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 投稿番号:101194 投稿日:2010年09月01日 14時23分54秒  パスワード
 お名前:さなえ
伊賀餅と伊賀忍者の関係

コメントの種類 :質問
本人によりコメントは削除されました。 2010年09月01日 14時54分32秒
[2]さなえさんからのコメント(2010年09月01日 15時21分29秒 ) パスワード

質問です。

先日伊賀上野に行ったとき、かぎや餅店にて、伊賀餅なるものをみてびっくりしました。三河のいが饅頭そっくりだからです!!。(一部の地域しかないと思います。)

いが饅頭は、通説には、毬栗に似てるからといわれてましたが・・・本当は、伊賀のものだったのね?

伊賀餅とは、おまんじゅう(餡の入ったおもち)に色の着いたお米がついてるものです。

伊賀忍者は、五色米(色を着けた米)で、暗号文を作ったといわれます。

全国の似たようなおまんじゅうがあるらしいので、伊賀忍者との関わりがあるとおもいます。わかる方、興味のある方、コメントくださいね。

稲花餅とか、ひなもちとか、言うところもあるようです。三河では、お雛様のときに食べますよ。

たまたま、伊賀に旅行に行った人が持ち帰ったのかも・・・ですけどね(笑)。
[8]さなえさんからのコメント(2010年09月03日 21時37分44秒 ) パスワード

こんにちは、今日は地元の「いがまんじゅう」のことと、おまんじゅうから考えた三重県(伊勢・伊賀)との関係を書きます。

いがまんじゅう・・・とは、地元(西三河)では、桃の節句になると普通に食べられる、メジャーなものです。ごく最近まで全国で食べられていると思ってました。現在は、パスコ(旧・敷島パン)などからも売られていますが、私が子供の頃、死んだ祖母が作ってくれました。昔は皆手づくりしたのでしょう。
材料は、上新粉(米粉)か白玉粉を蒸して生地をつくり、小豆のあんを入れてかたちを整えたら、その上に(くちなしなどで)色を着けた米粒を数粒のせて、もう一度蒸したと思います。祖母のは、甘さひかえめで、おいしかったです。

その祖母は母方で、神谷姓です。祖母の実家は、三矢姓でした。なんとなく、由緒のありそうな家でした。

ところで、その神谷家なんですが・・・一色町のお隣の福地と言うところにあります。現在、福地と言う地名はありませんが、むかしは幡豆郡福地村だったそうです。
先日、伊賀に行ってはじめて知ったのですが・・・伊賀には、福地城(福地氏)があるんですね。何か関係あるのかしら?

そして、現在私の住んでいるところは、幡豆郡幡豆町なんですね。鳥羽という地区があります。三重県の鳥羽と関係があるというのは、本当そうですね。
[11]勝てないギャンブラーさんからのコメント(2010年09月04日 02時05分47秒 ) パスワード

>その祖母は母方で、神谷姓です。祖母の実家は、三矢姓でした。なんとなく、由緒のありそうな家でした。

みんな  由緒  がありそうですね。


西三河で「神谷性」といったら
やっぱり名家ですし
     友人宅は  揚羽蝶紋だったとか言ってたような。平家がどーたらとか。近所で源平合戦がどーたら、言ってましたっけ。

     神谷さんという人のイメージは「まじめで頭の良い人」です。知ってる人が全員それで く く れ ました。美女美男でしたしね。


それに「三ツ矢」って「並び矢」と同じようなものを感じますね。
当然  三矢さんの家紋は矢が3つなんでしょうかねえ?


三重県と愛知県
というか
伊勢湾を挟んでいますから

昔は交流があったのではないですか?


家康が鈴鹿越えして三河に帰った時も
伊勢の白子かあの辺りから  知多半島を目指して? 三河方向に船で逃げたのでしょ?


昔、鳥羽あたりに潮干狩りに行ったのかな?
懐かしく思い出しました。


わたくしが福地誠治クンを好きなのも名字のせいかもね。


以下コピペ:

愛知県に多い苗字の20傑
@鈴木A加藤B伊藤C山田D近藤E山本F佐藤G田中H渡辺I水野
J中村K林L杉浦M小林N石川O森P吉田Q竹内R高橋S後藤

名古屋という大都市を抱えているだけに全国各地の苗字が見られるが、多い苗字を見る限り苗字の分布はかなり個性的。

名古屋市では「鬼頭」、三河地方では「杉浦」「神谷」という苗字が特に目立つ。


これ、言えますね。
名古屋で鬼頭さんというと太閤さん以来の名門ですから。(「加藤鬼頭は太閤さん以来の名家」って)


三河では杉浦さんもスゴイですよね。
杉浦・神谷と聞くと、ああ、三河の大勢力だ、って。
[12]さなえさんからのコメント(2010年09月07日 10時15分18秒 ) パスワード

勝ってくださいギャンブラーさん

ふーん、私にはメジャーな苗字でも、たくさんたくさん歴史があるのですね・・・
伊勢や伊賀と普通に海から交流があった・・・そういうことですね。
イメージすると、なんだか嬉しくなりますね。

ありがとうございます。
[13]さなえさんからのコメント(2010年09月07日 11時12分11秒 ) パスワード

伊賀餅〜伊賀忍者〜ご先祖さま服部氏
ということで・・・スレッドと内容の違う感じですが(笑)・・・

いろいろと、思いをはせていると、今まで知らないことが解るんですね。

「伊水温故」に
(服部族ハ三流有リ 漢服部ハ平内左衛門相続シ平氏也。呉服部ハ服部六郎時定相続シ源氏也。アエ国服部ハ一ノ宮神事ヲ勤族也源姓)とあるそうです。{あえくにが漢字に出来ませんでした・・・さなえ}

伊賀者は元弘元年(1331)、後醍醐天皇が京都・笠置山に篭城した際にも参戦したそうです。この時代、悪党として伊賀の忍びと関係が深かったのは、南方朝の楠木正成なんだって〜、へええ〜です。

忍者渡来人説、伊勢神宮のユダヤ説のど・・・わかったことまた書きたいと思います。

パソコンが、ちっともやれない、さなえよりでした。

[15]Hattoriさんからのコメント(2010年09月07日 11時26分07秒 ) パスワード

横から書き込み失礼致します。名古屋に住んでいるHattoriと申します。

知多半島の先端からフェリーで10分くらいのところに篠島という島があります。ここは昔から鯛の良く捕れる所で、Wikipediaで調べますと1000年以上前から伊勢神宮内宮にこの鯛の塩漬けを奉納しているそうです。またこの島の神明社は伊勢神宮の式年遷宮の翌年に、伊勢神宮の古材を用いて建替えられるのだそうです。

