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 投稿番号:100985 投稿日:2007年02月18日 23時58分42秒  パスワード
 お名前:服部明子
織田信長暗殺の謎に迫る:伊賀の服部氏2

コメントの種類 :その他  パスワード

織田信長暗殺の謎に迫る?!:伊賀の服部氏
http://www.hikoshima.com/bbs/heike_slink/100214_98.html
の続きです。

[1]さんからのコメント(2007年02月19日 13時06分47秒 ) パスワード

明子さん、いつもお世話になります。m(__)m

さちこさんへ

>長島と近江の間では経済的繋がりだけでなく人の交流もあったはずだと思うのです。

確かに、そうでしょうね。
昔の流通経路はこちらが思うよりずっと発達していて、情報も早く伝わっていたと思います。
もちろん、それに付随して人の繋がりもあったと思います。
はっきりと記録に残っていなくても、歴史資料を読んでいると見えてくるものが、
いろいろとありますよね。

うちの先祖も、瀬戸内〜大坂の流通に関わったのだということが見えてきました。
おそらく主に運んだのは「塩」です。
もしかして石山合戦のとき、兵糧として提供する塩を作るために向島に移り住んだのかも・・・
向島は他のしまなみ海道の島同様、中世から製塩業が盛んでしたから。
採れた塩をすぐ、村上水軍の船に積み込めるような場所ですし。

>昔木曽岬は唐戸とよばれいました。
>今は加路戸になってますが唐崎という地名は残ってます。
>国際貿易してたかも。

「唐戸」というと、下関の唐戸を連想しますね。旧イギリス領事館の建物があります。
きっと木曽岬も、中国船が出入りしてたんでしょうね。


>私はこの話を事実だと信じたい。
>いつも言ってるでしょ!服部家は美系だって。(爆)

それで思い出しました。

先日テレビで、建築家の「服部さん」(4人家族のお父さん)が、
自ら設計した家を建てる様子を追った番組をやってました。
時々奥さんと意見が分かれて喧嘩しつつ(笑)、
自分の理想の家を建てるべく頑張っていらっしゃいました。

その人の鼻が、東儀秀樹さんにそっくりでした。(^^)
やっぱり服部一族は鼻筋の通った人が多いみたいですね。

玄関の下駄箱は一見普通に見えるけど、実は隠し扉になっていて、裏に大きな収納庫が。
「忍者屋敷みたい」という取材スタッフの声に、服部さんはニヤッと笑って一言、
「・・・ハットリだけに?」ですって。(笑)
しかも実際に家の建設を請け負ったのは、「ハタノ建設」でした(笑)。
秦氏ネット恐るべし。

・・・またまた脱線失礼。m(__)m


>おもいっきりかなり何度も殴ったみたいです。

想像すると笑えますよね。。。確信犯で、ここぞとばかりバシバシと。(^^;
この話も、秦氏ネットであっという間に諸国へ散った伊勢・伊賀人の耳に入って、
彼らのの溜飲を下げる事になったのでは。(笑)
[2]さちこさんからのコメント(2007年05月09日 22時12分30秒 ) パスワード

ギャンブラーさんに新スレッドたてて頂いたのにご無沙汰してしまいすみません。
隈さん続き書くの遅れてごめんなさい。
また色々書くつもりですのでよろしく。


とりあえずお知らせです。
本能寺スレの発端にもなった服部家系図を見せてくださった、
重要文化財の服部家のご主人、通称ホンヤさんが昨日お亡くなりになりました。
今朝息子さんから連絡を頂きました。

告別式は明後日です。
平熱の皆さんもお世話になった方が多いと思います。
皆さんを代表して最期のお別れをしてきます。

心よりご冥福をお祈りします。



[3]アカコッコさんからのコメント(2007年05月09日 22時47分55秒 ) パスワード

 >平熱の皆さんもお世話になった方が多いと思います。
 >皆さんを代表して最期のお別れをしてきます。

 さちこさん お知らせ頂き有難うございます。
 
 
 はい、お世話になりました。例の『ひなまつり』(平成15年3月16日)の際、私のような者にも親しくお話させていただきました時の優しいお顔が思い浮かびます。

 
 心よりご冥福をお祈りします。 
        合掌 川口
[4]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年05月09日 23時23分17秒 ) パスワード

