[1] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年07月09日 04時23分42秒 ) | パスワード |
F ISEさん
伊勢と伊賀は平家の本貫地だったので
確かに平家と伊勢国は関係がありますが
また長門国と平家も関係ありますが
でも「伊勢」という苗字がイコール「平家」とは言えないですねえ。
まず御先祖さまの明治初期の除籍謄本を手に入れ
明治の初めに「伊勢」姓を名乗っていたのかどうか。
もし名乗っていらっしゃったら
図書館で郷土の歴史関係から伊勢姓の人を探します。
もしかすると伊勢出身の商人で屋号が「伊勢屋」さんだったかも。
この2つをハッキリさせると良いと思います。
800年という時間が経っているし人間は動きますしね
お盆が近いので御親戚のおじまさやおばさまからお話を聞けると良いですね。
巻物は系図じゃないでしょうか?それか家書か。
お盆の席で誰がかっぱらって行ったか、誰に貸し出してそのままになったのか、
分かると良いですね。
[2] | F ISEさんからのコメント(2007年07月09日 19時39分54秒 ) | パスワード |
暇潰しのギャンブラーさん 殿
早速の、ご回答ありがとうございました。心より感謝申し上げます。
さて、アドバイスをいただきました「先祖の明治初期の除籍謄本」を取
得したいと考えております。
やはり、名字が商人的な部分もありますので、まずは事実を確認して調べて
いきたいと考えております。
結果については、後日掲載(8月位になるのかなー)させていただきたいと考
えております。よろしければ再度アドバイスをいただければ幸いです
[3] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年07月10日 00時31分20秒 ) | パスワード |
「伊勢」姓は室町幕府関係に多いですね。その後江戸幕府にもお勤め。
元は北朝方かな?
わたしは平家関係は南朝方だと偏見を持ってます。笑
そのほか
伊勢新九郎という北条早雲になった人がいますね。
伊勢出身だとか。
それがなんで北条氏に改姓して三つ鱗紋を使用?
実は元は鎌倉幕府から伊勢に送られた元は坂東平氏出身で
平家には関係は無い?
[4] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年07月10日 00時43分36秒 ) | パスワード |
伊勢姓で1番古い家としたら古代伊勢国の豪族の御子孫という事もありですよ。
父の知り合いで「尾張」さんという方がいらっしゃって
この家から「古代尾張国」の名がついたという家です。
細々と今でも続いている
と15年ぐらい前に聞きました。
お盆の時にでも
おじさまおばさまから古い戸籍謄本を譲っていただいてはいかがでしょう。
昔の(1950年代や1960年代の)戸籍謄本には
士族だとか平民だとか華族だとかの記載がありました。
華族でも分家になっていくとそのようにちょっと漢字が1文字が加えてあったと聞いています。
1950年代に亡くなった母方の祖父の戸籍謄本には「士族」と書かれていました。
1970年代になると日本の4つの身分を区別する文字部分が読めないように隠されています。
今は最初っからそういう記載は無かったようになっていますが。
除籍謄本は御自分から遡って1つ1つとっていきます。
それなら家族関係が分かるでしょ。
取得目的は「先祖供養600年忌開催のため」とかなんとか理由を書いてください。
遡って明治の初めまで取れると良いですね。
時間とお金がかかりますが
引越し先などが分かって、一族の住んでらっしゃる場所が分かりますから
便利ですよ。
今は個人情報が何とかで親戚のも取れなくなってますから。
戦争中あたりの戸籍謄本ならみんな載ってますよ。ビックリするぐらい。
[5] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年07月10日 00時56分50秒 ) | パスワード |
伊勢姓の可能性:
古代豪族伊勢氏
伊勢国関係者
平家関係の伊勢氏
坂東平氏の伊勢氏(鎌倉幕府関係?室町幕府関係?徳川幕府関係?)
