[1] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月07日 00時55分16秒 ) | パスワード |
今田一壽さま
初めまして。
とりあえず資料集めですね。
大変ですよ〜
30年計画ぐらいのお覚悟で(笑)
とりあえず
・身内から情報集め
・山口県・広島・兵庫あたりの教育委員会歴史編纂課から資料を取り寄せる
はいかがでしょう?
このあたりの資料を読み漁って関係人物を拾い出すことから始めることと思います。
とにかく大変な作業ですよ〜
阿禰輪景光なる人物を調べなきゃいけないですし厳島神社との関係
それから
平家一族の中納言雅頼。この人の姓は村上源氏?とすると俊寛と親戚?確かに平家がらみの人物ですね。
・花山院中納言兼雅
・源中納言雅頼
・権中納言実綱
このあたりの人物も調べなきゃいけないですね。
保元の乱を読まなきゃいけないし、頼政のぬえ退治も読まなきゃいけないし。
平家との関わりが見えて来ますよ。
それから御自分から遡って明治の初めの戸籍謄本を手に入れる。
除籍謄本と呼ぶそうですよ。
明治の初めの時代にどこに住んでたか。
そこにお住まいの今田さん一族から情報を得る。
本家になる家が分かると良いですね。
とりあえず今田家の皆さんが集まる、そういう機会を用意して
先祖の物語などしてもらう。
必ず一族の長老という方が存在しますよ。
系図を持ってる人を知ってる人も存在したりします。
それにはやっぱり御先祖さまを大切にお祀りするということですね。
それから一族が仲良くするとかね。
今はいろいろあってバラバラになっているのを修復する。
こういう事をなさいますと御先祖さまがお喜びになって守ってくださいますよ。
家が栄えるということは御先祖さまを知ることだと思います。
お彼岸も来ますから、ここは1つ、身近な御親戚から集まってはいかがでしょう。
今田家について御存知の長老さんも御自分のお調べになった事をどなたかに受け継いで欲しく願っていますでしょうし。
[2] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月07日 01時40分45秒 ) | パスワード |
源中納言雅頼
村上源氏。
父方母方ともに源氏姓(武家の清和源氏じゃないことは意識してください)
後白河に仕えた人物。
のちに頼朝と京の間でお仕事してますね。
平家方でも働いていたのでしょうけど
平家落人との関係はもっと私的なものだったのかしら?
[3] | 隈さんからのコメント(2007年02月08日 15時07分56秒 ) | パスワード |
今田さん、どうも初めまして。
須金には梨狩りに行ったことがあります。(^^)
今でもたまに、ドライブで通ります。
ここにも平家伝説があったなんて驚きです。
探してみたら、中国新聞(地元紙)の記事に、こんなのを見つけました。
http://www.chugoku-np.co.jp/tokusyuu/mitikikou/m020324.html
今田姓のお家は、現在も須万・長谷地区に固まって存在するようですね。
この辺りのお年寄りにお話を伺うと良いのでは。
[4] | 隈さんからのコメント(2007年02月09日 09時17分47秒 ) | パスワード |
周南市中央図書館へ行ったついでに調べてみました。
「須萬盛衰記」という江戸時代に書かれた書物の冒頭に、上記の伝説についての記述があったようです。
「宝暦七丁丑仲冬開板 作者無名氏」とあります。
以下、原本の写し(印刷したもの)から引用します。
『比ハ文治・建久の時なるか、源平の戦に平氏長州赤間ガ関にて亡び給ひし後、源(平)の中納言雅頼も海に沈み給ふ。其子秋月丸、都より跡をしたひ赤間関へ来り給ふに、はや跡方もなく亡び給ひ、尋ぬべきも問ふ方もなく、すごすご又、都へ帰らんとて此紀(キ)の村に迷ひ来て、つかれてやとゞまり給ふと。地下の者どもいたわり、柴の庵をむすびすませしに、歌をよみ詩をつくりたまふゆへに地下人等敬ひ、御所々々と申ならわしたると。此の人むかしハ須磨の都に住みしに今ハ此山奥に住まゐする、須磨と名づけ都の名をうつさんとすまとよばせ、釈迦堂・弥勒堂など建立ありしと。今、上長谷の御所の谷といゝ伝えありと。いつの比よりからか須磨のまの字を萬の字にかきかゑしと。昔ハ今の須々万・中須・広瀬までもすまの内なりしと。秋月丸ハ大向村二俣(フタマタ)大明神へ詣で、奥畑村にて死去との事也。』
かな使い等、ほぼ原文のままです。ちなみに「紀(キ)の村」というのは、須万の古名だそうです。
なお、原本写しでは「源の中納言雅頼」の「源」の字の横に、小さく(平)の字が添えられています。
ギャンブラーさんのおっしゃる、村上源氏の源中納言雅頼を指すと思われます。
「海に沈み給ふ」というのは史実と異なるようですが、伝説には異伝がつきものですから・・・
「上長谷の御所の谷」へ一度お越しになってはいかがでしょうか。(^^)
[5] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月09日 09時39分57秒 ) | パスワード |
あいかわらず隈さんは検索力が凄いですね。
>「上長谷の御所の谷」へ一度お越しになってはいかがでしょうか。(^^)
