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 投稿番号:100979 投稿日:2007年01月24日 15時02分20秒  パスワード
 お名前:アカコッコ
謡曲・能と歴史(平家関係)
キーワード:謡曲・能と歴史:原田喜一著
コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

能『小鍛冶』のお話が出てきましたので平家物語に関係する演目についてちょっとだけ。
 私は才能も知識もないので、謡曲・能が好きなひとが書き綴った『謡曲・能と歴史』原田喜一著より。転載します。

 『小督』・世阿弥作

あらすじ: 高倉院の寵妃小督は中宮建礼門院の父清盛の怒りを逃れて嵯峨野に隠棲する。高倉院は大変嘆かれ、侍臣源仲国を召して小督を探して文を渡してこいと命じ、特に馬を下賜された。仲国は嵯峨野に駒を進めてゆくと、折からの十五夜の名月のもとで、〈想天恋〉と云う琴の曲が聞こえて来たので小督の隠れ家と判りその門を訪ねて侍女に「院の宣旨により仲国が来たことを伝えてくれ」と頼む。ためらった侍女は隠しきれず小督のところへ案内する。仲国はお文を小督に渡して返書を頼む。院の文を読んで感涙した小督は酒宴をひらいて仲国をもてなし、唐の玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋を語って院を慕っているので、仲国も舞いを舞って興をそえ、返書を持って立ち返る。
駒の段:〈峰の嵐か松風か〉の名文でしられ、万人に愛好されている。駒の段といわれ、この曲の最大の見せ場で、想夫恋として小唄や黒田節に取りいれられている。

[1]アカコッコさんからのコメント(2007年01月24日 15時03分42秒 ) パスワード

『敦盛』・世阿弥作

 あらすじ:熊谷直実は一ノ谷の合戦で敦盛を討ち取ったが、世の無常を感じ出家して蓮生と名乗り、敦盛の霊をともらうため、一ノ谷を訪れる。草刈の男の吹く笛に興を覚えた蓮生は、男の優雅な笛に不審して尋ねると、男は草刈の吹く笛だから青葉の笛と云うのだといって僧に十念(念仏を十回称えること)を求める。蓮生が十念を称えると、私は敦盛の縁者の者だが御僧に敦盛の霊を弔って頂きありがたいことですといって消える。蓮生が夜もすがら読経していると敦盛の霊が在りし日の甲冑姿で現われ、弔いの礼を述べ、かっての平家の栄華の有様と戦さの前夜一谷に籠った平家一族の夜遊の様や、一谷の戦いの様を述べ、敗れた平家の面目は海上に逃れたが私は疲れて逃げ遅れ、追って来た熊谷殿と組打ちとなり、遂に波打ち際で打たれたと語り、跡弔い給えと頼む。
 若くして戦死した敦盛については能に取り上げられたばかりでなく、歌舞伎・浄瑠璃にも同情的に美しく描かれている。歌舞伎<一谷嫩軍記>(いちのたにフタバ軍記)では直実が敦盛の身替りに己れの子の首をはね、義経の首実検で義経はそれと知りつつ敦盛の首だと認める。梶原景時は異議を申し立て鎌倉殿へ報告すると騒ぎ立てる筋立てである。
[2]アカコッコさんからのコメント(2007年01月24日 18時58分53秒 ) パスワード


能と狂言は中世の日本が生んだ代表的芸術である。しかも二つとも申楽と呼ぶ芸術者集団により維持発展してきた。能の先行芸術として田楽・申楽があった。これ等は古く奈良時代、唐から伝来した散楽に源を発している。
 申楽は、能と狂言を交互に演ずる習慣があり、これが六百数十年後の今日まで続いている。能は歌舞伎で狂言はセリフ劇であり、これを併せて能楽といわれる。申楽も諸国に沢山の座があり興亡を重ねたが、十五世紀に入り大和申楽座の一つである結崎座(のちに観世座)に観阿弥・世阿弥という不出世の親子の大天才がでて、時の将軍足利義満の庇護をうけ著しく芸術性を高めて他座を引き離し圧倒したため、他座は衰退してしまった。

観世座と共に大和申楽の三座も栄え、江戸時代に入って、この大和四座だけ徳川幕府の公認をうけその後うまれた喜多流とあわせて、観世・宝生・金春・金剛の五流が現在まで受け継がれている。
 
能の脚本は本文の現存しているものだけでも約二千曲ほどあり、このうち各流に自流の演目としているものは約二百五十曲ほどで、その大部分が室町時代約百年間の作品である。江戸時代にも若干の作曲があったが何れも模倣に終わっており、現在に残っているものは少ない。明治以後も〈義経・軍艦旗〉など多少の作曲があったが能は古典を尊ぶためか、あまり普及されていない。

これは観阿弥・世阿弥等による余りにも優れた作品が多く、それを凌ぐことが難しかったことと、古典を尊ぶ能楽の幽玄性と近代の生々しい世相がマッチしなかった為と考えられる。狂言にも諸流があったが、現存しているのは大蔵流と和泉流だけである。

久々の新規投稿なので慌ててしまい、こちらの方が先頭にくるべきものでした。



[3]アカコッコさんからのコメント(2007年01月24日 19時02分51秒 ) パスワード


大原御幸(オハラゴコオ)・世阿弥作

あらすじ:壇ノ浦の海戦で平家は大敗して一門悉く亡んだ。この時二位の局(清盛の妻時子)も幼い安徳帝を抱いて入水した。
 女院(建礼門院)も入水したが源氏の兵士に助けられ、義経に供奉されて都に帰った。女院は安徳帝と二位の局の霊を弔うため大原の寂光院に隠世される。寂光院は大原の山奥にあり訪れる人もなく荒れるにまかせている。女院はこのような所で阿波の内侍と大納言の局の二人だけの侍女と暮らしておられた。
 
 ところが突然後白河法皇が女院を御見舞のため寂光院に御幸なされる。

 法皇の臣万里小路中納言が案内を請うと阿波の内侍が現われ、女院は裏山に草摘みに出られたと云っているうちに女院が戻られ、法皇に御会して御幸の礼を述べ、壇ノ浦の戦いでの知盛等の最期や二位の局と安徳帝の入水のさま、女院も入水したが源氏に助けられ不本意乍ら命永らえたと語り、再び寵顔を拝し奉ったと泣きくずれ、名残は尽きじと還御を勤めれば、上皇も名残を惜しみ乍ら還御なさるのを見送られた。


[4]アカコッコさんからのコメント(2007年01月24日 19時12分59秒 ) パスワード


清経・世阿弥作

あらすじ:平清経の家臣淡津三郎は清経が筑紫の戦いに破れ、雑兵の手にかかるよりはと豊前柳ケ浦で投身自殺したので、形見の遺髪を持って都の清経の妻に届ける。

 妻は悲嘆にくれ《見る度に心尽(筑紫)の髪(神)なれば憂さ(宇佐)にぞ返す元の社に》という歌を添え、遺髪を宇佐八幡に届けさせる。
 
 嘆き悲しむ妻の夢枕に清経の霊が現われて、折角届けた髪をどうして返したのかと詰り、九州へ渡ってからの苦戦の様を語り、宇佐八幡に参籠したところ(世の中の宇佐には神の無きものを何祈るらん心づくしに)との神歌を聞いた。

これは神も見捨てられたと凡てを諦め月明の柳ケ浦で心ゆくまで横笛を吹き、漢詩を吟じ、西に傾く月を拝んで念仏を称え入水した様を見せ、修羅の苦しみも最後の一念で仏果を得たと語る。 
[5]アカコッコさんからのコメント(2007年01月24日 19時17分42秒 ) パスワード


実盛・世阿弥作

あらすじ:遊行上人の説法の席に必ず来ている翁がいるので、上人は不審に思い尋ねると、私は斉藤別当実盛の化身だといって消える。

 上人は実盛戦死の地篠原に赴いて霊を弔っていると、甲冑を帯した実盛の霊があらわれて、七十才の白髪の姿で若武者と戦うのも大人気なく、老武者と侮られるのも口惜しいので髪を黒く染めたと語り、また古歌にも(もみじ葉を分けつつ行けば錦着て家に帰ると人や見るらん)とあるので、主君宗盛公より戴いた赤地錦の直垂を着て生国へ向ったのだ、と赤地錦の仔細を語り、手塚太郎光盛と戦って遂に討ち死にした様を述べ、跡弔い給えといって消え去った、
[6]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月25日 02時03分33秒 ) パスワード

いいですね〜
情緒豊かで心に沁みますね。


平家物語の非鎌倉方登場人物はそれぞれが物語になりますね。
鎌倉方の人物はちょっと違いますね。
短絡ですが「美」に欠けるってことなんでしょうね。
[7]アカコッコさんからのコメント(2007年01月25日 12時38分54秒 ) パスワード

>平家物語の非鎌倉方登場人物はそれぞれが物語になりますね。
>鎌倉方の人物はちょっと違いますね。
 
そうですね。
源氏関係では源氏物語からの浮舟・葵の上・源氏供養など。
また義経関係から船弁慶・鞍馬天狗・二人静・安宅など。
 頼朝関係から七騎落・朝長、義仲関係から、巴などがあります。

 
箙(エビラ)・作者不明
 
あらすじ:旅僧が梅の咲き誇る生田の里に着く。そこに里人が現われ、これは箙の梅という名木で、昔一の谷の戦いで、梶原景季が箙に梅花をさして勇戦したところですと語り、実は私は景季の幽霊ですといって消え去る。やがて甲冑姿の景季の霊が現われて一谷の勇戦ぶりを語るが、明ければそれは僧のみた夢であった。

