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 投稿番号:101216 投稿日:2011年02月16日 05時16分17秒  パスワード
 お名前:空の青海のあを
平家落人の里:五木村の豆腐の味噌漬け

コメントの種類 :落人伝説  パスワード

熊本市から車で2時間の五木村は「五木の子守唄」で知られた平家落人の里です。

[1]空の青海のあをさんからのコメント(2011年02月16日 05時18分12秒 ) パスワード

蛋白質確保のために「豆腐」を食したそうで
「平家豆腐」
と呼ばれているそうです。
[2]空の青海のあをさんからのコメント(2011年02月16日 05時19分35秒 ) パスワード

保存を長くするために、しっかり水分を抜き、木綿豆腐の4倍の固さにしているそうです。
[3]空の青海のあをさんからのコメント(2011年02月16日 05時21分40秒 ) パスワード

更に焼いて水分を除き、もろみ味噌を塗って、半年、発酵熟成させてクリーミーにさせて、いろいろな料理に利用しているそうです。
[4]さくらさんからのコメント(2011年02月16日 20時01分36秒 ) パスワード

五木の子守唄は 相良氏(犬童球渓 )がつくったもの。五木の地の子守唄はいろいろなうたいまわしがあり、似ても似つかない。

イメージ的に 又 土地の話としてとてもまずしかった ということがいわれるが、交通の便がない昔では どこでも 似たようなものだったようだ。

私の家は川下にある。五木とはもとはひとつだった。阿蘇氏支配の頃ふたつにわけられた と。
川沿いの集落は 地名辞書に 「貧しかったが渡世に困らず、又 もう少し川下では 他の集落が収穫がなくなる季節には かえって 豊饒のときを迎え」・・・と書いてある。人吉で 2万人を超える飢饉の死亡者が出たときも一人も死者がでなかった。山の幸もあるし 鮎 やまめもあるし・・・

五木は こんにゃくも 知る人ぞ知る 産物。
五木豆腐は私も同窓会の夜 徹夜で友と話しながら食べました。

島津亜矢ちゃんは こちらの人のいとこのお子さんです。友も応援しています。


 
[5]さくらさんからのコメント(2011年02月16日 20時06分08秒 ) パスワード

五家荘
《 平家・緒方家の屋敷 》
文治元年(1185)3月、壇ノ浦の戦いで敗れた平家一党の内、左中将平清経は入水と見せかけて四国の伊予今治の阿波国祖谷に逃げた。さらに追っ手を逃れて豊後舞鶴を経て湯布院に入り竹田領の士族緒方氏の招きで、しばらくその館に居住。その後姓を緒方と改め九州脊梁の白鳥山(泉村樅木)に住みついたといわれている。
その後白鳥山も手狭になり、その子孫である緒方紀四郎盛行が山を下りて、ここ八代市泉町椎原に住み代々この地を支配したといわれている。
今残っている家は280年前に建造された家である。
《 地頭・左座家の屋敷 》
藤原一族によって九州に左遷させられた菅原道真には2人の子供があったが、道真の死後この2人の兄弟の仕返しを恐れて藤原一族は兄弟を討ち取るため九州に軍勢を差し向けた。その情報を耳にした兄弟は改名して逃げ、ここに住み着いたといわれている。923年頃の話である。

緒方紀四郎盛行と 紀とかいてありますよね。 
[6]さくらさんからのコメント(2011年02月16日 21時10分40秒 ) パスワード

緒方清経は頂上から四方をながめ、定住の地を決めるのに五本の矢を天に放って占った。

この伝説は熊野の3つの伝説のひとつ「善財王」の話と酷似している。
善財王はインドマガダ国の人。

ヤタノカラスと共にある「午王の宝印」は牛の肝臓に関与している。
[7]さくらさんからのコメント(2011年02月18日 20時38分19秒 ) パスワード

世界遺産五箇山にも「平家豆腐」があるのですね。
山深い五箇山に伝わる「平家伝説」、倶利伽羅峠の合戦で木曽義仲軍に敗れた平家の落人たちが、安住の地を求めて五箇山の地に入り住みついたと伝えられています。

山深い豪雪地帯の五箇山では、水分量の少ない堅いしっかりとした、荒縄で縛ってもくずれない程堅い豆腐が作られていました。堅豆腐は持ち運ぶのに荒縄で縛って運んでいたそうです。交通が不便な山間地でも日持ちが良い堅豆腐は、貴重なタンパク源として利用されていました。

とあり よく似ている豆腐だと思います。

報恩講(ほんこさま)のところをクリックすると、合掌造りの家が画面にでます。アクセス
金沢方面・東海北陸自動車道福光I.Cより国道304号線を五箇山方面へ
国道156号線との交差点「下梨」信号右折すぐ

にがりは甘さと旨味を合わせもった天草の塩「小さな海」を製塩する時に抽出されたにがりを使用しています。 天然にがりは他の凝固剤のようにゆっくりと凝固せず、瞬間的に凝固が始まるために、寄せに非常に高い技術と知識が要求されます。 豆乳の濃度・温度・にがりの量が揃って初めて「平家とうふ」が出来上がります。

五木の豆腐は 味噌をぬっているそうで、五箇山の豆腐に さらに 工夫を加えたのでしょうか?
天草のにがりを五箇山はつかっているそうですが、五木のにがりも天草のものでしょうか?

人吉から 五木 坂本 八代あたりへ抜ける山岳ルートが昔ありました。八代 天草は すぐ近くです。
[8]さくらさんからのコメント(2011年02月18日 20時57分41秒 ) パスワード


五木の子守唄を検索するとこんなことが書いてありました。
ところで、五木の子守唄も含めて、民謡の正調というものは、一つに定めることができない場合もあるとのこと、歌われる人や地域によって微妙に違っているそうです。五木の子守唄に似た歌詞が人吉・球磨地域だけでなく、下記(熊本県文化財報告書97集「熊本県の民謡」より抜粋)に示すように遠く離れた上・下益城地方にもあるようです。
「おいどんが死んだら おくわん(往還)ばちゃいから 人の通るときゃ花もらう ・・・ 」上益城郡御船町
「ねんえした子の可愛さむぞさ 起きて泣く子の面憎さ ・・・ 」上益城郡益城町
「おどま知らん知らん こがん子の守りにゃ守りにゃ飽かんばってん子に飽いた」宇城市豊野町

 ただ、歌詞が標準語に近い(?)ところもあり、時が経ってから伝わったとも考えられるのかも知れませんね。更には、五木の子守唄の元歌は川辺川下流の相良村だとの説もあります。また、歌詞は天草の福連木の子守唄にも似ています。民謡は元々楽譜や歌集があったわけじゃなく、口から口(耳)へと、時と場所を移しながら常に進化し続けていく生き物です。五木の子守唄のルーツを調べるのも面白そうです。

私の家があったところは 「一人の奉公人もいないめずらしい村」とあります。
しかし 又 下益城郡 などは 父方 と 山口 佐田のつながりがあるところで、この 固まりは 山口にもある と 本にかいてありました。

佐田(母の実家)と 山本(母の実父)
山本の父は 山口 下益城郡 別府 と 動いたようです。

[9]さくらさんからのコメント(2011年02月19日 01時54分38秒 ) パスワード

ウキの間違い
作家 それからの武蔵や「彦一頓知ばなし」「山犬少年」などを書いた「小山勝清」のふり仮名が「おやま」になっているが「こやま」。

地の人は 微妙に違う呼び方 や 筋の違い 紋 に うるさい。

勝清氏の 孫娘と同級生だったので 「こやまさん」と 私は 呼んでいた。
[10]さくらさんからのコメント(2011年02月19日 02時00分08秒 ) パスワード

親戚のおじ(故人・生きていれば100才くらい)が「昔はわしらは高岡の殿さんといっていた。山をわけてわけてああなったんだなあ」といっていた。先年兄のところへ行ったとき「じゃあ みてみようじゃないか?ということになって見たら 高岡 高岡 高岡 高岡・・・」だった。 と 言っていた。
[11]さくらさんからのコメント(2011年02月19日 22時12分30秒 ) パスワード

私の家があったところは昔良峯師高所領。良峯師高子息・紀平次実名知らず とあり ここも紀が書いてある。良峯は「平川」。高岡→婿養子・平川は元士族。つまり幕府領。川下にいくと 皇室領。

良峯で検索
球麿郡
@紀平氏 本姓紀氏
・紀平二元保
・紀氏であるが、のち、平姓を稱したものをいう
・球麿郡地頭:良峯師高の子息:紀平次不知実名とある

ー荘園ー
@1184「球摩臼間野庄」平家没官領・平頼盛領
・郡名:球麻 球麿郡錦町
・史料村郷名:安富領・三善・西 
・明治村字:上松求麿・下松求麿
[12]さくらさんからのコメント(2011年02月19日 22時42分04秒 ) パスワード

小山連ははるか昔高魂巣日尊につながる。
勝清氏は 晴山の里は昔「木綿の里」といっていた と 書いている。

木綿でつながるのが 宇佐八幡あたり 香春の地。
11は紀のとき 大伴氏にも関与する。

高岡系図から紀長谷雄 船守 など 出た。
書けばきりもなくなるが 紀氏のルーツでは 肥後国司・玉名郡以下紀氏の名が出る。
玉名市史通史篇人名索引(上巻・ひ)には 卑弥呼 98、99、100、
卑弥弓呼 100、が書いてある。内容はどんななのだろう?と思う。

こやま の とき→小山墓があり、橘嘉智子がでる。橘で高岡に関与する。
おやま の とき→藤原秀郷 北条 熊谷 が 出る。宇佐八幡の地頭は北条時宗。



[13]さくらさんからのコメント(2011年02月20日 21時50分48秒 ) パスワード

大方の人は 子守人が平家落人の子孫だと思っているようだが、あんしたちゃあよかし〜のよか衆(旦那衆)(山持ち)が 平家子孫。

川下の私の家があった集落近辺に 初めて阿蘇神社がまつられ それが地名の由来になった という ところがある。

下のほうには 相良氏が連れてきて後 藩主菩提寺の人吉願成寺の二世の地蔵堂が有る。

人吉は後白河法皇の蓮華王院領があったところで 預かり所は 中原つながりの大江広元(毛利広元)(中原広元)と 大友親能(能直か?)(中原)で相良氏は地頭。相良氏は後子爵。

