[1] | 空の青海のあをさんからのコメント(2009年10月02日 09時52分14秒 ) | パスワード |
全然分かりませんが
1)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E6%B4%A5%E5%9F%8E
にちょっと載ってますね。
天草の乱や名護屋城や唐津の情報を教育委員会から取り寄せて人間関係を洗い出す。
2)
>戸籍は除籍簿の他宗門人別帳のようなものに天保あたりまで載っていますが
これだけ分かっていれば、この後を捜すのには、なかなか良い情報ではありませんか。
明治の初めの除籍謄本を手に入れて
その土地のホンヤになる家を探して事情を訊けば良いではありませんか。
もし家紋が同じなら一族である可能性は非常に高いんですから。
>また明治初期に埼玉県志木市に行き来していた寺澤家がありました。
一族なんでしょうね。
今は引越なさっているかも知れませんが
古い戸籍謄本ならこの埼玉の人物が探せるんじゃないですか?
家紋が同じなら一族の可能性が非常に高いですよね。
まず御先祖さまがどこの人だったのか分かると良いですね。
元は九州でしょうか?
これは7000傑さんが答えてくれそうですね。
関係場所の教育委員会に資料をお願いしましょうよ。
[2] | 寺澤 誠さんからのコメント(2009年10月02日 13時10分23秒 ) | パスワード |
空の青海のあをさん
コメントありがとうございます。
地元の文書館にいってみます、ほとんど知る人が
絶えてしまっていますので埼玉の寺澤家を訪ねて、
探してみます。私は、群馬県の館林市ですが、
近江商人の出が多いと聞いております。
お話を参考にさせていただき頑張ってみます。
又、よろしくお願い致します。
[3] | 空の青海のあをさんからのコメント(2009年10月02日 16時51分54秒 ) | パスワード |
http://web.people-i.ne.jp/~harebare/11.terasawa/11,terasawa.htm
これによりますと「尾張の人」ですってよ。
信長の父の代から仕えてた。。。?
[4] | 空の青海のあをさんからのコメント(2009年10月02日 17時02分34秒 ) | パスワード |
播磨屋さんにも載ってますね。
わだしワタクシのPCでは文字化けして読めないのですが
検索の所には以下のように出ています。
秀吉に仕えた武将 2
寺沢氏は紀長谷雄の子紀淑の末孫で、美濃国に居住し、その後分かれて尾張国に移住したといわれる。広正ははじめ織田氏に仕え、 ...
www2.harimaya.com/sengoku/html/busyo/zok_hide2.html
こんな感じです。
尾張の前は美濃で
その前は紀氏ですか。
そうしますと古代から調べなきゃいけませんね。
ロマンが広がり過ぎましたね。
笑
奥州にも寺沢氏関係の記事があったように思います。
日本全国調べなきゃいけませんね。
立派な御先祖さまをお持ちになった宿命ですから
誇りになさってジックリ日本史と取り組んでください。
にっこり
[5] | 寺澤 誠さんからのコメント(2009年10月02日 18時42分56秒 ) | パスワード |
空の青海のあをさん
コメントありがとうございます。
ホームページもご紹介いただきまして
早速、閲覧したところです。織田家、豊臣家に
仕えて戦場、後方支援などして活躍してたのを
思うとロマンが広がります。
それから。思い出したのですがこれは役立ちますで
しょうか、館林藩主榊原忠次公の家臣に寺澤姓があると
聞いたことがありましたが、分限帳の調査は地元の文書館で
調べて貰えるでしょうか、よろしくお願い致します。
[6] | 空の青海のあをさんからのコメント(2009年10月03日 06時50分43秒 ) | パスワード |
>分限帳の調査
地元の文書館でコピーをくださると良いですね。
県の図書館
教育委員会
地元の史談会作成の文書
それから国会図書館
にあるでしょうね。
加賀藩などはネット公開してましたね。
尾張藩の場合は時々子孫に限って公開になるようで
館林藩の場合は全く分かりませんが
子孫の方とお知り合いになれると良いですね。
埼玉の方の子孫が見つかれば前進するんじゃないでしょうか?