これは修羅物で徳川時代の武士に好まれ祝儀の席でよく謡われたという。また負修羅物に平家物が多いのは、優雅風流に富んだ平家公達の敗戦の哀れさが能に合致した為でしょう。

[8]谷山正夫さんからのコメント(2007年01月25日 13時11分13秒 ) パスワード

『小督』について

小督(コゴウ)は中宮の健礼門院徳子が高倉天皇につかわせた女房、女房とは当時宮中で働く女使用人のことだったんですね。小督は中納言藤原成範貴族の娘。う〜ん、何か複雑です。

[9]アカコッコさんからのコメント(2007年01月26日 12時26分47秒 ) パスワード


>小督は中納言藤原成範貴族の娘。う〜ん、何か複雑です。




 小督は生まれながら容姿端麗であり、宮中第一の美女と称されていた。
 
 平安時代は女性の地位は非常に低かった。
 高貴な女性だけ名前があるが、一般の女は名前すら無かった。
 小督・式部・清少納言・百萬・山姥・井筒などは官名又は芸名や通称で、たとい名があっても、親や夫以外には知らせない風習があった。



千手(センジュ)・金春禅竹作

あらすじ:平重衝は一谷の戦いで生け捕られ、鎌倉の狩野宗茂の屋敷に預けられている。
 頼朝は哀れに思い千手を遣わす。千手は毎日酒肴や琵琶・琴を持って訪ねては重衝を慰める。重衝は奈良の仏閣仏像を焼き、多くの人命を奪っているので、出家して償いをしたいから頼朝に許しを請うて呉れて言うが、千手はさすがそればかりは出来ませんと言って、重衝に酒をすすめ、白拍子を謡い舞う。
 
 重衝も興に乗り琵琶を弾き、千手も琴を奏でた。かくて琴を枕の短き夜の仮寝の夢も程なく覚めて夜が明けてくる。そこへ、重衝を再び京に上せよ、との勅令が届く。千手は泣く泣く憂き契りを引き離されることを嘆き悲しみ、重衝も別れの悲しさに打ち沈んだ。
[10]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月26日 13時24分06秒 ) パスワード

  ↑

いやあ〜、いいですねえ〜

重衡どのは奥様ともいい別れをなさってるし。
今のわたくし達でも生木を裂かれるような別れ方に泣けますものね。

教養もあるし。
[11]布袋竹さんからのコメント(2007年01月27日 08時35分57秒 ) パスワード
URL=http://www.minc.ne.jp/~hotei/heike.html

能といえば、「平家に関する話いくつもあるよ」と話していた妹の連れ合い・
去年ガンで亡くなって、もうすぐ一年になろうとしている。
年上なのに私に「お兄さんお兄さん」と。誰にも優しく、人当たりもよかった。
ワキでは有名な人物であったらしく、この四つの流派のどの舞台にでも出ていたそう。シテはたくさんいるが、ワキは少なかったのでと・・。
重要伝統文化財保持者の上のクラス、次は人間国宝という位置にいたらしい。
文部大臣から認定証もあった。葬儀の時、改めてすごい人だったんだと実感した。
能のことは何も分からないが、義弟芸名「和泉昭太朗」を想い偲ばせていただいた。
[12]アカコッコさんからのコメント(2007年01月27日 13時50分49秒 ) パスワード

布袋竹様、このスレが、「故人を想い偲ばせていただいたとのコメント」、多少ともそのきっかけにお役立ちでき、アップした甲斐がありました。有難うございます。
 まだ続きますので宜しく。

 大仏供養・作者不明

 あらすじ:平家の残党悪七兵衛景清は、東大寺で大仏供養が催され、源頼朝も出席することを知り、忍び込んでその命を狙わんと思い、その前夜母を訪ねて最期の別れを告げ、涙のうちに辞し去った。

 大仏供養の当日、頼朝は多くの従者を連れて供養の席に現われる。
 
 景清は供奉の宮人に変装して忍び込み、頼朝を殺そうとしたが、衣の隙より甲冑が見えたので警護の従者達に怪しまれる。
 
 一旦は逃げようとしたが、それでは弓矢の恥と思い直し、引き返して名乗りを挙げて勇戦奮闘し、再び時期を待つべしといって、逃げ去る。

[13]アカコッコさんからのコメント(2007年01月27日 13時59分12秒 ) パスワード

景清が登場するものをもうひとつ。鹿児島ではないですけれどお近くの宮崎。

・謡曲では「屋島」に登場し、次に「大仏供養」で頼朝の命を狙い、最後に「景清」として登場。平家滅亡後もあくまでも節を曲げなかった態度は武士道の鑑として、室町時代から徳川時代にいたるまで賞賛され続けた。

景清は平家の仇源氏の隆盛の様を見るのも穢らわしいと、自らの両眼をえぐり取り盲目になったという。


景清(カゲキヨ)・世阿弥作

  鎌倉亀ケ江にすむ人丸という女が、父悪七兵ェ景清に会うため遥々と配所の九州宮崎に着く。
茅屋(アバラヤ)に盲人の乞食が居たので景清のことを尋ねると乞食は、名前は聞いたことがあるが盲人のため見たことがないので、よそで尋ねなさいという。

仕方なく他所を捜し求めていると里人に出会う。景清のことを尋ねると茅屋に住む盲目の乞食が景清ですといって、案内して父子を引き合わしてくれる。景清は哀れな身を恥じて偽ったことを侘び、屋島の戦いで平家は敗れたが我れ一人義経を討とうと渚にあがり、源氏の兵を散らし、三保ノ谷と一騎打ちとなったが、三保ノ谷の兜の錣(シコロ)を掴んで引張ったところが錣が千切れた。
これを見ていた源平の武者は、「景清の腕の強さよ美保ノ谷の首の強さよ」を歓声を挙げたなどと屋島の奮戦のさまを語り、今はこれまでだ、早く帰って跡を弔ってくれといって死んでいった。

 水尾ノ谷十郎・・・謡曲では三保ノ谷とあるが平家物語や史書では水尾谷となっている。武蔵の比企の人で、義経の幼少からの家来。


錣(シコロ)・・・兜の鉢につけて首から襟を防御するもの。
 
「彦熱」で展開中の豊真将の所属する部屋の親方は『錣山親方』
[14]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月27日 15時24分17秒 ) パスワード

布袋竹どの
すごい御方と義兄弟だったんですねえ。


わたくしも能のことは全く分からないのですけど

いつだったかテレビで解説つきで能を見て
(お〜)
なんて感動したことがあります。

   (だって日本語なのに、その日本語が分からないんですもの)恥


「能」を見る時は(鑑賞の時は)お面の人物ばっかりに注目してしまいますから
         ツレ役にはあんまり目を向けませんねえ
ツレあっての能なんですのにね。


次回からは ツレがどう訴えを聞いてあげてるのか 注目するようにしますね。
[15]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月27日 16時00分22秒 ) パスワード

>小督は中納言藤原成範貴族の娘。

彼女は一応悲劇の女性という扱いなんですが


実態はさてさて謎です。


小督は藤原隆房(清盛の娘の婿さん)の愛人だったというし
それで清盛にとってこの小督という女はこしゃくな小娘で憎くてたまらなかった存在・・・
清盛にとって可愛い2人の娘の夫と通じてたし

小督は中納言藤原成範の娘ですが
この父親の藤原成範という人も清盛の娘の婿さんなんだそうですよ。


で、この藤原成範の父親という人が通憲(信成!)。
後白河の乳父になる人で野心マンマンだった人物。
最後は自殺してますね。


あの時代の人間関係はぐっちゃぐちゃなので相関図および相姦図を参照して考えないと
実態が掴めない。


でも平安時代の恋愛は男性に女がたくさんいるのはオーケーだけど
女性に男が2人もいるのは凄いスキャンダルだそうで

現代で表現すると

最近話題の「やっちゃった婚」の谷原章介のできちゃった婚の嫁さんのように
「エ〜ッ」っと世間をびっくりさせた石田壱成の元妻のような存在なんじゃないでしょうか。

    i石田壱成の妻だった人が今や谷原章介の妻!

そんな存在なんじゃないかしらね。


もう女性にとっては「なんて素敵な!」と、彼女は「女の鑑」よね。
今回は谷原章介ですものね。高倉天皇の心を射止めたような快挙ですよ。ふふふ


男性にとっては(なんのこっちゃ?)でしょうけど。

清盛にとっては(可愛い娘の夫を2人まで虜にした憎い雌狐め!)だったでしょう。
ふふふ


ま、トクな女性達ですよね。
大昔の小督も現代の彼女も。


女と生まれたなら、そういう生き方もいいかも。にこっ
[16]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月27日 16時34分39秒 ) パスワード

実態はさてさて謎ですの2:


清盛の娘の徳子はボ〜っとしてると書かれますが

実態は当然謎であります。
彼女は本当に小督を高倉天皇の御側に上げたのでしょうか?
自分の義理の兄弟の女だった女性を自分の夫の御側に上げた。

昔の日本の主従関係って主人は全ての女に手を出す権利があったのでしょ?
そしてその通りになった。

だから徳子はボ〜ッとしてるなんて言われるようになったのかしら?
それで徳子は兄の宗盛と出来てただの後白河とも出来てただの義経とも出来てただの
変な噂まで立てられるようになったのか?


徳子という女性はどういう女性だったのか?

