[1] | 空の青海のあをさんからのコメント(2016年03月31日 22時53分06秒 ) | パスワード |
なるほどね〜
『京都ぎらい』が話題になった理由を県民性博士が解説
2016.03.31
[2] | 空の青海のあをさんからのコメント(2016年03月31日 22時54分19秒 ) | パスワード |
歴史が違うものね〜
以下コピペ:
「ええか、君、嵯峨は京都とちがうんやで」。同じ京都市内にもかかわらず、右京区嵯峨の著者は、上京区西陣から嗤われる。しかしその西陣ですら、中京区から「西陣ふぜいが」と冷笑を受ける──そんな京都の嫌なところを暴露した本『京都ぎらい』(井上章一著・朝日新書)が話題を呼んでいる。
さぞ、京都人は怒髪衝天状態と思いきや、意外にも、京都人からは「よくぞ言ってくれた」「そのとおり!」との声がやまないでいる。
「京都人の“中華思想(京都を中心に世界を考える発想)”はキリがないんです」と話すのは、京都市出身の60代主婦だ。
「洛中(=京都の市街地の中でもとくに中心地区)の人間は、相手が京都出身と聞いたら必ず“京都のどちら?”と尋ねます。これこそ自分が洛中人だというアピールなんですよ。ほとんどの人は洛中出身ではないですから、申し訳なさそうに“宇治なんです”とか“京都といっても奈良に近い方で…”などとつぶやくんですが、それを表面的な笑顔で“そうですか〜、私は木屋町なんですよ。○○小学校の裏辺りで”と、なぜか細かい住所まで告げてくる(苦笑)。そして家に帰ってから“あの人、宇治だって、宇治!”とか、“○○なんて京都ちゃうや〜ん”と冷笑するんです」
しかし、洛中に住んだとて、そこには生え抜きか否かの問題が立ちはだかるとか。
「同じ京都市内ですけど、洛外から洛中のマンションに移り住んだ家族がいたんですよ。新居は鉾町(祇園祭りの鉾を掲げる町)だったこともあり、祭りの運営に携われると奥さんはえらい張り切ってたんです。でも、町会の会合で積極的に発言したことが古参町会員の気に障ってしまって。
その後、会合に一切呼ばれなくなり、問い合わせても“そのうち”とか“また変更になって”とはぐらかされ続け、やっと呼ばれて行ったら、すでにすべての段取りが決まっていたそうです。最初は彼女も“いけずやわ〜”と笑っていたんですが、そうした嫌がらせが1年も続いてノイローゼになってしまった。2年待たずにマンションは売却したそうです」(47才・女性・自営)
[3] | 空の青海のあをさんからのコメント(2016年03月31日 22時55分38秒 ) | パスワード |
地元の出版社に勤める男性(50代)からは、悪しきならわしについての苦言も寄せられた。
「『京都ぎらい』でも書かれていましたが、古寺が要求する志納金には辟易しています。寺の写真を載せるには、1点につき3万円程度かかります。名目では“寄付”というくくりですが、実際は強制的。拒否する権利はわれわれにはありません。資本力がなければ地元民なのに京都特集を組めないのが口惜しい」
県民性博士として知られる矢野新一さんは、『京都ぎらい』が話題を集めた理由についてこう分析する。
「京都以外の人がこの本を絶賛するのはわかるんですよ。千年のプライドを持つ京都から冷たい仕打ちを受けた人は多いですから(笑い)。でも、地元民が京都批判を受け入れることが画期的ですよね。
考えられるのは、世代交代が進み、今までの中華意識を持たない若い世代が増えてきたことではないでしょうか。そしてシニア世代も今はフットワークが軽いですから、京都以外の世界を知ったこともあるでしょう。もっというと京都人は、観光客が増えすぎたと考えているのかもしれませんね。彼らは頭を下げてまで京都に来てもらおうと考えていませんから、『京都ぎらい』という“ふるい”にかけても問題ないのでしょう」
※女性セブン2016年4月14日号
[4] | 空の青海のあをさんからのコメント(2016年03月31日 22時57分12秒 ) | パスワード |
地元の人にとっては観光客は有難迷惑というのもあるんでしょうね。
[5] | 空の青海のあをさんからのコメント(2016年04月01日 09時06分31秒 ) | パスワード |
http://www.news-postseven.com/archives/20151109_362731.html
異例のヒット本『京都ぎらい』 多くの関西人が溜飲を下げる
2015.11.09
〈千年の古都のいやらしさ、ぜんぶ書く〉──挑発的な帯が目を惹く『京都ぎらい』(朝日新書)が大きな話題を呼んでいる。発売約1か月で6刷の増刷を重ね、関西圏を中心に異例の売れ行きを見せているのだ。
「よくぞ書いてくれた」(大阪府民)など、多くの関西人が溜飲を下げたという同書の著者は、日本文化などを専門とする国際日本文化研究センター教授の井上章一氏。京都市出身で、現在は隣接する宇治市に住む「生粋の京都人」による郷土愛に満ちた新・京都論かと思いきや、そうではない。井上氏が話す。
「京都市の嵯峨で育った私は自分のことを『京都人』だと思っていません。嵯峨は行政上、京都市右京区に編入されていますが、かつては京都府愛宕郡に属していた。洛中の人たちからは京都とみなされないのです。京都府民で自分のことを“京都出身だ”と屈託なく言えるのは洛中の人たちだけです」
洛中とは現在の上京区、中京区、下京区を中心としたエリアを指すという。「碁盤の目」に例えられる京都市街地の中でも、室町時代以来の都市部として栄えた地域だ。同じ京都市でもそれ以外は「洛外=田舎者」扱いされる空気があるという。
