[1] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年12月20日 23時52分58秒 ) | パスワード |
http://homepage2.nifty.com/zaco/text/ko/heike/heike04.txt
C:04:09:宮の最期 <治承四年(1180)>
足利がその日の装束には、朽葉の綾の直垂に、赤縅の鎧着て、高角打つたる甲の緒をしめ、金作りの太刀をはき、二十四さいたる切斑の矢負ひ、滋籐の弓持つて、連銭葦毛なる馬に、柏木にみみづく打つたる金覆輪の鞍置いてぞ乗つたりける。
鐙ふんばり立ち上がり、大音声を揚げて、「昔、朝敵将門を滅ぼして、勧賞かうぶつて、名を後代に揚げたりし、俵藤太秀郷に十代の後胤、下野国の住人、足利太郎俊綱が子、また太郎忠綱、生年十七歳。かやうに無官無位なる者の、宮に向かひ参らせて弓を引き矢を放つ事、天の恐れ少なからず候へども、ただし弓も矢も、冥加のほども平家の御身の上にこそ候ふらめ。三位入道殿の御方に、我と思はん人々は、寄り合へや。見参せん」とて、平等院の門の内へ、攻め入り攻め入り戦ひけり。
大将軍左兵衛尉知盛、これを見給ひて、「渡せや渡せ」と下知せられければ、二万八千余騎、皆うち入れて渡しけり。さばかり早き宇治川の、馬や人に塞かれて、水は上にぞ湛へたる。自らはづるる水には、何もたまらず流れにけり。雑人どもは馬の下手に取り付き取り付き渡りければ、膝より上を濡らさぬ者も多かりけり。
いかがしたりけん、伊賀、伊勢両国の官兵等、馬筏押し破られて、六百余騎こそ流れたれ。萌黄、緋縅、赤縅、色々の鎧の、浮きぬ沈みぬ揺られけるは、神南備山の紅葉ばの峰の嵐にに誘はれて、竜田川の秋の暮れ、堰にかかりて流れもやらぬに異ならず。
その中に緋縅の鎧着たる武者三人、網代に流れかかつて、浮きぬ沈みぬ揺られけるを、伊豆守見給ひて、かうぞ詠じ給ひける。
『伊勢武者はみなひをどしの鎧着て宇治の網代に懸かりぬるかな』
黒田後平四郎、日野十郎、乙部弥七とて、これらは皆伊勢国の住人なり。
中にも日野十郎は古兵にてありければ、
弓の弭を岩の狭間にねぢ立てて、かき上がり、
二人の者どもを引き上げて、助けけるとぞ聞こえし。
大勢みな渡し、平等院の門の内へ攻め入り攻め入り戦ひけり。この紛れに宮をば南都へ先立たせ参らせ、三位入道の一類、渡辺党、三井寺の大衆、残り留まつて防ぎ矢射給ふ。
三位入道は、七十にあまつて戦して、弓手の膝口を射させ、痛手なれば、心静かに自害せんとて、平等院の門の内へ引き退く所に、兵襲そひかかりければ、次男源大夫判官兼綱、紺地の錦の直垂に唐綾縅の鎧着て、白葦毛なる馬に、金覆輪の鞍置いて乗つたりけるが、父を延ばさんがと、返し合はせ返し合はせ防ぎ戦ふ。
上総太郎判官が射ける矢に、源大夫判官、内甲を射させてひるむ所に、上総守が童、次郎丸といふ大力の剛の者、源大夫の判官に押し並べてひつくんでどうど落つ。源大夫判官は、内甲も痛手なれども、聞こゆる大力なりければ、次郎丸をとつて押さへて首を掻き、立ち上がらんとする所に平家の兵ども十四五騎落ち重なつて、つひに兼綱をうつてんげり。伊豆守仲綱も散々に戦ひ、痛手あまた負ひ、平等院の釣殿にて自害す。その首をば、下河辺藤三郎清親取つて、大床の下へぞ投げ入れたる。
六条の蔵人仲家、その子蔵人太郎仲光も、散々に戦ひ、分捕りあまたして、遂に討ち死にしてんげり。この仲家と申すは、故帯刀先生義賢が嫡子なり。しかるを父討たれて後、孤児にてありしを、三位入道養子にして、不憫にし給ひしかば、日ごろの契約を違へじとや、一所で死ににけるこそ無慚なれ。
三位入道、渡辺長七唱を召して、「我が首討て」と宣ひければ、主の生け首討たん事の悲しさに、「つかまつらうともおぼえ候はず。御自害候はば、その後こそ賜はり候はめ」と申しければ、げにもとて、西に向かひ手を合はせ、高声に十念唱へ給ひて、最後の詞ぞあはれなる。
『埋もれ木の花さくこともなかりしに身のなる果てぞ悲しかりける』
[2] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年12月20日 23時58分58秒 ) | パスワード |
上記の
『伊勢武者はみなひをどしの鎧着て宇治の網代に懸かりぬるかな』
黒田後平四郎、日野十郎、乙部弥七とて、これらは皆伊勢国の住人なり。
ここですね。
黒田後平四郎= 本姓桓武平氏 俗姓黒田氏 そのまた 後平家の4男 ということですね。
そうすると黒田家の方が苗字ですね。
黒田家と後平家の関係がどうなのか?