高倉天皇が小督に関心を持ってるのに気がついたから御側に上げたのかしら?
高倉天皇って分かってるだけでも7人子供がいるのよね。実はもっといるかも?

つまり清盛に対抗出来る人物の血筋ということで小督が脚光を浴びたのか?

フツウだったら小督は時代的にはスキャンダラスな女として扱われる存在だったのに
悲恋の女性
として描かれることになって日本史上ラッキーな女性の代表なのかな?


でも「能」で描かれるとしたらヤッパリ徳子でしょうね。
平家の女としての悩み苦しみ
後白河院との噂
義経との噂

小督は平家物語で既に絵になってるけど、徳子の心は成仏し切れてないでしょうね。


あ、なんか、わたくしがツレになって徳子の心の奥をここに書かされたみたい。
[17]谷山正夫さんからのコメント(2007年01月27日 22時12分58秒 ) パスワード


>あ、なんか、わたくしがツレになって徳子の心の奥をここに書かされたみたい。

健礼門院徳子、美しく品格を感じさせ一度聞けば忘れられない名前です。私もNHKの大河ドラマ「義経」を見るまで徳子という人を知りませんでした。

壇ノ浦の合戦で徳子は安徳天皇とともに海に身をなげたが義経に助けられ、後に京都で出家し59歳まで生きられた。その後の半生もまた辛かったことと思います。
[18]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月28日 01時29分30秒 ) パスワード

>建礼門院徳子、美しく品格を感じさせ一度聞けば忘れられない名前です。


この名乗りの「徳子」は入内してからなのか
生まれた時からの名前なのか
ちょっと分かりませんが

「徳」を旨として生きるためにも「小督」を高倉天皇の御側に上げたのかしら?

高倉天皇に7人のお子様がいらっしゃって生母はみんな異なるのかしら?
としたら7人以上の女性達が侍ってたという計算になりますね。
枕を交わしたからといって懐妊というわけじゃないですものね。
不妊症の女性も結構いますしね。


大原でつつましい生活をし
何十年も壇ノ浦の悲惨な光景をフラッシュバックさせながら最期を迎えたというのは
     今の若い人なんて簡単に「鬱」になるのに
苦しかったでしょうね。

なのに

死後にまで「小督」に苦しみを与えたような存在と描かれ
生きるために権力者の思いのままにされたように悪口を書かれ

徳子さんの魂は成仏しているんでしょうかねえ?
宮尾登美子女史は安徳天皇すりかえ説でちょっとは慰めていらっしゃいますけど

本当だったとしても苦しみは和らがなかったでしょうね。


>その後の半生もまた辛かったことと思います。

でしょうね。
[19]谷山正夫さんからのコメント(2007年01月28日 12時34分07秒 ) パスワード


>徳子さんの魂は成仏しているんでしようかねえ?


徳子は平清盛の娘、安徳天皇の生母、彼女は幼い頃より王道教育(女としての)を受け、また言仁親王の母としての強い自覚をもっていたと思います。

このような立場に生まれた女性の運命として起こり得るべく苦難は十分自覚しており、なにがあっても決して動揺せず品性を失わず一生を全うされた方と推察します。


[20]アカコッコさんからのコメント(2007年01月28日 13時24分09秒 ) パスワード

平熱にコメントを出すかたは平家物語の飽きるまでお読みになったばかりと思い解説めいたことは省いておりますが。

>その後の半生もまた辛かったことと思います。 

 清盛の娘で十七歳で高倉帝の中宮となり、安徳天皇を生み建礼門院と称せられた。
 幼帝ともに海中に身を投じたが女院だけ助けられ、都に帰って尼となり寂光院にあること二十七年、五十九歳で没した。
 
 [3]の大原御幸

 健礼門院が後白河法皇(義父)が尋ねて来てくれた時、どんなに喜ばられたことは容易に想像つきます。高倉帝だったら、もっと良かったのにと。
 
 運命の弄ぶままに生きた生涯でしたね。

 
[21]アカコッコさんからのコメント(2007年01月28日 15時19分52秒 ) パスワード

経政(ツネマサ)・作者不明

あらすじ:経政は幼い時から仁和寺の法親王の寵愛を受け<青山>という琵琶の名器を授けられていた。

平家都落ちのとき、この名器を返納してゆくが、一ノ谷の戦いで戦死する。法親王はこれを悼み、追善供養の為、多くの楽人を集めて管弦講をひらく。

夜半に幽かに人影が揺れて経政の亡霊が現われる。人々は弔いにより経政の亡霊が現れた事を喜び、亡霊に<青山>を弾くように勧める。

経政はこれを弾き、折からの松風の音に興じて夜遊を楽しむが、襲いくる修羅の苦しみに、そのさまを見られまいと燈火を吹き消し、闇に紛れて消え去る。


経政は清盛の弟経盛の子である。
木曽義仲追討の副将軍であったが、倶利加羅の戦いで敗れ京都に逃げ帰り、義仲の追撃を支えきれず、平家の都落ちとなる。

一ノ谷で二十八歳の若さで戦死を遂げた。
[22]谷山正夫さんからのコメント(2007年01月28日 16時06分51秒 ) パスワード


>平熱にコメントを出すかたは平家物語の飽きるまでお読みになったばかりと思い・・・

そうですね。平家物語は太閤記と同じように(私のようにちょっと古い)日本人なら誰でも一度や二度は本で読んだり、テレビで見たりする謂わば日本人共有の誇れる財産とも言える書物です。

それでもそこにある深い史実など知らない事が多く、平熱ではそれを色々学べことがあり感謝しております。





[23]アカコッコさんからのコメント(2007年01月30日 14時00分06秒 ) パスワード


能は夢幻能と現在能(劇能)に大別され、夢幻能は、旅人が名所を訪れると、そこに里人が現われて土地の由来を語り、最後に私は今の物語の何某だと云って消え失る。

やがて何某が真の姿を見せて現われる。在りし日の物語りをし、舞を舞ったりするが、それは旅人の見た夢であった。というのが基本形式である。



屋島・世阿弥作

 あらすじ:屋島の浦で一夜の宿を求めた旅僧に、漁夫の父子は交々に屋島の合戦の有様を、三保谷と悪七兵衛景清の勇戦ぶりなどを織りまぜて語り、義経の幽霊であることを暗示して消える。

 僧は霊を弔っていると、甲冑を着けた雄姿で現われた義経の亡霊が、弓流しの故事を交えて屋島の合戦の様を語るが、夜明けてみれば、敵と見えたのは鴎の群れで、鬨(トキ)の声と聞こえたのは朝嵐であった。


[24]アカコッコさんからのコメント(2007年01月30日 14時08分17秒 ) パスワード

 俊寛・世阿弥作

あらすじ:鬼界ヶ島に流刑された俊寛・丹波少将盛経・平康頼の三人は破れ果てた布をまとい山菜や海藻を食べてなんとか生き長らえている。

そこに赦免船が着く。三人は狂喜して迎えるが、許されたのは盛経・康頼の二人だけであることを知る。
読み落としでないかと何回も赦免状をみるが俊寛の名はない。

赦免使は「私も不審思い清盛に質したが、俊寛は島に残せとの仰せであった」という。俊寛は己れ一人残されることを嘆き、赦免状を読み返すが己の名はない。
これは夢か、夢なら覚めよと悲しむ俊寛のさまは誠に哀れである。

そのうち盛経と康頼は舟に乗り込む。俊寛も乗ろうとして康頼の袖をつかむが、赦免使は言葉を荒げて突き放す。俊寛は渚にひれ伏して嘆き悲しむ。

赦免使も哀れに思い、京に帰ったら帰洛出来るよう計らうから心強く待ちなさいとい云って、沖遠く赦免船は出てゆき見えなくなってしまう。

[25]アカコッコさんからのコメント(2007年02月01日 13時29分31秒 ) パスワード


熊野(ユヤ)・世阿弥作

あらすじ:遠江国池田宿の遊女の熊野は、時の権力者平宗盛の寵愛をうけて都に引き取られている。

侍女に朝顔が、熊野の母親の病気を知らせる文をもって上京してきたので、熊野は宗盛に暇を乞うが許されず、宗盛は急がせて清水の花見にゆく。

心に染まない花見に来た熊野が舞を舞っていると、俄雨が満開の花を散らせる。

熊野は(いかにせん都の花も惜しけれど慣れし東の花や散るらん)と詠ったので、流石の宗盛も心を打たれ直ちに暇を与える。

熊野はこれも仏力の御蔭と観音を伏し拝み、その場から故郷の池田に旅たつ。

[26]アカコッコさんからのコメント(2007年02月01日 13時37分00秒 ) パスワード

忠度(タダノリ)・世阿弥作

あらすじ:もと俊成卿に仕えた旅僧が須磨の浦に着く。

  すると花蔭で休んでいる海士の翁に出会う。翁は(行き暮れて木の下陰を宿とせば花や今宵の主ならまし)と詠まれた人は、この花蔭に葬られたので、そのあとを弔っているのでと語る。

僧はその方は忠度でしょうと言うと実は私は忠度の化身ですと言って翁は消え去る。

 僧はこの事を定家に伝えようと思い乍ら忠度の霊を弔らっていると、忠度の亡霊が現われ「平家都落ちのとき危険を冒して俊成卿に和歌一巻を託した。

その歌が千載集に載せられたが、勅勘の身のため読み人知らずとされているのが残念なので、作者名を入れるように定家に頼んで下さい」と言う。

一ノ谷の戦いで源氏の岡部六弥太と一騎打ちのすえに打ち取られたが、六弥太が箙を見ると、和歌一首に忠度と書いた短冊が付いていたので、六弥太は、さては薩摩ノ守であったと悟り、忠度をこの花蔭に手厚く葬ってくれた。

