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 投稿番号:101195 投稿日:2010年09月09日 23時30分15秒  パスワード
 お名前:もみじ
平清盛の子孫
キーワード:両院並立
コメントの種類 :人物  パスワード

西園寺実氏と鷲尾貞子との間にうまれた姞子が両院並立のもとになる後深草天皇と亀山天皇を生みます。藤原魚名の子孫の藤原隆房は平清盛の娘と結婚し、隆衡が出来ます。隆衡の娘が(四条)鷲尾貞子です。つまり 両天皇は清盛娘の玄孫になるのです。貞子の兄弟に藤原(四条)隆親という人がいます。隆親の娘は大納言典侍と呼ばれ、後深草天皇の乳母でした。そして、彼女と源(久我)雅忠との間に産まれたのが、
「とはずがたり」の作者後深草院二条です。
四条貞子(北山准后.1196〜1302.107歳)は
『とはずがたり』巻3「北山准后九十賀」に、
「俗姓は鷲尾(わしのお)で、大納言隆房の孫、隆衡卿の娘である とある。

さて 鷲尾は 中原から 出ます。後嵯峨天皇の里内裏である冷泉万里小路殿は後深草院二条の祖父四条隆親(1203〜1279.77歳)の邸宅である。

鷲 尾
桓武平氏 貞盛流・・・平氏ではこの貞盛あたりから 漢王室子孫が まじる。江戸時代の始め頃の明暦2年(1656)に書かれ、西尾城古老伝と内題付きの「西尾草創伝」に「平遠衡は赤羽之城主也と云」とあり、
参河國名所図絵(文久2年(1862)未完夏目可敬著)に「赤羽西尾城古老伝云平遠衡は赤羽の城主也」と云又西尾の古記に「鷲尾遠衡は赤羽根の城主と見えたり、」とある。鷲尾遠衡については姓氏家系大辞典第3巻に「鷲尾右エ門尉遠衡とその後裔幡豆郡吉良に住し その後 裔鷲尾五郎時秀 戦死の後 その子孫八名郡多米邑に移住す、多米を以て称とす。」とある。
鷲尾氏(尊卑分脈)
桓武平氏 伊勢の豪族にして尊卑分脈に貞盛 維衡 正度 貞衡(阿農津三郎)
貞清(阿農津三郎中宮長) 家衡(鷲尾太郎住伊勢國)
清綱(桑名富津二郎鷲尾同二郎)
貞國(陽明門院長) 遠衡(住三河国吉良)
維綱 号鷲尾右エ門尉遠衡 桑名三郎右エ門尉
後白院御代西国海賊蜂起之時任右エ門尉 略


多治比氏は
50桓武天皇妃として「多治比真宗」を輩出し、桓武平氏の祖である「葛原親王」が生まれた。
この流れが板東平氏元祖「高望王」へと繋がる。

28宣化天皇と橘仲皇女との間の皇子が十市王。

十市とは 『新撰姓氏録』は、十市県主と同族の中原系図において、十市県主は、磯城県主から分れた旨を記載する。 中原系図によれば磯城津彦の後を十市県主とする。中原が祖とする磯城津彦はスサノオー大物主(大国主)―事代主の子―鴨王の子―大日諸命は磯城でもある。

さらに 52嵯峨天皇后にたつ 多治比高子がいる。母は六人部美留女
六人部氏は京都向日町の神社の祠官を古代から勤めてきた家で、その遠祖は天照国照彦天火明櫛玉鐃速日尊であり、元伊勢の丹後籠神社では この人を事代主としている。古代において天照国照彦天火明櫛玉鐃速日尊の神裔が代々皇后にたってきた。 

さらに 中原は 多氏でもあり、古事記の太安万侶を輩出する。
古事記は太安万侶(中原)
日本書紀は舎人親王(中原)
@日本書紀舎人親王(中原)
  天武の末。弘宗王 姓を 中原真人と賜う。
  左京の人 中原真人 正基に 姓を 清原真人と賜う。その先は 「舎人  親王の末」

葛城高岡(丘・岳)宮(神渟名川天皇・綏靖天皇)のとき
神八井耳命は 当時 春日郡におり、鴨王命の子・県主遠祖大日諸命を 祝となし奉仕させた。・・・
※ 大日諸命=(春日県主・武研貴彦友背命)              安寧天皇(磯城津彦玉手看尊・師木津日子玉手見命(『古事記』)の皇后は事代主神の孫にして鴨王の子たる「淳名底仲媛(淳名襲媛)」
 
