[1] | 水辺の女していますさんからのコメント(2008年09月24日 02時21分24秒 ) | パスワード |
服部さん
初めまして。
平熱にはいろいろ既に書かれてますよ。
検索してみてください。
「矢」紋は武士の喜んで使う紋で
武士系ならいろいろな姓で使われています。
「並び矢紋」は平家系服部氏の代表家紋。
「並び矢紋」にもいろいろなバリエーションがあります。
「丸に並び矢紋」で「丸」というのが武家出身という話をちらっと聞いたことがあります。
服部姓もいろいろ検索なさってください。
いろいろな服部姓があります。
[2] | 水辺の女していますさんからのコメント(2008年09月24日 02時27分59秒 ) | パスワード |
服部さんもいろいろありまして
さる高貴な御方からコッソリ教えて頂いたことですが
コッソリあなたにもお教え致します。
書こうとすると全部を思い出せないのですが
「神服」と書いてはっとりさんとお読みする高貴なハットリさんがいらしゃるんですよ。
多分昔は「神服部」と書いたのじゃないかしら?
で、「服部」と書くハットリさんは下々のハットリさんじゃないのかな?
笑
こちらの方が圧倒的に多いでしょうね。
その他にも「ハットリ姓」はいろいろな漢字を用いますね。
静岡なんて変わった表記の方がいらっしゃるようですよ。地名かも。
羽鳥とか
そういうのもハットリさんのウチですしね。
[3] | 水辺の女していますさんからのコメント(2008年09月24日 02時33分55秒 ) | パスワード |
服部さんのハットリさんは
御家に伝わるお話はありませんか?
平家だったとか
伊賀出身だったとか
南朝方だったとか
反織田信長だったとか?
こういう所から先祖が割れていきます。
でも日本は戦争が長く続いたので
人間は移動しますから
だいたい三重県〜愛知県〜静岡県が大部分のハットリさんの棲息地ですが
戦いの度に移動し
平家がらみの場所
南朝方がらみの場所
反織田信長の場所
徳川家がらみの場所
こういう所にハットリさんは分散したし
今は近代国家になって転居の自由があるのでもっと広範囲に散らばってますねえ。
世界中に。
[4] | 水辺の女していますさんからのコメント(2008年09月24日 02時42分15秒 ) | パスワード |
「並び矢」とヒトコトで表現する服部氏の家紋もいろいろバリエーションがあって
丸の中に矢が2本並んだのとか
(尾張南西部に多いらしい)
この矢がきれいな矢羽の形じゃなくてバリエーションがあったり
矢が2本じゃなくて3本だったり
丸じゃなくて車だったり
矢2本が互い違いに横になってたり
こういうので家格なんかもあるそうですよ。
つまり嫡流とか庶流とか3男以下の家とかなんとか
分かる人には分かるらしいです。
[5] | 水辺の女していますさんからのコメント(2008年09月24日 02時45分26秒 ) | パスワード |
紋が芸術的な場合「後世」にデザインされたということですしね。
最初は簡単な子供の落書きのような紋なんですよ。
時代が下がり
権力を握り
お金があれば
華麗にデザインしていきます。
そういうのを見れば何時代の誰の紋かと分かるしね。
わたくしは分かりませんがダイタイ空想はできます。
[6] | 水辺の女していますさんからのコメント(2008年09月24日 02時54分40秒 ) | パスワード |
ハットリさんというのは矢紋でも分かるように「豪傑」「弓の道」の達人の家系のようですよ。
(あ〜、見栄張っちゃった〜)
平家の家老の平家貞がそもそも弓の名人だったそうです。
その子の伊賀の家長が俗姓に服部を使い、この人が弓の達人で、弓のコンペで六條院から車いっぱいの矢を拝領して、記念に車+矢の家紋を使い始めた、と聞いております。
ま、いろいろ説はありますから、テキトーに御自分で好きなのとか合理的だなとか思うのを選んでください。
[7] | 水辺の女していますさんからのコメント(2008年09月24日 02時59分54秒 ) | パスワード |
服部さんというのはある新聞記事で知ったのですが
1960年代あたりまで
