[1] | ちょっと参加さんからのコメント(2012年02月08日 04時05分35秒 ) | パスワード |
URL=http://hattori.tosalog.com |
伊勢氏じゃないでしょうか。
秀衡流の平氏の。
分家から北条早雲の伊勢新九朗も出たし。
本家で室町幕府に重用された人も居るし。
伊勢氏である事を隠したがる人も居るし。
家系を系図で調べるといろんな人が居ます。
正衡流の清盛にはバックに安徳天皇が居たから
一族の中でクローズアップされますが、
実際はみんな自分の事しか考えてないんですよ。
自分も1980年代後半の夏に三重県の伊勢地方の
田んぼの中の小山に平氏の小さい塔のお墓が
いっぱいある所を見学しましたが
平安時代末期の当時も
生活に苦労していたようにも
感じられました。
[2] | 産品太郎さんからのコメント(2012年04月01日 12時42分51秒 ) | パスワード |
ちょっと参加さんコメントありがとうございました。
http://enjoy.pial.jp/~kokigi/keijiban/ise1.htm
>伊勢守となりその官職名に拠りこれより伊勢と名乗ったという先祖の俊継に>「天照大神の託宣に寄り伊勢平氏と謂う」という記事があるのです。これで>は、本来は桓武平氏ではなかったと自ら認めて伝えていることになります。
これによると、伊勢氏が平氏というのは仮冒ということになりますね。
よく「平家は伊勢平氏の傍流にすぎなかったが、正盛・忠盛・清盛の三代で本流となった」と言われます。
では「ならばどこがもともと嫡流なのか」と疑問にいつも感じてしまいます。
[3] | 日本の苗字七千傑さんからのコメント(2012年04月09日 00時22分00秒 ) | パスワード |
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm |
>では「ならばどこがもともと嫡流なのか」と疑問にいつも感じてしまいます。
伊勢平氏の祖とされる維衡が、一説によれば貞盛の実子では無い(貞盛の孫)とされている。
京都女子大教授野口実氏の研究によれば、貞盛の実子は維敏のみで他は全て養子。
維衡の家が伊勢平氏と呼ばれるようになったのは、五位以上の畿外居住禁止を犯して維衡・正輔の親子が伊勢に居座ったことからである。
また平安末期は女系伝領から男系伝領への過渡期であり、嫡流とは大きな所領の相続を受けた家なのである。
その意味では正の通字を三代引き継いだ家であり、清盛に至る家が嫡流。
鎌倉期以降の後世風嫡流定義なら維盛(駿河守)流が嫡流だろう。
詳細は下記URLの略系譜を参照のこと。
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/011/01100.htm
[4] | 産品太郎さんからのコメント(2012年05月20日 16時54分47秒 ) | パスワード |
日本の苗字七千傑さんお返事ありがとうございます。
しかしながら、一般的には清盛は桓武平氏の傍流というだけでなく、
伊勢平氏としても傍流と言われているんですよね。
これはどういう事に起因しているのでしょうかと疑問に感じます。
そして決まってそういう説を唱える人は嫡流がどこなのか示されていないのです。
http://www.e-keizu.com/kakeizu/kanmu.html
http://freedom.s12.xrea.com/cgi-bin/diary/diary.cgi?mode=read&y=2012&m=1
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