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 投稿番号:101262 投稿日:2011年10月27日 20時24分03秒  パスワード
 お名前:いちご
いわいさんへ 白石・真木・平賀100から102の続き
キーワード:くく 球玖郷
コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

吉田東吾の地名辞典を見てきました。他にも何種類か辞典がありますが、年代が若いので、(私の故郷は昭和31年に村名を変えているのですが、その名で出ているので、古いほうをみました。明治30年代初版)

「くく」 と ふりが打ってありました。

球玖郷
和名抄、球麻郡球玖郷
今定かならず、藍田村などの古名にや。一説に球玖は球麻ならんというも、玖と麻は相あやまらん形状なし。
補「球玖郷」
和名抄郡郷考、今按、兵部式、球麻駅馬五匹、伝馬五匹とあれば、玖は麻のあやまりなるべし。下に久米とあるも、久末の誤にて、玖麻の訓注ならんか。

中島広足云、いましれず。玖麻のあやまりか。久米・人吉・東村・西村今存す。

予章記
肥後国下久々村とあれども、おぼつかなし。

とあります。

もうひとつ
横文字で書かれた辞書ですが、発行元を控えるのを忘れました。
「須恵村」
概要
須恵氏と須恵器
古代律令制下における当村域は球磨郡に属し、免田町・深田村・錦町および上村の一部と共に「和名抄」に見える「球玖くく郷」に比定される。

エンブリーとスエムラ
昭和10年シカゴ大学助教授だったエンブリーがスエムラを紹介した。社会学・民俗学・民族学を研究する世界の学者たちのスエムラ来訪が今日でもたえない。

1942年(昭和17年)2月11日 - 人吉町・藍田村・西瀬村・中原村が合併し、人吉市が発足、郡より離脱。(3町17村)

2003年(平成15年)4月1日 - 免田町・上村・岡原村・須恵村・深田村が合併し、あさぎり町が発足。(4町5村)

[1]いちごさんからのコメント(2011年10月27日 20時30分58秒 ) パスワード

表題は白石・平賀・竹内の間違いです。すみません。
[2]いちごさんからのコメント(2011年10月28日 22時30分49秒 ) パスワード

神社のつながりの紹介

正和二年(1313)に成立した「八幡宇佐宮 御託宣集」所引の阿蘇縁起によれば、

熊本県の「阿蘇神」、宮崎県の「高知尾神」、大分県の「八幡神」をきょうだい神として、高知尾は神武天皇の二郎の子とする。

神武天皇のご先祖様は「皇孫・天津彦彦火瓊瓊杵尊ににぎ」で、日向高千穂にまつられる神である。
日向史に天孫降臨の地とされる「祖母岳」で、「宇佐八幡宮」「青井阿蘇神社」「市房神宮」の宮司として関わる「尾方氏」の先祖・「尾方大神惟元」が産まれた。
元の高千穂神宮は鹿児島県の「霧島神宮」である。

霧島神宮は高千穂神社ともいう。皇孫・皇后・三代をまつる。
又神武天皇(神倭磐余彦尊)をまつる。ここの山を天孫降臨の地という。
霧島神宮を勧請して「<<久米>>城主・市房」が建てたのが、熊本県水上村の「市房神宮」である。

国宝の熊本県人吉市の「青井阿蘇神社」は熊本の「阿蘇神社」と同体である。

青井阿蘇神社

今から1200年前の大同元年(806年)に第50代・平城天皇の勅命により、阿蘇神社神主・尾方権之助大神惟元が阿蘇神社を分霊して神社が創建されました。

祭神
初代の天皇である神武天皇の子・神八井耳の子供・健磐龍命 (たけいわたつのみこと)その妃の阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)、
お二人の子供の國造速甕玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)

四浦阿蘇神社

かつて旧四浦村の村社として崇拝され今日に至っている。
10体の神像と4体の朽仏 (境内摂社内に保存)
・灯籠(安永7年・1778年) ・昭和12年狛犬
【祭神】
阿蘇大明神 (健磐龍命(たけいわたつのみこと)のこと)