さちこさん

ご連絡をありがとうございました。


先代ホンヤさんはきさくな御方で
皆さんから「ホンヤさん、ホンヤさん」と慕われて
立派な人格者でいらっしゃいました。


残念です。
ご冥福をお祈り致します。
[5]さんからのコメント(2007年05月11日 09時38分02秒 ) パスワード

さちこさん、どうもご無沙汰しています。

ご連絡頂きまして有難うございます。

そうですか・・・私も服部家系図は度々参考にさせていただき、感謝しておりました。

寂しいですね。
私からも、ご冥福をお祈りします。
[6]さんからのコメント(2007年05月21日 10時24分18秒 ) パスワード

さちこさんへ

こんな時に書くのも、、、と迷ったのですが。
最近秦氏の来歴に関して、ある可能性に気が付きました。

秦氏に愛着を持つ人間としてはちょっとショックだけど、
もしその「可能性」が事実なら、いろんな疑問が氷解するかも。

いつもなら秦熱に書き込めば良いのですが、
ちょっと公の場で語るのには内容的に支障があるかも知れないので・・・
でも、秦氏を語るうえで避けて通れない話だと思うのです。

また落ち着いたらメールするかも知れません。。。こちらこそ宜しく。m(__)m


アカコッコさんへ

どうもご無沙汰しています。
織田信長に関する書き込みで、もしお気を悪くされていたらすみません。
もちろん個人的に恨みがあるわけではないです。
当時はかなり個性的な人物ゆえ、多くの人から恨みを買ったでしょうけど。
[8]伊賀守某さんからのコメント(2008年01月04日 12時03分34秒 ) パスワード

はじめまして。
私は服部氏に興味があります。
そこで質問です。
秦河勝―秦万里―猛田―文室―百勝…喜氏―金春清実―勝清―氏清
から出た服部氏と
服部時定―時保―宗保―清正─宗成─元就―観阿弥
の服部氏はどこかで繋がっているのでしょうか。
初歩的な質問かもしれませんが、よろしくお願いします。


[9]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2008年01月04日 21時17分53秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/

伊賀守某さんへ
 
観世清次(観阿弥)の孫娘が金春氏信(禅竹)に嫁いで縁戚となりました。
詳細は日本の苗字七千傑 姓氏類別大観(http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/fclan_index.htm )諸蕃編の秦氏の金春氏を参照下さい。
金春氏と観世氏だけでなく宝生氏、金剛氏とも閨閥を形成していることがわかります。
[10]伊賀守某さんからのコメント(2008年01月05日 01時40分45秒 ) パスワード

さっそく有難うございます。
観阿弥の先祖が秦氏と繋がるということはありませんか?
例えば服部時定は平家だといわれてますが、服部氏に養子に入ったといったようなことはありませんか。
もしくは秦氏から時定に繋がるようなことはありませんか。
[11]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2008年01月05日 20時42分50秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/

伊賀守某さんへ
 
応神朝に来朝帰化した弓月王に始まる秦氏は全国各地に職業部として神服部、呉服部、殿服部などを置き、後の服部邑に発展する。
秦氏を誇張するむきがあるが天武朝貴族では最下位の忌寸姓、平安朝貴族でも第三位の宿禰姓で、政界より産業界(紡織、醸造など)で全国的に財を成した。
各地の服部邑から起こった名族が服部氏で、秦氏を始め清和源氏、桓武平氏、藤原氏など様々な出自がある。
服部時定は藤原氏と同族で天御中主命を遠祖とする。
桓武平氏との繋がりの詳細は日本の苗字七千傑 姓氏類別大観(http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/fclan_index.htm )皇別編桓武平氏季衡流の平姓服部氏を参照下さい。
伊賀国阿拝郡服部邑に併存した服部氏が天御中主命系と平氏系で、観世氏もこの流れと伝えられる。
[12]さちこさんからのコメント(2008年01月05日 21時45分33秒 ) パスワード

