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 投稿番号:101295 投稿日:2012年10月17日 23時42分37秒  パスワード
 お名前:さくら
平家落人の里:五木村の豆腐の味噌漬け2

コメントの種類 :落人伝説  パスワード

今日同級生から秋の恵みを送ってきました。
大きな豆腐や大きなあげさん、たけのこを干して塩をまぶしたの、こんにゃく、サトイモ、大きな生しいたけetc。若い頃は生しいたけなど送ることは出来なかったけど、今は新鮮なままきます。

他のスレッドでも書いたけど大きな豆腐は「壱岐」の豆腐と同じ様です。「壱岐」氏は平氏の仲間のようです。

今日ビデオを見ていたら、「何でもお宝鑑定団」で、
岡山の備前焼が出されていて、その話の中で岡山の平安時代の頃の「はなみ遺跡」とか言っていました。須恵器は他の地域でも焼かれていたようですね。

でも 詳しくは知りません。ごめんなさい。ぐう爺様を惑わせて・・・

永江の「雨宮神社」の臼太鼓踊りでは、江戸時代雨乞いの踊りが踊られたそうです。


相良藩十二代藩主「相良為続」(母は犬童兼長の娘)は雨乞いをしました。
雨宮神社のご奉神は「天之水分神・国立水分神・久比耶持神・高於加美神・舟王命」の五柱です。

京都の貴船神社と同体とも。貴船神社の祭神は
本宮は高おかみ※神、奥宮は闇おかみ※神(くらおかみのかみ)が祀られているとも伝えられていますが、社記には「呼び名は違っても同じ神なり」と記されています。
玉依姫をのせた船が入り、船が止まったところに神社を建てたとか。

人吉の「水神祭り」
水神様は水の神様で、上に出たような神様がおられます。

京都貴船神社と賀茂神社は近くにあり、御祖神社には賀茂神社の祭神・賀茂別雷神の母・玉依姫をまつっています。

平氏と賀茂神社
大阪高槻の鴨神社は「安徳天皇」の父・「高倉天皇」の安産祈願が行われた所。
平清盛は白河天皇の御落胤ともいわれるが、母は賀茂氏のようです。







[1]さくらさんからのコメント(2012年10月20日 05時21分07秒 ) パスワード

昨日郵便局に行きました。

前に雑談で、五木のやまうに豆腐が好きだと言ったとき、「とりあつかうようにしてもよいですよ」といっておられたので、その後、カタログを届けておいたら、

珍しいものですねとか 取り扱うように進めましょう とか 言ってくださいました。

豆腐屋のご主人はまだこのことを知らないので、どんな風に話を進めたらよいものか?と思うのだけど、

うまくいけばよいがと思っています。
[2]さくらさんからのコメント(2012年10月21日 05時49分21秒 ) パスワード

太鼓踊りがいつごろから始まったか?はまだ迷走中ですが、シャグマについて赤熊とたいていのページに書いてありますが、

http://www.ise-kanko.jp/meguri/index.html
お伊勢巡り上級編
かんこ踊り 御薗町
シャグマと呼ばれる「白馬のたてがみ」で出来た被り物と腰みのをつけた踊り手が胸に抱えた太鼓をたたく

とこちらは白馬となっています。おもしろいですね。

伊勢の神様は内宮・外宮とも丹後から来ておられるので、おそらく裏日本の方にそのルーツがあるのでは?と私は思いますが・・・御園あたりに「山田」という地名があるのも何か球磨の「山田」を思い起こさせると思います。
[3]さくらさんからのコメント(2012年10月21日 06時28分23秒 ) パスワード

かんこ踊りは羯鼓踊ともいわれる。
羯人が用いた楽器。雅楽で用いられた。

球磨に所領があった良峯朝臣。この所領は五木あたりもそうだった。
良峯安世の子孫の師高の零社は「山田葉木」にあった。

良峯朝臣は林や他12名で わが国の文化を「国風文化」にした人。

羯に関しては 
趙 などが出る。秦始皇帝は嬴姓だが、趙姓もいう。
一方良峯朝臣は「劉」姓。

雅楽は宮中で行われたが、平氏・平家はそれを偲んで踊ったのではなかろうか?と何だかぼんやりとした話ですが、ルーツに関して思います。
[4]さくらさんからのコメント(2012年10月21日 07時39分16秒 ) パスワード