霧島神宮

御祭神
天饒石國饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊
相殿 木花咲耶姫尊,彦火火出見尊,豊玉姫尊,
?草茸不合尊(ウガヤフキアエズの尊),玉依姫尊,神倭磐余彦尊
〔所在地〕
鹿児島県霧島市霧島田口2608−5

市房神社(兄たちまでは市房神宮・権現さん・おんたけさんと呼んでいた。)市房神社は、今から1200年前第50代・平城天皇の時、(大同2年、西暦807年)に久米城主、市房という人物により「霧島神宮」を勧請して建立されたとされています。宮司・尾方氏
〔所在地〕
熊本県球磨郡水上村 宮司・尾方氏

初神白鳥神社
谷の対岸にある霧島の白鳥神社の分身とされている。
池井健作神職
ここの白鳥神社にはつぎのような伝説がある。
昔、社殿がひどく荒廃した時があった。ところが突然、村の女が狂いだし
「われは白鳥の使いなり。当地を初神というは、四浦に初めて神の宮居を決めたためである。しかるにこれを捨て祭らざるは、はなはだ無道なり。
今より長くその礼を失わば雷火を発して一時にもとの野原となす」というので、村人は驚き、さっそく社殿を再建して祭ると、狂女は正気に戻ったと伝えられる。 【祭神】 ニニギノミコト 他五柱

高千穂神社

神武天皇の兄・三毛入野命の創建。 高千穂皇神 天津彦火瓊々杵尊・木花開耶姫命、彦火火出見尊・豊玉姫命、
鵜葺草葺不合尊・玉依姫命

十社大明神 三毛入野命・鵜目姫命、 大郎命・二郎命・三郎命・畝見命・
照野命・大戸命・霊社命・浅良部命

合祀神 事勝国勝長狭神・大年神・稲飯命・五瀬命・三毛入野命(合祀により重複)・神日本磐余彦命(神武天皇)・猿田彦命・天鈿女命

摂社 門守神(祭神不詳)・八坂神社(祭神:素盞嗚命)・御霊社(祭神:大神惟基)羽居高天神(祭神:菅原道真)・比波里天神(祭神:天村雲命)、鎮守社(祭神不詳)
〔所在地〕
高千穂町三田井1037

ここの神楽は<<日之影町>>の神楽である。

宇佐八幡宮

祭神 
比売大神 応神天皇 神宮皇后

神代に比売大神(ひめおおかみ)が馬城の峰に(大元山)に御降臨になった。
比売大神は宗像三神のこととされる。

宇佐の地に欽明天皇32年(571年)応神天皇の御神霊が初めて八幡神としてあらわれ、宇佐、各地を巡行ののち、神亀2年(725年)に亀山一之殿に御鎮座になりました。

また、天平3年(731年)比売大神をニ之殿にお迎えし、後、弘仁14年(823年)信託により、神功皇后(じんぐうこうごう)が、三之殿に御鎮祭されました。
宇佐神宮の元宮は、福岡県築上郡築上町にある矢幡八幡宮(豊前綾幡郷矢幡八幡宮。現在の金富神社。矢幡氏が社家として代々宮司を務める。)であるとする説がある。

宇佐神宮の神職を束ねる大宮司は、尾方大神比義(蘇我馬子により中央から派遣された)の子孫の大神氏が務めていたが、後に菟沙津彦らの子孫・宇佐氏が大宮司職を継承した。(尾は維に似た字)

この神宮は皇室へ神勅を下した。伊勢神宮の前のわが国の祖廟である。
尾方大神比義は八幡神をあらわした。
★大神氏
宇佐大神氏の祖・・・大神比義
豊後大神氏・・・・・祖は大和三和氏
            高千穂氏。阿南氏。植田氏。大野氏。臼杵氏の祖。
★緒方惟義は 大神惟基の子孫。臼杵惟用の子。 
荒城の月のモデルになった 大分県 岡城(竹田城)(原城)を築塁した。
★宇佐神宮社領に、葛井、藤井、宇多院内親王家、中原氏などある。
〔所在地〕 大分県宇佐市南宇佐2859