あけましておめでとうございます。

明子さん、隈さん。川口殿。

そして皆々様! 今年もよろしく。

伊賀守某さん。

はじめまして。
どうして服部家に関心をもたれたのですか?
教えてくださいね。

服部時定に関ししてはこれが面白いかも。

http://d.hatena.ne.jp/ACORN/20061110

■[古典]平家物語を読む189
巻第十二 泊瀬六代*1













[13]さんからのコメント(2008年01月08日 10時55分56秒 ) パスワード

平熱常連の皆様、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。m(__)m

そして伊賀守某さん、初めまして。


私は系図上のことは詳しくないので分からないのですが、
さちこさんの挙げたサイトを見て、「へぇ〜」と感心しきり。

これって平家物語の現代語訳、ですよね。
今更ながら、「やっぱり平家物語を読み込まないとダメだなぁ」と痛感(爆)。

これには「北条平六時定」と「服部平六」がでてきますね。
ここでいう「北条平六時定」は北条時政の甥もしくは従兄弟で、鎌倉御家人。
「服部平六」は元平家方で、伊賀に領地を持っていた。


・・・姓氏家系大辞典によると、

志田三郎先生義憲を討ったのが
「伊賀国住人・服部六郎時定」(尊卑文脈)もしくは「服部の下司平六正綱」(平家物語)、

伊豆右衛門尉源有綱(源義経の聟)を討ったのが
「服部六郎時定」(伊賀地誌等)もしくは「平六儀仗時定」(東鑑)

となっています。


「北条平六時定」も「服部」と名乗ったってこと?
平六?六郎?

ややこしい・・・(@@;
[14]さんからのコメント(2008年01月08日 17時30分40秒 ) パスワード

ちょっと話は変わりますが、「信長暗殺の謎」スレッドということで、
今読んでいる本をご紹介しますね。

「信長は本当に天才だったのか」 工藤健策著  草思社

《信長は政治・軍事の天才である》と讃えられることが多いが、
そんな従来の説に一石を投じる本です。

桶挟間の戦いの勝利は、突然の豪雨がもたらした偶然の賜物だった、とか。
「頼りない」と家臣からも見捨てられそうになって焦っていた、とか。

信長ファンの人は読まない方がいいかも。。。(^^;
ショック受けると思う。
でも、「信長公記」等の史料を元にちゃんと考察されてます。
これが本当なら、優秀だったのは信長本人じゃなくて、家臣団ってことだな〜
。(^^;;

もちろん本能寺の変についても考察されてます。
はっきり光秀を唆した黒幕はいなかったけど、皆が「信長さえいなければ・・・」と思うようになっていた。
主君に見切りをつけざるを得なかった光秀の心境。等々。

・・・これを読むと、最初から信長の天下統一なんて無理だったんだな、と思わされます。
信長はほとんど自滅してる。

これでは、彼の気まぐれに振り回された我々のご先祖様も、
そして信長家臣団も、とんだとばっちりです。(T_T)
[15]さちこさんからのコメント(2008年01月08日 23時10分20秒 ) パスワード

後で説明書こうと思ってておそくなりました。

隈さんお気遣いすみません。

少しややこしいけど服部平六が時定です。
北条平六時定は別人だと思うのですが。
服部平六は北条氏とは縁戚関係にあったのかな?

この話は一般的な平家物語にはないみたいです。
ずっと前に、四天王寺、服部、伊賀で検索してたらでてきたのです。
リンクしたブログとは違いましたが前にみつけたHPと内容が似てたので。
そしたら肝心の服部平六の時定がぬけていて判りにくかったかも。

>谷の楽頭伶人・兼春、それから秦六・秦七という者のもとである

ここなんですけど、ご存知かと思うけど伶人は雅楽氏のことで兼春は東儀だと思うのです。
兼は東儀家の通字で前宮内庁楽部の楽長も東儀兼彦氏。

十郎蔵人は東儀家にいて服部平六らが討ち入ったが逃げられた。
信太三郎先生義教は伊賀の大山田にて服部平六が討ち取った。
(信太三郎先生義教は志田義憲とも源義広とも)

