[1] | 空の青海のあをさんからのコメント(2011年12月24日 01時26分08秒 ) | パスワード |
消えてしまうのが惜しいのでアップします。
幕府禁教令後のキリシタン墓地、破壊されず残る
長崎市多以良町の垣内集落に現存する江戸時代のキリシタン墓地は幕府が禁教令を出した後に造られた可能性が高いことが分かった。
長崎歴史文化博物館の大石一久さん(59)が会長を務める「外海キリシタン研究会」が23日、発表した。禁教令後のキリシタン墓地が破壊されずに残っているのが確認されたのは初めてという。
墓地は約120平方メートル。石を長方形に並べた「長墓」と呼ばれる墓碑64基が40〜50センチ間隔で並んでいた。その一部は複数の石の上に1枚の長方形の石を置く江戸時代初期のキリシタンの墓の特徴を有しているという。
長崎を治めていた大村藩は、幕府の禁教令を受けてキリシタン墓地を破壊し、仏教式の墓所に改めさせていたが、垣内集落一帯は佐賀藩の飛び地。大石さんは「周囲に比べ弾圧が厳しくなく、見逃されたのでは」と推測する。
(2011年12月23日21時51分 読売新聞)
[2] | 空の青海のあをさんからのコメント(2011年12月24日 01時32分38秒 ) | パスワード |
長崎市多以良町って
平町
ということでしょうか?
長崎にも平家がらみの話は聞いているので
多以良、って漢字を使うようになったのかな?と。
この板の住人の御紹介で
某藩の宗門役人が実はキリシタンだった
という御子孫の書き込みを読んだことがあります。
その藩にすればキリシタンが暴れさえしなければ黙認という方向だったのでしょう。
それで宗門役人にキリシタンを当てた。
日本にはこういう政治的配慮って長く続いていますから
このスレッドの「垣内集落一帯は佐賀藩の飛び地」ということから
締め付けが甘かったのかも。
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