現在は南知多町に属していますが、明治前までは三河国幡豆郡に属したそうです。

伊賀とまでは行きませんが、伊勢と三河の交流の一つを物語ることと思い、
ご紹介させていただきました。

すみません、訂正箇所があったので削除、再度書き込みさせていただきました。
[16]孝康さんからのコメント(2010年09月07日 23時58分14秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月14日 00時54分02秒
[17]ギャンブルが当分封印さんからのコメント(2010年09月08日 14時51分39秒 ) パスワード

さなえさん

>伊賀者は元弘元年(1331)後醍醐天皇が京都・笠置山に篭城した際にも参戦したそうです。
>この時代、悪党として伊賀の忍びと関係が深かったのは、南方朝の楠木正成なんだって〜、へええ〜です。

楠木正成のお姉さんが結婚してたのが服部某だった、とどこかで読んだり見たりしました。
その子孫がお能の観世家だって。

それでウイキをチェックして来ました:

昭和37年(1962年)に三重県上野市の旧家から『上嶋家文書』(江戸時代末期の写本)が発見された。
それによると伊賀国・服部氏族の上嶋元成の三男が猿楽(能)役者の観阿弥(觀阿彌)で、その母は楠木正成の姉妹であるという。
つまり正成の甥が観阿弥ということになる(これは偽系図ともいわれている)。
ちなみに観阿弥の息子世阿弥(世阿彌)は、服部氏の末裔と称し、観世氏を興したという。
[18]さなえさんからのコメント(2010年09月08日 20時20分30秒 ) パスワード

みなさんへ、ありがとうです。
いろいろと解るって、たのしいです。パソコンの使い方とか(笑)・・・

ところで・・・重大発表です。西湯舟の平泉寺の服部氏のお墓と、家紋が同じはずだったのですが・・・、よーく見ましたら・・・

うちのは、車(通称・源氏車)の模様が、6つに分かれてて・・・、あちらのは、8つに分かれてます。うちのご先祖様か、着物屋さんがまちがったとかあるかも・・・伊賀の湯舟の服部様と、遠い遠い昔、関係あったと思いたいです。はやとちり、ごめんなさい。

ところで、
おまんじゅうといえば、おいしいお茶ですねえ。伊賀は茶所、おいしい伊賀茶がありますね。三河の西尾市も、抹茶の生産で有名な所なんですよ。また一つ繋がりました。(うれしい)

また、
以前(スレッド・三河国服部氏)に、服部姓は渡来人説(エフライム工房さんなど)がありましたよね・・・、そのことですが、伊賀自体が、渡来人の里だったと言われてるのですね。伊賀北部の御墓山古墳は、渡来系の古墳らしく、「日本書紀」雄略天皇条に「伊賀の青墓」と記されていて(その物語は省略しますが)、渡来系の金属武器製造の技術者の存在をうかがわせる、との説がありました。敢国神社の祭神の少彦名命、金山比メノ命は鉄の神様で、渡来系の神様だそうです。鉄製造のための高温の火は、忍術の火術にも繋がると・・・。

忍者は、呪文を唱えたりするし、信仰心も厚かったそうですね。阿山地区に、役小角像が十数体祀られてるなんて、知りませんでした。また行きたいです。(にっこり)
[19]空の青海のあをさんからのコメント(2010年09月09日 05時37分08秒 ) パスワード

>うちのは、車(通称・源氏車)の模様が、6つに分かれてて・・・、あちらのは、8つに分かれてます。

ビミョーですね。

でも伊賀の服部一族が元だった可能性が大きいかもですね。


>うちのご先祖様か、着物屋さんがまちがったとかあるかも・・・

これは無いですよ。

「アイデンティティ」の問題ですから、御先祖さまは間違えないし、
呉服屋さんが間違えたら、絶対に、すぐに文句を言ったはずです。


うちの母も家紋の菊の花弁の数を着物を受け取ったらすぐに数えてましたよ。
これは重要な問題ですから。


>伊賀の湯舟の服部様と、遠い遠い昔、関係あったと思いたいです。

「6」と「8」に意味があったと思いますよ。
例えば6男の家とか8男の家とか。



>はやとちり、ごめんなさい。

いえいえ
色々分かってくるかも、
ですよ。


家紋は小さな違いに大きな意味が込められているかも知れないので
ホント
難しいです。
[20]もみじさんからのコメント(2010年09月10日 00時17分38秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月14日 00時06分35秒
[22]さなえさんからのコメント(2010年09月10日 11時10分32秒 ) パスワード

伊賀餅〜伊賀忍者〜ご先祖服部氏〜渡来人〜えー?天皇様も?

ってことで・・・無理やりですが、伊勢神宮とユダヤの関係の話します。

以前、服部は、ヘブライ語で「ハタ・トリブ」だと、ユダヤの失われた十支族だという話ありましたね?面白い話だなぁって思ったけど、あんまり本気にしてなっかたのね(笑)。(秦の始皇帝は、ユダヤ人だとか・・・)

こんな話があるんです・・・

天皇様のことを「みかど」っていいますよね?あれもヘブライ語で「ミ・カド」、ミはfromの意味で、カドは、カド族(ユダヤ)なんですって!!
それから、伊勢神宮の参道にある石灯篭の、御紋・六ボウ星(カゴメ紋)は、ダビデ大王のシンボル、菊の御紋は、ヘロデ大王の紋だそうです。???

カゴメ紋でいうと、伊勢神宮の別宮・伊雑宮の正式な紋らしいです。
三河の福地に、伊澤(伊沢)さんもいますから・・・

それから、日本の神殿とユダヤの神殿の、配置や禊の仕方までそっくりらしいのです。

わたしは個人的に、中矢伸一さんの本「日月神示」を読みました。ユダヤと日本の本は、いろいろ出てるらしいですね。

まったくジャンルは別ですが、DNAの研究では、ユダヤ人が日本にいると言う考えは、うそではないのですね。日本は、外国と違ってかなり多様なDNAが残っていますし、何度かに小分けして、いろいろな人が来ていることが解ってますよ。

みなさま、コメントいろいろありがとうです。
[23]さなえさんからのコメント(2010年09月10日 13時31分55秒 ) パスワード

DNAについて、誤解をまねく表現だったので訂正します。

現在の、ユダヤ人と日本人が、DNAが一緒という訳ではないですよ。

DNAからみた、人の流れ的に、ありえる・・・ということです。その辺は私より詳しい方、教えてくださいね。

古代ユダヤ人は、シュメール人でセム族で、アジア系の顔で、日本人に似てるらしいです。
[24]もみじさんからのコメント(2010年09月10日 20時55分52秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月14日 00時07分36秒
[25]さなえさんからのコメント(2010年09月10日 21時53分07秒 ) パスワード

