがわかる[4]。

なお江戸時代の学者伴信友は、平安時代後期に成立したと見られる『堤中納言物語』の「虫めづる姫君」に、
虫愛づる姫君が男から送られた恋文に対して
「仮名(平仮名)はまだ書き給はざりければ、かたかんな(片仮名)に」返事を書いたという記述があることから、
当時の文字の習得が片仮名から始めて平仮名に進んでいったとしている。

しかし小松英雄はこの説明について、「虫めづる姫君」に見られる記述は虚構である物語における特殊な例であり、
実際には初めから仮名(平仮名)を美しく書けるように習得するのが、当時の女性にとっては一般的であったとして退けている[5]。




禾  のぎ

日本語では   イネ - イネ科の植物。特に、イネ・アワのこと


中国語では   英語で言う grain(穀物) のことで 粮食, 颗粒, 粒, 粮, 纹, 禾


ということで   秦 は  中国語では  三人禾  ですから
秦氏の「秦」の漢字を分解すると「三」「人」「ノ」「木」 は 日本人が勝手に日本語で解釈した 俗説 と思います。




秦氏
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%B0%8F

『新撰姓氏録』によれば秦の始皇帝の末裔で、     ← だったらいいな。私は中国人には  始皇帝の末裔だよ  とエバってますから
応神14年(283年)百済から日本に帰化した弓月君(融通王)が祖とされるが、
その氏族伝承は9世紀後半に盛んになったものであって[2]、
真実性には疑問が呈せられており[3]、
その出自は明らかでなく以下の諸説がある。


秦人が朝鮮半島に逃れて建てた秦韓(辰韓)を構成した国の王の子孫。
新羅の台頭によりその国が滅亡した際に王であった弓月君が日本に帰化した(太田亮)[4]。


新羅系渡来氏族。
聖徳太子に仕えた秦河勝は新羅仏教系統を信奉していたが、
これは蘇我氏と漢氏が百済仏教を信奉していたのと対照的である[5](平野邦雄・直木孝次郎・上田正昭)[6][7][8]。


百済系渡来氏族。
「弓月」の朝鮮語の音訓が、百済の和訓である「くだら」と同音・同義であることから、
「弓月君」=「百済君」と解釈できる。
また『日本書紀』における弓月君が百済の120県の人民を率いて帰化したとの所伝もこの説を補強する(笠井倭人・佐伯有清)[9][10]。


中国五胡十六国時代の羌族が興した後秦に由来する。
また、羌族がチベット・ビルマ語派に属するチベット系民族であって、
同言語においてハタは辺鄙の土地、ウズは第一、キは長官を意味することから
ハタのウズキとは「地方を統治する第一の長官」を意味する。
同様に、マは助詞「の」、サは都を意味することから、
ウズマサは「第一の都市」を指す(田辺尚雄)[11][12]。


景教(キリスト教のネストリウス派)徒のユダヤ人とする(日ユ同祖論)。
(佐伯好郎)[13]。


『隋書』には、風俗が華夏(中国)と同じである秦王国なる土地が日本にあったことが紹介されており[14]、
これを秦氏と結び付ける説もある[15]。

本居宣長や新井白石は『新撰姓氏録』や『古語拾遺』に依って
ハタでなく韓国(からくに)語のハダ(波陀)と読むとした[12]。


ということで  楽しみにしています。  
瞬殺されないように  小出しでどうぞ。
[29]三つ柏服部さんからのコメント(2019年02月05日 00時45分21秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 歴史というのは、何が真実なのか、本により、人により様々な説が述べ
られ、百花繚乱であります。
 私の歴史に対する考え方は、やはり「コップの中の日本史」では真実は
つかめない。「世界の氏族・民族の中での一地域日本の歴史」として捉え
るべきだと思っています。いわゆる「史観」というものかも知れませんが、
太古史観、シュメール史観、ユダヤ・イスラエル史観、純日本史観…言い
変えれば「モード」によって色が変わってしまうということであります。
 早く世界史の中における日本史の正しい教科書がほしいものであります。
 「下手な鉄砲打ち、百打ちゃ当たる」みたいな感じの歴史への取り組み
でありますこと、お許しを!
[30]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月05日 04時18分05秒 ) パスワード

三つ柏さん

>歴史というのは、何が真実なのか、本により、人により様々な説が述べられ、百花繚乱であります。

はい
まさに。


「真実」を語るということだと
ピンポイントに突き止められるほど
単純明快な解はムリでしょう

でも「事実」はたくさんどこかにあるんじゃないか、と。


中国人に「私は始皇帝の末裔だよ」と言っても誰も疑ったりしないのが中国人のお人よしなところかも。
中国人って  B型が多い  しね。A型のような疑い深い嫉妬深いのとは違うのかも。ふふふ


向こうから「そうだね、始皇帝が子供を日本に500人送ったからね」なんて
言われてしまって赤面です。   いや、ただのネタなんですけど・・・


確かにわたしのミトコンドリア型DNAがD4なのは   日本人に1番多い型で 日本人の 33% を占め
これは中国大陸の内陸部にいた人々が縄文時代に日本に入って来た人々の子孫で


ということで  大昔  ワタシは  長沙か武漢あたりにいた?

そうするとワタシの先祖は、
   始皇帝の先祖の一族が西の果ての砂漠ならぬ土漠のド田舎から東征を続け豊かな土地の中原に出て来た時に・・・
日本に押し出された? 
    
                        ということはワタシの先祖は国境無きホームレス。今の国連用語で STATELESS か。
                        

   
       秦(紀元前778年 - 紀元前206年)は、15年続いた中国の王朝。

1番親しくしている中国人は三国志の原因を作った家でその時の職業までバレバレ。

中国人の民族性は次の王朝が前の王朝の非道さをちゃんと書き残して恨みを晴らすタイプだけど
日本は都合の悪いことは蓋をしたり破棄したり謎々で隠蔽したり。で、きれいな言葉で誤魔化す。やっぱり日本人はA型民族ってことか。

        鎌足自身が謎の人物だそうだし。
        誇らしい自分の先祖なのに藤原氏はなぜ真実を書き残さなかった?



        鎌足の出生地は『藤氏家伝』によると大和国高市郡藤原(奈良県橿原市) 。
        また大和国大原(現在の奈良県明日香村)や
        常陸国鹿島(茨城県鹿嶋市)とする説(『大鏡』)もある。



           1人の人間に出生地が3つもある?
           これは非常に日本的。
           日本は「本籍」ってのを使うから非日本国家の「出生地」を重要視する発想と大いに異なる。
           こういうところにワタシは非常にA型だなと思う。

           ゆえに鎌足に出生地が3つもあっても日本人には「別にぃ〜」となるわけだ。



ま、近い将来は日本語さえテキトーになるだろうし。
ところが既にテキトーな日本語でよしとする傾向が???ゆとり教育の弊害か?

下記のURLはワラエルけど私が住んでる世界じゃよく見掛けたりします。
マッサーヅ   とか  スエーデソ  とか。

どうしてこうなった!? 誤字、誤植、脱字、改行などの間違い・勘違い おもしろ画像まとめ
https://www.youtube.com/watch?v=5hUiFLt1P2c

            わたし的には  分かってない人がやってるし  校正すべき立場の人もテキトーにやってるんだろうな、と。

いやいやいや、既に、日本国内でこのレベルに達していたのか、でした。


長上郡の名家の服部氏
というのはどこかに記録されているはず
それが見つからないだけ。

知ってる人も必ずいる筈。
でも近いうちに知っている筈の人達が鬼籍に入る。
これは確実に。


神服部氏はもう出自ロンダリングは済んで久しいんでしょうけど
ここの家紋は何か?

      三つ柏さんのお家が源頼政がらみで遠江に来て神服部氏に化けた家関係かも知れないし。


事実の断片=手掛かり=はいくらでも落ちていそうだけど
どこかに出てるはずで。


明治からも150年。
戦後からも70有余年。
まだまだ大丈夫と思いますけどね。



中国人の系図ってムカシの東京の電話帳みたいに分厚いもので(百科事典みたいに)
エンエンと書き加えていくもので


10年ほど前に孔氏の子孫が  ○百万人  だなんてニュースになってましたよね。


今朝ジムで
明日が(火曜日)旧正月だということを中国人に言われて
その続きのハナシが
だから旧正月休みを2週間貰って  ビリオンの中国人が故郷に帰るんだ  と言うので

      ビリオン?10億人?え?桁が1つ多くない?と思ったけど

中国の人口って大陸だけで15億ぐらいいる?隠れ戸籍の中国人も入れて
そして
世界中に居住する中国人も入れたら・・・・
10億じゃ足りないか?

      ワタシも隠れ中国人ということになってるし。
      アハハ  
        

[31]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月05日 05時09分19秒 ) パスワード

あ、「山城」の件ですが
丸子城は専門家の中では  「通 ツウ の城」  と言うんだそうです。


    ワタシには意味が分かりませんが。
    いろいろ研究なさってください。


わたしの母方の南朝時代の城は現代風な模擬天守に再現されてて
    こんなもん、造るなよ、と思った。
    でも、桜の時期には憩いの場になってるそうで、ま、いいか、と。


その城は一応「山城」に分類されるそうですが
全く要害の地に造られた城じゃなくて
    うちの明治の初めの先祖が大坂から戻った時の墓のある山の方が高いし険しい(笑)
    標高をちゃんと書いた方が良いのかも知れないけど、まだ、そこまで先祖を恥ずかしめられない。


戦国時代に内訌があった時に  敵方に渡るぐらいなら  ということで
うちの先祖の一族(計50人だったかな?)によって落城。

    (この部分、勘違いしてた。
     ワタシはH川氏によって落城したと今日まで信じてた  H川氏を恨んでた  バカ  
     本当の敵の名前も間違えてた。     バカ   でも後年刎頸の友になってる。
     さらに、落城させたのはワタシの一族だった
     で、結局、江戸時代に廃城になった)

うん、そんな感じの城。

    ワタシとオットが見に行った時に  簡単に落ちるな  と思った。
    滅びる筈だ、って。いろいろな意味で。まさか自分の一族が落としてたとはね。



お陰様で  勘違いが  やっと本日訂正になるとは。

なんか「ムロ」という氏や「山城」ということにものすごく拘る自分がいて
なんで?なんで?
と思ってた。


こうやってツラツラ書いていると自分の思い込みを修正する機会にもなります。

なので三つ柏さんもアチコチウロウロ試行錯誤しつつ紆余曲折後にご先祖さまに辿り着けますように!
[32]丸三つ柏服部さんからのコメント(2019年02月05日 11時01分43秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 歴史については、我々の「常識の壁」を取り払った方がいい。つまり、
知っているようで知っていない、また実際には知らない事の方が圧倒的に
多い。知っているのは、海に浮かぶ氷山の一角よりも少ないと自分に言い
きかせて臨みたいと思っております。

 そのためには、トンデモ説も含めてあらゆる情報に目を傾ける。その中
から一筋のストーリー(説明)が見えてくるのではないかと、浅薄な知識し
かない私ですが、考えております。

 漢字にしても、本当に中国で創られたの?……太古にすでに文字があっ
た。神代文字と言われているけれど、様々な文字が存在している。この世
界はまだメジャーでないようですが、歴史学者の保守的な体質がそうさせ
ているのか。いずれ第二、第三のシュリーマン的世界が現出されると確信
しております――
[33]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月05日 15時03分39秒 ) パスワード

三つ柏さん

>漢字にしても、本当に中国で創られたの?…

いろいろな漢字があるのを「統一した」のが秦の始皇帝
ということになっています。

     これは高校あたりの世界史で習った。

     始皇帝は、中央集権をやって、いろいろ統一している:度量衡なんかもね   
     だから始皇帝として特筆される人物
    


今年の中国のカレンダーを貰った時の袋に「福」の字のバリエーションがいろいろ印刷されてて
ものすごく古い文字がたくさん印刷されてました。
それこそ文字以前の  記号  というか 幼稚な絵というか 勝手な落書きみたいなもの。
そういう混乱が良くないからと始皇帝は「統一」を考えたのかとスゴイ人だと思う。

        混沌に秩序を齎した人か、と。
        こうして書くと「創世記」のハナシに繋がっていきますね。
        だから始皇帝=ダビデand/orダビデの子孫なんてハナシがあるんでしょうね。

              こういうハナシはロマンがあって楽しいですね



メソポタミアでも楔文字を作ったり
エジプトは象形文字だし
日本でも三つ柏さんお書きの神代文字が描かれてたり。

結局大陸から人が大勢来てた時には漢字が合理的だったんでしょうね
その後
日本人が増えて日本語を話す日本人が増えていって
漢字だけでは間に合わないから工夫してひらがなやカタカナが生まれていったんでしょうね。

