[1] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年08月12日 05時54分55秒 ) | パスワード |
南北朝時代には、楠木氏と共に、後村上天皇の孫義有王を守った。
[2] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年08月12日 05時59分03秒 ) | パスワード |
義有王とは:
後村上天皇の子の説成親王の子。
母は楠左馬頭正式女。
出家名円胤、
為円満院円悟大僧正資、 大僧正、 一身阿じゃ梨、 後還俗改今名。
文安元年八ノ月
於河内国八幡城挙兵 而 不利
同3年八ノ月 於 紀州国湯浅 阿瀬川城 又 挙兵
同4年 十二の廿二 城 陥 自殺
還俗して義有王と改名し、 文安4年12月22日湯浅の阿瀬川城で亡くなった。
[4] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年08月12日 06時02分34秒 ) | パスワード |
義有王
文安の宮円胤法親王義有王
とも称す。
[5] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年08月14日 10時37分13秒 ) | パスワード |
後村上天皇ーー後亀山天皇ーー良泰親王ーー中興天皇のお子さまに 北山の宮尊秀親王自天皇 と 河野宮忠義親王。
中興天皇が後南朝の初代天皇。
北山の宮尊秀親王自天皇は2代目。
北山の宮尊秀親王自天皇 と 河野宮忠義親王:
将軍義教が暗殺されて
再興を望んでいた赤松の遺臣が手柄をたてるためにこのお二方を殺害したのだそうです。
[6] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年08月14日 10時39分03秒 ) | パスワード |
康治2年(1143)は近衛天皇の御世だそうです。
[7] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年08月14日 11時39分22秒 ) | パスワード |
平治の乱の時、平清盛が熊野参詣の途中、京都での義朝の乱をきいて、
無事に京都に帰ることが出来るようにしたのが湯浅宗重。
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