キーワード:つげと言う名の謎解き コメントの種類 :その他
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はじめまして、正敏です。みなさんはご存知の通りつげの名前が最初に歴史に登場するのは、邪馬台国の都支、闘鶏(つげ)です。そして卑弥呼の古墳が、その名前を闘鶏山古墳、また古代大和には倭国、闘鶏国、葛城国が有力でした。少し憶測ですが、邪馬台をヤマタイと現代では読みますが、それはヤマトと読む方が自然だと僕は思います。となるとヤマタイ=大和朝廷に繋がるのが符合的にも、歴史的背景的にも自然に考えられます。つげ氏はヤマトと合流し古代史からとりあえず、その名を潜めようとします。しかし神武天皇の死後長男神八井耳命は、叛乱をおこした庶兄に止めをさせず、その弟に皇位を譲ります。そしてこの神八井耳命の息子がつげの直(携帯では変換できません)です。ここに初めて歴史につげを名乗る人物が出てきます。つげの直は闘鶏の国、いまの三重から奈良にかけてを与えられます。つまり柘植と闘鶏とつげの直のつげは同一である推測が成り立ちます。それはつげの直の子孫である事の、可能性の高い平宗清が柘植宗清を名乗った事からも符合の一致以上の信憑性が得られると思います。
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