       自家薬籠中ってのですか  日本人の得意技ですね。

       最近  ヲイヲイ  英語も日本語化よ  とイラッと来ることがありました。

         テレビ番組で見たタイトルが
         「日本の祭り  in あいち、なごや」
         だって。

         勿論日本人が前置詞を使いこなせないのは100も1000も分かってるけど
         ここまでひどいというのには愕然としました。
         英語を 3年も6年も8年も  やったであろう人がこのレベルか、と。 
       
         逆に「日本の祭り  in なごや、あいち」の方が日本人的には不具合をきたすんだろうなと。

           
人間は動くしウソつくし勘違いもあるし
そこへ
外国が絡んで来るから

日本人にとって秦氏なんて超「雲の上の人達」って存在だったのかな?
    元祖日本人の舶来信仰、っての。
    舶来信仰、ここに始まる、って。

          終戦後  舶来信仰  すごかったですからね。
          知り合いの超お金持ちに  ブランドのマーク  を扱ってる家がありました。
          舶来品に化けるわけですよ。   ただしこれ以上は書けないな。


ということで  秦氏  というのは古代日本の超エリート集団だった  のかな?と。我々が想像している以上に。

つまり  縄文人でも弥生人でもない   文明を齎した外からの人々  ということかな、と。

結局  日本で言う秦氏には  正体というものは無い 実体なんて無い ということなのかなとか。


などグチャグチャいろいろ考えを巡らせるって楽しいですよね。


三つ柏さんもトンでも説でもいろいろ開陳なさってください。
そうしている内に  掘り当てる  かも、ですよ。
[34]丸三つ柏服部さんからのコメント(2019年02月05日 16時05分35秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 「三・人・ノ・木」について述べられたのは、実は飛鳥昭雄氏であり、
それはそれなりに一定の根拠があってのことで、大筋においては一定の
信憑性はあるのではないかとは思っています。

 根拠なしの推論や断定は「付会(こじつけ)」として揶揄されてしまい
ます。『伊水温故』も付会が多いとの評価であります。
 物事の推論や断定には、その根拠となるものを示さなければなりませ
ん。根拠がわかれば、根拠の方が間違っているぞということで、論評者
の評価ダメージは幾分か薄らぎます。

 根拠についてもちゃんと検証しろよと言われると、時間がかかりすぎ
る場合もありますので、出典を記して批評を待つということになります。

 さて、「三つ柏」について――
 @「柏」の意味するもの
 A「形象(ほぼ三つ丸の形)」の意味するもの
 B「葉脈(七本と九本がある)」の意味するもの
それぞれについて、資料をあさったり、思考を重ねてみました。
 時間的に熟成できていないので、見切り発車でありますが、私の「勘」
が共振したことを、これから記してみようと思います――

 
[35]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月05日 16時56分45秒 ) パスワード

三つ柏さん

瞬殺されないように小分けにして書き込んでください。

    わたくしの友人は結局窓7に<業者に頼んで戻した>と言ってました。


>飛鳥昭雄氏

ふふふ
この人は古代イスラエルに興味があると思います。



さきほど  上記に書いたカレンダーの入ってた袋  をお送りしました。


ついでに  つんく♂さんが詐欺に遭ったハナシ  も同封しておきました。
続きは1か月後かなと思いますが
あれで充分想像がつきます。


そう言えば  聖櫃は  剣山にあるんじゃないか  と調査が来てた
なんて聞きました。

ノアの箱舟の一部はアララット山山頂で見つかったというハナシですから聖櫃も見つかると良いなと思っています。

             日本の神輿は聖櫃のことかなと思っています。


明日は無料の糖尿病検診に行きます。
それで12時間の断食が必要かどうかを問い合わせたのですが  フツーのまま来てくださって結構です  と言われたけれど
問い合わせ電話の担当者は  どういう検査が行われるか  全く知らないようです。

     グルコース検査なら12時間の断食が必要だろうし   安いから無料検診できると思う
     A1c検査なら必要無いし   こちらは高価だから  無料検診でホントにやってくれるの?と思う


こういう担当者で良いのでしょうかねぇ。


日本も能力の無い人が多くなってるようです:

昨年父の家のガラス戸を新しく替えようと  電話をして  ノギスで測ってxxmmだ  と言ったのに
来てくれたおにいちゃんは  巻き尺で  計ったそうです。

当然、帰って貰った、そうです。
わたしでも「君、普通科出てるの?」と訊きたくなりますよ。きっとアルバイトなんでしょうね。


日本もだんだんコーユー国になっていくんですねぇ。
いつからコーユー民族になったんでしょうかねぇ。
[36]三つ柏服部さんからのコメント(2019年02月06日 14時32分49秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 さて、「三つ柏」についてでありますが――

 @「柏」の意味するもの
 A「形象(ほぼ三つ丸の形)」の意味するもの
 B「葉脈(七本と九本がある)」の意味するもの

について述べてみたいと思います。この場合の「歴史モード」は、「コップ
の中の純日本史モード」でなく、「シュメールモード」あるいは「ユダヤ・
イスラエルモード」になります。

 まず@の「柏」の意味するところですが、これはまとめるのに時間がかか
りますので、最後にしたいと思います。

 Bからいきたいと思います――

 柏紋の葉脈に、七枝のものと九枝のものが存在します。七枝のものはメノ
ラー(七枝の燭台)ではないかと想像されます。現に、ユダヤ人の元駐日イス
ラエル大使のエリ・コーヘン氏は、徳島の倭大国魂神社の神紋「丸に三つ柏」
を見て、柏の葉脈の七枝がまさにメノラーではと驚いたと、氏の著書である
『驚くほど似ている 日本人とユダヤ人』の中で書いておられます。

 一般的には、七枝の柏紋は比較的少なく、九枝の柏紋の方が多く、従って
九枝ではメノラーではないではないかということになりますが、調べて見ま
すと、「九枝の燭台」もあるのです。これはメノラーとはいわす「ハヌキア」
と呼ばれたおります。ハヌキアもメノラー同様、イスラエルにとって祭祀上
重要な意味のある燭台のようです。私はユダヤ人(イスラエル人)ではないの
で、メノラーやハヌキアの持つ重大性・インパクトがわかりません。メノラ
ーは、イスラエルの国章にもなっているということを考えると、命より大事
なものかも知れません。

 柏紋がメノラーでないと証明できる根拠はありません。逆にメノラーだと
いう状況証拠はいくつか存在し、さらに探せば増えて行くと思います。それ
が説得性を持つようになれば、スサノオ・アマテラス・日御碕神社・出雲大
社・伊勢神宮・大国主・猿田彦・秦氏を結ぶ謎を解く、大きなきっかけとな
ると推察いたしております。それらの状況証拠がもう少し多く収集できた時
点で、記してみたいと思います。

 次回は、Aの「形象(ほぼ三つ丸の形)の意味するもの」について記してみ
ます――

[37]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月07日 22時53分04秒 ) パスワード

三つ柏さん

確かにハヌカーの時の燭台は9本になってるような記憶です。
なんでそんなに多くなるんだ?
と毎年思っていますが
大事なお祀りだからだろうな
と非ユダヤのワタシにはそのあたりの感覚です。


以下は友人から:

アッシリアですけど,よくわかっていません。

メソポタミアから出たと言われていますが,突然現れて,エジプトを支配して,カベンディッシュの戦いでラムセス2世に負けて,突然退場します。

カベンディッシュの戦いですけど,ヨーロッパ版関ヶ原です。
もし,ラムセス2世が負けたら,ヨーロッパは,アッシリア人の支配地になったと言われています。

ですので,ヨーロッパの国の軍艦の名前に,カベンディッシュと言う名前がよくついています。

                       初耳。
                       この人は明治維新後の日本の海軍軍人として名を知らぬ人はいないだろう
                       という人物の一族なので軍事ヲタク。

                       うちが信長に負けたせいで、今でも、アンタんとこがちゃんと〆ておかないから迷惑してるんだ
                       なんて言います。



アッシリアが,1世紀かけて,中国に来たのが漢民族と言う説が,漢民族アッシリア末裔説です。

                       これも知らないけど
                       確かに中国人には蒼い目が結構いる


地中海を支配した海洋民族がいます。
謎の民と言われていますが,
これがアッシリアと言う説があり,
一部がクレタに住んで,クレタ文明を開いたと言う説もあります。


最も,クレタには,クレタA文字とB文字があり,どちらも解読されていませんが,これが解読されたら,アッシリア文明がよくわかると言う期待もあります。



旧約聖書に,アッシリアが書かれています。
それで,ユダヤ教は,アッシリア人の宗教だったと言う説もあります。



匈奴をご存知だと思いますけど,
漢の武帝に負けて,
北匈奴と南匈奴に分かれます。

それで,最近,北匈奴が1世紀かけて,ヨーロッパに移動して,フン族になったと言うのが最近の定説です。

                       これは知ってたというより世界史で習うハナシだね
                       ハンガリーの語源を知ってたら、ああ、子孫か、って。


ですので,アッシリアが,1世紀かけて中国に移動してきて,漢民族になった可能性も否定できないと思います。

最近ですけど,フン族はトルコ人の先祖と言う説が強くなってきています。


匈奴も,白人系で,紅毛碧眼だったようです。


呉王孫権や孫策,諸葛孔明あたりが,匈奴系だと言われています。

馬超も,白人系だった可能性が高い。
多分,漢に降参した,南匈奴の末裔でしょうけど。


三国志あたりまで,中国には,紅毛碧眼が多かったようです。

                       これも知ってるよ



世界一多くの人が使っている言語は中国語です。

世界一広範囲に使われているのが英語です。


中国語は,英語に近い文法です。
漢民族自体が,アジア人と言うより白人に近いそうです。
赤ちゃんに蒙古斑ないそうです。

                       うっそぉ〜
                       そーなの?


ですので,漢民族はアジアの孤児とも言います。

私は,漢民族は,世界最初の鉄文化を持ったアッシリアの末裔だと思っています。


中国の鉄文化が,鍛造を飛ばして鋳造から入るからです。
中国の鉄は,青龍刀も鋳物です。
鋳物はご存知のように,高温がいりますので,アッシリア時代に鋳造技術を得たと思っています。


元寇で,元軍が橋頭堡確保できなかったのは,鋳物の刀にあったと思います。

日本刀は鍛造ですから,簡単に折れませんが,鋳物の刀は,空気が大量に構造上入りますので,簡単に折れます。
量産はできますけど。

実際,太平洋戦争で,アメリカが10万台以上作ったシャーマンと言う戦車ですけど,これ鋳物で出来ていました。
ですから,型に流し込んで,量産しました。

B29もそうで,部品は殆どが鋳物。
だから、量産が出来ました。


日本は,それだけの鋳物技術がなかったので,鍛造で兵器を作りました。
これが,アメリカは大量生産できた要因です。
[38]三つ柏服部さんからのコメント(2019年02月08日 00時26分25秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 「三」に関するものをランダムに挙げてみます――

 @三位一体
 A三位三体
 B造化三神
 C三柱鳥居
 Dイスラエルに存在する三柱(生命の樹=セヒィロト)
 E門松の竹(三本)
 Fゴルゴダの丘の磔刑の三人
 Gオリオン座の三つ星
 Hエジプトの三代ピラミッド
 Iイスラエル歴三月三日(神がシナイ山に降臨)
J出雲大社の発掘された三柱(三本一束の柱)
 K伊勢神宮の心の御柱(三本一束の柱)
 Lモヘンジョダロの神官の法衣の模様の三つ葉
 Mツタンカーメンの墓室から出土した黄金の牛に描かれた三つ葉模様
 Nツタンカーメンの墓室の壁に描かれたファラオ・アイの身につけた
  毛皮の三つ葉模様
等々があります。

 「三」に関するこだわりは、アトランティスの時代より始まっている
といった記述もありましたが、それがどの本に書かれていたかわからな
くなってしまいました。

 いずれにしましても、これらを頭の中のミキサーにかけ、グルグルと細
かくかき混ぜると、コアの部分がまとまって来ます。つまり、「三「」の
根底には「星座」があり、次に神が配置されたということになるのではな
いでしょぅか――

 
[39]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月08日 02時23分10秒 ) パスワード

三つ柏さん

>「三」に関するこだわりは

ちょっとちょっと、大事なものをお忘れですよ。

「八咫烏」の3本足。

           このハナシは「ときおさん」が得意と思うけど。


           「八咫烏」をお忘れでは飛鳥昭雄氏に「メッ!」と叱られちゃいますよ。
               飛鳥昭雄氏とわたしは南朝繋がり・・・




日本神話において神武東征(じんむとうせい)の際、高皇産霊尊(タカミムスビ)によって神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされるカラス(烏)[1]。一般的に三本足のカラスとして知られ古くよりその姿絵が伝わっている[1]。