伊勢出身の商人
その他
明治の初めの戸籍に記載されている場所が江戸時代に住んでた場所の可能性が大きいので
この情報は重要だと思います。
また御先祖さまが南朝方だったかというのも大きい情報だと思います。
やはり御親戚のおじさまおばさまから御先祖さまのお話を伺うことでしょうね。
家紋もいろいろ伝わっているでしょうからみんな聞き出すといいですね。
今は1つしか使ってないのが普通なので
江戸時代に替えたのが今に伝わっているということもありなので
家紋はアテにならないと思います。
系図や家書に苗字や家紋についていろいろ書いてあると助かりますよね。
必ず御先祖さまに関心のある方が一族にどなたかいらっしゃるものです。
(だいたいこういう人がかっぱらっていく 笑)
写しを持ってる人がいたりね。
御長老のみなさんが続々鬼籍に入るかも知れませんから今年がその最後の機会かも。
今年のお盆は皆さんが集まる大切な機会になるかもですね。
[6] | 源三さんからのコメント(2007年07月10日 01時15分57秒 ) | パスワード |
はじめまして伊勢さん、そして暇潰しのギャンブラーさん
ご無沙汰しております。
伊勢氏で有名なのは室町幕府奉公衆の伊勢氏で後に関東に下った
伊勢新九郎こと北條早雲の後・北條氏系が有名ですね。
しかし今回の依頼者である伊勢さんのお住まいが北九州ということで
今回九州の伊勢さんを紹介しますね。
→豊後国(大分県)国東郷の伊勢氏
http://www.e-obs.com/heo/heodata/n227.htm
ここに伊勢氏の記述があります。
この近辺の地頭に伊勢氏がいたようです、二階堂氏
の一族とありました。では。
[7] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年07月10日 01時27分36秒 ) | パスワード |
江戸時代に武士は藩に、その他の人も村に、自分の出自などを申告しているので
こういう書物で調べるということもできます。
俗姓の他
本姓(源平藤橘その他の姓)
出身地
家紋
こういうのを申告しています。
江戸時代は勝手に名字を変えたり家紋を替えたりは出来なかったんです。
ですから自分の出自を隠してきた人は江戸時代に申告したもので固定されました。
江戸時代、庶民は一応名字を名乗れなかったけど、家に伝わってるしね。
逆に明治維新で戸籍作成時にチャッカリ名家の名字を変えた人はカシコかったと思います。
笑
でも
江戸時代にこういう制度があったので日本人は出自をごまかしたってスグにばれますしね。
日本人はそうそう勝手な名字は名乗らなかったと思いますよ。
まさか明治政府になったからといって関係ないのに「徳川」なんて名乗った人はいないでしょう。
日本人はあんまり自分の出自というかアイデンティティを誤魔化さないと思います。
これは江戸時代の身分制度がしっかりしてたから。
あんまり無茶な作り事は言わないし。
御親類のおっしゃるお話に(まさか)と思うようなお話が出たとしても
なんらかの「事実」を含んだお話だと思うのです。
それがその御家のアイデンティティということですから批判されるいわれはない。
取り敢えずいろいろなお話を全部聞き出すことですね。
[8] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年07月10日 01時29分39秒 ) | パスワード |
おや、源三どの。
お久です。
今はHNを上記のように替えています。
笑
もう4年ぐらいです。
[9] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年07月10日 01時39分02秒 ) | パスワード |
ここですね:
弘安8年(1285)の「 豊後国 図田帳(ずでんちょう) 」では「国領国東郷三百町、領家松殿二位中将御跡、地頭職信濃伊勢入道殿跡」とのみ見える。領家の松殿二位中将とは関白 基房(もとふさ)の4男 忠房(ただふさ)の子 良嗣(よしつぐ)、信濃伊勢入道は二階堂信濃入道の兄、執事従五位下伊予守 行綱(ゆきつな)の子伊勢守 盛綱(もりつな)入道 行真(ぎょうしん)のことと比定されている。
嘉暦3年(1328)、 来浦(くのうら)地頭 職(しき)のことで、後家良全の親父田口蔵人治郎入道正月が当浦へ乱入し、伊勢孫太郎 親景(ちかかげ)の母 妙円(みょうえん)の再夫七郎 貞景(さだかげ)等を追い出し、放火 狼藉(ろうぜき)を行ったという訴えがあった(「 大友史料 」)。
来浦の谷には、 二階堂氏 の一族の者が移り住んで 伊勢氏 を称していたらしい。
[10] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年07月10日 01時55分46秒 ) | パスワード |
本姓平
俗姓伊勢氏
季衡流
使用家紋:対い蝶(蛾が2匹=蝶が2頭=羽を伸ばして頭突きしてるデザイン)
この家紋を使っていたというお話が出ると良いですね。
[11] | F ISEさんからのコメント(2007年07月12日 19時52分04秒 ) | パスワード |
暇潰しのギャンブラーさん 源三さんいろいろと情報ありがとうございます。
実は、私の名字は、少し違う字を書くのです、伊勢の「勢」の字の左上部分が
「生」という字になっているんです。(残りの部分は同じなのですが)なにか
意味があることでしょうか?