    大江維光
     ‖―――大江広元    毛利氏へ養子
     母            ↓↑
     ‖―――ーーーーーーーー中原広元
    中原広季 ・中原親能・・・・・・・能直・親実・師員・師俊・親家   
           ↑          ↑
藤原光能――――ーーー親能         ↑
藤原鎌足(母・大伴氏)子孫・古庄能成の子・近藤能直→大友能直
[14]さくらさんからのコメント(2011年02月20日 22時00分37秒 ) パスワード

12の木綿の里は ゆうの里と読む。
紀氏のルーツを引くと 可愛い女の子の絵がでるページになり、そこに書いてある。紀だらけ。
[15]さくらさんからのコメント(2011年02月21日 21時50分06秒 ) パスワード

球磨郡多良木には 「中原の臼太鼓踊り」があり、源平の戦いの様子を表しているといい、他の地区にはみられない踊りをする そうで、地区の人に聞いたところでは 観光用と自分たちの踊りが有る ということだった。

太鼓踊りも川筋にある。私の集落の踊りは 一番踊りの数が多かったそうで、何年か前 ビデオ収録された。

小山勝清先生がおられた晴山のひひ踊りは 古くから伝えられた 「北岳神社(坂本大名神)」で踊られる踊りで 
地域発 ふるさとの自然と文化
晴山のヒヒ踊り(はるやまのひひおどり) 相良村
でページがでている。

北岳神社は近江日枝大社の末社。漢王室献亭子孫・美津首(最澄)が大和大三輪神社を勧請して建てた。日枝大社には当初は山の上に大山咋神がまつられていた。

石見重太郎のひひ退治伝説があり、神社は西暦810年に創立されたということで古い神社である。つまり 鎌倉幕府創立よりはやいので 地域には相良氏や良峯氏がくるよりはやく 人がいたわけになる。

川向こうには 縄文時代の遺跡後があった。

古い頃道はこの神社の辺りを通っていた。遠足にはここを通っていっていた。大きな大人が5人ほど手を伸ばしてもそれより大きい木があった。



[16]さくらさんからのコメント(2011年02月21日 22時06分31秒 ) パスワード

川向こうでは 「棒おどり」をする。
●石川県の白比古神社に(祭神 猿田彦大神・天照大神)祭礼・棒踊り、獅子舞がある

小説ではあるが西遊記に出る「孫悟空」は「猿」で、棒を使う。
● 呉の孫氏の祖先とも言われる孫武の書いた中国の代表的兵法書『七書』のひとつ諸葛孔明や曹操などが活用した「兵法三十六計」
曹操が注釈をつけて推奨したことで、今なお残っているのは周知の事実です。
「兵法三十六計」は現代においても全世界に訳されて今なおアメリカなどの司令官たちが活用しているといわれる名著です。
[17]さくらさんからのコメント(2011年02月21日 22時10分53秒 ) パスワード

田中と佐田は 盤古子孫として 田 向で つながった。
● 徐 と 蘇は 微妙に発音が違いながらつながっていた。

猿田彦は「天孫ににぎ」の降臨をいち早く知り、先導した。
●「記紀」に猿田彦は地上から高天原まで照らす神として書かれている。
●孫氏は「田完」の子孫といわれ、「田完」が もと 陳氏だった人。田氏は陳国王の子・陳完を始祖として始まる。 陳国が乱れると陳完は斉に逃れ「陳」と音の近い「田」に姓を変えた

西遊記の玄奘三蔵は唐国の皇帝の弟で、「陳」姓としてある。
孫悟空はお弟子であるが、同じ陳からわかれでたわけである。

[18]さくらさんからのコメント(2011年02月21日 22時17分13秒 ) パスワード

● 周武王時,舜的嫡裔媯滿娶了武王之女太姬,稱胡公。胡公之後,傳到十世孫媯完,因故奔齊,
● 陳姓還有三個系來源,分別是春秋時楚國的劉矯後裔,隋初白永貴的後裔,還有突厥族候莫陳氏之後裔。

● 西元前672年媯滿的第12代孫陳完,因避難逃到齊國,改姓田。
後來他的10世孫田和建立了田氏齊國。
● 戰國末年,齊被秦滅。齊王的長子升次子桓先後改姓王氏,
● 三子田軫逃至穎川(今河南禹州、許昌一帶),恢復陳姓。從此陳氏一門在中原瓜瓞連綿,生生不息,發展成為名門望族。資料來源: 網路消息
●  許昌・・・後漢の要の都市   
●  兎州・・・鄭州に夏の兎王に関係する。黄河。「中原」。
●  穎 → これも秦氏の「羸」と同じく「えい」と読む。
丹後にある「天の羽衣」伝説は楼蘭の田章(陳章)の伝説。
[19]さくらさんからのコメント(2011年02月21日 22時25分25秒 ) パスワード

源氏も平氏も遡れば天皇家につながり アマテラスにつながる。
天孫ににぎ を 先導した 猿田彦とアマテラスが祭られるのと 川向こうで初めて阿蘇神社がまつられた。川筋には 道祖神がまつられている。と共通するものがあるようだ。
[20]さくらさんからのコメント(2011年02月21日 22時48分05秒 ) パスワード

周の呉と三国時代の孫権の呉の関係
古公亶父 →太伯・・・呉を建国。後、田完子孫・孫権が三国の呉を建てる。
古公亶父 →虞仲・・・・・・太白の呉を継ぐ。
※太伯・虞仲は父が季暦に王位を次がせたがっているのを知り、国を出た。この話は百済の建国神話に似ているという。

黄帝→帝こく→后稷→古公亶父→王季暦→文王→周武→→→→→女子(太姫)
                      || 文王の頃は「殷」の属国 
                      ‖・・陳→田完・田和
                           (田斉を建てる)
                   ‖           黄帝のひ孫・端玉高陽氏の後裔・舜の後裔(満)
     (舜の姓・羸姓)(舜の姓・姚姚よう・虎神)(舜の氏・有虞氏)
※田和の長子は王氏。三氏は陳氏。田完子孫が孫武。孫武の子孫の「孫堅」の子・孫権が三国の「呉」を建てる。
[21]さくらさんからのコメント(2011年02月21日 22時53分20秒 ) パスワード

すこし 失敗して 太姫と満が 結婚。=で結ばれる。
[22]さくらさんからのコメント(2011年02月23日 22時27分56秒 ) パスワード

15の亭は漢王室献帝子孫です。実母は王氏。

川向こうには「虎踊り」もある。

「グウ爺の独り言」2011・2月で 四浦阿蘇神社の虎踊りの写真は熊日新聞のふるさと写真館にモノクロが一枚あると書いている。面白い画像ですよ と書いている。私はここの祭りは小さい子供の頃しか行っていないので 踊りの記憶がない。興味があることではある。

このサイトではさらに 「くま鷹」のことを書いており 椎原のくま鷹は全国の鷹匠のあこがれの的であったと書いている。

那須の密偵と書いている。何か忍者らしい動き方をしている。武田系図につく那須与一の兄弟は平家にしたがったが、兄弟の中でただひとり与一だけ系図についている。

那須の大八郎と鶴富姫の話と共に源平の頃の記憶にも遡るおもしろい話である。
[23]さくらさんからのコメント(2011年02月23日 23時25分28秒 ) パスワード

「ぐう爺のひとりごと」2006・11月の四浦の虎退治で写真を見ました。ほんと面白い。虎が・・・獅子ですやん。

次の「河童の話後日談」では アントニオ猪木のご先祖様は相良のお殿様だったと・・・相良本系がつかった苗字と同じ山井のじい様からは想像もつかないけど・・・
[24]さくらさんからのコメント(2011年03月07日 00時12分42秒 ) パスワード

ぐう爺の独り言より
虎踊りの主役は相良氏「丸目新八郎」である。
新八郎の上司の家老犬童九衛門は相良清兵衛という実在した家老であった。

あの丸目蔵人の大捨流は昔「中村錦之助」が演じたシトシトピッチャンの子ずれ狼の「拝み一刀」が使った流儀だそうだ。

新八郎の子供が蔵人。
丸目蔵人は「菊池家」家臣に見える。
丸目蔵人佐徹斎. 大捨流兵法の祖 上泉伊勢守秀綱の高弟。天文九年(1540)肥後国 八代郡人吉(熊本県人吉市)、丸目与三右衛門尉の長男として生れる。通称蔵人佐。のち 石見守、石見入道、雲山春竜居士、鉄斎、徹斎と称した。

上泉伊勢守秀綱は「鹿島神流」の二代目。

 
 翌年、二十二才になった蔵人は剣術指南役として人吉に帰ってきた。久し振りに父新八郎に会い、その変貌に驚いた。父は剣術を忘れたかの様に畑仕事に精を出し、百太郎溝の改修に懸命であった。その姿は、他の百姓衆と少しも変わりはなく、近く新たに計画された高橋政重殿の幸野溝建設の協力に百姓の先頭に立って一所懸命であった。

蔵人はその後、願い出て再び江戸に出てあの但馬の守に大捨流を会得した事を告げ試合を申し込むのだが、将軍の指南役は立会いは出来ないと断ってきた。断りの書状には、〔我は東の日本一、貴殿は西の日本一〕とそんな事が書かれてあったという。

その後全国を行脚して数々の試合をするも、一度も負けることはなく晩年は父の新八郎と同じく一武村で畑仕事に精を出して生涯を閉じたとの事だ。それは新八郎の夢を追うような生涯だったと云う。
[25]さくらさんからのコメント(2011年03月07日 00時32分01秒 ) パスワード

新八郎のトラ退治の話には「江代岳」が出てくる。今地図検索すると少し位置がずれてでるようだ。

私の家があった川筋は 他の地域にもある集落名がある。相良氏治世がながかったので相良氏子孫が開発にはいったようで、村としての成り立ちは1600年ごろとされている。が 持っている神社などが820年ごろたてられたことや縄文時代の遺跡があることなどからもっと昔から人がいたようだ。

ともあれ 私の父の出の高岡は おじが(故人)「ここからは市房が見える」と教えてくれた。そのときどこか?と見るとまっすぐむこうに見え、間は余り険しいやまがなかった。

地図でまっすぐ家と市房をみれば山の形をした地形が連なるが、昔交通機関がなかった頃は まっすぐ 直角に山をあがりおりすると 早く目的地についた。

子供の頃 山にお茶や栗など植えてあり、山に登るとき 木の根 木の枝 を持ち、登り下りしていた。

高岡の姻戚関係の1つに 丸目がある。相良清兵衛の犬童家とは姻戚関係にない。

[26]さくらさんからのコメント(2011年03月07日 00時45分04秒 ) パスワード

佐田と佐多は通ずるのだけど
ネットより
佐多氏は総領家を含めて藤原姓島津氏族佐多氏庶流○○となっています。本家が島津氏を名乗るようになってから、二男家佐多となり、その中から由緒の無い家が達山氏となり、通字が本家のみ久を名乗り、二男以下は直を通字としています。(忠・久は島津忠久からきています。直は二代忠直からとっているものと思われます)
島津光久公以降に分家した家が源姓となっているようです。(一部源姓を認められた家もありますが)
分家の家紋は主に銀杏紋が用いられ、三だったり、二や五、七のものもあるようです。

毛利重臣の佐多氏も大田亮氏姓系辞典には書いてありました。
[27]さくらさんからのコメント(2011年04月09日 20時23分43秒 ) パスワード

川辺川あたりは熊本県で生産量第一位のお茶の産地です。
おいしい!!