日本神話において神武東征(じんむとうせい)の際、高皇産霊尊(タカミムスビ)によって神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされるカラス(烏)[1]。一般的に三本足のカラスとして知られ古くよりその姿絵が伝わっている[1]。



>アトランティスの時代より始まっているといった記述

これは絶対に  プラトン  のお話でしょうね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9
アトランティス

古代ギリシアの哲学者プラトンが著書『ティマイオス』及び『クリティアス』の中で記述した伝説上の広大な島、
および、
そこに繁栄したとされる帝国のことである。

プラトンの時代の9000年前に海中に没したと記述されている。




プラトンの対話篇『ティマイオス』および『クリティアス』では、次のように語られている。

ジブラルタル海峡のすぐ外側、大西洋に巨大なアトランティス島があった。
資源の宝庫で、そこにある帝国は豊かであり、強い軍事力を持ち、大西洋を中心に地中海西部を含んだ広大な領土を支配していた[2]。

王家はポセイドンの末裔であったが[2]、
人間と混じるにつれ堕落し、
物質主義に走って領土の拡大を目指し、帝国は荒廃した[2]。


アテナイは近隣諸国と連合し侵略者であるアトランティス帝国と戦い、辛くも勝利したが[2]、
その直後アトランティス島は海中に沈み、滅亡したとされている。


これは神々の罰であるという。


アトランティスの物語の語り手として登場するのは、
プラトンの母方の曽祖父だったとされるクリティアスで、
彼は祖父からこの話を聞き、
クリティアスの祖父は賢人で政治家のソロンから、
ソロンはエジプトに旅した際に女神ネイトに仕える神官から伝えられたという[2]。


プラトンは強大な国々の傲慢さを揶揄した寓話として言及したとも言われる[3]。

古典の原典でアトランティスへに言及しているのは、『ティマイオス』『クリティアス』だけで、
アトランティスの伝説はプラトン以前に遡ることはできない[4]。



わたしは共学になったのは大学に入ってからなので
男子が侃々諤々喧々囂々プラトンを学食で語っていたのを思い出しました。

女子の間じゃ「なんだってね」レベルだったんじゃないかな?
口から椿(つばき)を飛ばすほどじゃなかった。



桃のハナシは中国のハナシによくありますね。
命の木
若返りの木

だから桃太郎のハナシは  ばあさんが川で桃を拾って食べたら若返って  じいさんも食べたら若者になって  生まれたのが桃太郎  って。
[40]三つ柏服部さんからのコメント(2019年02月08日 12時20分14秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 八咫烏の三本足の件、昨夜寝てから気が付き、朝起きたら記そうと思っ
ていたところでありました。この三本足の意味は、三神を意味するのだと
推察いたします。

 「三」へのこだわりはまだまだたくさん見つかります――

 ・三種の神器
 ・しめ縄(三本でなう)
 ・熊野三山
 ・出羽三山
 ・三本締め(宴会等の締め)
・白髪三千丈(李白の五言絶句 中国の誇張表現 これは関係ないか)
 ・三日月王国(弓月王国 弓月君のいた国)
・東方三博士
 ・三井神社、三島大社、三輪明神
 ・三羽烏
 ・三十三歳(キリストの処刑された年齢)
・エジプト三神(オシリス、イシス、ホルス)
 ・イエスの三人の使徒(ペトロ、ヤコブ、ヨハネ オリーブ山にて)
・古代出雲歴史博物館にある大王の三叉冠
 ・山という漢字(縦三本)
・桑という漢字(又が三つ)
・相撲の三役揃い踏み
 ・三本の蝋燭と三本の五寸釘(呪い)
 ・桃太郎の家来(犬、猿、雉)
 ・三貴子(アマテラス、ツクヨミ、スサノオ)

更に仏教の中を探せば、「三」はたくさん見いだせます。特に空海の真言
密教、三礼から始まり、浄三業、三帰、三宝竟、三昧耶、三力、三界、三
菩提……。

 いずれにしましても、「三」のコア部分は、宗教、いや宗教というよりも
むしろ「神」――「神三体」「三位一体」に収束し、つまり「三」は、その
象徴と言えるのではないかと考えます。

 それから余談でありますが、この三月と五月に伊勢神宮に行きますが、こ
の伊勢神宮の内宮、下宮とも、藤原不比等以前には、本殿はそれぞれ三殿で
あったということです。

 以上、飛鳥昭雄氏の著作、高橋徹氏他の道教に関する著作より多く拾いま
した。

 最後に、アトランティスの件ですが、あを様が言われた"東京理科大学"
出身の岩井央という人が、その著書『ヤマトを創建した徐福の秘密』の中
で――

 「アトランティスには、三つが重なって一つになる思想があった」

と書いておられました。ただ、その根拠については詳らかでなく、私も今後
調べて行きたいと考えております。

 これから人間ドックへ行きます――
[41]三つ柏服部さんからのコメント(2019年02月08日 12時28分03秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 レス[38]の訂正:三代ピラミッド→三大ピラミッド
[42]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月08日 13時46分14秒 ) パスワード

三つ柏さん


いろいろ出ましたね。
3は安定しているなんて聞きますが
うちにある3足椅子は不安定でダメです。

     体幹を鍛えなくっちゃ


3は人間にも言えますね。

1人でするのが  講談
2人だったら   対談
3人でするのが  鼎談   3人が卓を囲んで話し合う事




      鼎という器が  足が3本で  王侯の祭器や礼器とされたことから、のち王位の象徴  になったのだそうです。


じゃ、4人でするのは雀談?笑
[43]三つ柏服部さんからのコメント(2019年02月09日 11時55分54秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 ふと気が付いたのですが、「三」にちなむ事柄として、「西国三十三ケ所
巡り」とか、「〜三十三ケ所巡り」というものがあります。
 この場合もやはり「三」にこだわっていることは間違いないことでありま
す。

 一方で、「四国八十八ケ所巡り」というものがあり、こちらは「八」にこ
だわっているわけであります。「八」というものには既になじみがあります
が、これについては、畑アカラ氏の『古代天皇家"八"の暗号』という本があ
り、ユダヤモードとは一線を画しながら。五百頁に及ぶ大作としております。
 これらの「八」については、次の機会にまとめたいと思います。

 三十三というのは、仏教で三十三回忌というのもありますし、京都東山に
三十三間堂もあります。何か、平家にも関係して来るような予感がするので
すが……。

 数字の裏に隠された意味を色々な観点から調べてみたいと思いますが、例
のアトランティスは「三つが重なって一つになるという思想」、何かスフィ
ンクスの謎かけにも似た「三」と「一」の謎を、早く解きたいものだと思っ
ているところであります――

[44]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月09日 23時09分44秒 ) パスワード

三つ柏さん

>後白河上皇が離宮として建てた法住寺殿の、その広大な法住寺殿の一画に建てられたのが蓮華王院本堂=三十三間堂ですね。


東山は平家一門が軒を連ねてた場所ですしね。


ここで江戸時代には弓のコンペが行われたのですよね。
「通し矢」
でしたっけ。


この事はずっと前から、子供の時から、知ってて
弓道のオトコがワタシの10年間の同窓生の女の子を通して近づいて来たのが
やっと繋がった
という思い出があります。

     なんかスゴイ遠いムカシの記憶に繋がるような
     でも分からない


で、昨日は1日かかって、94歳の母方の伯母=83代目に
母方先祖の城が5回落ちて1600年に廃城になって
その後、一族の者が入府して城を再建しようとしたものの、その藩主は死んでしまって
その後、幕府の天領になった
というのを書いて投函しました。


   今の城は昭和に模擬天守閣や遺構が造られたもの
   と書いて。


母方は大坂方だったのに
大坂城で働けるように頑張った先祖がいて

でも先祖の物凄いオモイというのに  84代目のワタシは  ぜんぜん応えてないけど


一応86代目にちゃんと伝えられるように  マトメ  だけはやってるから
ま、いいかなと。


三つ柏さんも辿りつけますように!
[45]三つ柏服部さんからのコメント(2019年02月10日 21時16分04秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 アトランティスに関する本を探したところ、小泉源太郎著『アトランチス
大西洋の失われた大陸』という本がありました。その中に「三」にからむこ
とがないか探してみました。
 あを様のご紹介のように、プラトンの残した本の中に、アトランティスの
話が人より聞いた話として出ています。
 イグナチウス・ドネリーは、その話を実証しようと情熱を傾け、『アトラ
ンティス 大洪水以前の世界』という本を書き上げました。
 小泉氏はそのドネリーの書いている内容の一部について、こう紹介してお
ります――

 「ドネリーはさらに、文献類を引用しながら、ポセイドン(アトランティス
 の支配者)の持っている"三つ叉の笏"若しくは"三つ叉の桙"が、"三"という
 数として古代世界の権力や宗教の基本概念としてどのようら現れ、またアト
 ランティスの十の王国に由来すると思われる話が、聖書をはじめ各国各民
 族の伝説にどのように浸透しているかを説明する。」

 ということで、「三」という概念が、今から一万二千年前のアトランティス
には既に存在していた――それをドネリーが把握していたということであり
ます。
 それ以上の内容には小泉氏は触れておりませんので、それを深く知るため
には、ドネリーの『アトランティス 大洪水以前の世界』という本を探して
読む必要があります。

 いずれにしましても、「三」の特別な意味は、古代ユダヤ(三位一体、三位
三体)以前に創生されていたといた可能性が非常に高いということになります。

 但し、「三が重なって一つになる思想」というのは、「三」だけよりもう
少し進んだ概念であるような気がいたします。
 それは、まるで出雲大社の「しめ縄(三本のしめ縄をさらに一本に形成して
太いしめ縄とする)」のようでもあり、家紋の「三つ巴」がグルグルム回って
一つの火の輪になるようでもあります――

 謎は、ポセイドンの残影の向こうにあるような気がします――

 
[46]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月11日 05時47分30秒 ) パスワード

重複:
数日後に消します:



昨日は坂口健太郎の映画を2つ見て相棒を見て寝た。


坂口健太郎の作品
1.オケ老人!
2.ナラタージュ


オケ老人!の始め頃の演奏はまさにワタシだった。
恥ずかしい


黒島結菜の「年下にはガンガン行かなきゃ」が面白かった。



坂口健太郎の役の坂下先生の夢とはパティシエになることだったの?
ウッソォー



ナラタージュ
ワタシは昭和の生まれというのがよく分かった。

昭和の男女のドロドロと平成の男女のドロドロの描き方は  全然違う  んだねぇ。

オトコってあんなに繊細で傷つき易い存在だった?
良かった。
昭和の生まれで。

いやぁ、ビックリしたなぁ。


でも工藤泉は宮沢慶太 ( 瀬戸康史 )と今度こそ幸せになれるね。
やっと葉山先生と小野君から卒業出来るね。
    自分の中途半端さの解決をオトコに頼っちゃいかんよ  


それにしても  昭和と平成  女と男が逆転してたな
小野玲二( 坂口健太郎 )の役柄って昭和だったら  女の立場  と思うんだけどな。


両方ともすっごく良かった。
オケ老人!には拍手喝采でブラボーを連発した。
ナラタージュの方には泣いた。(男女逆転じゃん!と突っ込み入れまくってたけど)


    わたしはやっぱり瀬戸康史が好き♡
[47]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月11日 07時03分30秒 ) パスワード

三つ柏さん


>謎は、ポセイドンの残影の向こうにあるような気がします――

ポセイドーン=ネプチューン  →  マセラティ  と  連想が走ります。

マセラティの方は出身がボローニャで
ボローニャのシンボルが『ネプチューンの噴水』だから
そして
ネプチューンが馬の守り神でもあるからの命名でしょうね。

でもエンブレムはトライデント(三つ叉の銛)ですけど。
      馬だったら  フェラーリ  になってしまうか。笑

このエンブレムのトライデントは
マセラティ3兄弟の結束も意味しているそうで

      なんだか  毛利3兄弟の矢の結束  を連想しますね。
          最近の日本では  団子3兄弟  らしいけど。



で、このポセイドーンがトロイ戦争に関係するんですよね。


A.
天上ではゼウスが増えすぎた人口を大戦争によって半減させようとしていた。

           バビロンの塔のハナシを連想しないわけでもないな

B.
地上では結婚式にご招待されなくて怒った争いの女神が「世界で一番美しい女神へ」と書いたりんごを投げ入れ
これがどの女神のことかと大問題に。

      そこで3人の美女から1人を選ぶことに。
           最高位女神のヘラ、知の女神アテナ、美の女神アフロディーテの3人

      そこでトロイの王子 パリス が誰が1番美しいかを決めることに。   かわいそうに  女の恨みはオソロシイのに


アフロディーテが、わたしを選んでくれたらお礼に美しい女性をあげましょう、とパリスに言って
パリスはアフロディーテを最高の美女に選んで、パリスは約束通りスパルタ王の妃のヘレネをゲット。


      妻を返せ!返さない!から世界を巻き込んでの大戦争へ


ギリシャ側:ヘーラー、アテーナー、ポセイドーン(← 津波だけでなく地震でも壊滅させる力を有する)
            vs
トロイ側が:アポローン、アルテミス、アレース、アフロディーテー


で「トロイの木馬作戦」でトロイが一夜にして陥落。


この遺跡をシュリーマンが発掘してトロイ戦争を証明したわけです。
このトロイの遺跡は9層あって   過去に戦争や地震があった  というのが裏付けられた、と。



当時はブラッド・ピットが大好きだったから(日本が大嫌いの人とは知らなかった時ね)当然映画を見に行きました。

       筋肉は裏切らない、体形でした。笑  アキレス役

トロイの王子役はオーランド・ブルームでした。こういう感じは好みじゃないのでガッカリだった。
うちのオットの方が100倍は可愛くてハンサム!


