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 投稿番号:101219 投稿日:2011年03月06日 22時48分15秒  パスワード
 お名前:さくら
さなえさんへ
キーワード:鹿島 平 鹿島神宮
コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

勝手に持ってきて すみません。

10/09/01 ●97 10/09/20 さなえ 伊賀餅と伊賀忍者の関係

>その祖母は母方で、神谷姓です。

鹿島神流師範家五代「神谷」文左衛門尉「平」真光 新陰直心流

日本古武道協会 | 直心影流薙刀術
元祖・鹿島神伝「松本」備前守「紀」政元-上泉伊勢守「藤原」秀綱-「奥山」孫次郎「平」公重-「小笠原」金左衛門「源」長治-「神谷」文左衛門尉直光-「高橋」弾正左衛門「源」重治-(流祖)「山田」平左衛門「藤原」 光徳-「長沼」四郎左衛門「藤原国卿-「長沼」正兵衛「藤原」綱卿-「藤川」弥司郎右衛門尉「藤原」近義-赤石 郡司 」

鹿島氏
●三つ巴
●桓武平氏大掾氏流
*源平姓氏・家紋400大事典(1984/12歴史読本臨時増刊所収:能坂利雄氏監修)による。


松本備前守政信は初名は守勝、のちに尚勝と改めた。飯篠長威斎の門人で、鹿島神宮に祈願して源義経が奉納した秘書を手に入れてから鹿島神流を開創した。一に鹿島神陰流、俗に鹿島流ともいう。

 仁徳天皇の時代、国摩大鹿島命の後裔、国摩真人が高天ケ原の西にある鬼ケ城に神壇を築いて祈った結果、神の啓示によって神妙剣と称する刀術を創業した。これが「鹿島の太刀」という刀法の始まりと伝えられる。そして、真人四十二代目に吉川左京覚賢という人があり、本姓名を卜部呼常といって鹿島神宮の神官であり、鹿島家の四宿老の一家であった。この覚賢の二男朝孝が塚原家へ養子にいった、のちの新右衛門高幹であり塚原卜伝である。

真人四十二代目に吉川 左京覚賢という 国摩真人は天孫降臨以来の神司天児屋根命 (春日大社祭神) の十世神孫 ・大鹿島命の子孫で中臣氏。

こんなのを ネットでみました。

神谷さんのご先祖様は 鹿島神宮と関係があったか 平氏だったのでしょうか?

[1]さなえさんからのコメント(2011年03月30日 13時39分31秒 ) パスワード

さくらさんへ

いろいろ調べてくださってありがとうございます(^^)。
私の母方の神谷家の先祖さまと関係あるかは、知るすべはありませんので申し訳ないです。ただ・・・気になるのは、神谷家のある土地には、やはり由緒のありそうな家系の榊原家さんがたくさんいらしゃいますが、家紋が三つ巴でまわり変わった感じ(うまく表現できません)の模様があるものでした。ちなみに、当神谷家の家紋は、○に揚羽蝶です。ただ、当地域の神谷家にもいろいろな家紋がありそうなので、また調べますね。

それから、鹿島神宮とは・・・ネットで調べましたが、こちらもとてもとても由緒のある・・・ありがたい(ありえないぐらい)神宮なんですね。国譲りとか、大己貴命(大国主命)さまとか・・・最近の私にはキーワードのような言葉なんですよ。なにか・・・ピンと来るといいんですが・・・(笑)。

(鹿島神宮さんは、震災大丈夫だったのかしら?お祈りもうしあげます。)
[2]さくらさんからのコメント(2011年04月05日 11時50分58秒 ) パスワード

武家家伝 榊原氏 清和源氏流
清和源氏足利義康の四世の孫実国が三河国額田郡仁木に住んで仁木氏を称し、のち室町 時代にその一族の利長が、伊勢国一志郡榊原村に住み。榊原氏を称したのがはじまり という。家紋源氏車

足利氏は清和源氏で、前九年・後三年の役で活躍した八幡太郎義家の孫義康が下野国足利庄によって、足利氏を称したのに始まる。
 
足利氏の場合、義康が入部する以前に藤原秀郷流足利氏が足利の地を開発して土着し足利大夫と称していた。義家の子義国が足利成行の一族基綱の女を娶って生まれたのが義康であるとする説もある。
足利氏
家紋は二つ引両/十六の菊/五七の桐 
常陸国真壁郡伊佐庄 

藤原 秀郷(ふじわら の ひでさと、生没年不詳)は、平安時代中期の武将。下野大掾 藤原村雄の子。藤原北家・魚名の後裔とされる。生母は下野掾鹿島某の女とする。俵藤太 (田原藤太とも。読みは「たわらのとうだ」「たわらのとうた」)の通称で知られる。


[3]さくらさんからのコメント(2011年04月05日 12時12分46秒 ) パスワード

伊達氏の初祖宗村が常陸国真壁郡伊佐庄の中村に居住して「中村」を苗字としていたことは、確かのようである。

真壁町一帯は、平安後期には桓武平氏常陸大掾一族の真壁氏の本拠地であった。真壁氏は、太田亮博士のいう伊佐氏の祖・平為賢の兄為幹の子孫である。

九州島津に関与して 
島津枝分かれの佐多氏がいる。(佐田に通ずる。つまり 私の母方と何らかのつながりがどこかであったと思うのだが)

佐多氏と兄弟から出る氏に 田代氏がある。父方の集落の隣にある地名と同じ。

ということから 島津も調べたのだが

[4]さくらさんからのコメント(2011年04月05日 12時18分17秒 ) パスワード

101221 虎踊りで繋がる話も見てください。
 
武家家伝_頴娃氏より

寛仁三年(1019)の「刀伊の乱」に活躍した武士に平為賢が知られる。この為賢の一族に九州総追捕使を務めた伊佐平次がいて、その子孫から川辺氏・給黎氏・薩摩氏・別府氏・揖宿氏・知覧氏・阿多氏など、伊佐平氏と呼ばれる一族が派生した。頴娃氏もその一つで、建久八年(1197)頴娃郡荘園五十七町歩の下司として頴娃平太が見える。


[5]さくらさんからのコメント(2011年04月05日 13時37分10秒 ) パスワード

(「伊達一族とその起源」の2)より
常陸大掾氏の祖、平維幹の母は真髪部武元の女といわれ、この関係で平姓の常陸大掾一族が真壁郡や筑波郡へ勢力を伸ばしていき、水守・真壁・下妻・伊佐などの諸氏を出したものとみられるのである。

国見町→役場→町の歴史より
古代のこの地方は陸奥国信夫郡に所属し、伊達郷と呼ばれた。
奥州合戦の戦功により伊達郡を賜った中村朝宗は、常陸国より移住し伊達氏と称する。

ここまでを振り返ってみると
鹿島氏
●三つ巴
●桓武平氏大掾氏流 で、3の桓武平氏常陸大掾一族の真壁氏がある。

藤原 秀郷は下野大掾 藤原村雄の子。藤原北家・魚名の後裔とされる。生母は下野掾★鹿島某の女★とする。

そして(「伊達一族とその起源」の2)よりでは

伊達氏の先の伊佐中村氏と宇都宮・八田氏とは、遠く遡ると同族同祖の関係にあって、実際には下毛野一族の車持君氏ないしは韓矢田部造氏から出自したものではないかとみられる。ともに藤原姓を称し、名前に宗や綱の字が多く見えるという共通点もあげられる。
と 中村と宇都宮の同族同祖を示唆している。




[6]さくらさんからのコメント(2011年04月05日 13時48分01秒 ) パスワード

伊勢神宮外宮の度会の地が中村の地といっていたそうだ。
ここに 秀吉がいた。秀吉の正室・おねは杉原氏。平氏の末で、おね 加藤 福島は 母方のつながりで いとこどおしなのだと。

私の父方の故郷の川向の「虎踊り」をする神社がある集落に中村がある。
この集落にある 平家城あとは 相良外城 縄文時代の遺構が重なっているという。

父方・高岡と姻戚関係の川辺という家もある。父の義兄弟の木下。福島という家もある。

[7]さくらさんからのコメント(2011年04月05日 14時01分49秒 ) パスワード

川辺は4にある。
又 鹿児島の川辺の地が平氏の本拠地。

虎踊りで書いている ★多氏が祀る神社★ では 川辺も出る。
名前が先か 姓が先か ということがいわれているのを本で読んだことがあるが、私の家のつながりは 古い時代に遡っていくときの 手がかりになるように思える。

 神名式
  多神社 多坐弥志理都比古神社 二座
        四皇子社
          皇子神命神社
          姫皇子神社
          小社神命神社
          尾就神命神社  大社皇子神

天平2年大和国大税帳
多神宮 注進状
     大宮 二座  
       珍子賢津日霊神尊  皇像瓊玉に坐す。
       天祖 聖津日霊神尊 神物円鏡に座す。
     若宮 四坐
       彦皇子神社
       皇孫 日火霊神尊
       姫皇子神社
       天媛日火霊神尊
     樹森神社
       瓊玉戈神尊
     日月神社
       火瓊神尊
     若宮二社
       子部神社  皇弟 天火子日命  神像統玉に座す。
       子部神社  皇弟 天火子根命  同上
     己上は 意富郷にあり、多朝臣 禰宜たり。肥直 祝部たり。
    外宮 
     日原神社
       天神 高御産巣霊神尊 神像円鏡に座す。
       皇妃 桍幡千千媛命○○に座す。
     己上神社   川辺郷にあり。肥直 禰宜たり。
     若宮一座
       天孫 国照火明命 神像竹箸に座す。
 摂社一座                                                (官社に非ず)八剱神社
          出雲速蛇建雄命  神像横刀に座主す。
          己上神社 は 川辺郷にあり、 川辺連 祝部たり。

大和国と九州と離れているけど 川辺の言葉が出る。
 己上は 意富郷にあり、多朝臣 禰宜たり。肥直 祝部たり。
 己上神社   川辺郷にあり。肥直 禰宜たり。
 己上神社 は 川辺郷にあり、 川辺連 祝部たり。



[8]さくらさんからのコメント(2011年04月05日 14時12分31秒 ) パスワード

伊達一族とその起源 の 2 より 
同じ伊讃郷に関連して、伊達氏の先祖と八田氏とが結び付くことが知られる。・・・ 倉持に通じる「蔵持」という地名が下総国豊田郡(茨城県結城郡石下町〔現常総市〕蔵持)にある。・・・下総旧事考』には「本郡ニ蔵持村アリ。蔵持ハ車持ノ訛ナリ」と記し、蔵持集落西部の香取神社の棟札には「文明十五年、大旦那倉持慶俊」とあるので、この地に倉持氏が居住していたことが知られる。・・・この蔵持村が注目されるのは、そのすぐ南の大生郷(おおのごう。水海道市〔現常総市〕北部の大生郷)との関係である。

伊達氏系図のうち信頼性の高い『伊佐早文書』の伊達家譜では、「伊達先祖、山陰中納言政朝之子孫宗村公、文治五年初而伊達江(「郷」のこと)下着以来」と記される。・・・伊達氏の先の伊佐中村氏と宇都宮・八田氏とは、遠く遡ると同族同祖の関係にある。   と 書く。

大生郷であるが
[9]さくらさんからのコメント(2011年04月05日 14時29分20秒 ) パスワード

紀元2600年祭 多氏と鹿島神宮
平安時代後期の作である「大鏡」は、
鎌足の生地を鹿島神宮のある常陸の鹿島であるとしています。

先代旧事本紀を持つ王氏の先祖・花山天皇ゆかりの 西国信仰の寺 兵庫県宝塚市の「中山寺」の本尊は十一面観世音菩薩であり、インドの勝鬘夫人(しょうまんぶにん)の姿を写したものであるという。

「諸神本懐集」
 鹿嶋ノ大明神ハ、本地十一面観音ナリ。
和光利物ノカゲマネク、一天ヲテラシ、利生済度ノメグミ、現当ノ悉地ヲ成ジ、
コゝロヲイタストモガラトモガラハ、心中ノ所願ヲミツ。
奥ノ御前ハ本地不空羂索ナリ。左右の八龍神ハ、不動毘沙門ナリ。

