[1] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年04月28日 14時10分22秒 ) | パスワード |
がおさん
初めまして。
全く分りませんが
岩切という姓は奄美・宮崎に多いそうですね。
また岩切という地名が仙台にあるそうです。
http://www.geocities.jp/dgdff233/aria2/photo/iwakiri.htm
平泉藤原氏滅亡後、源頼朝は重臣伊沢家景を陸奥国留守職に任じた。伊沢氏は岩切姓を名乗り、岩切城を居城とした。
[2] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年04月28日 14時16分49秒 ) | パスワード |
それで、
がおさんがなさることは
明治の初めの御先祖さまの戸籍謄本を手に入れること。
明治の初めの御先祖さまがどこに住んでたか。
住んでいた所の歴史を調べる。
宮崎市や宮崎県の教育委員会から歴史資料を手に入れる。
古代から現代に至る史料を読んでいれば何故宮崎出身か分るかも。
膨大な史料を読めばだいたい分ってきますよ。
奄美だったら平家かもですね。
宮崎も平家の落人が隠れ住んでた伝説がありますね。
それからお父さまの御親戚の方から御先祖さまのお話を聞く。
ヒントでも良いのです。
昔は平家だったのか源氏だったのか?
南朝方だったのか北朝方だったのか?
そういうヒントから歴史資料を読むと近道でしょうね。
[3] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年04月28日 14時29分04秒 ) | パスワード |
丸に四方木瓜紋ということですが
木瓜紋は日本の10大紋の1つだそうで
家紋からは先祖のことは分らないですよ。
家紋は1家に1つじゃないですから。
何かの機会に紋は変えたり変えさせられたりしました。
拝領紋ということもあるしね。
岩切姓で丸に四方木瓜紋の人は一族でしょうね。
こういう人を捜して話を聞くのが良いでしょうね。
ホンヤになる家が見つかると良いですね。
そういう家は明治の初めの戸籍謄本(除籍謄本)の住所のあたりに今もお住みかも。
戦後も64年になりますから
昔の話をご存知の人はどんどん鬼籍に入られますから
早く知ってる人に会えると良いですね。
必ず「長老」のような人がいて
系図を持ってたり先祖の話をまとめていたりしてますよ。
きっと次の「長老」はがおさんなんです。
だから御先祖が「うちの家のことを伝えていけ」ってパワーを送っているんですよ。
先祖を大切にするときっと良いことがありますよ。
今年のお盆にでも御親戚の方に集まってもらえると良いですね。
[4] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年04月28日 14時31分28秒 ) | パスワード |
タイトルをちょっと変更しますね。
そうすればどなたかの目に留まってレスがつき易くなるかも。
[5] | 日本の苗字七千傑さんからのコメント(2009年04月28日 15時55分06秒 ) | パスワード |
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/ |
がお 様
宮崎県の岩切は日向国諸県郡国富庄本郷岩切を本貫地とする日下部姓(火闌降命裔)。
有名な皇別系但馬日下部氏とは異なる地祇系隼人族なので注意のこと。
家紋は参考になることもあるが途中で改紋も多く、あまりあてにはなりません。
詳細については、さらに除籍簿、過去帳、古文書、墓碑、郷土史を調査することが王道と考えます。
[6] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年04月29日 08時11分55秒 ) | パスワード |
では状況証拠から推測しますと
宮崎に地元の豪族日下部氏が存在した。
そこへ平家一門の有力者がやって来て日下部氏を称した(結婚とかで)
ということかも。
こういう線から史料を読んで御先祖さまを捜していくとかね。
とにかく情報を集めまくってください。
核心に近くなっていきますとね情報が向こうから飛び込んできますよ。
最初はなかなかエンジンがかからなくて情報が集まりませんが
ま、20年ぐらいの予定でいろいろな本を読んでいれば、手繰り方が分ってきますよ。
岩切姓ですと
何かすごい刀を拝領して
「岩を切った」
という姓にしたかも知れませんしね。
取り敢えず宮崎の歴史から始めてください。
[7] | がおさんからのコメント(2009年04月29日 09時55分26秒 ) | パスワード |
暇潰しのギャンブラーさん,日本の苗字七千傑さん教えていただきありがとうございます。私の父は私が幼い時に死別しておりまして、本家(父の長兄が本家と言っていたので)お付き合いは全然ないのですが、何とか自分なりに調べてみたいと思います。色々お二人に教えていただき助かりました。本当にありがとうございました!
[8] | 宮崎博物館さんからのコメント(2010年01月01日 08時04分56秒 ) | パスワード |
宮崎の「岩切姓」は土持一族の残党です。
土持一族は5世紀頃、土木技術を称えられ大和朝廷から名前を授けられ
宇佐神宮の高官の田部氏から枝分かれしたものです。
後に日向の国の延岡あたりの領土を朝廷より与えられますが
世間的な調整で日向の地頭である日下部氏の娘を妻にもらうことになります。
それから宮崎を侵略し1千年間君臨しますが豊臣派の大友氏等の勢力におされ
志を共にした伊東氏の裏切りにあい、戦に負け
土持一族自ら築城した高鍋の舞鶴城や日南の飫肥城やその他の小城を
時代ごとに陥落され滅びます。
唯一深い同盟を結んでいた薩摩に逃げ島津家の家老までになります。
宮崎に残った残党は命を守る為、百姓となり「岩切」などの姓に変えたと
土持一族の文献に残されています。
後に約3百年後の西南戦争では政府軍である官軍が
氏名を変えている旧土持一族の残党が高千穂に存在していることに目を付け
土持の姓のを公に復活し名乗っていいと言うことを条件に利用され
ゲリラ部隊を編成させ薩摩の西郷軍に多くいる土持と
姓を変えて生きてる土持の残党が戦を行ったという悲しい歴史もあります。
明治維新後、江戸時代まで姓を持たない身分の人達が
好きな姓を勝手に付けていますので確かではないですが
宮崎の「岩切姓」のルーツは土持一族の残党の確立が高いでしょう。
[9] | がおさんからのコメント(2010年01月07日 12時47分00秒 ) | パスワード |
宮崎博物館様
お世話になります。教えていただきありがとうございます!
やはり宮崎・鹿児島に縁のある名前だったのですね。
しかも、かなり以前からのルーツが考えられるとの事
一度、戸籍除籍を取得し遡れるまで遡りたいと思います。
貴重な情報頂きありがとうございました!
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