毎年同窓生から八十八夜のお茶を送ってもらいます。
冷蔵庫で保管すると 10月ころまでおいしくいただけるので、固まりで送ってもらいます。

集落のあたりは 熊本県で最高値をつけたと言っていました。
[28]グウ爺さんからのコメント(2012年09月16日 19時38分12秒 ) パスワード

初めて息子からパソコンを貰って、球磨郡史を片手に書き始めた「新八朗と河童の物語」の中の相良町のトラ踊りの話が話題になって驚いています。
さくらさんは H高校の1年後輩と推察しています。虹の谷=牛飼いの少年 の撮影が始まった頃です。
ここでの会話を知って、パソコンの面白さと怖さを感じています。

五木の豆腐を球磨焼酎と一緒に京都在中の次男に送ったら好評だったそうです。

突然失礼いたしました。




[29]さくらさんからのコメント(2012年09月22日 04時54分35秒 ) パスワード

おはようございます。

うれしいです。コメントをいただけて。
黙ってネットに出してごめんなさいね。

五木豆腐は山うに豆腐やもろみ豆腐が好きです。春には同級生が、夏には娘が送ってくれ、新茶を元上級生が送ってくれ、上村の松の泉さんの焼酎を取り寄せて楽しんでいます。焼酎もお茶も五木豆腐も皆 どこのおうちのものもおいしいですね。

上村の方から取り寄せるのは 子供の頃 集落の店がそちらから取り寄せていたのと、父が養子に入った家の祖父が農高に勤めており 墓もそちらにあるので 親近感があるからです。

川下で何年か前から「さがらっぱ祭り」をしています。小山先生のものがたりにも確か河童のはなしがあったように思っていますが、

昔 細川候と相良の殿様と戦い、(丸目新八朗に味方した)河童の助けで勝利。

と河童がでます。そういう話がもとで河童が身近にあるのでしょうか?

ぐう爺様のお話にも細川候との戦いの話があったと思っています。
楽しいお話がつづくこと 応援しています。
[30]グウ爺さんからのコメント(2012年09月25日 18時06分55秒 ) パスワード

 さくらさん こんばんは〜
私の女房どのは須恵村です。叔母が湯前・上村に健在です。

球磨郡史は義父等が戦前に作った郡史で大切にしています。年に一度中学生時のクラスメートと故郷旅行をしています。改めて故郷の素晴らしさを知って喜んでいます。

22日の新聞で知ったのですが、実家が国指定の文化財になったとか?
4代目も売る事も改装も出来ず困惑していることでしょう。

一昨年は久し振りに人吉城を散策しましたが、清兵衛の地下室は休館日で見学できませんでした。

次男は建築屋で飲み相手は大工さんで 38度の焼酎を見つけ送りました。
[31]さくらさんからのコメント(2012年09月25日 20時09分30秒 ) パスワード

こんばんわです。ぺこり。
>球磨郡史は義父等が戦前に作った郡史。
>実家が国指定の文化財に。

すごいですねえ。ぱちぱち拍手。
>4代目も売る事も改装も出来ず困惑していることでしょう。
大阪でも今日のニュースで「渡辺邸」が相続税が払えなく、文化財指定をはずしてくれといっているそうです。
こういうことも個人だけではむつかしくなることで、住むのは住んでも利益の為に売り買いをするわけではないので、相続税はぐんとかるくしていただけることができないか?とおもいますね。

山鹿の方のご自宅の隣で、「菊池城跡」が見つかったとか?菊池は相良と戦いのち相良の家老になっていることも球磨郡誌にありました。

歴史がふつふつとわいてでてくるような気がします。


[32]グウ爺さんからのコメント(2012年09月25日 22時30分31秒 ) パスワード

  
  こんばんは ぐうたら爺さんことグウ爺です。
近くに発見された菊池城は 鞠智城のことですね。7世紀後半に大和朝廷が
作った山城です。最近朝鮮の青銅の仏像が発見されたとか・・・。
市は国立公園にしようと力を入れています。

我が家は弥生時代の須恵器製造の跡地です。関西方面まで輸出していたとか?

鞠智城よりもっと奥地に行った所に相良寺というお寺が有り、相良の殿様のお妾さんの菩提樹と思っていましたが年代が合いません。でも孫の安全出産の祈願をいたしました。 
[33]さくらさんからのコメント(2012年09月26日 06時06分53秒 ) パスワード

おはようございます。
主人の時計のような一日につきあわされて、パソコンはその合間を縫ってのことなので、人様からは逆の時間帯ですが、また書いています。主人は犬の散歩に行くべく がたごとさせています。

相良氏の菩提寺は人吉「願成寺」。「永国寺」もそう。

我が家は戸籍からではわからないけど、又 現在は戦争を潜り抜け、生活力がなかったせいか今故郷はもぬけの殻になりました。

父が養子に入った家は(祖父)、子供の頃両親をなくしておじに育てられ、自身は家を出て家紋も二重丸にした とお寺様から聞いています。

もとの家は 明治の頃 村役場が置かれた「古見院」に頼んでいるそうで、位牌がいっぱいあると言っていました。

古見院は永国寺の流れで、川筋には相良氏入国の後、つくられた寺などもあります。

そこの家(仮にAとしましょ)の苗字から
菊池に仕え後相良氏に仕え、相良の外城を守る家の名が出ます。

ということで、菊地氏も興味深いところです。
上相良氏は江戸時代球磨川の大石を取り除いて、八代への道を得てからあちら方面から参勤交代に出るようになりましたが、それまでは鹿児島の方へ向かい船でのぼった。時には「米良越え」も使われ、それは大変な難所だったそうな。

もうひとつ 白石門というのがあり、百姓が住んでいたそうですが、多分その先、にあると思うのですが、住所を見ると少しずれるようです。熊本に住んでいる人でも知っている人はわずかといいます。以下に書く神宮です。

高天原神話の発祥地とされる熊本県の「幣立神宮へいたてじんぐう」では、
地元山都町の「白石神楽」が奉納されている。踊り自体は後世他所の踊りを学んで踊るようになったそうだ。

宮崎県との県境にほど近い熊本県阿蘇郡蘇陽町(現・山都町)にある幣立神宮(幣立神社)
幣立神宮は、神漏岐命・神漏美命・大宇宙大和神・大御中主大神・天照大御神といった神々が祀られている。古事記や日本書紀にも出てくる日本の歴史を語る上で重要な神々だ。又、幣立神宮のまたの名を「日の宮」というが、これは天照大御神やその子孫である天皇の住む御殿という意味。神武天皇の孫・健磐竜命が、宮崎から阿蘇に向かう途中に幣立神宮に幣帛を立て、天神地祇を祀ったと古文書にもある。

社殿の写真を見ると、平入りのように見える。
本殿の左手に、奥に抜ける道があり階段を下りてそこから右に巻きさらに左に下りると東御手洗(ひがしみたらい)と呼ばれる池がある。清浄な気に満ち満ちている空間だ。「東御手洗社」の社が建ち、清水がこんこんと湧いている。

古の昔より八大龍王が鎮まる所とされていて北辰妙見(ほくしんみょうけん)の大神が祀られている聖地だという。

白石お天道さん神楽祭り」開催. 明治時代中期ころ、山都町蘇陽地区の白石集落で火災などの災難が続発し、宮崎県五ヶ瀬町鞍岡に伝わる神楽を習い、奉納したのが「お天道さん神楽」の起源と言われています。

又八代でアマテラスは死んだと前は言っていましたが、今言う人はいないそうです。

私の故郷の川筋に相良氏が遠江から連れてきた「願成寺」の住職の二世の首塚がある地蔵堂があります。
お妾さんの相良寺の存在ははじめて知りました。研究の余地がありますね。




[34]さくらさんからのコメント(2012年09月26日 23時49分23秒 ) パスワード

>弥生時代の須恵器製造の跡地
確か「歴史読本」だったと思うけど、ずっと前に読んだとき、「須恵器」が大事 と見たと記憶しています。

神前につかう器だそうです と思っています。

福岡県糠屋郡の須恵町の由来は須恵器の生産にあるそうです。
旅石の篠堀遺跡からは弥生時代の北部九州における特徴的な埋葬形態である甕棺墓(かめかんぼ)が見つかっています。

球磨郡のあさぎり町になった須恵村にはエンブリー博士が来られましたが、ここの須恵村も須恵器をつくっていたのでしょうか?