どうぞ我が跡を弔ってくださいと云って花蔭に消え失せた。


忠度が登場したので平家関係はこれでおしまい。

 
[27]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月03日 12時29分07秒 ) パスワード

どのお話も心に響きますね。
また平家物語の登場人物達が蘇りますね。

古典は永遠の生命を持っていると言われますが
我々現代人にも自分ならどう思うかどうするか
とても過去の人物のお話には思えませんね。


どのお話もいいですね。
無能な人物に描かれる宗盛でも歌の分かる人物に描かれているではありませんか。
[28]アカコッコさんからのコメント(2007年02月08日 12時01分53秒 ) パスワード

つづいて源氏関係を。

 >どのお話も心に響きますね。
 
 今度は心に響きますかね、平家物語関係とちょっと趣きが違います。
手始めに源氏物語関係から。

 葵ノ上(アオイノウエ)・作者不明

 あらすじ:朱雀院の臣が現われ「左大臣の娘葵ノ上が物怪(モノノケ)に取りつかれ病み伏し、医療を施し高僧の秘法も行ったが験(タメシ)が現われないので、照日という巫女を呼び梓弓で調伏しよう」と語る。
 
 照日が梓弓をひくと六条御息所の生霊が破れ車に乗って現われ、恋しい光源氏を葵ノ上に奪われた恨みだといって葵ノ上に取り付く。照日は制止しようとするが、御息所はこれを聞かず、尚も葵ノ上の枕元に立って加茂の車争いで負けた恨みを述べ、葵ノ上の頭を打ち、やがて破れ車に乗せて連れ去ろうとする。

 葵ノ上の容態急変に驚いた家人たちは、横川の小聖を呼んで加持祈祷をさせる。悪鬼と変じた御息所はこれに負けまいと必至に頑張る。法力と魔力の腕くらべの末、遂に法力に敗れた御息所は成仏解脱の身となった。


[29]アカコッコさんからのコメント(2007年02月08日 12時20分56秒 ) パスワード

浮舟(ウキフネ)・作者不明


 あらすじ:旅僧が宇治の里につく。里女が居たので、宇治には以前どんな人が住んでいたかと尋ねると里女は「詳しくは知らないが浮舟という女がこの辺に住んでいた。

 宇治には薫大将の仮住まいもあり、浮舟と薫大将は相愛の仲であった。
 
 然し兵部卿宮も浮舟に心を寄せて忍んでくるようになり、兵部卿ともわりない仲になってしまった。

 浮舟は三角関係に悩み宇治川に身を投じた」と語り、私は比叡山麓の小野に住んでいるが悩みが多いので小野に来て弔って下さいと云って消える。

 僧が小野を訪ねて読経していると浮舟の亡霊が現われ、私は浮舟ですが恋の悩みで宇治川に投身したところを横川の僧都に助けられ、尼となって死んだが、悩みが深いので成仏出来ませんでした。

 然し唯今御僧の弔いにより漸く成仏できました。と言って消え失せる。
[30]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月08日 13時32分03秒 ) パスワード

>法力と魔力の腕くらべの末、遂に法力に敗れた御息所は成仏解脱の身となった。


御息所は今で表現するとストーカーですね。

恋しい年下の男、光源氏。
それゆえに彼の妻を憎んで恨んでとりついてしまう。

「負けるものか!」「わたくしは女として最高の地位にも上ることが出来た者よ!」
プライドだけで未亡人になってから生きてきたのに「若いだけが取り得の女に負けてしまいそう!」

くやしい、くやしい。

日本女性は年の若いが取り得という部分がありますからね。
日本の男は女は若けりゃ若いほど良いと思ってるから。笑
フランス女なら「年上の女は若い女になんかに負けない」自信があるけど
日本女性は「オバサンは年若い女にオバサンというだけで」太刀打ちが出来ないと思ってますからね。


そういう年齢に対する日本女性の想いというのを御息所は代表しているなって思います。
「私はいつか捨てられる」「もうオバサンだもの」。


でも、ま、こういう気持ちが吹っ切れれば、良い母となって娘の成長を穏やかに見守ることが出来るけど。


どんな時に女は憑き物が落ちるのかしら?
娘の成長に目が行く時かしら?
「母」になった時ってことかな?

年下の男にうつつを抜かすより母性愛に目覚めろって?
以後の御息所って結構いいお母さんになってますものね。憑き物が落ちたみたいに。
[31]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月08日 13時44分28秒 ) パスワード

「浮舟」は今ハヤリの若年性鬱の世界だなって思います。


当時は男性は女が沢山いても非難されないどころか賞賛された。
なのに女性は1人の男性にしかなびいてはいけなかった。


でも女性だって1人だけとは限らず他の男にも心動かされ、愛してしまうのよね。
こういうのってアリなのに世間はわたくしをアバズレだと言って許してはくれないだろう。
うつ・鬱・うつ・ウツ・・・
結局両方の男と縁を切って身奇麗になって出直したけど
どうして女は2人の男を同時に愛してはいけないの?両天秤かけたわけじゃないのに。
うつ・鬱・うつ・ウツ・・・


>然し唯今御僧の弔いにより漸く成仏できました。と言って消え失せる。

やっとわたくしの話をちゃんと聞いてくれる心療内科の先生と出会って心が晴れました。
かな?
[32]アカコッコさんからのコメント(2007年02月14日 12時46分35秒 ) パスワード


 よいしょ・どっこいしょ、あまり下のほうに行ったので、引き上げてまいりました。(ドッカで聞いたことがあるセリフ)
 さちこさんや隈さんがコメントをしているが参加したいが知識がないので、このスレで。

>やっとわたくしの話をちゃんと聞いてくれる心療内科の先生と出会って心が晴れました。かな

今回もその仲間のお話です。 

玉鬘(タマカヅラ)・金春禅竹作

 あらすじ:旅僧が初瀬川に着く。
 小舟を操る里女に出会ったので不審すると、里女は御堂に案内し、そこにある二本の杉を指して(二本の杉の立ちど云々・・・・・・)と古歌を吟じ、ここは玉葛が初瀬詣をなされた所です。と云って消える。

 僧はさては玉葛の化身であったかと気付いて弔っていると、亡霊が現われ、「私は玉葛の亡霊です。母の夕顔が源氏と結ばれたが、六条御息所の生霊に取り殺され、私もいろいろ苦労の末に源氏に見い出されて愛を受けたが、やがて髯黒の大将と結婚しました。

 しかし主人の大将と源氏との二重の愛情に苦しみ、遂に狂ってしまいました」と言って激しく狂い舞うが、夜明けてみれば、僧のみた夢であった。


[33]さんからのコメント(2007年02月14日 17時30分45秒 ) パスワード

アカコッコさん、どうもお久しぶりです。お元気ですか?(^^)/

>参加したいが知識がないので

は、私の方です。古典文学作品はまともに語れないので、こちらのスレではだんまりです(発言すればボロが出る)。
こんなんで平熱に出てきていいんだろうか?(^^ゞ

大人しく読みつつ、勉強させて頂いてます。m(__)m
[34]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月15日 01時53分33秒 ) パスワード

へ〜
玉鬘は狂ってしまう設定ですか。
髭黒大将を選んで「良い選択をした」と思いましたが。
(私って単純!)


初瀬の観音さまは願いをみな聞きとどけてくれる霊験あらたかということで
右近に出会って母の消息を聞き
光源氏の養女になり
髭黒大将を結婚して平穏な結婚生活を手に入れた
と思ってました。


・二本の 杉のたちどを 尋ねずは 古川野辺に 君を見ましや うれしき瀬にも


[第九段 右近、玉鬘一行と約束して別れる]

参り集ふ人のありさまども、見下さるる方なり。前より行く水をば、初瀬川といふなりけり。右近、
   「二本の杉のたちどを尋ねずは  古川野辺に君を見ましや うれしき瀬にも」
と聞こゆ。

   「初瀬川はやくのことは知らねども  今日の逢ふ瀬に身さへ流れぬ」
と、うち泣きておはするさま、いとめやすし。

「容貌はいとかくめでたくきよげながら、田舎び、こちこちしうおはせましかば、いかに玉の瑕ならまし。いで、あはれ、いかでかく生ひ出でたまひけむ」と、おとどをうれしく思ふ。

母君は、ただいと若やかにおほどかにて、やはやはとぞ、たをやぎたまへりし。これは気高く、もてなしなど恥づかしげに、よしめきたまへり。筑紫を心にくく思ひなすに、皆、見し人は里びにたる、心得がたくなむ。

暮るれば、御堂に上りて、またの日も行なひ暮らしたまふ。

秋風、谷より遥かに吹きのぼりて、いと肌寒きに、ものいとあはれなる心どもには、よろづ思ひ続けられて、人並々ならむこともありがたきことと思ひ沈みつるを、この人の物語のついでに、父大臣の御ありさま、腹々の何ともあるまじき御子ども、皆ものめかしなしたてたまふを聞けば、かかる下草頼もしくぞ思しなりぬる。