御祭神:武甕槌大神(タケミカツチノオオカミ)
御事歴;
神代の昔、天照大御神の命を受けた武甕槌大神は香取の経津主大神と共に出雲国に向かわれ、国譲りを成就し、皇孫(すめみま)の国たるべき日本の建国と建設に挺身された。とりわけ東国における神功はきわめて大きく、関東開拓の礎は、遠く大神にさかのぼる。

神武天皇はその御東征のなかばにおいて思わぬ窮地に陥られたが、
大神の「ふつのみたまのつるぎ」の神威により救われた。この神恩に感謝された天皇
は御自らのご即位の年、大神を鹿島の地に勅祭された。
皇紀元年即ち紀元前660年の頃といわれる。


[10]さくらさんからのコメント(2011年04月05日 14時33分04秒 ) パスワード

鹿島神宮と大生神社・大生古墳群

「大生神社」は健御雷之男神(タケミカヅチノオガミ)を祭神とする元郷社で、
その創祀年代は詳らかでないが、「鹿島の本宮」と云われ
古く大和国の飯富族の常陸移住の際氏神として奉遷し御祀りしたのに始まるといわれている。

A羽田氏書留由緒:
大同元年東夷退治のため藤原棟梁下向。
大明神同心し下着。
嶋崎大生宮帝勅有りて宮造る。
今之鹿島は大同二年御遷。(天正廿三年とある,鹿島神宮家東氏蔵)
[11]さくらさんからのコメント(2011年04月05日 14時35分19秒 ) パスワード

南都 自 大生邑大明神
これは大和国十市郡飫富郷の
多坐弥志理都比古神社(オオニマスミシリツヒコ:多神社)であって
これは多氏が奉じた社であった。
つまり多氏の祖神を祀る大生邑大明神が茨城県潮来市大生の地に、
そして現在の鹿島神宮へ移ったとしているのである。

「常陸風土記」の他にこのような伝承を持つ神社があるのは驚きだが、
さらにもう1つの特色がある。

その特色とは大生神社の鎮座地の台地には前方後円墳を含む100基以上の古墳が眠っていることである。
[12]さくらさんからのコメント(2011年04月05日 14時49分24秒 ) パスワード

大生神社の地であるかつての行方郡は、白雉二年(六五三)茨城郡と那珂郡を分割合併して誕生した。

その初代那珂国造が建借間命(タケカシマノミコト)である。
 印波国造と同祖、神八井耳命の後裔で印波国造、伊都許利命の2代前
(祖父または資料によっては大伯父)にあたる。

白雉2年(653)那珂国造、壬生直夫子(常陸風土記)、
続いて養老7年(723年)那珂郡大領 下正七位上 ★宇治部直荒山(続日本記)★、
さらに天応元年(781年)同大領 下正七位下 ★宇治部直全成(続日本記)★と続く。
白雉2年に茨城郡と那珂郡を分割合併した行方郡には、
 天平勝宝5年(753年)行方郡大領、下正八位下 壬生直足人(正倉院資料)が出現する。

伊達一族とその起源の2より
伊達氏の先は在地古来の真髪部か★有道宿禰★ではないかという疑いである。有道宿禰氏の一族は、後年、武蔵国北部に繁衍して武蔵七党の一つ児玉党となり、右大臣藤原伊周の後裔と称して藤原姓を名乗っていた。

直と宿禰は 同族でつかうことがあるらしい。
[13]さくらさんからのコメント(2011年04月05日 15時00分59秒 ) パスワード

ここまでは 鹿島の神(鹿島神宮)からも いただいてきました。
[14]さくらさんからのコメント(2011年04月08日 06時13分45秒 ) パスワード

まだ みていらっしゃいますでしょうか?

>家紋が三つ巴でまわり変わった感じ
は もしかしたら 
黒田藤巴?

走りすぎてるかもしれないけど 黒田→中臣→藤原鎌足

宮本武蔵も 見てください。

[15]さなえさんからのコメント(2011年04月08日 09時22分37秒 ) パスワード

さくらさんへ

残念ながら、黒田藤巴紋でも九曜巴紋でもなかったです。

うまく言えませんが、三つ巴の周りが、○ではなく波打つかんじの模様に囲まれてました。ネットで調べても解りませんでした。

三河の国幡豆郡(今の西尾市)は、長く清和源氏足利尊氏支族吉良氏に統治されていたと思われますし(のちはもちろん松平徳川家の支配下)、どこかの荘園だったこともあるでしょうし、大和国、近江国、伊勢国、紀伊国などとつながりが強いように思われますが・・・海辺の干拓地にかぎっては、どこからか流れ着いた(落人)かもしれませんね。水害も多かった土地ですし、なかなか・・・

でも、ご先祖様たちの思いがあるなら、いずれ解るような気がしますし、こうやって想像するだけでも供養(慰め)になる気がします。

ありがとうございます。
[16]さくらさんからのコメント(2011年04月09日 20時01分30秒 ) パスワード

さなえさんへ
>三つ巴の周りが、○ではなく波打つかんじの模様に囲まれてました。

家紋のことは あまりわからず 両親のつながりの近くの家しか知りませんが、素直な感じで
子供の頃見た かみなりさまの絵にかかれた小太鼓の感じに思えます。

小太鼓が体のまわりをつながって首から下げているのでなく、一個だけさがって他の部分がとがった波みたいに描いてあるのですが、

水と火は相通じているらしいですね。又 鳳凰とも。
「毘沙門天はヘルメス?」のページを見て思ったのですが・・・前にテレビでクシャンのことをやっていたのを見ました。

一方 家紋は自分たちでイメージしてかっこよくデザインしたりしたらしいので 他にみえない紋って ある意味気持ちいいですね。

足利将軍家の笹竜胆紋も他に使うことをゆるされなかったとか?・・・

[17]さなえさんからのコメント(2011年04月13日 15時03分39秒 ) パスワード

そうですね!小太鼓!!なんかかわいく思えてきますね。
[18]さなえさんからのコメント(2011年04月13日 20時42分49秒 ) パスワード

今日たまたま、西尾市にあるお友達のお墓行ったので見た、榊原家(知らない人)のお墓・・・どんぴしゃ!!上記[2]のとおり、源氏車の家紋でした。
[19]さくらさんからのコメント(2011年04月17日 16時07分14秒 ) パスワード

びっくりしましたねー!!
東国武士の場合 あっちにこっちに権力をひろげていますしねえ。

同じひとかしら?と思い 
三河の国 原(桑原)姓について に 神屋のこと書きましたけど、神力女子は村上水軍の姫(毛利氏同格)が建てた寺に眠っている と 母が教えてくれ、そのとき聞いた住所 お寺の名を頼りに問い合わせたことがあります。

お寺様のおっしゃるには お寺の読み方は 土地の人がよんでいる言い方ですとおっしゃりました。ただ、母など戦後の苦しさで 私も山口には一度しか連れて行ってもらえず、 無縁かしら という墓が一基ある ということで、エーっとおもいましたけど、いまだ山口に行くこと果たせていません。



[20]さくらさんからのコメント(2011年04月17日 16時16分48秒 ) パスワード

>三つ巴の周りが、○ではなく波打つかんじの模様に囲まれてました。

ネット検索でもわからなかった ということで、すでにネットはみられたから違うのだろうとは思うのですが、三つ波巴というのもあるけど、

八咫鏡に三つ巴
府中八幡宮 (上越市)
越後一ノ宮とされる居多神社も鎮座している。 境内社に、神明宮と諏訪神社がある らしいが気づかなかった。 境内左手の池の周囲に、石祠があったがそれが境内社なの だろうか。 神紋は、八幡宮なので三つ巴だと思うが、 境内には、八咫鏡の中に三つ巴の 紋が・・・という神社があるようです。

巴紋で検索→巴紋
後世にいたり、巴紋が弓矢の神である八幡宮の神紋と見なされるようになり、宇佐八幡宮 をはじめ全国各地の八幡宮で使ったため、武士は、これを家紋として神助を受けようとし 、巴紋は菊桐に次いで多く用いられることになった。 二つ頭巴、三つ頭巴など単に・・・

上のページクリック
最初に出る家紋一覧の一番下



[21]さくらさんからのコメント(2011年04月17日 21時26分21秒 ) パスワード

やはり 桑原の家のスレッドに書いたけど
神屋は宇都宮氏とも家紋事典に書いてある。

宇都宮遠祖・道兼は関白。
宇都宮流佐田は 「中原」を称していた。

中原系図 押小路系図より遠祖・天照国照彦天火明櫛玉饒速日命

公卿類別譜(公家の歴史)-絶家・社家-な行-中臣〜西川より検索
尊卑分脈等によれば、安寧天皇の第三皇子磯城津彦命の後裔ともされているが、明治期の 押小路家の呈譜では、饒速日命の後裔(物部氏族)ということになっている。有象の時に 中原姓を賜る。代々、大外記を世襲。家業、明経道・明法道。 中原氏系図

押小路は
本姓, 中原氏嫡流.

押小路家は閑院流で三条西から出る。

宮本武蔵で書いたけど 三条西 徳大寺 西園寺は兄弟筋。

★又ウィキでは
押小路家 本姓, 中原氏嫡流. 家祖, 押小路師定. 種別, 地下家 · 華族(男爵). 出身地, 山城国. 主な根拠地, 山城国 · 東京都. 支流、分家, 志水家(地下家)★ 山口家(地下家)★ 摂津 氏(武家). 凡例 / Category:日本の氏族   と 山口家も出る。


★又 前に見た本に 押小路は 二条嫡流とあり、高倉天皇子孫★ とあった。
[22]さくらさんからのコメント(2011年04月17日 22時36分57秒 ) パスワード

他の面からながめると
藤原道長の母は ★藤原山陰女子・時姫★
山陰は伊達氏・大友氏と同じ 魚名流。・・・まず大友とつながる。

魚名の子孫が 秀郷。・・・ここから足利など出る。(藤原姓足利氏)
山陰は四条流。

平清盛の子孫をみてください。
・・・四条(鷲尾)貞子・「西尾草創伝」に「平遠衡は赤羽之城主也と云」と   あり、・・「鷲尾右エ門尉遠衡とその後裔幡豆郡吉良に住し・・・

[23]さなえさんからのコメント(2011年04月17日 22時58分54秒 ) パスワード

三河の榊原家、三つ巴家紋は・・・八・鏡に三つ巴に似てるけどちょっと違う感じ。しかし、榊原さんと血縁関係はないと思うわ・・・たまたま近所なだけよ。

西尾のお城が、赤羽城と言われたのは・・・あったような・・・だけど、政権が代わればいろいろな城主が派遣されたのではなかったかしら?吉良の鷲尾さん・・・知らないなあ。また、気をつけとくね。

ところで、結局、神谷家は?何なんでしょう。
[24]さくらさんからのコメント(2011年04月17日 23時58分14秒 ) パスワード

占部氏系伝記
占部氏は元 天兒屋根命(あめのこやねのみこと)12代の孫雷大臣命(いかつおおみのみこと) 始めて仲哀天皇の御時卜部姓を賜ふ。雷大臣命から6代の孫常磐大連(ときわのおおむらじ)卜部姓を改めて中臣姓とす。
占部氏は、元々宗像大社の祭礼をつかさどり、宗像氏の家中では古い家柄であった。

常磐大連の曽大職冠鎌足(たいしょかんかまたり)其の従弟(いとこ)右大臣清丸をして神道中臣姓を継がしめ 其の身は藤原姓となる。

清丸は意美丸の子なり。清丸の曽孫平丸 大中臣(おおなかとみ)を改め、又卜部となる。爾来(=以来)世々詞部を掌(つかさど)り、今山城国吉田を以って正嫡とす。又同国松尾筑前国胸肩大神に従ひまつるあり。

然れども今、我が占部家においては平姓を用ふ。系図記及び宗像大神の旧記等も又しかり。享保14年2月3日大災に罹(かか)り宝物什器(じゅうき)(=日常使用する器具・家具類等)殆ど灰埃に帰せしむ。
[25]さくらさんからのコメント(2011年04月17日 23時59分57秒 ) パスワード

今 宇都宮をおっているところ
[26]さくらさんからのコメント(2011年04月18日 00時46分35秒 ) パスワード

苗字から引く家紋事典 高澤等著 東京堂出版 ¥4800 2011・1・18出版

かみや かみたに かめがい 神谷 神屋 紙屋
1愛知県刈谷市小垣江町・藤原北家道兼流 宇都宮氏族。和邇姓朝比奈氏族。藤原氏秀郷流伊賀氏族

丸に上り藤
丸に揚羽蝶
対い蝶
左三つ巴
丸に左万字

出自に諸説あり。全国的に揚羽蝶紋を使う家が多い。本来は他の地よりおこったものか?