結構裕福な一族だったそうですよ。
電話を引いてた数から出した統計による話なんですけどね。
昔は「電話がある」というのはかなりの家でないと引けなかったんですよ。
他には高橋さんという名字も見ました。
あ〜
また見栄張っちゃった〜
[8] | 水辺の女していますさんからのコメント(2008年09月24日 03時03分36秒 ) | パスワード |
そもそも「服部姓」というのは日本史と共に出てきますよね。
「ウジカバネ制度」なんてので。
日本の古代職業とからんで。
古代史を見ればハットリさん達が何をしてたか政治とどう関わったか分かるし。
転居もさせられてるし。
伊賀には服部という地名はあるし服部さんの神社もあるし。
[9] | 水辺の女していますさんからのコメント(2008年09月24日 03時10分59秒 ) | パスワード |
ここで平氏系服部さんの話に移りますが
平氏は桓武天皇から出て
東国に住み
そして平将門 VS 平貞盛の喧嘩があって
貞盛は藤原秀郷の助けを得て将門を殺し
その後
この貞盛の子孫が伊賀伊勢に引越し
そして平正盛の子忠盛が朝廷に関わり
清盛が子供として出てきて
平正盛の家の家老をしてた平家貞が忠盛を支えて平家は隆盛になっていき清盛で最高潮になり・・・
おかげで家貞には男子がたくさん出来て
6男の家長が俗姓服部を名乗り・・・
こんな流れですね。
[10] | 水辺の女していますさんからのコメント(2008年09月24日 03時16分09秒 ) | パスワード |
古くからいる土地の権力者と新しい実力を持った人が結び合うというのは想像がつきますでしょ。
ま、追い出す、というのもありますが。
伊賀国の服部さんは古代天皇家に娘を入れてたりしてなかなか力を持ってた。
そこへ東国から平氏一派がやってきた。なかなかアタマの良い一族だった。
あ〜
また見栄張っちゃった〜
こうして服部さん達は日本の歴史を生き生きと、また、辛酸を舐め、生きたのです。
[11] | 水辺の女していますさんからのコメント(2008年09月24日 03時18分58秒 ) | パスワード |
上記に書いた藤原秀郷は子供をたくさんもうけ
その1部が伊勢に来ました。
いわゆる「伊藤さん」です。
この伊藤さんは伊勢伊賀に来た平氏と昔のよしみを再開し
血と涙を共有し
永きに渡って刎頚の友となりました。
[12] | 水辺の女していますさんからのコメント(2008年09月24日 03時28分05秒 ) | パスワード |
794年が桓武天皇の平安遷都でしたっけ?
900年代半ばに 将門 vs 貞盛の戦いがあり
その後〜1000年代に平家の先祖や伊藤さんの先祖が伊勢伊賀に来て
運命共同体を成し
ともに平家として活躍し
南朝方として転戦し
反織田信長で共に敗れ
徳川幕府で一旦縁が切れたのかな?
もし伊藤さんというあなたの人生に於いて不思議な関係の人がいたら昔のよしみでしょうね。
あなたの血のDNAが昔の記憶を醒まされたのでしょうね。
んなコトは無い?
失礼をば致しました。ぺこり
[13] | 服部さんからのコメント(2008年09月24日 11時17分02秒 ) | パスワード |
家の家紋は丸に並び矢で、丸の中に矢が縦に2本ある状態で、丸い矢ではなく、V字型の矢です。
[14] | 水辺の女していますさんからのコメント(2008年09月24日 13時09分34秒 ) | パスワード |
家紋はいろいろバリエーションがあって
それぞれ家が栄えると
各自いろいろちょっとずつ変えたいします。
だいたい丸に並び矢紋の矢は V字 なんですけどね。
だって矢って矢羽を挟みできれいにカットしますからね。
「丸い」という表現の矢は知らないのですが
浅野家の家紋みたいに丸いんだったら「鷹の羽紋」のことかな?と思いますが
並び矢で丸い矢というのは知らないです。
家紋はいろいろバージョンがありますから
そういうところが「家」のアイデンティティということですから
細かい話は、一族限定、ということで
「血」の繋がった人に訊かないとね。一般論では説明がつかないです。
もう彼岸も終わったのかな?