もみじさんへ、
今の私には、ちょっと難しいですが、勉強になります。ありがとです。

DNA的には、古くは1万年以上まえに遡るので・・・どの時点かは解りませんし、ユダヤ教にしても・・・今の旧約聖書ができる前から、あるかもしれないので、可能性はあるとしか言えませんし、そう思うといろいろな考えが浮かんで楽しいな。と思ってますよ。

ところで、今日友人から借りた本を読んだら、大峰山の千日回峰行と役行者さんの話が出てきて、びっくりしました。伊賀忍者も信仰した、役行者さんではないですか・・・。

五條順教さんと塩沼亮潤さんの「<修験>のこころ」という本です。

本の中に、役行者さん、「父は高賀茂十十寸麿、母は高賀茂白専女で、賀茂一族の祖先は事代主神とされ、大国主命、素サ鳴尊にさかのぼる・・・」とありました。

また、びっくりしました。

それから・・・話し変わります(笑)、源義経が忍者だったとの説もあるんですね・・・不思議な世界ですね〜。
[26]さなえさんからのコメント(2010年09月10日 22時01分46秒 ) パスワード

hattoriさんへ

篠島も幡豆???だったなんてね〜、知りませんでした。

(奉納の話は、以前テレビで見た気がします。)

知らないこといっぱい知れて、うれしいです。
[27]もみじさんからのコメント(2010年09月11日 01時24分48秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月14日 00時08分30秒
[28]さなえさんからのコメント(2010年09月11日 07時19分43秒 ) パスワード

海の青空のあおさんへ

[18]の、ご先祖さまが・・・ですが・・・ほんとは、実家がまちがってるかも・・・でした。人のせいにしちゃうところでした(笑)。

前にも言いましたが、実家は、分家の分家の・・・ほんとの末裔ですので、素性もわからなかったんです。私が嫁入りの着物を作るとき、着物やさんにも見本が無くて・・・源氏車と矢の家紋を合体させて、「こんなかんじかも〜」と、やってたからです・・・すみませんです。

[29]さなえさんからのコメント(2010年09月11日 09時38分49秒 ) パスワード

もみじさんへ

もみじさんは、神様(尊)のことお詳しいので、
もみじさんから見た、中矢伸一著の「[地の叡智]日月神示」のご意見伺えたらうれしいです。大きい本屋さんなら、宗教・精神世界関係のところに普通に置いてありますよ。全部読まなくていいと思うので、一度見てみてくださいませ。

いつでもいいですし、無理にとは言いませんよ。よろしくです。

[30]孝康さんからのコメント(2010年09月11日 12時43分43秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月12日 12時05分26秒
[31]注ぎ込むだけのギャンブラーさんからのコメント(2010年09月11日 14時17分56秒 ) パスワード

さなえさん

あらら・・・
そういうことですか。

それでしたら、
本家に訊くとか
おじさま・おばさまに訊くとか
昔のアルバムで冠婚葬祭の写真を拡大して見るとか
押入れの袱紗とか
菩提寺のお墓で家紋を見るとかで

ハッキリすると良いですね。


結婚式の時はレンタル着物を着たりしますから女性の着物の家紋はヨソのだったりしますが
葬式の時には家紋は必需ですから、これは間違ってないと思います。
写真が手に入ると良いですね。
[32]さなえさんからのコメント(2010年09月11日 19時14分28秒 ) パスワード

孝康さんへ

わたしも、題名が気になってます(笑)。思いつかなくて・・・
でも、???インパクトは、ありますか?  変えても良いですよ。


勝ちますよギャンブラーさんへ

ありがとうございます。


伊賀忍者〜役行者(えんのぎょうじゃ)〜蔵王権現〜蔵王の伊賀餅{キターーーッ!}

伊賀忍者が信仰してた、役行者さまは、吉野山から熊野山一帯の大峯山と呼ばれる修験道で信仰された方で、ある日、お釈迦様と千手観音と弥勒菩薩が一つの姿「蔵王権現」になって現れて、それを本尊として祀ってるのですが・・・
その蔵王権現権現信仰がひろまって、全国の蔵王の地名の元となったらしいのです。スキーで有名な蔵王も・・・   なので、蔵王の伊賀餅とひとつ繋がりましたよ。(ぺこり)
[33]もみじさんからのコメント(2010年09月11日 21時23分04秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月14日 00時09分02秒
[34]もみじさんからのコメント(2010年09月12日 08時41分27秒 ) パスワード


>伊賀忍者〜役行者(えんのぎょうじゃ)〜蔵王権現〜蔵王の伊賀餅{キターーーッ!}

蔵 王 権 現 と 役の小角((ネット検索がほとんど(^_^))
修験道の神である蔵王権現を祭る神社は、明治時代の神仏分離のときに、
御嶽神社、
金峰神社(金峯神社)
蔵王神社などと改称された。

神道において、蔵王権現は「大己貴命、少彦名命」、「国常立尊、大己貴命、少彦名命」や、「安閑天皇(広国押建金日命)」、「日本武尊」あるいは「櫛真智命」、「金山毘古命」と習合し、同一視されたために、それらの神々を祭神とするようになった。

なお覚明、普寛が創始した木曽御嶽信仰に基づく神社は、上記と区別して「おんたけ じんじゃ」と呼ばれる。起源は蔵王権現信仰であるが別の信仰として分化している。

蔵王権現
蔵王権現(ざおうごんげん)は、日本仏教における信仰対象の一つ。
インドに起源を持たない日本独自の仏で、奈良県吉野の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊として知られる。権現とは「権(かり)の姿で現れた神仏」の意。

蔵王権現は、役小角(えんのおづぬ、7世紀頃の山岳修験行者)が、吉野の金峯山で修業中に示現したという伝承がある。釈迦、観音、弥勒の三尊の合体したものとされ、今でも吉野の蔵王堂には互いにほとんど同じ姿をした3体の蔵王権現像が並んで本尊として祀られている。

役小角自体が伝説的な人物であり、蔵王権現の造像が実際にいつ頃から始まったのかは判然としない。役小角は 賀茂氏である。
 
賀茂神社社家に 田中 林が ある。
賀茂のお明神様を 祭るのが 青海神社で  新発田藩主・溝口 が 出る。溝口氏は 熊本県相良藩主の 嫁方。相良家は 遠祖・藤原南家武智麻呂  
藤原南家は 母方に 蘇我氏の血を持つ。藤原南家武智麻呂の母が蘇我氏だということは、荒木田家嫡流伝承紀の作者があかしていた。

蘇我は 田中 林から出る。田中→遠祖・天津日子根命 曽我倉山田石川麻呂             林 →蘇我氏 鞍造り 林臣
   
    蘇我氏の血を引くのが 「聖徳太子」で、
    比企氏に 関与して出る大中姫
     (先代旧事本紀に 関与する 花山天皇子孫・中山氏の中山局が 安     産祈願した 西国信仰大本の宝塚 中山寺に 大中姫の墓がある。     この 姫は 大阪の 聖徳太子の寺にも眠っているという。)

