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 投稿番号:101214 投稿日:2011年02月08日 01時59分44秒  パスワード
 お名前:さくら
邪馬壹国
キーワード:やまたいこく やまとこく
コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

平家物語とは関係なさそうで  すみません。
「佐田」の戸籍に関係している人の 手書きの戸籍に、関東州大連市壹岐町があります。

この いき と読める字だけを とりあげてですが
やまたいこく は もともと 邪馬壹国と書かれていた と書いてある本を読んだことがあるなあ と 思っています。

私は 自分の家の つながりから 歴史を眺めていたので 文献的な方面からの知識がありません。

どなたか このことについて 教えていただけないでしょうか?

[1]さくらさんからのコメント(2011年02月09日 23時35分31秒 ) パスワード

もしも 「やまい」 と 読めるとしたら
山井は 藤原の大姓。藤原南家でよくつかわれた と 姓系辞典にある。

熊本県に 相良藩というのがあり
お家騒動があって 最終的に残ったのは 永里氏だというが
本家の子孫は 山井を名乗った。

[2]さくらさんからのコメント(2011年02月09日 23時42分27秒 ) パスワード

相良氏は藤原南家武智麿流

藤原氏は 天皇家よりも古いともいわれる。
天孫ににぎに従ってきた 天児屋命の子孫ともいわれるが

4世孫の神武天皇東還の際
「山井の水門」ということばがある。
[3]さくらさんからのコメント(2011年02月09日 23時50分42秒 ) パスワード

神武天皇東還のとき 出る「山井の水門」は 
[茅渟の県]にあった。
現在の 上町大地あたりらしいが

[大宅壮一氏]は 「大阪府高槻市富田」の人だが その本に
朝 リアカーを引いて 出て 天王寺さんへ行き
夕方 帰ってきた と 書いている。

上町大地あたりは ここらあたり で、四天王寺などもある。

現在は電車でぐるりとまわっていくが 結構 近いのである。

山井の水門のことはネット検索なので
本当にここらなのか?
リアカーを引いて・・・の話は 地域の郷土史家が書いていた。
[4]さくらさんからのコメント(2011年02月10日 00時19分18秒 ) パスワード

崇神天皇の捜索により茅渟 (チヌ)県の陶邑(スヱムラ)でオオタタネコは発見されている。秀真伝えを奉った人。

県というのは 結構ひろかったみたいで
神武天皇が宮崎美美津県から出立した と いうのだが 美美津県は 熊本県湯前あたりまで昔はそういっていた と 地名辞典にあった。

結構険しい山を越え 広い範囲なのである。

「私は大物主大神が陶津耳命の娘である活玉依毘売を娶って産んだ子、名は櫛御片命の子、飯肩巣見命の子、建甕槌命の子で、私は意富多々泥古です」といったという。m
[5]さくらさんからのコメント(2011年02月10日 08時28分19秒 ) パスワード

高槻富田あたりは 豊臣秀吉が山崎の合戦において陣をしいた。

近くの「総持寺」は豊臣秀頼の再建

豊臣氏の力が及んでいた地域。
豊臣秀吉は杉原氏にも関与していた。

さらにここらは「阿威川」が近いが 阿威川ぞいに「溝杭神社」がある。

由緒

延喜式の古社であって、祭神は、五十鈴姫命、玉櫛媛命を主神とし、相殿に三島溝咋耳命、天日方奇日命、速素盞命尊、天児
屋根命を祀っている。
日本書紀神武天皇記の本文には、五十鈴媛命は、わが国初代の神武天皇皇后になられたと記されている。また玉櫛媛の父は三島溝咋耳命であって、古代において広くこの地方を統裁しておられた方である。
元来溝というのは水か生命で、農業にとって欠くことの出来ないものである。その溝を構成する杭も大切である。耳とは古代では長を表す、したがって溝咋耳はは農業神を意味した。溝咋耳神がこの地方においていかに信仰されたかは、今日立派な松並木をもった馬場先が残っているのからも察せられる。神社に伝わる「暁の御鏡」は天長年間の旱魃の際に祈雨して霊験のあったことを伝えている。現在の社殿は、寛保二年「一七四二」地元出の両替商米屋喜兵衛が達営したものといわれている。
[6]さくらさんからのコメント(2011年02月10日 08時44分51秒 ) パスワード

さらに近くに「三島鴨神社」がある。
ここは 高倉天皇安産祈願がされた神社。
上町台地あたりが大阪城があるところ。

平氏に関与し 歴史の曙の頃にすでに活躍した人たちがいたところ。

鴨氏に関与する人たちがいたところ。

邪馬台国女王「卑弥呼」が 活躍するのはもっと 時代が下がってからのことで 邪馬台国がどこにあったかは 謎のままだが

邪馬壹(壱)は 藤原に関与している。
[7]さくらさんからのコメント(2011年02月10日 08時59分25秒 ) パスワード

大田亮氏は卑弥呼女王は 多氏の一族と書いている。

神武天皇→神八井耳命→〔阿蘇国造〕速瓶玉命→火国造→→武恵賀前命→仲津臣→[多氏]

仲津臣は 「牟礼神社」祭神 大中津彦にも中津つながり。
仲津は
仲津臣
大田亮氏姓系辞典より
★ 仲津臣
豊前国に 仲津郡あり。郡内に中臣郷あり。関係あらん。
又 後世 下毛郡に中津の大邑あり。
@ 仲津臣  中臣条をみよ。
A 豊前の仲津氏  
B 下毛郡の豪族にこの氏みゆ。
応永の頃 仲津江太郎あり。大江姓を称したか?と。
★ 中臣氏発祥の地
豊前国中臣郷仲津郷付近
神武紀 
中臣祖種子と 豊前国 兎狭津姫と結婚したことを伝え、
中臣系図がその子を宇佐津臣としている。
この 兎狭津姫におりてくる系は 高魂産巣日神にある。

神武天皇は 東還のとき 宇佐によられている。
景行紀 12年条
天皇熊襲 親征の際 柏峡の大野にて、直入中臣神を遥拝されている。
このことも 中臣が 古く 豊国に 栄えたことを 語っている。

[8]さくらさんからのコメント(2011年02月10日 09時02分51秒 ) パスワード

常葉 ときは
@ 中臣姓  佐田前司為清の子・清佐・・これは伊勢神宮社家?
A 大和の常磐
十市郡常盤里より起こる。
中臣氏の族。天児屋根命18代黒田大連の孫
B 紀姓 常葉 常磐 石清水祠官族・兼清の子。兼清 号 常磐・・・
C 北家 長良流
長良の子 八条国経8世孫 為忠 子孫 為兼は 大鏡作者
D 桓武平氏 北条氏族 北条義時・・・
ほか いろいろ
これらは 佐田。mu

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