[1] | 空の青海のあをさんからのコメント(2016年01月19日 06時22分54秒 ) | パスワード |
復元された古代のDNAが示す事実/『ネアンデルタール人は私たちと交配した』
スヴァンテ ペーボ (著), Svante P¨a¨abo (原著), 野中 香方子 (翻訳)
文芸春秋
本書は、早熟で、誠実なスウェーデン生まれの分子生物学者が、若き日の志を保持しつづけることによって、あまたの研究上の困難、外野の雑音などに妨げられることなく、ついにネアンデルタール人のゲノム解読という大きな結実を手にするまでの、きわめてハッピーな学問的半生記である。それにしても研究者にとって誠実さとは何か。思うにそれは、困難をウヤムヤのままにしないということであろう。
古代生物の遺伝子解読がブームになり始めた頃、映画「ジュラシック・パーク」ではないが、一種の古さ競争が起こり、琥珀に閉じ込められた中生代生物のDNAまで、研究の対象にされかけたことがある。しかし「エジプト学と分子生物学の合体」を夢見て、ミイラの遺伝子分析から研究生活を始めた著者によると、生物の遺伝子は時間とともに微生物によって分解されるのを免れない。結局どんな試料を得ても、目にするのは微生物か採取時に触れた人間の遺伝子のみといった事態になりかねない。放射線・宇宙線の影響も無視しがたい。安定的に遺伝子が確保できるのはせいぜい数万年前までで、ジュラ紀などとてもとても。そこで著者らはできそうにないことは潔く諦め、剥製や遺物の残る比較的新しい絶滅動物で遺伝子確定の技量を磨く。おかげで自然史博物館が貴重な遺伝子バンクに一新したのは周知の通り。
そうした準備段階をへて、満を持すかたちでネアンデルタール人研究が始まる。じつは著者はポスドク時代を、ミトコンドリア・イヴ説や人類のアフリカ単一起源説で有名なアラン・ウィルソンの下で送っている。従ってネアンデルタール人研究も最初はミトコンドリアDNA(mtDNA)を用いてなされ、まずは現生人類との無関係が推測された。が本当に無関係か否かは細胞核のDNAを子細に検証するしかない。というのもmtDNAは女子を通じてのみ伝わるから、痕跡の残らぬことも大いにありうるのだ。
徹底した汚染物・付着物の排除。DNA片を複製する技術上のブレークスルー「PCR法」の確立などによって(もちろん、いやになるほどの失敗例を重ねたあと)、いよいよ著者らによるネアンデルタール人の核DNAの解読が完了する。その際、付言されたのはネアンデルタール人は現代アフリカ人とは遺伝子の共有部分を持たず、かえってヨーロッパ人、アジア人、オーストラリア人との間に持っているというもの。つまり十万年から五万年前、アフリカを出た現生人類の祖先が中東方面でネアンデルタール人と出会い、交配し、その後各地に拡散していったというのだ。共有部分には免疫系の遺伝子も含まれ、現代人はある種の病気への抵抗性もネアンデルタール人から受け継いでいるらしい。
[評者]稲垣真澄(評論家)
[2] | 空の青海のあをさんからのコメント(2016年02月14日 10時21分27秒 ) | パスワード |
http://www.huffingtonpost.jp/2016/02/11/the-reason-neanderthals-went-extinct_n_9214620.html
4万年前、なぜネアンデルタール人は滅んでしまったのだろう?
正確な答えをみつけるのは難しいが、疫病や気候変動説が有力視されてきた。しかし2月に科学誌「米国科学アカデミー紀要」に掲載された最新研究は、別の可能性を指摘している。約4万5000年前にヨーロッパ大陸にやってきたホモサピエンスと競う能力が無かったというのだ。
研究に携わったスタンフォード大学の生物学者、マーカス・フェルドマン博士は「2つのグループが対立した場合、より発達した文明を持つグループがたとえ人口が少なかったとしても、相手を侵略し打ち負かす」とハフポストUS版に説明した。
ここでいう「文化」とは狩猟の技術やコミュニケーションの能力、予期せぬ環境の変化に対応する能力のことだ。
また、両者は実際に戦ったようだ。「ネアンデルタール人とホモサピエンスの間で、多くの戦いがあったと考えられます。全ての道具が建設的な目的で使われたわけではなかったのです。斧は、何かを作るためだけではなく、破壊するためにも使えます」とフェルドマン博士は述べている。
ネアンデルタール人は、ホモサピエンスよりも知能が低かったのだろうか? フェルドマン博士はこの考えをきっぱりと否定する。
「遺伝的の優性が問題ではありません」と述べるフェルドマン博士は、ネアンデルタール人とホモサピエンスは同等の知能を持っていたという別の研究にも同意している。
今回の研究は、ホモサピエンスの出現が、ネアンデルタール人の絶滅につながったことを示している。しかし、ネアンデルタール人の遺伝子は受け継がれている。