 紫雲山中山寺奥院 兵庫県宝塚市中山寺
   中山寺の縁起(奥院前の掲示)によれば、聖徳太子は大仲姫のお告げによ   りこの山をお開きになりまして悲運の忍熊皇子の鎮魂供養の為・・・聖   徳太子が忍熊皇子の墓の蓋を開けたとき、白鳥が飛び出   し、岩間   より清水がわき出したのでその・・・

   垂仁天皇と白鳥
    垂仁天皇の皇子である誉津別皇子(ほむつわけのみこ)が 白鳥を見    て 言葉がしゃべれるように なった話。
    出雲の大神のたたりだったと 古事記は 伝える。

田中 林からは 鳳凰 白鳥などの 伝説に行き着くのだが、白鳥の槍 伝説(  平重盛)を持つ 平氏 には 佐田(中原)から 行き着く。

鞍馬には 天狗がいるが、鞍馬の護法魔王尊は 毘沙門天のことで650万年前に 金星から 来たという伝説を持ち、天狗は 天津狐と 鳥の 間の子 という話があり、狐は 夏の国の九尾の狐。 鳥も 鳳凰として 夏の国の シンボルとして 
夏国が でてくる。
                  
 知立神社  より
合祀 聖徳太子
配祀 青海首命. 愛知県知立市にある。
国家的由緒あるお社であって、後世、文化の恩神聖徳太子を合わせ祀り、
相殿には当碧海地方開拓の祖神青海首命をもお祀り申し上げてあります。 ...
奴奈川姫の決断
その一族を率い、北陸道を北進して来たのが青海首(おうみのおびと)の御戈命(みほこのみこと)であった。
青海首の祖先は椎根津彦命(しいねつひこのみこと)で大和直族の祖

この 子孫 紀伊 などに 話があり
孝元天皇子孫 ・ 武内宿禰など 話があり(武内は田中)佐田とからまり(紀伊は佐田)
 林が 出る。ここら 話がながくなるので 割愛。

ここらからは 
賀茂の 玉依姫なども からまり 
賀茂氏祖先は 高御産巣日神 神魂神 などに 行き着く。

石山寺
石山寺には 宇都宮信房がいた。真言宗の僧だと 仏教辞典にある。

滋賀・石山寺には、本尊・如意輪観音の両脇侍として「金剛蔵王像」と「執金剛神像」が安置されていた。これらの像は、正倉院文書によれば天平宝字6年(762)制作されたものであるが、正倉院文書には両脇侍の名称を「神王」としており、「金剛蔵王」の名称は平安時代の記録に初めて現れる。これらの像のオリジナルは現存していないが、「金剛蔵王像」の塑像の心木が現存しており、右手と右脚を高く上げた姿は、後世の蔵王権現像と似ている。

吉野から出土した、国宝の「鋳銅刻画蔵王権現像」(東京・西新井大師総持寺蔵)は、銅板に線刻で蔵王権現などの諸仏を表わしたもので、長保3年(1001)銘があり、この頃までには蔵王権現の図像も確立していたことがわかる。

神仏習合の教説では安閑天皇と同一の神格とされたため、
明治時代の神仏分離の際には、本山である金峯山寺以外の蔵王権現を祀っていた神社では祭神を安閑天皇としたところも多い。

安閑天皇
雄略天皇10年(466年) - 安閑天皇4年12月17日(536年1月25日))は、第27代の天皇(在位:継体天皇25年2月7日(531年3月10日) - 安閑天皇4年(535年)12月17日)。

継体天皇に譲位されて即位する。そのとき既に66歳であり、わずか4年で崩御した。 安閑天皇の治世の出来事としては、屯倉の大量設置(30ヶ所以上に上る)、それに伴う犬養部の設置が挙げられる。

なお、『日本書紀』に引く「百済本記」(「百濟本記爲文 其文云 大歳辛亥三月 軍進至于安羅 營乞乇城 是月 高麗弑其王安 又聞 日本天皇及太子皇子 倶崩薨 由此而言 辛亥之歳 當廿五年矣」)によれば、531年頃に天皇と太子・皇子が共に薨去したという所伝があるという。
このことから、継体天皇の死後、安閑天皇・宣化天皇の朝廷と欽明天皇の朝廷が並立し、二朝間で内乱があったのではないかとする説もある(「辛亥の変」説)。

磐井の乱とは
527年(継体21)に朝鮮半島南部へ出兵しようとした近江毛野(おうみのけな)率いるヤマト王権軍の進軍を筑紫君磐井(つくしのきみいわい)がはばみ、翌528年(継体22)11月、物部麁鹿火(もののべのあらかい)によって鎮圧された反乱または王権間の戦争。

刈田神社

なお、山形県と宮城県の県境にある日本百名山の蔵王連峰は、古くからの山岳信仰の対象であり、平安時代中頃には空海の両部神道を唱える修験者が修行するようになった。吉野の蔵王堂より蔵王権現を勧請してもらい、蔵王山頂にある刈田岳神社と、麓の刈田嶺神社に併置したところから名前の由来がきている。

刈田嶺神社は、明治の廃仏毀釈以前は神仏混淆の修験道の金峯山寺という文字通り寺であったという。
なお刈田岳、刈田嶺神社の蔵王権現は、大峰、吉野山金峯山寺に向かって鎮座しているという。
さらに遡ると第一代天皇とされる神武によって滅ぼされた大和(倭国)の王、ナガスネ彦が殺され兄の安日彦(アビ彦)が東北に逃れ連合体として東北王朝を築き、ナガスネ彦を祀ったのが「蔵王権現」の発祥とみられる見解も近年有力説とされる。山形県の花笠踊の笠の花が「桜」であり本来「蔵王権現」をお祭りする行事である事や蔵王信仰の御神木が「桜」であることも、この説を裏付ける根拠ともなっている。
蔵王山周辺や以北を丁寧に探すと、4メーターにもおよぶ木造の歴史ある蔵王権現が蔵の中にひっそりと祀られていたり、現在でもかなりの数の「蔵王権現」が存在する。

浅間神社
浅間神社(せんげんじんじゃ、あさまじんじゃ)は、
富士山の神霊浅間大神と木花咲耶姫命を主祭神とし、
富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)を総本宮とする神社である。
日本全国に約1300社ある。
中には、木花咲耶姫命の父神である大山祇神や、姉神である磐長姫命を主祭神とする浅間神社もある。浅間神社の中には、浅間造と呼ばれる特殊な複合社殿形式を持つものもある。