また、あれからいろいろ考えていて、一つ思い出したことがありました。
昔、町の資料を見たとき、明治初期(だったと記憶しています)には先
祖の名前が出ていました。(明治だとあまり関係がないとは思いますが・・・
現在資料を探しているところです。)
今後、いろいろ調べていくつもりです。今後ともアドバイスをいただければ
幸いです。
[12] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年07月13日 01時38分30秒 ) | パスワード |
>意味があることでしょうか?
こういう所が「おたくさまの御家のアイデンティティ」ということだと思います。
漢字って
今は文部省が制定した範囲で使う
わけですが
昔は文部省制定前ですから
漢字で他家と区別をつけてたわけです。
勿論家系図の中でそう書かれているというのは
書いた人の癖とか誤字というのも考えられますが
その「セ=ケイ+力」(ケイの字が無い)じゃなくて「生+丸+力」という文字が本来のお宅さまの使用文字でしたら
何らかの理由があったわけですから
そういうことが家書に書かれていたらいいですね。
現代の中華人民共和国では漢字を省略してて
「勢」の字は「手偏」(才みたいな字)に丸に力なんですよ。
漢字は単純に「いせ」姓なら「伊勢」の字だと思うのは
教養の浅さを示していると思います。
草書でもワケ分からない字に変化しますものね。
ですからそういうお話をお盆などでおじさまやおばさまにお訊きなさったら良いのです。
明治時代に戸籍を作った時に
役人が無教養で
そういう字で書かれた為にその字を今に至るも使わなきゃいけなくなった
という場合もアリですけどね。
母の父親なんて使用漢字は「喜」なのに
ある転居先の戸籍の漢字だけは「善」になってるんですよ。
「間違ってますよ」と言ったら
「ここの戸籍はそうなってる」で頑張られてしまいました。
役所って自分達が間違ってるのはオーケーですもんね。
実はわたくしも役所に座ってた時があったんで(笑)
ですから「勢」なのか「生丸力」なのかハッキリさせなくてはね。
こういうことは他人からとやかく言われることじゃないです。
菊池寛の「寛」には「、」があって
菊池は「俺はお前達より点が1つ多いんだ」と芥川や久米にえばったんですって。
そしたら
「テメエのオヤジが無教養だったって証拠だ」と言われたそうですよ。
菊池と芥川と久米と同じクラスだった英文学者から聞きました。笑
[13] | 日本の苗字七千傑さんからのコメント(2007年07月13日 10時54分45秒 ) | パスワード |
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/ |
F ISE 様へ
「勢」は、誤字、俗字の異体字が五種存在します。
現在のWindowsシェアが約97%以上の実情では一般的に伝えることは困難です。
文字化け防止は、今昔文字鏡のフォントや超漢字4のOSを使用すれば有る程度可能ですが、表示環境が極めて限定されます。
詳細は「日本の苗字七千傑」Q&Ahttp://www.myj7000.jp-biz.net/q&a/fq&a.htm のQ34を参照のこと。
伊勢と言うと現在の三重県が浮かんで、即平家と判断しがちなのは解ります。