研究によると、人類の中で先祖がアフリカ以外の起源を持つ人たちは、ほんの少しではあるネアンデルタール人のDNAを持っている。
ワタシは2.7%。
オットは2.8%。
[3] | 空の青海のあをさんからのコメント(2016年04月21日 22時25分48秒 ) | パスワード |
へ〜
日本じゃ関心が低いのか
http://welq.jp/8369
日本人にとって、ネアンデルタール人の話は遠いヨーロッパの話に聞こえるのか、この話題はわが国ではあまり関心を引かないようだ。しかし欧米では、ネアンデルタール人の報道は今やiPS細胞より過熱していると言っていい。本当は私たち日本人にとっても他人ごとではない。私の持論として、日本人にもネアンデルタールの遺伝子が伝わっていると考えている。血のつながりがあるのだ。このことを今確信できるのは、ドイツのライプチッヒのマックスプランク研究所の所長だったペーボさんたちがネアンデルタール人の全ゲノムの解読に成功したおかげだ。それ以前は、残っている骨の形と、同じ場所から出土する石器などの分析から、おそらくネアンデルタール人と私たちの先祖はほとんど交流がなかったと考えられていた。しかし動かぬ証拠を受けて、今度は考古学が新しい科学を駆使して私たちの祖先とネアンデルタール人との文化交流の可能性について迫っている段階となっている。
絶滅したのはいつなのか
今日紹介するオックスフォドー大学を中心としたグループの論文がそのような内容だ。8月21日号の科学誌ネイチャー誌に掲載されたが、BBCでもすぐに大掛かりな紹介を行っている。論文のタイトルは「ネアンデルタール人の絶滅の時期と時間的空間的パターン(The timing and spatiotemporal patterning of Neanderthal disappearance)」だ。この研究の材料は骨やDNAではない。調べているのはさまざまな文化を代表する石器だ。ネアンデルタール人も優れた石器を使っていたが、「ムスティエ文化」と名付けられている。一方、我々の先祖といえるクロマニヨン人はその石器の形態からフランスのピレネー地方で起こった「オーリリャック文化」を形成したことが確認されている。実はその間に「ウルッツァ文化」「シャテルペロン文化」が特定されているが、これらの石器の作者がネアンデルタールなのか、ホモサピエンスなのか議論が分かれていた。研究グループは、数多くの箇所から出土した200近い石器の年代分析を、最新の加速器質量分析機を用いてこれまでよりはるかに正確に行うとともに、ベイズ推定法を用いてモデルを作成し、それぞれの文化がどこでいつ始まり、終わったのかを推定している。どうしても断定が難しい考古学の研究ということもあって、論文の論調は控えめで、さまざまな可能性を考慮した書きぶりだ。しかし、この論文の著者の意見は、ムスティエ文化の消滅がネアンデルタールの消滅に相当し、ウルッツァ文化やシャテルペロン文化はおそらく私たちの祖先の産物だと考えたいようだ。
5000年間の共存の不思議、ゲノムが解明か
重要なのは、3つの文化が地域的には分離していても、時間的にほとんど同じ時期に終わっていることだ。オーリニャック文化が始まる前、ウルッツァ文化とシャテルペロン文化が新たに起こり、ムスティエ文化と共存していた。約5000年、ネアンデルタール人は私たちの先祖と接して生活していたようだ。このことは、ネアンデルタール人が私たちの先祖と出会ってすぐに絶滅したわけではないことを示している。この5000年にどんなことが起こったのか?そしてなぜネアンデルタールだけが消え去ったのか?この共存以降のホモサピエンスの遺伝子解読が行われればさらに面白い物語が聞けるかもしれない。5000年の交流の間に、ネアンデルタール人が言語に必要な象徴を使う思考を身につけたのか?もちろんこれも最重要課題だ。ゲノム科学と考古学の交流がますます活発になりそうだ。
[4] | 空の青海のあをさんからのコメント(2016年04月21日 22時29分12秒 ) | パスワード |
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/0810/feature02/
マガジン > 2008年10月号 > 特集:ネアンデルタール人 その絶滅の謎
現生人類と共存していた時代、ネアンデルタール人の身に何が起きたのか。なぜ彼らだけが滅びたのか。そのヒントはDNAと歯に隠されていた。
人間の骨を二つ見つけた――1994年3月、スペイン北部ビスケー湾のすぐ南にある洞窟(どう くつ)を踏査していた探検家たちから、地元の警察にこんな連絡が舞い込んだ。エル・シドロンと呼ばれるその洞窟は、人里離れた森にあり、スペイン内戦のとき、人民戦線の兵士たちがフランコ軍の攻撃を逃れて隠れていた場所だ。当時の人骨ではないか。そう考えての通報だった。だが、駆けつけた警官が発見したのは、それよりもはるかに古い時代に起きた、悲劇の現場の跡だった。