出づとても、かたみに宿る所も問ひ交はして、もしまた追ひ惑はしたらむ時と、危ふく思ひけり。右近が家は、六条の院近きわたりなりければ、ほど遠からで、言ひ交はすもたつき出で来ぬる心地しけり。
[35]アカコッコさんからのコメント(2007年02月17日 15時49分33秒 ) パスワード

隈さんお久しぶりです。

 枯れ木も山の賑わいのスレですが読んで頂けるだけで嬉しいです。私のはともかく暇潰しのギャンブラさんのホローが適切且つ有意義で、ピリリを効き有難いです。

 半 蔀(ハ ジトミ)・内藤藤左衛門作

 あらすじ:雲林院の僧が、一夏(旧暦七月十五日)も過ぎたので色々の花を集めて花供養をしている。

 白い花で笑の眉を開けたような花があるので、何という花だろうと思っていると美女が現われ、これは夕顔の花で、実は私は昔、五条辺りに住んでいた夕顔というものです。といって花の蔭に消える。

 僧は不審に思って五条に来て見ると、もと夕顔の住んでいた辺はすっかり荒れ果てゝいるので読経をして弔っていると、夕顔の亡霊が現われ、源氏の中将が此の前を通ったとき家来の維光を呼んで、あの花を手折れと命じたので、私が夕顔の花を差上げると、扇を下された。その時源氏は(折りてこそそれかとも見めたそがれにほのぼの見えし花の夕顔)と歌を詠まれ、その後は度々訪ねて来られた。

 源氏が此所の半蔀を押し上げて立帰られた姿が思い出されて涙がとまりません、と在りし日の恋を語り、はや夜も明けて来たと言って夕顔は半蔀の内に入られたと思ったら、それは僧の見た夢であった。
[36]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月18日 02時11分20秒 ) パスワード

夕顔は、夕方から白くぼぉ〜っと咲く儚い花で
夕顔という女性自身が、幸せなのか幸せでなかったのか、よく分からない女性なんですよね。


「よく分からない」というのが
これは源氏の君にとっても
この女性のイメージというか存在自体が
掴み所のない女性で
それで逆に夕顔の魅力に惹かれてしまう。


普通の花は明るい太陽が似合うけれど夕顔は逆に昼間の光が苦手でスポットライトは御免。
ホントにかすかなぼんやりした幽という字の合いそうな花であり
夕顔はそういう女性だった。

だから光源氏に愛されても「ヤッタネ!」という勝ち組意識は無い。

それどころか
たまたま好奇心一杯の光の君に関心を持たれただけで
自分が奥方の1人になれるなんてことも思ってないし。
「今だけ、お情けを頂こう」かな?


美しい女性なのに華やかな世界に生きているわけじゃなくて
そこら辺りの町家筋に
ひっそりと咲く、そういう女性であり
そういう花。


はぐれ貴族とはいえ身分の高い光源氏にとって
ゴミゴミした猥雑な庶民の家並みにひっそりと咲く花は珍しく
そういう場所に美しい女を見つけた喜びは男としては面白く
光源氏の女コレクションの1つにはなかなか貴重な存在だった。

そういうのが夕顔には分かってたでしょうね。


浮舟は暗い暗い奈落の底に落ちた悲しみに満ちているけど ← 救いがない感じ

夕顔は暗さの方じゃなくて、夕方の残光の明るさはまだあるし
そういう景色の中で大きく花開く白さと明るさがあるな、と。
光源氏に愛されて、若い健康な汗を2人で流した、そんな心楽しさが2人にあったのじゃないかしら?


六条の御息所にすれば
貧乏人の住むエリアに源氏が行くのも許せないし
身分の低い女の所に寄るなんて御息所のプライドからは絶対許せない。

六条の御息所の妬みが一気に集中して夕顔に憑りついてしまう。


夕顔にしてみれば身分の高い六条の御息所に妬まれるなんて有り得ないのに。
向うは絶対的な身分がある女性で、こっちは日の当らない所にひっそり咲く花ですから。
絶対的にコッチは負けてるんですから。


光源氏が通って来てくれる間だけの愛だと分かっていたのじゃないかしら?
でも光源氏は来てくれなくなってしまった。
やっぱり・・・
わたくしはお待ちしておりますのに。


でも実際は夕顔の命は終わっていたのです。
夕顔は今でもたそがれ時になるとヒョイと立ち寄ってくれる源氏の君をお待ちしているのです。
[37]アカコッコさんからのコメント(2007年02月23日 09時10分32秒 ) パスワード

引き続き源氏物語関係から


源氏供養・世阿弥作

あらすじ:安居院の法印が石山寺参詣にくる。里女が現われ、私は石山寺に籠り源氏物語六十帖を書いたが、まだ源氏の供をしなかった科で今まだにいるので、光源氏の供養をして下さい。

私は紫式部ですといって消え失せる。そこで法印が源氏と式部の供養をし、霊を弔っていると、夜も深更のころ燈火の蔭に紫の衣を着た美女が影のように現われて、私は式部の亡霊ですが、御布施替りにといって舞いを舞ながら、源氏物語について色々と物語り、法印の供養で源氏も私も成仏できます。

実は私は石山寺の観世音の化身で、仮りに紫式部となって源氏物語を書き、この世は無常で儚いことを人々に知らせる方便としました。といって消え失せる。


 ◎ なお本曲では六十帖とあるが、正確には五十四帖です。

[38]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月23日 10時24分23秒 ) パスワード

>実は私は石山寺の観世音の化身で、
>仮りに紫式部となって源氏物語を書き、この世は無常で儚いことを人々に知らせる方便としました。


へえ〜
これはいいですね。

石山寺の観世音があの物語を紫式部に書かせたのですか。
美しいですね。
その方が幅が広がりますね。


石山寺には行きました。
その前に義仲寺に行きました。
あの近くで義仲と兼平が死んだのかと感慨深いものがありました。


石山寺で紫式部はどういう思いで源氏物語を書いたのかなあ?と。
紫式部と藤原道長=光源氏のモデル?=は噂になってたそうですけど
でも道長って糖尿病でしたものね。

だから駆け引きはあったでしょうけど実際の関係はなかったでしょう。


それで紫式部が一応楽しい噂をされた道長と自分を弔って欲しいというの分かる気がします。


やっぱり女性というのは権力者に愛されたなんて嘘でも噂になったら内心嬉しいじゃないですか。
空しいですけど。
プライドは充分満たされますよ。
ふっふっふっ


光源氏=道長=は糖尿病になってしまいましたから(目も見えなくなったそうですし)
美しいさまざまな女性達が取り巻いても
つまらなかったでしょうね。
ふっふっふっ
なんだか思わずニヤリとしてしまいました。


確かにこの世なんてどんな権力者に上り詰めても空しいですよね。
特に道長の裏も表も読み尽くした紫式部には。
[39]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月24日 09時04分18秒 ) パスワード

紫式部と清少納言。

あの時代の才媛お2人。


清少納言は男まさりで、ピシャリ、と男をやっつける爽快さがある。
ところが
紫式部は「わたくしはマナなど「いち」とさえどうやって書くのかも知りませぬ」というカマトト女。


この女の戦いは道長方の紫式部の圧勝で終わったけれど
道隆の死によって実家が失脚して後宮争いに負けた定子方の清少納言の方がよっぽどか怨霊になって出たかったと思ふ。
悔しかったでしょうね。


でもそういう悔しさというか女のドロドロした心情については全く記録に残さなかった清少納言はみごとな女性だと思う。


彼女に比べて紫式部の方は対抗心ムラムラで日記に
「あの女は女のくせに真名など書き散らして!
 よく読んでみたらあの女の教養なんてどんなに浅いかよく分かる!」
などとこき降ろしている。


紫式部は勝者側なのに心は満たされなかったんでしょうね。
実はあの源氏物語は観世音が彼女の筆を借りただけだっただなんて
踏んだり蹴ったりではありませんか。

ま、こんな所が紫式部の実像をよく語っているのかも。


やっぱり女性は同性のやることをこきおろして卑しめてはいけませんねえ。


野口英世にしても石川啄木にしても樋口一葉にしても山頭火にしても
才能の素晴らしさの裏に人間性はボロボロに壊れている。
ま、日本人はやさしいから作品を評価して人間性については作品に軍配を挙げてくれるから
紫式部についても性格の悪さは皆さん忘れてくれるのでしょう。


清少納言の明るさと才気煥発さだったら
道長との噂も明るく笑い飛ばしたのでしょうけど
紫式部では陰に籠って
桐壺更衣が遭わされたようなイジメを実は紫式部がやってたのかも。

そういう人間性の2重性を世阿弥は描いたのかな?
人間は心の闇を抱えているものですから。
[40]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月24日 09時20分51秒 ) パスワード

わたくしが好きなのは光源氏の従姉妹の「あさかほ」(槿)で
わたくしの若い時はこんな感じだったと思います。

心に何やら持った男の子というのはお断りでした。

ま、顔や雰囲気がステキだから惹かれはするけど
実際に結婚となると(冗談じゃないよ!)でしたね。



そういう意味で「玉鬘」が髭黒を選んだというのは共感しました。

あんまりたいして面白味の無い男かも知れないけれど実直な男というのはポイント高いです。
髭黒が初婚だったらもっと良かったのでしょうけど
玉鬘もたいした出の女じゃないですから
ま、いいカップル、と思いました。


でもホントは玉鬘も浮気者だけど出の良いカッコいい男の子である光源氏が本命だったのか。
ふ〜ん。
競争相手が多いから光源氏は諦めて髭黒の妻になったけど
本心は(光源氏さまと結婚したかった〜)だったの?玉鬘ちゃん。
[41]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月24日 14時46分55秒 ) パスワード

玉鬘の悩みとは何だったのか?

