[1] | 空の青海のあをさんからのコメント(2012年12月25日 06時05分13秒 ) | パスワード |
古墳時代のよろい:身に着けた男性人骨発掘
毎日新聞 2012年12月10日 20時40分(最終更新 12月10日 21時56分)
群馬県埋蔵文化財調査事業団は10日、同県渋川市の金井東裏(かないひがしうら)遺跡で、6世紀初頭(古墳時代後期)の火山灰の地層から、よろいを身に着けた成人男性の人骨が見つかったと発表した。
古墳時代のよろいが副葬品ではなく、人が実際に装着した状態で出土したのは全国初という。
近くの榛名(はるな)山二ツ岳の噴火で火砕流に巻き込まれたとみられ、同事業団は「当時の生活や習俗、災害について知ることができる貴重な手がかりとなる」としている。
金井東裏遺跡は榛名山の北東約9キロ。同事業団が国道バイパス建設工事に伴い発掘調査したところ、人骨は幅約2メートル、深さ約1メートルの溝の中で、後頭部や腰骨以外のほぼ全身の骨が残った状態で見つかった。
よろいは背中側が露出しており、高さ60センチ、幅50センチ。多くの小鉄板が重なり合っており、長方形の鉄板を革ひもでくみ上げた「小札(こざね)甲(よろい)」と判断した。
榛名山の方向を向き、膝を折った状態でうつぶせに倒れていたことから、同事業団は「火山から逃げようとしたのではなく、山の怒りを静めるため、よろいを着て儀式を執り行っていた可能性もある」と推測する。
また当時、小札甲を作る工房は近畿にしか見つかっておらず、県内でも小札甲が副葬品として出土しているのは支配者層の古墳に限られていることから、「大和王権とつながりが深い、政を担うような首長など地位のある人物だったのではないか」とみている。同遺跡の西側にある同時代の金井丸山古墳からは、副葬品として鉄剣3点が出土しており、男性と関連がある可能性があるという。
このほか、近くから生後数カ月の乳児の頭骨や鉄製の矢じり十数点も見つかった。複数の人が火砕流に巻き込まれたとみられる。
榛名山の周辺では、金井東裏遺跡から約1キロ離れた国指定史跡の黒井峯(くろいみね)遺跡と、約4キロ離れた県指定史跡の中筋(なかすじ)遺跡が、同じく6世紀に榛名山の噴火で埋没しており、両遺跡は「日本のポンペイ」と呼ばれている。【奥山はるな、庄司哲也、塩田彩】
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