警察は数日間でざっと140の骨を掘り出し、首都マドリードの科学捜査研究所に分析を依頼。6年近い歳月を費やして調べた結果、意外な事実が浮かび上がった。なんとその骨は、約4万3000年前にこの地域で暮らしていたネアンデルタール人の集団の化石骨だったのだ。
その後、エル・シドロン洞窟の古人骨の調査は、マドリードの国立自然科学博物館の学芸員アントニオ・ロサスに引き継がれた。2000年以降、彼のチームは、少なくとも9人のネアンデルタール人のものとみられる、1500の骨のかけらを発掘した。ロサスは、最近見つけた頭部や腕の骨の破片を見せてくれた。どちらも端がぎざぎざになっている。
「これは誰かにたたき割られた跡です。脳や骨髄が目当てだったのでしょう」。骨には石器で肉をそぎとった跡もあり、骨の持ち主が人肉食の犠牲になったことを物語っている。飢えを満たすためか、それとも儀式のためか - 誰が何の目的で食べたのかは定かでない。わかっているのは、死後まもなく(おそらく数日以内に)、骨の下の地面が突然崩れたことだ。骨は動物に荒らされることもなく、土砂もろとも地下20メートルの鍾乳洞に落下し、温度の安定した洞窟で砂と粘土にそっと包まれた。そのため、ネアンデルタール人の謎を秘めた貴重な遺伝子が、現代まで保たれてきたのだった。
ネアンデルタール人は、私たちに最も近かった人類の仲間で、ほぼ20万年間にわたって、ユーラシア大陸に散らばって暮らしていた。その分布域は今の欧州全域から中東やアジアにまで及び、南は地中海沿岸からジブラルタル海峡、ギリシャ、イラク、北はロシア、西は英国、東はモンゴルの近くまで達していた。西ヨーロッパで最も多かった時期でも、その数はせいぜい1万5000人程度だったと推定されている。
[5] | 空の青海のあをさんからのコメント(2016年04月25日 03時15分53秒 ) | パスワード |
http://healthpress.jp/2016/04/dna3-1.html?utm_source=nikkan&utm_medium=topright&utm_campaign=ctr
2016.04.24
シリーズ「DNA鑑定秘話」第32回
約3万年前、ネアンデルタール人が絶滅したのはなぜか?
DNA鑑定秘話第29回「現人類とセックスも!? ネアンデルタール人のDNAから人類の進化の謎を解く大発見!」では、ネアンデルタール人が絶滅した理由は「ホモ・サピエンスの人口が急増し、遺伝子の混合が何世代にもわたるにつれて、個体数が圧倒的に少なかったネアンデルタール人のDNAは、ホモ・サピエンスのDNAに吸収されたため、絶滅した」と推定している。
一方、科学雑誌『 ナショナル ジオグラフィック日本版』(2008年10月号)は、やや異なる仮説を提示している――。
1994年3月、スペイン北部ビスケー湾の南。人里離れた森にあるエル・シドロン洞窟を踏査していた探検家たちは、2個の人骨を発見する。この洞窟は、スペイン内戦のとき、人民戦線の兵士たちがフランコ軍の攻撃を逃れて隠れた場所だ。首都マドリードの科学捜査研究所が掘り出した約140個の人骨をDNA解析すると、人骨は約4万3000年前に洞窟周辺で暮らしていたネアンデルタール人の集団の化石骨と判明した。
マドリードの国立自然科学博物館の学芸員アントニオ・ロサス氏らは、洞窟からネアンデルタール人9人の化石骨1500個の断片を発掘。頭部や腕の骨を叩き割ったり、石器で肉を削ぎ取った痕跡があったことから、骨の持ち主は人肉食の犠牲になったと推察した。
ネアンデルタール人は、およそ20万年前にアフリカを出てユーラシア大陸に向かった。その生活圏は、ヨーロッパ全域から中東やアジアに及び、東はモンゴル、西は英国、南は地中海沿岸からジブラルタル海峡、ギリシャ、イラク、北はロシアまで達していた。人口は最大でも1万5000人程度と推定される。
およそ10万年前にアフリカを出てユ−ラシア大陸に渡った現人類は、中東やその周辺エリアで先住民のネアンデルタール人と遭遇し、異種交配(性交渉)もしていたと考えられる。
ネアンデルタール人だけが絶滅したのはなぜか?
エル・シドロン洞窟の悲劇が起きた4万3000年前、ネアンデルタール人は、寒冷化によってイベリア半島、中央ヨーロッパ、地中海沿岸などの地域に追い込まれる。アフリカから中東へと向かった現人類の進出も脅威になったかもしれない。およそ3万年前、ネアンデルタール人は絶滅した。
ネアンデルタール人と現人類の生活圏が重なっていたおよそ10万(4万5000)〜3万年前に何が起きたのか? 現人類だけが生き残ったのはなぜか?