熊野の3つある伝説のひとつ
マガダ国の善財王が放つ5本の矢 そのひとつが日本に飛び王は息子・上人とともに日本に来た。

ほぼ同じ伝説が五家荘の由来
九州脊梁山脈;落人の里
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/Den-sekiryoo.html#anchor1310306
五木(熊本県) 五木の地名、子守唄、野々脇の片目の魚、折太刀(折立)、宮園の大公孫樹 五家(箇)荘(熊本県) 地名の由来、菅原道真嫡子、平家の落人:白鳥山、 ..... 緒方清経は頂上から四方をながめ、定住の地を決めるのに五本の矢を天に放って占った。

元熊野も又丹後にあります。
熊野は又和歌山県にあり、バリケンの話で和歌山がでたのもおもしろいな と思います。
[5]さくらさんからのコメント(2012年10月24日 23時43分24秒 ) パスワード

・インド方面にはるかなご先祖の記憶がある。全面的ではないが、4から伺える。
・羯鼓踊⇔羯鼓・・・古时,龟兹、高昌、疏勒、天竺等地的居民都使用羯鼓。
・羯けつ
中国、匈奴の一種族で、五胡の一。名は山西省の羯に居住したことによるという。4世紀初め、族長の石勒(せき△ろく)が五胡十六国の一つ、後趙(こうちょう)を建国。
・石氏につき、http://www.hudong.com/wiki/%E7%9F%B3%E6%B0%8F
の中で出自は「姫姓」としている。
・下の方までスクロールすると、五代时期,有沙陀部人石敬瑭,于936年勾结契丹贵族灭后唐,被契丹册封为帝,国号晋,史称后晋,历时10年而亡。とある。時代が違うけど、沙陀部人石敬瑭・契丹贵族灭后唐など読み取れる。
中国語が読めないのがくやしいけど、感触として
唐や漢王室と姻戚関係を持ち、後世清王室を立てた沙陀突厥。彼らははるか古代にまで遡る血を持つ。唐王室に真珠を売りに行っていたと言う沙陀突厥。彼らは海神族でもある。秦とも関わりを持ち、始皇帝子孫ともいう島津は「佐多」。
こういう話が出てくる。

[6]さくらさんからのコメント(2012年10月28日 23時38分53秒 ) パスワード

バリケンは草も食べるそうですね。そうなら食生活は一安心ですね。近くにキャベツ畑などあったら大変だけど・・・・

インドとバリケンで打ち込んだら西インドあたりの海岸河川などに野生種がいるようだけど、飼育主は全世界にあるらしく、余り天竺とのつながりは期待できないようです。

[7]さくらさんからのコメント(2012年10月28日 23時55分34秒 ) パスワード

球磨郡には「球磨神楽」(民俗芸能)」があり、珍しいものだそうです。

これは球磨郡にのみ伝承される神楽であり、「採物舞」で古風である。
また、神楽歌には古い歌が多い。他に同類を見ない独特の神楽である。

「南藤蔓綿録(なんとうまんめんろく)」によれば、
文明4年(1472年)に雨乞い祈願のため、藩主相良為続(さがらためつぐ)が青井阿蘇神社に奉納したと記されていて、人吉球磨地方で神楽が行われたという.
現存する一番古い記録です。

http://www.hikoshima.com/bbs/heike/101217.html
出雲サダ神社とも関係があり、
祭神の猿田彦は全国の警察の守護神であり、国底立神である。

猿田彦は全国の警察の守護神である。元伊勢の丹後籠神社の秘神とされ、配神は「弁財天」。
出雲佐田神社は出雲大社と同じく「神在祭り」を行う。この神在まつりの時は、住吉の神が海上警護をした。
「佐田神社」は毛利元就が崇敬した。
出雲佐田神社の本殿は、大社造りの3つの建物が並立する、きわめて珍しい形です。

出雲 佐陀神社あり
従来、当社が「秘説」としてきた主祭神「猿田彦命」を、
明治維新時に神祇官の命を受けた松江藩神祠懸により、平田篤胤の『古史伝』の説に従って祭神を猿田彦命と明示するように指示されたが、神社側はそれを拒んだ。
折衝の末、「佐太御子大神」と明示することとなった。
猿田彦につき、元伊勢の丹後籠神社も秘神として「猿田彦」を祭り、その配神は「弁財天」。

現在において神社側は、佐太御子大神は猿田彦大神と同一神としている。
猿田彦は インドの青面金剛である。又 沖縄では 「サダルビコ」と呼ばれる。
佐田神社も 鹿島町にあり、常陸の「鹿島神宮」に つながる 地名である。

佐陀神社も出雲大社より古くからある神社です。
その中でも佐太神社の神在祭は文献上もっとも古くから執り行われており、且つ祭の次第も約500年前の記録とほぼ同じ内容で執り行われています。