興味があります。

[35]さくらさんからのコメント(2012年09月27日 00時18分27秒 ) パスワード

32鞠智城よりもっと奥地に行った所に相良寺というお寺
http://www.itshin-kiai.com/

菊鹿町の寺のことでしょうか?
[36]グウ爺さんからのコメント(2012年09月27日 14時35分32秒 ) パスワード

さくらさん こんにちは ぐうたら爺さんこと グウ爺です。

当地では相良(あいら)観音様と呼ばれ 今の季節は門前で黒光する大粒の
栗が出ています。春はわらび シャクナゲ 夏は矢谷渓谷と子供連れで遊ぶのは素敵なところです。番匠の棚田はの本農村の百選に選ばれています。
当地のお寺で4月8日 甘茶を振舞ってくれる数少ないお寺さんです。
相良のお寺の名前に祖卿を思い四人の孫の安産祈願をいたしました。

その下にアイラ飛び葛という天然記念物があって葡萄の様な花が咲きます。
山は八方ヶ岳と言って1040mの山の中腹に相良時はあります。
でも祖卿とは関係なさそうです。兄の嘘話だったのでしょう。
私も新八郎で嘘話をたくさん書いたので御愛顧ですかね。

でもさくらさんの 歴史大好きにはびっくりです。
私のネット友人にワシモさんて2年前まで大学の先生だった人がおられます。
アドレスは http://washimo-web.jp/  です。覗いてみてください。
   お邪魔いたしました。雑文ごめんなさい
[37]さくらさんからのコメント(2012年09月27日 20時07分53秒 ) パスワード

ワシモさんのこと有難うございます。
ぐうじい様のご実家は「芳野旅館」で人吉。
わしも様は鹿児島多分姶良地方ですね。

相良寺と表記されるとき人吉が思い浮かび、あいらと発音するとき姶良が浮かびます。

私少し混乱いたしましたが、祖郷とは鹿児島のことだったでしょうか?

鮎の里さんとこも先代は鹿児島出身でしたよね。?鹿児島の人が結構おられるのかしら?と思います。

相良氏も鹿児島とはご縁があるようですね。
遠藤と言う言葉でつながる とか、丸目新八郎の上司・相良清兵衛にまつわる話とか。

随分前に島津と相良のことをしらべたことがありますが、パソコンを扱っていない頃で資料を散逸しました。

私の父の出所の嫁方に「丸目」があります。又一武あたりにも岡原あたりにも上村あたりにもつながっていて、川向こうの神社がトラ踊りの写真がある神社です。山の上の集落に恒松という家があります。そこには市房神宮のお鏡を預かる家があり、確か50年に一度のご開帳という重々しいものです。集落自体は生活難からまばらになってますけど。市房には相良長福がいたともいい、子孫・山北を名乗っていますがその名の家もあります。

丸目新八郎の上司の相良清兵衛
http://bushispirit.blog.shinobi.jp/Form/83/ 犬童頼兄のお嫁さんより
相良清兵衛=相良清兵衛頼兄(犬童頼兄)
             ||
        那須のつゆけさちゃん
     二人目は蓑田甚兵衛の妻子供の一人は田代半兵衛頼昌と言い、
         母の再嫁後は犬童家の養子になりました。(犬童半兵衛)
相良清兵衛は津軽へ送られ、85才まで生きながらえた。

ウィキより
相良晴広
氏族, 上村氏→相良氏.
父母, 父:上村頼興、母:上村長国の娘養父:相良義滋. 兄弟, 晴広、上村頼孝、上村頼堅、稲留長蔵.
妻, 正室:名和武顕の娘、 継室?:内城(上田織部允の娘)、 側室:於東★(恒松氏の娘). 子, 義陽、頼貞、亀徳★(島津義弘室、上村長陸室)


         



[38]さくらさんからのコメント(2012年09月27日 20時26分27秒 ) パスワード

http://www.asagiri-town.net/q/aview/48/625.html あさぎり町の千手の局伝説
島津貴久
 ||−−−島津家久(きつねに助けられる話)
千手の局

千手の局の母
http://www.asagiri-town.net/q/aview/48/628.html
上相良氏(多良木)の分家の肥知岡(ひぢおか)氏の女子
||−−−千手の局(「橘姫」「少納言」)
島津家家老本田丹波守親泰(たんばのかみちかやす)

家久の息子の豊久は、関が原の戦いでの有名な「島津潰走」のとき、領主島津義弘公の身代わりとなって壮絶な戦死を遂げました

家久公の娘は、相良家の重臣相良清兵衛頼兄の息子の相良頼安(よりやす)と再婚し相良頼章(よりあき)を産んだといいます。その頼章は薩摩の加治木に移り住み、島津義弘により元服し、相良長毎の次女・於(お)萬(まん)と結婚しています。
[39]さくらさんからのコメント(2012年09月27日 20時44分59秒 ) パスワード

私の故郷の集落は古い時代から人が住んでいたらしいようで、あとからあとから遺構が重なっているようです。

上の話に出てくる家の名もあり、枝分かれした子孫が住み着いたものか、江戸から明治に変わり、そのあと急激な社会の変化に落ち込んだのか、ただ

字 山のすみわけ 集落ごとの家の名 などからは、歴史がきれいに出てきます。
[40]さくらさんからのコメント(2012年09月27日 21時16分26秒 ) パスワード

33の上相良氏は参勤交代に・・・は下相良氏です。すみません。

[42]グウ爺さんからのコメント(2012年09月27日 22時43分05秒 ) パスワード

さくらさん こんばんは〜
   ぐうたら爺さんこと グウ爺です

私はあの家の7人兄弟の6番目ですが人吉にはもう兄弟は誰もいません。
従兄弟も代替わりして、もうどうしているのかも判りません。だから人吉のことを祖卿と呼んでいるのです。人吉は鹿児島の方と筑後の方が成功しているようですね。
母方(山本)は確かに地元の人で祖母が丸目とか言っていたので丸目新八郎と名をつけたのです。
子供の頃父と釣り船に乗って矢黒の淵や殿様の屋敷前で魚釣りをしたものです。その頃親父が話してくれたつくり話を球磨郡史による長毎公の時代に合わせたのです。

小山勝清先生の「それからの武蔵」がお手本です。高校時代の先生のお孫さんの記憶があります。

私の宅地周辺からは重箱みたいな土器やジョウッキーみたいな取っ手のついた水飲み器が出土しています。数十本ある桜も山桜ばかりです。

周辺を紹介したサイトを下記に貼っときます。又貴重なサイトを汚してしまいました。ごめんなさい。

http://www.yamaga-kankoh.hinokuni-net.jp/maps/spot/160
[43]さくらさんからのコメント(2012年09月28日 06時23分34秒 ) パスワード

おはようございます。
小山勝清先生のおまごさんでつながりましたね。(^O^)。
ふたりおじょうさんがおられたのでどちらか?とは思いますが。
私はH高校ではありません。上阪しました。

あちらは今年の春同級会に出たとき、「かすみ桜」がみつかったと話題になっていました。普通の桜より遅れて咲くそうです。

>重箱みたいな土器やジョウッキーみたいな取っ手のついた水飲み器

もうほとんど現代ですね。
韓流のドラマでは秦 越 などの頃には 三本足の酒器をつかっていたようですが・・・時代考証がなされているので、そうだろうと思うのですが・・・

山鹿の鹿央町に行くとき、連絡はどのようになっているのか?と思い、しらべたところ、鹿児島本線木葉駅でおりる。と出ました。

まわりを見ると「田原坂」などがあります。菊池の血を引く「西郷さん」の軍のはなしの田原坂かしらん?と思っています。

[44]グウ爺さんからのコメント(2012年09月28日 09時17分33秒 ) パスワード


 さくらさん おはようございます。
     グウタラ爺さん事 グウ爺です
小山先生のお孫さんのことが気になって 卒業名簿調べたら見当たりません。
先生は私の子供らが卒業した鹿本高校出身ですね。自分の年齢を忘れていましたが父が先生位の年代ですから娘さんだったかも。
高校時代左幸子さんが長いこと滞在して「牛飼いの少年」の撮影があっていました。
俳優さんのほとんどの方が故人になっておられますがその頃の記憶す。

山鹿市は熊本駅から山鹿温泉行に乗るのが一番便利です。高速だと植木インターです。田原坂は 雨はふるふる人馬は濡れる の田原坂です官軍 薩摩軍
の墓地が整然と整備されています。 山鹿も激戦地で数箇所の古戦所があります。
またまた さくらさんのサイトを汚してしまいました。ごめんなさい。
それに私の新婚時代は門司港です。輸入の仕事をしていました。下関には毎日のように出かけていました。トンネルが開通した頃です。
[45]さくらさんからのコメント(2012年09月28日 16時30分59秒 ) パスワード

こんにちわ
仕事が終わってご飯を食べて、買い物に出かけるまでの時間、自分の部屋に入ったらパソコンが気になってあけてみました。

先生は医者をしておられたそうです。
>先生のお孫さんか娘さん
上のお孫さんは私の同級生。お母様もご健在で教育委員会におられるとか?この部分ははっきりしません。他の同級生が言っていました。元気でおられることは確かです。80代くらいですよ。

北岳神社がありまして、ひひ踊りなるものを踊るのですが、お母様が教えられたそうです。

北岳神社(坂本大明神)は800年代に創建。近江の日枝神社の末社で、日枝神社は大和三輪神社を漢王室子孫・三津首(最澄)が勧請して建てられたそうです。

なので地域には源平以前から人がいたはずです。
最澄は相良寺にも関与していますよね。

>高速だと植木インターです。
春 娘の運転で高速から降りたとき、植木インターをおりたと連絡して と言っていました。
>山鹿市は熊本駅から山鹿温泉行に乗るのが一番便利です。
自分で行くにはバスですね。

山鹿灯篭の由来をみますと、景行天皇に関与しているようですね。天皇の球磨族曽於族征伐には実に60回を数える遠征だったとか。ルートが出来ていたようですね。つまり大和との間の。

山口県の佐波郡牟礼の地からヤマトタケルは船出されたそうです。(現防府市)
そして美美津県に上陸された。湯前あたりまで昔は美美津県と言っていたそうです。この部分地名辞典にありました。

牟礼の地は「たたらの浜」ともいい、大内氏遠祖が上陸したところと地名辞典にありました。

鞠智城
菊鹿町の城の八角形の鼓楼。大陸や韓国にしかこの形の建物は存在せず、当時の日本と大陸との繋がりを証す建物として話題を呼んでいる。ということがネットでかいてありました。以前テラビでみたのですが、トン族だったと思うけど八角形の建物をつくっていました。
http://www.dandl.co.jp/gold/kikuchijo/

>我が家は弥生時代の須恵器製造の跡地です。関西方面まで輸出していたとか?
現在お住まいの山鹿のお家ですよね。私又混乱しています。

弥生時代はおよそ紀元前3世紀中頃(この年代には異論もある)から、紀元後3世紀中頃までにあたる時代の名称。ウィキより

大陸からつくり方が伝わったとしても、知っている人たちが来たからとしても、鞠智城より前で、くくちひこ(卑弥呼の頃)より前になるはずで、古くから人がすんでいたのですね。 