2福岡県福岡市博多区神屋町・出自不詳

丸に剣桔梗 
丸に揚羽蝶

神屋寿貞は石見銀山の開発に携わり、子孫の神屋宗湛は博多の豪商
とある。

千賀屋氏の家紋辞典では愛知県の家は皆宇都宮流でした。家紋にひとつ浮き唐花とかいうのがありました。桔梗紋と酷似している。これも宇都宮でした。


千鹿屋氏の事典では 皆 宇都宮氏。




[27]さくらさんからのコメント(2011年04月18日 00時53分23秒 ) パスワード

宇都宮氏は三つ巴なので 揚羽紋の神屋がいるのはどうしてなのか?
鷲尾が中原なら つながってくるのではないか?

鷲尾氏(尊卑分脈)
桓武平氏 伊勢の豪族にして尊卑分脈に
貞盛 維衡 正度 貞衡(阿農津三郎)
貞清(阿農津三郎中宮長) 家衡(鷲尾太郎住伊勢國)
清綱(桑名富津二郎鷲尾同二郎)
貞國(陽明門院長)★ 遠衡(住三河国吉良)★
維綱 号鷲尾右エ門尉遠衡 桑名三郎右エ門尉
後白院御代西国海賊蜂起之時任右エ門尉 略


[28]さくらさんからのコメント(2011年04月18日 01時15分29秒 ) パスワード

24の卜部家系傳で桓武平氏と千葉氏でみると、清盛の先祖とは兄弟からでる筋に

桓武平氏 千葉氏流の鷲尾と英保と「源頼政」後裔
上総一族。鷲尾氏略系図- 匝瑳常広-鷲尾常定 (八郎)が鷲尾を称した。
英保 播磨国飾磨郡英保地頭 本姓中原氏/称源頼政後裔 がある。

私の同級生に小川姓が あったところから 前に検索してでたのだが、


桓武平氏 千葉氏流の鷲尾
上総一族。鷲尾氏略系図- 匝瑳常広-鷲尾常定 (八郎)が鷲尾を称した。
英保 播磨国飾磨郡英保地頭 本姓中原氏/称源頼政後裔
                   
英保助兼━次郎左衛門━弾正━兼盛━━━┓
┏━━━・・・・・・・・・・・・━━━┛
┗和泉守━内膳━備前守常政━与次郎常久━小河之直(福岡藩士一万石)

英保(あぼ)氏は宇野(小寺)氏の分流で、始めは江見氏を称した。
助兼の時、分家して姫路近郊・英保城の主となり姓とした。

と 鷲尾の本姓が 中原であることが書いてある。 

[29]さくらさんからのコメント(2011年04月18日 02時14分19秒 ) パスワード

中原 押小路が天照国照彦天火明櫛玉饒速日命を祖にしている。
同じく高岡も天照国照彦天火明櫛玉饒速日命を祖にしている。

高岡系図で検索すると
摂州多田院御家人 高岡系図
【世系】摂州高岡氏は池田氏と同祖なり。摂州池田氏はもと物部伊居太足尼 (五十言宿禰
と池田氏と同祖と出て、

摂津池田系図は 揚羽蝶紋。
藤原姓尾藤玄蕃允信平の男を婿に入れて   とあり検索して、

藤原秀郷流尾藤氏がでる。
神屋が出ないが 秀郷流と接点があるのはこれ。
[30]さくらさんからのコメント(2011年04月18日 02時30分30秒 ) パスワード


西美濃の武将の系譜 - インターネットマンション集合住宅向け ...で検索
池田氏は、大塚系図に拠りますと、美濃国池田郡司池田奉光の弟・帯刀先生望政 (頼朝時代の人)の子の榎下小次郎蔵人重望、その女婿池田太郎時景(実は尾藤玄蕃允 藤原信平男)、その子が上記の右衛門尉景正とされております。
[31]さくらさんからのコメント(2011年04月18日 02時42分57秒 ) パスワード

信濃国の中野氏 藤原秀郷流尾藤氏系図(群書類従)に「民部大夫知広―知宣―尾藤大夫知平―太郎信平、知宣の弟尾藤次知景(住信州)―中野二郎景信―尾藤太郎景氏法名淨心」とあり。吾妻鑑元暦元年二月二十一日条に「尾藤太知宣が頼朝に中野御牧などの安堵を願い出る」

と 源頼朝に尾藤は従っていたようだ。中野一人が 池田に入り 家紋がうつったのかも?

[32]さくらさんからのコメント(2011年04月18日 03時04分44秒 ) パスワード


おもしろいのに 

九所御霊天神社 兵庫・姫路市
九所御霊天神社の由緒 由緒 九所御霊天神社 九所御霊天神社は、
神屋の天神、
松本天神 、
市之郷天神とも呼ばれ、 ...

伊弊諾大神・天照大御神・大己貴神・猿田彦神誉田別命 ・豊受大神・奥津彦神・奥津姫神・埴山姫神

というのが ありました。
[33]さくらさんからのコメント(2011年04月21日 21時15分30秒 ) パスワード

武家家伝神屋氏で念のため打ち込んでみたら
西国の名門大名 大内氏がでました。

542 大内義隆記に
神谷寿亭は天文8年(1539年)の遣明船副使の
日記『初渡集(しょとしゅう)』に船主的立場で登場する神屋寿禎と同一人物とみられる。このときの遣明船は3隻すべて大内船で、
総船頭は一族の神屋主計が務めている。
 『銀山旧記』は寿亭が天文2年、宗丹、桂寿を連れて銀山を訪れ、銀吹(灰吹法)という精錬技術を伝えたとも記す。武野要子・
福岡大名誉教授は、福岡県香春町の香春三ノ岳にある宗丹鉱山を「宗丹の名に由来するもの」と注目。
 「神屋一族はもともと大内氏のもと朝鮮貿易や銅山経営に携わった一族で、朝鮮から灰吹法を習得して銀山開発に成功し、
遣明船経営に乗り出したもの」と推測する。
[34]さくらさんからのコメント(2011年04月21日 23時08分43秒 ) パスワード

秋月家からみた九州の歴史では
博多の三傑という言葉があるが、神屋宗湛、嶋井宗室、大賀宗九の三人の豪商のことである。神屋家の一人神屋寿禎は石見銀山を世に出すという幸運に恵まれている。

足利幕府は勘合貿易の重要輸出品の一つである銅を、美作・備中・備後・但馬などの守護に命じて献上させていた。

大内氏とその麾下の神屋一族は、銅を出雲の口田儀(くちたぎ。現在の
島根県多伎町)の、鷺銅山に求めていた。寿禎は地元の人の話で昔そこは銀山でもあったことを知った。そこで三島清右衛門とはかり、堀子を率いて銀山を掘り、地中に深く入り、銀鍵を求めた。得られた銀鍵を寿禎は博多に運び、巨富を得た。

これが石見銀山の始まりと言う。
26では 福岡の神屋も揚羽紋だから 三河と同族らしい。

海に関係しているかと思っていたけど 銀山に関係していたのですね。
[35]さくらさんからのコメント(2011年04月21日 23時27分34秒 ) パスワード

「九鬼氏13代藩主とその事跡」では 
内神屋惣兵衛 という 苗字がみえます。
[36]さくらさんからのコメント(2011年04月23日 04時31分10秒 ) パスワード

33遣明船は3隻すべて大内船で、総船頭は一族の神屋主計が務めている。
と 神屋は大内の一族とうけとれる。

神谷は神屋だと・・・




[37]さくらさんからのコメント(2011年04月23日 04時32分02秒 ) パスワード

宇都宮氏とは
関白藤原道兼の曾孫宗円という人物が「前九年の役」に際して宇都宮の地にいたり凶徒誅伐を祈念し、その功により宇都宮座主に任じられ下野国を賜わったのに始まるというものである。

宇都宮氏は大田亮氏の平氏系図では 平氏としてある。宇都宮は大姓で、毛野氏族としてとらえると 秀郷も含まれる。


[38]さくらさんからのコメント(2011年04月23日 04時56分27秒 ) パスワード

大内は山口。うちは(三つ巴紋)佐田。
うちでは佐田・山口は同義語。

池田が出る話に

毛野氏考 で 検索
池田も出る。
崇神天皇 豊城入彦 入媛 彦狭島 車持氏 宇都宮氏 孫・兼房(1001−1069)の父・兼隆 母:源扶義女で扶義のその先は 宇多天皇の皇子・敦美親王。 小山

毛野氏元祖関連系図に
孝元天皇 物部氏 崇神天皇 垂仁天皇 景行天皇 不比等の親・鎌足・車持与志子 

参考系図に 関連として
丹生神社祝・天野 紀氏 

などがある。 

 
[39]さくらさんからのコメント(2011年04月23日 05時13分36秒 ) パスワード

もう一度30 31にかえって
信濃国の中野氏 藤原秀郷流尾藤氏系図(群書類従)に「民部大夫知広―知宣―尾藤大夫知平―太郎信平、知宣の弟尾藤次知景(住信州)―中野二郎景信―尾藤太郎景氏法名淨心」とあり。吾妻鑑元暦元年二月二十一日条に「尾藤太知宣が頼朝に中野御牧などの安堵を願い出る」。

平家物語を熱く語るの「白石・真木」より
白石明神=槙山神社  伊賀國阿拝郡 眞木山神社 神紋・茶の実(橘紋に通ずる) ヤタカラスがとまった という 伝承がある。

若狭⇔伊賀⇔九州・高千穂神宮 霧島神宮 市房神宮

幕末に出る 白石正一郎 真木和泉

4 5 6から 
白石 平賀 大内 小野 竹内(足利同族) 

6平賀盛義の3子。伊賀国伊賀郡大内郷に住み、大内氏を称する。
から
伊賀国伊賀郡大内郷を検索→玄松子さんの「猪田神社」

いろいろ祭神があり 筒之男も相殿に見える。



[40]さくらさんからのコメント(2011年04月23日 05時15分03秒 ) パスワード

18
大内は山口 
前に 山口から 天手力男命 住吉神 天道女命 大内 菊池 菅原道真
川辺川下流にある 国重要文化財「十島菅原神社」祭神・菅原道真 を みちびきだしたことがある。

尾張・青衾神社より

祭神・天道日女命(あめみちひめのみこと)といい、天火明(あまのほあかりのみこと)の妃で、尾張氏の祖とされる天香語山命(あまのかごやまのみこと)の母とされる。

猪田神社は 概ね 山口に関与する神社のように 思える。
[41]さくらさんからのコメント(2011年04月23日 05時28分13秒 ) パスワード

19
天道日女命は丹後籠神社の宮司・海部氏始祖・彦火 明命の妻。だから海部氏の始祖神。

丹後籠神社にも 関与してくる。

出雲神魂神社
出雲国造の大祖・天穂日命がここに天降られて伊弊冊(いざなみ)大神を祀ったとされる古社。
『 野見の宿禰』は出雲国造家の出身で相撲の開祖、日本における『 埴輪』の考案者とされている人物です。 土師氏の祖であり、菅原道真などは、この『 野見の宿禰』の子孫だとされています。