現人類のほうが賢く、高度な技術をもっていたという仮説がある。言語能力の発達など、脳の遺伝子に起きた劇的な変化が現人類の勢力圏を広げ、ネアンデルタール人を衰退させたという論説も多い。集団の社会構造や生存力の差が明暗を分けたという学説も少なくない。
たとえば、現人類は、男が大型の獲物を追って狩をし、女や子どもが小動物を捕獲して木の実や植物を採集する分業体制や役割分担が成り立っていた。生存リスクが分散できたため、妊婦や子どもが守られ、効率的な狩猟採集システムによって食生活が多様化したことから、生存率が高まった。
一方、ネアンデルタール人は、がっしりした体を維持するために高カロリー食が必要だったので、ウマ、シカ、野牛など大型の哺乳類を捕獲する狩猟生活に依存せざるを得なかった。とくに寒冷期は、性別を問わず危険な狩猟に駆り出され、男は狩、女は育児という分業体制や役割分担が明確でなかったことから、生存するリスクが高まった。
さらに、現人類は人口が多く、大規模な集団と大家族で生活圏を形成していたが、ネアンデルタール人は人口が少なく、3世代が集まる家族単位の小集団生活を営んでいた可能性が高い。つまり、集団が大きければ、人と人との交流や刺激が強まるため、大脳の機能が高まり、知能や言語の発達が促される。さらに食生活の多様化が平均寿命の伸びを加速させ、世代間で知識や経験が伝承される機会も広がる。親密なコミュ二ティの形成や生活スタイルの多様化が好循環や相乗効果を生み、その結果、現人類が生き延びる確率を高めたと考えられる。
このような諸説の立場に立てば、ネアンデルタール人が絶滅したおよそ3万年前は、ヨーロッパ大陸の気候変動が激しかったものの、現人類は社会集団の規模が大きく、集団社会の結束力やサバイバル能力が秀でていた。それが、二つの人類の命運を分けたのかもしれない。
佐藤博(さとう・ひろし)
[6] | 空の青海のあをさんからのコメント(2016年07月09日 05時52分53秒 ) | パスワード |
ときおさんから頂きました:
http://www.youtube.com/watch?v=flrPNJgVNes
日本人のルーツを発見!ネアンデルタール人由来の遺伝子からわかった事実に世界が驚愕・・・
http://www.youtube.com/watch?v=xUSSca37IAw
謎の人類「デニソワ人」の子孫!?ブロンドヘアの黒人が住む島!
(ソロモン諸島のメラネシア人)
[7] | 空の青海のあをさんからのコメント(2016年07月22日 03時18分51秒 ) | パスワード |
親指と小指をくっつけた時に浮かび上がる腱の特別な意味を知ってるか?人類の進化の痕跡を解説!
http://www.youtube.com/watch?v=1CTy20-Ku9c
退化器官
長掌筋の名残り 手首の動きをサポートする筋肉だって。
現代人の13%しか持ってないって。
ワタシ有ります。
血管だと思ってた。バカ
[12] | 空の青海のあをさんからのコメント(2016年08月23日 22時13分49秒 ) | パスワード |
よく分かりませんが数年前には5thカズンあたりは情報を貰っています。
2016年08月23日
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=4155606&media_id=168&from=shared_ranking
遠い血縁関係も高精度で判定 京大が新DNA鑑定法
遠い血縁関係も高い精度で判定できる新しいDNA鑑定法を、京都大の玉木敬二教授(法医学)らの研究チームが開発した。東日本大震災のような大規模災害時の身元確認などに役立つと期待している。
DNA鑑定は染色体に含まれるDNAの配列パターンの違いで個人を見分ける。血縁が近い人ほど同じDNAの部分が多く、血縁が遠いほど少なくなる。これまでは親子や兄弟姉妹までしか精度よく判定できなかった。
これまでの方法はDNA上の15カ所で配列の一致を調べ、その数で判定していたが、新手法は17万カ所に増やし、同じDNAの部分が連続する長さで比べるようにした。その結果、精度が向上し、計算に基づく的中率は親子や兄弟姉妹、おじやおば、いとこがほぼ100%。6親等のまたいとこでも93・9%となった。
[13] | 空の青海のあをさんからのコメント(2016年10月17日 02時47分48秒 ) | パスワード |
http://www.huffingtonpost.jp/2016/10/15/human-footprints_n_12499404.html?utm_hp_ref=japan
古代人の足跡、およそ1万年前のものと判明 何がわかった?