1.髭黒と光源氏の間で揺れ動いた心?
2.幼くして母と別れ九州に去って、その間に母は死んでいたし
  玉鬘の父は光源氏のライバルである頭の中将なのに父からは放っておかれたのに
  光源氏に引き取られたこと?
3.亡き母の愛人に自分も愛人にさせられそうになったという危なかったこと?


いろいろ空想してしまいます。

下層の生活をしてた者が上層社会に入った苦しみか?とか。
[42]アカコッコさんからのコメント(2007年02月26日 13時41分42秒 ) パスワード

相変わらず源氏物語より、

野ノ宮(ノノミヤ)・世阿弥作

 あらすじ:旅僧が野宮神社に詣でる。すると里女が現われ、此処は斎宮(イツキノミヤ)に立たれる方の仮宮で清浄な処です

 私がこゝに居たとき源氏の君が訪れたことがあり、その後も度々忍んで来てくれた。実は私はその時の六条御息所の化身ですと云って消える。
 僧は夜もすがら弔っていると御息所の亡霊が現われて、なお燃え続ける情念の炎の為、葵上との加茂祭りの際の車争いの恨は今尚忘れ難いと語り、この妄念のため成仏できないので、弔ってくださいと頼んで舞を舞い、破れ車に乗り消え去る。
 
 ◎野宮神社と斎の宮 野宮神社は嵯峨野にある。
 
 古代から平安中期までは、伊勢神宮の斎ノ宮(神宮に奉仕して斎主を勤める皇女)は必ず未婚の皇女(内親王又は王女)が選ばれ、天皇一代在位中は、特別の事情のない限り、いつまでも勤めることになっていた。
 
 斎宮になるためには野宮で三年間に渉り、何回も禊を行ったのち、伊勢に下られる習わしとなっていた。
 
 日本武尊が東征のとき、叔母に当たる斎宮より宝剣を賜わり、また伊勢物語では在原業平東下りの途中伊勢に立ち寄って斎宮恬子内親王(清和天皇の妹)と契る恋物語りが書かれている。
 
 なお伊勢神宮とは別に賀茂神社に仕える斎宮も居られた。

 これで、源氏物語関係は終り。あとは本当の源氏関係になりますが、いずれもご存知の話ばかりでつまらないかも知れません。

[43]アカコッコさんからのコメント(2007年02月26日 13時49分55秒 ) パスワード

今度はちょっと変わった夫婦物を

芦 刈(アシカリ)・世阿弥作
 
 あらすじ:貧苦ゆえに協議離婚した夫婦。
 
 妻は都に上り貴人の乳母となり出世する。夫の日下左衛門の消息を尋ねて思い出の難波の日下の浦に来てみると、もと居た家も無く探し求めて難波の浜市に来ると、一人の男が節面白く狂い舞いながら芦を売っている。

 見ればその男が夫であるので驚くが、夫もそれと知り逃げ隠れる。

 夫が(君なくて悪しかり<芦刈リ>けりと思うにぞ、いとど灘波の浦は住みうき)と吟じれば、妻は(悪しからじ善からんとてぞ別れにし、何か灘波の浦は住みうき)と返歌し、共に互いの心も判り、目出度く二人は元の鞘におさまる。

 立派な衣服に改めた芦刈男は舞を舞い、京に向かう。

 ◎男の物狂いは珍しい。本曲は男とその妻の心理描写が面白い。笠の段は一番の見どころ聞きどころである。

 本曲は今昔物語巻三十の第五話より取材したものである。

[44]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月26日 23時34分31秒 ) パスワード

「野宮」ですか。
六条御息所は語り尽くせない女性ですよね。


16歳で入内して子も生まれ将来は国母の地位に昇りつめようという恵まれた女性
ところが20歳で皇太子に死なれてしまって社会的に経済的に前途真っ暗!
24歳で7歳下の光源氏と出会ってやっと幸せを取り戻せたかと期待したのに裏切られ
30歳で伊勢へ行く決意をしたけれどやっぱり光源氏に対するズルズルした思いは断ち切り難く


もの凄いプライドを持った美しい女性。
家柄も良いし。


でも六条御息所は「美人だけど・・・」と悪口言われるタイプの女性ですね。


渡辺淳一氏によると「あの人は冷感症」だって「男にはつまらないタイプ」。



いえいえ渡辺淳一氏はまだ青い!
爆笑
あの人の「性愛小説」は底が浅いのよ!


ま、渡辺淳一氏の女性遍歴は
初恋の女性が浮気者でたくさんの男達と関係して自殺した
そのトラウマから解放されず

地方の医学部を出て、そこで女性達からチヤホヤされて
書いた小説で身の置き所が無くなって追放されて作家になった

ま、成功した男に群がる女性達は描いているのだろうけど
結局は高学歴高収入の自分に群がった女達であって
そこから選んだ自分の好みの美女の姿、
かな?


女性の内面は六条御息所の内面の10分の1も描いてはいない。


六条御息所については同じ女のわたくしでさえうまく語れない。
東宮に死なれて、挫折が大き過ぎた。これだけで鬱になってしまいますよ。

そこに現れた高校生の光源氏。
でも彼は女経験が豊かで自分の方が翻弄させられた。
なんか山本耕史と重なってしまう。

なんで?
わたくしのような女が弄ばれて終わりなの?

年甲斐もなく
と世間に哂われるだろうし。

もう光源氏さまのことは諦めなくては、と決心したのに
入って来る彼の噂は許せない。

薄汚い庶民の世界に住む名もないような女と爛れた愛をむさぼり
今は
奥様に子が出来た?


くやしい!くやしい!
なんで?このわたくしがこんなに苦しまなくてはいけないの?


嫉妬のあまり人の死を願ってしまった。
それが源氏にバレてしまった。

わたくしのような女がそんな恥ずかしい自分の醜い本性をさらけ出してしまったなんて。
ここでも鬱になりますよね。


やっと娘について伊勢に下ろうと心を決めて
潔斎もし

なのにソコへ光源氏さまがわたくしを訪ねてくださった。


あの御方は都を離れるわたくしに御挨拶に来てくださっただけのおつもりなんでしょうけど
わたくしはやっぱり思いが断ち切れないでいる。
やっと吹っ切れたつもりでいたのに。

もう、いつ都に戻れるか、そんなことは全く分からないから
記念に枕を交わしておこうなんて
わたくしは光源氏さまを愛しているからベッドを共にしたいのに

女には理由がいるのに
男には場所さえあれば理由なんて何だっていいのよね

そんな事はわたくしにも分かっているのに、つい。
娘が伊勢の斎宮になって下って行くというのに
こんな大事な時にさえ若い男に溺れてしまうわたくし。

だって、彼はかわいいんですもの。
[45]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月26日 23時49分42秒 ) パスワード

わたくしも23歳の時に16歳の超可愛い男の子と出会いましたのよ。
ホントに可愛いんですよ。


でも六条御息所とは違って深い仲にならず、そこまで深く愛さなかったのは
日本の16歳じゃ「可愛い」以外に何にも無いじゃないねっ?!


光源氏は将来は大臣にも、もしかすると天皇にも、なれる身分ですし
経済的にも豊かですし

六条御息所が執着してしまったというのは分からないわけじゃないです。

自分の手からするりと抜け去った国母という最高の身分と地位
今は後ろ盾を失って経済的にも困窮し
葵上の車にも見劣ってあんな無礼をされてしまったのを世間の人に見られてしまった。

そういう自分を光源氏は救ってくれる唯一の希望だった。


だけど、だけど
恥ずかしい自分の内面を光源氏に見破られた。
この人だけには知られたくなかったわたくしのの秘密。


最期は手を傷つけるのだったかしら?
今で言う「自傷行為」。
リストカットみたいなものでしょうね。


イヤな自分を変えたい。
あんな恥ずかしい過去の自分を忘れたい。
だからリストカットをするのよね。
あんな自分はイヤ!

イヤ!イヤ!イヤ!


>御息所の亡霊が現われて、
>なお燃え続ける情念の炎の為、
>葵上との加茂祭りの際の車争いの恨は今尚忘れ難いと語り、
>この妄念のため成仏できない


この人はリストカットして最期を迎えてもやっぱり成仏できなかったでしょうね。
[46]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月27日 07時08分41秒 ) パスワード

「能」は凄いですね。
心の奥の奥を男性が描くんですものね。

特に女性のドロドロした心の闇に迫るなんてねえ。


六条御息所は難しいですよね。
こういうのは普通のヘテロの男性は分かるんでしょうかねえ?
ホモだったら、分かるかな、と思いますけど。

世阿弥なら足利将軍とのゴタゴタや
息子に早く死なれてしまったから
六条御息所の心のアヤが分かるのかなあ?