天穂日命は 皇孫・天津彦彦火瓊瓊杵尊の兄弟で、皇孫・天津彦彦火瓊瓊杵尊より先に天下ったとされる。

皇孫・天津彦彦火瓊瓊杵尊のグループと同じグループがいたわけになる。

毛利氏は 天穂日命の子孫。途中 桓武の孫・阿保親王の子孫が熱田神宮に養子に入り、再びでて 毛利に養子に入った。

同じく 藤原南家から熱田神宮に養子に入り 大宮司家の女子との筋に源頼朝が出来、大宮司(武内氏)は 

★忘れてたけど 毛野氏考で 天野祝系図に 武内宿禰 宇都宮系図で秀郷がある。★

大宮司(武内)は 三谷に 「八剣神社」を 創建した。
[42]さくらさんからのコメント(2011年04月23日 05時38分26秒 ) パスワード

筑紫日向橘小戸阿波岐原
伝承地詳細54 江田神社 宮崎市|100の伝承地|ひむか神話街道 より

江田神社(えだじんじゃ) 【宮崎市】 宮崎市阿波岐原町.
927年成立の法典「延喜式(えん ぎしき)」にも見える古社です。当社のある阿波岐原町一帯は、古事記の「日向の橘の小戸 の阿波岐原」として、イザナキノミコトが禊(みそ)ぎを行った所と伝えられています。

江田船山古墳 - Wikipedia
概要 - 鉄刀銘文 - 副葬品 - 史跡指定
江田船山古墳(えたふなやまこふん)は、熊本県玉名郡和水町(旧菊水町)に所在する 前方後円墳。清原(せいばる)古墳群の中で最古・最大の古墳で、日本最古の本格的記録 文書である75文字の銀象嵌(ぎんぞうがん)銘をもつ大刀が出土したことで著名である。

天照 月読み スサノオ 筒之男は 阿波岐原町でうまれたきょうだい神とされる。勿論 日本の国生み神話で 他の地域も イザナギ・いざなみの子とされる。

私の家のからまりがあった 下益城郡守富は8世紀頃 肥後の国府があったところ。江田船山古墳も 郡誌に 地域に含めかかれる。

[43]さくらさんからのコメント(2011年04月23日 05時42分38秒 ) パスワード

31にかえって中野
『大日本地名辭書』
おふ
内(おほち)郷……584n(伊賀國名賀郡)……和名抄に伊賀郡「大内郷。」垂仁紀に祖(おほぢ)別命。伊賀國造。

伊賀国造
13成務 三重県伊賀
伊賀国 皇子意知別命の三世孫
武伊賀都別命 古事記
垂仁天皇皇子
落別の王
小目の山の君、三川衣の君
日本書紀
垂仁天皇皇子
祖別命おほぢわけ と系列を同じくする人たち

飫富(おほ)郷……268n(大和國磯城郡)……和名抄に十市郡飯富郷。「多坐弥志理都比古(おほにいますやしりつひこ)神社」は磯城郡田原本町多569。神武天皇の第二皇子神八井耳命は多族の祖神。太安萬侶もこの一族。

と 私は 高岡 白石 佐田 山口 尾方のからまりに見ている。

[44]さくらさんからのコメント(2011年04月23日 11時29分57秒 ) パスワード

鹿島神宮と43飯富
大生神社」は健御雷之男神(タケミカヅチノオガミ)を祭神とする元郷社で、
その創祀年代は詳らかでないが、「鹿島の本宮」と云われ
古く大和国の飯富族の常陸移住の際氏神として奉遷し御祀りしたのに始まるといわれている。

タケミカヅチは 火夜芸速男神の子孫・火に漢の右側 速日神の子
火夜芸速男神と土神埴山姫との 間の子が 豊宇気毘売神(大気津比売)
火夜芸速男神の孫で イザナギが 火の神・かぐつちを 切ったとき産まれたとされ、
健御雷之男神(タケミカヅチノオガミ)と共に 話が出る 経津主神
などは 近い関係にある。

神代の話だが おほ から それらしく 思えるので・・・
[45]さくらさんからのコメント(2011年04月23日 11時44分35秒 ) パスワード

南都 自 大生邑大明神であって、
これは大和国十市郡飫富郷の
多坐弥志理都比古神社(オオニマスミシリツヒコ:多神社)であって
これは多氏が奉じた社であった。
つまり多氏の祖神を祀る大生邑大明神が茨城県潮来市大生の地に、
そして現在の鹿島神宮へ移ったとしているのである。

大生神社の鎮座地の台地には前方後円墳を含む100基以上の古墳

 大生神社の地であるかつての行方郡は、白雉二年(六五三)茨城郡と那珂郡を分割合併して誕生した。

その初代那珂国造が建借間命(タケカシマノミコト)である。
 印波国造と同祖、神八井耳命の後裔で印波国造、伊都許利命の2代前
(祖父または資料によっては大伯父)にあたる。

「古代氏族系譜集成」によれば壬生直・宇治部直共に建借間命を祖としており、
さらに仲臣(那珂臣)も那珂国造一族としている。


大田亮氏姓系辞典
 ★ 中臣
      児屋根命の子を 天押雲命 その子を 天種子命という。
      うさつ媛と結婚し、宇佐津臣を産む。その 六世孫 大鹿島は
      垂仁紀に中臣遠祖 大鹿島と みゆる。
[46]さくらさんからのコメント(2011年04月23日 12時24分58秒 ) パスワード

7にかえってぐるぐると・・・

中野⇔中臣⇔鹿島神宮→ 流派を継ぐ といっても 何らかのかかわりがあったのかも?

表題から
仁徳天皇の時代、国摩大鹿島命の後裔、国摩真人が高天ケ原の西にある鬼ケ城に神壇を築いて祈った結果、神の啓示によって神妙剣と称する刀術を創業した。これが「鹿島の太刀」という刀法の始まりと伝えられる。そして、真人四十二代目に吉川左京覚賢という人があり、本姓名を卜部呼常といって鹿島神宮の神官であり、鹿島家の四宿老の一家であった。この覚賢の二男朝孝が塚原家へ養子にいった、のちの新右衛門高幹であり塚原卜伝である。

真人四十二代目に吉川 左京覚賢という 国摩真人は天孫降臨以来の神司天児屋根命 (春日大社祭神) の十世神孫 ・大鹿島命の子孫で中臣氏。

鹿島神流師範家五代「神谷」文左衛門尉「平」真光 新陰直心流

中臣 大中臣 卜部
いろいろ説もあろうが まとめて ひっくるめ。

[47]さくらさんからのコメント(2011年04月23日 15時10分25秒 ) パスワード

こぼれ話
山田騒動−占部家系傳 より
宗像氏貞をめぐる家督争い・・・神屋は大島に渡った。

部下総守・小樋対馬守・深田・晴気・★神屋★・大和 らは得心しかねたが氏貞を恐れて皆 自分の在所に引き、或いは★大島★に渡ったという。

大島とはたぶん宇和海の大島

伝説の世界のことで 直に 神屋先祖とは結びつかないだろうが、人の移動があるときは 地盤のところへいくのではないか ?

天照とスサノオの誓約によって生まれた子は 天照のものだねから生まれた3人の媛神はスサノオの子とされ、宗像3神になった。平氏は宗像神をいつく。
海の航海を守る神で、瀬織津姫は末子という。

山口は 宗像3神を祖神とする。

月の抒情、瀧の激情
宇和海の守護神・鳴滝神──八幡浜・大島の龍神伝説 より

大分県★中津市★の闇無浜神社は、豊日別宮・龍王宮・太神龍宮などの異称をもっています。同社主祭神の「瀬織津姫神」について、社伝は「中津に垂迹の時、白龍の形に現じ給ふに依りて、太神龍[たいしんりゆう]と称し奉るなり」と、★瀬織津姫神の顕現の姿を「白龍」★とし、ゆえに「太神龍」(大いなる神龍・龍神)と尊称するとしています。

中津=中臣

宇和の八幡浜の清家神主が代々奉仕する八幡神社ですが、その創祀は養老元年(七一七)とされます。同社境内の石碑「八幡濱地名由来記」は、「当神社ノ御祭神ハ八幡大神(ヤハタノオホカミ)ナリ」と、応神八幡[はちまん]の祭祀が展開する前の呼称を唱っています。また、由緒記(「総鎮守八幡神社御由緒記」)は、宇佐神宮は当社の分霊をまつるもので、「宇佐神宮の御本源」として当社があることを複数の史料とともに明かしています。宇佐神宮の前に、「八幡大神」の本源祭祀に関わっていた清家神主家でした。

龍神=雨乞いの神
蛇からドラゴンへ
 鳴滝の滝姫は蛇体から小龍神へと成長し、ついに大島へ渡ります。その渡海にあたって、善良な漁師の協力を得たことは大島・八幡浜の両伝説で語られるところですが、成長した龍神が雨にまつわる神力(神通力)を身につけることが、八大龍王への変身譚として語られ、伝説はここで終盤を迎えます。伝説の最後は、雨乞いの史実の匂いを残して結ばれます。

大入池に移った龍神は天に昇る修行を積みやがて神通力を得、雲を呼び、雨を降らす飛龍、八大龍王の一つ娑伽羅龍王(娑竭羅龍王とも書く)となったのです。最強の龍神。

鹿島神宮の毘沙門天の眷属は龍神と天狗(天津キツネと鳥の間の子とされる)

娑伽羅龍王(娑竭羅龍王
神功皇后が新羅に出兵するにあたり、妹である淀姫命を松浦に遣わされ兵と船を集めました。
淀姫命は、沙伽羅竜王から借りた潮満玉(しほみつたま)・潮干玉(しほひるたま)を携へ、この松浦より出陣され、海を味方につけ見事新羅軍に勝ちました。

沙伽羅竜王は八大竜王の最強の龍で、9 の鹿島神宮8龍王も八大龍王だろう。

瀬織津姫は 市房神宮の12神にもいる。


[48]さくらさんからのコメント(2011年04月24日 23時55分16秒 ) パスワード

宇都宮氏宗家は後醍醐天皇方の最強軍団となり、美濃の南朝方土岐氏と行動を共にした。
[49]さくらさんからのコメント(2011年04月25日 00時32分13秒 ) パスワード

38の彦狭島は 
どこかのスレで 河野 服部 で 出ていたような・・・

越智氏考で 検索
伊予橘氏 新居氏 河野氏 伊予村上氏 土居氏
 楠正成ー正行ー数正⇔紀姓池田氏へ・・・・・・29

彦狭島命は
@父:7代孝霊天皇 母:蠅伊呂杼・・・卑弥呼に近い人
A第3皇子、兄弟:稚武吉備津彦 大吉備津彦など

中原の同族
多 十市 磯城 鴨王 仲津臣 阿蘇国造 火国造 仲国造 信濃国造 金刺
中原 春日 和邇 同族と する。

[50]さくらさんからのコメント(2011年04月25日 00時48分07秒 ) パスワード

日本書紀では、倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)
古事記では、夜麻登登母母曾毘賣命(やまととももそびめのみこと)
という。 
倭飛羽矢若屋比売とも書かれる。

父は、孝霊天皇。
母は、倭国香媛。
同母兄弟に、倭迹迹稚屋姫命、彦五十狭芹彦命(吉備津彦命) 。
異母兄弟に、大日本根子彦国牽尊(孝元天皇)、★彦狭島命★、稚武彦命(吉備氏の祖、桃太郎のモデル)。

[51]さくらさんからのコメント(2011年04月25日 01時40分16秒 ) パスワード

大内氏は母方の系に冷泉家の血が入っているらしい。(大内=山口)
冷泉は二条。

前に 紀 佐田から 二条が出たことがあった。
道兼は二条関白ともいわれた。

二条 九条 近衛は 養子関係で結ばれている。
後 近衛には 後陽成天皇第四子が養子に入った。

高丘家は 今は 藤原南家と出るが、始まりは 藤原北家閑院流。

[52]さなえさんからのコメント(2011年04月25日 16時54分19秒 ) パスワード

さくらさん と みなさんへ

お詫びしなければいけないことを、わたしはしてしまいました。先に謝ります。ごめんなさい。

[1]で、わたしがコメントしました。榊原家・三つ巴家紋は、思い込みによる勘違いだったようです。榊原家さんは、西三河ではほぼ源氏車(家紋)でまちがいないようです。詳しく見ると周りの数や中の模様の数に、いろいろなバージョンがあります。また、電話帳で、西三河地の榊原家さんは、とっても多いことが、わかりました。(そのほかとして、杉浦家さんも多いことが、わかりました。)

では、三つ巴で周りが波打つ感じの紋は・・・ですよね。
そちらは、(わたしの)父方のお墓の近くに多くありました、都築家のお墓のものでした。

いろいろまわって、記憶があいまいでした。さくらさんには、いろいろご足労かけたのに・・・ごめんなさいです。m(。。)m
[53]さくらさんからのコメント(2011年04月25日 19時32分56秒 ) パスワード

ブッ (O。O)!
いろいろと 勉強になりました。

こーっち と あーっち と ひょんなことから つながっていることが わかることが ありますね。

神谷さん を 調べていて 
秋月家から見た九州の歴史 より 検索  119ページ
鍋島の面浮立が鹿島の面浮立の起こりだとする。

私が子供の頃見た 雷様の絵が こんな感じ。

赤熊⇔鬼⇔かみなりさま
私のイメージを具体化すると こうなるのかな?