タンザニアのナトロン湖南岸沿いのエンガレ・セロで発掘調査している研究チームが、古代人の足跡を分析している。その足跡は約5000〜1万9000年前のもので、複数の人間がにエンガレ・セロの泥地帯を歩いていったと思われる。
ナショナルジオグラフィックによると、400以上の足跡が発掘調査現場で発見された。この場所はオオル・ドイニョ・レンガイ火山(地元のマサイ語で「神の山」)の近くにある。
この足跡は、古代人が残した最古の足跡というわけではない。現代人類最古の足跡は「イヴの足跡」と呼ばれる、1995年に南アフリカで発見された約11万7000年前の足跡だ。
しかし、アフリカでこれほど多くの古代人の足跡が発見された場所は他にはない。それがエンガレ・セロの大きな特徴であり、特に古代の足跡、またその足跡の残る道筋から、太古の我々の祖先について多くを知ることができる。
「足跡の大きさから足の構造や体の大きさや歩き方について知ることができます。一方、踏み固められた道筋や現場全体の分析からは社会的な行動様式についての情報を得ることができます」と、アパラチアン州立大学の地質学者シンシア・リウトカス・ピアス博士がハフポストUS版の中で語った。ピアス博士は、ナショナルジオグラフィックの支援でで足跡を研究しているチームのリーダーを務める。
エンガレ・セロの足跡は何を語りかけているのか? 足跡は十数人の人々のもので、ほとんどが女性と子供とみられる。時速8キロ以上のスピードで走っている人もいたようだ。中の1人は、足の親指を骨折していたと思われる。
痛っ。
「発掘現場はとても複雑です」と、ニューヨーク市立大学の古人類学者で研究チームのメンバー、ウィリアム・ハーコート=スミス博士はナショナルジオグラフィックで語った。「非常に多くの足跡が集まっている一帯があり、我々はそこを『ダンスホール』と名付けました。1カ所にあれほど多くの足跡が集中しているのを見たことがありません。まったく異例のことです」
9月28日に発表された学術誌「Palaeogeography, Paleoclimatology, Paleoecology(古人類学・古気候学・古生態学)」の論文によると、その足跡は、近くにある火山からの火山灰が堆積している泥地の中に残されていた(URLで動画を観てもらうと、どのようなことが起きたのかがわかる)。
ナショナルジオ・グラフィックによると、その足跡は2006年以前から地元住民の間で知られていたが、2008年になって初めてピアス博士の目にとまったという。
ワシントン・ポストによると、研究チームは当初その足跡が何十万年もの古代のものと考えた。しかし、その年代を特定するのは困難を極めた。その後、発掘現場の土の中の鉱石から年代を放射測定し、5000〜1万9000年前という数値を割り出した。
「現在も足跡を分析中です」と、ピアス博士はハフポストUS版に語った。さらに、発掘現場を確実に保護すると同時に立ち入りができるよう、研究グループはタンザニア政府に働きかけているという。
足跡から今後どのような発見があるかはわからないが、ピアス博士は初めて足跡を見たときの興奮をいまだに思い出すと言う。
「涙が出るほどの感動を覚えました。これらが私たちの祖先の足跡だなんて。私は発見直後に発掘現場でそれをこの目で見ることができたのです」と、ピアス博士は語った。「とても興奮しましたね」
[14] | 空の青海のあをさんからのコメント(2016年10月17日 02時51分45秒 ) | パスワード |
http://www.huffingtonpost.jp/2015/02/20/earliest-twins_n_6719078.html
8000年間一緒だった 古代の墓から双子が発見される(画像)
考古学者のグループが、約8000年前に双子を出産中に死亡したとみられる女性の遺骨を発見した。新石器時代の暮らしに新たな注目が集まっている。
2月発売の考古学雑誌「アンティクイティ」誌によると、この遺骨は難産か閉塞性分娩で死亡した最古の女性で、考古学史上最も古い双子であると記載されている。
この発見で注目すべきは、先史時代に双子が存在していたことは間違いないが、これまで、その証拠はないに等しかったことだ。
7630〜7725年前のものと思われるこの遺骨は、現ロシアのイルクーツク近郊にあるロコモティフという先史時代の墓地で見つかった。女性の遺骨は1997年に発見されていたのだが、当時、この女性のお腹には赤ん坊が1人しかいなかったと考えられていた。
だが、最近行われた再調査で、骨盤部分に2体目の骨が見つかった。
画像:http://i.huffpost.com/gen/2574398/thumbs/o-GRAVE-BIRTH-570.jpg?7
「5分もしないうちに、同僚に言いました。『すごい、双子だわ』」カナダのサスカチュワン大学の考古学者で、研究者の1人アンジェラ・ライヴァース博士は、科学ニュースサイト「ライブサイエンス」にこう述べた。
死亡時、この女性は25〜25歳くらいであったと思われる。死亡原因は、分娩時の双子の異常体位によるものかもしれない。
片方の赤ん坊は、足が下向きで逆子気味であり、もう片方は頭が下向きの正常な頭位であった。「アンティクイティ」によると、現代であっても双子の20%が分娩時にこの体位になり、リスクが高いと考えられている。
双子の赤ん坊がきつく抱き合った状態になっていたか、1方の頭が産道で詰まってしまったのかもしれない。研究者は、そのせいで「分娩が難しくなり、親子3人とも死亡したようだ」としている。
ライヴァース博士はライブサイエンスに対し、ロコモティブの他の埋葬方法と同様、この女性もお腹にマーモットの歯が乗せられ、仰向けに埋葬されていたと答えている。
「このことから、人々はこの女性が双子を宿していると知らなかったか、分娩中の死亡はそれほど珍しいことではないため、これが特別な出来事とは見なされなかったと考えられます」とライヴァース博士は述べた。
この場所では、この双子を宿した女性の墓以外にも異例のものが発見されている。
1995年、考古学者グループは、オオカミの生息地から何千マイルも離れた場所で、独自の副葬品と一緒に埋められているオオカミの墓を発見した。