[7] | 日本の苗字七千傑さんからのコメント(2009年10月03日 12時06分08秒 ) | パスワード |
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/ |
寺沢広高(志摩守)−堅高(兵庫頭)の家系は無嗣絶家となりましたから、現代の寺沢氏の多くは支流で遡るのは困難を極めるものと考えます。
寺沢氏は美濃発祥の紀姓池田氏支流ですが、池田氏からの分流も不明です。
紀姓池田氏については、下記URLをご参照下さい。
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01209d.htm
http://www.myj7000.jp-biz.net/q&a/ikeda_keizu.htm
旧幕各藩に広沢氏は多く存在しますので、片端から調査することが必要です。
人任せでは無理なので、国会図書館や各県立図書館に出向く必要もあります。
寺沢と言うと広高に結びつけるむきは解りますが、他にも村上源氏久世家流や出自不明の多くの寺沢氏が存在します。
発祥地としては下記の様に多く存在します。
飛騨国益田郡寺沢邑、三河国渥美郡寺沢邑、三河国加茂郡寺沢邑、
甲斐国巨摩郡寺沢邑、越後国蒲原郡寺沢邑、上総国望陀郡寺沢、
磐城国標葉郡寺沢邑、羽後国秋田郡寺沢邑、羽後国雄勝郡寺沢邑、
陸中国磐井郡寺沢邑など。
現在、寺沢姓は尾張、信濃に多く分布しています。
[8] | 日本の苗字七千傑さんからのコメント(2009年10月03日 12時08分07秒 ) | パスワード |
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/ |
>旧幕各藩に広沢氏は多く存在しますので、片端から調査することが必要です
↑ 寺沢氏の間違い。
[9] | 寺澤 誠さんからのコメント(2009年10月03日 21時38分45秒 ) | パスワード |
空の青海のあをさん
榊原家3代の分限帳を探してみます。寺澤広高の娘が継室に
なっているようです。館林藩最後の藩主秋元家家臣団の
現在の子孫たちがつくっている会は300人もいるそうです。
日本の苗字七千傑さん
寺澤家は少ないと思っていましたが広く分布していますね。
あせらずに榊原家と埼玉県志木市(旧引又村)本町1丁目〜
6丁目の寺澤家を探しにいきます。皆様、数々の参考文献ありがとう
ございます。又、ご資料が見つかりましたら恐縮ですがお願い致します。
[10] | 空の青海のあをさんからのコメント(2009年10月04日 03時13分44秒 ) | パスワード |
>館林藩最後の藩主秋元家家臣団の現在の子孫たちがつくっている会は300人もいるそうです。
お仲間に入れてもらえると良いですね。
300人もいれば、どなたか「自分の家について教えたいという人」もいるはずです。
こういう人とお知り合いになれると良いですね。
家紋は「かたばみ」ですか?
家紋繋がりでもどなたかと連絡が取れると良いですね。
取り敢えず
明治の初めの御先祖さまの除籍謄本を手に入れる。
その土地に今も寺沢氏が住んでいるか?
この人と連絡が取れるように働く。
志木の人を探し出す。
絶対に一族の中には系図を持っているとか教えたくてたまらない長老とか存在していますよ。
そういう人を捜さないとね。
もう80代より上になっているでしょうね。
こういう人はおじ様おば様から情報を得なくてはね。
だから冠婚葬祭とか盆暮れ正月とか、そういう時に顔だけでも繋いでおかないとね。
そういう場所を御自分で設けるとかね。
こうやって自分の方を固めてから旧臣の会に働きかけないと跳ね返されたりしますから
できるだけ多くの資料を手に入れないとね。教育委員会などにお手紙を送りまくるとかね。返信用切手も添えたり。
一生懸命御自分で動きますと御先祖さまからいろいろな力添えを頂けますよ。
[11] | 空の青海のあをさんからのコメント(2009年10月04日 03時45分48秒 ) | パスワード |
昔は東京駅の八重洲口地下だったかの近くのデパートか
あのあたりで日本全国の電話帳が見られましたが
今はNTTから電話帳を(個人名のを)取り寄せるという方法もありますから
御先祖さまが明治の初めにお住まいだったあたり(江戸時代に住んでた可能性が大きいでしょ?)
志木とか館林とか
そこの寺沢さんに片っ端からお手紙書くとかお電話するとか
方法はいくらでもありますよ。
最初は返信用切手をつけた封筒を同封してお伺いするのが良いですけど。
とにかく明治の初めの御先祖さまの除籍謄本のコピーが手に入ると良いですね。
それから家紋を写真で撮って、同封して、一族を捜すという形。
系図を持っている人は知らないか?とか
先祖の話に詳しい長老を知らないか?とか
どんなことでも良いから先祖の話を知らないか?とか。
あなたが「知りたい」と思っていらっしゃるように
絶対に「教えたい」と思っている人が存在します。死ぬ前に自分の持っている情報を譲りたいと願っている人とかね。
[12] | 寺澤 誠さんからのコメント(2009年10月05日 16時49分48秒 ) | パスワード |
空の青海のあをさん
「教えたい」と思っている人がいるわけですね、それが九州で20人と
聞き出した(前文)伝承らしいものです、晩年に気難しい叔父から伝えてもらいました。祖父と永く生活していたからだと思います、こんなふうにやりとり
させていただいていると思い出してくるものです。もう一人早くに亡くなった大田原市に住んでいた叔父を思い出しました、こちらも早速、連絡して「知りたい」そして「教えたい」人にめぐりあいたものです。また、よろしくお願い致します。
[13] | 空の青海のあをさんからのコメント(2009年10月05日 17時10分00秒 ) | パスワード |
>それが九州で20人と聞き出した(前文)伝承らしいものです
と、いうことは九州の教育委員会からも情報を貰わないとね。笑
その寺沢氏は戦さはしなかった、ということは
小西や三成の仲間だったという意味なのかしら?
などなど空想しますが
やはり九州のどこだったのか?