[3] | 後平さんからのコメント(2008年12月21日 00時05分01秒 ) | パスワード |
URL=http://profile.ameba.jp/hikko7/ |
伊勢平氏(桓武平氏)
伊勢国奄芸郡黒田庄より起こる。平家物語に「黒田の後平四郎、日野の十郎、乙部の弥七とて、これらは皆 伊勢国の住人なり」と。北黒田村の川瀬城は、黒田左衛門の居城なりしと云う。諸家系図纂に「鎮守府将軍平良将−将平(後平、黒田等の祖)」と。
両方にわかれていったのではないかと思いますが
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/011/01114.htm
平直方
将門の乱が勃発すると、検非違使右衛門尉直方は追討使に任命された。貞盛流平氏の中心は、維時・直方流から、維衡の系統へ移った。高見王(桓武天皇皇子葛原親王第三王子。母藤原道雄女)─平高望王(於京都正和六年九月七日誕生と伝えられているが父高見王は天長二年九月以前に卒。母藤原是緒女或橘春成女或桓武天皇皇子仲野親王女。妻は桓武天皇皇子仲野親王の王子茂世王の女ともいわれている。高望王は寛平元年五月十三日に宇多天皇の勅により平姓を授けられて臣籍降下す)─国香(初良望。母正室藤原良方女。弟良房、弟良将[母同国香。其子・将持、将弘、将門(母県犬養春枝女桔梗前。正室藤原良方女。瀧口小次郎)、将頼(御厨三郎。御厨・御厩)、将平(大葦原四郎。大葦原氏・大豊原氏・後平氏・黒田氏)]、将文、将武、将為、将種]、弟良兼[母同国香。其子・公雅、公義、公連、公元]、弟良文[母側室藤原範世女。村岡五郎。其子・忠輔、...
上記から推測すると
[4] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年12月21日 00時10分51秒 ) | パスワード |
ということで黒田家について調べてみました。
黒田姓:
伊勢河芸郡黒田からおこる平氏黒田
武蔵七党丹党加治氏の一族の黒田
木曾氏黒田
橘氏黒田
近江伊香郡黒田(佐々木京極の黒田)
などなど
ここでは伊勢かわげ郡黒田を名字とした黒田でしょうね。
ということは
伊勢に転居して地名の黒田を名字(屋号みたいなもの)にくっつけたんでしょうね。
みんな名字は「平」ですからね。
後平というのは何か?
屋号かあだ名か?
後藤さん
というのがいますよね。
主人を置いて戦線離脱というか敵前逃亡した平家の後藤さん。
この後藤さんんは 藤原姓出身で 備後・肥後の「後」なんだそうですよ。
では「後平」の「後」はどの「後」なんでしょうね。
ひょっとすると将門の乱で
桓武平氏(坂東平氏)の中で肩身の狭い思いをして「後」を付けたのでしょうか?
「後」=おくれる
かな?