[46]さくらさんからのコメント(2012年09月28日 19時28分13秒 ) パスワード

トン族はミャオ族に関与する。
ミャオ族の祭祀は女媧・蚩 尤をまつる。

中国の人は一世を有苗・三苗とし、神農氏(赤帝・炎帝)はその子孫である。
炎帝神農氏から夏王朝、そして越、呉へと続く中国王朝

西日本に多くみられる「丸餅」はミャオ族がもたらしたもので、日本の文化の起源はミャオ族にある と言うようなことを書いた 本を見たことがあります。



[47]さくらさんからのコメント(2012年09月28日 22時33分37秒 ) パスワード

>小山先生のお孫さんのことが気になって
先生の生まれた年から考えてやはりお孫さんです。本人がじいちゃんがと言っていたので・・・

H高校に進まれましたよ。私たちは縮めてJ高校と言っていました。

ところで ぐう爺様のブログを改めて最初から拝見させていただきました。須恵村を祖郷と書いてあったのでもともとは須恵村だろうと思っています。

近くの多良木町に古 久米城主市房がいて霧島神宮を勧請して市房神宮を建てたのだそうです。神宮は今水上村にありますね。

37へつづく
[48]さくらさんからのコメント(2012年09月28日 23時31分56秒 ) パスワード

http://www.geocities.jp/kawabemasatake/kikuti.html 菊池家
丸目蔵人 相良清兵衛がついています。
丸目頼書相良貞頼子兵庫
氏頼頼書子
頼美兵庫人吉奉行
与三右衛門
  ★長恵15401629与三右衛門子蔵人徹斎「大捨流」
  光興
犬童長綱長原頼員子相良長頼孫★山北頼平子?
重永長綱子
重氏孫三郎建武頃
重国文安頃
兼長
長広人吉奉行
  匡政
  重安====1530
 ★頼安15221606重安子熊徳丸軍七伝心美作天道休矣
  ★頼兄15681655頼安子相良兵部清兵衛長兄
  ★頼安15901640頼兄子相良内蔵源五左衛門
  頼章16101664頼安子相良内蔵頼久
忠清頼章嗣東郷重頼子重通孫重高曾孫島津義虎玄孫
以下略

蓑田
田代義昌蓑田甚兵衛子犬童頼兄養子半兵衛

※与三右衛門は蔵人の父ですね。
清兵衛は家老なので、蔵人の父の上司でよいのでは?と思います。菊池氏はますます興味があるところです。
 
[49]グウ爺さんからのコメント(2012年09月29日 14時23分31秒 ) パスワード

 さくらさん こんにちは
     ぐうたら爺さんこと グウ爺です。
昨日久しぶりにカメラを持ってお気に入りの光景を10枚ばかり撮って来ました。
ところがパソコンにと入れ方が判らないのです。カメラのカスタマセンター
に電話したら時間外とか!女房殿にも言えず夜中までかかってやっと取り込
めました。

そんな私がさくらさんの歴史書を理解できるはずもありません。あれだけ
懸命に読んだ球磨郡誌も記憶が乏しくなってしまいました。

唯、女房殿の母方の実家は上球磨で蓑田姓です。100歳まで生きた祖父は村の
大半はうちのものだった。と碁を打ちながら話したことがあります。
尚、湯前の叔母さんの長男さんは最近よくテレビに出てくる中原丈雄です。
熟年の刑事役が多いようですが、最初の頃は犯人役が多くて・・・。

さくらさん ごめんなさいね。
[50]さくらさんからのコメント(2012年09月29日 15時52分49秒 ) パスワード

こんにちは
ああ やっと 週末がきた!!

山鹿の秋は駆け足で様変わりしていくことでしょうね。
渋皮栗のはなし おもしろかったです。

私の家も栗山があり、学校休みになると山に行っていました。
年中無休の生活でしたよ。(笑い)

ぐう爺様
いきなりべらべらしゃべる私が悪いのです。というか、断りもなくページにかかれた事を他所で話してごめんなさい。

だれでも自分の家自分のつながりのところはよくわかるけど、よそ様のことなど「さあ?」ですものね。気にしないでください。

タイトルは「平家落人の里・五木村の豆腐の味噌漬け」でしたね。
近くの郵便局で五木豆腐の話をしていたら、郵便局で取り扱っていいですよ とおっしゃってくださいました。それからあと 進展していませんでしたが、カタログが届いたので、郵便局に持っていってみようか?とおもっているところです。

食べて見られましたか?私的には「もろみ豆腐」が好きです。お茶漬けにすると美味しくいただけます。







 
[51]さくらさんからのコメント(2012年09月29日 16時38分38秒 ) パスワード

蓑田さん
私の同級生にもいました。
私の故郷の小学校。今統合されて川下の学校と一緒になっているようです。このあたり不明ですが、その子らが元の学校にいた頃、地域の歴史をしらべる活動をしていたことがあります。

そこで蓑田さんというおじさんがいて、いろいろ史跡を案内してくれたそうです。

蓑田さんというおうちは、力があったようですね。
相良氏族の蓑田がいる。上球磨という地から考えて相良氏本家の筋かしら?と思います。
●足柄は源頼光四天王の一人「坂田金時」の話もあり、メンバーの一人「渡辺綱」の子孫に「蓑田」。明治天皇母方の血に入る「松浦氏」はこの子孫で阿部氏の子供と蓑田と結婚して松浦氏になる。綱先祖融も 東北伊佐須美神社にいた。この神社はいざなぎ・いざなみをまつる。こちらの蓑田の表記は竹かんむり。みたと呼ぶそうです。

嵯峨源氏 - Wikipedia

源綱の父は源宛(箕田宛、箕田源次)で源融のひ孫であり、武蔵権介として関東に下って箕田源次と名のり、平良文(村岡五郎)との一騎打ちで知られる。 源綱は、清和源氏の源満仲の娘婿である仁明源氏の源敦の養子となり、母方の里の摂津国・・・以下略 子孫南北朝期など勇猛に戦い各地を転戦する。

鹿児島の方にも蓑田の系が少しばかりあります。相良氏と島津のつながりを考えると関係があるかも?又八代の方で市史をまとめられた蓑田さんがおられます。

話がかわりますが
ばりけん 可愛いですね。鳥でも人間の言うことがわかる。

私の働いているところにからすが来るのですが、一匹きょろんとした可愛い目をしている子がいます。
えさをほしがり、ゴミのところまで行くのに、目の前を通るのですが、「ねえ、いいでしょう?」みたいにして、可愛い目でこちらを見ながら、横切っていきます。その子とダブらせながらページを拝見しました。



[52]グウ爺さんからのコメント(2012年09月29日 20時56分27秒 ) パスワード

  こんばんは〜 さくらさん
        グウタラ爺さんこと グウ爺です
今NHKの「平家のかくれ里の旅」を見ています。今、椎葉村が紹介されています。
ほとんどの方が那須さんです。さくらさんと知り合って見る平家の旅は
実に面白いです。大河ドラマは最初に見たのが汚いと感じて見ないことにしました。
女房殿はビデオに撮ってみているようです。やhり歴史って面白いし重たいですね。
少し勉強してお話相手になれれば幸いです。今夜京都の次男から電話があって
焼酎を送ってくれと頼まれました。35度以上と言ってました。

バリケンのブログ目に留まりましたか!嬉しいです。歳のせいかこんな事で
感激しています。有難うございました。
[53]ささいさんからのコメント(2012年09月29日 21時38分39秒 ) パスワード

こんばんは
私も見ていましたよ。地図で位置関係がわかってよかったです。

>汚いと感じて
前に坂本龍馬で岩崎弥太郎も汚く演じていて嫌がる声もありましたが、私は子供の頃の道路の関係を思うと、昔はそれくらいではなかったか?と思っていました。家も柱や土台のところも荒削りで、年数たつと草がぼうぼうはえて、玄関周りはさすがにきれいにしても、女の人が外に出ているとあぶない世間事情だったのではなかろうか?男の荒削りの感覚では畑はつくっても家の周りをすっきりとさせている ということは余りなかったのではないか?と思うのですが・・・風が吹くと髪がばさばさになって逆立つほどほこりが吹き付けるのは、私の子供の頃の舗装されていない道路ではあったと思うのです。

しかも洗濯機も毎日風呂に入る風習もなかったろうの頃なのでくさく、ドラマでは着物もさすがに寝るときはちがう衣装でしたが、着たきり状態の寝るときも 人がいないときも同じ着物を着た上に、人前に出るときは上から重ねてきたのではなかろうか?と推測しています。

源氏物語でも親が力を失った姫君の生活は、荒れ果てた住まい、着るものも困っていたように思えますし、その頃はふすまもなく屏風を立てめぐらしていたみたいなので台風のときなどはススキが原のあれ屋敷みたいになったと書いていた本を見たことがあります。
[54]さくらさんからのコメント(2012年09月29日 22時13分59秒 ) パスワード

須恵村は球玖郷
http://www.hikoshima.com/bbs/heike/101262.html

もし山鹿のご自宅のそばに須恵器が出たなら球玖から、くくちひこ・菊池・須恵村とつながるかも?

