コメントの種類 :落人伝説
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讃岐には、平将門の長子と伝えられている平良門(よしかど)らが落ちのびてきたという伝承が残っています。太郎良門は、家臣の貞廣丑之助、神戸城太郎、下戸城五良、成房三良、成行十郎、成行千代春ら6人とともに、善通寺五岳山の西端の火上山(ひあげやま)の南麓にあたる三豊市高瀬町の音田(おとだ)の毘沙門谷(現在は、おにが谷)という所に落ちのびてきて、そこに住み着き、六名(ろくみょう)を名乗ったといいます。
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将軍太郎良門
将軍太郎良門は相馬小次郎将門の子供であるが、承平七年下総
国の家士で光圀と言う者が隠し置いたが、将門が滅んだ後、方々に
彷徨い、天暦の末頃に御厨三郎将頼の子供、葦原四郎将平の子供、
下総守将為の子供、伊豆守将武の子供、成行十郎、同姓千代春など
六人を伴って当国にと渡って、宇多津へ船から上がり、国内の神社に
詣で様と先に書いた讃留霊公の社、横汐の社等を詣でて、大麻神社
へまで至った時、道で常人と見えない異翁に逢った。
その翁が言うのに、汝らは常人とは見えない、落人ならば良い隠れ
家を教えようと、善通寺から牛の方角へ連れて行った。
ものすごい深谷へと導いた後、突如その姿をかき消す様にしていなく
なった。
六人の者共は、狐に騙されるとは悔しい事だと言い、する事もなく
木陰に休んでいる内に日も暮れた。
遙か向こうの林の中に、燈火がほのかに見えたので、その家に行
って宿を求めようとたどり着いた。
古い柴庵に一人の翁が居て迎えて言った。
「あなた達は遠国からの落人でしょう、狐にたぶらかされて、この様
な山奥へと入られ大変な事だったでしょう。一夜を明かさせるなどたや
すい事。」
そこでここに泊まることにした。ここは何という所だと聞くと毘沙門谷
だと答えが返ってきた。
さて、夜が明けてみると、そこには老人もいず家もなくただ、山中で
寝ていただけである。これも又狐に騙されたかと心を騒がせて、早々
に立ち去ろうとした所、書き付けを見つけて読んでみると
「我は下総国妙見神である。ここへ導いたのは、この地に隠れてい
れば末永く栄える。」
と書かれていた。
人々はびっくりして昨夜の老人は我々の産土神だったのかと思い
合った。そこでこの谷を開き居住した。
良門は武田丑之助と名を改めた。長和元年8月14日に75歳でこ
の地で亡くなり南穴薬師へと葬られた。
その子孫は相馬氏を称した。
将頼の末裔を上戸城と呼び、
将平の末裔を下戸城と呼び、
将為の末裔を成房と呼び、
将武の末裔を成行と呼び、
これに千代春の末裔を加えて音田村の6名と呼ぶ。
更に一人の豫寿丸は阿波国へと移った。
以上は上高瀬村音田に住む末裔の人が持っていた系図から述べた。
http://www.library.pref.kagawa.jp/kgwlib_doc/local/local_2055-12.html
将門の子孫はこのあとどうなっていったのか知っている方はいらっしゃい
ませんか?知っている方教えていただけませんか?
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