鍋島がなんで 鹿島?
と 思っていたら
鹿島鍋島 って あるんですね。
ここら くらいで その先は しらべていないのですが・・・

鍋島
藤原姓少弐氏庶流
一説 宇多源氏佐々木氏




[54]いちごさんからのコメント(2011年05月28日 04時28分35秒 ) パスワード

さなへさんへ コメントする きっかけは 何だったかな? と 考えていたら 
そうだ 伊賀だった と思い、
うちの家の固まりが 直接かどうかはわからないけど 似ているなあ と思って 
改めて ネット検索していたら こんなのが みつかりました。

木原氏で検索 伊賀木原氏城が出る。
伊賀木原氏城  で 検索
何故か? というと 木原は 父の手帳に書つけが あった。
木原は8世紀ごろ 肥後の国府があった 下益城郡守富(富合)という ところに あった。下益城郡誌に 木原は源姓とある。
木原から 山口への筋があり、山口 白石 高岡(父出自)は 濃いからまり。
ただ この系は 大蔵なんですね。
武蔵大蔵の地が 源氏の本拠地。

平重盛(母は右近将監「高階」基章の女)この原田種直の夫人が平継盛の妹で、夫人の父が平重盛。

高階氏が 菊池氏に関与し、遠祖宗像氏。

木原氏は『因幡志』に よれば本姓は宇多源氏の佐々木氏で佐々木秀義の嫡子・定綱の子孫 と いうのも あり、こちらが 高岡に 近い。

父は戦時中 山口県都濃郡に住んでいた。都濃郡に百姓の家で清和源氏木原氏がいたことが 萩藩史料にある。

戦国時代、平賀氏の城下町であった東広島市白市地区には、江戸時代、製塩、酒造業を 営み商家として栄えた平賀氏一族の木原氏が続いている。とこちらは白石に 近い。 なお 調べないと いけないけど

父方のまわりは 橘紋。高岡 白石 坂本 尾方 橘紋。
それから 家長が 出た。

★木原氏城跡
所在地: 三重県伊賀市予野字前出8977
遺 構: 曲輪、土塁、空堀
形 式: 丘城 築城者: 木原氏 築城年代: 不明


★浅井氏城跡
所在地: 三重県伊賀市予野字上出8723
遺 構: 曲輪、土塁、空堀
形 式: 丘城 築城者: 浅井弥次郎 築城年代: 天正年間

浅井氏城は、天正年間に浅井弥次郎によって築かれた。 永禄11年に近江観音寺城主佐々木(六角)承禎が織田信長によって攻め落とされたが、佐々木氏に仕えていた浅井弥次郎は、「縁故を頼って」伊賀に移り土着した。

前に 白石から 浅井が 出た。どう つないだか 忘れたけど・・・

★千賀地氏城跡
所在地: 三重県伊賀市予野字上出
遺 構: 曲輪、土塁、堀切
形 式: 丘城 築城者: 千賀地保長 築城年代: 室町時代

千賀地氏城は、東西に丘陵が迫る千賀地谷(近地谷)の中にある予野地区、地区の西側の丘陵には土豪の城が三城 (木原氏城・浅井氏城・千賀地氏城)あり、千賀地氏城が地区の公園として整備されていて一番遺構が見やすい城だ。 
服部半蔵がうまれたお城

南を除く三方に土塁が築かれ、更に北側の丘陵を堀切で切り離した縄張りとなっている。 主郭内には、服部半蔵と上野城代となった藤堂采女誕生の石碑が建てられていた。


★近江観音寺城跡
お城のデータ
所在地: 滋賀県近江八幡市安土町石寺
遺 構: 曲輪、石垣、土塁、井戸、門跡
形 式: 山城 築城者: 佐々木氏 築城年代: 南北朝時代

現在、西国33ヶ所の霊場観音正寺が建つ場所も、観音寺城の一曲輪跡でもある。(観音正寺までの石段・石垣などが城の遺構かどうかはわからない)

 観音寺山全山が城郭化ていたので、100以上もの曲輪(削平地)が存在する。 城の中核部(本の丸・平井丸・落合丸・池田丸)は、石垣で固められていたとか。 

観音寺城は、宇多源氏佐々木氏の本城である。 佐々木氏が六角・京極・朽木の3流に分かれた後は、佐々木氏嫡流六角氏の居城となった。

 観音寺城が築かれた年代は明かではないが、南北朝期の建武2年に北畠顕家の進攻を防ぐため、観音寺山を城塞化したと、太平記に記されている。

 本格的に城郭となるのは応仁の乱あたりで、六角高頼は西軍に付き、しばしば観音寺城に籠城している。 弘治2年、六角義賢は石垣をめぐらすなど、城の近代化を図った。

 永禄11年、織田信長は足利義昭を奉じて上洛するが、この時六角義賢(承禎)・義弼父子は、観音寺城に籠もり抵抗した。

 しかし、箕作山城落城後、六角父子は城を捨て、甲賀郡の三雲城へ退き、観音寺城は信長の手に落ちた。 その後、城主無く廃城となった。

近江守護六角佐々木氏の本城、全山がお城。


★三雲城跡
所在地: 滋賀県湖南市吉永字城山
遺 構: 曲輪、土塁、石垣、堀切
形 式: 山城 築城者: 三雲典膳 築城年代: 不明

三重県伊賀市槙山に「白石明神」がある。式台「真木山神社」の古社地
白石正一郎 真木和泉 は 維新に際し 皇軍に 心を寄せた。神紋 茶の実
茶の実は 橘紋の変形

白石は平賀でもある。
平賀から 竹内。
平賀の紋に 梅が唐花紋がある。藤原姓。

清和源氏佐竹氏族の白石が藤原に入ると 高倉に なるのだと 本で見たことがある。

高倉は 四辻とも 関係があり、高丘とも 関係がある。四辻から高丘へ養子に入る。

四辻が 唐花紋を使う。
神谷さんの紋のうちにも 唐花紋がある。

福岡八女あたりに 家長と平知盛の話がある。知盛の子か孫が水天宮にいたあぜち局のところへ 来て それが 「真木」になったのだと。

こちらでは 家長は 知盛のみがわりになり、知盛は 五家荘にのがれたのだという伝説がある。五家荘では 重盛の白鳥の槍を持って 清経がきて 緒方の婿にになり緒方姓を名のったと・・・

伊賀の城跡や 水天宮の話などは ネット検索してください。

高丘系図も 出されていて 今度 検索して みました。秦高陵君子孫だそうで、この人の母・楚の貴族の女子。

又 本で(確か国史辞典で)高丘は漢王室坂上一族とあった。

私は 高姓から 微妙に 金姓に 中心部が すりかわった と かんがえています。

祖父母と探した 大分県大在の墓 姫野さんで 秦 漢の父系を書いていますが

すりかわった系が 完全に 別系統の人たちか というと 
うちの 父方 母方の関係のように 
きろうとしても きれない関係を持ちながら
歴史をおりて 来ている と 思っています。 

どこか の 家だけを とりあげ
そこだけが 中心部だった と 追いかけても
あれっと 思う 家が次に 出てくる。

又 あまり 忍者に こだわる 必要もないのでは?
忍者って 面白い ですけどね・・(^^)優れた資質を持っていた人たちだと思っています。

福岡八女のあたり 大川家具で 関文彦氏をみつけ ここの 家紋はわからないけど 
ページをみましたら 
東信ジャーナル
010年11月17日
◆青木村に200万円を寄付! 潟Lャステク=長野県青木村夫神・関文彦社長=

増田副社長が「信州の名工」に選ばれた。

長野県青木村は
長野県の東部に位置し、国宝・重文の古塔・古刹が多い歴史ある街。「真田太平記」で 有名な上田城や・・・

などと ありました。ここの関氏は真田氏にゆかりしているのでしょうか?
[55]さなえさんからのコメント(2011年05月29日 10時10分28秒 ) パスワード

ありがとうございます。いちご?さん。

忍者って言葉は、後から創られたことばかもしれないし・・・、忍者に対するイメージって・・・現代人はめちゃめちゃだよね(笑)。だけど、私の頭のなかではぼんやりと暮らしぶりが浮き上がるようになりましたので、歴史に埋もれても・・・子孫の私どもに、生き方や生きる知恵として・・・受け継がれてて、うれしく(今)思うようになりました。

それから、関係あるかわからないけど(いちごさんに)、
昨年知り合った方に、佐々木さんって方がいてね・・・、かなり霊感のある方で(しかし、本人は全否定)、私もなんとなく「先祖にまもられてますね」って言っちゃたら、びくりした顔されて、「後ろに、武者の先祖が見える」って言われたことがあるって言ってました。いちごさんが書いた佐々木氏さんで、おもいだしました。

それから、主人のほうの先祖供養するために、主人の母方で、西川家がでたのね。ネットでちょっと調べたら・・・、直感ですけど・・・、近江商人の西川家・・・に関係あると思いました。ちなみに、主人の親戚は、代が途絶えました。でも、わたしに供養してほしいと思ったのかな?

いちごさんの言うとおり、私たちはいろいろな時代に、いろいろな人と関わって生きてきたから・・・、わたしも、本当のことは知りたいとなんとなく思うけど・・・、平家の祟りとか、忍者の祟りとかは!!絶対ないし!!嫌だ!!

上手く負けて・・・どこかで幸せに暮らしたの!!って思う。楠木正成みたいに・・・
[56]いちごさんからのコメント(2011年05月30日 14時22分57秒 ) パスワード

たくましく 生き抜いたと思いますね。今に 私たちがいるのですもの。

悠久の時代を生き抜いたと思います。

西川という姓の人は 今 パートに行っているところの 同じパートさんにいます。
ご主人の姓だけど 丹波にお墓があるそうです。近江はすぐ近くですね。

近江の西川家はすごいですね。どっしりした 家構えで・・・
枝分かれした子孫が あちこちに 広がったかも・・・

近江商人も 古くから 活躍しているのでしょう?
たくましいですね。

ご先祖様の守り って あると 思います。
頼り切って いては いけないけど 
ここ一番 ってときに 自分に ふんばりが きく と 思います。

それと 
もうだめだと 思っても
くずれてはいけない という 思いですね。





[57]いちごさんからのコメント(2011年05月30日 14時27分06秒 ) パスワード

西川で ハッと 思ったけど
念のため ネット検索してみました。
山本 が 出ました。

西川産業株式会社
関係する人物 西川仁右衛門(創業者)
「蚊帳を製造・販売を開始し、のちに畳表の製造・販売」にも力を入れた。とあり

関連項目 [編集]近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区
旧西川家住宅(国の重要文化財) とある。