何で服部家にゆかりのところばかりに逃げ込むのか?
なんか一族グルになってんじゃないのかと思ったりして(笑)

平家が滅んで伊賀も混乱していて、
伊賀は平家の支配化にはあったけれど服部家の一族、血縁関係者多い。
やっぱり伊賀には服部家! 平家以前に伊賀に定着していた服部家。
服部家なくては日の出ぬ伊賀。
ということで。。。

頼朝としても
「伊賀なんぞを領地にしたいという物好きな源氏はいないし、
 かといって平家だった服部家に領地をすんり戻せば文句はでるし。。。
 服部家の連中、何でもいいから手柄たててくれないかな〜
 そしてたらまた伊賀を服部家に押し付けられるのに」
と思ってた!かも?

でっ、東儀兼春が「そんなことなら協力してやるぜ」ということで、
娘に「十郎蔵人を誘惑して家につれて来い服部家には忍びを放つ」

でも逃げられて失敗。

今度は信太三郎先生義教を、一族郎党協力し伊賀の大山田村に追い詰めて袋のねずみにして今度は逃げられないようにし、服部家みごと信太三郎先生義教討ち取れた。
こうして伊賀は平家が滅んでも服部家の領地になりましたとさ。
めでたし、めでたし!

あくまでも、平家物語のこの話はどこまで信憑せいがあるのか判りませんし、
あとは私の妄想です(笑)

でも同じ手柄をとっても平家だった服部家はすんなり領地を返してもらったのに、
とりあえず、流された常陸房はさぞむかついただろうなと想像すると笑う。

「鎌倉殿は服部家に甘すぎる!あいつら散々清盛にゴマすってきて、
 ついこの間まで知盛様、命!と言っておったではないか〜!」



>「信長は本当に天才だったのか」 工藤健策著  草思社

こんな本があるのですね。ありがとうございます。ぜひ読んでみたいです。
信長は頭はかなりよかったと思いますよ。
悪いのは性格(爆)

服部家、かなりてこずったもん。
信長に比べて家康は扱い易かったのかもしれません。
本能寺の変がなくても信長は天下は取れなかった、
これは本当だとつくづく思う。
でも信長がいなけれ徳川幕府はなかった。

家康は結局信長の引いたレールにのって天下を統一したのだと思う。

信長が褒められればけなしたくなる。
貶せられれば褒めたくなる微妙ですわ。









[16]さんからのコメント(2008年01月09日 11時50分54秒 ) パスワード

>谷の楽頭伶人・兼春、それから秦六・秦七という者のもとである

>ここなんですけど、ご存知かと思うけど伶人は雅楽氏のことで兼春は東儀だと思うのです。
>兼は東儀家の通字で前宮内庁楽部の楽長も東儀兼彦氏。

あ〜やっぱり出ましたね、東儀家。(^^)
「四天王寺・伶人・秦」ときたので、もしかして、と思っていました。


>何で服部家にゆかりのところばかりに逃げ込むのか?
>なんか一族グルになってんじゃないのかと思ったりして(笑)

・・・あり得るところが怖い、服部一族。(笑)


>信長は頭はかなりよかったと思いますよ。
>悪いのは性格(爆)

頭が悪い訳ではなかったと思いますが、
予め計画を練って行動するのは案外苦手だったのではないか、と思われる節があります。
行き当たりばったり。でも勘は良かった。
服部一族が彼に翻弄されたのは、その「意外性」ゆえ、ではないかと思ったりします。
信長本人が「勘」で動いてるから、さしもの服部家にも、その行動を予測するのは無理。(笑)

服部家にとって、まだ家康の方が「先の行動」が読めたでしょうね。

信長の人間性については、最近精神医学の分野でも話題になっていますが、
いろいろ差し障りがあるといけないので、ここで詳細を語るのは止めておきます。

ただ恐らく彼の性質は生来のもので、それが故に生母や兄弟とも良好な関係を築けなかったことが推察されます。
幼少時に彼の特異性に気づいて誰かがサポートしてやっていたら、
その後の日本の歴史も変わったのかな・・・それを思うと、複雑な心境です。
[17]アカコッコさんからのコメント(2008年01月09日 12時42分28秒 ) パスワード