2003年、研究者グループは「オオカミが特別に建てられた墓に埋葬されるなど非常に珍しいことです。このことから、この古代社会では、このオオカミが非常に重要な役割を持っていたと推測されます」と報告した。同じ時期に犬が墓に埋められている例はあるが、オオカミの墓はこれだけだ。
研究者グループは次のように述べた。「日常生活で犬が人間のお供になることは理解できます。ですが、これまでオオカミが単体で埋められていた例は他にありません」
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[15] | ときおさんからのコメント(2016年10月20日 08時31分27秒 ) | パスワード |
あを様
またまた日本人だけネタですが、
ネアンデルタール人由来にも通じる話題です。
海藻類の多糖類を分解する酵素を作る遺伝子を持つ日本人。
フランスの科学機関がイギリスの科学誌ネイチャーに発表。
https://www.youtube.com/watch?v=2B93pMfuGrQ
酵素を作る遺伝子は日本人特有で海藻由来のバクテリアから取り込んで居る。
世界中で日本人だけ!。もちろんのこと近隣の他国にも無いそうです。
1300年前から租税として納めて居た証拠もありますしね。
[16] | 空の青海のあをさんからのコメント(2016年10月20日 14時13分04秒 ) | パスワード |
ときおさん
ありがとうございます。
http://www.youtube.com/watch?v=2B93pMfuGrQ
面白いですね。
[17] | 空の青海のあをさんからのコメント(2016年10月20日 14時18分58秒 ) | パスワード |
「フランスが」という所に、昆布からの「うまみ」がフランス人に理解し始めているから、
と思いました。
面白いですね。いろいろ。
[18] | 空の青海のあをさんからのコメント(2016年12月25日 10時20分34秒 ) | パスワード |
http://www.youtube.com/watch?v=Qc1oQonaO7k
ワタシはDなのよね〜
アイヌ、入ってるのかな?
それで色白とか?
[19] | 空の青海のあをさんからのコメント(2016年12月27日 11時46分20秒 ) | パスワード |
酒の飲み方で祖先が縄文系か弥生系かわかる 酵素の違い
摂取したアルコールを分解できる臓器は肝臓だけ.
その工程と根幹にある「体質の差」について解説しましょう。
お酒として飲んだアルコールは、約30%が胃で、残りはすべて小腸で吸収されます。いや、実際には「すべて」ではなく、2%ほどは呼気と尿として排出されます。つまり、警察の飲酒検問が拠り所としている「呼気のアルコール量」は、実際に飲んだアルコール量の2%未満のわずかな量であり、それで検出されるということは、もはや言い逃れできない−ということを意味しているのです。
一方、胃と小腸で吸収されたアルコールは、アルコール脱水素酵素(ADH)によって「アセトアルデヒド」という毒性のある化合物に変化します。これが二日酔いの原因物質です。
すると今度は、アセトアルデヒド脱水素酵素(ALDH)がこれを分解して酢酸に変え、最終的には水と二酸化炭素になります。
よく「酒飲みは蚊に刺される」と言われます。アルコールが分解されてできた二酸化炭素は皮膚を通して排出され、蚊はその臭いで人間がいることを認識して寄ってくるのです。蚊のいる部屋に酔っ払いを一人寝かせておけば、蚊取り線香はいりません。
アルコールをアセトアルデヒドに分解するADHは、人間なら全員等しく持っています。しかし、アセトアルデヒドを酢酸にして無毒化するALDHは、人によって持っていたり、働き(活性)が悪かったりします。そして、この違いが、酒を飲める、飲めない、酒に弱い−という「体質の差」を分けているのです。
体質は遺伝子によって決まります。両親が揃って酒飲みなら、子供は間違いなく「飲める体質」ですが、さらにさかのぼると、祖先が弥生系か縄文系か−の違いに、遺伝の経路が見えてきます。
日本人の祖先は、
ヨーロッパからヒマラヤ山脈を超え、沖縄側から北上してきた縄文系と、
中国大陸を経て南下してきた弥生系に分けられます。
そして遺伝子的に見ると、
縄文系の多くはALDHを持っていて酒が飲める、
弥生系はALDHを持っている人が少ないので酒が飲めない(または弱い)−
という特徴があるのです。
縄文系と弥生系の違いは、顔つきでも見当がつきますが、酒の飲み方のほうがより鮮明にその差がわかります。あなたはどちらですか。 (湘南東部総合病院・市田隆文院長/構成=長田昭二)
[20] | ときおさんからのコメント(2016年12月31日 23時28分56秒 ) | パスワード |
あを様
お酒の飲み方で分かりますか・・・・。
確かにヒトによるでしょうね寒い地域や暖かい地域などの差違もありますね。
兄弟でも2:1位の差で飲めない者も出てきているような気がしますね。
独断かな?。
こんな感じでいくと、やはり渡来人との遺伝子のミックスが有るのが納得で
すね。
色白でいえば、私も白人かと思う程の色白さです。日光に当たる部分は年齢
そうとうの色になって居ますけどね。
さらに、アイヌ系統かなって思う有毛系統です。
心電図の検査なんかですと必ず途中ででパコンって吸盤が二箇所ほど離れる
んですよ。・・・・「む・な・げ」のせいです。やっぱアイヌで縄文系を強
く引きずって居る感じがしますね。
お酒はだいたい弱いんですけどね。
[21] | 空の青海のあをさんからのコメント(2017年01月01日 02時23分41秒 ) | パスワード |
ときおさん
>弥生系はALDHを持っている人が少ないので酒が飲めない(または弱い)
中国人は「弱い」ですよ。
日本人も悪酔いするって悪評高いです。(飲んで吐くなんて)と呆れられてます。
これは日本酒が悪いんじゃないかと思ってます。
白人は日本人のことを(吐く=そこ=まで飲むなんて)と思ってるけど(そこまでは飲んでないんだけどね)と言いたいぐらい。
>お酒はだいたい弱いんですけどね。
本来のコメ作り民族=縄文人=が神様にお酒を供えるのは感謝の表明であって
お酒はもともとはコメ作り民族がしょっちゅう飲むためのものじゃないのでしょうね。
年に1回、収穫の後、ぐらい?