中原の太鼓踊り
私の田舎の集落にも太鼓踊りがあり、他所よりたくさんの踊りを踊っていた。今は人が少なくなり余り踊らないそうです。

中原の方で聞きましたら、観光用と自分たちの踊りがあるそうです。
いっぱんに源平の戦いを表しているというのだけど、深田の方では雨乞いの踊りともいう。

いわいさんへのサイトでは足袋・車など書き間違いがあります。判読願います。

なお父が養子に入った家の祖父が住んでいたところの古の字は「木原」といいます。
[55]さくらさんからのコメント(2012年09月30日 08時47分54秒 ) パスワード

おはようございます。
台風がくるというので、もう今日は何もせず、パソコン三昧です。(^O^)

いわいさんへの方にコメントが入っていたので、こちらに書きます。

赤谷 何もかも赤でしたっけ?ことほどさようにくっきりはっきり赤白わかれていたのですね。白鳥山に逃れた人たちだったのかしら?春 麓にこぶしの花が咲き誇っているのを見て「ああ源氏がそこまで来たのか?」と絶望してわが命を絶ったというところもあるそうですが・・・

http://www.sysken.or.jp/Ushijima/Den-sekiryoo.html#anchor1319955 を見ると鶴富姫の他に、那須与市の子供と結婚した「鬼山御前」の話があります。

大きな政治向きの話と別に、下のほうでは結構源氏平氏融和していたかも知れませんね。

私の家は建て直す前は尾方の持ち物。その前は黒肥地のものだったと聞いています。黒肥地姓もいたわけですが、相良氏は入国する前黒肥地に預けられたと本に書いてありました。その頃にはいたわけですね。黒肥地にも神武天皇を祀る神社があるようです。

家は武士だったらしい造りでしたよ。
尾方は私の長兄の嫁で町長の娘でしたが、青井阿蘇神社は大同年間尾方権之助大神惟元が熊本阿蘇神社を勧請して建てたもの。(神社の本にありました)。尾方姓は他にも市房神宮宮司・尾方氏。五木阿蘇神社・尾方氏。など天孫系の神社にゆかりしています。

なお宇佐八幡の阿蘇神社縁起には宇佐八幡・阿蘇神社・高知尾明神をきょうだい神として、高知尾明神を神武の二郎の子とする。

尾方家も古い由緒があるおうちですね。


[56]さくらさんからのコメント(2012年09月30日 12時04分14秒 ) パスワード

那須の与一ですが、源平の合戦では相良氏と同じく義経の軍にいたようです。
兄弟が皆平氏につく中一人、源氏につき武田系図にのっています。

私の家は母方が山口県と離れているのですが、後武田の血を引く人が養子に入っています。戦に負け武田を名乗れず広島の浅野の殿様から「真木」という姓を頂いたそうです。

同級生に那須さんがいました。
子孫増えに増え続けているようですね。

37の那須のつゆけさちゃん。

[57]グウ爺さんからのコメント(2012年09月30日 17時11分59秒 ) パスワード


さくらさん こんばんは〜
   グウタラ爺さんこと グウ爺です
ブログを無償で使っていた時、削除された分を慌てて復元したものの中に
あのジョッキーに似た土器を見つけだしました。工事は下水工事で出てきた
我が家の前の道路です。以来建築禁止になりました。
孫たちと管理センターに夏休みの宿題で行った時の1枚です。

ストローで吸うのも面白いと思います。

心配していた台風は当地はなんの影響もなく関西・関東に行ってしまったようです。

http://www.microsofttranslator.com/bv.aspx?from=&to=ja&a=http%3A%2F%2Fguujii.blogzine.jp%2Fhitorigoto%2Ffiles%2Fhitorigoto_0509.html
[58]さくらさんからのコメント(2012年09月30日 18時18分24秒 ) パスワード

>ジョッキーに似た土器
おしゃれですねえ。
今使ってもまったく違和感を感じませんね。こんなのを見ると、パソコンや電気を使わないだけで、センスは現代と変わらないのではないか?昔の人もおしゃれだったのでは?と思います。

しかし、遺跡が発掘されると建築が禁止になったりするのは一般市民にはこまりますね。こういう場合、充分な補償があるのでしょうか?中古の家に住んでたらその評価しかされないのでは困りますよね。

国宝・人吉青井阿蘇神社あたり
http://susono.jugem.jp/?cid=101
相良氏は市房神宮を戦の守護神として崇敬し、青井阿蘇神社を氏神とした。
[59]さくらさんからのコメント(2012年09月30日 21時30分01秒 ) パスワード

北海道の方でかぼちゃを煮て、つぶし、片栗粉を入れ丸めてかぼちゃ団子にしたり、薄くしてクッキーにしたりしていました。味付けはしないでそのまま。かぼちゃでも栗でも芋でも味付けは要りませんね。

私の田舎の昔は砂糖を知らず塩で調理していたというのだけど、今こういう情報を得ると、砂糖は余り使わなくても美味しくいただけるのだと思います。

どんぐりの韓国料理を見ていたら、やはりもちにするか 蒸すかして 上に薬膳のタレをかけていただいていました。どんぐりはえぐいので何回もあく抜きをするのでしょうが 道端にいやというほどころがっているのですから、使えばいいのにと思います。

ぐう爺様・ばあ様の生活をブログで拝見すると、自然に親しむ生活をされているように思えます。奥様のこまめに動く手がいろいろ楽しい料理を作り出しているようですね。
[60]さくらさんからのコメント(2012年09月30日 22時04分24秒 ) パスワード

「平清盛」をみたあと、つれづれに菊池家の祖先のページを見ていました。
http://www.kaff.jp/page011.html
[61]グウ爺さんからのコメント(2012年10月01日 00時06分48秒 ) パスワード

 さくらさん こんばんは〜
私がグウタラであることは理解してもらったと思います。バア様は
高校時代の同級生です。本当に知らなかったのですが後で聞いて吃驚しました。
私が料理屋の息子ですから、私が仕込んだのでしょう。一応満足しています。
胆石と診断されて以来五像六腑を次々とダメ出しをされ、最近特に食事を制限されています。

今日は菊池家の話、球磨の話のサイトありがとうございます。この地に来て
40年ですがまだよそ者 町内会も老人クラブも誘われていません。
やっぱし地域の事をもっと勉強して仲間に入りたいと思っています。
余談ですが人吉の実家には見学者が来られているそうです。

長男家族は愛知にいます。台風直撃かな?と心配しています。そろそろ消灯の時間。おやすみなさい。
[62]さくらさんからのコメント(2012年10月01日 06時29分41秒 ) パスワード

>菊池家惣領末裔の方のページだということですが、元の家紋は太陽をあらわす「日足紋」となっておりましたね。

旭日章(旭日影)のイメージに何だか似ている と 思いました。

菊池家は後「豊田」を名のる。
大内氏も一子相伝で「豊田」を名のる。二つは山口で交わる。

どこでどうなっているのか?ですが、それはまあおいといて、
八代に「妙見祭り」があり、「亀蛇まつり(がめ)」ともいうそうですが、ユニークな祭りのようです。いかれたことがありますか?
八代神社
http://www.city.yatsushiro.kumamoto.jp/ar/article_view.phtml?id=18274


[63]さくらさんからのコメント(2012年10月01日 15時15分15秒 ) パスワード

大内氏のご先祖様は百済の武寧王の系の「淋聖太子」ということで、この人を亀蛇ともいう。
http://vajira.jp/vajira/vajira-1/148

私はネットを見るとき目がちかちかするので、文の段落まで位を範囲選択→右クリック→選択した部分のソースを表示クリック→画面にその部分が大きく表示されるで見ています。

>人吉のご実家に見学者が来られている
何人かで部屋をシェアして住まうとか活用できないのでしょうか?部外者が口を出すことではないですけど、ただシャットアウトして建物だけあるよりかは・・・と思います。
[64]さくらさんからのコメント(2012年10月01日 18時00分24秒 ) パスワード

>四寅剣とは寅年・寅月・寅日・寅時という寅が四度重なる時に熔した鉄を注いで作ったという宝剣で、刃の片面には国家の危機を除く篆書体の辟邪の呪文、片面には二十八星宿図が象嵌され、李氏朝鮮の王権の象徴とされていたのです。この四寅剣の一振が八代に伝えられ、妙見の神体とされていました。細川忠興は四寅剣に細川家の家紋と同じ九曜(北斗七星と二つの輔星)の象嵌を見て「不思議の因縁なり」と、八代の妙見菩薩を細川家の守護神として深く信仰したのでした。

相良氏 細川氏 大内氏 菊池氏など近くにいる大名・古族などが出て、九州中南部の歴史が垣間見えるようです。

台風の影響で十五夜は見ることが出来ませんでした。一ヵ月後の十五夜を楽しみにしています。
[65]さくらさんからのコメント(2012年10月01日 20時30分06秒 ) パスワード

武家家伝相良氏 相良氏と山鹿
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/sagara_k.html
ここに至って相良氏は失地を回復するとともに、新たな発展をみせるようになる。長頼の父頼景は多良木四ヶ村を領し、そのあとは長頼の子頼氏が継いで上相良氏とよばれて惣領となり、人吉は頼俊が継承して下相良氏とよばれた。さらに★宗頼は山鹿郡泉荘内田村に住して内田相良を称し、頼平は玉名郡山北郷を領して山北相良氏を称した。かくして、相良氏一族は肥後国に繁衍していったのである。

内田相良
http://www.geocities.jp/kawabemasatake/kikuti.html
★内田高通頼国子頼貞孫重頼曾孫頼重玄孫★山井宗頼耳孫頼忠耳孫?相良頼景昆孫山鹿に内田川があったと思いましたが・・・

大田亮氏姓系辞典には
相良氏と橘薩摩氏は仲がよく、どこへでも一緒に行ったといい、球磨へも下向した。橘薩摩氏は多良木あたりに住み、相良氏を支配していた地域があり、
「佐田文書」では橘薩摩氏が肥後の守護職であったことが書いてある。


橘薩摩氏は八男を残して、本系は長崎へ。東国にいたことを表すため「渋江文書(小鹿島文書)」を持つ。

相良資本系も同じく八男を残し、八代へ。
[66]さくらさんからのコメント(2012年10月01日 21時12分07秒 ) パスワード

>山井は藤原の大姓で、南家でよく使われた。
山鹿へも相良氏は進出していたのですね。


[67]さくらさんからのコメント(2012年10月02日 15時12分59秒 ) パスワード

ページの更新にお忙しいのでしょうね?お伺いですがページの写真の鬼さんみたいなのはどこの神社のでしょうか?何となく愛嬌がある顔です。

今日は良く晴れていて、気持ちよい秋晴れでした。山鹿も良い天気に恵まれていることでしょう。ぐう爺様の次のおもしろい写真がとれるようにと思っています。

悠々自適の生活が一番。父たちも息子たちが何度となく来てくれ来てくれと呼びかけていました 。山がすきかっじゃろうね・・と言うことに落ち着きましたが、家から動こうとしませんでした。

きれいな空気、とれたての食材、のどやかな田舎の朴訥な話しかた。住み始めたら動きたくありませんよね。
[68]さくらさんからのコメント(2012年10月03日 19時58分51秒 ) パスワード

ぐう爺さまの10月のコラム拝見しました。いよいよ収穫の秋ですね。バリケンがたくましく生活している様子、思わず頑張れと声援したい気持ちです。

菊池川の水量も豊かで、ぐう爺様が自然を満喫しておられる様子うれしく思います。

菊池川といえば菊池を思い出してしまいますが、
日本の苗字7000傑より
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/020/02006.htm
菊池氏の系図です。