他では祭の内容が著しく変化したり、わからなくなったものもあるようですが今も変わらず『いにしえの祭り』を受け伝えている点で宗教学・民俗学等からも注目されています。
[8]さくらさんからのコメント(2012年11月05日 05時23分49秒 ) パスワード

「ぐう爺の独り言」のバリケンの動画を見ました。元気良くしていてホッとしました。対岸の草刈がされて、バリケンのえさは?と心配になりましたが、そういう状態でも多分去年も生き抜いてきたのだろうと思い、頑張って!!と心で声援しています。

過去の書き込みも読んでいたら、お父様が騎兵隊だったとか。
随分前に読んだ本で、今はもう絶版になっているバイニング婦人が書いた、「皇太子の窓」で、知り合いが人吉にいて人吉に遊びに行ったという部分がありました。人吉のほうは相良氏の関係でそういうつながりがあったようですね。

来年は私も「栗の渋皮煮」や「つるし柿」に挑戦してみようと思っています。
近くに鉢植えで柿やみかんをつくっているところがあり、前から上手に育てるものだ・・・と思っていましたが、何でもやってみなければ出来ないものですね。
体が元気なうちに色々挑戦しようと思います。

知り合いが学校を出てから「手話」や「絵手紙」を覚えて同級会で歌を手話を使いながら唄っていました。
学校を出ても自分を高める努力をしている姿に感動し、何もせずにいる自分を振り返ると恥ずかしい気持ちです。

このサイトの初めの方に「きょんさん」という名があります。人吉のきょん2さんかしら?と思いながらいます。

ぐう爺様お体を大切に、楽しいひとり言のブログをつくってくださいね。いつも写真がきれいで私もこんな風にきれいに写真を撮りたいものだと思っています。

[9]さくらさんからのコメント(2012年11月13日 22時29分47秒 ) パスワード

深田村の虎踊りの写真を見ました。
深田のほうのはリアルですね。
http://bp.kumanichi.com/photo/archives/list?page=4&sort=new&words=%E8%B8%8A%E3%82%8A
私が前に見た写真は故郷の初神神社(阿蘇神社)の虎踊りで、虎は黒いろでした。

虎舞もあちこちにあるようですね。
http://www.pref.iwate.jp/~hp5501/geinou/tora77/yurai.html

鎮西八郎為朝の言葉が出て、下益城郡守富(富合)のほうには木原というところに「雁回山」があり、為朝がきたそうです。山麓の木原城が為朝城跡といわれる。

なんでもかんでも とは思わないけど、言葉で繋がって出てくるのが面白いと思います。
関踊り・・・関氏・・・結城氏・・・結城朝光=小山朝光(ただし小山と読む。先生はこやまとよむ。こやまとよむとき、橘喜智子がでる。)

結城氏は幕府有力御家人。
太鼓踊りで源氏の踊りのとき 関氏のこういうばくふとのつながりがあったからではないか?と思いますが・・・

上田さんが現在行方不明とのことで、電話は控えています。携帯はプライベートのものなので・・・



[10]さくらさんからのコメント(2012年11月15日 23時08分12秒 ) パスワード

五木で働いている同級生から、お客様が多勢いらっしゃって とうれしい悲鳴をと届けてきました。良かったなあと思います。

年金の手続きをやっとしてきて、これまでダム中止で当て込んで家を移したけど、店をやめなければならなくなり、収入が途絶えていたので、働いて現金収入があるのは有難い事です。

たしかこのサイトに書いたと思うのですが、ネットの文字を大きくする方法
CTRLを押して、マウス中央のぽっちりを向こう側に回すと大きくなる。

小さくするときはCTRLとマイナスを押す。

知りませんでした。今日知りました。

[12]グウ爺さんからのコメント(2012年11月27日 14時23分24秒 ) パスワード

さくら様
長い間ご無沙汰です。法事で須恵に寄って実家に行ってきました。
昭和19年に洪水で流れた料亭時代の写真があれば今度の文化財の説明ができるのですが殆どなくなっていました。

おにきの太鼓踊りの本が出ていると鬼木の大将から言われ人吉駅の観光課によりましたが、1枚の説明用の紙切れでした。コピーしてす送りたいのですが、スキャンがうまくいきません。1000文字位ありますし8ポイントの文字ですので要点を書いてみます。

1)信頼される文献は残っていないが相良公が文武奨励のために始めた。
2)秀吉の朝鮮戦争で持ち帰ったとの説もある
そのほかに相良公が人吉に来られる以前にこの踊りの歌が和讃(ワサシ)に似ていることから念仏から出たもので相当古いものが原型にあると思われる。昔は各村々に有り長男がその役を相続すという不文律があった。続く

