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 投稿番号:101521 投稿日:2016年03月29日 15時00分56秒  パスワード
 お名前:空の青海のあを
ミイラから分かったラムセス3世の死因

コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

http://tocana.jp/2016/03/post_9234_entry.html


註:モーゼの出エジプト話はラムセス2世の御世ね。

[1]空の青海のあをさんからのコメント(2016年03月29日 15時02分23秒 ) パスワード

最後のファラオ・ラムセス2世の暗殺事件。

以下コピペ


考古学者のみならず、世界中の人々の心を惹きつけて止まない古代エジプトの世界。ピラミッドや黄金のマスクなど、数千年を経た現代の科学技術をもってしても未だに理解することができない数多のミステリーが残されたままになっている。しかし、人類が新たな科学技術を手にするに従い、それらの謎も少しずつ解き明かされつつあるようだ。今回は、古代エジプトの王(ファラオ)が巻き込まれた、とある暗殺事件の詳細についてお伝えしよう。
[2]空の青海のあをさんからのコメント(2016年03月29日 15時03分21秒 ) パスワード

謎に満ちた“包帯ぐるぐる巻き”のミイラ

 古代エジプト文明がもっとも栄えた「エジプト新王国」期、強大な権力を誇る最後のファラオとして君臨したのが今回の主役、ラムセス3世(即位:紀元前1186〜1155年)だ。そんな彼のミイラは、1881年に「王家の谷」のもっとも大きな墓で発見され、現在はエジプト考古学博物館に保管されている。

 発見当初から、ラムセス3世のミイラには考古学者たちを悩ませるいくつかの特徴があったという。ミイラの首周りが包帯で厳重に巻かれており、胴体部分は複数の層からなる樹脂で固められていたが、身体に異変が見られないのだ。パピルス(植物を原料とする紙状のもの)には、ラムセス3世が暗殺されたことを示す記述が残されているものの、致命傷が見当たらない。そのため、暗殺説の真偽は長らく不明のまま放置されてきた。
[3]空の青海のあをさんからのコメント(2016年03月29日 15時04分09秒 ) パスワード

 ところが2012年、ラムセス3世のミイラがCT(コンピュータ断層撮影)にかけられたことにより状況が一変する。なんと、幾重にも巻かれた包帯の下で、彼の喉元は鋭利な刃物によって切り裂かれており、これが致命傷となって命を落としたことがわかったのだ。そして今回、最先端の科学調査によって、暗殺時の様子までもが判明したという。
[4]空の青海のあをさんからのコメント(2016年03月29日 15時05分40秒 ) パスワード

ラムセス3世の壮絶な最期とは?

 今月21日、科学メディア「Live Science」が伝えたところによると、ラムセス3世のミイラを最新鋭のCT装置にかけたのは、エジプト考古学者のザヒ・ハワス氏とカイロ大学の放射線医師サハル・サリーム氏だ。彼らは、今回の調査結果を書籍『Scanning the Pharaohs: CT Imaging of the New Kingdom Royal Mummies(ファラオをスキャニングする:エジプト新王国のミイラのCTイメージング)』としてまとめているが、なんとラムセス3世は、これまで判明していた喉元以外にも、足の親指を切り落とされていたのだという。

 ラムセス3世にとって足の親指を切り落とされたことは致命傷にはならなかったが、これによって暗殺時の状況がくっきり浮かび上がってきた。サリーム氏によると、暗殺時のラムセス3世は少なくとも2人の敵に襲撃されており、その一方は正面からファラオに向かって斧のような武器を振り下ろした。その結果、ラムセス3世は(かわしきれなかったのか)足の親指を失ってしまったのだ。ところが直後、今度はファラオの背後からもう一方の敵が襲いかかった。そして一気にナイフや短刀で気管と食道を切り裂き、暗殺を果たしたというわけだ。襲撃後、ラムセス3世はすぐに絶命したと考えられている。
[5]空の青海のあをさんからのコメント(2016年03月29日 15時07分13秒 ) パスワード

「調査では、暗殺時の状況のほか、ラムセス3世がミイラ化される際に、遺体整復師が親指の傷を隠そうとしていたことも判明しています」(サリーム氏)


 このような施術は、死後の世界でも身体を美しく保ち、不自由なく暮らせるようにとの配慮だと考えられているようだ。


 今回の調査によって、これまで謎のベールに包まれていたラムセス3世の暗殺という伝説が史実であることが確定的となった。パピルスに記されているとおり、自らの息子ペンタウアー王子を次のファラオにしようと目論んだ第二王妃ティイが、王家の関係者とともにラムセス3世の暗殺に及んだという線が一層強まったとされる。

 3200年前の出来事を、まるで今そこで繰り広げられているかのように生き生きと蘇らせた最新科学。壮絶な最期を遂げたラムセス3世はたしかに気の毒だが、今こうして彼の人生が再び日の目を見ていることを考えれば、「ミイラになって待ち続けた甲斐があった」と大いに喜んでいるかもしれない。
(編集部)