お正月にでも御親戚の長老にお訊きしてみてはいかがでしょう。
系図を持ってる人がいるかもですよ。
必ず自分の家に詳しい人というのがいるもんですよ。
ネットとか本とかに取り上げられてる説では自分の家とは関係ない服部さんかも知れないし
ひどい場合は自分の家の敵方だった服部さんの話かも知れないし。
親、おじおば、祖父母、こんな人にいろいろ訊いたり
郷土史家という人から聞いたり
県の図書館や教育委員会から資料を取り寄せたり
明治の初めのご先祖さまの戸籍を取り寄せて住んでた場所を知るとかね
こんな所から地道にコツコツ調べてみてください。
[15] | 服部さんからのコメント(2008年09月24日 15時51分07秒 ) | パスワード |
沢山のご回答ありがとうございます。
知らなかったことなどがあったり、なかなか、興味深いものまでありました。
本当にありがとうございます。
[16] | 水辺の女していますさんからのコメント(2008年09月25日 00時42分46秒 ) | パスワード |
では、もう1つ余分なことを書いて置きますね。
秋篠宮紀子さまの母方のお祖母さまの御実家は「服部」さんですよ。
ただし、どこの服部さんかは知らないです。
家紋も知らないです。
多分静岡の服部さんじゃないか、と空想はしています。
徳川家がらみでしょうから
結局は伊賀系じゃないかな?服部半蔵の実家系(笑)
案外「さちこさん」がこういう事にはお詳しいかも。メールしてみてはいかがでしょう?
[17] | 水辺の女していますさんからのコメント(2008年09月25日 01時10分16秒 ) | パスワード |
http://www.cty-net.ne.jp/~ninja/hat01.htm
ここに「丸に並び矢紋」と「服部氏」のことが書かれてます。
わたくしが上記に書いた話にだいたい合ってます。
名古屋の尾張藩に仕えてた服部さんの中には「矢筈紋」の家もあります。
どこかで分かれたのでしょうね。
「家紋 矢」で検索するといろいろな紋が見られます。
そういう中にも載っていない「服部さんの家紋」もいろいろありますしね。
わたくしもいくつか知ってますが
わたくしなんかがそういう家々のことを書いたら「アンタに書かれたくない」と言われ
血の雨が降りそう〜
一般的に言って、三重県〜愛知県〜静岡県の服部さんは丸に並び矢紋あたりでしょう。
元は伊賀の平家系なんでしょうけど、いろいろな事情で源氏を称したり、藤原姓を称したり
そういう細かい話が「その家のアイデンティティ」ということで
他人からとやかく言われることじゃないし
[18] | 水辺の女していますさんからのコメント(2008年09月25日 01時38分03秒 ) | パスワード |
日本では「名」とか「家」とかいうのが非常に重要で
剣豪で有名な「荒木又右衛門」も俗姓の荒木じゃいやだからと誇り高い服部姓を称したり
ごちゃごちゃやってますよ。
明治の時には皆さん悩んだでしょうね。
本姓の平にするか
俗姓の服部にするか
そのまた枝別れした荒木や百地や藤林や柘植のままにするか。
昔は紋も勝手に替えられなかったから(今は知らない人もいる時代)
本心は「源氏車に並び矢紋」を使いたいけどとか
平家の家紋である「蝶紋」を使いたいけどとか
と思っても使えなかった。
だから服部さんが(ウチの先祖は平家なのかと「揚げ羽蝶紋」を使いたい)なら今は使っていいし
やっぱり「丸に並び矢紋」でいいやと思うならコレでいいし
先祖を記念して揚げ羽蝶紋を正紋として丸に並び矢紋も使っていいし
こういうことをちゃんと子孫に伝えておけばあなたの御子孫はアイデンティティ・クライシスを持たなくて済むし
きっとね
ご先祖さまがあなたに「うちの家のことをちゃんと伝えておけ」と望んでいらっしゃるのですよ。
平家の服部さんでも「うちは源氏と聞いている」という人がいても良いのですよ。
南北朝の戦いの時に南朝方について新田家と深いつながりが出来て
それで源氏方の「方」の字が落ちて「うちは源氏」と言ってるのかも知れないし
江戸時代に徳川家と深い繋がりが出来て「うちは源氏」と称することになったのかも知れないし
それがその家のアイデンティティですから
外野が批判する必要は無いです。
長い長い歴史を生きてきた家なら、いろいろな事情があったのです。
その時の御先祖さまの涙とか血とか高揚とか名誉とか
いろいろなことが名や紋などに刻まれています。
そういうことを御先祖さまがあなたに知って欲しいと呼びかけて来ているのかも。
御先祖さまを大切にしますとね有形無形いろいろな形で助けてくれますよ。