映画は神話物でも歴史物でもなく   なんだこりゃ  だった。
アキレスがアキレス腱を射られて死ぬんじゃなくて矢ダルマになって死ぬシーンに  アホか  と思ったような記憶。弁慶みたいだなと。
[48]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月11日 12時30分44秒 ) パスワード

三つ柏さん


ここにまとめてありますね:

ドネリーの『アトランティス 大洪水以前の世界』
http://www.gasite.org/library/atlantice/index05.html


すべての文明の源はアトランティス
[49]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月11日 12時56分23秒 ) パスワード

この中で
フェニキアとベルベル人についてが面白かったです。


古代フェニキアは貿易立国でよく日本に比較される国です。1970年代の「エコノミック・アニマル」時代ですが。笑
カルタゴという町などを作っています。
英雄はハンニバル。

象を連れてアルプス越えしたハナシは
木曽義仲の火牛の戦いに似て
日本人には人気だと思います。

     牛に松明なんかつけたら牛が暴れて義仲軍が逆に大変だったろうなんて言われてもいますけどね。



ベルベル人は
沢尻エリカのママがベルベル系フランス人だとか聞いたことがあるような。


知り合いがアフリカに駐在でいた時に山口百恵にそっくりな人々がいるって言ってました。
アフリカの奥深さに人類の先祖のいた所、という思いをいだきます。



世界中の神話が似ているとか
人間の風俗が似ているのは
我々がアトランティスの子孫だから
とはよく聞きますね。
[50]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月11日 14時21分33秒 ) パスワード

今年のハヌカー:

Hanukkah 2019 will begin in the evening of
Sunday
December 22


and ends in the evening of
Monday,
December 30


ハヌカーの燭台は本来は  オイルランプ  だったそうです。


ハヌカーの歴史:
歴史を遡ること紀元前二世紀、イスラエルの地はシリアのギリシア人の支配下にありました。彼ら(ギリシア人)は占領政策としてヘレニズム文明を広め、ユダヤ教のおきてを禁じました。割礼や安息日を守ること、トーラーの勉強を禁じたり、神殿に偶像を入れようとしたわけです。(ユダヤ教では偶像崇拝が禁止されてます)

このような弾圧を受け、ユダヤ人はついに反乱を決意。強力なギリシア軍に勝利し、紀元前165年にエルサレム神殿を奪回し、開放しました。

エルサレム神殿を占領していた時、ギリシア軍は神殿の燭台(メノラー)を点す油の壺を皆汚したそうです。ユダヤ教弾圧の一環ですね。しかしユダヤ人が神殿を取り戻した時、汚されていない油壺が一つだけ見つかったそう。

しかもその油は、一日ももたないくらいの量しかなかったのにも関わらず、点してみると八日間も燃え続けたとのこと。この奇跡を記念して、祭日としてハヌカーがお祝いされるようになりました。またそのため、ハヌカーは別名「光の祭り」とも呼ばれます。


ハヌカーのお祝いにまず欠かせないのは「ハヌキア」という燭台。同じく燭台で「メノラー」と呼ばれるものの方が見たことがある方が多いかもしれません(イスラエル国家の紋章としても使われていますね)が、ハヌカーでは「メノラー」よりろうそくを立てる部分が2本多い「ハヌキア」を使用します。

このハヌキア、中心が種火用のろうそくを立てる部分となっていて、左右に4本ずつ、計9本のろうそくを立てる部分があります。この燭台に、初日は種火と1本目の計2本に火を点し、後は日が経つごとに1本ずつ火を点していきます。こうして、8日目の最終日には全部のろうそくに火が点っていることになるわけですね。


             ドイツのクリスマスも似たような蝋燭を灯す儀式があって
             今年のアドベントは
             Advent 2019 will begin on
             Sunday,
             December 1
 
             and ends on
             Tuesday
             December 24

             だそうで  こういう民族的な儀式は異民族には分かり難い。
             今年11月の最後の日曜が24日だから、あれ?と不思議だったけど  今年は12月1日からなのか、と。驚


             ユダヤ暦もよく分からない。
             去年のハヌカーは12月2日からだったような?


             ま、ワタシには中國の農暦というのも分からないし。
             そう言ったら中国人からカレンダーが3つも届いた。

             貰ったってねぇ。。。困   使いようが無いものね。


             分かってないハナシを書くというのも  なんだかな〜  と思う。
[51]三つ柏服部さんからのコメント(2019年02月11日 14時38分13秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 聖数「三」について、古代・太古の歴史に関係する蔵書の中から選別して
片っ端からチェックしております。

 ポセイドンの息子はオリオンであるということで、良く見ると、鼓の形の
オリオン座のキュッとしまった腰の辺りには、確かに「三つ星」があります。

 この「三つ星」の古代におけるインパクトというのはどうであったのかは、
実際にその時代に行ってみないとわからないのでありますが、たぶん十中八
九、古代の人々にとって、「天体」は必ずや神の領域の強烈なインパクトを
与えていたのではないかと推察いたします。
 「太陽」「月」「星々」……毎日天空において、ささやきかけるような輝
きを投げかけてくれる……何と不思議な光よと敬虔な気持ちになるのはしご
く自然のことではないでしょぅか。

 「三つ星」といえばオリオン座の三つ星しかないのでしょぅか? まさか
太古において「太陽」や「月」が三つあったなんてことはないでしょう。引
力の関係からいってそれは無理でしょう。

 オリオン座は深掘りすれば、いろいろな情報が出て来ると思います。オリ
オン座のペテルギウス、小犬座のプロキオン、大犬座のシリウスは強い光の
三星であり、その三星を結ぶと、「冬の大三角形」が現出します。

 ひょっとしたら、古代の人は「三」にこだわっていたのではなく、こちら
の「三角形」にこだわっていたのかも知れません。
 つまり、神聖な形の「正三角形」……これが三つ重なると「八芒星」にな
り、それは即ち「太陽」となります。

 太陽は、人類共通の「生死、死と再生」にからみ、人間の命の何万倍もの
価値を持った崇拝の対象として、常に強烈なインパクトを与え続けてきたの
だと思います――

 とりあえず、現時点での「仮設」として、記しておきます――
[52]三つ柏服部さんからのコメント(2019年02月11日 18時05分21秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 訂正:八芒星→九芒星……これが太陽を示すかどうか、古代のレリーフ等
        あたってみます――
[53]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月12日 02時22分27秒 ) パスワード

三つ柏さん



五芒星 = ペンタグラム    安倍晴明紋  
六芒星 = ヘキサグラム    ダビデ王紋   
七芒星 = ヘプタグラム
八芒星 = オクタグラム    イスラム系紋  これで充分太陽のシンボルに見えますが
九芒星 = ノナグラム
十芒星 = デカグラム

20芒星まであるそうですね。



確かにイスラエルの嘆きの壁あたりの太陽は  太陽の光線が  図式になるんだ  なんて聞いたような。
日本だと  太陽の形  というと  ○か○に米を足した感じで終わりますね。


1芒星 2芒星は「線」でしかないけど
3芒星だと  三菱のマークや ○を除いた三ツ矢サイダーやベンツ それから ○無しの三つ柏紋になる?
四芒星は、手裏剣の形


「三ツ星」は日本人には「すばる」ですね。
清少納言が書いた随筆「枕草子」の中に美しい「星は」の条で


                       角川第239段 新潮236段  岩波254段

星は昴(すばる) 彦星(ひこぼし) 太白星(ゆうづつ) よばい星
少しをかし 

                      星は昴に彦星に太白星がちょっとステキよね

尾だになからましかば まいて。

                      流れ星はしっぽがなきゃもっといいのにねぇ、残念っ!笑


彦星は、七夕のひこぼし、
太白星は宵の明星金星、赤星のことですね
よばい星は流れ星。 彗星とか。


古代ギリシャのどこやらでは兵士の採用試験に三ツ星の他に、ある星も、見えなきゃいけない(これで視力 6.0 とか)って読んだような。

スパルタ?では太陽を見続ける試験もあった
と読んだ記憶。

            小学生の時の記憶なので  ハッキリ  しない。すみません。
[54]丸三つ柏服部さんからのコメント(2019年02月12日 12時47分05秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 聖数「三」と、アトランティスの「三が重なって一になる」の概念につ
いて引き続き調べておりますが、「三」と「△(三角)」との関係は、更に
深いものがあると推察しております。ポセイドンの三叉の鉾(槍、錫、他)
の意味するところともオーバーラップしてくると思います。

 八芒星は古代(紀元前)のレリーフ等に見られますが、九芒星は今の所見
つけておりません。従って「九芒星は太陽だ」という見解は根拠的に薄い
ので取り下げておきます。但し、古代において、太陽が毎日の中心となっ
ていたことは間違いないと推察されます。「三」「△」「三叉」が太陽に
からんでいるに違いないと私は確信しています。

 アトランティスに関する本が四冊ほどありましたので、改めて呼んでみ
ました。その中で、「三が重なって一になる」というフレイズをキーにし
て、それらの表現があるかどうか探してみました。
 その結果、次の二つの事項が見つかりました――
 
 @「冬至」、「春分・秋分」、「夏至」……太陽の三方向からの光が、
                     観察者の元一つに集まる
 
 A太陽に対して、「金星」「地球」「月」が一直線に並ぶ「三重合」
         ……彗星・小惑星などの軌道に少なからず影響を与える。

 三叉鉾と神の関係や三位一体(三位三体)等の「神」の概念は、天体観察の
後で出てきたと推察されますので、まずは、天体的なファクトが先にあった
のではないか……アトランティスが沈没してしまったのは、極移動的な地軸
の変動、小惑星の地球への衝突、その後の大津波、気候変動、火山爆発等の
複合的要因が重なっていたようであります。

 このディザスターは単にアトランティスだけではなく、全地球的に被害を
もたらしたはずであります。アトランティスから脱出できた人々は各地に散
り、その場所での語り伝えと予知のための方策を実践したでしょう。

 「三が重なって一つになる」の概念は、やはり天体観測、それも太陽観察、
即ち「冬至、春分・秋分、夏至」の観察と天文知識を言うのではないか、そ
してそれは単に一年のサイクルを知ったり・作物の管理に使ったのではなく、
もともとはアトランティスの沈没のような大ディザスターの予知=太陽観察
による太陽(軸)の異変等の予見が主目的であったのではないでしょぅか――
四冊の本を速読して感じた次第であります。

 もっとも、ドネリー本人の説の中身を知ったわけではないので、本人の著
書『アトランティス 大洪水以前の世界』のペーパーバック版をアメリカか
ら取り寄せることにしました――
         
[55]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月12日 14時34分44秒 ) パスワード

三つ柏さん


すごい研究になっていきましたね。
ウイキのアトランティスの紹介をちょっとコピペ:


プラトンのアトランティス       
                       アトランティス王家はポセイドンの末裔
                       へぇ〜

                        

プラトンの『ティマイオス』と『クリティアス』によると、
アトランティス島はジブラルタル海峡のすぐ外側、
大西洋にある、
当時ギリシャ人が最大の島と考えていたキプロス島よりも大きい、
非常に広い島だった[2]。

アトランティス島は資源の宝庫で、必要な物質の大半を島で補うことができ、
農産物の豊富で、畜産も盛んだった[2]。

そこにあった帝国は、大西洋を中心に地中海西部を含んだ広大な領土を支配していた[2]。

当時存在した国と考えれば、アトランティスで特筆すべき点は、領土の規模の大きさである[2]。

語られた技術や素材から、青銅器文明に属していた[2]。

84万の兵と1万台の戦車、1200隻の軍艦と24万人の乗組員を動員することができたとされ、
青銅器時代の国家としては突出した軍事力を持っていたことになる。


彼らがこれほどの富と力を持っていたのは、王家がポセイドンの末裔であったからだとされる[2]。
     

しかし、ポセイドンの子孫と人間が混じるにつれ、神性は失われていき、
アトランティス人は物質主義に走り、
さらなる富と領土を求め、暮らしは荒廃した[2]。


これを見たゼウスは神々を集め、アトランティスにどのような罰を下すか話し合い、帝国の敗北と島の破壊を決めた[2]。

                       ゼウスが?!
                       ビックリ!