ですね。
御一族皆さんと一緒にいらっしゃると良いですね。
村上源氏の中納言雅頼と同一人物なのかどうか
チェックする必要がありますね。
それから村上源氏と平家の関係を調べなきゃいけませんね。
もの凄いロマンが隠れてたりして〜
[6] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月09日 09時42分24秒 ) | パスワード |
防長風土注進案と須萬盛衰記に見られる猿害 林勝治
これどういう意味なんでしょうね。謎
[7] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月09日 09時49分51秒 ) | パスワード |
巻5
物怪之沙汰(もつけのさた)
福原遷都以来、平家の人々は夢見も悪く、怪異のものが現れることが多かった。
源中納言雅頼に仕えていた青侍は平家が滅び源氏に移り、その後藤原に天下が移る夢を見た。
[8] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月09日 09時57分15秒 ) | パスワード |
1184年 (壽永3年、4月16日改元 元暦元年 甲辰)
[玉葉]
雅頼卿来たり世上の事を談る。齋院次官親能(前の明法博士廣季子)は頼朝が近習の
者、また雅頼卿の門人なり。今度陣の行事の為上洛を為す。去る二十一日件の卿に謁
するの次いでに、親能云く、もし天下を直されべくんば、右大臣殿世を知ろし食すべ
きなり。異議無しと。納言問いて云く、この條上奏に及ぶべきか如何。親能云く、も
し尋ね有らば、この旨を申すべきの由所存なりと。納言重ねて云く、尋ね無くば、黙
止すべきか。親能云く、進し申すべきの由ハ承らずと。事体頗る四度解無きに似たる
か。昨今、追討使等、皆悉く下向すと。先ず山陽道を追い落とすの後、漸々沙汰有る
べしと。
[9] | 今田一壽さんからのコメント(2007年03月28日 00時40分46秒 ) | パスワード |
暇潰しのギャンブラーさんのお勧めで戸籍を手繰ってみましたが、
私の4代前の今田文右衛門が山口県熊毛郡八代村に本籍を置いていた事まで分かりましたがそれから先の戸籍は破棄されたようです。
後は須万村に関する資料から手繰ってみようと思います。
[10] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年03月28日 01時06分37秒 ) | パスワード |
こんなのがありました:
山口県熊毛郡八代村野鶴絵葉書
HP画像有 、1枚 、戦前0
1枚 書込有
まこと書房 2,000円
[11] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年03月28日 01時11分52秒 ) | パスワード |
>私の4代前の今田文右衛門が山口県熊毛郡八代村に本籍を置いていた
ということは明治の中頃の御先祖さまなのかしら?
江戸時代はこちらにお住まいだったのかもですね。
昔は武士なら分限禄とか、農民なら村の記録とかありました。
宗教でも宗門あらためというのがありましたし。
山口県熊毛郡八代村の今田さんという方が今でもお住まいだと御親戚でしょうね。
この御宅が見つかると良いですね。
[12] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年03月28日 01時15分53秒 ) | パスワード |
http://www.econo.yamaguchi-u.ac.jp/yamakei/by_5_12.html
山口経済学雑誌 5(1, 2)/1954/5/25
頁50−63 調査目的 不破勝敏夫 山村の構造―山口県熊毛郡八代村の場合―
こういう研究があったようです。
1954年なんて50年以上前ですねえ。
図書館で見つかると良いですね。
それか教育委員会で見つかるかしら?
[15] | 今田一壽さんからのコメント(2009年02月01日 00時16分06秒 ) | パスワード |
暇つぶしのギャンブラー様
有り難うございます
ご指摘の山口経済学雑誌を探してみましたが国立国会図書館でも古いため廃版になっていました。
代わりに「都濃郡須々万村誌」というのが見つかりましたので取り寄せて調べてみます
[16] | 隈さんからのコメント(2009年02月02日 11時06分39秒 ) | パスワード |
横から割り込んで失礼ながら、取り急ぎ。
今田一壽さん、暇つぶしのギャンブラーさん、どうもお久しぶりです。
>「都濃郡須々万村誌」
紛らわしいのですが、須々万と須万は、同じ都農郡ながら別の地域です。
今田さん所縁の地は「都農郡須金村須万」です。
検索したところ、「須金村史(1958年)」は周南市立中央図書館にあります。
電話で問い合わせ、レファレンス係に繋いでもらって、
今田氏に関する記述の部分をコピーして送って頂くと良いかと思います。
コピー代及び送料は定型小為替で送る旨、図書館より説明があると思います。
[36] | kondaさんからのコメント(2009年06月16日 18時06分45秒 ) | パスワード |
はじめまして。
今田さんは、イマダさんとお読みするのでしょうか?