浅間神社の語源については諸説ある。

「浅間」は荒ぶる神であり、火の神である。
江戸時代に火山である富士山と浅間山は一体の神であるとして祀ったとする説。

「浅間」は阿蘇山を意味しており、九州起源の故事が原始信仰に集合した結果といわれている。

「アサマ」とは、アイヌ語で「火を吹く燃える岩」または「沢の奥」という意味がある。また、東南アジアの言葉で火山や温泉に関係する言葉である。例えばマレー語では、「アサ」は煙を意味し「マ」は母を意味する。その言葉を火山である富士山にあてたとする説。

坂上田村麻呂が富士山本宮浅間大社を現在地に遷宮した時、新しい社号を求めた。
この時、浅間大社の湧玉池の周りに桜が多く自生していた。そのため同じく桜と関係の深い伊勢の皇大神宮の摂社である朝熊神社を勧請した。この朝熊神社を現地の人々が「アサマノカミノヤシロ」と呼んでいたため、その名を浅間神社にあてたとする説。

富士山そのものを「垂迹浅間大菩薩」として信仰していたためとする説。
様々な説があるが、はっきりしていないのが現状である。


甲斐国府
甲斐国の国府は、はっきりしない。国府の遺構が発見されていないのだ。
とにかく、和名抄には「甲斐国府在八代郡」とある。
甲府と言うから甲府市が甲斐の国府かなと思っていたけれど、これは違った。
甲府から東へ向かい石和の町を過ぎると、笛吹川に出る。
この笛吹川を挟んで、南北に国府と国衙という地名がある。

甲斐国府はどこか。学説は別れているが、10世紀に成立した和名抄には、
甲斐国府は八代郡に在りと明記されているので、平安時代には八代郡の御坂町国衙地区にあったことは間違いなかろう。

甲斐奈神社(甲斐総社)

甲斐総社は甲斐奈神社である。式内社であり由緒は正しい。
しかし、甲斐国府と同様に、甲斐奈神社も二つあるのだ。まずは一宮町橋立にある甲斐奈神社だ。
本殿
小型だが質の高い彫刻が施された本殿。複式の「入母屋造り」は珍しい建築様式だ。
祭神は「国常立命」「高皇産霊命」「伊邪那岐命・伊邪那美命」

今までで 一番 古い 祭神の ようだ。

江戸期までは、祭礼の日に笛吹川東にあるすべての神社の神主が、この社に集まり五穀豊穣を祈ったという。別名は「橋立明神」

浅間神社(甲斐一之宮)
国分寺跡を東北にのぼり、大石川を渡ったところが、甲斐一之宮「浅間神社」(アサマジンジャ)である。

三代実録に拠れば、清和天皇の貞観6年(864)5月25日富士山が大噴火した。
これは、駿河国の浅間神社の祭祀の怠慢のためであるとのことで、反対側の甲斐国でも浅間神社を祀ることにした。貞観7年(865)12月9日、詔して甲斐国八代郡に浅間神社を祀るとある。

本殿
祭神はもちろん木花咲耶姫。富士の霊峰である。
しかしこの宮は東に向いていて
南にある富士山には向いていない。不思議なことだ。

武田神社(躑躅が崎館跡)
甲府市内へ入って、北に向かうと武田神社だ。
風林火山でおなじみの躑躅が・館の跡である。

※賀茂氏も 高御産巣日神 神魂神を 祖先神とした。
  橋立明神は 「国常立命」「高皇産霊命」「伊邪那岐命・伊邪那美命」を  祭神としている。
        


[35]さなえさんからのコメント(2010年09月13日 21時18分41秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月14日 09時01分49秒
[36]もみじさんからのコメント(2010年09月14日 00時05分15秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月14日 00時16分00秒
[37]ときおさんからのコメント(2010年09月14日 01時09分27秒 ) パスワード

ミズスミス様へ

東京オリンピック前に読んだ本(戦前に書かれた中山忠直の本)以来、これらのテーマに着目をしてきました。ちょうど新たな人物の書籍を読んでいる最中でした。
米国の国策からの宣教師として日本の敗戦と共に来日したKenn Joseph SrとKen Jyoseph Jrの「聖書の国・日本」と言う本です。さほどの目新しさは無いなと思って見ていましたがかなり違っていました。宣教師としての目がすばらしいです。ご本人の祖父母はアッシリア東方キリスト教徒(景教徒)で迫害を逃れて渡米した人で、その子孫でクリスチャンでもあるのです。ネストリウス派のことですが、ネストリウスと言うのはどうも間違った言い方の様です。

私としては、この本に記載されている「キリスト教茶道」の項目がなるほどと感心したところです。旧約聖書・聖書を引用して解説しています。じつに面白いです。千利休はそのために死んだのか??です。

景教徒の来日もよく知られて居るところです。この本ではその前に原始キリスト教徒が199年に約2万人の従えて来ていると断言しています。もちろん秦氏ですね。もちろん景教徒(ネストリウス派の宣教師)は515年伝来と言い切っています。

卑弥呼の時代のちょっと前に成りますね。凄いことに成りますね。

この本の巻末に、世界の老若男女に分かるように英文で書かれています。
「5次元文庫」という聞き慣れない出版社から出ていました。
[イラスト新版]聖書の国・日本」ケン・ジョセフ・シニア&ジュニア

追伸・・・やっぱ あを様のほうがよろしいでしょうか・・・?。ふじこそをあきらめました、ときお より
[38]ときおさんからのコメント(2010年09月14日 01時16分00秒 ) パスワード

もみじ様へ  
消されたのですね 残念・・・ですが下記のことをお伝えします。
>真壁郡余野下村
真壁は間違いです。→真庭郡が正解です。旧国名郡だと「大庭郡」です。

上記に、非常に濃い関係者です。出来たら「ごさんべえ」の「さがしています」のところ書き込んでいただけましたら、返事が安心して出来るのですが。それほどのネタは持ってはいませんけどね。

清盛公・重盛公に仕えていまして、北陸征討軍では戦目付の「軍監」を仰せつかった者の子孫に当たります。
[39]Ms. Smith(笑)さんからのコメント(2010年09月14日 01時24分52秒 ) パスワード

ときおさん


Ms. Smith です。



調べて来ました。



景教とは中国語で光の信仰という意味であり、景教の教会を唐の時代、大秦寺という名称で呼んでいた。

なお、中国景教の研究により1941年に東京帝国大学より文学博士号を授与した佐伯好郎によると、一説に渡来民族である秦氏によって日本にも景教が伝わったともいわれる。

中国ではダビデを漢訳して大闢と書くが、秦氏は西日本の日本海各地に大避神社と号する神社を建立し、また京都の広隆寺の隣に秦始皇帝を祭神の1つとして建立した大酒神社も、昔は大辟、さらにさかのぼると大闢と号していたと報告。


また同神社が管理している木嶋坐天照御魂神社にある「三柱鳥居」という珍しい鳥居は三位一体を表わし、また「いさらい井戸」はイスラエルの転訛で、したがって旧約聖書に登場する失われた10支族の末裔ではないか、などと推察している。



しかしこれには多くの異論があり、偽言語比較論やオカルトの一種として否定する向きも多い。(→日ユ同祖論)
[40]Ms Smithさんからのコメント(2010年09月14日 08時18分52秒 ) パスワード

ときおさん

5次元って?

