[1] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年06月13日 01時14分33秒 ) | パスワード |
http://www.koubou-k.com/kamon/kensaku/shokubutu/kasiwa/26.gif
ここで見て来ました。
全く分りません。
多分、明治の初めの御先祖さまの戸籍謄本(除籍謄本)を手に入れることから始めたら良いでしょう。
明治の初めに住んでいた所は多分江戸時代に住んでいた所の可能性があるので
その住所あたりの永井姓の方を調べることでしょうね。
もし家紋が一致すれば、一族でしょうね。
また先祖のお墓に行く。
ホンヤを捜す、
お盆や正月に身内の人に集まって話を聞く。
誰が系図を持っているか、訊き出す。早くしないと知っている人はどんどん亡くなっていきます。
もし1970年代前半の戸籍謄本が手に入れば、身分が分ります。
士族だとか平民とか書かれています。最近は消してありますから。
もし士族なら、その土地の藩の分限禄に載っているでしょう。
平民なら宗門帳かな?
名主あたりなら藩の記録にあるんじゃないかな?
該当する県や市の教育委員会の歴史編纂課から史料を頂いて読むことですね。
永井姓があれば、その人を中心に資料を集めて読みまくる。
ま、20年30年のライフワークになされば良いでしょう。
とにかく御自分の家について源平どっちだったか?
南北朝時代はどっちだったか?
そういう手掛かりを訊く。
今、70代、80代の人が最後の知っている世代じゃないでしょうかねえ。
昔の身分の載った戸籍謄本を持っている可能性がある最後の世代じゃないでしょうか。
[2] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年06月13日 01時30分49秒 ) | パスワード |
一般的に、永井さんは長田家の末だから、家康の命で永井に変えた、ということで
これに該当するのは尾張や三河あたりの永井さんでしょうけど
尾張や三河から栃木まで行ったのかも知れませんしね。
昔はあちこちに土地を貰って代官を送ってたということもありましょうし
明治以降に引っ越したのかも知れませんし。
尾張や三河だったら、永井家というのは豪農でもありますしね。
もともと長田家というのは物凄い力を持った家ですから。フツウの金持ちあたりじゃないですよ。
武士を辞めた家なら江戸時代あたりに帰農したり、明治時代に不在地主になったとかね。
本家あたりなら名主の家だったでしょうしね。当然姓を名乗り帯刀を許された家です。
本家捜しを遡ってなさいますように。
それには御自分の身近な所から情報集めです。
[3] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年06月13日 01時44分45秒 ) | パスワード |
家紋から捜すのは限定されますよ。(身近な一族限定でしょう)
多分、江戸時代に登録した物でしょう。
いろいろな事情で家紋は今のに定着しただけで
その前にはいろいろな家紋を使っていましたよ。
丸に三つ柏紋は平氏良兼の子孫長田氏の家紋ということで
「5瓜」というのは、長田氏紋のバリエーションということなんでしょう。
瓜で有名なところは朝倉の4瓜でしょうね。
織田が拝領して織田は5つにした、と聞いたことがあります。勘違いかしら?
でも家康に遠慮して変えた姓に織田がらみの紋というのは非常に合わない気がするので
いよいよ謎になります。
永井姓で5瓜抱き柏紋使用ということは江戸時代以降の一族、かな?笑
結論:全然分らないです。
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