藤原道隆・・・菊池の血を引く「池禅尼」は「平忠盛」と結婚して「平頼盛」を生む。頼盛の系は地を残し、後に爵位を授かったそうです。

球磨郡では八条院の所領(須恵村あたり)に関して(下へスライドして人吉庄よりを読む)
http://kotobank.jp/word/%E9%A0%88%E6%81%B5%5B%E6%9D%91%5D
本家は蓮華王院(れんげおういん),領家八条院,預所(あずかりどころ)中原清業(きよなり)で,人吉次郎,須恵小太郎,久米三郎など球磨郡各地の在地勢力が荘官となっていた。





[69]さくらさんからのコメント(2012年10月03日 20時28分16秒 ) パスワード

ぐう爺様の10月のコラムを拝見しました。
バリケンがたくましく生きている様子、思わず頑張れと応援したくなります。

秋の恵みに舌鼓を打つ季節、ぐう爺様ののんびりした生活が伝わってきて、いいなあと思います。

菊池川の水量の豊かさ、
菊池といえば菊池氏を思い出してしまいますが
日本の苗字7000傑菊池氏
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/020/02006b.htm 隆家流トップへ戻る
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/020/02006.htm
藤原道隆・・隆家の血を引く「池禅尼」と「平忠盛」と結婚。平頼盛を生む。


[70]さくらさんからのコメント(2012年10月03日 21時57分16秒 ) パスワード

送信したけど画面にコメントが載らないので、何度も書きました。ごめんなさい。
68頼盛の系は地を残し は 血を残しです。
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/020/02006.htm
の画面を菊池氏をクリック
出た画面を下へスライド
西郷氏
西郷の局と徳川家康の間に二代将軍・秀忠。


[71]さくらさんからのコメント(2012年10月03日 22時08分22秒 ) パスワード

大内と菊池氏は何だか繋がっていると思っていましたが、
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/020/02006b.htm から一番下へスライド西郷氏へ
清和源氏義光流の大内から西郷へ婿養子?
[72]グウ爺さんからのコメント(2012年10月09日 11時56分36秒 ) パスワード

こんにちは さくらさん
いつのまにか山鹿は秋満開です。祖卿人吉は青井阿蘇神社の秋の大祭「おくんち」ですね。お袋が作った甘酒・栗飯・煮しめ・が懐かしく思い出されます。
もう数十年参加したことはありません。クラスメートに鬼木の太鼓踊り大将の娘さんがおられ先日頂いた、からくり人形の写真を縮小して携帯に送ったところ大変喜んでお孫さんに見せてやると言っていました。

新八朗の話は泣き村の話を知って、怪獣好きの孫に白石の鍾乳洞をイメージして書き始めました。ところが須恵の帰りに深田の北嶽神社のヒヒ退治の話を知り慌てました。
台風17号が熊本を直撃したあとでしたので大木は倒れ切り株だけが保存されてありました。泣き村は深田だったのですね。

私は加齢黄斑変性で左眼が見えるものが曲がって見えません。近くの買い物は大丈夫ですが、高速は無理です。iP細胞のノーベル賞で網膜の再生は早いでしょうと言っておられました。歴史の積み重ね・・・有難いし嬉しいですね。

今日もバリケンに会いに行く予定です。





[73]さくらさんからのコメント(2012年10月09日 20時54分52秒 ) パスワード

北岳神社の森(きただけじんじゃのもり) 相良村 - 熊本県庁

雨宮神社から国道445号を五木村の方に進むと、四浦の「上下坂」というバス停が あります。そこがあさぎり町深田に出る分かれ道です。右折して、上下坂を登り切る。
ネット検索で出しました。
先生のお孫さんは幼馴染と結婚し、おうちは社長業をしておられます。当然姓も変わり家も転居しています。その又孫が出来子孫繁栄しているようです。
確か体の不自由な方の学校もつくって頑張っている とか、同級生から聞きました。このあたりは不明です。

深田・上村・岡原は近く、父は朝岡原へ出かけて、夜8時頃北岳神社の道を通って帰ってきました。当然歩いてです。今この道を知る人も少なくなっているでしょう。道路はずっとしたの方にあります。

先生の顕彰碑は川下にあります。石見重太郎と同じ石見というおうちもその又川下にあり、ひひ退治の話はあちこちにあるけど、過去に右田という姓にたどり着いたことがあります。


[74]さくらさんからのコメント(2012年10月09日 21時27分34秒 ) パスワード

青井阿蘇神社のおくんち祭り。水神様の祭りも九日町あたりであったのではないでしょうか?

目のこと
大変ですね。本当に研究が早く実用化され、役に立って欲しいと思っております。車の運転お気をつけください。

私の故郷の同じ集落のおじさんも確か90代なのに、今でも運転をして夫婦で温泉を楽しんでいると葉書が来ていました。
隣の親戚の嫁が言うには(その子も結構荒っぽい運転をするのですが)、サアーッと追い抜いていくので、「誰だろうと見たらおじさんたいね」ということで、まだまだ元気みたいです。

そういえば同級生のお父さんも86歳くらいですが、運転をしているそうです。
まあ田舎の余り車が走らないところだからいいようなものの、それでも曲がりくねっていますので、圧倒されます。

田舎はバスがないので車がなければ話しになりませんね。一家に二〜三台持っているので、都会より裕福ではないか?と言う話になったことがありますが、そうではなく、それぞれ働きに行くのに必要なのです。ぜいたく品ではないのですね。
[75]さくらさんからのコメント(2012年10月09日 22時05分24秒 ) パスワード

http://www.e-shizenkan.com/chie/special/201201/
臼太鼓踊り 700年の伝統を受け継ぐ
のページを見ていて、気になる言葉を見つけました。

関踊り シャグマ です。
太鼓踊りは雨乞いの踊りとも 源平の戦をあらわしているとも言うそうですが、この二つの言葉の意味とか たとえば 関踊りとはどういうものなのか?ご存知ではないでしょうか?
お伺いいたします。
[76]グウ爺さんからのコメント(2012年10月11日 09時44分46秒 ) パスワード

さくらさん お早う御座います。
           グウタラ爺さんこと グウ爺です
お尋ねの太鼓踊りのこと、クラスメイトの父上が大将を務めておられたので
訪ねたのですがお亡くなられていました。
 
関陣踊りについては、偵察にいく様を踊りにしたものだそうです。
位で言えば大将・脇・関の順だそうで偵察にいく様を取り込んであるそうです。球磨郡の踊りはその点は同じだそうです。

「ジャグマ」については今鬼木の大将と連絡中とのことで昔の大将「犬童」
さんは不自由になって現大将の上田さんが説明してくださるそうです。
現在連絡が取れません。取れ次第ご連絡致します。
もたもたして済みません。

[77]グウ爺さんからのコメント(2012年10月11日 10時21分44秒 ) パスワード

さくらさん 第2報です

ホームページの犬童さんは今年亡くなられたそうです。現在は上田さんが大将を努めておられます。(0902085 2492)

鬼木の太鼓踊りは源平合戦の源氏方の踊りだそうです。関踊りは戦いに行く途中
休息をとってる最中、大将と脇と(歩兵)の周りを警戒して回っている様を表しているらしいです。
ジャグマについては知識がないとのことでした。

1報は水上村の観光課の説明でした。鬼木の大将曰く。あちらは平家の軍勢と違いますかとの事でした。気になりますが・・・
[78]さくらさんからのコメント(2012年10月11日 21時25分00秒 ) パスワード

ぐう爺様 こんばんは(ぺこり)
こちらも秋満開の様相になって来ました。寒暖の差が激しいのがよいのか、葉っぱの色づきもロマンチックです。仕事に行っているマンションの15階から見る芝生の中の木々の葉も、緑に映えて絵のようです。

太鼓踊りのこと
有難うございます。
>源氏方の踊りだそうです。関踊りは戦いに行く途中
休息をとってる最中、大将と脇と(歩兵)の周りを警戒して回っている様を表しているらしいです。

関取みたいな意味合いでしょうか?私の故郷の太鼓踊りの記憶は髪の毛を振り乱して踊る人と、鐘をたたいて周りを回る人の記憶だったので、何だろうと思いました。7歳くらいの子供の頃の記憶です。

太鼓踊りも奥が深そうですね。(^。^)
[79]さくらさんからのコメント(2012年10月11日 21時41分48秒 ) パスワード

>あちらは平家の軍勢と違いますか
あちら とはどのことでしょうか?
水上村のことか?と考えています。

相良氏は後白河院の所領(蓮華王院領)の地頭でしたものね。預かり所が大友氏(中原氏)・毛利氏(大江氏・中原氏)。

屋島の合戦では義経の軍に那須与一とともにいたと本で見た記憶があります。
鶴富姫と那須の大八郎の恋はひえつき節で有名ですが、屋島の後壇ノ浦で平家は滅亡。

実はお返事を待つ間自分で何か調べられないか?と思い、「関踊り」で検索をかけたら、「馬関まつり」が出ました。http://www.heikeodori.com/bakan/bakan.htm
[80]さくらさんからのコメント(2012年10月11日 22時29分07秒 ) パスワード

下関のほうはもろ「平家」のようですね。
太鼓踊り自体に源氏方・平家方とあるのかな?と思っております。

しゃぐま については
過去に丸目蔵人に関して「鹿島神宮」の方をしらべたことがあり、その時鍋島の「面浮立めんぶりゅう」のネットを見たことがあります。
http://www.city.kashima.saga.jp/geijyutsu/geinou/kk_menburyu.html
これはその時のものとは違いますが、前に見たときはしゃぐまは 赤熊と書いてありました。

面浮立は室町時代頃みたいなので、相良氏がはじめた太鼓踊りとどちらがはやいのか?と思うのですが、このしゃぐま赤熊なら こんなものを かぶるのは どこからはじまったのでしょうね?熊が九州にもいたのかしら?
[81]さくらさんからのコメント(2012年10月12日 01時50分18秒 ) パスワード

http://www.hikoshima.com/bbs/heike/101219.html
上泉伊勢守「藤原」秀綱-が丸目蔵人に関与した人と思います。
感状を持っておられる「丸目家」が存在しているので、実は私の父の出所の家と丸目という家が姻戚関係にあり、丸目のまたは相良氏の枝分かれした先の関係になるのだろうと思います。相良氏治世700年くらいの間には子孫増えに増え続けたでしょうしね。