私は今田(コンダ)と申します。私も祖母より祖先は平家の落人だと聞いておりルーツを探しております。兵庫県に今田町(現在は市町村統合で丹波篠山市)があり、何かヒントが隠されているのではないかと現在多方面をあたっております。今田(コンダ)姓は山形県に多くみられ、私の5代前の祖先も山形県の出身です。壇ノ浦の合戦以降名前を変えて日本海側に逃げたとの話もあり、実際石川県にも今田(イマダ)姓の方が多くいらっしゃるとの情報もありました。
読みは違えど何か繋がりがあるような気がしています。
[37] | 今田 恵子さんからのコメント(2009年10月26日 17時12分53秒 ) | パスワード |
私は熊本県八代市日奈久に住んでいますが、知っている限り今田と言う姓は、分家を含め2件しか知りません。
近くにも全く無く、何処から来たのか知りたいと思っています。
そちらと何か関係があるのでしょうか???
一番古くは、天保元年生まれの、先祖が居ます。
熊本とのつながりが、何かあるのでしょうか??
[38] | 日本の苗字七千傑さんからのコメント(2009年10月27日 20時42分08秒 ) | パスワード |
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/ |
今田 恵子さん へ
今田の地名は全国に多く存在します。
今田姓は熊本県に限っても200軒以上、八代市だけでも30軒以上存在します。
熊本の今田姓は、下記の2ケ所の発祥と考えます。
肥後国天草郡今邑今田(現:熊本県天草市今田)
肥後国山鹿郡今田邑(現:熊本県山鹿市久原今田)
距離から考えると天草の方かな。
[39] | 今田 恵子さんからのコメント(2009年10月29日 11時32分02秒 ) | パスワード |
書き込みありがとうございました。
自分で電話帳から調べたところ、八代市で44件、氷川16件
天草方面と山鹿(荒尾、玉名)方面に多くありました。
距離から考えると、天草が近いのですが、どうして天草なのでしょうか??
山鹿方面だと陸続きで往来は出来やすかったと思いますが・・
天草は船で渡って来たのでしょうか??
又何かありましたら教えてください。
[40] | 日本の苗字七千傑さんからのコメント(2009年10月30日 23時40分27秒 ) | パスワード |
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/ |
今田 恵子さん へ
肥後は秀吉の九州平定後、北部と葦北が加藤領、球磨が相良領、天草、宇土、八代などの中部が小西領となった。
天草牛深からは牛深街道(天草街道)が途中に海路はあるものの松橋まで延びている。
また沖田畷の戦いで、島津軍は八代から海路天草を横切り島原半島須川湊から上陸。
現代でも同じルートの八代−松島(天草)をフェリーが運航している。
天草地域は天正天草の戦、島原・天草の乱、弘化四年の大一揆など争乱の多い所で、肥後本土に海路避難した人々も多いものと思われる。
平時ならともかく、鎮圧軍が急行する牛深街道を陸路荷物を担いで逃げるのは大変と思いませんか。
[41] | 今田 恵子さんからのコメント(2009年12月20日 00時16分26秒 ) | パスワード |
今まで話すまいと思っていましたが、私は脳性小児まひで中々動けません。
図書館に行ったのですが、ちょうどお休みでした。
何かの情報を知りたくて仕方ありません。
天草の同じ姓の方、これをご覧になり天保元年生まれの今田ますじと言う名前があり、熊本県八代市に移住したと言う心当たりがあったら、教えて下さい。
自分のルーツがどのように流れているかとても知りたいです。
よろしくお願いします。
[42] | 今田圭明さんからのコメント(2010年05月04日 15時59分04秒 ) | パスワード |
山口県長門市に本籍を持つ今田圭明です。当家伝承・と墓誌および 簡単な古文書により、当地には天正年間に移り住んだことが知れております。維新までは毛利の寄騎として、家老山内家の預かりでした。
古文書記載の“雲州境に、今田の城あり、・・・”を頼りに天正以前の在所を探しました処、広島県山県郡千代田町、(現北広島町)に今田の地名があり、今田城跡は広島県の史跡になっております。千代田町史により、1517年千代田の合戦に毛利に敗れ、今田の名跡は毛利一族の吉川家が継ぎ、古い今田は離散したと記されております。当家で一番古い墓誌が天正暦とありますから、丁度有田の敗戦後大内家の手に入り、大内家の滅亡時いご、長門に住み着いた時期と符合します。
合戦後、今田を継いだ吉川家はその後、岩国毛利家の重臣として源治まで続いております。