参考:「Live Science」、「The Daily Mail」、ほか
[6]空の青海のあをさんからのコメント(2016年03月29日 15時19分55秒 ) パスワード

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%82%BB%E3%82%B93%E4%B8%96


ラムセス3世 (英語: Ramesses III) は、エジプト新王国・第20王朝の2代目のファラオである。古代エジプトで大きな権威を持った最後のファラオと称されている[3][4][5][6]。「ラメセス3世」や「ラメス3世」という表記も見られる[1]。以下の本文中における「ラムセス」の表記は全て「ラムセス3世」を表す。



ラムセスの父はセトナクト(英語版)、母はティイ・メルエンエス(英語版)であった。「シェムウ(英語版) (乾季・収穫期) 1月の26日に即位して、シェムウ3月の15日に退位 (死去) した」という情報よりラムセスは紀元前1186年3月から紀元前1155年4月までファラオとして在位したとされる (暦法#古代太陽暦の暦法を参照) 。これに従えば在位期間は31年と1ヶ月[Note 1]であったが、紀元前1156年頃[2]や紀元前1153年頃に死去したとの説もある[1]。なお、ラムセスは第19王朝のラムセス2世の時代のような統治を目指していたと伝わっている[9][10][11]。


ラムセスの父・セトナクトは第20王朝最初のファラオである。第19王朝の瓦解後の政情についてラムセスの息子のラムセス4世(英語版)によって編纂されたハリス・パピルス(英語版)は以下のように記述している。



        第19王朝は外部より崩壊した。
        統一した政権が無くなったことで各地に軍閥が割拠して内戦状態に陥った。
        互いに殺しあった後に「パレスチナ (シリア) 出身者」が支配者となったが、各国に貢物を要求し、他人のものを掠め取った。

        また、神々を人間と同じように見なしたため、神殿に生贄を捧げる者は無くなった。


               — ハリス・パピルス[12]。


この「パレスチナ出身者」は「イルス (Irsu)」という名前であったが、その正体は明らかではない。ドイツの歴史家のフィリップ・ファンデンベルク(ドイツ語版)は第19王朝末期のファラオであるシプタハ(英語版)やタウセルト(英語版)の時代に権限を握ったバイ(英語版)やパレスチナ出身のエジプト軍幹部などの名前を挙げ、タニスで政権を運営していたとしている[12]。

セトナクトはイルスを討伐してファラオについた[7][13]が、セトナクトの治世は2年で終わった[9]。なお、ラムセスはセトナクトの共同統治者であった[5]。



                  略
             彼の政治とか戦争とか興味無いので割愛

             歴代ファラオの中で最も大量の銀を持っていたことには興味がある。




暗殺

ラムセスの時代に行われた公判を書写したパピルスにより、メディネト・ハブ(英語版)で行われた祝宴中に王室の後宮 (ハレム) によるラムセスに対する暗殺事件があったことが知られている[50]。

その事件はラムセスの妻の1人であるティイ(英語版)が教唆して、自らの息子のペンタウアー(英語版)に王権を相続させるというものであった[33][50]。

ラムセスはペンタウアーではなく、ラムセスの息子の中で最も年長であったイセト・ター・ヘムジェルト(英語版)の息子 (後のラムセス4世(英語版)) を自らの後継者に選んでいた。





メディネト・ハブのラムセスのレリーフ
パピルスにはその事件に多くの人間が関与したことが記されており、事件の中心人物はティイとペンタウアー、侍従長のペベッカメン(英語版)、王室の執事(正式な国家の官職であった)7人、宝物庫の監督者2人、軍隊の将軍2人、王室の書記2人および伝令官1人であった[51][52]。暗殺に至った手順ははっきりしないが、蝋人形や呪術による方法が含まれていた[48][53]。

長い間、ラムセスが暗殺されたのか否か明らかではなく、ラムセスのミイラの首の周りに包帯が厳重に巻かれていたものの、身体に明らかな外傷は無いと信じられてきた[54][55][56]。

2011年、ドイツの犯罪化学のチームがラムセスのミイラを調査し、首の周りに巻かれていた包帯の部分のコンピュータ断層撮影 (CT) を実施した。それによると喉首を横切って深い刃物傷があり、その傷は椎骨にまで達する深さであった[57]。

2012年12月、エジプトの考古学者ザヒ・ハワスを中心とするチームがラムセスのミイラをCTスキャンしたところ、ラムセスは生存中に喉を切られ(気管と主幹動脈が裂けていた)、傷は左右7センチメートルで脊椎に達する致命傷であり、恐らく即死であったことがわかった[4][50]。また、解析した画像から喉の傷の中に「ホルスの目」のお守りが埋め込まれているのを発見し、これによりエンバーミングをした段階で既に傷が存在していたことが裏付けられた[2][4][6]。