縄文人がお酒に強いとしたらコメ作り民族じゃないからか?
お酒を飲んで吐くというのは神様からの罰かもね。
ワシの酒をお前がそんなに飲むな、とか?
あはは
いろいろ考えさせられました。
今朝ジムで一緒だった沖縄の人ですが
この人が物凄く毛深いのです。
日本の本来の人間は毛深いのかもね。
笑
で、弥生人が髭とか体毛とか、薄いとか?
笑
[22] | 空の青海のあをさんからのコメント(2017年02月27日 12時32分18秒 ) | パスワード |
http://www.google.com/?gws_rd=ssl#q=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%80%81D%E7%B3%BB%E7%B5%B1%E3%80%80%E3%81%AF& *
日本人、D系統のポータル(で良いのかな?)
ワタシはD系統です。
[23] | 箱柳永田さんからのコメント(2017年02月27日 17時42分58秒 ) | パスワード |
あを様
>お酒はもともとはコメ作り民族がしょっちゅう飲むためのものじゃないのでしょうね。
米は税金ですから、簡単には自家消費できません。
神社のなおらいでは、酒を出します、弱いのが普通ですから
酒の上の失敗は、大目に見られるのでしょう。
私は、ほんの少量で赤くなり、高性能のアルコール検知器です。
[24] | ときおさんからのコメント(2017年02月28日 01時44分56秒 ) | パスワード |
7000年前に、アメリカインディアンの祖先よりも前に現代日本人と遺伝子レベルで共通の基盤を持っているグループが北米大陸に移住した民族集団がいた。
D2系統には、特徴的な変異:「YAP」(ヤップ)とよばれる挿入部分(300塩基)
からアジア人の中では日本人のみで、古代ユダヤの失われた12部族のエフライムとマナセだけ。
失われた十支族の末裔が日本人である可能性が高い。
遺伝子の情報は、うそ付かない!・・・ですね。
学説の裏付けを証拠として提示ですね。
弥生人が縄文人を制服した等とは言えないとの結論。
25年くらい前によんだ本に、「縄文人は飲んべえだった」があります。
後にまた少し書きますね。
[25] | ときおさんからのコメント(2017年02月28日 15時19分40秒 ) | パスワード |
当時の古代史の成果を分かり易くまとめた出版物です。
25年前に、
「日本にはネアンデルター人の様な人間がすんで居たことは間違い無い」
と断言していました。10数万年まえの旧石器がクロマニヨン系統と
違う文化と言うことからも判断していた様です。
下戸遺伝子の発祥はモンゴロイドで距離が遠のく程に薄くなるようです。
基本として縄文人は飲んべえだったと言っています。
縄文土器で長野県の尖石遺跡から出土した有孔鍔付き土器(長峰遺跡)が
酒壺とされています。ヤマブドウの発酵酒だった。と例えにだされていました。
私も昭和40年代に尖石郷土館で実物を見て感激したことを覚えています。
http://komatsu0513.heteml.jp/vinus.html に写真が載っています。
http://www.okaya-museum.jp/archives/1052 市立岡谷美術考古館にも有りました。
下戸遺伝子の出現頻度。
中国で0,231・朝鮮0,151・日本0,239・インドシナ0,050・インドネシア0,034
フィリピン0,008・インド0,027・ナホバ族0,009・スー族0,022
・ハンガリー0.013 半島は数値が傾向から外れて下戸の少ない民俗がぽつんと
入り込んでいる様に見えますね。
ヨーロッパ、アフリカ、オーストラリア、南米などは0です。
下戸遺伝子少ない地方では25%前後(宮城)で下戸遺伝子が多い地方
は55%前後(岐阜)だそうです。
上戸が多いのが東北地方と南西九州だそうです。
瀬戸内圏域・中部・近畿・関東の地域は下戸の多い地域だそうです。
弥生から7世紀にかけて渡来した為に下戸遺伝子をもったらし、日本人
全体として下戸の多い民俗に成ったのではないか。下戸の遺伝子の世界
分布からも矛盾が無い。・・・だそうです。
縄文の遺伝子を多く持つ兄弟でも下戸も上戸も出現するのも仕方なしですね。
[26] | 空の青海のあをさんからのコメント(2017年02月28日 22時53分59秒 ) | パスワード |
箱柳さん
直会で飲むあたりならアル中にならなくて済むのでしょう。
時代とともに、いつでも飲めるようになって、それがいけないのでしょうね。
笑
箱柳さんは「色白」なのかな?