近江八幡 西川家 で 検索すると

近江八幡市立資料館(旧西川家住宅)(滋賀県近江八幡市):滋賀県観光情報

西川利右 衛門について西川家は屋号を大文字屋と称して「蚊帳や畳表」を商い、・・と西川産業株式会社と同じことが書いてある。

武家家伝西川氏 で 検索すると 
岩倉山本氏が出る。

[58]いちごさんからのコメント(2011年05月30日 14時30分33秒 ) パスワード

岩倉山本氏が出る。

家紋 五本骨扇に日の丸

尊卑分脈より 清和源氏義光流
義光の孫・義定が山本へ
    義定兄・昌義が佐竹氏・・・佐竹氏族白石がいる。
 
義定の子・義経が山本義経で 将軍系図につく人。松浦水軍を育てたといい、枇杷殿と呼ばれ、八条院に候と書かれる。頼朝弟とは別人と。

八条院領が 私の田舎・球磨郡にあって 平頼盛が地頭
頼盛ひ孫・西園寺公経
[59]いちごさんからのコメント(2011年05月30日 14時33分20秒 ) パスワード

山本氏の系図によれば、
 義立は将軍足利義教に仕え、娘が岩倉の伊佐家に嫁いでいることから、この義立のころに岩倉と関わりを持つようになったようだ。伊佐家は佐々木氏の後裔を称しており、雅綱のとき岩倉に居住するようになったという。両者はともに「近江の出自」ということで、縁を結んだとも考えられる。
 やがて応仁の乱が起こると尚親は将軍義政に属して活躍、岩倉一帯、醍醐、河内、近江、丹波などに所領をえた。そして、小倉山に城を構えたという。・・・ということで、

伊佐氏から 伊達氏に通じ(白石が関与する)
又 島津に通じ
高岡 白石 佐田 のからまりをとく 切り口があるように 思える。

[60]いちごさんからのコメント(2011年05月30日 14時34分50秒 ) パスワード

私の中では 高岡 白石は 切ってもきれない 関係。
佐田と山本も同じ。

山口県防府市の戸籍の印をおしてあるところに 山本 松浦の名が見える。


西川家系図によれば、文明十六年(1484)に細川政元の家臣香西元長が岩倉に乱入しようとしたとき、小倉山城主西川氏の援軍として静原から駆けつけた。これが、山本氏が岩倉に進出するきっかけになったようでもある。

山本尚親の紋・巴橘紋

応仁の乱以後 下克上へ
[61]いちごさんからのコメント(2011年05月30日 14時41分09秒 ) パスワード

又 西川に関連して 興味深い話に 「宮城氏」 がある。

近江の言葉がしきりに出て、
西川氏 奥村氏などが近江出身だと書いている。

宮城氏の紋は「揚羽蝶紋」で、一族の宮城正重が家康の命により池田輝政に属したといい 池田氏の紋は 「揚羽蝶」。

又 高岡が池田の実弟の系図があった。
摂州 多田院御家人高岡系図

公卿類別譜(公家の歴史)絶家・社家 な行 中臣
西川
【にしかわ】 正二位権大納言四条隆直の猶子房任が、西川を号した。
西川家系図
房任までの系図は、「四条家系図」を参照。
房任 隆継(四条隆夏猶子)
西川 房任[ 応永24(1417)年 〜 文明17(1485)年正月19日 ]
四条隆直猶子。
康正元(1455)年10月13日叙従三位。
従二位・参議。
[62]いちごさんからのコメント(2011年05月30日 14時54分30秒 ) パスワード

四条
本姓:藤原氏。華族類別録第四十五類。 旧家 外様 一条家門流

藤原北家魚名(末茂)流。(魚名流は伊達氏 大友氏も同じ)
中御門中納言藤原家成の子隆季を祖とする。
四条家一門の堂上家に油小路、櫛笥、西大路、八条、山科、鷲尾がある。

と 四条(鷲尾)貞子 と 西園寺実氏の話(平清盛の子孫)参照

58の頼盛ひ孫・西園寺公経の子が実氏
[63]さなえさんからのコメント(2011年06月03日 23時18分43秒 ) パスワード

いちごさんへ

また、たくさんありがとうございます。わたしには、調べるすべはありませんが・・・いったいどこから、このような資料をおもちなのかしら???でもうれしいです、いつもありがとうございます。それに[56]のお言葉、うれしかったです。

ふと・・・中央構造線のことが、急に知りたくなってね・・・調べたの、そうしたら・・・あああ〜なるほどって感じで、私の今まで知ってる神社(神宮)やこれから行きたい所、また、先祖に関係しそうな神社や場所すべて、収まってたの。(東の鹿島神宮〜西の幣立神社まで、間にはもちろん諏訪大社、伊勢神宮、高野山など・・・)

ということは?聖地だから惹かれる・・・というよりも・・・先祖が昔から私になにかささやいてたような気がしてきました。そして今頃気づいたか
と・・・言われてしまったような気がします。

中央構造線上は、金や鉄なんかが、地表に出ている確率もあり、鉱山に関わる仕事などがあったと聞きました。(空海や楠木正成もそれに関係してたとか)勝手に、感慨にふけってます。どうも・・・
[64]いちごさんからのコメント(2011年06月07日 03時43分01秒 ) パスワード

中央構造線。なるほど ですね。考えつかなかった。地質学的に考える必要はあると思いますね。

金 は 温泉があるところの近くの安山岩があるところに 銅があって 粗銅に金が含まれていてそれを 精製して 得られるらしい。・・・私のこの知識はあやしい。

銅 安山岩 金 の 単語は 記憶にあるのだけど・・・
つまり 火山が近くにあるはず。

 





[65]いちごさんからのコメント(2011年06月07日 03時44分46秒 ) パスワード

金、銀、銅を水銀に溶かす事ができます。沸点 356.66度ですから 、これ以上に熱すると水銀は、空気中に飛んでしまうので、金は残り、金の精錬を行う ことができるはずです。もっとも、空気中に飛んだ水銀は、人間が、吸うことで中毒になる。

和歌山の丹生あたりは 金もでるけど 辰砂が出て、神功皇后の三韓征伐の際の 船のへさきに赤く塗られた。水銀は硫化物である辰砂 (HgS) 及び単体である自然水銀 (Hg) として主に産出する。


[66]いちごさんからのコメント(2011年06月07日 03時48分07秒 ) パスワード

水星は英語: Mercuryというが、西洋占星術や錬金術などの神秘思想では、ギリシャ神話のヘルメス(ローマ神話のメルクリウス)と関連づけられ、その星である水星を象徴するようになった。これは、液体で金属であるという奇妙な性質が、変幻自在で油断ならないヘルメスの性格と関連づけられたためである。


[67]いちごさんからのコメント(2011年06月07日 03時49分52秒 ) パスワード

鹿島神宮と毘沙門天
天狗は 天津狐 と 鳥の 間の子孫とされ、鞍馬に 関与し、
毘沙門天の眷属で (龍神も同じ)
狐と 鳥は 夏国に 関与したシンボル。

鞍馬寺には 毘沙門天と同じである魔王護法尊が おり、
魔王護法尊は
金星から 650万年前に きたとされ、近頃 人類の起源が 宇宙で変異した アミノ酸がもとの ような 説がでたが、鞍馬の話はなにかしら古代のことを伝えているような気がする。

毘沙門天は別名を多聞天といいます。三つの寅が毘沙門天に関係するようです。「ミトラ」です。古代アーリア人の太陽神「ミトラ」なのです。

ミトラはマイトレーヤです。つまり、弥勒菩薩。

広隆寺の弥勒菩薩です。かつて広隆寺の境内にあった大辟神社の祭りである牛祭りで登場するのが、マタラ神といわれ、マタラの正体は、ミトラであり。さらに、マタラ神の周りには4人の鬼がいて、彼らは四天王と呼ばれています

[68]いちごさんからのコメント(2011年06月07日 03時56分48秒 ) パスワード

毘沙門天はヘルメス?のブログから
毘沙門天と鳳凰
毘沙門天とヘルメス
毘沙門天と羊飼い
毘沙門天とクシャン
ファっロー神=ヘルメス

帝釈天・毘沙門天は 千手観音の眷属
檀君は 帝釈天。
[69]さなえさんからのコメント(2011年06月07日 11時16分47秒 ) パスワード

いちごさんへ

うぬぬぬぬ・・・、また、すごいことになってます・・・(あせっ)。

参考になります。

ところで、人間は、肉体があるから痛みを感じるし、おいしい物、美味しいって感じるんだよね。ありがたいですね・・・
なんて、詩的な言葉みたいだけどね(えへ)、顔晴っても、精神と肉体のバランス崩れそうなとき、思うようにできなくなって、あせってしまうとき、誰かになぐさめてほしくなります。(寝てれば、治るんだけど・・・、どうして?って自分を責めちゃうの、いけないよね。)このごろ、目に見えない存在のこと、考えるようになりました。すべてに、感謝して、お任せするしか・・・(今は)ありません。

ありがとうございます。
[70]いちごさんからのコメント(2011年06月07日 21時37分31秒 ) パスワード

さなえさんは とても ナイーブで 感性がするどいかたのようですね。
私の 同級生に そういう 人がいました。

教職を全うして悠々自適の生活ですが、 以前から 故郷へ 何回か 行っていました。
正職員の人は パワーがありますね。だんなは どうしているの?と心配になるくらいです。

私は B型気質で 変に 図太いので 内面のほうには 心がむかないのですが、肉体的には 今の季節 お酢でつくる フルーツサワーが お気に入りで、料理にも つかっています。

やる気がわいてくるのです。

カルトの話としては
人吉から参勤交代で江戸へは 鹿児島へ出て、船で本州に渡っていたけど、江戸時代に相良氏のおじの林氏(相良氏は藤原南家・母は蘇我氏だった。林は蘇我氏。鞍作り。遠祖・司馬氏への道がある。武内宿禰をとおる)が、夢のお告げにキツネから 球磨川の大石を割る方法を教えてもらい、それにより 八代への水運がひらけた。

こういう話でも 私には キツネがついた という ことより、キツネ=夏国というほうへ あたまが 走るのです。

又 猿みたいな 人が てくてく 日本にやってきた という 話でも、その頃にはもう つるんとした 肌で ちゃんと していたのでは ないか?と思うのです。

顔には まじないのためか 何か塗りたくって いたかもしれないけど。
今は世界中の人がといってよいくらい お化粧してますよね。

今からさらに 何千年か後の世の人は 今の時代のことを 野蛮だった というかも。

それに 人間は 二人寄ると もう 優劣をきめたがる ん ですよね。
相手がおとなしいと くみしやすし と して こきつかおう としてみたり・・・人間としては あまり 変わりもしないのに。

話が ころりと変わりますが 
別子銅山は住友ですが、住友氏は桓武天皇子孫ですって。
京都で古着屋をしていた人が蘇我氏の婿になり
蘇我氏から 銅の精錬法を教えてもらったのだとか。



[71]さなえさんからのコメント(2011年06月10日 09時15分21秒 ) パスワード

いちごさん、フルーツサワー!いいですね(^^)。
今年は、いつも作る梅酒プラス・・・、梅サワーにも挑戦してみます。

私も早く悠々自適になりたいと・・・いつも思ってます(いいなあ)。まだ、私は10年〜20年かかりそうなので、しっかり、じっくり、計画中です(うふふ・・・熊野あたりの尼僧になるか?やっぱり、神道関係かな? なんてね)。
[72]いちごさんからのコメント(2011年06月11日 21時52分20秒 ) パスワード

いいですねえ。なれるルートをお持ちなのですか?神社やお寺のどっしりした木の建物に住めるって・・・そして 裏山あたりに菜園をつくって 野菜などをつくったりして ・・・朝は 小鳥の鳴き声でめざめて (もしかしたら 猿なんかが遊びに来てたりして) 空気はあくまで澄んで 夜など星がすぐそこに手が届きそうなところに天があって・・・空気そのものが違いますからねえ。

私は公務員の妻になり 無我夢中で子育てをして、
それこそ バブルの絶頂期に家をつつくって
子供二人私立の大学を出して
江戸時代の遺物のような夫や義父母をかかえて
定年を迎える頃はぼろぼろでくたくたのぼろ雑巾のようでした。

二人とも年金生活に突入したら
まずは 食生活の改革だべえ と
野菜があまってくさらないように ネットの料理レシピを検索して今ある
食材をつかいきることに成功して なんとか 年金生活をしのいでいます。

人間って やればやれるものなんですねえ。
田舎の同級生たちも ダムの予算がまわらなくなって ピーっとさわいでいましたが 
山菜などを 工夫して おいしく 食べているようです。