今からバリケンにあって、風邪気味の女房殿を病院に運んできます。

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[13]さくらさんからのコメント(2012年11月28日 00時08分32秒 ) パスワード

ぐう爺様 本当にお久しぶりですね。奥様の風邪の具合いかがかと案じております。年いくと抵抗力が弱ってきますので、たかが風邪といえないのですね。私の兄は 肺炎予防の注射をうっていると言っていました。お大事になさってくださいませ。奥様のお年も74歳くらいでしょうか?
私は10歳くらい年下ですね。先生のお孫さんも同い年です。昔は兄弟の数が多かったから、私の長兄は13歳年上です。なので、ぐう爺様と先生のお母様との年がわりと近いのも私なりに納得です。

バリケンのことがこの間から気にかかっておりましたが、ぐう爺様に見守られておれば安心です。大震災があってからというもの、生きとし生けるもののいとおしさ(大げさですが)というものが、こころにしみてきて、

ぐう爺様のブログを読んでも、毎日を大切に過ごしておられる様子や、周りに対してのやさしさが伝わってきて、感動します。

そうして暮らしに心の変化ができてから、もう20年位前 パートで一緒だった仲間と再会し、今度忘年会をしようという話になり、生きていく仲間がふえ、生活に張りが出てきました。
一期一会 という言葉 も 思い出して、ていねいに生きていこうと思います。

この間から 渋柿を見つけたので、つるし柿をつくっています。
7個くらいずつ もう 第三弾ができました。第一弾はお腹におさまってしまいました。



[14]さくらさんからのコメント(2012年11月28日 00時32分30秒 ) パスワード

太鼓踊りのこと
有難うございます。

>踊りの歌が和讃に似ていることから念仏から出たもので相当古いものが原型にあると 思われる。

太鼓踊りも子供の頃見たばかりなので、そういえば何か唄っていたなあと思いますが、記憶にあるのは

カンカンカン カンカンドン カンカンカン カンカンドン カカドン カカドン カカドンカカカカカカ あと少し繰り返し

しばらくすると踊りの場面が変わって
鐘が外をぐるぐるまわって まんなかで大将などが 踊っていたように思います。

ほとんどどこも同じなのでしょう。
前に古老に 大将をする人は決まっているのか聞いたとき、私の故郷では決まっておらず「萩の爺さんが一番好きかったっじゃっで」という返事でした。





[15]さくらさんからのコメント(2012年11月28日 20時14分41秒 ) パスワード

そういえばと又思い出しました。
何年か前 私の故郷の集落の太鼓踊りがビデオに収録されたとき、兄が「その年亡くなった人の家がお金を出して踊ってもらっていた」と言っていました。

[16]グウ爺さんからのコメント(2012年11月30日 13時15分21秒 ) パスワード

さくらさん おはようございます。ふるさと往復の300キロが堪えたらしく
ダウンしていました。糖尿・腎炎・心筋梗塞と診断されている爺は昨日熊本城内の国立病院で検診を受けてきました。流れるような検査と診断それに会計と
さすが・と驚きました。私は75歳今更食事療法したり痛い思いで検査をするのは嫌です。うまいものを食べてころっと逝きたい」と言ったら先生も賛成と言って不整脈の新薬を紹介してもらいました。帰りに久しぶりにフライドチキの生姜味を5本も買って帰りました。

鬼木の太鼓踊りの件 つずきです
踊りと歌はその村の青年に継承されているが少し前までその家の長男でないと教えなかったとか
服装は太鼓は男性的。鉦は女性的で紺のケハン、足袋にわらじを履く
鉦は長い馬のつけた笠(赤熊=赤熊シャグマ)脇(徒歩部隊の大将)は鍬形。
関(セキ=騎馬隊の侍大将)鹿の角の甲をかぶっている。歌い手は羽織袴。

踊り手は昔は20人くらいで敵味方に分かれて踊っていたが現在は11人

この踊りは源平合戦を表現していますが、まず行列を仕立て囃子ながら入場し、頭と鉦、脇と鉦、関と鉦の順に2人ずつ踊り「頭の庭いり」「脇の庭いり」「関の庭入り」
次に労苦を労って静かな「うたじん」という踊りで、踊りながら終わる。
続いて「競り合い」と言って総大将の指揮のもとにいっし乱れぬ踊りで終わりになります。
最後は「引き」となって大将
関に、鉦順で2列になって踊ったあと退場になる その間約30分だそうです。

