[1] | 空の青海のあをさんからのコメント(2009年12月26日 03時24分51秒 ) | パスワード |
女良勝幸さま
全く分かりませんが
取り敢えず、千葉・富山・三重の3県を当たったら良いのでは?と思いますが。
各教育委員会にお願いして史料を取り寄せてはいかがでしょう?
それか各県立図書館などに行くとか
東京の近くなら国会図書館に行くとかで調べる。
富山の場合は氷見市?女良村?関係からお調べになったら良いのではありませんか?
富山でしたらバリバリの平家系でしょうし。
みなさん名字を変えて今でも御住まいですしね。
でも富山の前は三重県名張市だったのかな?と思います。
元々三重県名張市に女良古墳というのがあるそうですから ← 「じょろう」って読むようですよ。
昔の豪族の墓なんでしょうね。古代天皇家に(誰だっけ?天智天皇?に嫁いだ郎女(いらつめ)と関係があるのかな?
それで俗姓としての名字の1番のルーツは三重県かも。
整理しますと
桓武天皇の子孫が平姓を賜り東国に行き
10世紀中頃
平将門一派を藤原秀郷と協力して討って後
千葉(上総国だっけ?)から三重(伊賀伊勢)に11世紀の初めあたりに移動して
平家一族のあるグループが名張の女良に落ち着いて
女良という地名を俗姓にし
平盛国・盛俊という平家の武門を担当した侍大将となり
繁栄して越中国を支配し
源平合戦で敗れて
その後千葉に再び戻った、
かな?
ということを想像しました。笑
[2] | 空の青海のあをさんからのコメント(2009年12月26日 03時41分08秒 ) | パスワード |
世間によくある「米良氏」系は九州で
藤原道隆の子が肥後菊池郡に住んだ(藤原則隆)から菊池氏になり米良になったそうです。
それとか
太宰大弐?藤原隆家の末とか。
道隆と隆家は父子(だったよね?忘れた)。
と、いうことで
平家全盛の時に血気盛んな若者が京都に来て平家の一族になって米良から女良に変えた
という可能性もアリかも。
[3] | 空の青海のあをさんからのコメント(2009年12月26日 03時45分22秒 ) | パスワード |
とにかく名字が珍しいし家紋も揚羽蝶紋なら探し易いのでは?と思います。
平家みたいね。
7000傑さんとか他の方から書き込みを頂けると良いですね。
[4] | 空の青海のあをさんからのコメント(2009年12月26日 08時49分09秒 ) | パスワード |
ネットで検索していたら
めら=米良・布良・目良・女良
こんな漢字がありました。
千葉県の布良神社は安房国発祥の地?
スサノオノミコトゆかり?
この辺りからもお調べになったら良いかと思います。
伊勢神宮 → 布良神社 となる途中に 三重県の女良がからんでいるのかも。
とにかく メラ氏は古代豪族 だったのかも。
[5] | 空の青海のあをさんからのコメント(2009年12月26日 11時02分11秒 ) | パスワード |
こんなのがありました。
「めら」
という地名の由来です。
http://asahi.co.jp/call3/diary/yamaken/chimei_38.html
「崩壊地名」なんですって。
へえ〜
全文は上記URLを読んでください。
「崩壊地名」の一つということでした。
「壊れること」を「めげる」、「剥がれる」ことを「めくれる」と言いますが、そこからきているようです。
昔、海からの波や川の流れ、あるいは地震などで侵食・破壊され、「壊れた状態」「剥がれた状態」になっていたことから「めがれた場所」と呼び、「めがれる」「めくれる」という言葉と、場所を意味する「か・が」が一つになり、さらに短縮されて「め・か、め・が」となり、崩壊地名であるだけに、よけいに「好字」「嘉字」を選んだ。
「めら(妻良、女良、米良、布良)」という地名もルーツは同じです。
だって。笑
千葉県の布良崎は海の所ですから該当するでしょうね。
三重県の場合は山崩れかしら?でも、そんな土地には見えないですけどね。
富山県の女良漁港は海ですから該当しますね。
[6] | 女良勝幸さんからのコメント(2009年12月26日 11時50分12秒 ) | パスワード |
海の青海のあを 様
お世話になります。
本当にいろいろお調べいただいて感謝!感謝!です。
助言いただいた事をご参考に調べて生きたいと思います。
楽しくなってきました。
[7] | 日本の苗字七千傑さんからのコメント(2009年12月26日 21時13分17秒 ) | パスワード |
