[1] | 空の青海のあをさんからのコメント(2012年03月23日 16時37分51秒 ) | パスワード |
荒山さんからコピペです。
いつも感謝しております。
ぺこり
不恨常陸國之已損、唯歎將門等之不治。今、貞盛追尋件仇。其日尋不逢。厥朝將門身〓甲胄、案飄序之遁處、心懷逆惡、存衛方之亂行。〈 白居〔易〕曰、飄序者、喩於虚空也。衛方者、荊府之人也。天性好奸猾、追捕之時上天入地者也。 〉而恒例兵衆八千餘人、未來集之間、啻所率四百餘人也。且帶辛島郡之北山張陣相待矣。貞盛・秀郷等、翫子反之鋭衛、練梨老之釼功。〈 白居易曰、子反・養由兩人、昔、漢裴舜岱之人也。子反年始〓、投鉾十五里。養由年始七十、奪釼於三千里。故有此句也。 〉
以下ですね。
将門軍は風上にいて貞盛・秀郷軍は風下にいた。
春一番が吹いた。
将門に有利で貞盛・秀郷軍を蹴散らした。
将門軍が帰還する時に風向きが変わって
将門軍が風下になった。
天罰が下って神矢が将門に命中した。
以十四日未申剋、彼此合戰。于時、新皇得順風、貞盛・秀郷等不幸立於咲下。其日、暴風鳴枝、地籟運塊。新皇之南楯拂前自倒、貞盛之北楯覆面。因之、彼此、離楯各合戰之時、貞盛之中陣撃變、新皇之從兵羅馬討。且討取之兵類八十餘人、皆所追靡也。爰新皇之陣、就跡追來之時、貞盛・秀郷・為憲等之伴類、二千九百人皆遁去。只所遺精兵三百餘人也。此等、失方立巡之間、還得順風。于時、新皇、歸本陣之間、立於咲下。
貞盛・秀郷等、棄身命而力限合戰。爰新皇着甲冑、疾駿馬而躬自相戰。于時現有天罰、馬忘風飛之歩、人失梨老之術。新皇暗中神鏑、終戰於託鹿之野、獨滅蚩尤之地。
天下未有將軍自戰自死。誰圖、不糺少過及大害。私施勢而將奪公徳。仍寄朱雲之人、刎長鯢之頸。〈 漢書曰、朱雲者、惡人也。昔、朱雲請尚方之釼、殺人之頸也。 〉便自下野國副解文、以同年四月廿五日、其頸言上。但常陸介維幾朝臣并交替使幸遇理運之遺風、便以十五日歸任國館、譬若鷹前之〓[矢+鳥]遺於野原俎上之魚歸於海浦。昨日暫含凶叟之恨、今新蒙亞將之恩。凡新皇失名滅身、允斯武藏權守興世王・常陸介藤原玄茂等謀之所為也。哀哉、新皇敗徳之悲、滅身之歎、譬若欲開之嘉禾早萎、將耀之桂月兼隱。〈 有春節故、云嘉禾等也。以二月十四日逝過故、言桂月兼隱也。 〉左傳云、「貪徳背公、宛如馮威踐鉾之虎。」故書云、「少人得才而難用、
[2] | 空の青海のあをさんからのコメント(2012年03月23日 16時41分33秒 ) | パスワード |
「将門記」
全文は以下URLへ。
http://www.j-texts.com/chuko/shomon.html
[3] | 空の青海のあをさんからのコメント(2012年03月24日 05時53分30秒 ) | パスワード |
以下はNHKの「気象転結」から:
イメージからでは春一番が吹くとポカポカ陽気が始まるように勘違いするけれど
春一番は
突風による大事故を起こしたり歴史を動かす大事件も起こした怖〜い春の嵐。
春一番の正しいイメージは
嵐そのものであること
その後に大荒れの天気が続くこと。
ホントはコワ〜イ春一番の正体とは?
真冬はシベリアからの寒気団が日本列島上空に居座るが
2月になると南から暖かい空気が張り出して来る。
寒気と暖気が押し合いへしあい、ぶつかって、渦が出来て、低気圧が発生する。
地球の自転の影響で反時計回りの渦が出来、
これが偏西風により
低気圧は西から東へと移動する。
冷たい空気と暖かい空気の境目が低気圧の通り道となって
低気圧は東へ去る。
冬の間、低気圧は日本には近づけない。
これが冬の状態。
春が近づくと暖かい空気が日本に来て、シベリアの寒気団が弱まる。
日本上空の温度差が大きくなり、低気圧が発達。
これがますます発達して温度差がいよいよ大きくなると
暖かい風が日本海に向かって吹き抜ける。
この強い南風が吹くのを春一番と呼ぶ。
・シベリアの寒気が弱まって北に後退
・強い低気圧が日本海を通過
これで強い南風が吹く。
春一番とは
立春から春分にかけて、初めて吹く強い南よりの風で
関東では 瞬間風速 8m/s以上 のものをいう。
時には瞬間風速で20m/sを超えるものもある。
春一番が吹いた後も手強いのが特徴。
春一番が吹いて低気圧が東に抜けると再びシベリアから寒気が降りて来て冷たい風が吹き、また寒くなる。
これを「寒の戻り」と呼ぶ。
春一番が吹いた後は必ず寒の戻りが来る。
また天気が荒れる。
だから春一番の暖かさは一時的なものである。
シベリアからの寒気と春の暖気が交互に押し合いへしあい、行ったり来たりして日本に来る。
瞬間風速 10m/s 以上の風は3月に1番多く、4日ぐらいある。
春一番とは、冬から春への一番荒れる季節のこと。
そのために春一番は日本史にも影響を与えた春の嵐である。
1.
鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れた。
2010年3月10日。
源実朝を暗殺するのに公暁が隠れた。
多分瞬間風速 20m/s あたりだろう。
大銀杏の木が樹齢1000年なので弱ってもいたのだろう。
瞬間風速 25m/s で子供が吹き飛ばされる。
2.
東京荒川で地下鉄東西線が鉄橋を通過中に横転した。
1978年2月28日。
夜9時に春一番が吹いた。
夜9時20分川崎で竜巻発生。
夜9時春一番が吹いて南西の風で積乱雲が出て竜巻が発生し
この竜巻が北に移動して
途中の10号地信号所では 瞬間風速 53.2m/s の風が吹いた。
その後、丁度竜巻の通り道に電車が来合わせて9時34分事故発生。
3.
天慶3年2月(西暦940年3月)
平将門は春一番で関東独立の野望を遂げるかと思われたあとに寒の戻りで大敗を喫し非業の死を遂げた。
以下別レスへ続く。
[4] | 空の青海のあをさんからのコメント(2012年03月24日 06時15分30秒 ) | パスワード |
3.
天慶3年2月(西暦940年3月)
平将門は春一番で関東独立の野望を遂げるかと思われたあとに寒の戻りで大敗を喫し非業の死を遂げた。
平将門は春の嵐に運命を翻弄された人。
武家政権の魁となった人。
関東独立を目指して自ら新皇と名乗った人。
平将門 vs 平貞盛・藤原秀郷連合の朝廷軍
ここに春一番と寒の戻りが来た。
場所は茨城県西部。
平将門軍400人(南に布陣) vs 平貞盛・藤原秀郷連合の朝廷軍2900人(北に布陣)
「将門記」
新皇は順風を得て
貞盛・秀郷は不幸にして咲下に立つ。
平将門は風上で、貞盛・秀郷は風下。
暴風枝を鳴らして
地らい(草かんむりに頼)つちくれを運ぶ。
猛烈な風が吹いていた。つまり南風=春一番=のこと。
当時の飛び道具の弓矢で戦うのに将門軍の矢は追い風に乗って貞盛・秀郷軍を蹴散らし
貞盛・秀郷連合軍の矢は向かい風なので全く飛ばない。
春一番で平将門軍は悠々勝利を収めた。
本陣に帰るの間、咲下に立つ。
平将門軍が本陣に引き上げる途中で風向きが変わり
北風が吹き出し、将門軍は風下になった。
つまり平将門軍に不利になった。
新皇は暗に神鏑に中りて
神が放ったかのような強い矢が飛んで来て
この矢が原因で平将門は死んだ。
春一番が吹いて
突然風向きが変わって
寒の戻りが来た。
戦っている間に風向きが変わるというのは良くあることで
確かに「風向きが変わる」という慣用句がありますね。
この表現、弓矢の時代に生まれたのでしょうね。
低気圧が東に移動し
前線が抜けただけで南風から北風に急激に変わるということがあって
それも1時間もかからず
情勢が逆転するということがあるのだそうです。
こうして平将門は「まさしく」寒の戻りで夢破れたのでした。
[5] | 空の青海のあをさんからのコメント(2012年03月24日 06時21分03秒 ) | パスワード |
春一番は場所によって基準が違うそうです。
それは地形が異なるから風の吹き方も変わるから。
だいたい風速 7m/s 8m/s 10m/s の風が吹いて
気温が前日より高い日であること。場合によっては10度以上高いことが条件。
北海道と東北には「春一番」宣言は出ないそうです。
これは日本海の低気圧で猛吹雪になるから。
また南風が吹くと日本海側はフェーン現象が起きて気温が上がって
雪の多い年は雪崩が起きたり洪水になったりするそうです。
春一番が吹いた後の1ヶ月ほどは強風に注意。
もっと強い風が吹くこともあるそうです。
「春二番」「春三番」というのもあるそうです。
【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る 】 |
|
◇Copyright(C) 2000 c-radio.net. All Rights Reserved.◇ DB-BBS-system V1.25 Rapah. |