4次元は「時間」が超越できるんでしたよね。
5次元って何が加わるんだろう。無重力?物が壊れない?何だろう?


「ふじこそ」研究は諦めるんですか?
逆に古代半島語を勉強なさるのかと思ってましたよ。



人間は「足」がありますから
アフリカのサルみたいなのが世界中に散らばって
いろいろな人種になって
日本にも来て
日本の中でも移動して
今に至る、ですね。


真庭郡の元の名は大庭郡でしたか。

平家の大庭さんと関係があったのでしょうか?
ま、岡山あたりは平家の力の及んだ所なので、平家がらみの苗字が(も)散らばっているんでしょうね。

今は移動がすごいことになっているからワケ分からなくなっているけど
昔は苗字を聞けば(どこの誰)とスグに分かったんでしょうね。


宗教って自然発生したもので
そこから一神教というのが出て来たんじゃないのかな?

コーランでもキリスト教とユダヤ教は宗教として認めているそうで
この3つは要するに同じ「神」を信仰しているわけで。


景教については学校で習いましたよ。
ゾロアスター教なんかも。


大陸は繋がっているからごちゃ混ぜなんだろうなって思います。
魅力がある物は日本に定着したのだろうなって。


だけど不思議なのが
日本人がユダヤ人と同祖として
   片や  土地を持たない(持てない流浪の)民族
   片や  土地信仰・土地神話の民族
この両極端差には驚き呆れます。

ま、持てなかった人が持てるようになると「執着」しますからね。
ユダヤ人が日本に流れ着いて日本で土地を持てるようになると「土地信仰」になったか、と。
[41]さなえさんからのコメント(2010年09月14日 08時59分53秒 ) パスワード

おはようございます。

役行者さんの開いた、吉野の信仰と徳川家康の話、します。

役行者さんは、634年、奈良県南葛城郡葛城村にて、お生まれになったそうです。実在の人物か・・・は、「続日本記」に名前が出ていて間違いないのでは・・・とのことです。その当時、()明天皇8年から天武天皇までの時代天変地異が頻発・・・「なんとかしなければ・・・」との思いで・・・
しかし、既存の宗教からねたまれ、異端視された・・・でも、民衆の心をつかんでいった・・・   ってよくある話ですね。

その本拠地となった吉野ですが、
義経をかくまったり、後醍醐天皇のお見方をしたり(金輪王寺は後醍醐天皇の皇居になった)・・・

徳川時代になって、その力を恐れた家康公は、金輪王寺を日光にもっていったり、「家康の懐刀」の天海僧正を吉野に派遣して、壊滅的なダメージを与えたと・・・いわゆる山伏の悪いイメージもこの時代に作られた・・・と

このあたり・・・、伊賀忍者のイメージの悪さにつうじるし、織田信長からはじまり・・・家康の時代に伊賀者が力を持たないように、旨く分散された感じがしました。


もみじさん、ときおさん、Ms.Smithさん・・・私ばかよね(古!何歳?)超難しいですよ(笑)。

ちなみに中矢伸一さんは、個人的にオカルトと思ってないです。中立的に研究されている方だと思ってます。なので、全部が正しいと思う必要も無いです・・・
読み物として、楽しんでます。ただ・・・内容が内容なので・・・内容が無いよう・・・なんちゃって(あたた・・・)北斗の拳でもない(笑えない・・・)
[42]もみじさんからのコメント(2010年09月14日 11時34分47秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 13時37分19秒
[43]Ms Smithさんからのコメント(2010年09月14日 18時15分37秒 ) パスワード

もみじさん

Ms Smithです。笑


以下コピペです:

突厥には2つの伝説がある。

1.匈奴の別種と思われるある部族は、隣国に滅ぼされ、1人の男児が取り残された。しかし、その男児も忍びないということで足を切断され、野原に棄てられた。そこへ一匹の雌狼がやってきてその男児を育て始めた。やがて成長したその男児と雌狼は結ばれ、子をはらむこととなった。しかし、隣国の王はあの時の男児が生きていることを知ると、すぐさま刺客を送り、男児を殺させた。刺客はついでに傍らにいた雌狼も殺そうとしたが、逃げられた。雌狼は高昌の北山(ボグダ山脈)に移り住み、その洞窟の中で10人の子供を産んだ。やがてその10人の子供たちはそれぞれの姓を持つようになり、阿史那氏もその一つだった。数世代を経て、彼らはようやく洞窟の外へ出て柔然に臣従した。柔然の支配下では鉄工に従事し、彼らが住んでいた金山の形から突厥と号すようになった。


2.突厥の先は索国から出て、匈奴の北に在った。その部落大人(たいじん:部族長)は阿謗歩といい、兄弟が17人いた。ある時、阿謗歩らの性格が悪かったため、その部落は滅ぼされた。阿謗歩の兄弟の一人に伊質泥師都という者がおり、彼は狼から生まれ、風雨を呼び寄せることができたという。伊質泥師都は夏神の娘と冬神の娘の2人を娶り、四つ子を生んだ。そのうちの一人である大児は、ある時阿謗歩の部族を寒露から助けたことから主(あるじ)に推戴され、訥都六設となり、突厥と号した。訥都六設には10人の妻がいて、そのうちの10番目の妻が阿史那氏といった。訥都六設が死ぬと、阿史那氏の子である内欲擇が後を継ぎ、阿賢設と号した。


これら2つに共通することは、狼から生まれたということであり、こうした狼祖伝説は高車にも見られる。


*狼が関わる有名な伝説といったら「ローマ」ですが。
[44]さなえさんからのコメント(2010年09月14日 21時52分26秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月16日 13時16分40秒
[45]もみじさんからのコメント(2010年09月15日 00時50分17秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 13時55分48秒
[46]もみじさんからのコメント(2010年09月15日 18時46分46秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 13時47分19秒
[47]もみじさんからのコメント(2010年09月15日 19時29分34秒 ) パスワード

ときおさんへ
「ごさんべえ」の「さがしています」に 投稿してみました。やりかたが悪かったのか同じような内容のものが 二つあります。(ー_ー)

