[1] | 空の青海のあをさんからのコメント(2016年03月12日 02時14分04秒 ) | パスワード |
すっごく面白いですよ。
秦の始皇帝と徐福は一族で
徐福は神武でなかったのか?
そして・・・
教えて頂きましたので以下コピペ:
軽く見られるのでお薦めです。
新説 徐福・飛鳥昭雄
[古代日本とユダヤ]「新説 徐福」円盤屋 飛鳥昭雄DVDサンプル
https://www.youtube.com/watch?v=pkOR4ZUNSeE
徐福や神武到来以前から呉の国からの大量の移民がいたことが分かりますね。
今につながる米穀や絹織物や錦織などは長江文明であり、雲南を中心とする照葉樹林文化(納豆・しとぎ(もち状態の食事)文化など)が日本に定着している事実ですね。
東亜半月弧・・(文化のフィルター)これに対するが「中東の半月弧」と言われて居ます。
ただ、呉の国の大型の青銅器文化そのものは日本列島に入っていませんね。
これが、おおきな疑問点です。
日本人のルーツ 絹文化も日本漆と同じくで、もともっと古いのかも知れませんね。
http://www.iokikai.or.jp/kodai.sosyuu.html
@紀元前585年〜473年蘇州に都を置いて繁栄を極めた呉は、隣国の越により滅ぼされた。
当時のルールでは、敗戦民は殺されるか奴隷にされた。また世は春秋戦国時代であり、
呉の人々は、混乱と戦災を避けて縄文時代の終わり、約2600年前頃より、倭の国に渡って来た。
考古学的調査により、彼らが最初に水稲と金属器、絹や綿製品も持ち込んたことが確認されている。
A222年〜280年長江(揚子江)流域の建業(今の南京付近)に都を置いた呉は、晋の30万の大軍により包囲され、滅亡した。
この呉の国の人々が大勢日本へ渡来し、稲作と鉄器、織物を伝えた第2波であった呉音。
漢字の読み方には、音(おん)読みと訓(くん)読みがある。
訓読みは漢字の意味に沿った日本(大和)言葉を当てはめたものである。
一方音読みは中国で発音していた読み方で、2通りある。
漢音(かんおん)と呉音(ごおん)である。
呉音は、漢音導入以前に日本に定着していた発音で、呉の国の発音で、やわらかい響きする。
中国の3世紀魏、呉、蜀の3国時代の呉の国の言葉が直接倭国に入って来たのだろう。
また漢字を伝えたのは百済であると言われている。
6世紀に百済から伝えられた仏教の経典は呉音によって読まれていた。律令用語にも呉音が使われていた。
一方、漢音は、7,8世紀に遣唐使や留学僧によってもたらされた唐の長安の発音で、ごつごつした感がある。
793年桓武天皇は、遣唐使らの進言を入れて、今までの呉音を改め、漢音を正式の字音とするよう勅命を下した。
それ以来、漢文はもとより公式の用語は漢音で読まれるようになった。
しかし僧侶達は、呉音に慣れ親しんでいたので反発し、呉音に取って替わることは出来なかった。
江戸時代には儒教は漢音、仏教や和歌、国学は呉音が使い分けられていた。
このために現在の日本の音読みは、南の呉音と北の漢音が混在して使われている。
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