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/ |
女良勝幸さん へ
家紋は、あまりあてになりません。改紋や替紋も多数存在します。
揚羽蝶紋は平氏と言われますが、平氏諸流は様々な紋章を用いているのが現実です。
代表的な平氏家紋は、千葉氏が月星紋、三浦氏が三引両紋、北条氏は三鱗紋など。
後世、織田氏、池田氏(紀姓)、関氏(藤原姓)、谷氏(宇多源姓)が揚羽蝶紋を用いています。
たまたま嫡流と目される堂上平家の西洞院家が用いたので、
平氏を称したり平氏にあやかる多くの家系が使用したに過ぎません。
「大要抄」に六波羅党(武家平氏)は蝶円とありますから、伊勢平氏の家紋は揚羽蝶ではなく蝶丸であることは明らかです。
平重盛創建の浄教寺が浮線蝶(蝶丸)を寺紋としていることが裏付けます。
房総地域は上古から阿波・紀伊からの移住が多く、阿波(安房)、白浜、勝浦、布良(米良・女良・目良)などの地名遷移が見られます。
特に積雪のない外房は、銚子などに紀州地域からの移住が多い。
女良氏も紀州熊野別当族の米良氏末流の可能性が大きいものと考えます。
[8] | 女良勝幸さんからのコメント(2009年12月27日 16時26分23秒 ) | パスワード |
七千様
すいませんメールいただきました。
そうなんですか 家の親父が先祖は平家や平家やと言われて育ったもんですから和歌山にも女良古墳(海南市下津町)が合ったり白浜、勝浦、目良海岸(田辺)にも千葉県同じ地名がありますので、醤油やみかん、漁業で行き来していたのかもわかりませんね。
私もいろいろ調べてみます。ありがとうございます。
また、新しい情報がありましたらよろしくお願いします。
[9] | 空の青海のあをさんからのコメント(2009年12月28日 08時40分09秒 ) | パスワード |
女良さま
>家の親父が先祖は平家や平家やと言われて育った
それで良いのですよ。
「平家」という言い伝えが「女良家のアイデンティティ」なんですよ。
それに和歌山って、ま、いろいろありましたが平家方でしたしね。
これを言ったら日本の大半は平家がらみですが。笑
和歌山の友人は「うちは源氏に決まってる」なんて言いますが ← 江戸時代の「徳川家」のスゴイ家の人です
江戸時代に和歌山は御三家の1つでしたしね。
だから源氏と言いたいでしょう。
心の中でウッソーと毒づきながら敢えて疑いの目は向けませんでした。笑
日本人で肉食系人種なら 笑 平家より源氏って言いたいですよね。
特に戦争があったので軟弱な平家より勇猛な源氏って言いたいじゃないですか。
それを「うちは平家」と言うのは元が平家だからですよ。
家紋は時代が下がれば、財政的に豊かになれば、デザイン的に洗練されたものになりますから
昔の「蛾」のような蝶々より、美しい「揚羽蝶」の方が使いたいじゃないですか。
それに市販される蝶紋も揚羽蝶の方が人気ですし。
明治期に上品な揚羽蝶紋を使うようになったかも知れないですしね。
女良家の昔の紋が今に伝わっているとは限りませんから
現在伝わっている紋で良いのですよ。
わたくしの母方のココ400年+使っている紋の呼び名は
家紋帳ではとても長くてややこしくて覚えられないのですが
家書に書かれた名称はかなりスッキリした短い名前です。
ま、いろいろな呼び名があって
現在の女良家ではそう呼んでいるということで良いのですよ。
家に伝わるお話がお宅さまのアイデンティティということです。
将来に伝えていくとしたら
「いろいろ説はあるようだけど、うちはコレ!」
が1番良いと思いますよ。
微妙な差
というのがアイデンティティなんです。
どこかでソウなっていったのですから。
主流や定説にすり合わせることはないですよ。
[10] | 女良 翼さんからのコメント(2012年08月29日 23時41分09秒 ) | パスワード |
女良勝幸さま
僕も女良の姓です。
千葉県いすみ市出身でこの辺で、親戚しかこの姓はいないと聞かされていました。
ちなみに、家紋は、丸に梅鉢です。
[11] | 女良勝幸さんからのコメント(2012年12月08日 17時22分28秒 ) | パスワード |
女良 様
当家もいすみ市です。日在りです。旧女良街道の近くです。確か女良の墓はほとんど同じ姓だったと記憶しております。
家紋は、本家の当主に聞いているので間違いありません。○の中に蝶です。
もしかして親類かな?
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