しかし伊勢国以外にも、上野国吾妻郡伊勢町、下総国葛飾郡伊勢宿、越前国大野郡伊勢、近江国栗太郡伊勢邑、播磨国揖斐郡伊勢邑、伯耆国八橋郡伊勢邑などが存在します。
また伊勢原、伊勢崎などは伊勢国出身の人が多い地域で、伊勢の地名が遷移したものですから、前記の伊勢も地名遷移した可能性があります。
伊勢姓は、伊勢守などの官職名、伊勢地名、伊勢屋の商号の三種類の系統があります。
門司区は旧国郡制では豊前に属しますから、源三さん紹介の豊後伊勢氏か伊勢商人のどちらかの可能性が高いものと推測されます。
後は地道に除籍簿、過去帳、古文書、墓碑、郷土史を調査することが王道と考えます。
[14] | F ISEさんからのコメント(2007年07月15日 01時12分06秒 ) | パスワード |
暇潰しのギャンブラーさん日本の苗字七千傑さん
いろいろありがとうございます。
さて、伊勢の「勢」の字の件ですが、意味があることだと考えているのです。
当初私は、役所の手違いで「勢」の字が「生+丸+力」となったと考えて、
戸籍を変更しました。(お墓は「生+丸+力」を使用していますが)しかし、
その後、映画の最後の出演者の紹介の中に伊勢の「勢」の字を「生+丸+
力」を使用している方がおられて、役所の手違いではなく実在する文字なの
だと認識したのです。
もし、仮に明治時代より前に、漢字で他家と区別するため、意図的に「勢」の
字を「生+丸+力」としていたら、先祖のルーツをたどる上で重要な手がかり
になるのではと考えています。
…それから、小学校の記念書物を調べていて、明治38年卒業者に私の先祖を見
つけました。(意味がないか〜)
また、ジーちゃん・バーちゃん・父は他界し、先祖についての話を聞ける者
がいません。
夏休み休暇のときに「役所」「図書館」を回っていろいろ調べたいと考えて
おります。
最後に、本日は後輩の結婚式でした。(台風の中)
新しい家族が生まれる式に出席して、ますます先祖について知りたいと考えま
した。
[15] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年07月15日 09時56分26秒 ) | パスワード |
漢字はホントに「意味」があるんですよね〜
特に名字に用いる漢字はその家のアイデンティティですから
勝手に変えちゃいけないんですよ。
元に戻すには裁判所の許可がいるんでしょ。
でも、裁判所にお願いする意味はありますよ。
だって、御子孫に首相か大臣か、はたまた皇太子妃が出現するかも知れませんからね。
そういう日本の歴史的「記録」に載るかも知れないんですから、
やっぱりどこかで御家のアイデンティティというのは維持しなきゃね。
実はわたくしも家書の御先祖さまの記録に書かれた漢字が
(間違ってるじゃない、なんでこんな字を書いてるのよ、このバチ当たりがぁ〜!)と思って
勝手に赤ペンしちゃったんですよ。
その後、史料に「南朝方」はその漢字を用いる、という説明にぶち当たって
(え?バチ当たりはワタシだったの?)と。
恥
ですからね、
他人がどう言おうと、
そこに何らかの「御家の事情」が隠されているんですから
それは守らなきゃ。
こうやっていろいろ一生懸命御先祖さまの事を考えていらっしゃると
次から次に
目や耳に飛び込んで来ますよ。
こういうのって
御先祖さまが送ってくださる波長をキャッチできるようになる
って事なのかな?