相方を病院に連れて行ったら人吉旅館の会長に会いました。息子のに譲って山鹿で農家をしているとのことでした。私達の仲人でした。
早稲田の建築家の出身で建築の専門家ですからご苦労してもらったのでしょう。50年ぶりの再会でした。若い嫁さんと再婚されていました。
人生いろいろですね。羨ましく思いました。食べたいものを食べて、小鳥や猫と遊んで知らない人と知り合うのも楽しむのは可愛いものだと安心しました。
今からバリケンに会いに行ってきます。最近30羽以上のかもがやってきますが一斉に飛び立っていきます。
上球磨の冊子もありましたが次回に・・・
下手な文章ごめんなさい


[17]さくらさんからのコメント(2012年12月02日 04時36分19秒 ) パスワード

ぐう爺様 こんばんわ
パワフルにしらべていただいて有難うございます。私の故郷の太鼓踊りは川筋では一番踊りの種類が多かったそうで、子供踊りもあったそうです。川向こうは「棒踊り」をしていました。

ぐう爺様のコメントを頼りに、もういちど鬼木の太鼓踊りのページをみました。犬童さんのおはなしの約70年踊って というところを開いてみると、鹿角やくわがたや大将とシャグマ が写っている写真がでました。これだ と思い読んでいくと、最後に 「関」という敵陣も入り乱れて・・・ と 書いてありました。関はやはり平家のようです。

太鼓・衣装などあわせると何十キロにもなるそうですね。重労働ですね。

人吉旅館の会長さんも山鹿に住んでおられるそうで、お友達が増えてよかったですね。
ぐう爺様の過去ブログを読んでいたら、サツマイモを半分からした人がいたそうですが、少し前にも書きましたが、近畿大学のhttp://www.eco-online.org/2011/11/14/%E8%8A%8B%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%81%AF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%86/ のページ芋は日本を救う で、だだっ広い畑を使うのでなく スーパーの袋に芋を植え付ける方法をつかって収穫しています。余り身体を動かさずに収穫できる方法がよいですね。

燃料用としては 芦北の火力発電所が海外の炭をつかっているから、ジャングルを伐採すると木は次に育つまでに何十年もかかるので、その部分を芋チップスに変えれば地域に仕事も出来、需要はあるので次世代の子供たちも地域に居つくのでは・・・と思います。

海外の炭の部分に食い込むので、あちらの収入を減らすということに対しては薬や就学援助などを考える。火力発電でCO2が発生することに対しては芋が育つ過程でとんとんになる計算だそうです。

出張して講演をしてくださるということをテレビでおっしゃってました。

体のことは本当に心配ですね。私も春の職場の検診で糖尿病・不整脈・血圧188・脂質代謝異常・心筋梗塞の疑い・片方の視力0・01とエエッというような値が出て、体調は快調だったので思わず
先生 広辞苑や新聞の字もはっきり読めるし 15階から下にあるバケツの中の水の色もはっきり見える。 身体も軽いのにどうしてですか?と言ってしまいました。しかし、考えるとこの間ネットの字も見間違っていたので、やはり身体に異常が起こっているのでしょうね。心臓は一度前にとまったことがあって、あらとまったわ と思って 50秒ほど我慢していたら動き出しました。以来 なんともなく過ごしています。新薬がでているのですね。

病院がなあ ・・・ と 子供の頃 BCGのとき 針を3回も打ち直されていたい思いをして以来、恐怖症にかかっているので・・・
[18]さくらさんからのコメント(2012年12月06日 22時05分18秒 ) パスワード

夕べ夢を見ました。この頃和賛・平家・相良氏など想いを馳せていたからかなあと思いますが、

道を行くと傍らに竹の笠みたいなのを作っている人がいて、そのつくり方が珍しいので、寄っていくと何だか見知った道だなあと思い始め、

夢だからその笠が美しい模様の木魚の下に敷くものに変わり、美しいなあと思っていると、

近くの「本照寺(光照寺)」様に場面が変わりました。
本照寺は中世の頃までは全国の寺院の総本山だったところで、5本線の塀。
別名「佐々木城(富田城)」ともいう。

佐々木のことを調べていたので、あれ 夢にまで出たのかしら と 夢の中で思っていました。

富田の近くに 「鴨神社」があり、高倉天皇の安産祈願が行われたところ。この地に小さな石の昔の郡名が書かれたものがあって、加茂郡富田郷だったか反対の富田郡賀茂郷だったか 確か最初の地名でしたが、ありました。

鴨氏の女子が平清盛の母のようです。

その近くはもう茨木で、藤原道長の母・時姫の祖父「藤原山陰」の墓があります。

そういう場面が夢の中で次々と出てきて、仏様やら木魚やら、下に敷いているものやらが彩りよくあって何だか幸せな気分になっていました。

不思議な気分でした。
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