[1] | ときおさんからのコメント(2011年02月25日 00時11分40秒 ) | パスワード |
さくら様・あを様へ
神代の時代のことは、勝者による粉飾決済がされていますので、分かりません。と言うしか有りません。古事記以上に日本書紀は訳の分からない粉飾決済が多いですからね。
当地の大庭の郡衛推定位置には神部(みわべ)の拠点地で美和とも記述します。秦氏の拠点でもありますね。この点では関係有ると思います。
*デジタル大辞泉の解説おお‐にわ 〔おほには〕 【大庭】
1 宮中の紫宸殿(ししんでん)の前面の庭。おおば。
2 寝殿造りで、寝殿の前の広い庭。
3 広い場所で上演される晴れの能。
* 神奈川県藤沢市の大庭の様に小高く広い場所を示す場合もある。
「大庭」は、(おほには)→(おおば)
島根の松江市街地北にある佐多神社の横(南)には「大場」と成って居ますが、「おおば」と発音すると想像します。
「大庭」地名は
大阪以西には大阪に二カ所を含み 10カ所・岐阜以東に岐阜に一カ所を含み8カ所で計18カ所見つけられます。何度も有った町村合併により消えたものや地図には載らない地域名や小字名が存在すると思われます。ので、18カ所以上の数に上ると思います。
「大場」地名は
中部北陸から東北地方に23地域も有り多いですね。どうも小高くて広い土地をいみする地名の様にみえます。奈良・島根・山口に各1で3カ所。四国九州で5カ所有ります。
謎の4〜5世紀から6〜7世紀の実像は、推測の域から出ることは至難の業だと思います。
6世紀半ばから7世紀にかけては、大和から吉備や出雲へと言う図式は誤りと思われます。出雲から吉備へ、そして大和へ伝搬ないしは移住があったようです。
そして、各部族や一族の名前の遷移が有ったと思います。
かの「七枝刀」や「断蛇劔」で有名な石上神宮が有ります。
この「断蛇劔」は備前の物部氏の住居する地域に石上神社(今日も物部氏末裔が神職とか。)に有ったものを、石上神宮に奉祭したもので有ると記録されて居ます。
このことからも出雲の氏族の移動状態が推測出来ます。
極論を言えば、八岐大蛇の件は備前の地で有ったとしています。ここを流れて居るのは簸川の支流です。簸川は、今は旭川と呼ばれて居ますが古来より簸川と呼ばれて居ました。
[2] | さくらさんからのコメント(2011年02月25日 12時22分28秒 ) | パスワード |
ありがとうございます。
こういう詳しい文献的な知識が不足していますので・・・
備前など含めてそれ以西も 古代は出雲だったと書く本もありました。
山口県豊裏の日の影町がありますが、
高千穂地方の神楽は 日の影神楽がもと というか それが大事だと前にネットでみたことがあります。
こちらは 祇園神楽らしい。
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