 こちらの 歴史資料館で 佐々木道誉=京極道誉だと みました。京極へ到 る 西園寺の筋があります。 
[48]もみじさんからのコメント(2010年09月16日 15時35分36秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 13時58分07秒
[49]もみじさんからのコメント(2010年09月16日 15時47分59秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 13時59分23秒
[50]もみじさんからのコメント(2010年09月16日 15時50分23秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 14時00分56秒
[51]もみじさんからのコメント(2010年09月16日 15時52分14秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 14時02分39秒
[52]もみじさんからのコメント(2010年09月16日 15時55分30秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 15時11分56秒
[53]もみじさんからのコメント(2010年09月16日 15時58分41秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 15時13分17秒
[54]もみじさんからのコメント(2010年09月16日 16時01分08秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 15時15分23秒
[55]もみじさんからのコメント(2010年09月16日 16時02分41秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 14時01分51秒
[56]もみじさんからのコメント(2010年09月16日 16時04分46秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 13時56分19秒
[57]もみじさんからのコメント(2010年09月16日 16時11分39秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 14時03分28秒
[58]さなえさんからのコメント(2010年09月16日 19時09分28秒 ) パスワード

もみじさんへ

たくさんありがとう。一度に理解できないと思うので、ゆっくり繋げていきますね。

私は、この前、伊勢神宮による前に、瀧原宮にも行ったのね。すごくすてきなところだったのだけど、何かわかりますか?

それから、愛知県額田郡幸田町(おとなり)に、貴嶺宮(きれいぐう)というのがあるの・・・、わかります?

質問、許してね。
[59]もみじさんからのコメント(2010年09月16日 19時21分14秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 15時17分39秒
[60]さなえさんからのコメント(2010年09月16日 21時52分59秒 ) パスワード

スレッドの内容と、違いますが・・・
素敵な本の紹介を、させて下さいね。
小林晴明・宮崎みどり著「古事記のものがたり」です。稗田阿礼さんが、現代人に解る言葉で話して下さいます。サン・グリーン出版から出ていますが・・・一般の書店にはありませんので、直接問い合わせて下さいね。tel.
0721-90-3669です。

それから、ついでみたいですが・・・(笑)。
小林正観さんの本は、やっぱりいいですね。

[61]さなえさんからのコメント(2010年09月16日 22時03分01秒 ) パスワード

伊賀餅・・・について

どんなお餅なのかよく分からない・・・とのコメントいただきます。

「日本いがもち研究所」で、検索されるとおもしろいと思います。
[62]さなえさんからのコメント(2010年09月17日 08時47分55秒 ) パスワード

伊賀餅・・・について

伊賀上野の中之立町通りに「七福神ういろうかぎや餅店」があります。そこにまさしく伊賀の伊賀餅がありますよ。(前回旅したとき、びっくりしすぎて店主さんに、言われなど聞くのわすれましたよ〜。)

その隣にある、「むらい萬香園」さんでは、伊賀茶をいただきながら・・・忍者のお話が聞けますよ。ぜひ、声をかけてみてくださいね。

また、その斜めむかいにある、「昭和ハウス」さん、焼きそばがおいしい店なんですが・・・なんでも・昭和のレトロな日常道具を、今人気の映画に貸し出しする不思議な店です。

機会がありましたら・・・行ってみてくださいね。
[63]もみじさんからのコメント(2010年09月17日 20時24分55秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 15時14分04秒
[64]もみじさんからのコメント(2010年09月17日 20時30分52秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 15時10分35秒
[65]もみじさんからのコメント(2010年09月17日 20時48分34秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 14時04分24秒
[66]もみじさんからのコメント(2010年09月17日 20時59分02秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 13時52分57秒
[67]もみじさんからのコメント(2010年09月17日 21時18分39秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 13時52分00秒
[68]もみじさんからのコメント(2010年09月17日 21時47分07秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 13時45分59秒
[69]さなえさんからのコメント(2010年09月18日 06時27分56秒 ) パスワード

もみじさんへ

確かに、貴嶺宮は、萩と言う地名にあります。
最近、ここ幸田に移ってきたの。

たくさんのこと調べていただいてありがとう。一度に理解できないことは、解ればそのとき、コメントさせてください。
[70]さなえさんからのコメント(2010年09月18日 06時51分00秒 ) パスワード

伊賀餅の仮説(私の妄想)・・・

忍者って、ほんとはあの黒い衣装で、いつも走って、ドロンとかやってたわけじゃない・・・って、知ってる人は知ってますよね?

忍者あるいは伊賀者は、一般庶民に紛れるように、変装してたんでしたよね?

そこで、伊賀餅について、仮説なんですが、

ある伊賀者が、追っ手から逃げたり、情報収集のために、異国の町に入るよね?そこでは、お互い顔も知らない忍びが・・・いつか連絡できるように、まってるわけ(あくまで想像です)・・・ある者は、饅頭売りの行商に化けたとするよ・・・お客に化けた伊賀者は、お互い顔知らなくて、言葉交わさなくても、そのときの饅頭の上の米の色や数で・・・情報が解っていたんじゃないかなぁ?

伊賀餅がそのまま伊賀の餅って言われないのも訳がある気がしてね〜。何で、毬栗だとか稲花餅とか名前違うのかな・・・?ってね、伊賀のままじゃ、ばればれだものね。

この仮説、機会があれば・・・旅してたしかめたいですが・・・隠居生活になってからかもですね。今は、なにかに余裕のない年頃ですのよ。


[71]さなえさんからのコメント(2010年09月18日 07時11分31秒 ) パスワード

私もカルト仲間な話・・・

実話私、ものごころついたぐらいからうなされる「夢」があったんです。
内容は、いっつも知らない町並みを、ずーっと歩き続けるんですね。ずーっとです。景色は、時々は「あ、前も来た(現実の記憶として)」と思いますが、ほとんどは知らない場所なんです。人とは会話しません。時々、誰かに渡さなきゃいけない者(何か)を、もってるのですが・・・途中なくして必死に探すこともありますし、来た道を引き返して迷子になります・・・、目が覚めても・・・すっきりしません。そんな夢でした。

最近私自身に変化があり、「これからは、出会った人とお話しよう」って思ったんですね。実は今朝、それができました!やっとすっきりしました。

私の解釈ですが・・・前世かご先祖様が、目立たず人と会話せず・・・ひたすら逃げ延びた・・・いつ遭えるか解らない仲間を待った・・・そんな記憶の断片だと・・・

ここに、書き込むうちに、解った気がします。ありがとうございました。

[72]さなえさんからのコメント(2010年09月18日 07時22分56秒 ) パスワード

もう一つの、それオカルトと関係ある?敵な話・・・

実は私、海の近くに住んでいながら・・・「あさり」とか「しゃこ」「たこ」「いか(するめはOK)」魚介全般苦手だったのね・・・おいしいとは思うんだけど・・・すすめられて無理して食べると、身体が受け付けなくて、出てしまうの(ごめん)。