[16] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年07月15日 09時57分47秒 ) | パスワード |
>映画の最後の出演者の紹介の中に伊勢の「勢」の字を「生+丸+力」を使用している方がおられて
この方の事務所にお手紙を書かれてはいかがでしょう。
お返事がこなくて元々という覚悟で。
もしかすると御一族かもですね。
[18] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年07月15日 10時08分14秒 ) | パスワード |
>…それから、小学校の記念書物を調べていて、明治38年卒業者に私の先祖を見つけました。(意味がないか〜)
いえいえ
意味ありますよ。
その小学校の御近所に同じ名字の方が今もいらっしゃるといいですね。
とにかく古文書に「生+丸+力」の使用者が見つかるといいですね。
もう古代から
特に鎌倉幕府以降
そういう歴史的関係の筆で書いた物が読めるといいですね。
東大や京大の古文書関係のサイトに行ってみてはいかがでしょう。
伊勢国関係で使用したのか
伊勢守関係で使用したのか
古代豪族が使用したのか
そういう時代だけでも分かるといいですね。
とにかく先祖探しというのはちょっとやそっとでは無理ですよ。
30年ががりとかライフワークとか
そういう長距離計画で取り掛からないと。
ちゃんと御先祖さまが助けてくださいますよ。
取り敢えず曽祖父さまかな?明治26年頃生まれの御先祖さまの周りを探りましょうよ。
お名前が分かっただけでも「身近」な存在になりましたでしょ。
笑
[19] | 日本の苗字七千傑さんからのコメント(2007年07月15日 12時55分41秒 ) | パスワード |
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/ |
暇潰しのギャンブラー様へ
伊勢の「勢」の字にご執心の様ですが、現在の字体が正字体として多く認識される様になったのが明治以降のことなのです。
幕末以前は、様々な異体字が存在していました。
最も一般的な字体は「国郡絵図」や「和漢三才図絵」の伊勢の項に見える左上が「幸」、右上が「丸」、下が「力」です。
次に「六十余州名所図絵」などの「生」+「丸」+「力」の字体です。
両字ともパソコンでは入力不可です。
江戸時代の漢字にJIS規格などは無かったわけですからね。
またこれは伊勢姓に限らず多くの姓で見られる現象で、各人は社会生活上から簡体字と異体字とを使い分けているのです。
しかし古文書解読などには、異体字の知識は必須です。
異体字に興味がある方は下記URLの利用をお勧めします。
「生+丸+力」の字体が拝めますよ!
今昔文字鏡 http://www.mojikyo.org/html/index.html
[20] | ジャックさんからのコメント(2009年10月07日 01時50分56秒 ) | パスワード |
F ISEさん
大変古い投稿のコメントになりまして恐縮です。
私の苗字も「伊勢」でして、明治の戸籍を見ると伊勢の「勢」の字の左上部分が「生」という字です。
また、墓石も同様です。
ただ、年代を古い順に辿ると、「生」→「勢」→「生」→「勢」と混在しています。
日本の苗字七千傑様のおっしゃる通り、戦前の戸籍は、手書きのため混在もありうるのかなぁと。
私の家の家紋は、「対い蝶」でして祖父の代までは、長崎に住んでおりました。
幕末は、島津藩に仕えていたことまでは判明しておりますが、それより昔の事は
判っておりません。
家系図も伊勢湾台風で紛失してしまいました。
宮崎、鹿児島に姓の違う親戚がおりますが、伊勢姓の親戚はおらず
私もルーツを探しております。
鹿児島大学の図書館に色々と資料がありましたよ!
[21] | 上瀧ミツゴロウさんからのコメント(2009年10月27日 18時58分14秒 ) | パスワード |
参考になるか分かりませんが三重県のハローページ個人名版で《伊勢》姓を調べてみました。
【四日市1軒】【伊賀1軒】【名張1軒】【尾鷲1軒】合計4軒
滋賀県【草津1軒】【甲賀1軒】合計2軒。
井瀬、伊瀬姓もあります。
ほか伊勢川、伊勢谷、伊勢崎、伊勢本、伊勢村などの姓がみられます。
[22] | 上瀧ミツゴロウさんからのコメント(2009年10月28日 12時07分47秒 ) | パスワード |
《日本の苗字七千傑様》