笑
[27] | 空の青海のあをさんからのコメント(2017年02月28日 22時58分42秒 ) | パスワード |
ときおさん
ワタシはネアンデルタール人の遺伝子が2.7%だそうで(アジア人は平均2.8%)
オットは2.8%(ヨーロッパ系は平均2.7%)。
>下戸の遺伝子の世界分布からも矛盾が無い。・・・だそうです。
ヨーロッパ人でゲロゲロやる人って珍しいそうです。
日本なんて道路に小間物屋を開いた形跡があったりしますが。
笑
[28] | 空の青海のあをさんからのコメント(2017年03月10日 02時39分54秒 ) | パスワード |
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=4469631&media_id=52&from=category_news
数日で流れるので以下コピペ:
垢の分析でネアンデルタール人の食生活判明、サイや羊も
[ワシントン 8日 ロイター]
豪アデレード大学のチームなどが調査し科学誌ネイチャーに掲載された研究で、人類に最も近い種とされているネアンデルタール人が、毛の生えたサイの仲間や野生のキノコを食べたり、鎮痛や病気治療に植物由来の薬を使用したりしていたことが分かった。
研究では、スペインのシドロン洞窟で発見された4万8000年前のネアンデルタール人と、ベルギーのスピー洞窟で発見された3万6000年前のネアンデルタール人の歯垢を遺伝子解析した。
当時のスピー洞窟周辺は草に覆われた丘陵地で大型の獣が生息し、ネアンデルタール人の食事は、毛の生えたサイの仲間や野生の羊など肉類中心だった。このほか、野生のキノコも食べていた。
その1万2000年前のシドロン地域は深い森だったことから大型獣はいなかったとみられ、ここにいたネアンデルタール人は、野生のキノコ、松の実、コケ、樹皮などを食べていた。肉類を食べた形跡は見つからなかった。
さらに、シドロンのネアンデルタール人の青年が痛みを伴う歯性膿瘍を患い、腸内に激しいゲリを引き起こす寄生虫を抱えていたことに加え、この青年が、鎮痛作用のあるアスピリンと抗生物質状の成分を含むポプラの樹皮を摂取していたことも明らかになった。
研究を率いたアデレード大学の原始微生物学者、ローラ・ウィーリッチ氏は「われわれの研究は、ネアンデルタール人が高い能力を持ち、知的で、おそらく友好的な人々だったことを示唆していると明確に思わせるものとなった。彼らの振る舞いは極めて人間的であり、粗野な振る舞いとの歴史書を書き換える必要がある」と述べた。科学者らは、ネアンデルタール人は複雑な狩猟手段を持ち、おそらく言語や洗練された火の使用法を知るなど知的だったとみている。
ネアンデルタール人
ワタシよりずっとカシコイじゃん。
[37] | 空の青海のあをさんからのコメント(2020年04月07日 10時21分19秒 ) | パスワード |
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71473
私たちとネアンデルタール人が交配した事実、なぜわかったのか
塩基配列から謎を読み解く
by 更科 功
2020 04 07
[38] | 空の青海のあをさんからのコメント(2020年04月07日 10時23分01秒 ) | パスワード |
部分コピペ
私たちヒトとネアンデルタール人の共通祖先がいたのは、70〜60万年前だと考えられている。日本人はヒトの一部なので、私たち日本人とネアンデルタール人の共通祖先がいたのも、70〜60万年前ということになる。
日本人のDNAの中には、ネアンデルタール人のDNAが約2パーセント含まれている。ということは、日本人の祖先は、ネアンデルタール人と交配したということだ。ヒトとネアンデルタール人の交配が、約5万年前に起きたことは、ほぼ確かである。ただし、その他にも交配が起きた可能性はあり、日本人の祖先がネアンデルタール人と交配したのが、いつだったのかは、よくわからない。よくわからないけれど、おそらく10万年前よりは後だろうから、ここでは数万年前としておこう。
以上をまとめると、こういうことだ。日本人の祖先は、まず70〜60万年前にネアンデルタール人の祖先と分岐した。その後、10万年以上前にサン族と分岐した。そして、数万年前にネアンデルタール人と交配した。
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