いろいろ つくって 出荷できるように なれば いいですが。
今年も 八十八夜の初摘みのお茶が届き
平家豆腐も手に入り 夫婦で ゆったりと 時間を過ごしています。
時々 わがまま夫の怒鳴り声がなりひびきますが(笑い)
[73]いちごさんからのコメント(2011年06月11日 22時40分03秒 ) パスワード

平家豆腐は 五木屋 平家豆腐で 検索すると 出ます。夫は「山うに豆腐」がことのほか お気に入りのようです。

お茶は 「茶湯里」においているそうで、同じ値段 同じものを 私は直接生産者から送ってもらっています。

[74]さなえさんからのコメント(2011年06月12日 17時22分02秒 ) パスワード

いちごさんへ

なれるルートなんて知りませんが・・・、ほんとになる気があって、タイミングも合えば、道は開けるかな・・・って思ってます(^^)。それよりなにより、いちごさんのイメージが・・・あまりにリアルで、理想どおりで、笑ってしまいました。

平家豆腐 五木屋さん、さっそく検索してみました。いいですねえ〜。
そして、五木の子守唄って、ふか〜い歌ですよねえ。

お茶も飲んでみたいです。こちらとは違うそうだし・・・。

私は、育ち盛りの子供が2人います。不況で、生活は楽でないけど、幸いにも実家の両親が、野菜作りが趣味なので・・・毎日野菜三昧ですし。子供たちは、塾にも行けず、ゲームも買えず、健康的に過ごしております(ほんまかいな・笑)。私も、育児中に、仕事もしちゃって、義父母の家業の手伝いや家事の手伝い、自分の家のこと、主人の転職や給料のこと・・・いろいろ頑張ってしまって、一時体調を崩しました。だから、先祖のことや神様のこと考えるようになったと思います。

しかし、今は健康ですし、毎日楽しいです。くよくよしても、どうにもならないこともありますから、もうしらないわ〜〜〜って、あきらめました。

あきらめるって、明らかに目覚めるってことです。悟ることです。って、小林正観さんかな?が、言ってました。なるほどね〜。まだまだ、悟るほど人間できてません。

そういうわけで・・・、(主人には悪いけど)家事も仕事も出来るようにしかできないし、時々こうして、楽しい時間をつくってます(^^)。ありがとうございます。
[75]いちごさんからのコメント(2011年06月13日 04時18分08秒 ) パスワード

ほっと 息抜きできる時間は 必要ですよね。
心と体のバランスをとるにも 適当な休養と自分の好きなことが出来る時間の確保は必要と思います。

頑張ってねとも いいません。自分のペースで暮らしてください。ああいってもこういっても 「私の苦労はそんなものでは ない」って、思うとおもいます。

「山うに豆腐」と 別に 「みそ豆腐」があって こちらは 単体の味は 余りありませんので、私は 少し 味がはっきりしたものと あわせて 食べています。とろける チーズをのせて チンして みたり とか・・・

豆サラダに さいころにきって 入れたら いけました。
『さっぱりまめサラダ※夏バージョン』・・・ネットの料理レシピより
材料
 ☆ひよこ豆などお好みの豆水煮 食べたいだけ ☆マヨネーズ 適宜 ☆だ ししょうゆ 適量 ☆ ゆずこしょう 少々 ☆レモンのしぼり汁 少々  ☆みょうが 1個 ☆青しそ 一枚 ☆白ごま 適量 ☆塩 適量
1)マヨネーズ。だし醤油。ゆずこしょう。レモン汁をまぜたもので豆をあえ  る。味にしまりがなければ塩を少々。冷蔵庫にいれておいて味をなじませ  る。
※みそ豆腐もサイコロ状に豆とあうくらいの大きさに切って混ぜる。
2千切りにしたみょうが と 青しそをのせる。仕上げに白ゴマをひねってパラパラと。

コツ・ポイント
・いろどりに ベビーリーフなどあれば飾り付けに。
・レタスの真ん中あたりの丸まっているものをカップかわりにしてその中にも りつけるといっしょに食べられる。
 
いろいろ 工夫すると 味の新発見があります。
[76]さなえさんからのコメント(2011年06月13日 10時11分45秒 ) パスワード

[74]では、自分のこと少し書きすぎたかな?と思う反面、何かすっきりした思いがあります。不思議。

[75]は、ますます、山うに豆腐なるものに興味のわくコメントですね・・・(じゅる)

私の方は、知人に無農薬の手づくり大豆をいただいてね。とても美味しく煮られたので、一度はお豆腐なるものも、作ってみたいなあ〜と、夢見て暮らしております。はてさて、現実となる日は来るかしら??そんな時間も、今は、楽しいですわ。神様、ご先祖様、いちご様、ありがとうございます。
[77]さなえさんからのコメント(2011年06月13日 21時02分04秒 ) パスワード

甘夏と三重県津市の御酢で、サワーに初挑戦しました。美味しくできましたよ。
[78]いちごさんからのコメント(2011年06月15日 23時32分26秒 ) パスワード

>甘夏と三重県津市の御酢で、サワーに初挑戦しました。美味しくできましたよ。

さあ 夏よ来い! ですね。(^O^)

お宝鑑定団 という テレビ放送をみていたら

津 四日市 とうごいてきた という 「服部家」さんが でておられました。他のことをしながら 見ていたので 

あいかわらず 断片的にしか 見ていないのですが

代々の豪商で 系に (確か 父といっておられた)
「半次郎」という人が いました。

金の地金をうったり
貸しビル経営をしておられるそうです。

ご存知ですか?

それから 

織部焼きの茶碗の鑑定でしたが

古田織部の茶会に 「神屋そうたん」という人が 出ていたそうで
古田織部は豊臣方につき 自刃。

あ 神屋という家がここにも と 思ってみていました。
三重のほうでは 神屋家は有名なようですね。

グチの言い合いになってもいけませんけど、心にためないで 吐き出すとすっきりしますよね。また さなえさんのこと 聞かせてください。

[79]いちごさんからのコメント(2011年06月15日 23時47分08秒 ) パスワード

五木に江戸時代ごろ 銅山がありました。
川下に銅がみつかったけど 地域住民の健康を考え 開発をやめたそうです。

あいなかに 茶湯里があります。
温泉をほりあてたわけで、筋がはしっているのでしょうね。

山のむこう 高千穂の近くは 「とろく」銅山がありました。「三池」がやっていて 「とろく訴訟」が おきたところ。

うちの山に 私が子供の頃 よそから 人が来て はなしているので
だれ? と 父に聞いたら「山師」だ と いっていました。 

今度帰ったら 山に行って 眼をさらのようにして 土をみてみようかな? 素人に金が みつかるわけ ないよね (笑い)

五家荘から明治のとき 人吉の線路の枕木にするために 木を切り出し、川にいかだにして 流したそうです。

今は 熊本の方よりの印象がしますが、昔は 私の田舎よりだったようです。
人吉ー八代の山岳ルートだった。

[80]さなえさんからのコメント(2011年06月17日 09時48分18秒 ) パスワード

お宝鑑定団は、見ていなかったです。ありがとうごさいます。

なんだか・・・不思議な縁(因縁)を、感じずにはおれませんね。とおいとおい果てしなくとおい過去に、同じ先祖(同じ志)を持つ者同士かもしれませんね・・・いちごさまとも・・・(しみじみ)。

「山師」って、なんとなくわかるけど・・・知らない言葉でした。現代にはいないのかしら? カッコイイって思っちゃう私は、不謹慎? いちごさんのご実家の「山」にも、興味あります(私は、山好き)。ほんとに、金銀銅が・・・見つかるかも・・・、もちろん水銀も(ハートマーク)。

なんか、わくわくしちゃいます。うれしいです。血が騒ぐような・・・魂の記憶かもしれませんね?
[81]いちごさんからのコメント(2011年06月18日 03時51分31秒 ) パスワード

山師とは - 鉱山の発掘や鉱脈の発見すること仕事としている人。鉱山技師。

父はこの意味でつかったと 思います。

しばらくして 新聞で 鹿児島で金が発見された と 書いてあるのをみました。

陰陽道では 五行に
土は集まると山となり山は石を生じる。金は石の中に含まれるので土は金を生む。土の中 に光り輝くものが金(属)でありしたがって土は金(属)を生む。とあり

しまねバーチャルミュージアム 石見銀山で検索
鉱石:金・銀・銅などを含む石 鉱脈:地中の割れ目や断層に、鉱石が帯状に形成されて いる状態 ... そしてマグマに熱せられた地下水が熱水となり、岩石中に含まれる金銀銅 を溶かしながら、地中の割れ目や断層に沿って上昇します。
と書いてあり ほぼ 私の記憶の火山とのつながりがみえる。

「神屋」氏は 石見銀山のはじまり 銀山を掘り当てた。
神屋ー宇都宮氏ー佐田ーサダーあいしーん・ぎょろー金・貴族

[82]いちごさんからのコメント(2011年06月18日 04時47分22秒 ) パスワード

大百足の龍神との対立を、鉱山の民と、その下流の水質汚染で苦しんだ民との対立だったのではないかと考える説があるようだ。

昔の話に 炭焼長者 の 話があり 俵藤太 金売り吉次 藤原秀郷 

鉱山の坑道を百足と呼ぶことがあったようだし、伝説に現れる百足が掲げる多くの松明も、坑道を思わせる。また、三上山付近に鉱山があったのも事実のようだ。
 確かに、伝説上の敵役は、ヤマタノオロチ、ツチグモなど、実在した人間の勢力だったと言われることが多い。しかし、この百足についてはどうか。
 実は秀郷の地元でありその一族の佐野氏の名が残る栃木県佐野市は、足尾銅山の鉱毒問題に取り組んだ田中正造の生地でもある。
 おそらくこの2人を重ねたことが、百足と鉱山が結びついた一つの大きな要因ではないだろうか。
 中世の以前の人々が、鉱山と水質汚染との関係を正確に理解していたかは定かではなく、百足を鉱山と結びつけることは、かなり近代的な考え方だと言わざるを得ない。

とねっとにはあるが 鉱山 金などと 藤原とのつながりもうかがえる。
[83]いちごさんからのコメント(2011年06月18日 05時57分40秒 ) パスワード

真名野長者・炭焼小五郎伝説 で検索すると別府温泉が出る。

小五郎のつながりではないが、この 話の中に 
内裏より長者の世継ぎを賜わりますようと願い、
伊利の大臣の三男、当年十三才になる金政公を長者の世継ぎとして・・・


炭焼き長者は俵藤太ともいわれるが、藤太の子供が金売り吉次だという。藤原秀郷と関係している。

炭焼き小五郎は 伊利大臣の三男・鎌勝(かねまさ)を養子に迎える。 鎌勝は「草刈左衛門尉氏次」と名乗り、二代目古五郎となる。

伊利氏は日置氏のつながり
日置氏はヤマトタケルにも関与するらしい。
比企氏として 鎌倉の頃 源頼朝の乳母がいる。

奈良時代には 栄井宿禰が陰陽道にいる。

伊利氏とは高句麗から帰化した渡来人である。祭祀に関与した日置造の流れで、暦や吉日 を占う役目をした。奈良時代後期には伊利氏の子孫である栄井宿祢が陰陽師として ...