私共は、今田城祭りを契機にして、岩国今田の方々とも交流がございます。
今田の名に繋がる御縁にて、是非ご交流を頂きたく・・・・
横浜、今田
[43] | 今田徹雄さんからのコメント(2010年05月08日 08時29分07秒 ) | パスワード |
NHKの放送 ひとり桜の里 山口・向畑集落 を検索していて たどり着きました。
私の父は 山口県都濃郡須金町長谷御所ケ谷出身です。
今では もうだれも住んでいなくて 道も通行止めになっています。
御所ケ谷は ごせがたにと読みます。
今田は 平家の落人の末裔であることなど子供時代に聞かされました。
下の長谷地区には まだ数軒残っています。
この集落は ほとんどすべてが今田姓でしたので
みなさん屋号で呼んでいました。
その中に 系図が伝わっている家があると
40数年前に父から聞いたことがあります。
[44] | 今田真砂子さんからのコメント(2012年01月03日 21時19分02秒 ) | パスワード |
今田真砂子
広島県三次市高杉町に今田が5件あります。すべて親戚です。
私の家が本家」です。家紋は丸菱四ツ目です。父親からは今田は本来
島根県尼子側だ。普段は百姓をして戦いがあれば戦いに出る
武田の下にいる。山県、今田、有田は同族だ 今町、今木、今岡、駒沢など
近い関係にある、島根県の歯科医今田さんが家系図を持っています、私のうちの家系図は台風に家がつかり流されました
[48] | 今田きみ子さんからのコメント(2013年11月13日 01時45分49秒 ) | パスワード |
今田で検索していたら、こちらに辿り着きました。
秋田出身の父姓で、今田と書いて「コンダ」と申します。親戚でも何でもないお向かいさんも同姓の「コンダ」さんでしたが、どこそこに引っ越しを重ねても今まで同姓の方に出会ったことがありません。
山形には濁らない「コンタ」さんが数多くいらっしゃるそうですが、2011/3/31放送の「アナタの名字SHOW」で少し取り上げられていましたね。
東北の今野姓や今田姓は「金(コン)」から来ている可能性があると聞いたことがありますが、西日本の今田さんとは別ルーツなのでしょうか。
私も役所で戸籍を遡れるだけ遡ってみたいと思っています。
>36 Konda さん
の書き込みを見て、自分の先祖も山形から来ているんだろうかと興味が湧いてきてしまいました。
[49] | 日本の苗字七千傑さんからのコメント(2013年11月13日 13時02分55秒 ) | パスワード |
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm |
今田きみ子さん へ
今田姓は全国に約31,300人も存在する天下の大姓で、様々なルーツがあることでしょう。
羽後国秋田郡の根田(コンダ)邑発祥の可能性が高い。
常陸発祥の金田(コンダ)が羽後に移動して根田になったとの説も。
磐城国宇多郡今田邑発祥の今田氏が移動した可能性もある。
いづれにしても西日本の備後発祥の今田氏とは別系。
金為時の裔は今野、紺野、金野、昆、金成などの苗字を派生させているので、この方面から調査されるのも良いでしょう。
[50] | 倉光勝雅さんからのコメント(2015年02月13日 00時11分39秒 ) | パスワード |
須金村出身者です。同級生に今田君が2人今田さんが1人おりました。
須金村史は父が村の議員をしていた時に借りてきて読んだ覚えがあります。
私の倉光性は平家追討のため木曽義仲に要請を受け北陸の旧松任市の倉光地区から半ば強制的に連れられてきたようです。その後、木曽義仲が義経に討たれたため、義仲に加担した責めを受け、領地を召し上げられたそうです。帰れなくなった倉光一族は須金の田原地区で平家一門の広実氏と凄惨な暮らしをする事になったようです。父が長老から聞き継いで話してくれました。田原地区には古い陣地跡、古戦場跡や武士の詰所跡、血生臭いいわれの橋などあります。父母もすでに亡くなり今では住んでる家も3軒しかありません。たまたま今田さんの記事を見つけて書き込みしました。
[51] | 今田達也さんからのコメント(2017年02月17日 23時18分11秒 ) | パスワード |
私も今田で、検索してここにたどり着来ました。私は北海道在住ですが昔から兵庫に今田村の所在を知っていて父も今田一族の本を所持していて、篠山市中央図書館の文献を拝見してきました。今田一族は、皆様書き込みしていて、篠山市中央図書館の文献によれば、五流派有り一人では調査しきれません。兵庫、広島、山形、三重県、徳島県、九州地方、仙台とかで、とにかく大変です。
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