[2] | 横さんからのコメント(2017年11月06日 09時33分21秒 ) | パスワード |
随分前の掲示ですが、四国の剣花菱は平家とは関係ないです。家も分家ですが、同じ◯に剣花菱ですが、平家ではありません。大きな氏族の子孫ですが、同じ姓で平家は聞いたことがないです。
[3] | お初ですさんからのコメント(2018年03月06日 21時19分31秒 ) | パスワード |
初めまして、四国で同じく高知県から、我が分家の家紋も○に剣花菱ですが、実は山内氏関連に唐花を使ったり菱家紋のデフォルメ等いますが、
九州の剣花菱は平家や、黒田藩、鍋島氏等剣花菱は様々ですね。
しかし平家の家紋はいつから使うようになったのでしょうか?理由は何故使う事になったのでしょうか? 平家は昔は身を隠して生活されてますから家紋も何かしら理由があってと考えた方が家紋に関しては分かりそうな気がします。武士は家紋はどこの誰でどこの士族か分かるようにとつけられたように思います。身を隠しすために苗字を変えたり家紋も、その土地に関係された方々と同じにした。わざわざ私は平家ですと目立つ家紋にはされていないと個人的には感じました。高知県には大崎玄蕃が○に剣花菱の鏡を残されてますが、家は関連ありません。但し武田家臣の方々が山内氏が家臣にしたこともあるようなので、板垣氏等。それを考えて見ると目立たないことも考えたかもしれませんね。 個人的な話なのですみません。
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