御先祖さまは子孫の幸せを願っていらっしゃいますから。
1度下関の赤間神宮の七盛塚にいらっしゃってはいかがでしょう。
江戸時代に奇特な方が平家のみなさんの菩提を弔ってくださっています。
もちろん御先祖さまの「本姓平 俗姓服部 伊賀の平六 家長」の塚もありますよ。
[19] | 水辺の女していますさんからのコメント(2008年09月25日 01時51分46秒 ) | パスワード |
平六
というのは「平氏の家の6番目の息子」という意味ね。
昔は名前を見ればいろいろ分かりました。
逆に梶原景時は平氏(坂東平氏ね)なのに頼朝にゴマをすって
息子を「源太」なんて呼んでましたけど。
これから梶原景時がどんなに頼朝を敬愛してたかが分かります。
平家は「伊勢平氏」です。(もとは坂東なんだけどね)笑
それで坂東平氏と区別するのに「伊勢平氏」=「平家」となりました。
平家はもともと伊勢と伊賀が本貫地です。
要するに三重県です。
三重県の山の中あたりには美しい人が男女ともに多いですよ。
平安末期の平家の公達や姫君はこういう顔してたのかな〜なんて連想してしまいます。
[22] | 水辺の女していますさんからのコメント(2008年09月26日 02時39分33秒 ) | パスワード |
宮崎さんってお名前ですか。
美しい女性ですね。
十二単をお召しになったら、それはそれは美しいでしょうね。
天皇のお后になれるような美貌ですね。
その上、弦もお出来ですし、外国語も数ヶ国語、堪能でいらっしゃるでしょうし、
教養の深さを備えていらっしゃいますね。
ステキn
[24] | 水辺の女していますさんからのコメント(2008年09月27日 14時33分42秒 ) | パスワード |
鈴木京香さんやムカシの人では朝丘めぐみが平家の末裔とか桓武天皇の子孫とかで知られています。
[25] | まじかさんからのコメント(2010年09月14日 06時48分03秒 ) | パスワード |
うちも 服部で家紋が 丸に並び矢っす
たしかVです
小さい頃 亡くなったじいちゃんが 服部半蔵のドラマみてるときに
「ウチと同じ丸に並び矢だ!」
と言って ルーツ探しに旅立ったのを思い出しましたw
大人になったら自分も気になりだしました
[26] | 矢萩 某さんからのコメント(2010年11月14日 03時10分15秒 ) | パスワード |
私に 本家は 茨城です。 名前は 矢萩で 家紋は 丸に並び矢 です。
矢作 → 矢矧 → 矢萩 先祖は 矢を作っていた 職人?
服部性 と関係あるんでしょうか。
[27] | 服 部さんからのコメント(2012年03月17日 14時07分12秒 ) | パスワード |
「丸に並矢羽」の家紋について
三重県の姓名で、服部は14番目に多いとネットに出てきます。
尾張西部や三重県に多い姓です。
多くは知りませんが、わが「服部」も家紋は「丸に並矢羽」で、立矢です。
愛知県の弥富市では、服部姓は2番目に多いそうです。
かなり前、弥富市の職員が電話帳で調べたらしい。
病院で、患者呼び出しの際、「服部さん」「服部さん」では混乱するので、ほとんどフルネームで呼ばれます。
服部より
[29] | 丸に並び矢さんからのコメント(2012年08月27日 17時07分53秒 ) | パスワード |
「丸に並び矢」という家紋は源氏の正統の紋所で、
元々は皇籍離脱して源の姓を賜った元皇族のみに許された紋.
ちなみにうちも「丸に並び矢」の家紋です。
姓は藤原です。
[30] | 半蔵さんからのコメント(2012年12月12日 02時18分17秒 ) | パスワード |
ウチの姓も服部で、丸に並び矢です。
本家の話では、十二単の時代、今で言う服飾デザイナーのような仕事で、服の部と言う部門、から服部となったといわれています、、
まあ、真意のほどはわかりません。
予断ですが、ウチの家系は、家系図によると双子が生まれる確立がかなり高いです(笑)
[31] | 丸に並び矢さんからのコメント(2012年12月22日 11時56分06秒 ) | パスワード |
服部家紋・服部歴史・服部家系図・記載されてます。
http://www.hattorike.com/
ここで、もし必要であれば連絡してみたらいいと思います
私もここで、自己出版の【 服部家の歴史 】と本を頂戴いたしました。
400ページ以上の分厚い書籍です。国立図書館にも寄贈されてます。
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