[5] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年12月21日 00時17分26秒 ) | パスワード |
>将平 (大葦原四郎。大葦原氏・大豊原氏・後平氏・黒田氏)
そうすると
後平さんが伊勢黒田に来て、 平家の仲間から 屋号に 黒田で呼ばれて 姓にした
という時間の経過でしょうね。
[6] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年12月21日 00時19分40秒 ) | パスワード |
川瀬さんとも同族になりますね。
[7] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年12月21日 00時23分05秒 ) | パスワード |
こうなりましたら
三重県にいらっしゃって
川瀬さん・黒田さん・後平さん
とお知り合いになると分るかもですね。
三重県は平家の本貫地ですから皆さん殆ど元は平家ということになりますから。
南朝方ですしね。
平家が敗れてからは鎌倉からヒトが入ってますから北朝方もいますけど。
[8] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年12月21日 00時25分20秒 ) | パスワード |
本題の
「黒田後平四郎
このかたはどういうことをなされたかたなのですか?」
について書きますと
「いけてない3人衆のお1人」
ということになりますか。
[9] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年12月21日 00時32分59秒 ) | パスワード |
ここですね。
伊賀、伊勢両国の官兵等、馬筏押し破られて、六百余騎こそ流れたれ。
萌黄、緋縅、赤縅、色々の鎧の、浮きぬ沈みぬ揺られけるは、神南備山の紅葉ばの峰の嵐にに誘はれて、
竜田川の秋の暮れ、堰にかかりて流れもやらぬに異ならず。
その中に緋縅の鎧着たる武者三人、
網代に流れかかつて、浮きぬ沈みぬ揺られけるを、
伊豆守見給ひて、かうぞ詠じ給ひける。
『伊勢武者はみなひをどしの鎧着て宇治の網代に懸かりぬるかな』
黒田後平四郎、日野十郎、乙部弥七とて、これらは皆伊勢国の住人なり。
中にも日野十郎は古兵にてありければ、
弓の弭を岩の狭間にねぢ立てて、かき上がり、
二人の者どもを引き上げて、助けけるとぞ聞こえし。
>緋縅の鎧着たる武者三人
きっと
「立派な鎧を着た、いいとこのボンボン3人が、浮いたり沈んだりして
いけてな〜い!」
と頼政に歌でからかわれた
ということですね。
品の無い表現で言いますと
「ザマーみろ、ってんだ!」
かな?
[10] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年12月21日 00時34分31秒 ) | パスワード |
頼政の最期を語るのに
一服の清涼剤のような
ユーモア
の部分ですね。
頼政入道の面目躍如と申しますか。
[11] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年12月21日 00時43分30秒 ) | パスワード |
つまり
『伊勢武者はみなひをどしの鎧着て宇治の網代に懸かりぬるかな』
伊勢武者の伊勢というのは
「白児党」とも呼ばれ 三重県に「白子」がありますね。
それから魚の「白子」
緋縅=ひをどし=ひを=宇治川の名物の氷魚(ひを)という魚
宇治の網代に懸かりぬるかな=ひっかかってやがらあ〜
バ〜カ〜!(高島礼子さん流では「バカばっかし」って感じかな)
頼政が平家のへなちょこぶりを「カッコだけじゃん!」と嗤ってるということです。
[12] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年12月21日 00時46分25秒 ) | パスワード |
あ、わたくしも平家の子孫ですから、後平さんをわらってるということではありませんからね。
こうやって自虐ジョークが言えるということはなかなか「オオモノ」ということですよ。
>自分を褒めるな! ですね 笑