チョット調べてみました。ご参考に

 >少しややこしいけど服部平六が時定です。
 >北条平六時定は別人だと思うのですが。
 >十郎蔵人は東儀家にいて服部平六らが討ち入ったが逃げられた。
 >信太三郎先生義教は伊賀の大山田にて服部平六が討ち取った。
 >(信太三郎先生義教は志田義憲とも源義広とも)

 持っている平家物語(新潮社:昭和56年発行))には・・本文と注釈より。

 ◎伊賀の平内左衛門尉(平家長(服部姓)で「平内」は平氏で内舎人(うどねり)を勤めた武士の称。家貞の子とする伝もある。伊賀の国阿拝郡服部平六服部の住人で服部氏の祖という。

 ◎服部平六時定・・・・伊賀の国阿拝郡服部郷(現上野市)の住人。その地の羽取山は義教誅戮の戦場と伝えられる。平家の家臣で服部姓を称したのは伊賀平内左衛門家長がある。その一族か。

六代:より 

 兄の信太の三郎先生義教(よしのり)は伊賀の国千戸(せんど)という山寺におはしけるが、当国の住人服部平六時定という者に取りこめられて、自害してけり。服部ヤガテ首を取り、鎌倉へ下る。この服部と申すは、平家伺候の者なりしが、本領伊賀の服部をぞ賜びける。
☆義教・・・・底本「よしあき」とあるのを改めた。とあります。
    源為義三男。義広とも。常陸の国信太郷に住んだ。
☆千戸・・・・山田郡山田の下千戸にある天台宗の仏光寺。信太義教の墓が現存する。
☆時房・・・・北条の子息(同じ頁に登場)注釈に時政の子。義時の弟。相模守修理権大夫に至る。佐介と称する。この頃二十九歳。覚一本時貞(時政従弟)とする。

◎北条時定(為時)遠江守(弘安4〜正應2):肥前守護という人物はおりますが、
 北条平六時定の名は見つからない。(ハッキリ言って根気が続かない・・笑)

◎それより阿拝郡を「アベ」でタイプする時、人名・地名で打つ際に「服部」の文字が出てくる。同じ読みなのか?

 >信長が褒められればけなしたくなる。
 >貶せられれば褒めたくなる微妙ですわ。

 さちこさんらしいコメントで良いすね。
[18]さんからのコメント(2008年01月10日 00時10分18秒 ) パスワード

アカコッコさん、どうもありがとうございます。m(__)m

それではさらに補足します。

http://bame-web.hp.infoseek.co.jp/miurasoryo.htm

頼朝の挙兵に従った武士(吾妻鏡)の項より、

北条平六時定
所領:伊豆国田方郡北条郷
時政の甥。父は伊豆介時綱。のち、畿内で時政の代官をつとめた。

とあります。
[19]伊賀守某さんからのコメント(2008年01月12日 11時43分51秒 ) パスワード

みなさん、いろいろご教授戴きありがとうございます。

日本の苗字七千傑さん
>服部時定は藤原氏と同族で天御中主命を遠祖とする。
時定はどこから藤原氏と別れたのですか?

隈さん
北条氏と繋がるとは思っても見ませんでした。
北條氏の方からも調べてみます。
[20]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2008年01月12日 14時33分45秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/

伊賀守某さんへ
 
服部連は天御中主命を遠祖とするが、天御中主命と天御桙命の間が系譜不詳。
秩父国造の系図などから八意思兼命が天児屋根命の別名と言われる。

八意思兼命−天表春命−阿豆佐美命−加弥夜須命−伊豆■命……味身命(秩父国造祖)
加理夜須多気比波預命−多祁美加々命−天足別命−天御桙命……弥蘇足尼(服部連祖)
加弥夜須命と加理夜須多気比波預命は同一人物と思われる。
この辺りで、分流したのではないかと推測される。
 
