[1] | 空の青海のあをさんからのコメント(2010年02月22日 14時59分43秒 ) | パスワード |
渡部さんへ
はじめまして。
サッパリ分からなかったです。
他の方からレスがつくと良いですね。
家紋については下の画像を参考になさってください。
http://mizuhikisaikusi.blog83.fc2.com/blog-entry-54.html
どこがどう違うのかサッパリ。
笑
差については
<正方形の隅を立てたような形が花角、ひし形状なのが花菱>
日本語なのに意味不明。
笑
でも昔は「ちょっとの差」がアイデンティティを示していたのですから
詳しい方には「差」が分かるんでしょうね。
謎
渡部氏についても分からなかったです。
嵯峨源氏で有名な渡部さんなのかしら?
それとも伊勢国度会から分かれた?渡部さんということで平氏を称していらっしゃるのかしら?
それとも平家に仕えたことから平氏を称していらっしゃるのかしら?
日高氏も平氏系では分からないのですが
九州で平家に仕えていたのかしら?
家紋からでは家のことは分からないですよ。
1家に1紋というわけじゃないですから。
今に伝わるのが剣花菱とか剣花角とかなんでしょうけど
何時から伝わったのが分からないとね。もしかすると明治以降かも知れないし。
>祖父の出身地は鹿児島の種子島の近くの小さな島です。
最近何かで「種子島さんは平」という文字を見ましたが
夢だったのかしら?
非常にオカルト的なものを渡部さんのこのスレッドに感じました。
それで御縁ということで全く分からないのに書いてしまいました。
九州の種子島だったら平家が落ち延びた先というのが状況証拠的に分かります。
そう思いましたから。夢の中で?
平氏と平家は用法がちょっと違いますからお祖父さまがどういう意味で平氏とおっしゃってたのか
わたくし個人にはサッパリ分からないです。
平氏は桓武天皇の子孫で坂東に行った坂東平氏全般を指しますが
平家は坂東平氏の中から伊勢伊賀に行って政権を摂ったグループですから
平氏なのか平家なのか、でも話が違ってきます。
坂東にそのまま残った平氏は頼朝方に付きましたし
平家に付いた坂東平氏は負けたり京都へ行って平家方に組みしたり
いろいろです。
お祖父さまのおっしゃってた「平氏」というのはどういう意味の平氏だったのか
そこがハッキリしないと・・・
でも三島の平氏さんでしたら
鹿児島の教育委員会から史料を頂いたら良いのですよ。
かなり詳しく平氏がいた記録があるかも。
教育委員会はいろいろな情報を持っていますよ。
三島村にも問い合わせてみてはいかがでしょう?
どなたか詳しい方からレスがありますように。
[2] | 日本の苗字七千傑さんからのコメント(2010年02月23日 01時39分39秒 ) | パスワード |
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/ |
渡部さんへ
花角も花菱も多くの家が使用しており、特に意味はない。
花角は三条家や滋野井家など藤原公季流の家紋として有名。
花菱は清和源氏武田氏族の代表家紋として有名。
上古の渡部氏は品部として渡船を職とした集団だが、
後世の渡部氏は嵯峨源氏渡辺氏と同じで六十余州に繁衍。
薩隅の名族日高氏は清和源氏にして、源満仲の子源賢三代の裔義正が紀州日高郡を領して称する。
後裔が建久5年薩摩に下向して薩隅に繁衍。
これとは別に薩摩七島に平有盛(重盛の子)の後裔と称する日高氏が居る。
黒島の庄屋日高氏も同じと伝える。
但し、公式には有盛は壇ノ浦で入水死亡したことになっている。
伝説として有盛は奄美の名瀬間切、笠利間切を領有して浦上に築城したと伝える。
平家説のロマンはロマンとして、現実には日高氏を名乗る根拠に乏しく、清和源氏日高氏の薩摩七島へ移住した一族が平姓を称えたものであろう。
類例として、平維盛の熊野灘入水偽装説、肥前宇久氏の平家盛裔説など様々ある。
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