[13] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年12月21日 00時52分49秒 ) | パスワード |
で、黒田後平四郎について、
やっと本題です。
>黒田後平四郎、日野十郎、乙部弥七とて、これらは皆伊勢国の住人なり。
>中にも日野十郎は古兵にてありければ、弓の弭を岩の狭間にねぢ立てて、かき上がり、
>二人の者どもを引き上げて、助けけるとぞ聞こえし
ここでは日野さんがカッコいいのですが
この3人は
日野の源三
鳥羽の源六
黒田の五郎四郎と申す者なり
とも書かれているそうですよ。
「中にも黒田はふるつはものなりければ」
とも書かれているそうです。
[14] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年12月21日 01時17分37秒 ) | パスワード |
源平盛衰記には出てないですねえ。by 今井四郎どのより
平家方より伊勢国住人古市の白児党とて、さゞめきて押寄たり。
宮御方より渡辺者共、省、授、与、列、競、唱、清、濯と名乗合て、散々に射。
白児党に先陣に進戦ける内に、三人共に赤威の鎧に、赤注付たりける武者、馬を射させて川中へはね入られて、浮ぬ沈ぬ流て宇治の網代による。
秋の紅葉の竜田川の浪に浮に異ならず。
網代に懸て、弓筈を岩のはざまにゆり立て、希有にしてこそあがりけれ。
源氏これを見て、
『白児党皆火威の鎧きて宇治の網代に懸りけるかな』
と、平家の侍に、上総守忠清、此有様を見て申けるは、橋は引たれば難渡、河は水早して底不見、人種は尽とも渡すべしとも不覚、追手の勢少々を此に置て敵にあひしらひ、搦手を淀路河内路へ廻て、敵の前を塞て戦はんと云ければ、下野国住人、足利又太郎忠綱進出でて、淀路河内路も我等が大事、全く余の武者の向べきに非ず、橋を引れ河を阻たればとて、目にかけたる敵を見捨て、時刻をへるならば、芳野法師奈良法師参集てゆゝしき大事、此川は近江湖水の末なれば、旱事更にあるべからず、武蔵と上野との境に、利根川と云大河あり、其にはよも過じ物を、昔秩父と足利と、中悪て、度々合戦しけるに、寄時には瀬を蹈舟に乗て渡りけれども、軍に負て落けるには、舟にも乗らず淵瀬を嫌事なし、され共馬も殺さず人も死なず、又足利より秩父へ寄けるに、上野の新田入道を語て、搦手に憑、大手は古野杉の渡をしけり。
[16] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年12月21日 01時29分13秒 ) | パスワード |
<13>は八坂本に出ているそうですよ。
この本が手に入ると良いですね。
[17] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年12月21日 01時50分04秒 ) | パスワード |
一切衆生法界円満輪皆是身命為第一宝とて、生ある者は皆命を惜習なれ共、致奉公忠勤輩、更に以て身命を惜事あるべからず、況合戦の庭に敵を目に懸けながら、轡を押へて馬に鞭打さる条、致大臆病処也、平家の軍将心おとりせり、源家の一門ならましかば、今は此河を渡なまし、栄花を一天に開く、臆病を宇治川の橋の畔に現す、禁物好物自在にして、四百四病はなけれ共、一人当千兵に会ぬれば、臆病計は身に余りけり。良平家の公達聞給へ、此には源三位入道殿の矢筈を取て待給ぞ、源平両門の中に選れて、射給たりし大将軍ぞや、臆する処尤道理也、爰に一来法師太刀を振ば、二万余騎こそ引へたれ、尾籠也見苦見苦、思切て渡や/\とぞ呼ける。左兵衛督知盛聞之、不安事かな、加様に笑れぬるこそ後代の恥と覚ゆれ、橋桁を渡せばこそ無勢にて多兵をば射落さるれ、大勢を川に打ひたして渡とぞ宣ける。
平家方より伊勢国住人古市の白児党とて、さゞめきて押寄たり。
宮御方より渡辺者共、省、授、与、列、競、唱、清、濯と名乗合て、散々に射。
白児党に先陣に進戦ける内に、三人共に赤威の鎧に、赤注付たりける武者、馬を射させて川中へはね入られて、浮ぬ沈ぬ流て宇治の網代による。秋の紅葉の竜田川の浪に浮に異ならず。網代に懸て、弓筈を岩のはざまにゆり立て、希有にしてこそあがりけれ。
源氏これを見て、
『白児党皆火威の鎧きて宇治の網代に懸りけるかな』