帝国は紀元前9400年頃に地中海沿岸部に征服戦争を仕掛け、
アテナイ人は近隣諸国と連合して抵抗し、激しい戦闘になり、
アテナイ軍はからくも勝利し、
地中海西岸をアトランティス人の支配から解放した[2]。


直後に、大地震と洪水によって一昼夜のうちにアトランティス島は海底に沈み、これらの災害はアテナイ軍にも大きな被害を与えた[2]。

                       これまたスゴイ


島が陥没してできた泥土が航行の妨げになったという描写から、島が沈んだのはさほど深くない場所だと考えられる[2]。



なるほどね
男子が喜んで話す内容ですね
夢がある。

ということは、もしかすると本当に発見されるかもですね。
[56]三つ柏服部さんからのコメント(2019年02月13日 13時19分25秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 A-MAIL、昨日着きました。ありがとうございました。
 人間ドックの結果が出ましたが、特に問題はなく、また一年、命が保証
された感じでホッとしています(一年ごとにヒヤヒヤです)。

 さて、古代史・太古史に関する本をさらに二十冊程読んで(超速読)して
みました。「三」に関する概念を示唆するものはいくつかありますが、や
はり時系列的に整理して推理する必要があると感じました。時系列的に並
べることにより、一本の筋(コア)が見えてくる……そんな感じであります。

 私の「三つが重なって一つになるという思想」に対する結論は、意外と
近くに"落ちて"おりました。もっとも、アトランティスやムーや、シュメ
ールやエジプト、ギリシャやローマ、等の長いスパンでの情報を収集した
結果により得られた確信であります。

 結論を言いますと、前にも記したことがありますが、それは――

 「ヘリアカル・ライジング」
  ※「heliacal rising」:ある天体が、あたかも太陽を従えるかのよ
   うに、日の出直前に東の空に上ってくること。エジプト文明やマヤ
   文明では、シリウス星のヘリアカルライジング(つまり、シリウスが
   露払いのように先に出て、あとから横綱の太陽が出て来る)を、1年
の暦の区切りとした。

であります!

 事細かく説明すると、長くなりますので、要約して説明いたします。
 以前より読んでおりました伊藤宏之氏(s26生れ 秋田県出身 詳細未調査)
の『シリウス星と謎の古代空間』の中から(一部修正補足)――

 「古代エジプトでは、シリウス星はイシス神とみなされ、オリオン座の
 オシリス神と結婚し、そして太陽神ホロスを生み出すという重要な神で
 あった。
  そのオリオン座には、三つ星がほぼ一直線に並び、シリウス星の方向
 に向かっている。。
  古代エジプトでは、元旦の地平線に出現する「ヘリアカル・ライジン
 グ」を聖なる始まりの時とし、シリウス歴・神官歴を信仰の中心として
 いた。」

 つまり、「三つが重なり、一つとなる」とは、「オリオンの三星が一列
に並んで指し示す方向にシリウスがある。シリウスは太陽を後ろに伴い、
案内するように地平線より顔を出す」という意味であり、いわゆる天体シ
ョウの醍醐味でもあった。天体観測は、アトランティスやムーの時代から
精密に行われており、その沈没後、古代エジプトには、その残滓が伝えら
れ、それらを発展させていったものと推察いたします。
天体観測は、ただ作物のためならず、天体によりもたらされるディザス
ター(大災害)を予 知するためであった可能性が高かったものと推察いた
します。


 このへんに関する話は、もっともっと底の深いものがあると思います。
まだまだ色々な話が秘められていると思われます。

 この伊藤氏の本を読むと、日本の神話的世界が、ある意味「星座」にま
つわった話として解釈されます。人類の太古の経験が、ユングのいうよう
な集合的無意識として、脳裏に巣くっているのかも知れません――
[57]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月13日 14時22分47秒 ) パスワード

三つ柏さん

>heliacal rising

太陽にくっついて、というのですね


>シリウスX・神官X

X は 暦  ですね。

シリウス暦・神官暦


以下コピペ:

古代エジプトにおいて,
毎年ナイル川が増水しはじめるころ,
シリウスという全天でいちばん明るい恒星が太陽に先駆けて薄明の東の空に見えるようになる。


多年にわたる観測の結果,
この事実が発見され,
ナイル川の洪水時期はシリウスの日出前出現(ヘリアカルライジングheliacal rising)によって予見された。

洪水の去ったあとの肥沃の土地に耕作したエジプトの1年は,洪水期,播種(はしゆ)期,収穫期で成り立ち,
世界で最初に太陽暦が使用された。
                       すごい!


古代エジプトではソティスといい,女神イシスと同一視され,ことさら崇拝された。

この星が日の出直前に東から昇る,いわゆるヘリアカル・ライジングheliacal risingのころが母なるナイルの氾濫(はんらん)期の始まりに一致していたからである。

イシスの神殿はシリウスの出没方向に合わせて設計され,ヘリアカル・ライジングの観測によって年始を定めた。

     ↑
     この部分、少し前、三つ柏さんがお書きになっていたことに似てますね。
 

シリウス(Sirius)
おおいぬ座で最も明るい恒星で全天21の1等星の1つで、太陽を除けば地球上から見える最も明るい恒星である。

視等級は-1.46等で、シリウスに次いで明るいカノープスのほぼ2倍の明るさである。

バイエル符号における名称は「おおいぬ座α星」である。



古代の人ってカシコイ人がいたものですね。
確実にスゴイ人達がいたものだと謙虚に思います。
[58]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月13日 15時04分19秒 ) パスワード

今日録画してあった「チコちゃんに叱られる」を見ました。
和田アキ子が出てた回です。


     和田アキ子の頓珍漢ぶり
     まさにワタクシでありました。

     シリウス?何か聞いたことがあったような?
     なんて・・・頭の中は???でいっぱいでした。

     これが年齢というのでしょうか?
     泣


この番組の「小石が靴の中に入るのはなぜ?」の解説者の
名古屋文化短期大学学長 成瀬 正春さんは
恐らく尾張藩の付け家老だった犬山城の成瀬家の出身じゃないかなと思います。
通字が  正  だし。


お顔が愛知県の人だな、と
それで、そう、思いました。



人間ドックの結果が良くて、安堵しました。

まだまだ万巻の書を読み万里の道を往き万人の友を得ないといけないのですから
健康であることはとても重要です。

わたくしはマダマダ三つ柏さんに刺激を頂かないといけません。
脳を使わないとボ〜ッと日々を過ごしてしまいますから。
脳細胞が寝てしまいますから。


今日は手術後に骨壊死を起こしていた友人からも良い知らせがありました。
彼女のCRPが正常に戻ったと連絡があり、これでぐっすり眠れそうです。

確定申告の記入も一応完成したし。
来週月曜に会計士の予約も入れたし。


なんだか今日は良い日になりました。


あ、そうそう今日は大野拓朗の「猫忍」を見ました。  猫を「父上」の変身後だと思っているお話です。

大河で桐野利秋(中村半次郎) 役を演じた人です。

目がすっごく印象的な人で、
話し方が佐藤健にそっくりで、

話し方が佐藤健に似ているのは  あれが埼玉弁かぁ  と分かりました。


ブレス?息?切り方?   息を吸った後の最初の音を出す時の位置が特徴なんだな  というのが分かりました。


                       こういうのにすっごく興味があるのです。
                       音フェチです。
                       生まれ変わることがあったら次の職業は音声学の研究者かも。


もう寝ます。
おやすみなさい。  
[59]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月14日 07時37分07秒 ) パスワード

メールで教えて頂きました:


https://www.youtube.com/watch?v=5QF0LSFT1Yk
アトランティスの失われた都がついに見つかる?

アトランティスは島じゃなかった?
サハラの目では?


ご自宅に40qの巻き尺をお持ちの方は是非  リシャット構造へ GO!

ここがアトランティスではないか?
ですって。



座標: 北緯21.058871度 西経11.475220度

人工衛星から捉えたリシャット構造
リシャット構造 (Guelb er Richat) とは、アフリカ北西部、モーリタニアの中央部に位置する巨大な環状構造である。リシャット構造体ともいう。

直径は約50kmに及び、宇宙空間からでないと、その全容は掴めない[1]。その形状から「アフリカの目」、「サハラの目」と呼ばれることもある[2]。周囲はサハラ砂漠に囲まれ、標高100〜200mほどの高台の中に、窪地となったリシャット構造が存在する。構造内部は、同心円上に標高100mほどの山が幾重にも重なっている。発見当初は、隕石の衝突によるクレーターと思われていたが、調査の結果、特有の鉱物が存在しないこと、直径に比べて深さが浅いことなどから、これは否定されている。山を形成するのはカンブリア紀の固い岩石であり、長年の風化や浸食によって、柔らかい岩石部分が削られ、このような地形が形成されたとされる。環状となったのはドーム状の隆起運動のためと考えられる。
[60]三つ柏服部さんからのコメント(2019年02月14日 17時31分46秒 ) パスワード

空の青海のあを様


 シリウス星が、実は「三重星」であったことがわかりました。
 また、シリウスは、約二千年前には「赤い星」であったこともわかりまし
た。
 「赤い星」と言えば、「平家星」でありますが、これはオリオン座の「ペ
テルギウス」で、シリウスとは「冬の大三角形」を形成していることは、何
か意味深であります。平家とは、何か関係しているのか、今後このテーマを
探ってみたいと思います。

 聖数「三」について、あるいは「三つが重なって一つになる思想」について
は、調べれは調べる程、いろいろな情報が出てまいりますが、完璧に論理的な
説明をなすものには今の所出会っておりません。
 ドネリーの書いた本には、「ポセイドンの持っている三つ叉の笏、または三
つ叉の鉾が、三という数として古代世界の権力や宗教の基本概念としてどのよ
うに現れたか」が書かれているといいますので、この本が届いた時に、解釈し
してみますので、アトランティス関係については一応閉じたいと思います。

 古代史、太古史を見つめ直しましたら、新たな情報、面白い情報に出会いま
したので、次回にそれらについてのご紹介をしたいと思います――
[61]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月14日 22時22分53秒 ) パスワード

三つ柏さん

「三つ」の原点はポセイドンなんでしょうかねぇ?

古代ヨーロッパの三頭政治も思い出しますし。


>次回にそれらについてのご紹介をしたいと思います

よろしく、です。
[63]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月15日 04時19分02秒 ) パスワード

このスレッド中ではいろいろ学びました。

1.
わたしが、何故、松永久秀の最期をかばってあげたいか、
ソレまで分かってしまいました。


     オトコという生き物については小学校の3年生までしか知らなかった
     大学に入ってオトコ解禁になって
     オトコとは何なんだ?
     とワケ分からなかった。


    どんなオトコが自分の心が捜し求めている理想なのか
    やっと答えが見つかった:
        平家と南朝に集約し
        最期が美しいオトコ
    というのが行き着いた結論、かな?


そうすると松永久秀の最期は美しいかと問われたら
この21世紀には受け入れられないね
としか言えないが

ワタシは昭和のオンナで20世紀の人間ですからね


自分の大切なものと自分の命は、一つ、分けられない、という事だったのか
と気が付いた。

久秀は
誰が信長なんかに自分の大切な平蜘蛛の茶釜を渡すものか
と茶釜と城と自分とを木っ端微塵に。

    21世紀的・世界文化遺産レベル  (大きくでたな > 自分 ) で考えると  許されざる暴挙ではあるけれど


日本人って  1番大切なもの=子供とかね  を遺して自分は死ねない  ってメンタリティがあるよね。


この「心中」って感覚は日本人として分かってた。


2.
それがこのスレッド中に第2の理由が分かった:
ま、日本の武将にはよくあった、自分の命=自分の城、ってのですね。


      わたしの母方先祖は敵にとられてた城を取り戻し

           元は自分の城だから「勝手知ったる自分の庭」だものね
           配下50人で取り戻せたわけだ

      しかし時代は南北朝時代とは異なり戦国時代・・・衆寡敵せず・・・
      我が家は当時の大物武将5−6名に襲われていたわけで(時期は異なるけど)  
           あれ?明智光秀はうちの味方になってくれてたよ、と、今、思い出した


      母方先祖はついに敗北を認めざるを得ず
      城に火をかけ生害。

           彼には自らの命を差し出し城を信長側に明け渡して一族の命乞いをすることも可能だったし
           信長の敵でもあり自分の敵でもあった某氏に溜飲を下げられたのに(ざまぁ〜、って)
           どっちも選ばず城と運命を共にした



などと思っていたら
なんと!3つ目も分かっちゃった。


3.
ワタシが大学1年の時、ワタシと結婚すると騒いでた男の子、当時4年生、の家が松永久秀の親戚だった!