女性の勝負は最後の最後までどんでん返しの連続と思います。

六条御息所は東宮の妻になったのに先立たれた。
光源氏の奥方には自分が相応しいと思ったのに違う女性を正妻にした。
あろうことか近所に住む身分の卑しい女と楽しい遊びをするし。

「もう無言電話6000回よ!」
って感じですね。笑


でも、自分の娘はなんとか早々と斎宮を終え、
自分の娘には幸せな結婚をして欲しい。

秋好む姫は中宮になったし

これで六条御息所の魂は成仏出来たと思いますが
まだまだ・・・


女性の悩みは尽きないですねえ。
[47]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月27日 07時18分22秒 ) パスワード

芦 刈(アシカリ)・世阿弥作

へえ〜

貧乏ゆえに離婚した夫婦が
出世した妻と縒りを戻すお話ですか。

珍しいですねえ。


普通復縁って男性が成功して女性が戻るというなら分かりますが
女性が出世して男性が未練たらしく恋しかったよと縒りを戻すんですか。

「貴方のために私は別れたのよ」

なかなか男らしい妻君なんですねえ。

日本人には珍しい設定ですよね?
[48]アカコッコさんからのコメント(2007年02月28日 08時16分23秒 ) パスワード

能・謡曲には平家・源氏関係や古典からの取材もあり、広く一般興味のある事柄が数多く作曲・演題にされております。

 平家関係ばかりでは、片手落ちになりそうなので、源氏関係では優雅さはないが、それはそれなりに、感ずるところがあろうと思いますが、如何でしょうか?。

朝 長(トモ ナガ)・作者不明

あらすじ:朝長は平治の乱で深手を負い、青墓の宿で自害した。

青墓の長者はこれを悼み、法要を営んでいると、もと朝長の傳役(モリヤク)をしていた旅僧が来て墓参する。

 僧が朝長最期の様子を長者に尋ねると、平治の乱に敗れて義朝主従五人ばかりが私のところへ逃れて来た。

 朝長は深手を負っていたが、夜半に念仏が聞こえるので鎌田殿が見にいったところ自害していたと語る。

僧は読経して夜もすがら弔っていると朝長の霊が現われ、平治の乱で平清盛と戦うことゝなり、遂に義朝軍は敗れて、兄義平は誅せられ、父義朝は三河の長田殿を頼んで落ちて来た。

私も父と共に此所まで来たが深手のため歩行も出来ず、おめおめ平家の雑兵に捕われるよりはと、腹一文字にかき切った。といって大崩れの戦以来のさまを見せ、跡弔い給えと言って消え失せる。
[49]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月28日 12時18分27秒 ) パスワード

「朝長」の能は全く知らなかったです。
ありがとうございました。


実盛や頼政に比べて若いから若さの同情はあっても
複雑さが少ないからかしら?
[50]アカコッコさんからのコメント(2007年03月02日 15時04分14秒 ) パスワード

七騎落(シチキオチ)・作者不明

あらすじ:石橋山の合戦に敗れ、房州へ落ちようと乗船した頼朝一行八名は、八名は不吉だという頼朝の命で一人だけ下船することになる。

土肥実平・小早川遠平父子のうちどちらかが残されることとなり、遠平は忠孝両道を全うして下船する。

跡を追ってきた味方の和田義盛が遠平を救って連れて来たことが判り、父子は抱き合って嬉し涙にくれる。

喜びの宴となり、実平は舞曲を舞う。
[51]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年03月02日 18時22分47秒 ) パスワード

この8人でしたっけ?

源 頼朝、土肥実平、土肥遠平、新開次郎、土屋三郎、田代信綱、土佐坊、岡崎義実


>和田義盛が遠平を救って連れて来たことが判り、父子は抱き合って嬉し涙にくれる。


いい話の上に和田義盛がホントいい役ですね。
良いお話です。
岡崎のじいさんも良いヒトだし。
[52]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年03月04日 00時54分54秒 ) パスワード

友人が「オーラの泉」のビデオテープを送ってくれました。

某俳優さんの女好きについて六条御息所との関係に似ていると思ったので書き留めておきます。



死霊より生霊の方がずっと念が深く強力で
生霊を発する女性の方は「蛇の生殺し」に遭ってるからだ、と。

彼は彼女に言い含めて納得させて別れたつもりでも女性の方は頭では分かっていても心がついていかない。

もし彼女の前に彼よりも魅力のある男性が出現すれば彼女は新しい男性に行けるのですが
なかなかそういう人が出現しないから彼に固執してしまう。

それは彼の不徳の至りということで彼は彼女をテキトーにあしらったりして別れようとしたわけで
彼女にトドメを刺していないから彼女は蛇の生殺しに遭っているんだ、と。

要するに彼が逃げるからいけないんだ、と。

彼にしてみれば
ツライ物を見たくないし相手が悲しむのがイヤだから
相手を煙に巻いたつもりで自分はいるけれど
相手は煙に巻かれていないから相手は納得できていない。


こんな事を金髪の人が言ってました。


それで光源氏と六条御息所の関係に似ているなと思いましたのでここに書き留めておきます。
(別の友人は「そんなもの見るな〜」と言ってました)笑
[53]アカコッコさんからのコメント(2007年03月06日 14時23分45秒 ) パスワード

こんな思いで成仏出来ない人もおられます。


 巴(トモエ)・作者不明


 あらすじ:木曽の旅僧が義仲が戦死した近江の粟津の原にさしかかる

 すると涙を流して神詣りしている里女が居るので不審すると、今詣でている社は義仲を祭ったもので、義仲の最後を思って泣いているのですと言うので、僧は哀れに思い義仲の霊を夜もすがら読経して弔った。

 すると不思議なことに、先程の女が甲冑を帯して現われ、巴という女武者が義仲最期の時、女だからといって召しつれてくれなかった恨みを述べて、平家を追討したときの軍功や粟津の原での義仲最後のさまと巴御前の武勇を物語り、私も義仲と一緒に戦死したかったが、小袖を木曽に届けよとの君命で木曽に立ち帰った無念の執心で成仏できないといって、僧に供養を頼む。
[54]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年03月07日 14時36分33秒 ) パスワード

泣けますね〜

寿永2年でしたっけ?
義仲が挙兵したのは。

それから粟津原での討ち死に。


誰かが「義仲の最期ってマヌケだ」なんて言いましたが
(ウッソー!)
でした。

そんな風に思う人もいるんですね。呆れました。


義仲の最期は
巴との別れ
兼平の後追い自害
で、これほど美しい主従の別れがあっただろうか
という「平家物語」の美しいストーリーですよね。


巴が能になったのは全く知りませんでしたが
能にも語られて巴は本当に成仏できたでしょうね。

なんか、もう、本当に、しみじみとします。
[55]アカコッコさんからのコメント(2007年03月30日 11時38分55秒 ) パスワード

橋弁慶(ハシベンケイ)・日吉安清作

あらすじ:本曲は童謡でお馴染みの京の五条の大橋での牛若丸と弁慶の出会いである。西塔の僧弁慶は、五条の天神へ丑刻詣でをしていたが、十二・三才の少年が五条の橋で辻斬ろとしているとの噂を聞いて、丁度満願の夜だといって辻斬り退治に出かける。牛若は明日から寺入りとなるので、自由に動けるのは今宵限りと五条大橋に佇む。弁慶は女子と思って行過ぎると弁慶の長刀の柄を蹴りあげて挑戦し、怒った弁慶は長刀を振って戦い、大立囲りとなるが、燕のような早業の牛若のため打ち負かされてしまう。弁慶は降参して名前を聞くと、源義朝の子牛若丸と判り、主従の契りを結んで九条の御所へ向う。

船弁慶(フナベンケイ)・観世信光作

あらすじ:平家撃滅のため大功をたてた義経が、梶原景時の讒言により、兄頼朝と不仲となり、主従僅か十余人で九州に向かって都落ちする。

乗船のため尼ヶ崎の大物甫へ着いた義経一行は乗船しようとするが愛妾静も乗船したいと言う。女を連れていくことも出来ず、泣き崩れる静と名残りを惜しみながら乗船する。

弁慶は会稽の恥を臥薪嘗胆の末、打ち雪いだ越王勾践(コウセン)の古事を語って、義経を励ます。船を出したが、途中俄に大時化となって平家一門の亡霊に悩まされ、やがて知盛の幽霊が現われて、船を沈めようと襲いかゝるが、弁慶の読経で虎口を脱し、陸地に上がる。

本曲は前シテが静で後シテが知盛の霊と別人であること、シテよりワキ役弁慶が大活躍するのが変わっている。作観世小次郎信光は世阿弥の甥元重の長男である。

[56]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年03月30日 12時34分45秒 ) パスワード

「弁慶」はラッキーですよね。
清盛や頼朝の名を知らなくても弁慶の名を知らない人はいないでしょう。
(最近の子は知らないかも)


>十二・三才の少年が五条の橋で辻斬ろとしているとの噂

これは、「橋弁慶」では、世間の話とは逆なんですってねえ。
義経が辻斬りをしてたのは平家打倒に腕の立つ部下が欲しくて捜していたとか。


『舟弁慶』は「なんで知盛さまが化けて出るんだあ〜」と納得がいかないです。

化けて出るとしたら景清あたりかな?と。
ナムコのゲームでも「滅びし平家の怨み忘れはすまい」と景清に言わせてますから。
自爆


大物浦での嵐に平家の怨念を感じたとするなら義経方の弱り目に祟り目ということで
それこそ
富士川の戦いのように、みじめな敗走を義経主従がするという暗示しているのかな?と。
[57]アカコッコさんからのコメント(2007年04月02日 08時22分36秒 ) パスワード