ラムセスのミイラ (上半身部分) 。首に巻かれている包帯の下に致命的と見られる刃物傷が発見された。
なお、暗殺されたことが確定するまでは、「くさりへびに咬まれた傷が、ラムセスの死を引き起こした」という説もあった[4]。これについて、ラムセスのミイラに来世で蛇から身を守るためのお守りが付けられていたことや、暗殺者の一味であった食事と飲み物を給仕する召使は「蛇と蛇の王」と呼ばれていたことが根拠として挙げられていた。

こうしてラムセスは暗殺された。享年は約65歳とされる[2]。ラムセスの暗殺には成功したものの、トリノの法のパピルス (en) によるとその年の内に事件に関与した者は全員が処刑された[51][58]。公判のことを記した別の文書によると、総数で38人に死刑判決が下された[59]。

但し、有罪となった内の何人かは自殺 (恐らくは毒) する選択権を与えられ[60]、ペンタウアーもその一人であった[61]。ペンタウアーのミイラである可能性が高い「叫ぶミイラ」と称されるミイラ[50]の胃の中からは毒物が検出され、遺体から臓器や脳を取り出さずにミイラ化されていた。さらに儀式において不浄とされたヤギの皮を被せた上で両手両足が強く縛られていた跡が発見された。ハワスはこのミイラの処理方法について異常なものであったとコメントしている[2][4][62]。

歴史家のスーザン・レッドフォード(英語版)は、ペンタウアーは毒を仰いで自殺する選択を許されたが、事件に関与した他の者は生きたまま火刑に処されて、その遺骨・遺灰は通りに撒き散らされるという屈辱的な末路を与えられたと推測している[62]。

このような処罰は、古代エジプト人にとってファラオを殺傷することが重大な事項であることを強調し、強い見せしめとなった。古代エジプト人はミイラ化などにより身体が保存されたならば来世に唯一到達できると信じていたため、火刑により身体を破壊されることは現世で犯罪者として殺害されるだけでなく、来世に到達することが許されずに人格を消滅させられることを意味していた。

ティイとペンタウアーの墓は強奪された。また、来世で楽しむことができないように2人の名前を徹底的に抹消したため、2人の名が見られるのは公判の文書以外に無い[53][56]。

この事件の裁判員に12名が任命された[55]が、事件に関与したとして告発された後宮の数人の女はその公判を審理する裁判官を誘惑して、5名の裁判官がその女たちと密通したことが発覚した。裁判官は処罰されて[56][54]、1人は刑が執行される前に自殺し、3人が鼻と耳を削ぐ刑を科された (残り1名は無罪)[55][63]。

後継のファラオにはラムセス4世が就いた[50][64]が、ラムセスが死去して以降の第20王朝は衰退に向かうことになり、古代エジプト文明自体が崩壊する一歩でもあった[34][55][65]。



ラムセスのミイラについて

1881年、フランスのエジプト考古局 (en) の最高責任者であったガストン・マスペロの指示を受けたエミール・ブルグシュ(英語版)によってデル・エル・バハリ(英語版)のDB320(英語版)からラムセスのミイラが発見された[66][67]。

なお、DB320からはラムセス以外にトトメス3世やラムセス2世などのミイラも同時に発見された。ラムセスらのミイラが王家の谷から移された理由として、第20王朝末期に権力を争っていたピアンキ(英語版) (アメン大司祭国家第2代大司祭) が敵対していたパネヘシ(英語版) (ヌビア総督) やヘリホル(英語版) (アメン大司祭国家初代大司祭) に対抗し、自らの権力基盤を固めるための軍資金として王家の谷の財宝を組織的に盗掘していたことが挙げられる[68]。最終的に第22王朝のシェションク1世(英語版)によってDB320へ運ばれた[66]

ラムセスのミイラは「ミイラ再生」 (1932年) など多くのハリウッド映画で代表的なエジプトのミイラのモデルとして活用されている[54][69] 。ラムセスの墓 (KV11(英語版)) は王家の谷で最も大きな墓の一つである。


2012年に行われた遺伝子研究によると、ラムセスのY染色体は「E1b1a」 (Haplogroup E-V38) に属することが分かった。この「E1b1a」はサブサハラアフリカに住む人種に多く分布する型である[70]。


       
                 へえ〜
                 この人達って・・・いわゆるサハラ砂漠の南のアフリカ人ってことじゃないの?



ラムセスの妻 (王妃) および子息で確認できるのは下記の通りである[11]。第一王妃はイセト・ター・ヘムジェルト(英語版)でほぼ確定しており、第二王妃はティイ(英語版)と考えられている[54][71]。
王妃 イセト・ター・ヘムジェルト(英語版)
ティイ(英語版)
ティティ(英語版)

子息 ラムセス4世(英語版)
ラムセス6世
ラムセス8世(英語版)
アメンヘルケプシェフ(英語版)
メリアメン(英語版)
パレヘルウェネメフ(英語版)
ハーエムワセト(英語版)
メリアトゥム(英語版)
モントゥヘルホプシェフ(英語版)
ペンタウアー(英語版)
ドゥアテントペト(英語版)

以下略
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