[1] | 川口 信さんからのコメント(2014年08月12日 15時03分33秒 ) | パスワード |
ままこ様
レス数が113を越えて重くなっており、管理者に負担になりますので、新たにスレッドをたて、こちらにお答えさせていただきます
>正行―正信―正重―正成―正勝へと続いてゆきます。
>お分かりになるようでしたら教えて頂きたいのですが、
寛政重修諸家の中根家のコピーをもっております、それによれば、五百五十二(552)に正行(平兵衛)より始まる項目がありますが、正信:正照が並列がき:たぶん(兄弟間系を示唆)で正照には実は大橋源左衛門重一が三男にして、織田右府第八の弟中根越中守信照が養子となり、二股城を守り、三方原合戦にて討死すといひ、また中根喜蔵正恒が今の呈譜に、七郎正持の孫を新左衛門正致とし、三河額田郡箱柳に住まいす、祖も男平左衛門はじめ、乙千代又千代新兵左衛中利にあらたむ・・・とあります。寛政重修諸家譜には552の系列4家:及び553系列3家及び554には三家の別家ないし傍系の家家がきさいされてます。
[2] | 空の青海のあをさんからのコメント(2014年08月12日 15時04分15秒 ) | パスワード |
前スレッド
http://www.hikoshima.com/bbs/heike_slink/100228_113.html
のAです。
[3] | 川口 信さんからのコメント(2014年08月12日 15時23分32秒 ) | パスワード |
それには
中根新左衛門尉正慶養子惣領
實中根肥後守忠良四男
中根正重
寛政譜には岡崎三郎信康君につかえ、のち東照宮に奉仕し、天正十九年五月三日武蔵国高麗郡久米郷農地において二百石mp地を宛行はるヽの御朱印を給い後伏見城の番をつとめ、慶長三年九月四日伏見において死す。年四拾二歳法名清月、采地高麗郡久米郡の長久寺に葬る。妻は服部石見守保長が女。とあります。
[4] | ままこさんからのコメント(2014年08月12日 21時55分02秒 ) | パスワード |
川口様
返信ありがとうございます。
寛政譜、わたくしも熟読いたしまして、寛政譜とは違ったことが書いてありましたので、中根新左衛門尉正慶とは誰なのかと疑問になった次第です。
武士は名前を複数持ちますから寛政譜に書かれている新左衛門とつく方と同一人物なのかもしれませんね。
書き方が悪かったですね。すみません。
[5] | 川口茗荷さんからのコメント(2015年06月14日 23時33分55秒 ) | パスワード |
はじめまして。
うちの家紋は抱き茗荷、川口です。
ずっと田舎百姓かと思っていましたので、楽しく拝見いたしました。
きっと、繋がってますね。
[6] | 箱柳永田さんからのコメント(2015年06月15日 01時19分03秒 ) | パスワード |
中根様 ままこ様
横からですみません、最近見つけたHPで中根さんについて書かれておりましたのでお知らせします。
>家の中を探していたら昭和52年に限定100部のみ発刊された『中根一族』という書籍を発見しました。内容が凄くて頭の中が混乱中です
>http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=732677&id=30392458 の7番より
こんなに多くの家紋が使用されている、私は茗荷紋の家しか知らない。(恥)
丸に三本杉 って 杉浦さん(三浦→杉本→杉浦)の代表紋では、、、
どちらも三河(岡崎)には多いので不思議ではないが、意外でした。
>愛知県の大橋氏流中根家、松原氏流中根家、平姓中根一族、藤姓中根一族は、同族と判明しました と20番に書いてあります。
平七郎正持=忠正7男 保元の乱の時 幼少にして岡崎に避難(箱柳中根の祖)
大橋家の分家中根氏と織田信秀(信秀死亡時 襁褓)の子が成長し中根信照。
岡崎藩家老中根家の中根文書(上下)は図書館地下一階郷土史コーナーに
あります。
他に<三河武士の殿様>ゆかりの市史町史も沢山あります。
【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る 】 |
|
◇Copyright(C) 2000 c-radio.net. All Rights Reserved.◇ DB-BBS-system V1.25 Rapah. |