       まだワタシは18歳だよ
       オトコ解禁になって1か月だよ
       それもゴールデンウイーク前だよ


           結婚が運良く成立しなかったのは彼がお姉さんの持参金のハナシをしたオトコだったから
           たとえお姉さんの結婚時のハナシでもねぇ、お金のことはねぇ。

       一応彼の家は大名家の末裔なんだから良いお話ではあったけど

           彼の家は何重にも母方の遠縁になる。
           ものすごく繋がってる。



           恐らく邪魔したのは父方の遺伝子だな。


           父方の遺伝子が持参金とか嫁入り支度とか結納とか、そういうのが入って来るのが実に嫌だった

            ここから名古屋人のハナシだ

           名古屋人の父としては豪勢な準備をするのを向こうからア〜だコ〜だ言われたくなっかった、ってこと。
           名古屋人のプライドっての。



あ、私がオットと結婚した時は  歯ブラシ1本  の結婚だった。
父は名古屋人だから泣いてたけど   歯ブラシ1本で娘を嫁にやることになるとは、   と。
コ〜ユ〜名古屋人のメンタリティもメンド臭いんだよね。


        父方従姉妹が1970年あたりに岡山の旧家にヨメに行った時は
             名古屋ですからね
        なんとかの着物だけで2000万円だった。
             それでも「うちは娘をハダカでヨメにやった」という世界


このスレッドでこの1週間で3つも  そういう事だったの?! と分かってしまった。


ということで、このスレッドにもご先祖さまパワーが来ていたのを感じた。
やっぱりワタシには、まだ、平家と南朝のご先祖さまがしっかり見張ってるのを感じた。
[64]丸三つ柏服部さんからのコメント(2019年02月15日 16時08分42秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 あを様に、敢えて質問いたしますが――

 @織田信長は、平氏であったと自認していたそうですが、本当にそうでし
 ょぅか。

  古代の本を読んでいましたら、紀元前のヒッタイトの後のスキタイには、
 敵の頭蓋骨に酒を入れて飲む習慣があったということを知りました。あの
 織田信長も年代的には二千年近く違いますが、正にその通りのことをした
 ようであります。討ち取った朝倉義景、浅井長政とその父の髑髏(かわいそ
 う!)で酒を飲んだ――と言われております。
  残酷とグロテスクの極致のように思われますが、でもこれは平氏のDN
 Aではないのではと思うのですが、どうでしょぅ? 確かに、清盛も残酷
 なことはしているようですが……?


 A桓武平氏とは、結局は桓武天皇の後裔ということになりますが、さら
 に遡って、桓武天皇のルーツとアイデンティティーは一体何になるので
 しょぅか?

 B平家が平家たるアイデンティティーとは、一体何なのでしょうか?

 急ぎませんので、おついでで結構です――

 今月の月刊『ムー』には、改元前に当り、かなり久しぶりの飛鳥昭雄氏
+三神たける氏による天皇家と秦氏に関する最終結論『古代ユダヤの秘宝
メノラーが照らす出雲大社と大和朝廷の始原』が特集されております。ち
ょうどメノラーや出雲大社に言及していたところなので、何というタイミ
ングかと、驚いております。
 八咫烏からの情報によりもたらされた内容もかなりありますが、全体的
にスッキリとうなづける論理立てでありますので、素直にそのまま信じた
いとは思いますのですが、片や学術的には浮いた説扱いになってしまうだ
ろうと、早くも残念な境地ではあります――

 
[65]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月16日 03時52分02秒 ) パスワード

三つ柏さん

>八咫烏

昨夜は「刑事ゼロ」を見て寝ました。
現在確定申告をやってるところで今日清書を予定。月曜に会計士に会いに行きます。
それで疲れて寝てしまった。6時前に。


     京都の山奥にひっそりとたたずむ“八咫神村”
     八咫神村は“神様が棲む”といわれる村

     この村が風が強いのは八咫神さまが羽をバタバタ動かすから


八咫だって!
八咫烏だって!
京都の山奥だって!

もう、   え?え?え?  でしたよ!


わたしにとって  八咫烏ってサッカーのシンボル  つまり蹴鞠の神様???? のイメージしかありませんでした。



それで三つ柏さんの
>今月の月刊『ムー』には、改元前に当り、
>かなり久しぶりの飛鳥昭雄氏+三神たける氏による天皇家と秦氏に関する最終結論
>『古代ユダヤの秘宝メノラーが照らす出雲大社と大和朝廷の始原』が特集されております。
>ちょうどメノラーや出雲大社に言及していたところなので、
>何というタイミングかと、驚いております。


何というタイミング!
わたくしの方こそ、何というタイミング!  でございます。



あの「刑事ゼロ」で映されていた山々の設定が
    京都から  (熊野や)吉野を臨む  山々でもある
ってコト?


京都から吉野を望むって


と思っていたけど
やっぱりワタシって平家や南朝方先祖にしっかり見守られていたの?
でございました。



>B平家が平家たるアイデンティティーとは、一体何なのでしょうか?

答え:家族の絆


           将門の相続した土地を奪い将門を殺しているけどね
           清盛は叔父と従兄弟を殺しているけどね(でも伊賀服部家の血をうけた子供は従兄弟の子供でも助けているね)


家族を大切にし悲しませない
そういう一族であり一門だった
心で繋がっている

           初対面の人でも  見れば(あれ?なんか懐かしい!)という血が湧くし  出身を聞いたら   やっぱり!  と肉躍る!


               あ、同じ体形だ、とかね。

               二次元の若君さまと○藤君の後ろ姿の体形がソックリだったのが  ヤッパリ  だった。顔は全然似てないのに

               でも二次元の若君さまと弟の表情がそっくり重なる時がある
               ああ、ヤッパリ、平家と南朝の血のつながりなんだ、と思う。

                   もうすぐ弟が来るのでシゲシゲと弟の顔を見ようと思ってる
                       アブナイな

                         ワタシは弟は
                         若い時の森田健作や
                         ふっくらしてる時の松本潤
                         目元が東出昌大に似てる時がある

                         知り合いは
                         若い時の志垣太郎

                         今の弟
                         トドとかドラえもん体形(チョー ワラエル)

                      
                         


@は状況証拠からはバッチリ平家で南朝方。     暇にあかせてツラツラダラダラ書きますね。

A桓武天皇の母上は半島の人。

高野 新笠(たかの の にいがさ、生年不詳 - 延暦8年12月28日(790年1月17日))

光仁天皇の宮人、後に夫人。

桓武天皇・早良親王・能登内親王の生母。


桓武天皇の即位後、皇太夫人。薨去後に贈皇太后、贈太皇太后。諡号は天高知日之子姫尊。

父は百済系渡来人氏族である和乙継(やまとのおとつぐ)[1]、
母は土師真妹(はじのまいも)[1]。


父方の和氏は百済武寧王の子孫を称する[3]。


高野朝臣(たかののあそみ)という氏姓は、光仁天皇の即位後に賜姓されたもの。
[66]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月16日 15時00分55秒 ) パスワード

髑髏杯についてはムカシ何かで読んだことがあって別に信長だけじゃないですよ
ということでウイキよりコピペ:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%91%E9%AB%8F%E6%9D%AF


髑髏杯(どくろはい、英語: skull cup[3])
ヒトの頭蓋骨(髑髏)を材料として製作された盃である。


紀元前8世紀〜紀元前3世紀にかけて現在のウクライナに割拠した遊牧民族スキタイの習俗に
「頭蓋骨は近親者か最も憎い敵に限り、髑髏を眉の下で切り牛の生皮を貼って杯として用いる」[4]とあり、
これが最も古い髑髏杯の記録だと思われる。


大プリニウスは『博物誌』に、ドニエプル川の北方部族が髑髏杯を用いる事や、
夜間に泉から汲んだ水を髑髏に入れて患者に飲ませるというてんかんの治療法を記している。


567年、ランゴバルド王国のアルボイーノ王はパンノニアのゲピド族を虐殺し、
ゲピド王クニムンド(英語版)の頭蓋骨で杯を作って祝った。

またクニムンドの娘ロザムンダ(英語版)(Rosmunda)を妻としてその髑髏杯を与えた。


811年、プリスカの戦いで戦死した東ローマ帝国皇帝ニケフォロス1世は、
その頭蓋骨を髑髏杯にされて第一次ブルガリア帝国の皇帝クルムに献上された。


971年、キエフ大公のスヴャトスラフ1世(在位:945年 - 972年)はブルガリアに侵攻して大打撃をあたえ、
その地に居座ろうとした。

しかし、これを脅威と感じた東ローマ帝国の皇帝ヨハネス1世ツィミスケスはキエフ・ルーシを追い払うべく、
ペチェネグを使ってキエフ・ルーシ軍を壊滅させ、
スヴァトスラフ1世を戦死させた。この時ペチェネグの首長クリャはスヴァトスラフ1世の頭蓋骨を盃にした[5]。



北欧神話

北欧神話の『ヴェルンドの歌』に登場するヴェルンドは、
自分を捕らえたうえに膝の腱を切ったスウェーデン王ニーズズへの復讐として、
王の2人の息子を殺すとその頭蓋骨を銀で葺いて杯を作り、それと知らない王に贈ったという。


中央ユーラシア・中東

紀元1世紀のローマの地理学者ポンポニウス・メラ(英語版)の『世界地理』によると、
「イッセドネス人は親の葬儀で喜びを表し、集まって祝祭を催す。
そして故人の遺体を引き裂いて家畜の胎児の挽き肉と混ぜ合わせ、
宴に来た人々にふるまい、食べつくす。

頭蓋骨は磨き上げて黄金を巻き、杯に使う。これらの行為はイッセドネス人における最大の親孝行である。」[6]


紀元前2世紀、モンゴル高原に割拠した遊牧国家匈奴の老上単于は、
隣国(敦煌付近)である月氏の王を討ち取り、その頭蓋骨を盃にした。

以後、この髑髏杯は代々受け継がれ大事な時に使用された。[7]



516年、高車王の弥俄突(在位:508年 - 516年)は柔然可汗の醜奴(在位:508年 - 520年)と戦い敗北した。

醜奴はその両脚を駑馬の上に繋いでこれを殺し、その頭蓋骨に漆を塗って盃とした。[8]


1510年、サファヴィー朝のシャー・イスマーイール(在位:1501年 - 1524年)は
シャイバーニー朝のムハンマド・シャイバーニー・ハーン(在位:1500年 - 1510年)を討ち取り、
その頭蓋骨に金箔を塗って盃にした。



インド

インドのヴェーターラ(屍鬼)信仰では髑髏杯に血を注いで捧げ物とする。

11世紀にインドの詩人ソーマデーヴァに依って著された『屍鬼二十五話』にも髑髏杯で血を飲む婆羅門鬼の話が含まれている。



中国

『戦国策』によれば、趙無恤がその敵晋の智瑶の頭部をさかずきにしたという。


元の呉元甫も髑髏杯を常用したという。



チベット仏教・ヒンドゥー教

チベット仏教およびヒンドゥー教のタントラにおいて、
カパーラ(英語版)(サンスクリット語: कपाल、チベット語: ཀ་པ་ལ་)と呼ばれる髑髏杯を宗教上の儀式に使う道具としている。



日本

天正二年(1574年)1月1日、織田信長が、前年討ち取った浅井久政・長政及び朝倉義景の髑髏に漆を塗ったものを馬廻衆との宴に披露したと『信長公記』にあるが、

                       ワタシもこれは読みました

『浅井三代記』ではこれらの髑髏を杯にしたとある。


NHKの大河ドラマ『功名が辻』で使われた3人の黄金の髑髏杯が掛川城に展示してある。

                       なんで掛川?

『玉山遺稿』によれば、江戸時代の漢詩人高野蘭亭は、鎌倉で大館次郎の墓をあばき、髑髏杯を製したという。


徳川光圀は髑髏杯を所有していたという。
これは少年時代に刑場からたずさえてきた罪人の首級であるとも、某忠臣の首級であるともいう。

                       これはどこかで読みました



今昔物語集に、天竺では釈迦を脅す天魔の2姉妹が髑髏杯を持っていると綴られている。



大ムカシどころか超大昔から人間はこんなものかも。



うちの義兄が隣のおばさん(女優。ジーン・アーサー)からアマゾンだかの人間のアタマを縮めたものを貰って喜んでいたら、マザーに捨てられた。

ジーン・アーサーは「シェーン」の映画でお母さん役をやった人です。

      息子役だったブランドン・デ・ワイルドは
      1972年の7月に自動車事故で30歳で亡くなりました。ワタシは当時アメリカにいた。
      日本での最後の番組では「コンバット」に出てたのを記憶しています。
      植物学者だか大学生だかの兵隊役でした。
      木に登って隠れて攻撃するドイツ兵の存在を
      「木の形が不自然だからソコん所に隠れているんだ」と教えているシーンが印象に残っているような???