豊前宇都宮流佐田氏が中原を名乗っていたことは知られている。     
中原が祖とする磯城津彦はスサノオー大物主(大国主)
十市氏系図より
(―事代主の子―鴨王の子―大日諸命で 大日諸命は磯城でもある。  

十市県主について、八一五年に編まれた『新撰姓氏録』は、        十市県主と同族の中原系図において、十市県主は、磯城県主から分れた旨を記載する。

その後、志賀高穴穂宮のとき、稚足彦天皇の時、武恵(心は四つ点)賀前命 の孫・仲津臣(武彌依米命の子)に詔し、多氏を負う。仲津臣に詔し、外戚・天神 皇妃 両神を 日原の地に斎杞奉る。

(1)京都方楽家系図 参照
神武天皇→神八井耳命→〔阿蘇国造〕速瓶玉命→火国造→→武恵賀前命→仲津臣→多氏                               →武恵賀前命→仲国造(建借馬命)
→ 〔阿蘇国造〕速瓶玉命 → 健淳美命……(阿蘇氏へ)

神武天皇──神八井耳命──信濃国造――健磐龍命―健稲背命──健甕富命──諸日子命─┬健莒止理命──伊努古君──世襲彦君─┴金弓(金刺氏へ) 

事代主命 (大国主の子)→鴨王命 → 大日諸命(春日県主・武研貴彦友背命)→ 大間宿禰(春日県主)→ 春日日子(春日県主)→ 豊秋狭太彦→五十坂彦(十市県主)考昭時春日改称十市→大目彦(十市彦)→ 倭・彦(十市県主)中原連祖
                                   ※ 神八井耳命を祖とする氏族は多いが、中でも多臣氏が有名で、神八井耳命の末の武恵賀前命の孫、仲津臣のとき、多の神を祭る主として多氏となった。つまり、多臣氏の元は仲津臣であり、常陸の那珂臣氏はその分かれであった。 ※  元は仲臣と呼ばれた有力な氏族として、奈良の春日山麓の大春日氏がいる。春日山へ出る以前は山の辺の道の天理市に和爾赤坂比古神社・和邇下神社を祭る和邇氏の一族である。和邇氏は皇統譜に連綿と妃を出した。

平氏を知るには 中原をしることが 大事。中原は サダ。

鹿島昇氏は その著・ニギハヤヒ渡来の謎で

「桓檀古記」三国遺事は 壇君朝鮮→北扶余→高句麗
日本書紀は 天皇家を伯族のウガヤ王朝の子孫として天皇家の正統を主張した。
と 書く。伯は 貊で、サダで アイシーン・ギョロで 董氏で季氏である。        




[1]もみじさんからのコメント(2010年09月11日 23時17分21秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月28日 23時16分14秒
[2]もみじさんからのコメント(2010年09月12日 19時58分49秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月28日 23時16分47秒
[3]もみじさんからのコメント(2010年09月12日 20時08分03秒 ) パスワード

>中原は 後 平遠 鷲尾になる。
江戸時代の始め頃の明暦2年(1656)に書かれ、
西尾城古老伝と内題付きの「西尾草創伝」に「平遠衡は赤羽之城主也と云」とあり、
参河國名所図絵(文久2年(1862)
未完夏目可敬著)に「赤羽西尾城古老伝云平遠衡は赤羽の城主也」と云
又西尾の古記に「鷲尾遠衡は赤羽根の城主と見えたり、」とある。

鷲尾遠衡については姓氏家系大辞典第3巻に「鷲尾右エ門尉遠衡とその後裔幡豆郡吉良に住し その後 裔鷲尾五郎時秀 戦死の後 その子孫八名郡多米邑に移住す、
多米を以て称とす。」とある。

鷲尾氏(尊卑分脈)
桓武平氏 伊勢の豪族にして尊卑分脈に
貞盛 維衡 正度 貞衡(阿農津三郎)
貞清(阿農津三郎中宮長) 家衡(鷲尾太郎住伊勢國)
清綱(桑名富津二郎鷲尾同二郎)
貞國(陽明門院長) 遠衡(住三河国吉良)
維綱 号鷲尾右エ門尉遠衡 桑名三郎右エ門尉
後白院御代西国海賊蜂起之時任右エ門尉 略
を 書こうとして 時間をおいたら 忘れ おかしな文に なりました。
[4]もみじさんからのコメント(2010年09月13日 15時11分06秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月28日 23時17分23秒
[5]もみじさんからのコメント(2010年09月14日 14時15分25秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月28日 23時18分45秒
[6]さくらさんからのコメント(2011年04月17日 21時50分40秒 ) パスワード

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