北条氏が話題になっているので、ひとつ問題を提起。
北条氏の由来は、公式には伊豆国田方郡北条庄の地名とされている。
北条の郷名は、「増鏡」、「曽我物語」には記載されている。
しかし「和名類聚抄」、「天保国郡全図」、「旧高旧領取調帳」、「荘園志料」などの信頼性のある史料に北条の郷名、庄名、邑名は見あたらない。
北条氏の地名は伊豆ではなく、伊予国風早郡北条邑とも考えられる。
源頼義は伊予守のちには伊予入道となり伊予には縁が深く、平直方の娘は頼義に嫁ぎ、四男親清は河野親経の女婿となった。
河野親経の父は北条親孝であり、何らかの縁組により平直方の子孫が北条の家名を継承したのではないかと思われる。
源氏、北条氏、河野氏は閨閥を形成して鎌倉将軍職継承にも影響を及ぼしている。
閨閥に関心のある方は、姓氏類別大観(http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/fclan_index.htm )桓武平氏維将流を参照のこと。
[21]伊賀守某さんからのコメント(2008年01月15日 22時12分26秒 ) パスワード

尊卑分脈を参考にすると

天御中主神―天八下尊―天三下尊―天合尊―天八百日尊―天八百萬魂尊┐
┌───────────────────────────────┘
└高魂尊―思兼尊― 天表春尊―阿豆佐美命−加弥夜須命−多祁美加々命┐
┌───────────────────────────────┘
└天足別命−天御桙命
となりそうです。
ちなみに尊卑分脈では
天御中主神―天八下尊―天三下尊―天合尊―天八百日尊―天八百萬魂尊┐
┌───────────────────────────────┘
└津速魂尊―市千魂命―居々登魂命―天兒屋根命
とあるので思兼尊と天兒屋根命は別神ではないかと思われます。
しかし新選姓氏録の服部連は、天御中主命十一世孫天御桙命之後也とあるので
十一世という数があいません。
別の系図があるのかもしれませんね。


[22]さちこさんからのコメント(2008年01月17日 13時10分32秒 ) パスワード

隈さん、アカコッコ殿詳しくありがとうございます。

>それより阿拝郡を「アベ」でタイプする時、人名・地名で打つ際に「服部」
 の文字が出てくる。同じ読みなのか?

本当ですね。
服部と書いて「アベ」と読む苗字か地名があるということですね。
検索したけどわかりませんでした。
当て字もいいところですね。
勿論ハットリもですけど。(笑)

大山田の話がでたので。
大山田平田の植木神社です。

http://www.genbu.net/data/iga/ueki_title.htm

現在平田の氏神になってるようです。
平田は今は静かな集落なのですが神社の本殿はド派手でした。
昔はかなり栄えていたのだろうと思います。
津島神社と同じ牛頭天王信仰で紋も同じですな。(笑)

信長は津島神社を信仰していたので牛頭天王社は焼かなかったとか、
信長の攻撃を避けるため牛頭天王社に変えたという話を時々聞きますが、
焼かれてるで〜ここの神社は!

今は平田に平田家はなく服部も一軒ほどでほとんど見かけません。
でも植木神社の神主が川口家で総代も川口家でした。
川口家は平田の有力者だったみたいです。今もそうだろと思います。

家紋は柘植の川口家と同じく丸に並び矢羽。
家紋からすると川口家は柘植の一族というより服部家の一族かも?
まあ柘植も服部も同じ一族で一緒なんですけど。
服部川の川口にいたから川口の服部だったとか(笑)
時定とグルになった一族郎党に川口家も入ってたかも?