53
秋月家から見た九州の歴史 より 検索  119ページ
鍋島の面浮立が鹿島の面浮立の起こりだとする。
私が子供の頃見た 雷様の絵が こんな感じ。

赤熊⇔鬼⇔かみなりさま
私のイメージを具体化すると こうなるのかな?
鹿島鍋島 って あるんですね。

http://members.jcom.home.ne.jp/2131535101/kyushu32.htm
鍋島は千葉氏。(平氏)
相良氏の家紋に揚羽蝶があり、いつ どんな理由で使われるようになったのか?と思っていましたが、

理由がわかったわけではないのですが、

鍋島と相良には 時々 姻戚関係が見られる。

又 鷲尾家(平氏)や 池田家(揚羽蝶紋)とも 養子などの関係がある。

54の一番下
などと ありました。ここの関氏は真田氏にゆかりしているのでしょうか?
故郷の子供たちのしらべたことによると、故郷のお茶は「八女茶」に出しているそうです。大川家具は八女にある。

関氏は伊勢平氏。

鎌倉幕府によった意識の相良氏に平氏の話をするのもなんですけど、相良氏の遠祖の母方に平氏につながるものがあったように思います。






[82]さくらさんからのコメント(2012年10月12日 02時03分10秒 ) パスワード

秋月家から見た九州の歴史 より 検索  119ページ
は現在130ページに書かれています。
[83]さくらさんからのコメント(2012年10月12日 18時38分10秒 ) パスワード

バリケンと和鴨のツーショット。心温まりますね。寄り添いあい 多分 助け合って生きてるのでしょう。バリケンって 渡り鳥ではなさそうですが、冬の冷たい水は大丈夫なのでしょうか?ぐう爺様の暖かいキャッツフードの援助でバリケンが長生きしてくれるのを応援しています。
[84]さくらさんからのコメント(2012年10月13日 21時19分47秒 ) パスワード

葦北の火力発電所の燃料の炭は、外国から輸入しているらしい。それを芋チップスに変えてもらって故郷に芋をうえつけてはどうだろうか?と思い、同級生の議員さんに手紙を書いたところです。燃料の切り替えは全部でなくても一部でもよいし。外国のジャングルを伐採して炭を作っているのだろうし、木は切ってしまえば後何年いや何十年次の木が大きくなるのにかかるでしょう。芋は梅雨のころ苗を植えれば秋には収穫できるし、温度管理をすれば3回位は出来るし、上手に周りで日にちをずらして作れば、切れ目なく収穫できるし。
火力発電で使う二酸化炭素は、芋が育つ過程で還元されるし。
近畿大学の先生が鹿児島の農高(?)で、実習しているところをテレビで見ました。故郷のように土地はあれど、人が少ないところでも、芋は放っておいても育つし、じじばばでも出来るし、高い収穫が出来る方法も紹介していました。畑仕事をしなくても出来ます。
http://www.eco-online.org/2011/11/14/%E8%8A%8B%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%81%AF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%86/
九州の場合芋焼酎も作っていますから、つくりすぎても消費できるわけです。鶴まで食べることが出来ますからね。
食料品の燃料では価格高騰を招く というほかのテレビ番組も見ましたが、そちらでは藻をつくっていましたが、装置にお金がかかりそうです。故郷の様に資金面で苦戦することがわかっているときは芋が良いのではと思うのです。

同級生がピンと来て気張ってくれると良いのですが。賛同してくれる人を集めなければ一軒だけではお話にならないのです。

又外国の炭を買っているわけなので、そこに食い込む代わり、学校への援助とか薬をおくるとかそういうことで、見返りを考えればよいのではないか?と思うのです。
[85]さくらさんからのコメント(2012年10月14日 21時32分46秒 ) パスワード

こんばんは
平清盛を見て、後書いてます。
昼 縄文土器が現代の感性と同じように優れていて美しい と言うような意味のテレビ番組を見ました。縄目模様をつけるのですが、今までの私の思っていたこととは違って、実に根気が要りセンスがなければ出来ないものでした。

そして、ぐう爺様の紹介にあった家のそばから出たビールのジョッキみたいな須恵器。

年代が多少早い遅いがあるにしても、古代の人の感性は実にすばらしいものだと思いました。

http://www.asagiri-town.net/q/list/33.html?pg=14
口径23.7cm、高さ44.7cm、胴部最大径39.0cmの甕形土器で、灰色をした須恵器である。出土地は、あさぎり町深田東庄屋字萩ノ尾で、深田のシンボルである高山の南麓に位置する。古代の人々が生活を営んでいた場所を示し、須恵氏との関わりもある地である。

深田地区のページに載っていたものです。
位置的には須恵はあさぎり町より私の故郷に近いのですね。
[86]グウ爺さんからのコメント(2012年10月15日 14時09分21秒 ) パスワード

山鹿は連日 秋日和のいい天気が続いています。
暇人大王のグウタラ爺さんは今日もバリケンと遊ぼうと用意しています。
最近では帽子を振ると気が付いてやってきます。川下にいると鴨の騒ぎに気がついてやって来ます。
鴨が3羽になって又増えたらどうしようと心配しています。バリケンはペットだったのでしょうが、野生の鴨にエサをやるのは厳禁だと知っていますから・・・。
最初に会ったときは去年の寒い日でしたがだいぶ衰えています。下記に最初のブログ
を貼っておきます。

上球磨の太鼓踊りは平家をを偲んでと書いてありますね。鬼木の大将の云った言葉は
その通りだったのですね。今も交流が無いのは不思議なことですよね。
「阿蘇のトラ踊り」懐かしいです。熊日新聞まで調べましたから・・・トラの姿が
少し違うようですが。。。

http://guujii.blogzine.jp/hitorigoto/2011/02/post_1943-1.html
[87]さくらさんからのコメント(2012年10月16日 01時51分43秒 ) パスワード

ぐう爺様こんばんは
少し風邪っけ 気味だったけど、薬を飲んだらなんともなくなりました。
去年のバリケンのドスの効いた目つきに圧倒されました。
バリケンってぐう爺様がつけた愛称かと思っていましたら、そのものずばりなのですね。本当に おれがバリケンだ!!と ずいと 乗り出してきそうです。

頑張れ頑張れと応援したくなります。
上球磨と人吉(下球磨)上相良氏と下相良氏
初め上村にお父さんが下向してきて、翌年子供が手柄を立てて下向してきたそうですね。
最初は本家筋は、だから お父さんの方の上村の方だったけど、歴史がくだって人吉のほうに筋が変わったそうですね。
下間の方だったか、城は上相良氏への備えの向きをとっているそうです。



[88]さくらさんからのコメント(2012年10月16日 21時32分25秒 ) パスワード

五木のほうの人は球磨地方の人と通婚していたそうです。五木のほうは独自の支配体制をとっていたようで、それが「なばやま騒動」で一気に崩れ、相良藩の支配下になったようです。

犬童球渓顕彰音楽祭には私も学校時代コンクールに出ました。
朝一番のバスに乗り、人吉まで出て、そのころは余り道など知らないので、終わったらまっすぐ家に帰りました。
兄は駅伝大会に出て、私は応援に行き、やはりまっすぐ家に帰りました。

私たちの方からはひとよしには買い物などにも出かけたりしていましたが、人吉の人たちが来ることはありませんでしたね。
今は同級生たちも人吉の人と結婚していて、結構あちこち私も行ったりして、人吉の地理もわかるようになりました。

私の故郷の川筋には相良の13ある外城のうち、3つくらいあります。相良の子孫がつかった家の名と同じ苗字の家もあります。相良氏は一子相伝で財産を相続したので、いずれ枝分かれした子孫が何百年もたてば、普通の人になり、土地を開墾しては生き延びてきたのだろうと考えています。

村誌のちいさなハンドブックには「相良氏の温情忘れがたく」と村名由来が書いてあります。

人吉のきじ馬を作るあたりは 平家落人伝説があるようですね。
また 五木のほうの久連子の古代踊りはユニークですね。
[89]さくらさんからのコメント(2012年10月16日 21時42分32秒 ) パスワード

http://washimo-web.jp/Trip/Inudou/inudou.htm
人吉にお住まいのきょん2さん とか 話に出ているので、又本人は鹿児島にお住まいのようなので、過日教えていただいたひとのブログかしら?と思いながら読みました。

犬童球渓顕彰音楽祭には私も出たことがあります。兄は駅伝大会に出ていました。こういうことなどは人吉に行っていましたが、人吉の人が私の故郷の方に来たことはありませんでしたね。

[90]さくらさんからのコメント(2012年10月16日 22時51分38秒 ) パスワード

http://washimo-web.jp/Trip/Kureko/kureko.htm
久蓮子踊りのブログです。久蓮子鶏のあごの赤いのと羽を短くしたらバリケンじゃないか?と一人で笑ってしまいました。こちらも希少種らしいです。

人吉のきじ馬を作っているあたりには平家の落人伝説があるそうですね。

太鼓踊りで共通しているのは
太鼓をたたく
何人かで輪になって踊る
地面を足で踏みつけるような動作
源平の戦いを表したもの
または
雨乞いの踊りともいう(深田の方で前に聞いたことがあります)
いつごろから始まったかは定かでない
今のとこ私はこれ位しか見出せませんが もっと あるでしょうか?
[92]さくらさんからのコメント(2012年10月17日 22時17分58秒 ) パスワード

送信をしても反映されなかったりして重複した文章があります。又サツマイモのつるまで食べられると言うところは「鶴」になっていました。すみません。

新聞でパソコンのっとりの記事が出ていますが、
何ヶ月か前 メールが入っていたので、何だろうとあけてみたら、「尖閣諸島」やいろいろな写真が載っていました。気味悪いので削除しましたが、いやですね。

ウイルスとはドクロマークに変わってしまう とか 前にみたことがあるのですが、こんなものでも ウイルス感染するのかしら?と 今でも不気味です。

[93]さくらさんからのコメント(2012年10月17日 22時24分05秒 ) パスワード

平家落人の里:五木村の豆腐の味噌漬け2 に書きます。                     
コメントの種類 :落人伝説

[94]管理者 Aさんからのコメント(2012年10月18日 02時12分41秒 ) パスワード

続きは「平家落人の里:五木村の豆腐の味噌漬け2」へどうぞ。
http://www.hikoshima.com/bbs/heike/101295.html
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