[1] | 空の青海のあをさんからのコメント(2011年01月31日 16時02分28秒 ) | パスワード |
丸に細三つ柏の永田さん
初めまして。
ギャンブラー改め、空の青海のあを、と申します。
ぺこり
>四国の方から来た
>奈良吉野の和田家
全然分かりませんが
上記の2つから想像しますと「南朝方」で調べると見つかるかも、ですね。
それで「菊水紋」を使ってた言い伝えがある、とか?
家紋も名字もホントに複雑怪奇ですよね。
取り敢えず明治の初期の御先祖さまの戸籍謄本が手に入ると良いですね。
御自分から遡って1代1代取得するんですが
今はコンピューター化されているので
その前の
手書きのが手に入ると良いですね。
明治8年あたりの本当に最初のが手に入ると良いのですが
どうやって取得するのか忘れました。
取り敢えずお祖父さまお祖母さまの戸籍謄本から遡ってはいかがでしょう?
とにかく明治の初めに到達すること。
明治の初めにどこに住んでいたか?
これが分かると良いですね。
そして当時の人達の名前や住所が分かると良いですね。
役所で訊いたら教えてくれると思います。
取得理由は「先祖の100回忌開催のため」とでも。笑「それで一族の名前が分かる限り知りたい」とかね。
ホントなんだから。
笑
上記の「三柏 永田 大阪 松本 和田 菊水 四国 吉野 奈良」のうち、
「松本」というのが分かりませんでした。
名字の「松本」さん?
とにかく御先祖さまの除籍謄本が手に入ったら、書かれている地名先の歴史を調べること。
地名先の図書館で歴史を調べたり
大阪大学や京大なんかの史料を見られると良いですね。
地名からすると
四国出身で、南北朝の動乱で奈良・吉野に行ってて
戦国時代に、大阪にとどまった?
うちの親戚にモロにそのコースで大阪に住んでいるのがいます。
それで「お返事しなくっちゃ」と思いました。
笑
とにかく源平時代はどっちだった?
南北朝時代はどっちだった?
こういう情報が手に入ると先祖捜しがラクですね。
[2] | 箱柳永田さんからのコメント(2011年01月31日 17時21分16秒 ) | パスワード |
うーん 永田の出自は多様ですので、断定できる方は少ないと思います。
原因の一つが、幕府の意向で、長田忠致の行為を裏切りと断定し
圧迫(いじめ)した事が挙げられます。
その中で、改名をした各地の永田さん(元長田さん)は繋がりを
どの程度残すかが、子孫の迷いを作る事に成ります。
各家工夫を凝らした家紋を選択しています。
(同時に出自も乗り換えていたりします)
私が直接お会いした家の紹介しかできませんが、参考になれば幸いです。
丸に三つ柏の永田さんは最近訪問しました。
知多半島、武豊で醸造業(醤油 大正期創業)を営んでいます。
伝承はあまり詳しく聞けませんでしたが、対岸の碧南の長田さんとは
交流がないと言われ(同時に興味の対象から外れた)再度の訪問は
考えていません。
永田(丸に三つ柏)の方は武豊に多く住んでいるようです。
一番古そうな家を図書館、古老等に聞いて訪問しようと思ってます。
付近に一時期、永田久琢(信雄与力?から秀忠の旗本)の所領があり
(3千石の半分の千五百石)この関係者かと思っています。
(長田久琢=永田久琢 幕臣 馬場に名を残す)
他に(釘抜き 久琢)(茗荷 袋井)(藤 豊田宮口)(隅立てに三 豊田竹村)(木瓜 西三河)
(丸に違い鷹羽 最近お会いしました四国出身の方 詳細は今後聞く予定)
平致頼(従五位の下長田備中掾)は千年の昔の人ですが子孫は
瀬戸内にいるかもしれません。
この人の長兄は致利、次兄致成は共に出羽守になってます(以後不明)。
公雅長男致利の家は<丸に細三つ柏>紋使用は大浜長田(致頼子孫)に
伝わっております。
余談
山之内さんも同紋を使っています、(出自は違うと言われてますが)
どうでしょう?。
家名と武功に命を張る旗が<丸に細三つ柏>では敵よりも後ろが心配。
と 変な勘ぐりが出てしまうのですよ。
(平良兼直系子孫の旗です。武蔵は平氏が優勢と思っています)
少しでもたじろげば、糾弾される覚悟が無いと立てられない旗と
私どもは考えております。
(嘘であれば、後ろからの矢が怖い、、のだが。)
[3] | 空の青海のあをさんからのコメント(2011年02月01日 01時45分22秒 ) | パスワード |
箱柳永田さん
お久です。
ぺこり
>(嘘であれば、後ろからの矢が怖い、、のだが。)
これって、「自称」では見破られて許されない、ということですよね?
いくら日本に名字や家紋が氾濫してて複雑でも、日本人なら、滅茶苦茶な使用は出来ない
ということで良いですか?
だから「家紋」にも、それを使用するには、意味がある、と。
名字だって勝手に名乗れないですよね。バレますから。
ただ、長い歴史の中で、いろいろ事情があって、その名字・その家紋に落ち着いた、ということで
それがその家のアイデンティティということですよね。
我が家の父方のホンヤさんが いつ、なぜ、 「源氏」になったのか
最近、やっと分かりました。
これまでは「氏の長者」である家康との関係からだとばかり思ってました。
そうか、うちは「源氏」なんだ・・・
とはいえ、馬の骨の格でしかない我が家ですから「源氏」を名乗るのは遠慮しておきます。
「姓」って朝廷から頂くのですから、要するに、天皇の臣下ということですから
源氏でも平氏でも、何であっても天皇の臣下には変わりない
というスタンスになりつつあります。
それが歴史なんだ・・・
と。
うちのホンヤさんを「源氏?」なんて疑いの眼差しで言う人があっても、笑っていられるようになりました。
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