同書の指摘通り、平安時代以来の伝統が息づく「千年の古都」の内側には意外にも“いけず(底意地の悪い)”な素顔が満載なのだ。
今年3月、東京〜金沢(石川県)間を繋ぐ北陸新幹線が開通した。日本中が沸く中、唯一関心を示さなかったのが京都人だったという。
「“本家本元”に住んでる私たちが、“小京都”と呼ばれる金沢に行って、今さら何を見るといわはるんです? 周囲でも金沢に行ったという人は見たことあらしません」(60代・女性京都人)
そもそも京都人は新幹線に文句があるという。
「なんで東京へ行くのが“上り列車”と言うのかわからへん。私らは皆、“下りを使う”って言うてますわ」(同前)
その意識の根底にあるのが、東京の皇居はあくまで「行在所(あんざいしょ・一時的な宿泊所)」であるという考え方だ。
「冗談めかしてですが、『天皇家はほんの百数十年間、東京に立ち寄っているだけで、都はまだ京都にある。遷都の詔勅(しょうちょく・都を東京にあらためる詔)はまだ出したはりませんから』と話す京都人もいます」(井上氏)
自分たちこそ「正統」という思いは、時に排他的な言動を伴う。神奈川県横浜市の物販系会社の営業マンが京都市内の取引先を訪れた時のことだ。初めて名刺を交わす担当者にこう言われたという。
「開口一番、“いや〜、えらい地方から来はったんですね”とヤラれました(笑い)。横浜のほうが京都より都会だと思うが、相手は“東京、大阪はギリギリ同格。横浜や名古屋、福岡は地方”との感覚でした」
※週刊ポスト2015年11月20日号
[6] | 空の青海のあをさんからのコメント(2016年04月01日 09時09分28秒 ) | パスワード |
京都ナショナリズム
マンセ〜!
[7] | 空の青海のあをさんからのコメント(2016年04月01日 09時11分16秒 ) | パスワード |
京都人が関西圏で浮く理由 生粋の洛中人・芦屋小雁氏が反論
2015.11.13
紅葉シーズンを迎え、年間来場者数400万人を誇る清水寺を筆頭に、多くの観光客が足を運ぶ京都。だが、古都の雅な姿には似つかわしくない『京都ぎらい』(井上章一著・朝日選書)が大きな話題を読んでいる。多くの関西人が「よくぞ書いてくれた」と、関西圏を中心に異例の売れ行きを見せている。そこまで言われる京都人とは、どんな人たちなのか。
「東(江戸)男に京女」との言葉が示すように、京都の女性は一般的に「上品でおしとやか」といったイメージがある。実際、「見た目はともかく、出しゃばりはおらんかな」(20代・男性京都人)との女性自慢が多く聞かれる。
一方、京都の男性についてはあまり知られていない。大阪出身の作家・島村洋子氏がかつて「京男」と交際した際の経験をこう話す。
「大阪の男は、例えば“メッチャ小さい”など必ず副詞を付けますが、京都の男は同じ物を表現しても“小さい”としか言わない。品があって可愛らしい会話をするんです。謝罪や悪口を面と向かって相手に言うこともない。
でも、そういう“京男”と付き合っていると、何事もハッキリ口に出す大阪生まれの私は“どうせ、私のことを下品だと思っているんだろうな”と劣等感のようなものが芽生え、卑屈になってくる。結局、それで疲れて別れました(苦笑)」
京都人が関西圏で浮いてしまうのはなぜか。前出『京都ぎらい』の著者で、「洛中」ではなく嵯峨で育った井上氏が語る。
「洛中に住む京都人の優越感の源流は南北朝時代にまで遡ります。南朝を打倒し室町幕府を開いた北朝の足利尊氏の頃から京都人の“選民意識”は根付いています。この風土は一朝一夕で変わるものでもない。おまけに近年、東京のメディアが京都の料理屋や観光スポットを持ち上げ、企画に困れば京都特集を組むなど、京都人をますますツケ上がらせている。これだけおだてられれば、京都人が増長するのも当然です」
さて、ここまで言われて、当の京都人は何と答えるのか。中京区で生まれ、今は西陣地区(上京区今出川)に暮らす「生粋の洛中人」で俳優の芦屋小雁氏に反論を聞いた。
「確かに京都はよう、人から“いけず”と言われます。意地が悪い……とか何とかね。そやけど、この言葉、かなり誤解されてまっせ。“いけず”の良さってあるんですわ。例えば、常識を知らん人に“それは違いまっせ”とストレートに言えば角が立つ。だから“本当はこういうことですよ”と気付いてもらうために、あえて遠回しな物言いをするんです。
これは“はんなり”としたお公家文化を引き継いでいるんやけど、わからん人間には最後までわからない。困ったことですな(笑い)」
周囲の無理解ぶりに苦笑する小雁氏だが、やっぱりどこか“上から目線”のような気も……。でも誰だって京都人を笑えないのかもしれない。井上氏はこう話す。
「私も地図上は隣の亀岡市の人に“隣ですね”と言われて、“なんやて。山ひとつ越えなたどりつけへんぐらい遠いやん! それに嵯峨は行政上は京都市内なんやで。そのへんはわきまえてもらわないと!”と心の中で毒づいていました。これじゃ洛中の京都人を責められませんね。
人間には、自分が優位に立ち、劣る立場の誰かを見下そうとする情熱があります。これを全面的に封じ込めるのは難しいことです」
偏見を持たない人間はいない。“いけずな心”は京都人だけが持っているものではない。
※週刊ポスト2015年11月20日号
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