[3]いちごさんからのコメント(2011年11月08日 21時11分29秒 ) パスワード

「球玖郷」のこと

松永氏のルーツ
玄松子の記憶より
@「青蓮寺」真言宗智山派
・山号:亀田山
・創建:1295 多良木庄地頭相良家初代の廟堂を建立
・開山:亀田入道因芸・・・・・・関係あるかどうか?三好せいかい入道は「亀田」といったとか。
・上相良家菩提寺
・住所:球磨郡多良木黒肥地3993   
青蓮寺・・・この寺は上村にあるとか・・・上相良氏ははじめ黒肥地に預けられた。相良氏は開発領主とするが、開発領主とは百姓だったことだと。百姓は良民。河川を媒介する館の建て方で、相良氏のもともとがわかる という 意味のことが、上村発行の誌だったかに書いてあった。相良氏は遠江で海の近くに住んでいた。

ー荘園ー
@1197「多良木庄」
・郡名:★★珠麻郡 珠磨郡多良木町★★ここでは「珠麻」となっている。
・領家:不詳
・史料村郷名:不詳
・明治村字:多良木
[4]いちごさんからのコメント(2011年11月08日 21時15分22秒 ) パスワード

球玖郷
郵便局員さんが私の封書の宛名を見て、珍しい地名ですねと
「たまぐんあいらむらしうらひらかわ」 と 読み上げました。
「くまぐんさがらむらようらひらこう」 と いいます。
球磨郡相良村四浦平川 土地では 摩でなく 磨だとわざわざ 断ります。

「く」 の 部分が 私にとっては 珍しくなく 「く」 と 呼んでいたわけで、「たま」というとき、多摩川=豊島が浮かびますが、平良文の子の村岡忠頼・秩父氏・葛西などの言葉が武家家伝豊島氏に見える。豊島氏も秩父氏一族。

相良村さがらは新しい地名で、村発行の誌には「相良氏の温情忘れがたく」と村名由来が書いてあります。相良氏はお国替えがなく、治世が長かったので、子孫がつかった苗字の家が結構あります。川筋には相良の外城がありました。平河氏は良峯子孫ですが、外城を守っている人に名があります。私の父のいとこが婿入りした平川は元士族といっていました。

「しうら」というとき、東日流外三郡誌に関与する「市浦」に通ずるか?と思っています。これを証明するのはむつかしいだろうと思いますが・・・

安部郡ー阿部高田ー磐井の地
[5]いちごさんからのコメント(2011年11月14日 00時58分24秒 ) パスワード

熊本県の地名 日本歴史地名体系 平凡社
和名抄の六郷
千脱ちぬぎ 西村 東村 人吉 久米 球玖
球磨郡地方の隔絶した地形からみて、今日の球磨郡・人吉市の全域をさしていると思われる。
このうち、久米郷は多良木町久米に、人吉郷は人吉市付近、西村郷は錦町大字西に比定されるが、それ以外は諸説がある。

吉田東吾
千脱せんたつごう
和名抄、球麻郡千脱郷。○今詳かならず。或説にセンタイと訓めり、当否を知らず、又郷里の配布の跡より推すに、渡村中神(今中原村)万江(今山江村)の辺りにやと思はる。再考を要す。
[6]いちごさんからのコメント(2011年11月14日 01時43分15秒 ) パスワード

人吉の交通事情
相良氏は、参勤交代には球磨川の水運が開けるまでは、大口越えで鹿児島へ出て船で向かうか、米良越えで宮崎に抜け船で向かうかしていた。

角川日本地名大辞典 乙益重隆著「八代日記」にたどる求麻〜八代間の交通路

四面山また山に囲まれた球磨地方の人々・・・・元久(1205)二年鎌倉幕府によって人吉庄の地頭に任ぜられ、明治維新まで領主として、藩主としてこの地方を支配した相良氏は、元来遠江国相良庄の漁港の出身であった。・・・