伊利氏が「金」姓であることに 注目しているのだが、
又 奈良時代 渤海の使者・うすぼつは 日本の天皇家と自分とこの王の祖先は扶余で同じといい、日本のほうもそうだといった という。

又 サダは狛であり 鹿島氏は
「桓檀古記」三国遺事は 壇君朝鮮→北扶余→高句麗
日本書紀は 天皇家を伯族のウガヤ王朝の子孫として天皇家の正統を主張した。とかく。

草刈氏は、藤原秀郷流小山氏の後裔としている。
[84]さなえさんからのコメント(2011年06月20日 23時13分01秒 ) パスワード

再び書きますが・・・
私の父方は、服部氏。母方は、神谷氏。なので・・・いちごさんの調べや、私の直感的、断片的調べから、金やら鉱山の仕事で先祖が繋がりました。

母方の母方は、三矢氏で・・・なぜか、父方の服部氏と、伊賀の湯舟庄五地頭
(くわしくは、スレッド三河国服部家家紋〜[38])で繋がります。

実家の両親は、先祖のことなど知りません(なんせ分家の末裔で、第二次世界大戦では、何もかも失ったような人たちだから)。でも、お互いの生い立ちや、結婚した縁から・・・、何か(今はわからないこと)は感じるそうですよ。腐れ縁?鎖縁??? なんでしょうね(^^)。
[85]いちごさんからのコメント(2011年06月21日 21時44分45秒 ) パスワード

私の親世代も 大戦で すってんてんになり、父方の山の仕事に帰ったそうです。母にすれば 天から地へ まっさかさまにつきおとされた気分。

一生懸命自分の家のことを 私に教え、
サダ 山本 の からまり からまり を 言っていたので
本家に問い合わせたとき
もう そんな 古いときのことを 知っている人は まわりにだれもいません
私の言う 系と 自分とこの 資料があっているので 祖先の名の書付を送ります
と 教えてもらったものがあるだけです。その人は 戦時中大学を出て、国税局定年後会社を興し 女学院の理事をしたりしていました。

家自体も 昔の佐田に 似ても似つかない と 母が悔しがっていました。
自分があととり を しなければ ならないのに 
家を出て 父についていったので 仕方ないことです。

粘土の色で 銅など 含むものが わかる ようなのですが 何せ 知識が・・・家の庭に 粘土があって 
釜をつくるのに それを 使って つくっていたのですね。

結構 粘土は あちこちに あって 
山に登る道も 粘土道を すべりながら あがって 行っていたのです。

その 粘土の色が 何か
赤でなく 黄土色 だった ように 記憶しているので・・・

こんな むずかしいことを はるか 昔の 人たちは 知っていたのですよね。えらいなあ。
[86]さなえさんからのコメント(2011年06月22日 00時26分44秒 ) パスワード

ほんとにすごいですね。感動しますね。そして、今を生きる私たちは、化学だとか経済だとかに振り回されてしまって・・・何か大切なことを忘れてしまったような・・・そんな気がします〜。

ここでもう一度、いちごさんの家系のおさらいを(簡単に)して下さるとうれしいですが・・・
[87]いちごさんからのコメント(2011年06月24日 01時45分51秒 ) パスワード


系図がないので・・・

高岡は第一項に 天照国照彦天火明櫛玉饒速日命。丹後籠神社ではこの人を「事代主」とする。
佐田は宇都宮氏(中原・・・事代主の長男から出る。)

高岡の紋は 「橘」
佐田の紋は 「三つ巴」
家紋より 高岡→橘(地域に相良氏と行動をともにしている橘薩摩氏がきていることが書いてある。白石 坂本 尾方もこの紋を使う。)と佐田→宇都宮氏が濃い。男系ではないので いろいろと 出てくる。 

橘の母系は 「神魂命」で、
高岡の姻戚に 「川辺」があり、地域に川辺川があるが、
伊勢神宮大宮司家に 「川辺」がある、又 川辺は秦河勝(川辺)の子孫みたい。

古代大族は蘇我氏族の川辺臣、火明命子孫の川辺連。伊勢神宮には大宮司家の大中臣姓と禰宜職度会氏族がある。尾張国海部郡川辺庄より清和源氏浦野氏族、播磨には平氏流伊作氏一族があり、川辺平氏とよばれる。(ネットより)

佐々木も隣の集落におり、そこには 堀川もおり
道長→堀川
道隆→山口
道兼→佐田
で展開する 。

近い世代より うちの場合 古代の話につながるものがあることが 特徴だと思う。

お宝探偵団では
日光あたりは 金鉱脈があったところで
アメジストもでるそうな。

すぐに見つからないので 少し高いところに上ってみたら 岩場に原石があった と。
掘るより てっとりばやい か・・・





[88]さなえさんからのコメント(2011年06月24日 11時21分16秒 ) パスワード

系図は無くとも・・・なんとなくですが、わかりました。ありがとうございます。

中央構造線上には、昔鉱山だったらしいところがたくさんありますね。古い神社やお寺もたくさんありますね。

最近では、中央構造線上のパワー(スポット)がよく言われるし・・・
むかしの人(私たちの先祖)は、きっと何かを感じとって、神の恵みに感謝して暮らしていたにちがいない(断言的)と思いますね。
[89]さなえさんからのコメント(2011年06月24日 11時43分44秒 ) パスワード

しかし、富や力のあるところは、その他の地域の人に、ねたまれたりして戦になることもあるのかな?って思いました。まじめに働いて、神に感謝しててもね・・・、人間のさがなの?って、疑問形です。


だから、伊賀や甲賀の特別な護身術(火術、武術、薬術、呪術、変相術、隠形術、など)が発達したと(私は)思ってます。ただただ、幸せに暮らすために、自分たち家族の身を護りたかっただけなのに、また利用され・・・みたいなね・・・

だけど、「人は、幸せになるために生まれてきたんだよ。」「自分を幸せにできるのは、自分しかいないよ。」って、メッセージいただいてますからね。これから、私たちが幸せになればいいですね。
[90]さなえさんからのコメント(2011年06月24日 12時01分44秒 ) パスワード

さっきたまたま見たサイトに、イエスの秘数666と三つ巴紋の謎みたいに書かれていたわ(びっくり)。

伊勢神宮のなにかの神楽の後ろに、左三つ巴紋があったけど・・・イエスの黙示録の暗号666の形が変わったものではないか?って感じのことです。おもしろいな〜とおもいました(^^)。
[91]管理者さんからのコメント(2011年06月24日 13時45分17秒 ) パスワード

レスが90を超えましたの、でそろそろ新しいスレッドを立てて移行してください。

99になったら、〆させて頂きます。
[92]いちごさんからのコメント(2011年06月24日 21時12分07秒 ) パスワード

巴紋は 天皇万歳旗につかわれる と 何かの本で読んだけど、

巴紋って なんで こんな形なの? って おもいますね。イエスの666って何? って 一瞬 目がパチパチってなりました。666がくるりとまわると巴ですね(^^)

神様仏様の世界のことは 本当は私はよく理解できていません。
無条件で 
天知る地知る人ぞ知る
です。

カルトな話としても
就職試験の合格通知が届く2・3日前に 金色の仏様が夢にでてこられた。
息子がうまれるとき 父方の祖母となくなった弟が夢に出て、おめでとうがいいたくて・・・といった。
ドラゴンが空でなく 地をどどど・・・とはってきて うわーと思っているうちに胸の中にはいってきた。目がさめているはずなのに 自分の体がとてもけいれんしていて それは 恐ろしいことなのに 平気でその一部始終をみていた。
夢でくらい夜道を家に向かって歩いていると
誰か が すっと よってきたけど 恐ろしくなく、私の守護神なの?と聞くと そうだ と うなずいていた。
などなど。

結構 よいことで夢見をするので 神様仏様を受け入れやすい 味方みたいなもの に 感じます。空から見てる みたいな・・・ 

私の考えでは サダ→有(さだ)→有姓  高岡→高
は もっと もっと 古くさかのぼると 思っています。
漢王室子孫・阿智使主と高姓の人は枚方あたりに住んだ というけど
漢王室の劉氏は 劉邦より 100何十代前まえにさかのぼれる というし・・・

しいて言えば 「九鬼文書」に書かれる
イエス モーゼ キリストも 仏陀も 枝分かれした子孫
みたいな。

東流日外三郡誌の 氷河期の記憶を 持つ人たち
この和田家文書には 伊達氏家臣・支倉常長の本名が山口与一と書かれていると。
宮下文書・・・古屋(古庄)系図
上記・・・サダ彦の出自が書かれていると。
竹内文書・・・白石=平賀=竹内
尾方は スサノオ。

などに書かれる人たち
が たどりたどれば それぞれの遠祖になるか と。

でも 別に 違う考えの人がいても
言い争いなどしなくても 
どうでもいいですよね。

仮に 誰かが 自分は 近世になって の 皇子様の枝分かれ と 言う人が出てきても
そうではない 自分が何いうことも ないし。

今自分が息をしていられるのも ご先祖様がいらしたから。

[93]さなえさんからのコメント(2011年06月25日 16時23分12秒 ) パスワード

ふうううううん(鼻息=3)。

私も神様仏様のことなんてわかりませんよ〜。むしろ、わかりますってかたのほうが怪しい・・・(笑)。

でもでも、私の生きる意味、私たち世界の意味、不思議なことは・・・やっぱり神様(宇宙の創造神)のみぞ知る!!です。いてくれた方が私は楽しいです。

それに、いちごさんのカルトな話は・・・かなり素敵ですし、普通ではありません(ほめ言葉です・普通より上です)。

先祖をたどると、なぜか神様(宗教上の神様ではない)にたどり着くのでは?ないでしょうか。ちょっと偉そうですか?なんとなくです。

それにしても・・・今日は暑い日になりました。
[94]いちごさんからのコメント(2011年06月25日 21時55分07秒 ) パスワード

でしょ^O^
今でも その頃のことを思い出すと ああ ご先祖様と一体化している と 思います。

ところで
たわし で からだをこすると いい って
おばが 昔 言っていたのを
私は 聞き流していたのですね。

いや 一回やってみたけど その 痛いこと痛いこと
それから 後 ふりむきもしなかったのですが

足が なんだか ねちゃねちゃ するような 気がして
がさがさ したところを かみそりで とったり
軽石でこすったり していたのですが(ほんっと 汚いですね。ごめんなさい)

思いついて たわしで 足裏をこすったのですね。
そしたら 
あら 不思議!
一回で つるつる すべすべ になって
体が軽くなった気がして 気持ちいいのです。

おっ これは いい
と思って すこしづつ
足の甲 ひざまで と すすめて
今日は 背中も おなかも 体中 こすりました。

傷つきませんよ。
なんだか 汗が 出ても 気持ちいいです。
私の場合 するとなれば いろいろ
フルーツサワー 食事健康法 などなど するので はて どれが 効いているのかわからないけど
とにかく たわしで こするのは やみつきになりそうです。
[95]さなえさんからのコメント(2011年06月27日 09時28分16秒 ) パスワード

以前、俳優さん(確か、里見浩太郎さん?)が、舞台前気合をいれるため、顔をたわしで擦ると言ってたような・・・え〜って思ってました。足からなら、やってみます。

私が最近やってるのは、寝る前の自己流の呼吸法(3回)です。偶然ですが、故・塩谷信男博士と同じような・・・感じでした。

もう一つは、拭き掃除なんたけど(お掃除得意でなかったけど)・・・家庭と家族を、日本のひな型=世界のひな型と思うと、神聖な気持ちで、清めるイメージで、楽しく出来るようになりました。かなり、怪しいですね?

いちごさん、よかったら新しいスレッドたててください。
[96]いちごさんからのコメント(2011年06月27日 21時53分40秒 ) パスワード

お掃除
日本人は清潔好きって イメージがあるように 思っていました。
頑張ろう!!

若い頃 私は 不服が一杯でした。
なんで 私だけが 掃除 洗濯 もろもろ やらなきゃなんないの? って 文句ばかり思っていました。

でも 何かの本で
一人で暮らしても 掃除洗濯しなきゃならないじゃないですか?そう思えば 家族の分までするのも なんのことないじゃ ないですか?

と 書いてあったのを見て 
反省しきりでした。

以来 きちゃなずきの 私も こきざみになら 掃除が出来るようになりました。
本当は 私は きれい好きだと思うのです。
片付いているイメージを思い浮かべるのがすきなのです。

たわしは ぜひ おすすめします。体の悪い気が 全部でていくような・・・
たわしを あらかじめ ぬらして せっけんを こすりつけてからこするといいです。
それと きたないけど 水虫の人は たわしを ふたつ  用意して 足裏と体と べつに したほうが いいか と。移るような気がするのです。
私は 幸い ないのですが・・・

こんなことは がんばりましょうね(^^)
[97]管理者さんからのコメント(2011年06月28日 00時58分32秒 ) パスワード

続きは
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