植木神社の由緒に、
>寛弘元年(1004)、
 出雲国意宇郡日御碕の住人桃木某の三男・政守が夢の告をうけ、
 播磨国広峰山から、牛頭天王を勧請し、
 王手村清水谷鳥坂神社の相殿に祀った。

とあります。
平田の隣が畑「ハタ」という地名です。
出雲にも平田という地名があり関連が気になります。
平田家も秦氏に近い関係だったかも?
どうしても話がこちらにむいてしまいます失礼。

[23]アカコッコさんからのコメント(2008年01月20日 11時57分31秒 ) パスワード

>まあ柘植も服部も同じ一族で一緒なんですけど。
>服部川の川口にいたから川口の服部だったとか(笑)
>時定とグルになった一族郎党に川口家も入ってたかも?

そうかもね、いちおう平宗清の子孫になっていますから。

ハタ氏が出てきたところで、つい先頃読んだ本の中に秦氏の記述がありました。
 以前に出たかと思って、平熱での投稿検索かけたが、0だったので。

秦氏について。愛智郡の良林は、孝謙天皇の御代に東大寺に施入せられ、奈良、平安の時代には東大寺領の杣(そま)となっていた関係で、正倉院には愛智郡の文書が数十通保存されている。
 
 それらの文書に署名している愛智郡の住民は、殆ど大半が秦氏の姓を有するものであって、衣智忌公(えちのはたきみ)七十一人、衣知秦三十人、衣知三人、秦公六人、秦人四人、秦前(はたさき)一人、旗三人、秦忌公(はたのいみき)三人、衣知秦前公二人、大蔵秦公(おおくらはたのきみ)二人、杭右秦公(くみのはたのきみ)一人、秦真一人、合計百二十六人を算する。

 近江の国は、秦漢の帰化人によって開発せられた国であって、書紀には帰化人を近江に安置する記事が多く見え、近江の各地には帰化人関係の地名が随所に残っている。
 大津の三井寺が新羅明神を地主の神として祭っていることは、近江の国が帰化人の国であると考えられていたことを語っている。

琵琶湖にそそぐ愛智川の流域も、その例に洩れず、早くから帰化人が入り込んで開拓に従事し、上流の山林に分け入って杣を開いた。
愛智川の中流の角井村には百済寺があり、またその隣に秦川村がある。秦川村は明治になってからの命名であるが、秦川山の名は古書に見えている。

大和の十市郡の住民が八割まで漢(あや)氏であったように、奈良時代の愛智郡は、秦氏によってその住民の大半が占められていたと思われる。
その証拠は、土地の豪族から任命せられる国造(くにのみやっこ)、郡司が秦氏によって占められていることであって、正倉院文書に愛智郡司としている者は悉く秦氏であって、他姓を交えない。
(愛智郡の木地屋は帰化人の裔)・著作:瀧川政次郎氏より。
[24]伊賀守某さんからのコメント(2008年01月24日 22時54分50秒 ) パスワード

教えていただいた
日本の苗字七千傑 姓氏類別大観(http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/fclan_index.htm )
によりますと
天御中主尊…(系不詳)…ヒ速日命…(10代略)…麻羅宿禰…(系不詳)…服部時定
となっていますが、これは新選姓氏録の
服部連
天御中主命の十一世孫、天御桙命の後なり。(大和国神別)

服部連
ヒ之速日命の十二世孫、麻羅宿禰の後なり。(摂津国神別)
を同系統と見て考えられています。
しかし、『古代豪族系図集覧』では
加理波夜須多気比波預命―多祁美加々命―天足別命―天御桙命―国忍多気命┐
┌―────────────────────────────────┘
└意保名豆命―由多祁命―彦振根命―波刈彌命―磐表主命―古美呂伎命┐
┌―──────────────────────────────┘
└―若多祁命―彌蘇足尼
となっています。
だとすると、ヒ速日命…(10代略)…麻羅宿禰は、「宿禰」から見ても
この系図に入れることができません。
そこで、大和国神別服部連と摂津国神別服部連は別系統だと考えられます。
そうすると、服部時定はどちらの系統になるのでしょうか。
[35]空の青海のあをさんからのコメント(2020年07月14日 04時43分56秒 ) パスワード

>服部時定はどちらの系統になるのでしょうか?

確か  家長が壇の浦から伊賀に戻って  荒木には戻らず  千賀地に行って
時定を名乗ったような  記憶。

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