[1] | 空の青海のあをさんからのコメント(2010年10月03日 04時11分27秒 ) | パスワード |
弓を持っている人というのは「馬に乗った」「大将」という立場なのだそうです。
普通の、一般の武士や足軽は弓矢を持っていないんですって。
弓・矢を作るのに長い長い時間がかかりますからね。
物凄い貴重品だったのです。
[2] | 空の青海のあをさんからのコメント(2010年10月03日 04時12分44秒 ) | パスワード |
弓矢が効果的な武器となるのは 28m の距離が必要なんですって。
それより遠いと届かないし
それより近いと意味が無いし。
へえ〜
[3] | 空の青海のあをさんからのコメント(2010年10月03日 04時14分37秒 ) | パスワード |
弓道では
的に当てようというのではなく ← 当てようとすると前頭葉が活発になる
無心になれば矢は的に向かって進む
というのだそうです。
[4] | 空の青海のあをさんからのコメント(2010年10月03日 04時16分14秒 ) | パスワード |
弓道をヒトコトで表現すると
「当てる弓でなく、当たる弓を引く」
というそうです。
力で当ててはダメ。
[5] | 空の青海のあをさんからのコメント(2010年10月03日 04時18分34秒 ) | パスワード |
自然界で表現すると
「葉にできた露が丸くなって、やがて、ポトリと落ちる」
この境地なんですって。
軽く、パン、と離せば、矢は飛ぶ
と言うんですって。
[6] | アカコッコさんからのコメント(2010年10月03日 07時19分10秒 ) | パスワード |
弓道について、興味深いお話有難う御座います。
町歩きの途中に旗ヶ岡八幡神社があります。
名が示すように源氏縁の神社で、江戸期には弓術者の信仰を受けているようである。
境内の額堂には現在でも多くの[競射額]が掲げられております。
『奉献』小笠原流小幡孫市正直清門弟として、
柘植鉱次郎 平宗富・天野助 藤原○○・渡邉三保太郎 源房綱・川口隣之助 藤原歳有など十名の名前があり、年号は嘉永二巳酉年 正月とあります。
嘉永といえば黒船来航も数年後ですが、江戸期の氏名の名乗りが良く分かります。
[7] | 空の青海のあをさんからのコメント(2010年10月04日 01時15分07秒 ) | パスワード |
>源房綱・川口隣之助
あらあら
この2つの名前は同一人物でしょうか?
本姓源氏 諱は房綱
俗姓川口氏、幼名隣之助
こんな感じだったのでしょうか?
源姓なのは徳川家(源姓の氏の長者)より拝領、ということでしょうか?
なかなか興味深いですね。
[8] | アカコッコさんからのコメント(2010年10月04日 08時58分01秒 ) | パスワード |
私の書き方が悪かったみたいですので、もし子孫の方がおられるなら失礼な事をしたなと思いやはり十名の名を載せるべきと、書き直します。
三十三間堂の「通し矢」・「大矢数」とか色々あり有名ですが、江戸末期では合戦もなく、武器としての弓矢は役に立たくなり武士の嗜みか、「小笠原流」とあり、弓道も茶道みたいに儀式化していたのでしょうか?
『奉献』小笠原流小幡孫市正直清門弟:嘉永二年正月:順番は掲額の通りです。
川口隣之助 藤原歳有(藤原系の川口氏については調べたことがない)
八木辰三郎 日下部高量
長谷川金之助 藤原正行
深尾忠次郎 源○利(日の下に亀みたいな字があり)
柘植鐵二郎 平宗富
森 巳之橘 源義質(又は資)
牧野鎮次郎 源正尚
日下傳三郎 源珎宣
天野 藤輔 藤原○○(カスレている)
渡邉三保太郎 源房綱
などでしたが、掲げられてから160年余経過したため、○○は墨が滲んでいたり、擦れていたりしており、現在使われていない字などがあり読み難いと思いますが。
[9] | 空の青海のあをさんからのコメント(2010年10月04日 09時04分12秒 ) | パスワード |
ありがとうございます。
別人でしたか。
残念!
弓道はヨーロッパ17カ国でもする人がいて
2000人だそうです。
ヨーロッパでの最高位の人はイギリスの人で 6段 だったと思います。
【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る 】 |
|
◇Copyright(C) 2000 c-radio.net. All Rights Reserved.◇ DB-BBS-system V1.25 Rapha. |