球磨川の水路を開墾し、はじめて船運の道を開いた林正盛の功績が高く評価されるのも当然の事であった。
時に寛文4年(1664年)のことであった。・・・

明治41年5月肥薩鉄道によって八代〜人吉間が結ばれ、国道219線が出来たのは戦後のことであった。・・・


文明16年(1484)相良為続のとき、八代の地頭名和顕忠との確執から起こった戦乱によるもので、・・・相良氏は八代・葦北地方を支配した。その間「文明年中より永禄年中まで83年の間記在之」ものが、「御当家八代郡御城日記」すなわち、「八代日記」である。

「八代日記」にはいろいろな記事がみえる。世はまさに戦国乱世の最中、食うか食われるかの毎日だというのに、記事内容には意外にほのぼのした庶民生活の一面をのぞかせている。天変地異や天体現象の他に、四季環境の変化には情感があり、中には「ミそこしわか太夫」のような遊芸人のこともみえる。とくに求麻と八代の往来については、中世の道をたどる有力な手がかりとなっている。・・・

と書かれている。

他にも、安政の頃、きびしい倹約令の中、農村では、帯・羽織裏・下着襟・煙草入れなどに絹物・唐物を用い、婦人は髪飾りなどで装った。日傘・旅・雪駄・さし下駄も現れ、傘をさしながら牛馬を長綱で引く姿も見られたし、住居も制限以上の造作がなされるようになった。
と 武士身分の比率が高かった割りに、取り締まりは緩やかだったようだ。
[7]いちごさんからのコメント(2011年11月15日 12時12分37秒 ) パスワード

五木の人は球磨地方の人との通婚もあった。

父(故人)は 上村・岡原あたりの親戚に行くのに、北岳神社の道を通って朝でかけ、夜8時頃かえってきていた。

人吉から五木まで一日で歩けるくらい。川向こうの山を越えると山田でおよそ中世の頃の話にでるところは距離的に近いところにある。

今の人が来るまで乗り回し、少し歩けばもう隔絶した地域みたいに思うのとは違って、私の子供の頃など山に登り収穫して生活していた。

感覚を変えて物をみる必要があろうか と 思う。

高岡の家は山の上にあり、そこからは 「市房」が 見えるとおじが教えてくれた。
[8]いちごさんからのコメント(2011年11月15日 14時34分49秒 ) パスワード

ネットより
山江村のもうせんごけ
球磨郡のおもしろい地名
別府  「びゅう」 と いう。

参考文献
佐竹義輔・大井次三郎・北村四郎・亘理俊次・冨成忠夫 『日本の野生植物・フィールド版・草本編』 平凡社 1999


[9]グウ爺さんからのコメント(2012年09月30日 08時01分46秒 ) パスワード

さくらさん おはようございます。グウ爺です。

私の故郷(人吉球磨)をまとめて祖卿と呼んでいたことが恥かしくなってきました。
義母の故郷は黒肥地 退職後一緒に7年間生活しましたが横になった姿を
見たことはありません。夕食は私が帰宅するまで待っていました。
今年の初夏94歳で長男さんのところで他界いたしました。

太鼓踊り クラス会のメンバーのの父上が鬼木の太鼓踊りの大将でした。
人吉駅を降りると時間が来るとお城の中から、からくり人形の太鼓踊りが始まります。
大将が踊りだすと 彼女は涙を流して見ています。毎度のことです。私は
青い神社の氏子で私は20年の入学ですから青井神社で入学式が行われ、代表で
玉串を奉天した記憶があります。父が奉納した鳥居が裏口にたっています。

昨日のNHKで紹介された赤谷の村の存在には感激しました。私らはこんな先人
苦労の上に生きているのですね。感激です。
今朝は台風の気配もなく静かな朝を迎えています。
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