と、平家の侍に、上総守忠清、此有様を見て申けるは、橋は引たれば難渡、河は水早して底不見、人種は尽とも渡すべしとも不覚、追手の勢少々を此に置て敵にあひしらひ、搦手を淀路河内路へ廻て、敵の前を塞て戦はんと云ければ、下野国住人、足利又太郎忠綱進出でて、淀路河内路も我等が大事、全く余の武者の向べきに非ず、橋を引れ河を阻たればとて、目にかけたる敵を見捨て、時刻をへるならば、芳野法師奈良法師参集てゆゝしき大事、此川は近江湖水の末なれば、旱事更にあるべからず、武蔵と上野との境に、利根川と云大河あり、其にはよも過じ物を、昔秩父と足利と、中悪て、度々合戦しけるに、寄時には瀬を蹈舟に乗て渡りけれども、軍に負て落けるには、舟にも乗らず淵瀬を嫌事なし、され共馬も殺さず人も死なず、又足利より秩父へ寄けるに、上野の新田入道を語て、搦手に憑、大手は古野杉の渡をしけり。搦手は長井の渡と定たりける程に、秩父に舟を破れて、新田入道河の端に引へたり。入道申けるは、人に憑れて搦手に向ひながら、船なしとて暫も此にやすらふならば、大手軍に負なんず、去ば永く弓矢の道に別べし、縦骸を底のみくづと成とも、名を此川に流せやとて、長井の渡を越けり。同は我等も水溺れては死とも、争か敵を余所に見るべき、況や此河は浪早しといへ共、底深からず、岩高しといへ共、渡瀬多し、河を渡し岸を落す事は、鐙の蹈様手綱のあやつりにあり、馬の足をかぞへて浪間を分よ者共とて進みければ、然べきとて伴者ども、一門には小野寺の禅師太郎、戸屋子七郎太郎、佐貫四郎大夫弘綱、応護、高屋、ふかず、山上、那波太郎、郎等には金子の舟次郎、大岡の安五郎、戸根四郎、田中藤太、小衾二郎、鎮西八切宇の六郎、産小野次郎を始として、三百余騎を伴ける。足利又太郎、真先係て下知しけり。此川は流荒して底深し、大事の川ぞ過すな、肩を並て手を取り組、さがらん者をば弓筈に取付せよ、強馬をば上手に立よ、弱馬をば下手に並よ、馬の足のとづかん程は、手綱をすくうて歩ませよ、馬の足はづまば、手綱をくれておよがせよ、前輪には多くかゝれ、水越ば馬の草頭に乗さがれ、水には多く力を入よ、馬には軽く身をかくべし、手綱に実をあらせよ、去ばとて引かづくな、敵に目をかけよ、余りに仰のき内甲射さすな、余りにうつぶきててへん射すな、鎧の袖を真額にあてよ、水の上にて身繕すな、我馬弱とて、人の馬にかゝりて、二人ながら推流るな、我等渡すと見るならば、敵は矢衾つくりて射ずらん、敵は射とも各返し矢いんとて、河の中にて弓引て推流されて笑はるな、弓の本はず童すがりに打かけよ、あまたが心を一になし、曳声出して渡すべし、金に渡て過すな、水に従て流渡に渡べしとて、橋より上へ三段計打あげて、三百余騎さと打入、曳々とをめき叫て渡たり。橋の下へ一段さがらず、三百余騎一騎も流さず皆具して向の岸へざと上る。見之て千騎二千騎、打入打入渡たり。
引っ張って来たのは
http://www.geocities.jp/rockfish384/yamanouchi/yamanouchi11.htm
「伊達家の家紋を調べていて、偶然武鑑の中に「山内瀧口三郎経俊之事」の記述を見つけ、吾妻鑑にも同じような記載があるので参考に載せました。
源平盛衰記にも「宇治合戦附頼政最後事」「佐殿大場勢汰事」など同じような記載がありこれも載せました。「城太郎平資職之事」は越後に勢力のあった城氏が恵日寺の侍達を引連れ、木曽勢と戦い敗れて、奥会津の勢力図が変り、越後・奥会津での勢力を失う原因となった巻第二十七「信濃横田川原軍事」を載せてあります。」
からです。
[18] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年12月21日 01時57分58秒 ) | パスワード |
吉川英治の新・平家物語(7)もチェックしてみましたが
こちらはもっと簡単に書き流されていました。
吉川英治には筆が進まなかったようです。
[19] | 通りすがりさんからのコメント(2010年02月16日 16時05分06秒 ) | パスワード |
No.7
三重にも後平 姓いました。
http://www5.ocn.ne.jp/~futamifc/okui/okuiotherpage/okunonikkankiroku.htm
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