貴方様のサイトを時々利用させて頂き、大変助かっています。この場をお借りしてお礼を言わせていただきます。
あれだけの膨大なものをよく調べられたものだと、ただただ驚いています。
貴方様への連絡方法が分かりませんので、失礼ながらこの欄に書きこまさせていただきます。
私は先祖の口伝「落ち武者のように嬉野の吉田に落ちてきた」を手掛かりに、武雄や嬉野に伝わる、平家の落ち武者について調べています。
NTTハローページ個人名版を利用し、吉田にだけある姓、吉田に多くあり、佐賀県にいくつか散らばってある姓を拾い出し、貴方のサイトで出自を調べかでました。
その結果が『伊勢』だと分かりました。
三重県の電話帳を全て取り寄せ調べたところ、いくつも伊勢発祥と思われる姓が出てきました。
その姓の中で特徴的なのが『伊勢馬場』姓です。
武雄の真手野に8軒あります。佐賀県の主な市には他にありません。
貴方様のコーナーでは【肥前発祥か、出自不詳、現在佐賀県武雄に多い】とあります。
三重県と佐賀県の【馬場】姓を調べると両県に沢山の馬場姓があります。
三重県には【伊勢馬場】姓はありません。
真手野には平家の落ち武者伝説もあり、伊勢から武雄に来た【馬場】姓の人が、佐賀にも多い馬場姓との違いを示すために、頭に【伊勢】をつけたのではないかと思うのですが…
真手野では、ほかに【奥山】姓が伊勢から来たのではと思われます。
嬉野の吉田では、【向井】【東】【林田】【打田】【中森】【松林】【亀井】の各姓が伊勢から来たようにみえます。
[23] | 日本の苗字七千傑さんからのコメント(2009年10月29日 22時18分11秒 ) | パスワード |
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/ |
上瀧ミツゴロウさん へ
いつも「日本の苗字七千傑」をアクセスいただき、ありがとうございます。
伊勢系苗字分布調査をご苦労様です。
平家落人説を全て否定するわけではありませんが、伊勢の苗字が全国各地に多数存在するのは別の理由に拠る。
平安時代後期から鎌倉時代に××御厨や××御園という伊勢神宮(内宮・外宮)の荘園が伊勢・志摩を中心に全国各地に膨大な数の分布をしている。
(他に賀茂神社系の御厨が存在する)
地方には本宮(伊勢)より荘園管理の定使が派遣されており、その影響で伊勢系苗字が多いのである。
肥前には松浦党の御厨という苗字が存在する程、伊勢神宮とは縁がある。
断定は出来ないが、伊勢馬場は伊勢国奄芸郡窪田御厨馬場の地名を負う人物が肥前の御厨系荘園に派遣されて後裔が名乗ったものと考える。
伊勢神宮の中臣氏族、荒木田氏族、度会氏族の苗字を当たれば、全国の御厨系荘園の存在する地域に同苗を見つけることがある。
[24] | 上瀧ミツゴロウさんからのコメント(2009年11月04日 19時19分56秒 ) | パスワード |
日本の苗字七千傑様
ご教示有り難う御座います。そんな歴史には無頓着で調べていました。
そういえば1167年に平清盛が、杵島郡内に大功田を与えられると云う記述を【武雄市史】で読んだ記憶を思い出しました。
当然、大功田を治める代官が伊勢から派遣されのでしょうか。
それらを考慮しながら、苗字によって私の先祖と、平家伝説を私なりに調べて
みたいと思います。
話は変わりますが、武雄へ行った時に《久池井商店》と云う看板を見つけて少し驚きました。何故なら私が子供の頃に住んでいて、上瀧(じょうたき)の本家や分家がある地名と同じ姓を見つけたからです。
ちょうど、武雄の図書館へ、先祖の事跡を調べに行ってました折りに、《石井文庫》の中で、《久池井氏》は石井氏の分家である事をみつけました。
貴方様の【日本の苗字七千傑】で久池井氏が佐賀郡久池井邑出自とあるのをみて更に驚きました。
龍造寺隆信が支配する以前の久池井を含む春日や高木瀬あたりは、高木氏が支配していて、久池井氏は高木氏に仕えていたのではないか?
高木氏が少弐氏側に属して龍造寺隆信と戦い敗れて、高木氏が滅ぶと、久池井氏は龍造寺氏と敵対している武雄の後藤氏の領地へ落ちて行ったのではないか?
その久池井を私の先祖、《上瀧志摩守》が肥後への出陣の功で貰い受けているのです。
その後、代々久池井に住み、現在に至っています。
いろいろ書きたい事もありますので、《日本の苗字七千傑》様の書き込みのページがあればお教え下さい。
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