           「コンバット」のサンダース軍曹役のヴィック・モローは映画の撮影で
           1982年の7月に大道具のヘリコプターのプロペラで頭部を撥ねられて
           共演のベトナム人の子供達2人と共に亡くなりました。


           日本語では「サンダース軍曹」と呼ばれていたけど Sgt. Saunders だから
           ソーンダーズ軍曹、という発音の方が近い。音フェチなんで。
    


                 ワタシは「コンバット」の衛生兵のドックと呼ばれてた役の人が好きでした。
                 コンラン・カーターさん。でも日本ではコンロン・カーターという表記だったから
                 ABCテレビにファンレター出したけど届いてなかったようです。
                 正しくは崑崙じゃなくて混乱カーターConlan Carterだったよぅ。泣


                 やっぱり次回生まれ変わったら音声学の大家になって日本での外国語表記の間違いを訂正してやるかな。
[67]三つ柏服部さんからのコメント(2019年02月16日 22時35分10秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 花粉がひどく舞うようになり、花粉症が本格的に始まりました。目の奥が
熱っぽく、違和感があり、頭痛がします。思考力が低空飛行になってしまい
ましたので、休んで(眠って)コンディションを整えたいと思います。

 今日は、笠井氏と定明寺の歴史について、古文書とは言えませんが、明治
の頃かそのあたりに書かれた文書を解読しておりました。遠江の笠井氏につ
いて、情報を収集したいと思っております。

 「残酷」というのは、相対的なもので、殺傷も慣れてしまえば何とも感じ
なくなってしまうのでしょぅか。今、国内ではトンコレラが流行っていて、
何万頭もの豚さんたちが、殺処分されております。しかしながら、これを残
酷という人の声は聞いたことがありません。
 戦国時代には、武士達は敵の首級を大刀でちょん切って戦功の証としたの
で、正に彼らは「首狩り族」でありました。これについて何も言う人はいな
い。切腹もそう。これら習慣は一体いつ頃から始まったのでしょぅか?

 
 いずれにしましても、思考力がガス欠でありますので、この辺にしておき
ます。すみません――
[68]三つ柏服部さんからのコメント(2019年02月17日 16時03分36秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 古代〜太古史に関して吉田信啓氏の『ペトログラフ(岩刻文字)・ハンド
ブック』という本を読んでいましたら、こんな記述に出会いましたので、
ご紹介させていただきます――

 「平清盛が世界でも類のない"海上神殿"を築いたのは、それ以前から海
 の民の信仰を集めていた厳島の山頂に、何かの重大なご神体や文字岩が
 あることを知っていた上、そこを祀ることが巨万の富と権力に結び付く
 こを熟知していたからそうしたのでしょう。南宋貿易の当時の中心地で
 あった江南の臨安には、ペルシャやアラビア、インドなど多くの文物と
 共に人々が集まっていました。当然、古代ペルシャのシュメールの文字
 文化を知った人々、ケルトやアラビア、インドなどの文化や宗教につい
 ての情報も清盛は知っていた。瀬戸内海の要衝である宮島を押さえるこ
 とで、清盛は世界の先進宗教文化を祀ることにより、そうした海外の海
 様民族との同族感を強めたのです。
  そうして、同じ一つ神を弥山頂上に祀ることで互いの親近感を通じ、
 国際交流促進のよすがとした。だから、シュメールやケルト、フェニキ
 アなどの文字や守護神もそこに掘られているはずです。」

 厳島神社の裏山の弥山(みせん)の頂上付近には、大きな岩がたくさんあ
り、そこに不思議な絵文字が書かれています。もう一度近い内に見に行っ
てきたいと思っています。ちなみに彦島も同じく有名です――
[69]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月18日 05時46分58秒 ) パスワード

三つ柏さん


彦島には行きました。
20年ぐらい前。


彦島には清盛の墓があって、ここの管理人さんが「平家だから」と赤いリンゴをお供えなさいました。

「平家物語」に平貞能(←伊賀の家長の兄上)が平家の都落ちの時に平家3代を分骨したという話が書かれていますから
彦島に清盛の墓があってもおかしくないわけです。


信長が残酷かと問われたら
ま、あんなもんじゃないの?と思います。

    中国では敵の先祖の墓を暴いて敵の先祖も辱めるし、女性の遺体を凌辱するなんてハナシですから
    人間は憎しみからはどんなバカも出来るんだろうなと思います。


我が家は友貞が伊勢で滝川一益に騙されて自害して
その後、弟が跡を継いで、

信長に赦しを乞い、
その後建てた屋敷に今もホンヤさんが生活なさっているので


どんな許し乞いをしたのかと思いますが
でも知りたくもない。

     うちは信長最愛の弟の  信興を  殺しているから
     我が家が根絶やしにされても当然だったんでしょうけど
    
     やっぱり  地縁血縁で  信長も根絶やしには出来なかったのかも。

     前代のホンヤさんの奥様は織田の出ですから。

     実際に織田家と服部家は親戚ですし。

            それが手切れになって服部一族も信長方=津島系と反信長=今の弥富系に分かれて戦った。

            20年ぐらい犬猿の仲になってたのでしょうね。

            その前から、信長の父の代から、織田家の中でも身分が低い家だったのに、旭日のように出世していく織田家にうちはネタミもあったろうし。


一応織田家は越前の剣神社の神官の家だそうで
神官といったら  ま、藤原系とか忌部氏系とか、でしょうけど

天下を支配=あ、天下布武だ=するには天皇家出身の武家でないと
ということで

越前国守護=資盛   平資盛 1171年(嘉応3年)  ですし
越前といえば平家ですし
南北朝時代は南朝方ですし

当然 信長にとって 平家の末裔  というハナシになります。

ま、状況証拠としては信長が平家の末裔であっても  否定する人はいないでしょ。

    神官なんだから藤原氏か忌部氏の出なんじゃないかと反論しても
    日本の狭い政治社会では  どっちにしろ  みんな藤原氏でもあり源氏でもあり平氏でもあり橘氏でもあるから。


         源氏を称したくて新田関係者ですと信長が言いたくても
         日本の支配をする征夷大将軍になるには
         源氏では前がつかえている===足利義昭がいる  から

         それで平氏を選んだのかな?

         となると越前出身はバレてるから  じゃ、資盛の子孫ということで  1つヨロシクね〜
         だったのじゃないかな?

               藤原氏出身って名乗るとしたら  摂政関白  にしかなれないから  それではマズイ。

         橘氏なんて超大ムカシの家だから   誰?それ?  の時代ですからね。


それで信長としては伊勢伊賀は絶対に手に入れたかったんじゃない?
平家の本貫地だから。
で実際に息子達に継がせている。北畠と神戸。

        そりゃあウチと激突するよね。   うちは大負けしちゃったけど。
  
資盛は平家の直系で   清盛 → 重盛 → 資盛 の流れで  母は藤原親盛の娘だから兄の維盛より大事な子だった

資盛は殿下乗り合い事件で伊勢の関に流されてて  そこで  平家一門の平信兼に預けられていた。当然  子供  出来るしね。

              平信兼は北条政子の元婚約者の山木兼隆のパパです。  



だから信長が出自は藤原氏だ平氏だと名乗っても当時の大名の間で誰も否やは叫ばなかったと思いますよ。

      中には名乗りたくても名乗れなかったヒトもいるけどね
      秀吉なんかその1人

      秀吉なんかは信長さまがいなかったら自分は平氏の出身って言ったと思う。

           でもやっぱり  ウチの方がずっとずっと格上だから  ウチが文句付けたでしょうね(笑)


源平藤橘のハナシは大名の間の限定バナシで
どの大名家も本家以外の俗姓を使ってた家では結構柔軟に便利なのを使ってた
ということで

信長としては本心は源氏を名乗りたかったんじゃないかな
それがムリだから平氏を称したんじゃないかな
で、うちが勝ってたら  平氏は名乗れないから  藤原氏  を名乗ったと思いますよ。


      信長さまに母方先祖が膝を折ってたら  大名家として57代続いた我が家は滅亡しなかったのにな。



氏姓制度というかウジカバネはすぐに崩壊したし、
姓なんて
日本は本姓から俗姓がたくさん出てグッチャグチャになっていったし
下剋上があったし
織田家だって1番下っ端の信長の家がノシていって本家を凌駕しちゃったし。

後世の人間がテキトーに、うちの本姓は、と申請したものを、
赤の他人がとやかく言えるような整理されたものじゃないし
今の時代の人間が  あの書にはああ書かれていてアッチの書にはアア書かれていると言っても   時間が経ち過ぎていて。


         うちの母方も源氏って言うしね
         その源氏も3つも種類があるし。笑
         でも確かに  なるほど!  と2019年に納得したし。

         拝領し過ぎ!笑


ま、名乗ったもん勝ちということで信長は伊勢平氏の末裔で良いではありませんか。

それにしても信成は信長にそっくりだと思う。
500年近く離れていても  あれだけ似ているというのが  日本  なのかもね。
[70]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月18日 06時27分05秒 ) パスワード

昨日は「8年越しの花嫁」を見ました。


佐藤健と土屋太鳳の究極のラブストーリーです。

              ワタシじゃアリエナイ


佐藤健は美しい
特に唇が

      佐藤健がもし女性だったら  すべての男性の心をあの唇で虜にすると思う。

顔の形も美しいし。卵型ってのですね。
どんな髪型でもどんな帽子でも似合ってしまうし。


でもワタシは姿勢の悪い人は好きじゃないんで
佐藤健には有名武将役はあの姿勢の悪さで回って来ないだろうな
と思う。

    体幹良いから運動系豪傑系剣豪系忍者系にはピッタリと思うけど。

姿勢が悪いから  クラ〜イ役が似合う  と思う。


背景に下津井と読めたので

下津井には横山やすしさんの操縦の船で行ったことを思い出しました。
オットが朝っぱらから横山やすしさんとビールを飲んで困りました。

横山やすしさんは、ロスでセスナを購入するのに  頭金のことを  自分は中卒だから  ヘッドマネーで通した  なんて言ってました。

    で、うちのオットが「ダウンペイメントのことか」と言って
    「ヘッドマネーで通した」
    と言ってました。

    やっぱり  アタマいい。

    青白い真っ白?な顔をしてました。痩せてて。だって朝からビールだものね。


ワタシなんかアタマ悪いから討ち死に系だけど
やっぱり意地というかプライドで生き残りは計らなかったなと思う。
こうやって死屍累々の世界でピラミッドの頂点に上り詰めた英雄ってヤッパリ凄いと思う。


こうして書いてたら1つ思い出した:

日本海軍の某有名人の一族の人が
「平家は平貞盛の時に将門を討って  ○X守になって  西方面に足がかりが出来た」
と言うけど

我が家の母方家書には○X守というのは載ってない。
ウイキにも載ってない。


友人の勘違いなのか日本海軍史上ではそういう捉え方なのか。


ま、わたくしがドラマを書くとしたら平盛国(上川隆也が演じた)が清盛に仕える前に  宋の国に渡ってた  という設定にしますけどね。
清盛は日宋貿易をやってるし。

      うちの母方先祖49代目が宋に行ってたっていう小説を読んだことがあります。
      まさか!と思ってました。

      確かに時代的には文永の役の前に行っててもハナシは合う。
      なるほど!

            こうして書いてたら  知らなかった自分の先祖の姿が  浮かび上がって来た。


まるでブレインストーミングですね。

ブレインストーミングはアメリカでは重要な思考法です。

      日本じゃ  アホか  ですが。
[71]丸三つ柏服部さんからのコメント(2019年02月18日 10時54分21秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 興味深いお話をお聞かせ下さり、ありがとうございます。服部系と織田系
との関係について、そのリアリティーのニュアンスが少し理解できました。
 織田家と服部家は、津島と長島においては真逆の関係になってしまった。
一口に言うと、海上権益がらみでしょぅか……。

 昨日、郷土史の本を読んでおりましたら、その中に昔の地図があり、曾祖
父の服部喜八郎(羽鳥より婿養子 旧姓鈴木)に関係するのではないかと思わ
れる「喜八郎前」「喜八郎西」「喜八郎東」という字(あざ)があるのがわか
り、見に行ってまいりました。そこは、服織神社の南東五百m位の所であり
ました。曾祖父は幕末生まれであり、除籍謄本には載っているものの、住所
の記載がなく、実際の場所を知る者もほとんど鬼籍に入ってしまっており、
それを見つけ出す手がかりは、永遠に閉ざされてしまったとあきらめており
ましたので、今回それらしき地名に出会ったということは、とても嬉しく、
元気も湧いてまいりました―不思議なものですね。祖先の事を知るというこ
とは、心(顕在意識+潜在意識)の世界に、まるで慈雨をもたらすかのような
効果があります。――
 
[72]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月18日 11時36分06秒 ) パスワード

三つ柏さん


>昨日、郷土史の本を読んでおりましたら、
>その中に昔の地図があり、
>曾祖父の服部喜八郎(羽鳥より婿養子 旧姓鈴木)に関係するのではないか
>と思われる「喜八郎前」「喜八郎西」「喜八郎東」という字(あざ)があるのがわかり、見に行ってまいりました。

すごい!
もう少し詳しく情報が欲しいですね。


服部家と鈴木家は仲が良いですね。

三河の服部家も鈴木家と結婚してますし
メールに書いた大地主さんも鈴木さんでしたし。ニアミスでしたが。笑


>そこは、服織神社の南東五百m位の所でありました。

服織神社との関係が分かると良いですね。
たった500mあたりの距離、というのがいよいよアヤシイですね。


    鈴木家・加藤家・松島家・服部家・永井家は服織神社を挟んだ一族関係で良いのかしらねぇ?