これがポイントかもですね。
栃木にも御親戚がいらっしゃるのですか?
こういう人達にも連絡を取らなくてはいけませんね。
御自分の持っていらっしゃる情報を伝えたい渡したいという人が必ずいます。
そういう人のパワーを受け取っていらっしゃるのかも。
お互いに求め合っている捜し合っているのかも。
どこかで突破口が見つかりますように。
とにかく源平のどっちだったか?南北朝のどっちだったか?こういう辺りからも御先祖さまにたどり着けますから
お年寄りの御親戚に出会えると良いですね。
[14] | 寺澤 誠さんからのコメント(2009年10月07日 18時27分21秒 ) | パスワード |
空の青海のあをさん
当地の宗門人別帳は1村分だけでしたので探せませんでした。
図書館に古文書研究会の人たちがいましたので今度、会って
たずねてみます。志木市付近も30件も寺澤家がありましたが
長野、徳島県といまのところみつかりませんでした。
榊原家、忠次公の家臣に寺澤忠左衛門(300石)忠三郎(150石)
忠八郎(150石)詰分 又右衛門(7人扶持)の名がありました。
◎この詰分という役職は何の役でしょうか、それと幕末、以前の
人別帳はあるのですか、もしくは檀那寺になりますか人別帳を
探すのは難しいそうですね。
[15] | 空の青海のあをさんからのコメント(2009年10月08日 08時46分38秒 ) | パスワード |
全然分かりませんが
>榊原家、忠次公の家臣に寺澤忠左衛門(300石)忠三郎(150石)忠八郎(150石)詰分
殿様が「忠」の字を使っているのに
300石や150石で「忠」の字が使える
というのは特別配慮なんじゃないでしょうか?
普通は藩から禁止されたり藩に遠慮して使わないですから。「分をワキマエロ!」ということですから。
詰分というのは ○○詰役とか ○○詰所とか の用法で使う身分の言葉じゃないでしょうか?
番所詰役とか。これは聞いたことがあります。
殿様クラスだと雁の間詰めとか大広間詰めとか。
詳しい人からレスがあると良いですね。
>幕末、以前の人別帳はあるのですか、もしくは檀那寺になりますか人別帳を
探すのは難しいそうですね。
こういうのを今持っているとしたら
大学とか研究者とか教育委員会とかになるんじゃないでしょうか。
それか古本屋に売られていたのを買ったとか。
お寺さんでも、過去帳あたりを見たいんですが、と言ってもなかなか調べてくれませんよ。
わたくしも大枚包んでお願いしました。
ビックリしたのは新しい住職さんに渡すのがイヤで持って出たという元住職の例も聞いたことがあります。
でも史談会あたりが整理して分限禄を作っていたりしますから
お寺でも研究している所は思わぬ情報を公開している所がありますよ。
同和のお寺の人別帳をちらっと見たことがあります。非人寺、といったかな?
興味が無かったので(へえ〜)で終わりましたが。
今思い出せば、ちゃんと記録してありましたよ。今、改めて、へえ〜、です。
ある所にはあるわけで
こういうのは土地の歴史家(郷土史家)とお友達になって情報を貰うという手が良いと思います。
わたくしの場合は数箇所の市の教育委員会から錚々たる歴史家を紹介されたことがあって
逆に困りました。恥
わたくしなんて父方母方の親藩がらみで水戸藩の資料までお願いしたことがあります。
冷や汗
当時はバブルの時でしたから皆さん親切にしてくださいました。
今はこういう財政逼迫時ですからどこまでお願いできるか分かりませんが「行動を!」。
寺澤さんの場合はとにかく「地元」の人を開拓しませんとね。旧家臣会とか郷土史家とか。
そして御自分でも資料をとにかく集めまくって読みまくらないと。
取り敢えず国会図書館に登録するとか。
「地元」の本屋さんに地元の本を扱っている所や人を問い合わせるとか。
本屋さんでもさる大家を紹介してくださって恐縮したことがあります。
とにかく「行動を!」です。
[16] | 太田さんからのコメント(2010年04月20日 06時03分17秒 ) | パスワード |
父から先祖は天草四郎に反乱を起こされた大名だ。と教わりました。
歴史に全く興味が無かったので聞き流してしまいましたけど。
確か…父は長男で祖父は三男、本家は栃木だそうです。
お役に立つか分かりませんが…
父の携帯アドレスです。
[18] | 寺澤 誠さんからのコメント(2010年06月14日 23時31分03秒 ) | パスワード |
ご連絡ありがとうございます。何か手がかりが
つかめるかもと感じます。特に栃木ではつながりが
ありそうです、メールしてみます。
[19] | sekiさんからのコメント(2010年09月25日 19時15分03秒 ) | パスワード |
ウチの本家が唐津藩藩主だった寺沢広高の流れだと言っていたのですが、
資料があったお寺は戦時中に消失したので、
寺沢広高に直結の資料は今はないと親戚に聞きました。
[20] | 寺澤誠さんからのコメント(2010年11月20日 20時05分38秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2010年11月21日 13時22分14秒
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