安宅(アタカ)・観世小次郎信光

あらすじ:安宅の関守富樫は義経主従十二人が都から落ちて来ることを知り、頼朝の命で関所を固めている。
義経一行は山伏姿となり弁慶が先達となって安宅につく。
弁慶が「一行は東大寺再建勧進の為、北陸に行くのだ」と言うが富樫は聞き入れない。弁慶はさらば最後の勤めをしようと五大明王を勧請して祈り、山伏に危害を加えれば仏罰疑いなしと脅迫する。
怯んだ富樫は然らば東大寺再建の勧進帳を読めという。
弁慶は少しも騒がず笈より巻物(実は手習本)を取り出して朗々と空読みする。
富樫は覘こうとするが巧みに隠し、真に迫る演技と気迫に遂に通行を許す。
 ところが一足遅れて駆抜けようとした山伏(実は義経)を見咎める関守。
弁慶は立戻り、まごまごしているから疑いを受けるのだと言って金剛杖で散々打ちのめす。他の山伏も刀を抜いて関守に迫ったので富樫は謝って一行を通す。
 九死に一生を得て関所を通り抜けた一行は休息し、弁慶は最前の非礼を詫び、義経はこれも八幡菩薩の加護だと悲運を嘆きながら陸奥へ下ってゆく。

◎ 先月、パリ・オペラ座での歌舞伎公演が行わた。「勧進帳」がパリで上演されるのも初。公演に先立ち、舞台げいこが公開され、TVでも一部放映されました。

 出演は、富樫役の市川團十郎と弁慶役の市川海老蔵親子。
[58]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年04月02日 10時04分06秒 ) パスワード

安宅(アタカ)・観世小次郎信光


ひょっとすると、このお話は観世小次郎信光作の「安宅」から史実噺化(笑)したのかも、
ですね。
余りにもドラマチックだから。

NHK大河の石橋蓮司の富樫役は良かったですよね。


義経主従伝説と能のドラマとでこういう良い話になったのかなあ、と思いました。
[59]アカコッコさんからのコメント(2007年04月08日 08時23分15秒 ) パスワード

二人静(フタ リ シヅカ)・世阿弥作

あらすじ:吉野勝手明神の神人が、巫女に神に供える若菜摘を命じた。

巫女は川辺で若菜を摘んでいると里女が現われ、私は罪業深い女なので、帰ったら私の霊を弔って下さいと云って消える。巫女は神社に戻り、神人にこの旨を伝えているうちに静御前の霊が乗り移る、そして、私は判官殿に仕えた女で吉野まで供をして来たが、女人禁制のため此所で別れた静ですという。神人は静なら舞の上手だから舞いを見せよというと女は「こゝの宝蔵に私の舞装束が入っている」というので、蔵を開けると果たして静の舞装束があった。
 巫女が静の装束をつけて舞っていると、そこにもう一人の同じ装束の静御前の亡霊が現われて、頼朝に追われて吉野に入った有様を語り、二人で静の舞を舞う。

◎ 同装束の二人の静合舞をする場面が見せ場であり面白い。

◎ 丁度今頃(4〜5月)に咲く花に、ヒトリシズカ・フタリシズカ(センリョウ科)があります。
 
 ヒトリシズカは葉が開くと同時に白い穂状花序を1本直立させる。和名はこの花穂を静御前の舞い姿に見立てたもので、ヨシノシズカの別名も。


 フタリシズカはヒトリシズカとの対比で、静御前とその亡霊たちの舞い姿という伝承がある。
[60]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年04月08日 11時49分43秒 ) パスワード

>二人静

両口屋是清のお菓子の「二人静」はこれから名前がつけられたのかしら?



>ヒトリシズカは葉が開くと同時に白い穂状花序を1本直立させる。

千両か万両かよく分かりませんがこの花はこちらでは現在満開です。
明日散歩に行く時にじっくり見てきますね。



>二人静(フタ リ シヅカ)・世阿弥作

いい題名ですね。
内容も背筋がゾクゾクします。
(でも知らなかったぁ〜)
[61]アカコッコさんからのコメント(2007年04月13日 10時20分38秒 ) パスワード

正 尊(ショオ ソン)・観世小次郎長俊作

あらすじ:義経は木曽義仲を追討し、一ノ谷・屋島・壇ノ浦と転戦して平家を滅亡させる。当然恩賞あるべきところを、梶原景時の讒言(ザンゲン)により頼朝と不和となり、鎌倉より土佐ノ坊正尊という頼朝腹心の家来を京に指し向けて義経の命を狙っていることを知り、義経は弁慶に対して上京している正尊の宿舎に行って、急ぎ義経館に伴ってくるよう命ずる。弁慶は正尊を義経のいる堀川舘に連れてくる。正尊は、「熊野参詣のため上洛したが、つい堀川殿に伺うのが遅れてしまった。頼朝よりは、都をよく守護せよとの伝言があっただけで、他意はない」と申しひらき、熊野権現の起請文を読みあげる。義経は虚言と知りつつ其の場は盃を与えて帰らせた。正尊は義経舘の手薄なのを知り、宿舎に帰って武装した軍勢を率き連れ、夜に乗じて堀川舘に攻めかゝったが義経の家来たちは奮戦し、弁慶と正尊と組みうち、搭げ伏せて取り押さえ、縄を打って御門の内に入った。

◎ 堀川夜討 壇ノ浦で平家を滅ぼした義経は、宗盛を生け捕りにして京都に凱旋し、院より検非遣使に任ぜられ堀川御所の跡を賜り、京都の守護に当たっていたが、頼朝と不和となり、頼朝は土佐昌俊(正尊)に兵五百騎を与えて京に上って義経を討つよう命じた。正尊は先ず熊野参詣の途中と称して堀川殿(義経館)を訪れて案外手薄なことを知り、己れの宿舎に帰って軍勢をひきつれ、堀川殿に夜討ちをかける。予測していた義経側は弁慶以下五十人ばかりで奮戦し、義経側の大勝に終った。正尊は逃げたが僧正ヶ谷で捕われ、六条河原で斬首された

◎ 起請文とは熊野権現の護符に誓詞を書き、もしこの誓いを破れば血を吐いて地獄におちるものと信じられていた。一種の誓約書であります。

◎吉原の女郎が多数の客に何枚も起請文を渡し、客同士が自慢し見せ合ったら、みんな同じ起請文だったと言う落語があります(笑)。

◎ 『江戸お留守居役の日記』(講談社文庫)に徳川家康起請文(毛利博物館)が収録されています。
 
 宛名には安芸中納言(毛利輝元)殿・毛利藤七郎(秀就)殿で、
  『敬白起請文前書之事』

誓約の条文を列挙した「前書」(右)と熊野神社などの厄除けの護符である牛王宝印の裏(左)に書く神文、神仏への「起請文(梵天帝釈・・・)の二つの部分からなる。

 時代は鎌倉時代よりずいぶんと下がっているのに、起請文とは面白いですね。

[62]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年04月14日 11時51分36秒 ) パスワード

土佐坊の名の方が記憶にありました。
今の言い方では刺客ですね。笑
ヒットマンとか?笑


イメージでは哀れな人物、というのがあります。
暗殺に失敗するなんて、相手が義経だけに、余計にミジメな敗者だな、と。
その上、だいたいイヤラシイ人物、という設定ですしね。

ま、歴史に名を遺したし、「正尊・観世小次郎長俊作」にもなったし
もって冥すべし←こんな漢字でしたっけ?



>時代は鎌倉時代よりずいぶんと下がっているのに、起請文とは面白いですね。

起請文で好きなのは
武田勝頼が滅びる時に北条から来た妻が勝頼の武運を祈った起請文です。

戦国時代の武将には起請文はどうだったんでしょうね。
今の「誓いの言葉」ほどにも御利益なんて無いと分かってたでしょうね。
[63]アカコッコさんからのコメント(2007年05月14日 14時31分35秒 ) パスワード

鞍馬天狗(クラマ テング)・作者宮増

あらすじ:鞍馬僧正ヶ谷の山伏が花見に現われる。
そこに東谷の僧が稚子たちを連れて現われ、こゝは稚子たちの花見の席だから立退けと云う。
問答の末僧と稚子は立ち去るが、一人の子だけ残っているので名を聞くと牛若丸と答えたので、山伏は「お前は常盤腹の源氏の御曹司か、我は年経た鞍馬の大天狗である。兵法を授けるから、敵の平家を滅ぼし会稽の怨を灌げ」と云って消える。

次の夜牛若は身支度して待っていると、大天狗が大勢の子天狗をつれて現われ、昔、漢の豪傑張良が黄石公より兵法を伝授された故事を話し、あなたは源氏の御曹司であるから、苦しさに耐え忍んで兵法を鍛え、成人したら必ず平家を打ち滅ぼしなさいと云って天狗の兵法(武芸)を教え、この後は影身離れず弓矢の力を添え、御身を護ってやると言って消え失せる。

◎ 鞍馬天狗といえば、「くらまてんぐのおじっちゃんが♪♪・・・」で始まる鞍馬天狗:嵐寛寿郎と「みそらひばり(子役時代)」が懐かしく思い出されます。
[64]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年05月15日 10時25分23秒 ) パスワード

>鞍馬天狗といえば、「くらまてんぐのおじっちゃんが♪♪・・・」で始まる鞍馬天狗

こちらかと思いました(笑)


>昔、漢の豪傑張良が黄石公より兵法を伝授された故事を話し、
>あなたは源氏の御曹司であるから、苦しさに耐え忍んで兵法を鍛え、
>成人したら必ず平家を打ち滅ぼしなさいと云って天狗の兵法(武芸)を教え、
>この後は影身離れず弓矢の力を添え、御身を護ってやると言って消え失せる。

深いお話ですね。

昔の人は教養も深いし
こういう故事来歴から義経伝説に磨きがかかったようですし

平家が悪役ですね。自滅
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