ちょっと見えた感じですが
古文書に書かれていると良いですね。




さっき「イダテン」を見終わったところです。

金栗家の家紋は2つあったようですね:
1つは稲穂の中に蔓三つ柏紋・・・・・  なかなか立派な家紋と思いました
もう1つは  表現が分からない・・・  こちらは略紋なのかしら?


https://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=%E9%87%91%E6%A0%97
【名字】金栗
【読み】かなくり,かなぐり
【全国順位】 14,831位
【全国人数】 およそ380人

現福岡県である筑前国が発祥といわれる。
鉱脈などがあり、ほられた土地や金山が語源。
福岡県、熊本県に多い。
[73]三つ柏服部さんからのコメント(2019年02月19日 12時40分47秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 「丸に三つ柏」について、ついにわかりました――

 レス[34]において、「三つ柏」の表象的な意味について、次の三つの観点
から解明を試みました。

 @「柏」の意味するもの
 A「形象(ほぼ三つ丸の形)」の意味するもの
 B「葉脈(七本と九本がある)」の意味するもの

 この内の――
 Aは、「三位一体、あるいは三位三体の神」
 Bは、「メノラー(七本の燭台)、そしてハヌキア(九本の燭台)」
を意味することが、ほぼ推察されました。

 @の「かしわ」については、その論理的な説明に苦慮しておりましたが、
ついにわかりました――

 それは、日本におけるユダヤ研究のの原点の、川守田英二氏の著「日本
へブル詩歌の研究上・下(約千ページの大作)」を読み直している時に発見
したものです。へプル語とは、ヘブライ語のことであり、川守田氏は、こ
の本を「ヘブル語に堪能なる 三笠宮崇仁親王殿下に献ぐ」としておりま
す。昭和三十一年に、過去の論文をまとめて本にしたものであります。

 この本の中で、川守田氏は日本語の単語をヘブライ語に置き換え、解説
しております。たくさんの単語の解説があり、その中に――

 「柏(カシハ):聖語の「カシワ」(QSWH) "cup,dish,bowl"
        即ち「盃」「皿」「碗」のこと。
       「カシワ」の葉で皿を作って食物を盛ったであろう。
と出ておりました。

 このことを論理的に整理しますと――

 @元々、ヘブライ語で「カシハ」と発音される単語があった。その意味す
  るところは、「盃(さかずき、大きな木製の器)」、「皿」、「碗」のこ
  とであった。

 A木製の盃や皿や碗の代わりに、「大きな手の平のような葉っぱ」をその
  代用とした。

 Bやがて、その葉をつける木を「カシワ」と呼ぶようになった。 

 Cある時期、中国からの漢字を当てはめるのに「柏」を選んだ。この「柏」
  の文字は、いわゆる「柏餅に使われるカシワ」のみを表わすのではなく、
  元来はもっと広い意味、即ちヒノキ科やスギ科の針葉樹を意味するもの
  であった。
  
ということになります。

 さて、私はこの「丸に三つ柏」紋を「出雲」の匂いがすると書きましたが、
出雲大社には、その要素のすべてが揃っておりました。

 @スサノオの「柏の葉」占い
 A古代出雲大社の「三本の丸柱を束ねた三つ柱」
 Bメノラー、及びハヌキア

 このBについて、出雲大社にそんなものがあるのかと疑問が生ずるわけで
ありますが、今月発売された月刊『ムー 三月号』において、飛鳥昭雄氏は
こう解説しております(骨子)――

 「古代の出雲大社にはハヌキアが安置されていた。また、メノラーは隠岐
  の玉若酢命神社にあった。八咫烏が隠岐に渡り、メノラーを出雲大社へ
  と移し替えた。メノラーやハヌキアは燭台であり、そこに灯される火は、
  絶対神ヤハウェの栄光を意味する。」

かなり省略しましたので、説得力に欠けるかね知れませんが、詳しくは原文
を読んでいただければ幸いです。

 つまり、結論は――「丸に三つ柏」は「ユダヤの神の概念を表わす紋章」
であり、また日本でのユダヤの原点は出雲にあった、と私は推察するに至り
ました――
[74]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月19日 13時34分39秒 ) パスワード

三つ柏さん

>飛鳥昭雄氏
>八咫烏

これまたビックリでした。
飛鳥昭雄氏と八咫烏・・・

飛鳥昭雄氏が古代イスラエルのことに詳しいのは知っていましたが、
八咫烏がそのような役割を果たしていたとは。
その上に  隠岐  ですからね。


>かなり省略しましたので、説得力に欠けるかも知れませんが、
>詳しくは原文を読んでいただければ幸いです

いえいえいえいえ
やっぱり飛鳥昭雄という人はスゴイ!

いやいやいやいや
八咫烏パワー
今でも存在してた?



つまり、結論は――
>「丸に三つ柏」は「ユダヤの神の概念を表わす紋章」であり、
>また日本でのユダヤの原点は出雲にあった、
>と私は推察するに至りました――

背筋がゾクゾクします。

是非
東山にいらっしゃって
そして八瀬にいらっしゃって
遥拝を。



う〜〜〜
スゴイことが分かっちゃいましたね。

三つ柏さんは前からずっと出雲大社の存在を指摘なさっていらっしゃいましたが
当たってましたね。

スサノオの
http://blog.livedoor.jp/shig1/archives/117443.html
以下コピペ

素盞嗚尊は、根の国にわたり熊成の峰に登ると「吾の神魂はこの柏葉の止る所に住まん」と仰せられ、柏の葉を投げ、占いをされた。

すると柏の葉は風に舞い、やがて日御碕の現社地背後の「隠ヶ丘」に止った。

これにより素盞嗚尊の五世の孫、天葺根命(あめのふきねのみこと)はここを素盞嗚尊の神魂の鎮まる処として斎き祀ったといわれている。

日御碕神社の神紋、三ツ柏もこれに由来し、神域の付近からは柏の葉を印した「神紋石(ごもんせき)」と称される化石も出土している。

その後、安寧天皇十三年、勅命で現社地に御遷座された。


旧約聖書のヤハウェの神が大仕事を完了して安息に入った
という箇所に似ているかも
と思いました。



三つ柏さんのお家の家紋は丸に三つ柏紋をずっとお使いだったのでしょうね。
これで家紋の継承については揺らぐことはないですね。
良かった良かった!
[75]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月19日 22時56分47秒 ) パスワード

近々新しいスレッドを立ち上げます:


海軍オタクの友人から面白いハナシを貰ったのでココにお裾分け:


備前,備中,備後は,昔吉備でした。
吉備は,香川県あたりもそうだったようです。

                       美作は?


岡山県に鬼城(きじょう)と言う,古代の山城があります。
桃太郎の鬼退治の鬼の住処ですが。

この鬼城ですけど,最近,3世紀位の城では?と言われていて,日本最古の城址とも言われています。

鬼城ですけど,出雲の鉄のルートを,九州と吉備の連合軍が遮断しようとしたときに,出雲か吉備かわかりませんが,作った城だと言われています。

古代,鉄は貨幣代わりだったと言う説もあります。


吉備は,5世紀の雄略天皇に徹底的に破壊されたので,よくわかっていませんが,全長330mの造山古墳と作山古墳があります。

これは,仁徳天皇陵の次に巨大な前方後円墳でして,吉備勢力が巨大だった証明です。

吉備津彦と言う神様が,吉備の王だったと言う説もあります。

                       この神様はうちの先祖の兄上だったかな?




2    わたしの方向音痴をからかって

方向音痴は,女性が多いとされています。
地図を見なくても,男性が連れて行ってくれるので,方向音痴が多いわけです。

                       当たってる


地図は,国際慣例上,上が北ですけど,
これ決まっているわけでないようです。

ですので,真珠湾攻撃の時,日本艦隊は艦載機のパイロットに,南が上の地図を持たせました。
撃墜されたとき,空母の位置がばれないためです。


実際,ニイハウ島に,一機のゼロ戦が不時着しましたが,その時,不時着機から地図が押収され,日本の空母艦隊の位置が記入されていました。


それで,アメリカ海軍は,空母エンタープライズやレキシントンに,南の海域を徹底的に捜索させました。
でも,日本空母は北から接近して,北から帰還したので,アメリカ軍機は,ガス欠で不時着する飛行機が続出しました。


ただ,海軍ばかりでなく,陸軍もですけど,日本軍は,一回成功すると同じことをする。
ミッドウェー海戦も,北から接近したので,アメリカに見破られていました。
特に,日本陸軍は,同じ行動をするので,アメリカは,今でも日本海軍は,手ごわかったが,日本陸軍ほど弱い敵はいなかったと言います。

                       さすが海軍オタク
                       海軍自慢がスゴイ
[76]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月20日 03時03分57秒 ) パスワード

http://www.hikoshima.com/bbs/heike/101655.html
長上郡の服部氏族C]\:119:三つ柏紋の謎解明成功

を立てました。
[77]空の青海のあをさんからのコメント(2019年02月20日 22時30分53秒 ) パスワード

美作ってドコよ
というわたくしの疑問にお答え頂いたので
こちらにもそのレスなどを転写:


「吉備の国」と「鬼ノ城」


吉備の国の範囲については
南は、いまの香川県の島々を含め、
東は播磨国の加古川姫路と明石の中間の川が国境の時代が有った様です。

                       東の播磨国に引っ掛かるというのはなんとなく分かってたけど


様々な文化圏としてハッキリわかりますね。

西暦555年に吉備の5郡を割いて美作の国を興し、
白・屯倉(しらいのみやけ)が置かれました。
蘇我氏が管掌の屯倉です。
吉備の国は中国地方の半分近くを領域にしていました。



鬼ノ城(きのじょう)は大陸的(高句麗系的・遼東遼西)な古代山城です。

https://www.travel.co.jp/guide/article/2463/

一周で2.8km。(*写真に見える平野部は当時、航行可能な海でした。)

山城に必要な設備がほぼ備わり、
未完成の山城が多い中で稀な完成した古代山城とされている東西南北に4つの門があり、
排水のための水門が6つ、城壁内は30ヘクタールあり、食糧貯蔵庫や水汲み場なども発見されている。

城壁が山を一周取り囲み、まさに山全体が要塞となっている。
戦国時代からも1000年ほど昔に造られている訳です。

スケールこそ違えど日本版の万里の長城。


*この鬼ノ城の時代で、ふもとの谷で最古の製鉄遺跡が発見(それも鉄鉱石からの製鉄)。

砂鉄製鉄より古い時代です。
遼西(山東半島の)北の辺りに居た突厥系の根拠地に当たるのだろうと思います。

「戦国の七雄」の強国・燕の王都(河北省)といった「中国文明の中心地域に分布する
希少なタイプの双翼式銅鏃も近くの岡山市内から出土していますね。

満州南部の遼東・遼西から内モンゴル(北京を含む)・西域を闊歩していた連中ですね。

突厥の字から吉備の文字に変わったと言うのが有りますからね、
製鉄技術を持つヒッタイトの影響を受け継いだ突厥系の集団がでしょうね。



石上神宮の本宮の存在からもすごさが分かります。

石上布都魂神社は「奈良・石上神宮の本宮」です。
宮司が物部氏の子孫と言われています。

奈良石上神宮の社伝ではまた一方で
素戔嗚尊が八岐大蛇を斬ったときの十握剣が、石上布都魂神社(現・岡山県赤磐市)から当社へ遷されたとも伝えている。
この剣は石上布都魂神社では明治以前には布都御魂剣と伝えていたとしている。


                       そういえば、七枝剣の話題の時にもいろいろ教えて頂きましたっけね
                       もう20年近く前?


https://mami2013.exblog.jp/21783270/  布都魂神社

「蛇之麁正(おろちのあらまさ)」と八岐大蛇(やまたのおろち)を斬った神剣がこの神社に祀られていた。
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