[1] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年08月27日 08時34分28秒 ) | パスワード |
初めまして。
全く分りませんが
参考として
松山市の「坊ちゃん書房」の佐伯氏に
松山藩士が調べられる本を御注文なさってはいかがでしょう?
[2] | 籾山俊幸さんからのコメント(2008年08月30日 06時01分59秒 ) | パスワード |
ご返信遅くなり恐縮です。ありがとうございます。
注文致したいと思います。また、愛媛県立図書館にそれらしき文書の絞りこみ
など行っております。
[3] | 愛地球さんからのコメント(2013年02月02日 16時50分17秒 ) | パスワード |
石原慎太郎の曾祖父が服部信義ということで
どういう人か検索していてこのページにぶつかりました。
http://ictmax.jpn.ph/mediawiki/index.php/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E
http://blogs.yahoo.co.jp/momi2837/28727266.html
にあるように、服部家から石原家に服部信直が養子にいったようです。
同姓同名かもしれませんので参考までに。
松山藩士と慎太郎はいってるみたいです。
[4] | 空の青海のあをさんからのコメント(2013年02月03日 07時30分33秒 ) | パスワード |
慎太郎の息子で気象予報士をしているのが
「うちは元は松山の服部姓で、最近、石原姓に変わった」
と言ってました。
服部信義の次男で籾山家に養子に出たのが重算で
重算が養子に行った(男子のいなかった)籾山家には娘が2人いて
妹の方の夫が青地資方で
資方の末妹が高野長英の妻
ということになりますか。
思わぬところで思わぬ人の名前が出ましたね。
日本は8代も遡るとみんな親戚になると聞きますが
わたくしも思わぬ所で思わぬ名字を発見しました。
つまりわたくしも籾山さんと親戚回りになっちゃう?
それも何重にもグルグル巻きで?
笑
日本ですね。
[19] | 永井 巳知夫さんからのコメント(2020年07月26日 14時51分10秒 ) | パスワード |
籾山重算の姉サイと永井與一郎の息子 瀬太郎→東三郎→巳知夫(私) 祖父瀬太郎は16歳の時、勧められるまま母方の叔父服部家籾山氏を頼りに、名古屋に出ます。18歳の時、松山二番町の服部という失明した学者の細君がする下宿屋に河東碧梧桐の親友遠山旭渓と同居、明治28年大阪に出ていた瀬太郎は松山に帰郷の際は、二番町の母方の実家籾山邸に寝泊まりし、近所の漱石の下宿「愚陀仏庵」にて療養中の子規に指導を受け、松風会の面々に加え漱石や鴎外も参加、柳原極堂如きは毎日手弁当持参で、終日終夜句会が催された。・・・・「瀬太郎伝記」より
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