これも、前世・・・伊賀とか山奥に住んでたら・・・納得ですよ〜。

わたし、山菜やそば、木の実、雑穀・・・大好きなのよね〜。

やっぱり、前世かしらね???
[73]さなえさんからのコメント(2010年09月18日 07時30分32秒 ) パスワード

私のコメント、

誤字脱字多くて、ごめんなさい。穴があったら、入りたいです。
[74]もみじさんからのコメント(2010年09月18日 15時10分33秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 13時46分48秒
[75]もみじさんからのコメント(2010年09月18日 20時25分29秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 13時44分45秒
[76]もみじさんからのコメント(2010年09月18日 21時39分34秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 13時35分32秒
[77]もみじさんからのコメント(2010年09月18日 22時29分33秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 13時33分21秒
[78]もみじさんからのコメント(2010年09月18日 22時46分06秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 13時29分55秒
[79]さなえさんからのコメント(2010年09月19日 13時26分33秒 ) パスワード

もみじさんへ

こんなに、たくさんのこと調べてくれたんですね?
ありがとうございます。

オカルトの話、勢いで書いちゃったから・・・私は、すっきりしたけど・・・
もう相手にしてくれないかと・・・勝手にメゲてましたよ〜。

「りんまん」って、おもしろいですね?新たな見解だし・・・

それから、いつも・・・漢とか百済とか、渡来系の影響があるのは、なぜ?でしょうね〜?  これも、ご先祖様(または前世)が、なにか言いたいのかな?

きれいなお饅頭って言ってくれて、なぜかうれしくなりました。ありがとう。
[80]さなえさんからのコメント(2010年09月19日 13時30分34秒 ) パスワード

もみじさんの見解からすると・・・、結局、三河の服部氏(たぶん先祖は伊賀忍者)は・・・どこから来て、なに氏と関係がありますか?
[81]もみじさんからのコメント(2010年09月19日 15時03分05秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 13時26分49秒
[82]もみじさんからのコメント(2010年09月19日 18時59分39秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 13時29分12秒
[83]もみじさんからのコメント(2010年09月19日 19時04分03秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 13時22分33秒
[84]もみじさんからのコメント(2010年09月19日 19時07分33秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 13時24分30秒
[85]もみじさんからのコメント(2010年09月19日 19時15分33秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 13時23分29秒
[86]もみじさんからのコメント(2010年09月19日 19時18分57秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 13時21分32秒
[87]もみじさんからのコメント(2010年09月19日 19時28分05秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 13時20分41秒
[88]もみじさんからのコメント(2010年09月19日 19時30分54秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 13時18分57秒
[89]もみじさんからのコメント(2010年09月19日 22時00分02秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 13時17分50秒
[90]もみじさんからのコメント(2010年09月19日 22時38分43秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2010年09月20日 13時16分12秒
[91]ときおさんからのコメント(2010年09月19日 23時59分08秒 ) パスワード

林饅頭・・・・・なんですが・・・・

何でも「何処かのお国起源」に毒されて居るのでは無いでしょうか。
そのうちに軒を貸して・・・・に成るに、成らなければ良いですけ
どね。

奈良市の林神社に祀られている「林浄因神像」の林浄因の林だと
思いますよ。この人は中国浙江省杭州市西湖のほとり生まれた人
物のようですよ。
来日は北条時宗の時代のようです。亡命ですね。直系の子孫の方
や傍系に成った子孫も存在するようですよ。

今は手に入りにくいと思いますが、大きな図書館には有るかも知
れませんね。
もちろん、楠木正成・正行も生存していて出てきます。伊賀・甲
賀や伊予の国も出てきたと思います。

全部で443ページにも及ぶ本です。

「鬼の太平記―まんじゅう伝来史―」沢史生 彩流社
1992年11月25日発行(平成4年)

ぜひ読んでみてください。おもしろいですよ。
[92]ときおさんからのコメント(2010年09月20日 00時35分03秒 ) パスワード

永遠のミスあを様へ

美作国人従八位下白猪大足賜姓大庭臣
白猪屯倉に因む白猪臣・三宅臣・大庭臣も吉備一族とみられます。
和気清麻呂・吉備真備も吉備氏の流れですね。また我が一族もです。

地方設置最古の屯倉で正式に書籍上確認出来るのが、西暦555年
の白猪屯倉設置です(日本書記)。
大庭の地域は、こんなにも古くから朝廷の直轄地として存在してい
るのですよ。だから、平家とも大いに関係有ると思います。
[93]永遠のミスあを(笑)さんからのコメント(2010年09月20日 04時27分02秒 ) パスワード

ときおさん

ありがとうございました。
ぺこり


わたくしとしましては大庭姓は坂東八平氏の(千葉・上総・三浦・土肥・秩父・大庭・梶原・長尾)の大庭姓かと思いましたが

その前に岡山の大庭姓があったのですねえ。

そう言えば 岡山には  庭 の漢字のつく場所がありましたね。
[94]空の青海のあをさんからのコメント(2010年09月20日 04時30分21秒 ) パスワード

このスレッドはまもなく 100 を超えますので
新しくスレッド 仮称 「伊賀餅と伊賀忍者の関係 2」 を立ててください。
100になりましたらスレッドを停止させていただきます。

スレッドが重くなりますと管理人さんが大変になりますから。

[95]もみじさんからのコメント(2010年09月20日 12時58分02秒 ) パスワード

一人でしゃべりまくって ごめんなさい(ー_ー)ぺこり
 応仁の乱が都で起こった際京都では商売が出来なくなり林浄因の子孫が三河の国(現在の愛知県新城市塩瀬)塩瀬村に疎開したことから始まります。
 かつて塩瀬村は塩瀬氏という三河国の豪族が土着し勢力を持っていた地域で以来屋号を「塩瀬(しおせ)」として現在に至ります。
また、さまざまな土地で「塩瀬」を屋号としたお店がありますが弊社を主とし昔で言う「のれん分け」をした為で差別化の意味もこめて「塩瀬総本家」と会社名を設定いたしました。
創立者の林浄因が始め京都に来日し、その後奈良に移り住み、三河に疎開し江戸幕府開府とともに江戸へうつり住みました。って ネットに出てました。

忍者は おしゃべりだったと思います。しゃべって 情報を引き出す・・・

スレッドが重くなると ・・・ って 、文字がおおくなると ということでしょうか? 娘にいうと また 怒られそうなので・・・
これくらいの 文でいいでしょうか?
[96]さなえさんからのコメント(2010年09月20日 13時14分44秒 ) パスワード

はい、

では「伊賀餅と伊賀忍者の関係 2」へ、移行します。



ときおさん、
「鬼の太平記〜〜」おもしろそうですね。ありがとうございます。
[97]空の青海のあをさんからのコメント(2010年09月20日 14時55分48秒 ) パスワード

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